第14話 4丁目0番地 その6
「私の部屋に集まる?! ………ふっ、ふざけんな!!」
栄前田椿は怒鳴っていた。手に持った携帯電話に向かって。そしてそのすぐ後に、自分の身に起きたことに思い至り、改めて股間を触った。アレは夢じゃない。まだ余波がある。いや、そんなはずは………アレは夢だ。絶対に夢。今までだってエッチな夢をみてこうなったことがあった。男の夢精みたいなもの。うん、そうだ、夢だ。でも動けなかった……
栄前田椿は再び金縛りにあったのだった。10日前と同じように何故か夜中に目が覚め、自分が動けないのを知った。椿は仰向けだった。そして前と同じように壁から何かが出て来たのが分った。1体じゃない。何体もの黒い影が繋がっていた。だが今度のソイツらは反対側の壁に消えることをしなかった。椿が寝ているベットを取り囲んで動きを止めた。ベットは壁にくっつけているから取り囲むことなんか出来ないはずが、取り囲まれた。
闇よりも黒い影。目鼻があるのかさえ分からない黒塗りの奴ら。自分を見下ろしていると分かった。椿は息が止まるほどの恐怖を覚えたことを明確に覚えていた。それからの事も。
身体に掛けていたタオルケットを剥ぎ取られた。その瞬間、まさか……と思ったのだが、その予感通りのことをされた。いきなり下のパジャマの中に手を入れられたのだ。そう、あれは手だ。その手に執拗にまさぐられた。私はあの黒いヤツの手で弄ばれた。それなのに………チクショウ………私は……私は……嫌がってなかった。気が付くと全部を脱がされ………そうだ、私は声を上げて………
「……え? 金縛りだったはず………うそ?! 途中で解けてた………それなのに私…………なんで? どうして?」
こんなの夢じゃない。どんなことをされたか覚え過ぎてる。
「ちきしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
そう叫んだ椿は素っ裸のまま膝を抱えて丸まった。どうした訳か涙すら出ない。だが身体は震えた。こんなことされた私はどうなっちゃうの? アレはきっとまた来る。10日前の302号室でのことが思い出された。皆の前で頬を染めて卑猥な体験を語っていた郷原夏江の顔ーーー喜びを隠しきれない下品な笑み。階段でニヤニヤしながら私の股間を触ってきた尾野苺。あのパンチラ女もきっと経験済みなんだ。東野凜だって、名切麻未だって、何度も何度もヤられてるから………だから郷原夏江に執拗に聞いてたんだ。どうだったとか…………嫌だ。私はあんな風になりたくない。そもそもアレってナニ? 壁から出て来た。幽霊だよね? それも男の幽霊。うん、あれは絶対に男の幽霊だった。でも、そんな………私、幽霊の手で弄ばれたなんて……そんなことってあるの? でも郷原夏江は弄ばれただけじゃない、ヤったんだ、幽霊と。ここの住人はみんなセックスしてる。喜んでヤってる………ここに居たら私もきっと………
「ダメだ、直ぐに引っ越そう………冗談じゃない」
そう呟いた椿だが、実家に戻っても同じ事が起きないという保証はない、と気づいた。それは昨夜のことがあまりにも生々しくて何処に行ってもアレがついてくるような気がした。いや、自分の身体がアレを呼ぶ。それとされた事柄のせいなのか、普通なら幽霊に対する恐怖があるはずが、そうではない自分に気づき、それが怖かった。私はどうなっちゃったの? アレは絶対に生きてる人間じゃない。そう、人間じゃない。そんなヤツに身体を弄られ、それなのに私…………
栄前田椿は怪談「牡丹燈籠」を思い出した。あの話は落語のより歌舞伎の方が生々しい。落語が好きだったパパの影響で椿も落語版の牡丹燈籠は幼い頃から知っていたが、高校生の頃に歌舞伎版のストーリーを何かで読んだ。歌舞伎版は「幽霊よりも怖い、人間の業」という副題がついていたのも覚えている。
新三郎に一目惚れをしたお露。一途に慕うあまり床に臥せってしまい、その挙句に死んだお露。乳母のお米も後を追って自害。その知らせを聞いた新三郎。だがお露とお米が現れ、新三郎は再開を喜んだ。訃報はなにかの間違いだったと。するとお米が言った。「お嬢様を抱いてやってくいださいませ」と。その勧めにしたがいお露とセックスをした新三郎。そこに新三郎の世話をしている下男の伴蔵が現れた。伴蔵が目撃したモノは、裸の新三郎に骸骨が跨り、しがみ付く姿。それとその様子を座って見ているもう一体の骸骨だった、伴蔵は腰を抜かしてしまった。
新三郎は、自分の元に牡丹燈籠を持って現れるお露とお米が幽霊だと知り、部屋中にお札を張り巡らせた。新三郎の傍に行けなくなったお露は困り、伴蔵を訊ね、そして言った。「お礼は致しますので、あの部屋のお札を全て剥がし、如来像をどこかに隠してください」と。百両という大金に目が眩んだ伴蔵と女房のお峰はその依頼を引き受け、実行した。その夜、新三郎の家に嬉しそうに入って行ったお露は新三郎に跨り、その最中に憑り殺した。新三郎の死骸は、カッと目を見開いて宙を睨み、その首には髑髏がヘバリついていた。
落語場版の牡丹燈篭はここで終わるのだが、歌舞伎版は続きがある。関係した者ーーーお露の父親の平左衛門と後妻のお国。そのお国の浮気相手。お露から百両もらった伴蔵と女房のお峰。それら全部の者が、殺され、因果は巡るを絵にかいたようなお話なのだ。そして歌舞伎版は幽霊とのセックスを暗に示している。
「嫌だ。新三郎みたいになりたくない。助けて、誰か私を助けて……そっ、そうだ………お坊さんならきっとお札を貼ってくれたり……」
でもどこのお坊さんに頼めばいいの? パパなら顔が広いから………でも言えない。パパやママにこんなこと言えない。
中学生の時のことが思い出された。妙な中学校でオカルトめいた事件が何度も起きた学校で、不思議な力を持った同級生が3人もいた。3人ともが女子だったが、一人は本州の仏教系の大学に行ったと聞いた。もう一人は海外に留学したはず。残る一人はきっと地元にいるはずだが、まともに会話をした記憶もなく、連絡先など知らない。
「………そうだ! アイツなら権藤彩音の連絡先を知ってるはずだ!!」
栄前田椿は部屋の中を見渡し、ベットの上に放り投げてあった携帯電話を見つけると、飛びつくように手に取り、電話帳を開き、或る名前を探した。
「あった!! 機種変の時にデーター消さなくて良かった~~」
まだ朝の7時前だが、相手が寝ていようがお構いなしに掛けた。すると意外と直ぐに出た。
「私!! 栄前田椿!! お願い、助けて!!」
中学を卒業以来、5年ぶりの会話なのだが、相手も椿の様子が只事ではないと分かったのだろう。余計な事は言わずに「どうした? なにがあった?」と返してきた。その返事を聞いた途端に泣き出してしまった。そしてしゃくり上げながら全てを喋った。恥ずかしいことも含め、包み隠さず全部。
「………分った。そのままそこで待ってろ。直ぐにアヤから連絡を入れさせる」
電話は直ぐに掛かってきた。
「権藤彩音だ。直ぐにこっちに来い」
「え? ……うん行く。でもコッチってどこ?」
「タクシーを呼べ。っで運転手に元のK町の権藤家だって言えばわかる」
「うん、分った……ありが……あっ、切れた」
直ぐにタクシーを呼んだ。1分1秒だってこの部屋に居たくなかった椿は、乱暴にタンスを開けるとTシャツとジーパンを素肌の上に着てーーーノーパン・ノーブラで財布と携帯電話だけを持って外に飛び出し、道路でタクシーを待った。
10分ほどで現れたタクシーに飛び乗った椿は、「元K町の権藤家って分かるよね! 行って! これで足りるよね」と万札を1枚出し、そのまま目を瞑って腕を組んだが、その腕が震えていた。大丈夫、もう大丈夫だ。権藤彩音なら何とかしてくれる。だって彼女は凄く強いから、相手がバケモノだって負けたりしない。でも……もし呪いとか祟りの類だったら? いや、それでも権藤彩音だったら絶対になんとか出来る。呪いなんか叩き返せちゃったりするはず。権藤彩音の声が蘇った。余計な事は何も言わずに、直ぐにこっちに来い、とだけ言った。頼もしいことこの上ない。だが、自分がどうしてこんな事になったのか。この世のモノではない奴にいいようにされ、それを拒んだり、嫌悪したりしなかった己の身体は……と考えてしまい、震える腕で自分の身体を抱きしめる椿は、流れる涙を止められなかった。
「つきましたよお客さん………権藤家ですよ」
タクシーを降りた栄前田椿。
「これが権藤さんが住んでる家なんだ………平屋だけど凄く大きい。それに敷地も……」
そんなことを呟きながら周りを見渡していると、玄関から誰かが手招きをしていた。真っ黒い着物に真っ黒な帯を締め、白い足袋が異様に目立つ背の低いオカッパの女性。
「あっ、権藤さんだ。え? 隣にいるのって……丹波ユキだ。うわ~~」
栄前田椿は懐かしさと、これできっと私は大丈夫だといった安堵感からボロボロ泣きながら駆け寄った。
「待て! そこで止れ!」
「え………?」
「そこで全部脱いで裸になれ」
「はい?」
「アタシは綺麗好きなんだ」
そう言った権藤彩音。丹波ユキはそんな権藤彩音の後ろに隠れるように身を屈め、顔だけ出してこっちを見ていて、もう一人、小学生だろう女の子も丹波ユキとおんなじ格好でこっちを見ている。
「なに? 意味が……よく……分かんないんだけど……」
すると丹波ユキが「栄前田さん………ちょっと凄いよ。身体から黒い煙みたいなのが立ち上ってて……」と言った。その丹波ユキと一緒に彩音の後ろに隠れてる女の子も「着てる服脱がないとアヤネちゃんは家に入れてくれないよ。だってきっと染み付いちゃってるから、その変な黒いもの」と言った。
「うそ………そんなの………見えるの?」
「うん、見える」
「でも脱ぐって………ここで?」
3人共が一斉に頷いた。
見る見る顔を赤くした栄前田椿だが、意を決したように唇を噛むと、後ろを向いてTシャを脱ぎ捨て、そして胸を隠して振り向いた。
「うわ……」
その声はユキとサチコが同時に発したものだ。
「なに? うわってナニ?」
「手………手垢が………胸にいっぱい……」
そう言われ、顎を引いて自分の胸を見た椿だが、そんな形跡はなにも無い。どういう事だと彩音を見ると、「その手をどけろ。全部見せろ」と言われた。
「ここで?」
「そうだ」
「………オッパイ全部?」
「そうだ」
「でっ、でも………真昼間の……外だよ、ここって」
「そんなの知ってる」
一旦下を向いた椿だが、なにやら吹っ切れたみたいに顔を上げると、斜め上を見ながら胸を隠していた腕をゆっくりと下した。すると胸に視線を向けていたユキとサチコが「ひっ……」という声にならない音を口から漏らした。
「オッパイがそうなら、アソコはもっと酷いはずだ。見せろ」
「…………ここで? ………だよね」
「そうだ」
「でも………それはチョっと……明るすぎるっていうか……」
「早く脱げ」
後ろを向いた椿は、ノロノロとジーパンを脱ぐと、両手で股間を隠して振り向いた。すると、さっきまで2メートルくらい離れた所にいた彩音が目の前でしゃがんでいた。
「見えない。手をどけろ」
「ええええ??………いくらなんでも近すぎだと……」
「離れてたら奥が見えない」
「オク?? ………そっ、そんなところまで見るの?」
「あたりまえだ」
椿は再び下を向いた。そして今度は真っ赤な顔でヘラヘラ笑いながら顔を上げ、両手をパっと下した。まるで軍隊のキョウツケイをするみたいに。
「うわ~………ひっでぇ……」と言ったのは、いつの間にか彩音の隣に来てしゃがんで見ているユキだ。
「毛ぇ薄いね」と言ったのは、やはり彩音の隣でしゃがんで見ているサチコだ。
椿の頭の中はもうグチャグチャだ。5年ぶりにあった同級生の目の前で、それも真昼間の午前中に外で素っ裸になって、見られ、ひっでぇと言われ、初めて会った女の子には薄いと言われ、気が付いたら自分は真っ赤な顔でまだヘラヘラ笑っていた。
「風呂場に行け。アタシが全部消してやる。ユキは裏で燃やせ。脱いだ服」
「え……Tシャツとジーパン燃やすの? 私……裸のままで……どうしたら……」
「気にするな」
「そっ、そうだね………なんもかも見せちゃってるし………外で裸って気持ちいいかも……あはは……ははは………コマネチ!!」
素っ裸でおどけた自分がバカに思えた。誰も笑ってくれないし。
時は平成13年、西暦2001年。鶴岡美佐江は66歳になっていた。一人息子の芳太郎は11年前に弥生という女と結婚し、長女、長男の順で子供が生まれ、美佐江は名実ともにお婆ちゃんなのだが、相変わらず鶴岡幼稚園の経営者であり園長だ。そして鶴岡不動産の経営にも大いに口を出し、実質、会長のような存在だ。
寅松建設の社長は70代だが未だ元気で代表権のある会長だ。その寅松会長と鶴岡美佐江はまだ男と女らしく、今も鶴岡幼稚園ーーー平成元年に移転した新しい鶴岡幼稚園の園長室でベッタリくっついて座り、何やらコソコソと密談をしている。
「美佐江ちゃん。見つかったんだけどな……」
「見つかったって、なにが?」
「名切だって、な・ぎ・り」
「ん? ……………あっ、ああああああああああああ!! あの土地をなんとか出来る……名切のことかい?」
「そうそう、その名切」
ライオン組で人間ではない奴に犯されたという訴えがあったのは昭和63年の7月だ。美佐江は息子の芳太郎に、移転するから新しい幼稚園を直ちに建てろ! と命令した。っで翌年の平成元年2月に移転をしたのだ。それから12年も経っているのだが、前の幼稚園の建物はそのままの姿で残っていた。芳太郎にも内情は詳しく説明していたから、何が起きるか分からないと解体はしていなかった。それでも永久にあのままって事にはならない。芳太郎にも息子が生まれ翔太と名付けたのだが、いずれはその翔太が鶴岡不動産を継ぐことになるはずだが、まさかあの建物をそのまま引き継がせる訳にはいかない。美佐江は自分が生きている内になんとかしなければと、近頃、強くそう思うようになっていた。
「そうかい、なら早速………なに? 会長、なんかあるの? 妙な顔してるけど」
「ああ…………見つかったのはいいんだけどな………関わらん方が……」
「なに? なんだっていうの? ハッキリ言いなさい! 男だろ! タマもサオもついてんだろ! ……サオの方はめっきり役に立たなくなったけどさ~」
寅松会長の説明はこうだったーーー
名切って野郎の一家は行方不明だらけだ。死んでんだか生きてんだか…………殺されたんじゃねぇか? まず、あの土地に呪いだかよく解らん仕掛けをしたのが名切の父親だってのは知ってるよな。その父親の名前が名切残間。ザンマだぜ、ザンマ。どんな意味なのかもサッパリだし、命名したヤツは頭おかしいだろ。そんでもってその残間って野郎は寺の息子でもないのに坊さんになって、なにやらかしたのかその宗派の本山から破門された。っで見返したかったんだろう。真理を追究するとか言って大陸に行った。数年で帰ってきたみたいだが、女と一緒だった。女の名前は北酉。キタドリだぜ、苗字じゃなく名前が。本名なのかも分からんし、日本語はベラベラだったみたいだが日本人なのかも怪しい。っで息子が生まれた。名前が塚蟲だとよ、ツカムシ。虫って字を3っつ使った蟲だ。その塚蟲って野郎が幼稚園建てる時に現れた男だ。っで妹も生まれてて西鹿って名前だ。そのニシシカって名前なんだが、女だから嫌だったのか変えてて、今は名切麻未。名は体を表すっていうだろ。名切一家の名前聞いただけで気味が悪いわ。っで、名切残間が大陸から連れて来た北酉って女なんだが、日本に来て占い師みたいな商売を始めたらしいんだが、それが妙に当たるって評判になり、亭主の残間はヒモみたいなもんだったらしい。ところがその残間が或る時期から居なくなった。行方不明よ。当時は蒸発ってやつが多くて警察も大して探してねぇ。だけどな、北酉の占い信じて熱心に通ってたババーが相談したんだと、気が短い夫が年取ってますます短気になってきて、老後の生活が不安だとかなんとか。そしたら北酉の答えが。男を喰らう時は心臓と睾丸、それと亀頭だ。そうすればその男が持っている全てを自分のモノにできるって。意味分かるか? そんな亭主は殺して食っちまえってことだろ。それも睾丸と亀頭を。真面目なツラでそう言ってきたもんだから、気味が悪くなってそれからは北酉のところには行かなくなった。普通はそうだろう。長年連れ添った亭主の玉とサオの先っぽを食えって………食える訳ねぇ。ところがその占いやってた北酉、或る時期から誰も見てねぇのよ。亭主とおんなじ行方不明だ。その頃だ、息子の塚蟲って野郎がこっちに来てアノ土地に幼稚園建てれるようにしたの。なんだか薄気味悪い野郎でよ~………アイツ、美佐江ちゃんの亭主……鶴岡二郎は長く生きられないって言い当てやがった。………でな、その名切塚蟲を俺はずっと探してた。知り合いの国会議員の秘書にも頼んだりして……12年間もだぞ。でも全然見つかんなくって、それで探偵雇ったのよ。掛かった費用みてくれよ、頼むって。そしたら今俺が喋ったこと全部調べてくれたんだけど、肝心かなめの塚蟲の居所が分からんときた。本気になった警察もそうだけど、探偵の足取り調査ってのはスゲーらしいぞ。偽名使おうが必ずシッポを掴む。だけどな、塚蟲の足取りはよ~、コッチに来た後は嘘みてぇに消えてて、なんの痕跡も見つけられなくって、探偵も途方に暮れてたところがだ、向こうから現れたらしい。妹の西鹿が。ああ、名前変えてて麻未だ。二十歳をちょっと過ぎたぐらいの若い娘なんだけど、異様な雰囲気らしい。っで「兄の塚蟲を探してるんだってね。何年も前に仕事で北海道に行ったきり帰ってこない。あんた探偵だろ? 依頼主に伝えな。妹が力になってやるって言ってたってさ」って、いきなり言われたみたいだ。っで、その妹が今までどこにいて、何をしてたのか、それとどうやって探偵事務所を見つけたのか、皆目見当つかなくて、その探偵から、もうこの件には関わらないってハッキリ言われた。不気味を通り越して、怖いとよ。だからよ~……美佐江ちゃんも関わらん方がいいって。
「はぁぁああああ?? なに寝ぼけたこと言ってんのさ。二十歳そこそこの小娘が怖いだ? いいからソイツにヤらせなさい。その娘が言ったんだろ。アニキの代わりに力になるって。なってもらおうじゃないの」
「いや………だってよ~………どう考えても普通じゃねぇって、名切って一家はよ~」
「だったら、あの建物とっとと解体しなさいよ。12年前にアンタに依頼したよね? 解体前に必要な措置があるんなら、掛かる費用全部みるから、それも込みでやってくれって。坊さん、神主、拝み屋、あんたがそういった類の人間にずいぶんと当たってたようだけど結果はどうだったのさ?」
「………全部断られた」
「だったら、その妹………なんて名前だっけ? ああ、ニシシカ? そいつにヤらせるしかないだろ。あんたが責任もってヤらせるんだからね!!」
素っ裸のまま風呂場に連れて行かれた栄前田椿。
凄く広い家のせいで風呂場に辿り着くまでの廊下が長かった。何も喋らない彩音がスタスタと前を歩き、その後ろについて行った椿なのだが、初めて会ったサチコという女の子が隣を歩き、そして何度も毛を引っ張るから、どうしたら良いのか分からず腰を捻ったりして歩いていると、後ろを歩く丹波ユキが噴き出したから、ようやっと悪戯してるのだと分かった。そして風呂場では、身体の隅々ーーー特に女の部分を念入りにーーー自分にはまるで見えない手垢とやらを権藤彩音が手をかざして消す作業をやってくれた。ユキとサチコが至近距離で覗き込むように見ている中でだ。もう、どうにでもなれ。
凄く広い畳が敷きつめられた部屋で、貸してくれた浴衣を着て正座をしている栄前田椿。風呂場でのことが頭から離れない。なにからなにまで全部見られた。叫びたい。いや、大声で笑い出したい。恥ずかしいのを遥かに通り越してる。
「最初っから全部を聞かせろ」
目の前で正座をしている権藤彩音がそう言った。
「………え?」
「住んでるアパートで起きたこと全部だ」
茹でダコのように真っ赤な顔をしている椿。それでもあのアパートのことを思い出すと身体が震えた。
栄前田椿から全てを聞いた権藤彩音。そして送られてきたメールを読んでいる。
「ふ~ん……今夜7時に椿ちゃんの部屋に集まるよ、か…………住人全部が集るんだな?」
「うん、そうだと思う。前の時も302号室にみんな集まってたし」
「なら一気にカタを付けるから鍵貸せ」
「え………権藤さん……行ってくれるの?」
「ああ、アタシが行く」
「ほんとに!! わっ、私………凄く怖くて………どうしたらいいのか分からなくて………権藤さんのところに行けば守ってくれるって……勝手にそう思って…………中学の同級生だけど殆ど喋ったことないのに……権藤さん………いいの? ほんとに………」
そこまで言った栄前田椿は泣き出してしまった。
「お前は信用できる奴だった。逃げずに戦った」
それを聞いた椿はわんわん泣きながら正座をしている彩音に抱きついた。
「はっ、離れろ………やめろ、暑苦しい」
権藤彩音は、早めに行ってそのアパートを見たいと言い、タクシーを呼び、一人で多々羅町4丁目0番地に向った。
おっちゃんコンビから多々羅町4丁目0番地にあるアパートの話を聞いた大国は一人で考え込んでいた。アパートの前は幼稚園だと? あの土地にそんなモノを建てるなど信じられん。変だ、おかしい……。あの土地には或る人物が呪いを掛けたと聞いた。………ん? そいつ……誰だ? 誰が呪いを掛けた? 破門された坊さん…………なんという事だ、私としたことが………
「外道に落ちた、坊主崩れが掛けた呪い………」
大国は思わず声に出していた。
自分はなぜ調べなかった? あの土地に行って自分の目で確かめることもしなかった。破門された坊主が呪いを掛けたという話は信用できる者から聞いた。そこに至るまでの経緯も昔を知っている幾人もの年寄りから我慢強く聞き出し、辻褄が合った。だが私は、それを知っただけで、何もしなかった。それは何故だ? 何故なんだ?
「…………多くの人の念……その念と一致したか」
多々羅町で起きた連続強姦殺人。その犯人は町の衆に焼き殺され、死体も始末された。住民による集団リンチによる殺人事件が有耶無耶にされたのだ。戦中、戦後のドサクサもあるが、連続強姦殺人すら表沙汰になっていない。被害者遺族はこぞって加害者になった。多くの住人にとって公然の秘密。知られてはいけない、決して部外者に漏らしてはいけない、自分達だけの秘密、墓場まで持っていく秘密。そんな思念があの土地から人を遠ざけた。あの土地に染み付いたモノ、それと坊主崩れが掛けた呪いも相まって、この私すら……今の今まで遠ざけられていた……
昼を少し過ぎた頃にリバーサイドの202号室に入った権藤彩音は、何をする訳でもなく、ただベットの上で正座をしていた。
時刻が6時を回った頃だ。チャムを鳴らす事もせずにドアが開けられ、誰かが部屋に入って来た。女だ。
「ほんとだ~~知らない女がいる~~。椿ちゃんは? 椿ちゃんいないの~? 連れてきてよ~。アンタなんかに用はないんだから~」
女はリビングには入らず、手前の廊下で立ち止まりそう言った。どうやら栄前田椿とは違う女がこの部屋にいることを誰かから聞いているらしい。権藤彩音はその女を見る事もせず、黙って前を見ているだけだ。
「なんで何も言わないの~? もしかしたら喋れないヒト~?」
見たところ30を過ぎた大人の女のはずが、妙に語尾を伸ばすおかしな喋り方をする。
「なんで椿ちゃんだったの~? 昨日二郎君とセックスするのは私だったはず~。だってね~、もうずっと二郎君とセックスしてないから絶対に私だったのに~。夏江ちゃんとこに続けて何度も行って、とうとうセックスしちゃって、次は私だったんだよ~。ねぇ、椿ちゃんはセックスしたの~? 聞いてない? 椿ちゃんって処女って本当? 苺ちゃんには処女じゃないって言ってたみたいだけど~本当は処女なの~? 処女なのに二郎君とセックスしたの~? ねぇ、なんで黙ってるの~? ねぇ、なんとか言ってよ…………おい、ふざけんなよ。ガキのクセしてナニ偉そうに座ってんだ! 年長者のコッチが立って喋ってんのが見えねぇのか? 立てよ、くそガキ。立てって言ってんのが聞こえねぇのか!! ああああ、コラ!! そもそもお前、誰だ! なんでここに居るんだよ! 出て行け!! お前みたいなガキが来ていい場所じゃねぇんだよ。大体なんで着物なんか着てんだ? それに意味あんのか? けっ……素っ裸にひん剥かれてぇのか! ガキだろうと容赦しねぇからな。ヒィーヒィー言わせてやっからトットと脱げ! お前、年いくつだ? 12か13か? なら鳴ける身体してんだろ。私が鳴かしてやっから脱げや。脱いで股開け!」
女は喋っている途中から口調が変わり、そして顔つきまで明らかに変わった。目が充血してつり上がり、歯を剥き出し、口の両橋に泡を溜め、唾を飛ばして涎を滴らせ、まるで鬼の形相で怒鳴りながらリビングに一歩足を踏み入れた。その途端、女は高圧電流に触れたみたいに飛び上がり、廊下に腰を落とした。
「なっ…………なにをやった? 今なにをした? …………ん? これは……………」
廊下からリビングに入る所に白い粉が一直線に敷かれていた。
「塩か………お前……結界を張ったのか。…………そんなこと出来るんだ。ちょっとした力を持ってんだ。だから椿ちゃんに頼まれたんだ。ふ~~ん……バカな女。黙って股開けばいいものを、格好つけて馬鹿なマネして……お前、きっと食われるから。生きたまんまで食われて………ふふふ………はははは………」
女は笑いながら出て行った。ベットの上で正座をする彩音は何事も無かったかのように動かない。暫くすると聞こえて来た。
か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~
いつまでも終わらない。ただひたすらリピートされる童歌。実際に聞こえているのか、それとも彩音の頭の中に直接響いてきているのか。
か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~
チャイムが鳴った。童歌はまだ聞こえる。暫くすると再び鳴ったチャイム。そして玄関が開けられた音。
彩音はゆっくりとベットから降り、玄関に向かって伸びる廊下を無言で見た。
「椿ちゃん逃げたんだ………ふふふふ………気持ち良かったはずなのにな~……ふふふ」
入って来たヤツがそう言った。女の声だ。童歌の声が大きくなった。
か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~、か~ご~め~か~ご~め~、か~ごのな~かのと~り~わ~、い~つ~い~つ~で~や~~る~、よ~あ~け~のば~~んに~、つ~るとか~めがす~べ~~た~、うしろのしょ~めんだ~れ~だ~
時間は7時ちょっと前だ。日が完全に沈むには早く、カーテンも開いているが部屋が暗くなった。それでも入ってきたのは女が一人だと分かった。
そしてその女が言った。
「お前、ちょっとばかり力を持ってるみたいだね。それで椿ちゃんに頼まれたんだ…………椿ちゃんのお友達かい? ふふふ……身の程知らず………和服着て、それらしい格好しちゃって………でも無理だよ。私との力の差が分からないんだろうね~~気の毒に………こんな結界、ふふふ……」
廊下を歩いて来た女は、リビングとの境界に敷かれた塩の結界を蹴散らし入ってきた。彩音はその女との距離を保つように後ずさった。
「あれ~~お前、処女じゃないんだ、あははははははは………そうかい、そうかい、へ~~………そんな澄ました顔してるクセにちゃんとヤることヤってんだ。………お前、幾つだい? 13? それとも14? どっちだっていいけど随分と早熟なんだね~。今までどんな男とヤってきた? どうせ女の扱いなんて知らないガキに突っ込まれただけなんだろ? ふふふ………これから人生変わるよ。何度も何度も天国に行けるからね………あははははは………ほら、脱ぎな。………恥ずかしいのかい? なら私が脱がしてあげる」
彩音の着物が弾け飛び、まる裸にされた。そして足が僅かに宙に浮いた。驚きを隠せない彩音は目を見開き、瞬きも忘れたように目の前で薄ら笑いを浮かべる女を唖然と見ている。そしてそのまま壁に叩きつけられた。衝撃で部屋が揺れた。
「驚いた? これって念力とかサイコキネシスって言うんだってね………出来ちゃうの、私。そこらへんにいる霊能力者とは違うんだよ~。ね? 勝てないって理解した? ……あれ? 剃ってんの? あはははは…………これは、これは、とんでもないお嬢ちゃんだ。へ~~………いろんなこと仕込まれてるのかな~。ふふふ……お嬢ちゃん、股開いて奥まで見せてごらん………ふふふ」
大国の前には二人の刑事が座っている。ここは大国の屋敷にある応接室。
二人の刑事は眉間に皺を寄せ、重苦しい顔で黙り込んでいる。
「………すると大国さんは、リバーサイドアパートに家宅捜査に入れと、そう言うんですか?」
「そうです。失礼だが警察もバカじゃないはず。あのアパートにまつわる何かを掴んでいるんじゃないですか?」
そう大国に指摘された刑事は再び黙ってしまった。そして暫く沈黙の後に唸るようにつぶやいた。
「………しっ、しかし………令状を取るだけの証拠が………」
「何かあるんですね?」
思わずつぶやいてしまった刑事は、あっ、という顔をしてもう一人の刑事と顔を見合わせた。そして観念したように話し始めた。
「この管内で行方不明者が出てます。それ自体はあまり珍しい話でもなく……殆どは家出か、DV被害者が亭主から逃げたというものなんですが………20代の女性が3人居なくなってまして、その3人共がリバーサイドから引っ越した後に行方不明………」
警察は行方不明となった3人に共通するモノにまで辿り着いているようだが、3人共が引っ越した後ーーーリバーサイドから出て行った後に行方不明となった為に、リバーサイドに何かある、とは断定できないらしい。
「最初の一人は3年前に302号室にいた工藤純子、次が2年前に202号室にいた斉藤愛美、そして今年になって101号室の神田詩織。3年前の工藤純子だけが夫婦もので、あとの2人は独身の一人住まいで……」
「夫婦もの? っでご亭主は?」
「……………実は………その夫も数か月後に行方不明に……」
「そっ、それなのに警察は……」
また唸るように黙り込んだ刑事。そんな時だ、玄関が乱暴に開けられた音が聞こえ、誰かが大声で怒鳴った。
「大国の旦那!! 大変だーーー! 彩音様が一人で乗り込みに行きやがった!!」