第14章:飛躍、そして嵐の前の静けさ
ギルドとの密約から数ヶ月が過ぎた。
俺たち『ヤヌス』のアトリエはギルド本部の地下深くに秘密裏に移設された。そこはダンジョン「古代文明の遺跡」だった場所をギルドが総力を挙げて改造した巨大な地下要塞。物理的にも魔術的にも、世界で最も安全な場所と言っても過言ではない、まさに『聖域』だった。
「……すごいな、これは」
俺は眼下に広がる広大な工房を見下ろしながら感嘆の声を漏らした。
東京ドームが丸ごと数個は入ってしまいそうな巨大な空間。そこには世界中から集められた最新鋭の分析機器、巨大な魔力炉、そしてあらゆる素材を加工するための全自動の生産ラインまでが完備されていた。
「ギルドも本気を出したな。これだけの設備を一から揃えるとなると、国家予算が軽く吹っ飛ぶぞ」
隣に立つ雫が呆れたように、しかしどこか楽しそうに言った。
俺たちの立場は劇的に変わった。
俺はギルドに新設された『特殊技術開発局』の局長という大層な肩書を与えられた。雫はその副局長だ。
俺たちの仕事はただ一つ。
――来るべき脅威に備え、ギルドの戦力を飛躍的に向上させること。
「さて、やるか」
俺は白衣の袖をまくり、コンソールの前に座った。
ここ数ヶ月、俺は寝る間も惜しんで新しいカスタムスキルオーブの開発に没頭していた。
俺の【万象再構築】と雫の天才的な魔術理論。そしてこのサンクチュアリの無限とも言えるリソース。
この三つが組み合わさった時、そこに不可能はなかった。
俺たちはまず、ギルドに所属する全てのAランク以上の探索者の戦闘データ、スキル特性、魔力の波長などを徹底的に分析した。
そして一人一人の長所を伸ばし、短所を補う完全オーダーメイドのスキルオーブを創造していったのだ。
例えば、ギルド最強の剣士と謳われる無口な老剣士、藤堂さん。
彼のスキル【心眼】は敵の動きを完璧に予測することができるが、あまりにも情報量が多すぎて脳が処理しきれず、長時間の戦闘ではパフォーマンスが著しく低下するという弱点があった。
そこで俺は彼の【心眼】に、並列思考を可能にする情報処理系のスキルを組み合わせた。
【分解:藤堂のスキル「心眼」】+【分解:魔導学者のスキル「並列思考」】+【再構築:彼の魔力パターンに最適化】
▶︎新スキル【未来視】
これにより彼は数秒先の未来を複数パターン同時に視ることが可能になった。彼の剣はもはや予測不能の絶対的な一撃と化した。
あるいは、炎の魔法を得意とするが防御が紙のように薄いことで有名な女性魔術師、カーラ。
彼女には攻撃魔法と防御魔法を同時に発動できる新しい概念のスキルを与えた。
【分解:彼女のスキル「爆炎」】+【分解:守護騎士のスキル「炎の盾」】+【再構築:魔力循環の最適化】
▶︎新スキル【炎帝の衣】
攻撃と防御が一体化した燃え盛る魔力の衣。彼女はもはや動く要塞と化した。
俺が創造したカスタムスキルオーブによって、ギルドのトップランカーたちは次々とその能力を覚醒させていった。
彼らの驚きと感謝の声が俺の元に届くたびに、俺はこの仕事のやりがいを感じていた。
「……譲。少し休憩したらどうだ? お前、もう三日も寝ていないだろう」
雫が淹れたてのコーヒーを持って工房にやってきた。
彼女の言う通り、俺はこの数ヶ月ほとんど工房に住み着いているような状態だった。
「ああ、ありがとう、雫さん。でも大丈夫だ。楽しくて仕方ないんだ」
俺は彼女からコーヒーを受け取ると、最高の笑顔でそう言った。
ガラクタを拾い集めていたあの頃とは違う。
今はギルドの最高の素材と技術を好きなだけ使える。
そして何よりも、俺の創ったものが誰かの力になり、未来を守る礎になる。
こんなに楽しくてやりがいのある仕事は他にない。
「……そうか。だが無理だけはするなよ」
雫はそう言うと俺の隣に座り、工房の巨大なメインモニターを見上げた。
モニターにはリアルタイムで更新される世界中のダンジョンの情報が映し出されている。
「……相変わらず『黒鉄の市場』の尻尾は掴めないか」
雫の低い声に俺は静かに頷いた。
ギルドの諜報部が総力を挙げて調査を続けているが、『黒鉄の市場』はあまりにも巧妙にその姿を隠していた。
彼らが関与したと思われる武器の密売、アーティファクトの盗難、探索者の失踪事件は世界中で多発している。
だがそのどれもが決定的な証拠を残していなかった。
まるで影法師と戦っているような不気味な感覚。
「奴らは必ずまた俺たちの前に現れる」
俺はコーヒーを一口飲むと静かに言った。
「その時までに、俺たちは俺たち自身の牙を研いでおく必要がある」
俺はコンソールを操作し、一つの設計図をモニターに呼び出した。
それは俺が誰にも明かさずに水面下で進めていた、俺と雫のためだけの最強の装備開発計画だった。
「これは……?」
雫がモニターに映し出された複雑な術式とデザイン画を見て息を呑む。
「俺たちの新しい力だ」
俺は不敵に笑った。
「雫さん。あんたのその美しい銀の髪を少しもらってもいいか?」
俺の突拍子もないお願いに、雫は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに俺の意図を察したようだった。
「……なるほどな。私の魔力と親和性の高い素材を使う、と。……いいだろう。好きなだけ持っていくといい」
彼女はそう言うと、自らの腰まである美しい銀髪を一房ナイフで切り落とし、俺に差し出した。
「ありがとう、雫さん。最高の芸術品を創ってやるよ」
俺はその銀髪を丁重に受け取ると、すぐさま素材解析装置にセットした。
俺が雫のために設計していたのは、彼女の水と氷の魔法を極限まで増幅させる新しい杖だった。
【分解:雫の銀髪(高純度の水属性魔力と彼女自身の生体情報)】
【分解:Sランクダンジョン『氷獄』の最深部で採掘した、決して溶けることのない永久氷晶『コキュートス・コア』】
【分解:古代の水の精霊王の魔力が宿るとされる伝説の世界樹の枝】
【再構築:上記の全ての素材を雫の魔力循環に完全に同調するように再設計】
「――【万象再構築】!」
俺のスキルが発動し、工房全体が絶対零度の神々しい光に包まれる。
そして光が収まった時。
俺たちの目の前には、一本の息を呑むほど美しい白銀の杖が浮かんでいた。
それはまるで雫の魂そのものが形になったような芸術品だった。
▶︎【銀月の魔杖】
┣ 種別:神話級アーティファクト
┣ 効果:水と氷のあらゆる魔法の威力を数倍に増幅させる。また、所有者の魔力量に応じて自己進化し、新しい能力を獲得する。
┗ 解説:雫の魂と共鳴する素材のみを使用し、彼女のためだけに創り出された唯一無二の専用武器。もはやこれは単なる道具ではなく、彼女の半身とも呼べる存在である。
「……これが……私の新しい力……」
雫が震える手でその杖に触れる。
杖は彼女の手に吸い付くように馴染み、そして心地よい魔力の脈動を返してきた。
「……すごい……。力が無限に湧き上がってくるようだ……」
彼女の全身から放たれる魔力が明らかに数段レベルアップしているのが俺にも分かった。
「喜んでもらえて何よりだ」
俺は満足げに頷いた。
「さて、次は俺の番だな」
俺はコンソールを操作し、もう一つの設計図を呼び出した。
それは俺自身のための新しい防具だった。
俺の弱点は分かっている。直接的な戦闘能力の低さだ。
どんなに強力なアイテムを創り出せても、それを使う前にやられてしまっては意味がない。
だから俺が求めたのは、絶対的な『防御力』と『生存能力』だった。
【分解:Sランクの竜亀の甲羅(あらゆる物理攻撃を無効化する)】
【分解:Sランクの幻影蝶の鱗粉(あらゆる魔法攻撃を屈折させる)】
【分解:古代ゴーレムの自己修復機能を持つ魔術回路】
【分解:俺自身の血液(所有者認証と緊急時の魔力供給源として)】
【再構築:上記の全ての機能の一つのコートに集約】
「――【万象再構築】!」
今度は重厚で力強い黄金の光が工房を満たす。
そして光が収まった時。
そこには漆黒を基調とした、シンプルでありながら究極の機能美を感じさせる一着のロングコートが浮かんでいた。
▶︎【次元旅行者の外套】
┣ 種別:神話級アーティファクト
┣ 効果:物理・魔法を問わず、あらゆる攻撃を自動で検知し、異次元に受け流すことで完全に無効化する。また、自己修復機能、ステルス機能、短距離の空間転移機能をも搭載している。
┗ 解説:相田譲の『生存』のためだけに特化して創り出された究極の防御装備。これを身に纏った彼を傷つけることは、神であっても不可能に近い。
俺はそのコートに袖を通した。
驚くほど軽く、そして自分の体の一部のようにしっくりと馴染んだ。
「……これで準備は整った」
俺は新しい杖を手に、神々しいほどの魔力を放つ雫と向き合った。
俺たちはこの数ヶ月で、明らかに次元の違う強さを手に入れた。
だが俺たちの心は満たされてはいなかった。
むしろ嵐の前の静けさのような、奇妙な緊張感が俺たちの間に漂っていた。
その時だった。
けたたましい警報音がサンクチュアリ全体に鳴り響いた。
『――緊急警報! 緊急警報!』
『首都圏、第三セクターの上空に未確認の超巨大ダンジョンゲートが出現!』
『ゲートから膨大な数のモンスターが出現中! これは訓練ではありません! スタンピード! スタンピードが発生しました!』
メインモニターに絶望的な映像が映し出される。
東京の空が禍々しい紫色に裂け、そこからまるで濁流のようにおびただしい数のモンスターが地上へと降り注いでいた。
街が破壊され、人々が逃げ惑う地獄絵図。
「……『黒鉄の市場』……!」
雫が憎しみを込めて呟く。
「間違いありませんね。これは奴らの仕業だ」
これはただのスタンピードじゃない。
奴らが意図的に引き起こした大規模なテロだ。
俺たちギルドに対する明確な宣戦布告。
「……譲」
雫が俺の名前を呼ぶ。
その瞳には恐怖も絶望もなかった。
ただ静かで燃え盛る闘志だけが宿っていた。
「ああ、分かってる」
俺は彼女に力強く頷き返した。
「俺たちの新しい力の使い道を、見つけたと、思っていたところだ」
俺はサンクチュアリ全体に通信を繋いだ。
「こちら特殊技術開発局局長、相田譲」
俺の静かだが力強い声が、全てのギルド職員の耳に届く。
「これよりギルド全部隊はスタンピードの鎮圧作戦に移行する」
俺は一度言葉を切り、そして宣言した。
「――俺たちが創り出した新しい力で、この悪夢を終わらせるぞ」