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祓う  作者: シグマ君
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第5話 6年1組 その1

 勝ってうれしい はないちもんめ

 負けてくやしい はないちもんめ

 となりのおばさんちょっと来ておくれ

 鬼がいるから行かれない

 お釜かぶってちょっと来ておくれ

 お釜が底ぬけ行かれない

 布団かぶってちょっと来ておくれ

 布団破れて行かれない

 びんぼびんぼびんぼ

 びんぼじゃないよ

 あの子が欲しい

 あの子じゃわからん

 その子が欲しい

 その子じゃわからん

 相談しよう

 そうしよう

 きーまった

 ~~ちゃんが欲しい 

 ~~ちゃんが欲しい



 子供たちが歌う童唄が聞こえる。はないちもんめだ。

 この唄を歌いならする遊びは禁止されているところが多い。人気のある子が選ばれ、いつも決まった子が残る、残酷な遊びだから、いじめを助長する遊びだから。それともう一つの理由は「子買い」の唄だから。


 勝ってうれしいというのは、子供を安く買えて嬉しいという買い手の気持ち。

 負けてくやしいというのは、値段をまけて(買い叩かれて)悔しいという悲しい親の気持ち。

 となりのおばさんちょっと来ておくれーーー子買いが現れ、そしてその子買いは、隣の家には子がいるのを知っていたから、来てくれと呼んだ。呼ばれた女はいろいろな理由をつけて行くのを拒む。鬼が居る、釜の底が抜けてる、布団が破けてると。すると貧乏だ貧乏だと馬鹿にする子買い。女は貧乏じゃないと言い、出て来てしまった。子買いは出て来た女に向かって「あの子が欲しい」といきなり指をさす。女は「あの子じゃわからん」と抵抗する。だが貧しい女は金が必要だった。生活のためだ。そして考え、己と相談し、売る事にした。だが狡賢い子買いに、買い叩かれてしまう。


 昭和50年代頃までは全国の子供が歌い、遊んだ、はないちもんめ。不思議と地域・地域で歌詞に違いがあるが、この遊び、この唄を知らない子供は当時はいない。日本中の親も子も皆が知り、何度も何度も遊んだ。こんな歌が、遊びが、どうして全国に広まり、そして誰もが楽し気に興じたのか。そんな不思議で不気味な童唄が、2008年の今、ここで聞こえる。




 昭和40年代に全国の子供たちの間で空前の大ブームとなった「こっくりさん」という占い。だがこの占いを禁止する学校が相次いだ。小学校の教室で物が無くなり、占った結果、ある子供が名指しされ、そしてクラス全員からの壮絶な苛めが続いた。又、ある中学校では「A子を襲え」とのお告げを信じた複数の女子が、A子を殴る蹴るの集団暴行事件を起こした。別の中学校ではその占いをしていた5人全員が意識を失う集団ヒステリーを起こして精神科に搬送された等々、事件・事故が数多く起き、こっくりさんを禁止する学校が大半となった、はずが、この小学校ーーー6年1組では密かなブームとなっており、放課後の今も行われていた。


 A4の紙に書かれた文字と数字。一番上には左から、はい、⛩、いいえ が並び、その下には五十音が、右から「あ行」が縦に、その左隣には「か行」、そして一番下には数字が1から0まで左から横に並んでいる。


「今日も3人でやるから。3人が一番いいの。私と弥生とさくらの3人。さくら、10円玉出して」


 そう言ったのは霧間紅緒という女の子だ。いつも、どんな遊びであっても6年1組では紅緒が仕切る。10円玉を出せと言われた雨野さくらは「えええ? また私が出すの……」と思ったが、そんな思いを顔に出す事もなく財布を取り出し、10年玉1枚を紅緒に手渡した。もう1人の、こっくりさんを一緒にやると決められた神崎弥生は、今日も紅緒に選ばれたことが誇らしかった。私は1組では上のグループ。そうじゃない子はみんな羨ましがってる。紅緒に嫌われたら最後、誰からも相手にされない汚らしいブスやキモいオタクと同列にされちゃう。そんなの絶対にイヤ。だから紅緒の言いつけは何でもやる。数カ月前、家に遊びに来た紅緒に「裸になって」と笑いながら言われた弥生は、躊躇いながらも全部を脱いだ。すると携帯で動画を撮られながら「オナニーやって」と命じられ、従った。きっと、さくらもやったはず。上のグループにいる為ならそれくらいなんでもない。だって体育館には登り綱があって、女子のみんながやってる。あれってオナニーだと思う。紅緒だって綱から降りて来た時、真っ赤な顔でハァハァ言ってた。だから今やってみせたってどうってことない。それで紅緒から嫌われないなら何度でもやる。今のターゲットは城島渚。渚は走るのも速く、そして勉強が出来て、2学期の途中までは何でもなかったのに、紅緒が急に「あいつ、いい気になってる」と言い出してターゲットにされた。紅緒の後を絶えずついて回ってる金村一平が先頭に立って苛め始め、渚の机には、キモイ、ブス、死ね、学校に来るな、など悪口がカッターで掘られ続け、もう何が書かれているのか読めない。それは机だけではなく教科書も同じで、そして給食にはゴミが入れられ、靴はゴミ箱に捨てられるなどが日常だ。身体が大きくて乱暴な金村一平は休み時間や昼休み時間になると渚の身体を小突き回す。地獄だ。それなのに渚は学校を休まない。私ならムリ。生きていけない。あんなふうにならない為には紅緒のお気に入りでいるしかない。苛める側にいることが何よりも大事。だから私は紅緒に言われたら何でもやる。



 教壇の上に敷かれた1枚の紙。その紙に書かれた⛩の上に置かれた10玉。10円玉に人差し指を置いた紅緒と弥生とさくらの3人。その3人の周りには何人ものクラスメイトが群がっていた。教室では当番の子が何も言わずに掃除をしている。



「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。おいでになられたら、はい、へ進んでください。こっくりさん、こっくりさん……………」



 霧間紅緒がいつものように、自信に満ちた表情で唱え始めた。他に喋る者など誰もいない教室で。3人の周りに群がる子供たちは固唾を飲んで10円玉を見ている。掃除をしている当番の子も意識はそっちに向いていた。


「あっ、動いた……」


 その誰かの声に、別の者の「しっ! 黙って!」という声が続き、そして動いた10円玉は、はい、の上で止った。すると紅緒がさくらに目配せをした。それに気づいたさくらは、一度、咳ばらいをしてから質問をした。


「こっくりさん、こっくりさん、6年2組の天童龍馬君が好きな女子は誰ですか?」


 雨野さくらは事前に「今日のこっくりさんは、さくらが最初に質問して。質問はね~……6年2組の天童龍馬君って知ってるよね? 児童会長の………天童君が好きな女子は誰なのかを聞いて」と紅緒に命じられていた。だがそんな事前の打ち合わせなど知らない弥生は驚いた。なんで? なんでさくらが聞くの? いっつも紅緒が聞くのに、なんで?

 質問をしたさくらは紅緒の顔を見た。紅緒は黙って10円玉を見ていた。心なしか頬を染めて。そんな紅緒とさくらの様子を見て弥生は気が付いた。ウソ、前もって言ってあったの? なんで私には教えてくれなかったの? 私に質問させてくれなかったのはなんで? あんなことまでやって見せたのに。さくらはもっと凄いことやってみせたの? なに? さくらは紅緒になにをやってみせたの? まさか……


 そんな弥生の思考を無視するように10円玉は動いて行った。最初に止ったのは「き」。続いて「り」に止り、そして、ま……べ……に……お……そして鳥居に戻った10円玉。


「ありがとうございます、こっくりさん」


 そうお礼を言ったのも質問をしたさくらだった。そのさくらに血走った目を向けてる弥生には誰も気づかない。

 続いての質問をするのは紅緒だった。だが紅緒は、6年2組の天童龍馬が自分を好きだと示されたことに有頂天になり、群がって見ている大勢のクラスメイトの顔を見渡した。どう? 児童会長の天童君は私が好きなの。みんな見たでしょ。今こっくりさんがそう示したのを。


「こっ……こっくりさんが一番好きなのは誰?」


 口籠りながらも早口でそう質問したのは弥生だった。

 弥生は咄嗟に思ったのだ。こっくりさんが私の事が一番好きと言えば、きっと紅緒は私を見直す。こっくりさんに好かれた女なんだから大事にするはず。さくらがナニをやって見せたのかは想像がついた。きっとセックスだ。さくらならやる。だってさくらのママは2回も離婚してるし、高校生のお姉ちゃんはエンコウしてるって聞いた。だからさくらだって平気ですると思う。相手はあの金村一平だろう。私にはムリ。いくら紅緒の命令だってセックスなんてやったことないし、出来っこない。このままだったらさくらに差をつけられる。10円玉なんて動かせばいいんだ。私が動かしてやる。

 弥生の質問を聞いて、ギョッとして目を剥いたのは紅緒とさくらだ。それに3人を囲むように群がっていたクラスメイトも、思わず3人から距離を取るように離れた。



 一ケ月前だった。

 こっくりさんを6年1組に持ち込んだのは紅緒だ。殆どの学校で禁止となっていたこっくりさん。そして今ではそのルールを知っている小学生はこの学校にはいない。年上の従姉妹からこっくりさんを教わった紅緒は、クラスメイトを前に自慢げに説明をした。こっくりさんで使った紙は、使い終わったら直ぐに48つに細かく破って捨て、使った10円玉は三日以内にい使ってしまうこと。それはその10円に念が溜まるから。そしてこっくりさんのルールと禁止事項を、ゆっくりと、ことさらゆっくりと皆に言い聞かせた。それはまるで自分がシャーマンにでもなったかのように。ーーーーこっくりさんは一つの質問に答えるたびに鳥居に戻るから、そうしたらちゃんとお礼を言わなければダメ。ありがとうございます、こっくりさん、ってね。終わる時はね、こっくりさん、どうぞお戻りください、って言うの。そしたら、はい、の所に行ってから鳥居に戻るから。そしたら又お礼を言うの。それとね、これって凄く大事なことなんだけど、始めてから終わるまで、10円玉に乗せた指は絶対に離したらダメ。離したら大変な事になるから、いい? 解った? それと、これも大事なんだけどね、お戻りくださいって言っても、なかなか帰らない時があって、それでも指を離したらダメ。帰るまで何度も何度もお願いするの。お戻りください、お戻りください、って。後は………そう、こっくりさんって一人でもできるんだけどね、一人は止めた方がいい。そうね~、3人くらいがいいかな。始め方や終わり方は私が詳しいし、質問も私がやるから大丈夫。私がいない時はやらない方がいいかな。ふふふ……あっそうだ! これも皆に一応教えておくから。こっくりさんに聞いちゃダメな質問があってね、あなたは誰ですか? みたいに、こっくりさんの名前を聞いたらダメ。それと、こっくりさんの好きなモノを聞いてもダメ。ーーーーそんな説明をしてから始めたこっくりさん。紅緒は自分の言う事なら何でも利くさくらと弥生に命令した。10円玉に指を乗せろと。

 本当に10円玉は動くのか? 超能力でもあるまいし動くはずがない。そう思っていたさくらと弥生の二人だったが、紅緒に逆らう気など毛頭ない。それと紅緒は言っていた、幽が降りて来て10円玉を動かすのだと。恐々と指を乗せた二人。目を瞑った紅緒が静かに唱え始めた。「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください、おいでになったら、はい、へお進みください。こっくりさん、こっくりさん……」

 こっくりさんを6年1組に持ち込んだ紅緒でさえ、その時が初めてだった。それは教えてくれた従姉妹が教えるだけで決してやろうとはしなかったからだ。紅緒は半信半疑というよりは、ほとんど信じていなかった。ただ、教えてくれた従姉妹に何度もやろうとせがんだ時に、怖いからやらない、と言っていたのが気掛かりだった。

 唱え続ける紅緒。動こうとはしない10円。それは予想通りだった。こんなのどう考えたって動くはずない。それなのにあんなに怖がってた従姉妹。バカみたい。そして紅緒は計画していたことをやった。自ら動かしたのだ、10円玉を。「あ……」という誰かの声。10円玉に指を乗せているさくらと弥生が息を飲んだのが解った。大勢のクラスメイトが見ている前で動いた10円。ウソ? まじか? といった小さな声が 次々と上がった。10円玉は、はい、のところで止った。得意になった紅緒だが、……あれ? ここで質問するんだっけ? いや、確か鳥居のところに戻ってからだったはず。そう思い10円玉を動かそうとした時だ。10円玉が動き、そして鳥居に戻った。え………? 違う、そんなはずない。私が動かした。そんな一瞬だが驚いてしまった紅緒の様子が10円玉を通してさくらと弥生に伝わった。2人は、紅緒も驚いてる。本当に動いたんだ。きっと紅緒も初めてやったんだ、と思った。気を取り直した紅緒は考えていた幾つかの質問をして、その日のーーー初めてのこっくりさんは終わった。そして紅緒はクラス全員に告げた。こっくりさんの事は誰にも言ったらダメだからね。先生にも家の人にも、他のクラスの人にも。言ったら解るから。私がこっくりさんに聞くから。それは従姉妹から聞かされていたからだ。今では殆どの学校で禁止になってるから、やるんなら秘密にした方がいいと。


 それから毎日の放課後は、教室でのこっくりさんだった。メンバーはいつも紅緒とさくらと弥生の3人だ。だがいつの頃からか紅緒は、10円玉は自分が動かしていると自覚しながらも、不思議な感じを覚えていた。本当に私が動かしてるのだろうか? 10円玉に乗せた指が引っ張られてるように感じる。いや、絶対にそんなことはない。だって私が考えた質問に、私が考えた通りの答えが出てる。でも………

 そんな不安を抱きながら今日も始めたこっくりさん。最初の質問は予定通りさくらが聞いて、私の思う通りの答えが示された。だって私が動かしてんだから。そして次の質問を紅緒がする前に弥生が割って入った。それも聞いてはならない禁止の質問をした弥生。


「こっくりさんが一番好きなのは誰?」


 なっ、なんで? なんで弥生が質問するの? それも禁止の質問を。紅緒は唖然と弥生を見続けた。その弥生は事態を飲み込めないのかーーーそもそも禁止された質問のことなど忘れていた弥生は、紅緒と視線が絡んでいたが、見ていてね、こっくりさんが一番好きなのは私だから、と微笑んでいる。そして、どうしようかな~、やっぱり苗字からよね。神崎弥生は指に力を僅かに入れると「か」の所に10円玉を動かそうとした。……ん? なに? 動かない。


「バ、バカじゃないの!! 弥生………あんた……」


 叫ぶように怒鳴った紅緒だがあまりのことに言葉が出ない。怒鳴られた弥生だが、自分が割り込んで質問をしたからだと思い、そして、こっくりさんが答えれば紅緒の態度はガラっと変わると信じて疑ってなどいない。早く10円を動かさなきゃ……なんで動かないの? なにこれ?


「さくら!! 指を離したらダメーーーーーーーーー!!」


 乗せていた指を離しかけてしまったさくら。さくらは信じていなかった。きっと紅緒が動かしているのだろうと最初っから思っていた。そして、今日はさくらが質問をしてと紅緒に言われ、示された答えが霧間紅緒だったことからインチキだと確信した。6年2組の天童龍馬君が紅緒を好きなはずがない。誰にも言ってはいないが私と天童君は付き合ってるんだから。そして児童会長の天童龍馬は言っていた、1組の霧間紅緒が児童会の副会長なんだけど、いっつも偉そうに威張ってるし、すごく嫌いだ、と。そんなさくらなのだが、何度も何度もこっくりさんをやっている内に、なんだかおかしな気持ちーーーこれって動いてる、と度々感じていたのも事実だ。そして動かしていたはずの紅緒が、弥生が質問をした途端に酷く怯えてる。あの質問は禁止された質問だ。こっくりさんに聞いてはならない質問。どうなるの? それを聞いちゃったらどうなるの? さくらも怯え、指が10円玉から僅かに浮いた。悲鳴のような紅緒の声に我に返ったさくらは、慌てて指を戻そうとした時だった。すーーっと動いた10円。え? ちょっと待って。動く10円を呆気に取られ見てた。指を乗せてるのは紅緒と弥生の二人だ。その紅緒は空いている左手で口を覆い、そして立ち上がって右手の人差し指を乗せていた。引っ張られてる。違うの? 紅緒じゃないの? だったら弥生? 弥生はバカみたいにアングリと口を開け、そしてやっぱり立ち上がって指を乗せていた。動きを止めない10円玉。グルグルと回りながら探しているようだ。そして止まった。「き」の所に。次に「り」、そして「ま」、「べ」、「に」、「お」と順に止っていった。そこにいる誰もが思った。こっくりさんという幽霊は霧間紅緒のことが好きなんだと。


「ふっ、ふざけんな!! 弥生! てめぇーーだろ! 動かしてんの分かってんだからな!! お前なんかオナ………」


 そう言いかけた紅緒だったが次の言葉が続かなかった。10円玉が再び動き始めたから。紅緒と弥生の指を乗せた10円が再び「き」の所で止り、そして霧間紅緒の名前を告げた。それも何度も何度も。だんだんと動く速度を増していく10円。もう止まるこをせず、「き」、「り」、「ま」、「べ」、「に」、「お」という文字の上を通過するだけになったが、10円はその文字を決して外さずに動き回っている。

 最初に紅緒が倒れた。白目を剥き、口から泡を吹く紅緒。次に弥生も倒れた。そして最初に指を離したさくらも倒れた。3人共が床で激しく身体を痙攣させ、失禁した。


「先生!! 誰か、先生を呼んで来て!!」



 駆けつけてきた何人かの先生方によって救急車が呼ばれ、搬送されていった3人。

 残った6年1組の生徒たちは、何をしていたのか? どうして3人があんなことになったのか? と担任から問い詰められたが、誰一人答えようとはしない。紅緒に言われた「誰にも言うな」を頑なに守ったのだ。それは、あの場にいた全員が酷く怯えているせいだ。霊だ、幽霊だ、降りて来た霊が怒ったんだ。聞いてはダメな質問をしたから怒った霊が3人をあんな目にあわせた。こっくりさんをやっていたと言ったら、きっと自分もあんなふうになる。絶対に誰にも言えない。

 担任の京島勝也は苛立ったものの、生徒全員が何かに酷く怯えているのには気が付いた。なんなんだ? いったいナニをやっていた? ナニに怯えてる? 女子の大半は泣いてるばかりだ。男子も口を震わせ満足に喋れない者ばかりだが、それでも「なにもしてません。急に3人が倒れた」と言っているのは判った。


 病院で精密検査を受けた3人は、どこにも異常は無かったものの、念のためと入院した。

 親が一人部屋を希望した霧間紅緒。ベットの傍では母親が携帯電話で大声で喋っている。学校に文句を言っていた。紅緒はこの母親が嫌いだった。実の母ではあるがとにかく嫌いだ。土木建築業を営む会社を経営している父親。その会社はそこそこの規模で金回りは良かった。そのせいで幼い頃から欲しい物は何でも手に入れることが出来た紅緒は、小学3年生頃からすでに自分の携帯電話を持っていた。そんな環境なのだが、先ず最初に母親を嫌った理由は自分の名前だった。1人っ子の紅緒は兄弟がいないせいもあって、自分の名前が変わった名前だと知るのに時間が掛かった。


「パパ、私の名前ってどういう意味? パパが付けてくれたんだよね?」


 大して子煩悩でもない父親の応えはぶっきら棒だった。


「ああああ?? 名前だ? ママだ、ママが付けた。意味は知らん」


 だがママに聞くのを躊躇った紅緒。物心ついた頃からママはヒステリーだった。スイッチが入ると手が付けられない。普段は普通のママなのだが、切れるとまるでジキルとハイドのように性格が一変する。その切れるスイッチが頻繁にあって夫ですら手に負えない。そんなママの顔色を窺うように育った紅緒は、近所の男の子にからかわれたことがあった。


「お前、ベニオって言うんだってな。なんだそのヘンテコな名前。紅ショウガの親戚か? やーーい、やーい、紅ショウガ!」


 泣きながら帰ってきた紅緒から理由を聞き出したママはブチ切れた。紅緒に案内させてその男の子の家に押し掛け、罵詈雑言をまくし立て、しまいには「今度うちの子に変なこと言ってみろ、ぶっ殺すぞ」とその子を親の前で脅した。

 紅緒が幼い頃からママは突然鬼のように怒り出すから怖くて苦手だった。それが変な名前を自分につけたのがママだと知り、ハッキリと嫌いになった。だいたい「べ」で始まる名前なんか聞いた事がない。それに誰もが男の名前だと勘違いをする。病院に行くと私の名前を呼んだ看護婦さんは、出て来た私を見て驚く。女の子だったのかと。だから病院には一人で行く。ママと一緒に行くと、ママが切れるから。

 そしてママを決定的に嫌う出来事があったのは小学4年生の時だ。高校生の従姉妹が泊りがけで遊びにきた時だ。琴美という名の従姉妹。ママの姉の娘だから、ママとも私とも顔が似ていると言われる。そんな琴美姉ちゃんと一緒に家のお風呂に入った時だ。琴美姉ちゃんが言ったのだ。


「紅ちゃんって4年生だったよね? そっか~、やっぱ緒形の女なんだね」


 緒形というのはママの旧姓なのは知っていたが、緒形の女というのは何のことか分からない。すると琴美姉ちゃんは紅緒の股間を指でさしながら、そして笑いながら言った。


「緒形家の女ってね、み~んな毛深いの。遺伝ってヤツだね。紅ちゃんのママもめっちゃ濃いだろ。うちのお母さんも同じ。っで私も、もっさりって訳。アッヒャッヒャッヒャ………でも紅ちゃんはまだ4年生だろ……う~ん……ちょっと早いかな? プールの授業や修学旅行の時、ちょっと苦労しそうだね。でもさ、自分で剃ったらダメだよ。失敗しちゃたらさ………大事なとこだからね」


 紅緒は確かに早熟で、以前は走るのだって速かったのに4年生頃から胸が出てきて、だんだんと速く走れなくなってきた。それでも銭湯に行ったことのない紅緒は、ママが毛深いとは知らなかったし、今年になって自分にも生えてきたが、それはクラスのみんながそうなのだと勝手に思っていた。

 4年生の夏にあったプールの授業で愕然となった。琴美姉ちゃんに言われたこともあって他の女子の着替えを注意深く見ていたのだ。自分と同じなのは一人もいなかった。それから暫くして家族で温泉に泊った時も、紅緒は他の大人の女の人を観察した。琴美姉ちゃんの言う通りだった。無性にハラが立った。パパはなんでママみたいな毛深い女と結婚したの? 生まれる子供のことをナニも考えなかった? 大嫌いだ! 私のこんな身体は全部ママのせいだ。

 大人から見ると実に下らない悩みだろうし、高校生にもなれば生えてるのが当たり前だと誰も気にしたりはしない。だが思春期に入ったばかりの紅緒にとっては生死にかかわるくらいの大問題であり、生えてることが凄まじいまでのコンプレックスになった。

 6年生になった。私の言う事なら何でも利く弥生。弥生は私より胸が大きい。きっと生えてるはずだ。裸になれと言うと、従った。だがソコには何も無かった。それを見た紅緒は息苦しいくらいに頭にきた。なんで? どうして? ブス、ドブス。ふざけんな弥生のクセに。気が付くとオナニーを命じていた。

 或る日のことママが温泉に行きたいと言い出した。行きなくない。面倒臭がりのパパなら行かないと言うはず。だがパパも直ぐに切れるママの顔色を窺い、行く事になった。紅緒も同じだった。自分一人で留守番でもすればいいのだが、それを言うとママの機嫌が悪くなるのを知っていた。温泉には知った顔はいなかった。ホッとした紅緒は身体を洗い終え、脱衣場に戻って来た時に見覚えのある顔と出くわした。同じクラスの城島渚だと直ぐに分かった。勉強が出来て1組では紅緒と渚のどちらかがテストではいつも一番だった。そして渚は6年生になってもまだ身体が細く、走れば男子にも負けないくらいに速い。その渚が、今、裸の私を見た。紅緒は渚が笑ったと思った。生えてる私を見て笑い、そして直ぐに目を逸らした。そう確信した紅緒は頭に血が登り、眩暈もしたが歯を食いしばって立っていた。両手は拳を作り、仁王様のように。

 言いふらされる、渚に私の秘密を言いふらされる。許さない、絶対にアイツは許さない。苛め抜いてやる。そうすれば学校に来なくなる。

 そこから6年1組における城島渚に対する苛めが始まったのだ。だが当の渚は生えていた。そして大半の同級生がまだなのを分かっていたから、自分に見られた紅緒はきっと恥ずかしいだろうと思い、咄嗟に目を逸らしたのだ。


 ママが嫌いな紅緒は、いつのまにか憎んですらいた。女のクセに毛深い、変な名前を私につけた、そして直ぐに切れる。そんな嫌いなママに似て自分も毛深いのが何よりも許せなかった。だがママに似たのは毛深さだけではなかった。自分では気づいてはいないが初潮がきてからの紅緒はママと同じように、いきなり切れ、そして手が付けられない。家ではママの顔色を窺うという抑圧された生活のせいなのか、それ以外ではブチブチ切れた。5年生の初めに、身体の大きな金村一平が「お前、ベニオっていうのか? 変わった……」と紅緒に話し掛けてきて、紅緒はいきなり切れた。椅子を振り上げ、金村一平の身体に振り下し、それを何度も繰り返した。物も言わずに。一平に振り下された椅子は幸いにも頭には当たらなかったものの、蹲って泣き叫ぶ一平の背中を叩き続けた。呼ばれて飛んできた担任が教室に入ると、椅子をぶら下げるように持って肩で息をする紅緒と、床に手をついてしゃくり上げながら謝罪を続ける一平。クラスで紅緒に逆らう者がいなくなった瞬間だった。




 こっくりさんをしていた3人の女子が倒れてから2週間が過ぎた。学校の廊下を一人の女が歩いている。時間は午前中で、廊下に面したそれぞれの教室からは、先生の声だったり、教科書を読む生徒の声が聞こえてくる。

 歩いているのはずいぶんと背の低い女。小学6年生にもなればその女よりも大きな子がいるだろう。誰かの親には見えない年頃だ。姉だろうか。だがその女は異様な格好をしていた。和服だ。それも全ての光を吸収するような真っ黒な着物に、真っ黒な帯。穿いている足袋だけが白く、まるで足だけが浮いているような錯覚を覚える。

 その女には聞こえていた。教室から聞こえてくる先生の声や教科書を読む生徒の声ではない。唄だ。それも今では聞くことのない童唄の一つ、はないちもんめ。その唄が女にはどういう訳か聞こえた。

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