第15章:スタンピード
俺の宣言と同時に、ギルドの地下要塞『サンクチュアリ』は巨大な戦闘司令基地へとその姿を変えた。
モニターに映し出されるのは、地獄と化した首都の惨状だ。天を裂く巨大なゲートから吐き出されるモンスターの濁流。そして、その中心で暴れ回る一体の巨大な竜。
「……なんだ、あれは……」
誰かが息を呑む。
それは骨と腐肉で構成された、冒涜的なまでの巨体を誇る『屍竜』だった。その体からは絶えず負の魔力が瘴気のように溢れ出し、周囲のモンスターをさらに凶暴化させている。
「藤堂さんたちが交戦中ですが、硬すぎて歯が立ちません! スキルによる攻撃もほとんどが再生されています!」
オペレーターの悲鳴のような報告が飛ぶ。
モニターには、俺が強化したはずのギルドの精鋭たちが、屍竜の圧倒的な力の前に苦戦を強いられている様子が映し出されていた。
「……行こう、雫さん」
「ああ」
俺たちは頷き合うと、互いの最強装備を身に纏い、サンクチュアリの転移ゲートへと向かった。
俺の【次元旅行者の外套】に搭載された空間転移機能は、座標さえ特定できればどこへでも一瞬で移動できる。
「目標、スタンピードの中心。屍竜の直上!」
視界が光に包まれ、次の瞬間、俺たちは戦場の喧騒の只中に立っていた。
肌を刺すような瘴気と、天を突くほどの巨大な絶望の塊。
「――グルオオオオオオッ!」
俺たちの出現に気づいた屍竜が、その巨大な顎を開き、腐敗した魔力のブレスを放ってきた。街の一区画を丸ごと消し去るほどの絶望的な破壊の光。
だが、俺は避けない。
俺の外套【次元旅行者の外套】がブレスを自動で検知し、その攻撃が俺に届く直前に、異次元へと受け流し、完全に無効化する。
「なっ……!?」
屍竜が驚愕に目を見開いた、その一瞬の隙を雫は見逃さなかった。
「――凍てつけ、万物。『銀月の魔杖』よ、我が声に応えよ!」
彼女が手にした神話級の杖【銀月の魔杖】がまばゆい光を放つ。
次の瞬間、屍竜の巨大な半身が絶対零度の氷塊に包まれて凍りついた。彼女が以前放った魔法とは比較にならない、まさに神話の一撃。
「やったか!?」
ギルドの通信から歓声が上がる。だが――
「――甘い」
俺は冷静に戦況を分析していた。
ミシミシ、と氷に亀裂が走る。屍竜は凍りついた自らの体を、内側から溢れ出す瘴気の力で強引に破壊し、瞬時に再生させてしまったのだ。
「……なんて再生能力だ……」
雫が忌々しげに呟く。
物理的な攻撃も、魔法による攻撃も、あの圧倒的な再生能力の前では意味をなさない。あれを倒すには、再生する暇も与えないほどの、さらに巨大な一撃を叩き込むしかない。
「雫さん。次の一撃に、あんたの魔力の全てを込めることはできるか?」
「……できる。だが、狙いを定める時間が必要だ。あれは休むことなく動き回っている」
「分かった。俺が時間を稼ぐ」
俺は戦場全体を見渡した。
破壊されたビル、瓦礫の山、そしてモンスターたちが放つおびただしい負のエネルギー。
この戦場に散らばる全てが、俺にとっては最高の『素材』だった。
「――この世の全てのガラクタは、俺の力になれ」
俺はスキルを発動させた。
【万象再構築】――その真髄を、今ここで見せてやる。
俺は戦場に散らばる瓦礫、鉄骨、アスファルト、そして屍竜自身が放つ瘴気、さらにはギルドの仲間たちが放った魔法の残滓まで、ありとあらゆる『ゴミ』をスキルで分解・解析し、そして一つのイメージへと再構築していく。
「――創造開始」
俺がそう呟いた瞬間、地面が揺れた。
戦場に散らばっていた無数の瓦礫が意志を持ったかのように集まり、融合し、形を変えていく。
それは、天を衝くほどの巨大な『鎖』だった。
▶︎【神を縛る鉄鎖】
┣ 種別:神話級アーティファクト(即席)
┣ 効果:対象の『概念』そのものを縛り、あらゆる行動を封じる。
┗ 解説:戦場に存在するあらゆる物質と魔力を再構築して創り出された、神さえも拘束するとされる伝説の鎖。
「――行け」
俺の命令一下、数千、数万の巨大な鎖が生き物のように蠢き、天を舞い、屍竜の全身に絡みついた。
「――グウウウウウッ!?」
屍竜がもがき、抵抗する。だが、この鎖は物理的な力で動いているのではない。屍竜の『再生』『攻撃』『移動』といった概念そのものを縛り上げているのだ。
身動きを完全に封じられた屍竜が、絶望の雄叫びを上げた。
「――今だ、雫さんッ!」
俺の叫びに、彼女は完璧に応えた。
彼女は静かに目を閉じ、その身に宿る全ての魔力を【銀月の魔杖】へと注ぎ込んでいく。
「――我が名は雫。銀月の理を司る者」
杖の先端に、世界中の光を全て吸い込んだかのような、極小の光点が生まれる。
それはやがて、夜空に浮かぶ満月のように神々しい光の球体へと姿を変えた。
「――悪しき魂に、聖なる裁きを」
彼女がその光を解き放った。
世界から音が消えた。いや、そう感じたのはほんの一瞬の錯覚だったのかもしれない。
極光が過ぎ去った後、俺たちの耳に届いてきたのは地上からの割れんばかりの歓声だった。
「うおおおおおおおっ!」
「やった……! ゲートが消えたぞ!」
「助かった……俺たちは助かったんだ……!」
雫の放った一撃は、屍竜だけでなく、その背後にあった超巨大ゲートごと、この次元から完全に消滅させていた。
街を埋め尽くしていたモンスターたちは、供給源であるゲートが消滅したことでその勢いを急速に失い、残存するモンスターたちも、覚醒したギルドの精鋭たちによって次々と掃討されていく。
悪夢は終わったのだ。
「……終わった、のか……」
俺は眼下に広がる光景を見下ろしながら呆然と呟いた。
隣に立つ雫も、さすがに疲労の色は隠せないようだった。彼女の額には玉のような汗が浮かび、その呼吸も少し乱れている。
あの、一撃に彼女の持てる魔力のほとんどを注ぎ込んだのだろう。
「……見事な一撃だった、雫さん」
俺がそう言うと、彼女はふっと息を吐きながら俺を見た。
「お前のアシストがなければ不可能だった。あの巨大な鎖……一体何をどうやったんだ?」
「言ったでしょう? ガラクタをリサイクルしただけですよ」
俺は悪戯っぽく笑った。
戦闘が終わった今、その役目を終えた【神を縛る鉄鎖】は静かに魔力の粒子となって空に消えていこうとしていた。
「……待てよ」
俺はその消えゆく光の粒子の中に、何か奇妙なものが混じっていることに気づいた。
それは鎖が屍竜から吸収した魔力の残滓だった。
俺は咄嗟にスキルを発動し、その魔力の残滓を回収した。
「どうした、譲?」
「……いえ、少し気になることが」
俺は回収した魔力の残滓を手のひらの上で解析しながら首を傾げた。
何かおかしい。この魔力には、本来生物が持つはずのない、極めて人工的で不自然な『術式』の痕跡が残されている。
その時、俺の【次元旅行者の外套】に搭載された通信機能がけたたましく鳴り響いた。
ギルド長からの緊急通信だった。
『相田君! 雫君! 無事か!? 君たちは英雄だ! 街を救ってくれた最大の功労者だ!』
スピーカーから興奮しきったギルド長の声が聞こえてくる。
『すぐに帰還してくれ! 君たちを称える準備をさせて……』
「ギルド長。申し訳ありませんが、帰還は少し後になります」
俺は彼の言葉を遮って静かに言った。
「俺たちは英雄じゃありません。ただの掃除屋ですよ。まだ少しゴミが残っているようなのでね」
俺はそう言うと一方的に通信を切った。
「……譲?」
訝しげな顔をする雫に、俺は手のひらの上の魔力の残滓を見せた。
「雫さん。あの屍竜……何か変だと思いませんでしたか?」
「変……? 確かに冒涜的な姿ではあったが……」
「ええ。あれは自然に発生したモンスターじゃない。何者かによって人工的に『創り出された』生物兵器です」
俺の言葉に雫が息を呑む。
「この魔力の残滓にその証拠が残っていました。極めて高度な死霊術と錬金術を組み合わせた、強制的な変異の術式です」
「……まさか……」
「おそらく『黒鉄の市場』はこのスタンピードを陽動に使って、裏で何かをするつもりだったんでしょう。そしてそのための時間稼ぎとして、この屍竜を用意した」
だが俺たちの力が彼らの想定を遥かに超えていたため、計画が狂った。
「奴らの本当の目的は何だったのか……」
俺たちが思考を巡らせていると、俺のスキルが新たな反応を捉えた。
「……見つけましたよ、ゴミの隠れ場所を」
俺は空間転移を発動させ、雫と共にその反応があった場所へと跳んだ。