第11章:黒鉄の市場(ブラックマーケット)の影
Aランクダンジョン『沈黙の森』の調査任務を終えた俺たちがギルドに帰還すると、そこは異様な熱気に包まれていた。俺と雫が管理区画の専用通路を歩いているだけで、周囲の探索者たちが息を呑み、畏怖と好奇の入り混じった視線を向けてくるのがわかった。
「おい、見たか……あれが『ヤヌス』の……」
「『銀閃の魔女』と、あの『ゴミ拾い』……いや、『錬金術師』か」
「Aランククエストを、たった二人で、しかも半日でクリアしたって本当かよ……」
噂は、すでに光の速さでギルド中に広まっていた。無理もない。俺たちがギルドに提出した報告書の内容は、それほどまでに常識外れなものだったからだ。
『依頼内容:Aランクダンジョン「沈黙の森」の汚染原因の調査と排除』
『達成状況:汚染源である呪物「黒呪の心臓」を発見。これを無力化し、ダンジョンの正常化を確認』
『特記事項:呪物「黒呪の心臓」を、スキル【万象再構築】により、環境浄化型アーティファクト「賢者の心臓」へと再構築。同アーティファクトは、現在も「沈黙の森」の生態系を回復中』
ギルドの上層部は、この報告に騒然となった。呪われたアーティファクトを「浄化」するのではなく、「全く別の有益なアーティファクトに創り変える」。そんなことは、歴史上、前代未聞だった。
すぐに緊急の査問会が開かれ、俺はギルド長や幹部たちの前で、スキルの詳細な説明(もちろん、核心部分はぼかした上で)と、事の経緯を説明する羽目になった。
結果として、俺、相田譲は、CランクからAランクへと、二階級特進という異例の昇格を果たした。パーティー『ヤヌス』も、正式にAランクパーティーとして認定された。莫大な成功報酬に加え、ギルドからは「歴史的な偉業」に対する特別報奨金まで支払われた。
「……なんだか、現実味がないな」
数日後。俺は、銀行口座の残高を示す、天文学的な数字が並んだスマホの画面を見つめながら、呆然と呟いた。数週間前まで、パーティーの奴隷としてこき使われ、日々の食事にも事欠いていたのが、嘘のようだ。
「何を呆けている。お前がその手で成し遂げたことだろう。もっと胸を張れ」
隣で、真新しいソファの座り心地を確かめるように深く腰掛けた雫が、こともなげに言った。
俺たちは、ギルドが立ち並ぶ中央区の一等地にそびえ立つ、最新鋭のタワーマンションの最上階を、丸ごと買い取っていた。ここは、今日から俺たちの新しい拠点。工房であり、事務所であり、そして、家となる場所だ。
「アトリエ・ヤヌス。……うん、いい名前だ」
リビングの窓から、眼下に広がる街並みを眺めながら、俺は満足げに頷いた。ガラス張りの壁は、防犯・防音・対魔法結界が幾重にも施された特注品。広々としたリビングの奥には、俺専用の巨大な工房と、雫専用のトレーニングルーム兼魔術研究室が併設されている。
「これで、心置きなくアイテム開発に集中できる」
「私も、誰にも邪魔されずに魔法の研究ができそうだ」
俺たちは、互いに顔を見合わせて笑った。ブラックなパーティーから追放され、死の淵をさまよった俺。兄の仇を追い、誰にも心を開かずに孤独に戦い続けてきた雫。そんな俺たちが、ようやく手に入れた、安息の場所だった。
◇
アトリエ・ヤヌスでの新しい生活が始まって、一ヶ月が過ぎた。
俺たちの日常は、驚くほど穏やかで、そして、創造的なものだった。
朝、俺は雫の淹れてくれたコーヒーで目を覚ます。彼女は、クールな見た目に反して、意外と家庭的な一面があった。もっとも、彼女に言わせれば「最高のパフォーマンスを維持するための、合理的な行動」らしいが。
日中は、それぞれの工房にこもって、自らの技術を磨く。
俺は、ダンジョンで拾い集めてきた、他の探索者が見向きもしないようなガラクタ――折れた剣、砕けた魔石、効果の切れたポーションの瓶――を、片っ端から分解し、解析し、そして、全く新しいものへと生まれ変わらせていった。
【使い古しの革手袋】+【スライムの粘液】+【電気ウナギの発電皮】
▶︎【絶縁・滑り止め付き万能作業グローブ(ショック・グリップ)】
【低級ポーションの瓶(空)】+【発光ゴケ】+【魔力残滓】
▶︎【半永久的に微光を放つ携帯ランタン(エターナル・グロウ)】
俺の発明品は、戦闘に直接役立つような派手なものではない。だが、探索者の活動を、より安全に、より快適にする、縁の下の力持ちのようなアイテムばかりだった。
これらの発明品をギルドの特許課に申請し、製造権を中小の生産ギルドにライセンス提供することで、俺たちの収入は、ダンジョンに潜らなくても、安定して増え続けていった。
いつしか俺は、『ゴミ拾いの錬金術師』から、尊敬と、少しの畏怖を込めて、『アトリエの錬金術師』と呼ばれるようになっていた。
一方、雫は、自らの魔法に、さらなる磨きをかけていた。彼女のトレーニングルームには、常に絶対零度の空気が満ち、美しい氷の結晶が、芸術品のように咲き乱れていた。
時々、俺は彼女の研究を手伝うこともあった。
「この氷の槍だが、貫通力を上げようとすると、どうしても強度が犠牲になる。何か、いい方法はないか?」
「なるほど……。じゃあ、槍の芯に、振動する金属の粒子を混ぜ込むのはどうです? 高速で振動させることで、接触した対象の分子結合を破壊する。俺が前に創った『音波ナイフ』の応用です」
「……面白い発想だ。試してみる価値はありそうだな」
彼女の正規の魔法と、俺の規格外の錬金術。二つの才能が交差する時、そこには、常に新しい発見と、驚きがあった。俺たちは、互いに最高の師であり、最高の弟子だった。そして、最高の、パートナーだった。
夜になると、俺たちは、リビングで、その日の成果を報告し合ったり、次の計画について語り合ったりした。時には、他愛もない話で、夜が更けるまで笑い合うこともあった。
追放される前の俺が、夢見ることすらできなかった、温かく、満たされた時間。俺は、この日常が、永遠に続けばいいと、心から願っていた。
だが、光が強くなれば、影もまた、濃くなる。
俺たちが築き上げた名声と富は、俺たちが意図しない形で、ある者たちの、どす黒い欲望を刺激していた。
◇
その夜は、嵐だった。
激しい雨風が、アトリエの窓を叩いていた。俺は、工房で新しいアイテムの設計に没頭し、雫は、自室で古文書を読んでいた。
突然、アトリエ全体に、甲高い警報音が鳴り響いた。同時に、室内の照明が赤色の非常灯に切り替わる。
『――緊急事態発生。レベル4の不正アクセスを検知。第一防衛結界、突破されました』
無機質なシステム音声が、危機を告げる。
レベル4。それは、軍用のハッキングツールか、あるいは、Aランク級の魔術師による直接攻撃に相当するレベルだ。
「譲!」
雫が、トレーニングルームから飛び出してくる。その手には、すでに白銀に輝く杖が握られていた。
「敵襲だ! 相手は、プロだぞ!」
侵入者は、アトリエの構造を完全に把握しているかのような、最短ルートで、一直線に、このリビングへと向かってきていた。
そして、ついに、リビングへと通じる最後の強化扉が、轟音と共に、内側から吹き飛んだ。
そこに立っていたのは、五人の、黒ずくめの集団だった。
全身を、魔力を吸収する特殊繊維で編まれた、漆黒の戦闘服で覆い、顔には、表情の読めない、無機質な仮面をつけている。その異様な姿は、まるで、闇の中から生まれた亡霊のようだった。
「……何者だ、貴様ら」
雫が、低い声で問いかける。彼女から放たれる冷気が、室内の温度を急激に下げていく。
仮面の集団は、何も答えない。ただ、その全員の視線が、俺――相田譲だけに、向けられていた。その視線には、品定めをするような、粘りつくような、不快な感情が込められていた。
リーダー格と思わしき、一際体格のいい男が、一歩、前に出る。
「『アトリエの錬金術師』、相田譲だな。我々と、共に来てもらおう」
その声は、ボイスチェンジャーで変えられているのか、金属的で、感情がこもっていなかった。
「断ると言ったら?」
「抵抗は、無意味だと、すぐに理解することになる」
男が、右手を軽く振る。その瞬間、彼の部下である四人が、一斉に、四方から襲いかかってきた。その動きは、無駄がなく、洗練されており、明らかに、対人戦闘の訓練を積んだプロのものだった。
「――舐めるなッ!」
雫が、杖を振るう。数十本の、鋭利な氷の矢が、侵入者たちに襲いかかる。
だが、侵入者たちは、驚くべき体捌きで、それを回避する。数発が、戦闘服を掠めるが、キィン、という硬質な音を立てて、弾かれてしまった。
「対魔術コーティングか!」
雫が、忌々しげに呟く。
侵入者の一人が、雫の懐に潜り込み、特殊な形状のナイフを突き出す。雫は、それを氷の盾で防ぐが、ナイフに触れた部分の氷が、黒く変色し、霧散していく。
「『魔力分解』の呪印……! 面倒なものを……!」
彼らは、完全に、雫のような魔術師を無力化するための装備と戦術で、身を固めていた。
その間にも、残りの三人が、俺に向かって殺到する。
まずい、このままでは、捕まる!
「――【万象再構築】!」
俺は、咄嗟に、足元に転がっていた、吹き飛んだドアの金属片と、近くのテーブルに置いてあった観葉植物の鉢を、スキルに放り込んだ。
【分解:ジュラルミンの破片】+【分解:セラミックの植木鉢】+【再構築:俺の魔力】
▶︎【指向性・散弾トラップ(クレイモア・トラップ)】
俺の足元から、扇状に、無数のセラミック片が撃ち出される。
「ぐっ!?」
「何だ、これは!?」
侵入者たちは、予期せぬ攻撃に、一瞬、動きを止めた。その隙を、俺は見逃さない。
「雫さん、援護を!」
「言われるまでもない!」
俺は、リビングの壁に埋め込まれた、緊急用の消火設備を、スキルで暴走させる。
【分解:消火用スプリンクラー】+【分解:工房にあった冷却剤】+【再構築】
▶︎【超低温・粘着ガス噴射】
天井のスプリンクラーから、ただの水ではない、床に付着すると、瞬時に凍りつき、強力な粘着性を発揮する、特殊なガスが噴射される。
「うわっ!?」
「足が……動かせん!」
侵入者たちの足が、床に張り付き、動きが鈍る。そこへ、雫の魔法が、ようやく牙を剥いた。
「――【氷縛の茨】!」
床に広がった冷却剤を触媒にして、雫の魔法が増幅される。凍てついた床から、無数の氷の茨が伸び、侵入者たちの体を、瞬く間に拘束した。
「よし!」
俺たちが、勝利を確信した、その瞬間だった。
「――甘いな」
リーダー格の男が、それまで、ただ傍観しているだけだった男が、ゆっくりと、動き出した。
彼は、拘束された部下たちを、一瞥だにしない。ただ、まっすぐに、俺を見据えていた。
「その程度の『発明』で、我々を止められると、本気で思ったか?」
男が、右手を、俺に向ける。その掌に、禍々しい、黒い魔力が、渦を巻いていく。
まずい、あれは、危険だ!
「譲、避けろ!」
雫の悲鳴と、男が魔法を放つのは、ほぼ、同時だった。
「――【虚無の牢獄】」
男の掌から放たれた黒い光球が、俺の目の前で、空間そのものを歪ませ、あらゆる光も音も吸い込む、漆黒の牢獄を創り出した。俺は、咄嗟に横に飛んで、直撃を避けたが、その余波だけで、アトリエの壁が、抉り取られるように、消滅した。
「なっ……!?」
俺も雫も、言葉を失った。あれは、ただの攻撃魔法じゃない。空間そのものに干渉する、最高難易度の呪術だ。
「さて、遊びは、終わりだ」
リーダーの男が、ゆっくりと、こちらに歩いてくる。その圧倒的な威圧感に、俺は、金縛りにあったように、動けなかった。
男は、俺の目の前で、足を止めると、ゆっくりと、自らの仮面に、手をかけた。
「我々は、お前を、歓迎する。お前のような『逸材』こそ、我々の『市場』に、ふさわしい」
カチリ、と音がして、仮面が、外される。
そして、その下に現れた顔を見て、俺の隣にいた雫が、息を呑んだ。
「……あ……あぁ……」
その顔は、雫が、片時も忘れたことのない、最愛の、そして、憎むべき、兄の顔と、瓜二つだったのだ。
「……兄さん……? 嘘……でしょ……?」
雫の声が、絶望に震える。
その動揺は、一瞬だったが、プロの戦闘集団にとっては、致命的な隙だった。
リーダーの男――雫の兄とそっくりの顔を持つ男――の目が、鋭く光る。
「――今だ」
その合図で、氷の拘束を自力で破壊していた他の侵入者たちが、一斉に、動いた。
彼らの狙いは、もはや、俺ではなかった。動揺して、完全に無防備になっている、雫だった。
「しまっ……!」
俺が気づいた時には、もう、遅かった。
一人の侵入者が、雫の背後に回り込み、その首筋に、麻痺毒が塗られたナイフを、深々と突き立てた。
「……かはっ……」
雫の美しい瞳から、光が消え、その体から、力が抜けていく。彼女は、糸の切れた人形のように、その場に、崩れ落ちた。
「雫さんッ!!」
俺の絶叫が、嵐の夜に、虚しく響き渡った。
「これで、邪魔者はいなくなった」
男は、倒れた雫を、冷たい目で見下ろすと、再び、俺に向き直った。
「さあ、来い、相田譲。お前の『創造』は、我々『黒鉄の市場』が、有効に、活用してやる」
絶望的な状況。最強のパートナーは倒れ、敵は、こちらの全てを知り尽くしている。
だが、俺の心は、不思議と、冷静だった。
怒りが、恐怖を、焼き尽くしていた。
こいつらが、雫さんを傷つけた。こいつらが、俺たちの日常を、奪った。
――絶対に、許さない。
俺は、懐に隠し持っていた、最後の切り札に、そっと、手を触れた。
それは、このアトリエを建てた時に、万が一の事態に備えて、俺が、自分のためだけに創り上げていた、お守りだった。
【分解:Aランクダンジョンで採取した超硬度金属『オリハルコン』の欠片】
【分解:死んだゴーレムの『自律防御の魔術回路』】
【分解:俺自身の血液(生体認証キーとして)】
【再構築】
▶︎【所有者認証型・絶対守護結界】
「――舐めるなよ、ゴミどもが」
俺が、そう呟いた瞬間。
俺の体から、黄金の光が、爆発的に溢れ出し、アトリエ全体を、神々しい光で、包み込んだ。
侵入者たちが、その光に焼かれ、悲鳴を上げる。
「ぐああああっ!?」
「こ、これは……なんだ!?」
「お前たちの『市場』とやらに、出品される気は、毛頭ないんでね」
俺は、ゆっくりと、倒れている雫の元へ歩み寄り、その体を、優しく抱きかかえた。
「お前たちが、手を出してはいけないものに、手を出したこと、地獄で、後悔させてやる」
黄金の光の中で、俺は、静かに、告げた。
リーダーの男は、忌々しげに顔を歪めながらも、腕の端末を操作する。
「……撤退する。だが、覚えておけ、相田譲。我々は、必ず、また来る。お前のスキルは、我らが主が、渇望するものだ」
男は、そう言い残すと、部下たちと共に、煙のように、その場から、姿を消した。
後に残されたのは、半壊したアトリエと、腕の中で、か細い息をする雫、そして、俺の心に刻み込まれた、燃え盛るような、復讐の炎だけだった。
『黒鉄の市場』。
雫の兄の謎。
そして、俺のスキルを狙う、見えざる敵。
平穏な日常は、終わりを告げた。
だが、俺は、決して、屈しない。
俺は、雫を守る。俺たちの居場所を、守る。
そのためなら、俺は、神にも、悪魔にもなる。
「……見てろよ。お前たちが捨てた『ゴミ』で、世界ごと、ひっくり返してやる」
俺は、静かに、そう誓った。
『ヤヌス』の、本当の戦いは、今、始まったばかりだ。