第13章:ギルドとの取引
スキルオーブの創造。それは言うは易く行うは難し、を地で行く作業だった。
俺はそれから一週間、工房に籠りっきりになった。食事も睡眠もメディカル・カプセルの中で最低限の栄養と休息を補給するだけ。それ以外の全ての時間を、スキルという名の「神のプログラム」の解析と再構築のシミュレーションに費やした。
「……くそ、ダメか!」
何度、失敗作のスキルオーブが目の前で魔力の粒子となって霧散したか分からない。
スキルはあまりにも繊細で、複雑なバランスの上に成り立っていた。一つの数値を間違えるだけで術式全体が暴走し、形を保てずに崩壊してしまう。
【分解:ゴブリンのスキルオーブ「投石」】の『運動エネルギーのベクトル指定』
【分解:スライムのスキルオーブ「溶解」】の『酸性物質の生成原理』
この二つの概念を、ただ単純に足し算するだけではダメだった。
出来上がるのは、目標に届く前に自らの酸で溶けてしまう欠陥品の石ころだけ。
「もっと根本的な部分で、発想を転換しないと……」
俺はモニターに映し出された無数の数式と格闘しながら、思考の海に深く、深く潜っていく。
ベクトル、質量、慣性、分子結合、魔力変換効率……。
パズルのピースを一つ一つ吟味し、組み合わせ、そしてまたバラバラにする。その果てしない作業の中で、俺はある一つの光明を見出した。
「……そうか。『投げる』と『溶かす』を別々の事象として捉えるからダメなんだ」
重要なのは、二つの概念の『融合』だ。
投げるという行為そのものが、溶解という結果を内包する。溶解という結果が、投げるという行為をより強力に昇華させる。
「つまり、こういうことか……!」
俺の脳内で、新しい術式の設計図が閃光のように組み上がっていく。
まず、ゴブリンの「投石」スキルから『対象物を投擲する』という単純な物理現象の部分だけを抽出する。そこに、スライムの「溶解」スキルから『対象物に触れた瞬間、分子結合を破壊する』という概念を上書きする。
さらに、ただの石ではなく高純度の魔石を触媒として、術式に『魔力に触れると酸性爆発を起こす』という新しいトリガーを追加する。
「これならいける……!」
俺は震える手で、最後の設計をコンソールに打ち込んだ。
「――【万象再構築】!」
俺の魂からの叫びに工房の空気が震えた。
分解された二つのスキルの構成情報が、高純度の魔石を核として渦を巻きながら一つに融合していく。
そして、まばゆい光が収まった時。
俺の目の前には、それまでの失敗作とは明らかに違う、禍々しくも美しい漆黒のスキルオーブが静かに浮かんでいた。
▶︎新スキル【酸弾投擲】
┣ 種別:複合攻撃スキル
┣ 効果:魔力を込めた物体を投擲し、着弾と同時に強力な酸性爆発を引き起こす。爆発範囲と威力は込める魔力量に比例する。
┗ 解説:『投石』の物理法則と『溶解』の化学法則を魔力によって融合させ、再構築した全く新しい概念のスキル。単純な威力は元になった二つのスキルを遥かに凌駕する。
「……できた……」
俺はその場にへなへなと座り込んだ。安堵と達成感で全身の力が抜けていく。
「やったぞ、雫さん……!」
俺は震える声で、隣の研究室にいるはずのパートナーの名前を呼んだ。
◇
「……これが、譲が創り出した新しいスキル……」
アトリエの地下に新設された最新鋭の訓練場で、雫が感嘆の声を漏らした。
彼女の手の中には、俺が創造した【酸弾投擲】のスキルオーブが握られている。
「ああ。試しに使ってみてくれ」
俺の言葉に雫はこくりと頷くと、スキルオーブを自らの額にかざした。
オーブが光の粒子となって彼女の中に吸い込まれていく。
「……なるほどな。確かに私の魔力に新しい『回路』が繋がった感覚がある」
雫は目を閉じ、新しいスキルの感触を確かめているようだった。
やがて彼女はゆっくりと目を開くと、訓練場のターゲットである超硬度金属でできた分厚い的に向かって右手をかざした。
彼女の掌に、近くに置いてあったただの石ころがふわりと浮かび上がる。
そしてその石ころが雫の魔力に触れた瞬間、禍々しい黒紫色のオーラを纏い始めた。
「――【酸弾投擲】」
雫が静かにそう呟いた。
彼女の手から放たれた石ころは、レーザービームのような凄まじい速度で空中を駆け抜け、そしてターゲットに着弾した。
その瞬間。
ゴオオオオオオオオオッ!!
耳をつんざくような轟音と共に、強力な酸性爆発が発生した。
黒紫色の腐食性の液体が周囲に撒き散らされる。
ジュウウウウウウッ……!
分厚い超硬度金属の的が、まるでバターのようにあっという間に溶けて崩れ落ちていく。
後に残されたのは、黒い煙を上げる巨大なクレーターだけだった。
「……なんだ、この威力は……」
俺は自分の創造物ながら、そのあまりにも規格外な性能に呆然とするしかなかった。
元になったスキルはゴブリンの「投石」とスライムの「溶解」。どちらもFランクの最弱スキルだ。
だが、その二つを俺の【万象再構築】で『融合』させることで、Aランクの攻撃魔法にも匹敵する恐るべき破壊力を生み出してしまったのだ。
「……譲。お前はとんでもないものを創り出してしまったな」
雫が興奮と畏怖の入り混じった複雑な表情で俺を見た。
「これはもはやただのスキルじゃない。世界のパワーバランスそのものを根底から覆しかねない禁忌の力だ」
「ああ、分かってる」
俺は静かに頷いた。
「だからこそ、この力は俺たちが厳重に管理しなきゃならない」
俺は雫に向き直り、真剣な目で告げた。
「雫さん。俺はこの技術をギルドに提供しようと思う」
「……なに?」
俺の予想外の提案に、雫が目を見開く。
「正気か、譲? こんな危険な技術を他人に渡すというのか? 悪用されたらどうするつもりだ?」
「もちろん、無条件で渡すわけじゃない。俺たち『ヤヌス』が全面的に管理・製造を請け負うという条件付きでだ」
俺の頭の中にはすでに具体的な計画があった。
「俺たちの工房をギルド直属の特殊な研究機関として位置づけてもらう。そして、俺が創り出すカスタムスキルオーブは、ギルドが厳正に審査した信頼できる一部のトップランカーにしか提供しない」
「……なるほどな。ギルドの後ろ盾を得ることで『黒鉄の市場』のような外部の敵から身を守る、と。同時にギルド内部でも、俺たちは誰にも手出しできない特別な存在になる、か」
雫はすぐに俺の意図を正確に理解してくれた。
「そうだ。これは俺たちがこの理不尽な世界で生き残るための最大の切り札になる」
俺は力強く言い切った。
「それに……」
俺は言葉を続ける。
「俺は見てみたいんだ。この力でどれだけの人を救えるのか。どれだけの絶望を希望に変えられるのか」
かつての俺のように、外れスキルに絶望し、誰かに搾取され、夢を諦めかけている多くの探索者たち。
彼らに新しい可能性を示してやりたい。
ガラクタからでも奇跡は創れるのだと。
俺の本当の想いを聞いて、雫は呆れたように、しかしどこか誇らしげに微笑んだ。
「……本当にお前はお人好しで、どうしようもない理想主義者だな」
彼女はそう言うと、俺の隣に並び立った。
「だが、そんな馬鹿みたいにまっすぐな、お前だからこそ私はこうして隣にいるのかもしれないな」
「雫さん……」
「いいだろう。お前のその壮大なお節介に付き合ってやる。ギルド長には私から話を通しておいてやるから、お前は安心して最高のスキルを創り出すことだけを考えていろ」
彼女の力強い言葉に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
「……ありがとう、雫さん」
「礼を言うのはまだ早い。これから世界で一番忙しくなるぞ。覚悟はいいか?」
「上等だ」
俺たちは互いに不敵な笑みを交わした。
◇
数日後。
俺と雫はギルドの最上階にあるギルド長の執務室に呼び出されていた。
俺たちの前に座るギルド長――厳格な初老の男性――の顔は、驚愕と興奮、そしてわずかな恐怖の色に染まっていた。
「……信じられん……。君は本当にスキルを人工的に創り出したというのか……」
彼の目の前のテーブルには、俺が新たに創造したいくつかのカスタムスキルオーブが並べられている。
【斥候用スキル:鷹の目】+【暗殺者用スキル:気配遮断】
▶︎新スキル【幽玄の観測者】
(効果:気配を完全に消し、俯瞰視点で広範囲の索敵を同時に行うことができる)
【守護騎士用スキル:アイアンウォール】+【神官用スキル:ヒール】
▶︎新スキル【聖なる城塞】
(効果:物理防御と自己回復能力を兼ね備えた光の壁を展開する)
どれも既存のスキルの上位互換、あるいは全く新しい概念のスキルばかりだ。
「……相田譲君。君の提案はギルドの根幹を揺るがすものだ。だが同時に、我々が喉から手が出るほど欲していた希望の光でもある」
ギルド長はゆっくりと立ち上がると、俺たちの前に深々と頭を下げた。
「どうか君の力を我々に貸してほしい。君たち『ヤヌス』をギルドの正式な研究開発部門として迎え入れたい。もちろん、待遇はギルドの最高ランク、Sランク探索者と同等、いやそれ以上のものを約束しよう」
それは破格の提案だった。
俺は一個人の探索者から、国家レベルの戦略に関わる重要人物へとその立場を変えることになったのだ。
「……顔を上げてください、ギルド長」
俺は静かにそう言った。
「俺たちはただ、俺たちの平穏な日常を守りたいだけなんです。そのために必要な力を手に入れたいだけだ」
「……うむ。分かっている。君たちの身の安全はこのギルドが総力を挙げて保証する。君たちのアトリエは今日からギルド本部、最重要保護区画『サンクチュアリ』として指定する。いかなる外部からの干渉も我々が完全に遮断してみせよう」
ギルド長との密約はこうして交わされた。
俺たちの新しい戦いが始まる。
それはダンジョンでモンスターと戦うのとは全く違う戦いだ。
『黒鉄の市場』という見えざる敵。
スキル創造という禁忌の力。
そしてギルド内部の権力争いや嫉妬。
俺たちの前には数え切れないほどの困難が待ち受けているだろう。
だが、俺の心は不思議と晴れやかだった。
なぜなら俺の隣には、誰よりも信頼できる最強のパートナーがいてくれるのだから。
「さあ、アトリエに帰るぞ、譲」
執務室を出ると、雫が俺にそう言った。
「世界を驚かせるガラクタの山が私たちを待っている」
その横顔は自信と喜びに満ち溢れていた。
俺は彼女の隣で最高の笑顔で頷いた。
「ああ。次はどんな奇跡を創ってやろうか」
俺たちの創造の物語はまだ始まったばかりだ。