第12話 4丁目0番地 その4
7月に入り、北海道でも短い夏がようやっと始まった感があり、寒くてストーブを焚いていた曇天の6月が嘘のように連日の晴天だ。そして昭和の時代は、後の異常気象の一つである「危険な暑さ」というものは少なくとも北海道にはない。それ故にエアコンが設備された施設など皆無に等しく、鶴岡幼稚園も同様だが、真夏の7月であっても気温が30℃になる日は極めて稀で、8月はお盆ともなれば秋風が吹く。
今日は、夏休み前に行われるビックイベント「お泊り会」だ。
鶴岡幼稚園では年長組だけが参加するイベントで、宿泊場所は幼稚園。園児の中には親と離れて一晩過ごすのが初めてだという子も多いが、そんな子であってもいつも以上に輝いた顔をしている。
15:00 登園。子供の健康状態をチェック。
15:15 挨拶、体操、園長先生のお話し
15:30 自由時間
17:15 食事の準備
18:00 夕食
19:00 夜のお楽しみ会
20:00 歯磨きなど寝る準備
21:00 就寝
こんなスケジュールなのだが、子供たちは夕食のカレーライスですら大喜びだ。そして今年の夜のお楽しみ会は、〇✖式のクイズ。床に大きな紙に書いた〇と✖を貼って、演台に立った先生がクイズを出し、それが正しいと思う子は〇のところに集まり、間違ってると思う子は✖に集まる、という単純なゲームなのだが、どの子も大はしゃぎだ。そしてそれが終わると大型の紙芝居。どの子も目を輝かせて見入っていた。
そんな夜のお楽しみ会が終わって寝る準備が大変なのだ。テンションが上がった子供たちに歯を磨かせ、オシッコをさせ、持参したパジャマに着替えさせるのが一苦労で、21:30を過ぎた頃にようやっと全員が布団に入り、そして22:00近くになって喋るってる子がいなくなった。それは毎年のことなのだが、新任の恵美先生は全てが初めてのことで目が回るような忙しさだった。
寝る場所はゾウ組、キリン組、ライオン組に分ける事はせず、室内の運動場に貸布団屋から借りた敷布団を敷き、園児全員がそこで寝る。先生達の負担を少しでも軽くするためだ。そしてお泊り会に参加しない年少組であるひよこ組の先生も、この一大イベントには参加している。
運動場の入り口に立って、寝ている子供たちを見ていた恵美先生に、ひよこ組の亜紀先生が声を掛けた。
「先生達は交代で寝ることになってるけど、恵美先生……眠れそう?」
「うん………ちょっと無理っぽいかな。なんだか頭が冴えちゃって………」
23歳の恵美は、25歳と年の近い亜紀先生とは喋りやすく、この幼稚園に勤めるようになって直ぐに親しくなっていた。
「だよね~。私は今年で3回目だけど、未だに眠れないから。その点、美香先生と良子先生って凄いんだよ。もうグーグー寝てた」
そう聞いて腕時計に目をやった恵美。
「えっ、まだ10時半だよ」
「うん、だから凄いのさ。いつでもどこでも、どんな時でも、寝ようと思ったら直ぐに寝付けるって言ってた。二人とも」
「うわ~そうなんだ。私には無理だな~~……ところでどこで寝てるの?」
「ひよこ組。良子先生もいたけど、まだ眠れないみたい」
そんな会話を小声でしている恵美と亜紀のところに典子先生が来た。6月に辞めたゾウ組の薫子先生の代わりに採用された27歳で結婚している先生だ。去年までは別の町の幼稚園に勤めていたが夫の転勤で退職したが、子供がいないせいもあって1年ぶりにまた幼稚園に勤めることにしたのだ。人懐っこい性格のため鶴岡幼稚園でも直ぐに馴染み、どの先生とも上手くやっている。
「交代って2時だよね。亜紀先生と恵美先生はどこに寝るの?」
亜紀が「まだ決めてないけど、3人一緒に寝ようよ」と言うと、恵美が「私、ちょっと神経質なとこがあるから、慣れたライオン組がいいんだけど……」
結局、恵美と亜紀と典子の3人はライオン組で、夜中の2時から寝る事に。
その3人が起きている時間帯に数人の子が「おしっこ~」と起き、その都度、トイレに連れて行き、そしてその子が再び寝付くまで添い寝をするが、それ以外は特段変わったこともなく2時になった。
先に寝ていた3人の先生を起こし、恵美と亜紀と典子の3人はライオン組でタオルケットに包まった。恵美は窓際に寝て、その隣には亜紀、そして一番向こう側に典子。
暫くすると隣の亜紀先生が寝息を立てていた。静まり返ったライオン組の中、向こう側に寝ている典子先生の寝息も僅かに聞こえる。やっぱり自分一人が寝遅れた。こういう時は、何としても眠らなきゃ、と焦ったら返って眠れなくなる。眠れないなら起きていればいい、と開き直った方が何時の間にか眠っているものだ。仮に一晩くらい徹夜となったところで何かに重大な支障が出るわけではない。そんな事を考えなら恵美は何度目かの寝返りを打った。
目が覚めた。あれ……私……夢を見てた。眠ってたんだ。なんで目が覚めたんだろう? もう朝? でも真っ暗。まだ日が昇ってないんだ。ライオン組の窓は東に面している。カーテンは閉められてはいるが日が昇れば明るくなったのが分る。北海道の7月は4時には日が昇るから、まだ真夜中だ。今って何時だろう? 右手を動かそうとした恵美は自分の身体が動かないのを知った。え………なにこれ……ウソでしょ。恵美は横向きで、隣に寝ている亜紀の方を向いて寝ていた。その亜紀はこっちを向いて寝ているのが真っ暗な中でも分った。ちょっと亜紀先生、起きて、私、動けないの、気が付いて。恵美は起き上がろうとしたが、身体はそんな自分の意思を無視するようにピクリとも動かず、仰向けにもなれない。そして声も出ない。これが金縛り?? 目の前には同僚の亜紀先生がいることもあって少し落ち着いてきた。どうやれば動くんだろう? 身体に力を入れれば……あれ? 力の入れ方ってどうやるんだっけ? え……? なに? 誰? そこにいるのは誰? 横向きで寝ている恵美の頭の向こう側をナニかが通った。気のせい? いや、いる。今も通ってる。ヒト……だよね。うん、絶対にヒトだ。身体が動かないからソッチを見る事は出来ないが、気配を感じる。その気配は動いていた。ゆっくりと、ゆっくりと、頭の向こう側で移動している。このままだと視界に入って来る。なに? なんなの?
ソレが恵美の視界に入ってきた。真っ暗な室内だが恵美にはソレが見えた。暗闇よりも黒い影。ゆっくりと、ゆっくりと移動している。足音は聞こえない。床を摺るような音も無い。無音だ。さっきまでは隣に眠っている二人の同僚の寝息が聞こえていたはずが、今は何も聞こえないのを恵美は知った。……人? 人影? ぼんやりと見える暗闇よりも黒い影は人影だ。それも1体ではない。何体もの黒い影が繋がって移動していた。音もなく。なにこれ………怖い……いやだ……こっちに来ないで。
闇よりも黒い人影の動きが止った。繋がってる何体ものソレら全部が動きを止めたのだ。きっと自分を見ている。息をするのさえ躊躇われ、己の心臓の鼓動までが聞こえた。お願い、あっちに行って………
ソレらが再び移動を始めた。どれくらい自分を見ていたのか分からない。随分と長い間そこに居たような気がする。もしかすると私を見ていたのではないのかもしれない。黒い影の繋がりが自分から離れて行ったことにより僅かながらも冷静さを取り戻した恵美。あいつらは何? ……不審者。ダメ! 子供たちが危ない! 自分は幼稚園の先生なのだ。守らなきゃ、子供たちを私が守らなければ。
大声を上げようとした恵美。だが自分が金縛りにあっていることを改めて知るだけだった。動くこともできない。横向きに寝ている恵美の目の前には亜紀先生がいるが、彼女に声を掛ける事もできない。亜紀先生起きて。寝てる場合じゃないの。大変なことが起きてるのに何で起きないの? ……え? 亜紀先生も金縛り? そんな……そんなこと……あるはずがない。これは夢? 私は夢を見てるの? そうだ、私はまだ眠っているんだ。だってアイツらの足音は今も聞こえない。それに何処から入ってきたの? ライオン組には外に出る事が出来る出入口などない。窓を割られたのならその音で目が覚めるはず。絶対に夢だ。それなのに怖がっちゃって、私ってバカみたい。それにしても何なのこの夢。薄気味悪い。………え? なに? なんか聞こえた………
「ーーーーーーぁっ…………ぁっ…………んんん………」
女の声だ。隣に寝ている亜紀先生じゃない。典子先生の声? それは僅かな小さな声で、聞こえては止み、そしてまた聞こえるを繰り返した。どういうこと? 典子先生どうしたの? さっきのあいつらに何かされてるの? まさか…………止めなさい。………でも……これは夢。夢なんだから。………違うの? 夢じゃないの? 典子先生逃げて。こっちに逃げて私を起こして。
だが聞こえてくる声はだんだんと大きくなり、そして止んでいる時間が短くなり、いつしかそれは女の声となった。
栄前田椿は郷原夏江の部屋ーーー302号室には、メールに書かれていた夜の7時の5分前にはチャイムを鳴らした。
理由も告げられずに、ただ「集まるよ」と書かれていたメール。そんなに親しい間柄でもなく、偶然に同じアパートに住むことになった「ご近所さん」というだけの人達。それなのに集まるのが当然というようなメール。こちらの都合など聞きもしない。異様なナニかを感じた。これって断っていいの? 普通ならこんな強引な誘い方をする人なんていない。メールを何度か読み返した椿。そもそも誘ってすらいなかった。今夜7時に集まるってことを知らせてきただけだ。
最初にこのメールを見た時は驚き、そしてその内にハラが立ってきたが、しまいには考え込んでしまった。どう対処して良いのか分からない。大学に行ってる間もずっと頭から離れなかった。そして夜の7時になる寸前に、「とにかく行こう」と椿は声に出していた。
302号室のチャイムを押した椿。だが誰も出てこない。もう一度押した。中から人の声が聞こえ、ドアの取っ手を回すと鍵が掛かっていない。
「ーーーいいから入って! 椿ちゃんでしょ!」
この部屋の主である郷原夏江の声ではないような気がする。それほど何度も会話を交わした事はないが、郷原夏江の声はもっと丸みがある声だった。今の声はそんな夏江の声ではなく、アイツだ。このリバーサイドのボス的な存在、東野凜の声だ。
そんな声に導かれ、勝手に入って行くと、既に全員が集まり食卓テーブルの周りに置かれた椅子に座っていて、椿は唯一空いている椅子に座った。
長方形の食卓テーブル。長い2辺の片側には東野凜と名切麻未、そしてその向かいには今日もパンチラの尾野苺が座わっていて、その隣が空いているから椿が座った。
短い辺には頬を染めた郷原夏江がーーーこの302号室の主が俯いて座っている。
もう既に話し合いが始まっているみたいだが、いったい何が話し合われていたのか椿は解らないが、それを誰も教えようとはしない。え……なにこれ? 7時に集まるっていうから5分前に来たのに。そう思ったがそれを言えるような雰囲気ではない。誰も何も喋らないのだ。きっと私が来る前に何かを話し合っていったのだろうが、その内容を改めて考えている風だ。
東野凜が唐突に「ナンドモ?」と言った。目を伏せたままでコクンと頷いた郷原夏江。すると再び東野凜が「ナンカイグライ?」と言うと、左右に首を振った郷原夏江。それを見て名切麻未が「覚えてないんだ……ふふふ……凄いね」と言った。いった何の話し? 凄いとはいったい何のこと? 私が来る前からの引き続きの話題だという事は解ったが、それ故に、ナンドモ、ナンカイグライ、という言葉の意味が全く不明だ。だが皆が郷原夏江から何かを聞き出そうとしているようだ。すると今度は尾野苺が言った。「夏江ちゃん、そうなったの初めて?」と。するとハっとしたように顔を上げた郷原夏江は再び下を向き、小さな声で、ウン、と言った。
「でも夏江ちゃんさ~オナニーするって言ってたじゃん」
え? なに? どういうこと? それから途切れ途切れに郷原夏江が喋った内容は驚くべきもので、全てがオナニーとセックスの話しだった。
そして椿が302号室を後にしたのは21時を回っていた。かれこれ2時間以上もの間、延々と郷原夏江の生々しい話を聞かされたのだ。頭が痺れボワ~とする。一緒に302号室を出た尾野苺も夏江の話に誘発されたのか、火照った顔で椿に盛んに話し掛けてくる。
「もうジンジンきちゃったよね。帰って速攻っでオナる。椿ちゃんもそうでしょ?」
「えっ……ええ………まぁ……」
「なに? 恥ずかしいの? キャハハハハハ。椿ちゃんだってオナニーするよね?」
「…………まぁ一応は……」
「一応?? なにそれ? キャハハハハ……一応オナるなんて初めて聞いたぁ。ところで椿ちゃんって処女?」
「ええ? …………ちっ……違います」
「だよね~~。さすがに処女はちょっと可哀そうだしぃ」
オナニーの次は処女かどうかを聞かれた。大して親しい間柄でもないのに。思わず見栄を張って処女じゃないって言っちゃった。いったいなんなの? 普通聞く? 答えちゃったけど………ウソを交えて。でも処女は可哀そうってどういう意味だろう。ここの住人達って絶対に変だ。
2階まで一緒に階段を降りて来た椿と苺。その椿に対し、苺が唐突に言った。
「昨日さ~金縛りにあったよね?」
それは唐突過ぎるというより、全く想像もしていないことを突然言われ、しかもそれは自分だけしか知らない事実を指摘されたのだ。息が止まるくらいに驚いた。
「…………どっ………どうして…………それを………」
ようやっとそれだけを言った椿。苺はそんな椿の股間に手をやり、
「ふふふ………いいのいいの。今度はさ~~椿ちゃんの番かもよ~~」
権藤彩音の住む家の敷地内に入ったリンカーンリムジン。後部座席の丹波ユキは車から降りようとする者を制止した。
「まだ降りないで! 今、アヤちゃん呼ぶ………………もしーーアヤちゃん、私。今、家の前に車止めたから直ぐに来て!! ………うん、待ってる」
ユキからの電話を受けた彩音は理由も聞かずに、直ぐに行く、と応えたらしい。
玄関から出て来た彩音。眉を寄せ、渋い顔でリンカーンリムジンの周りをグルグルと歩き回っている。その彩音がドアを開け、後部座席に顔を突っ込み、今度は鼻をひくつかせ、クンクン臭いをかぎ始めた。
「お前達いったいどこを走ってきた?」
そう彩音に言われ運転してきた桂義男が、
「はい? どこって言われても……………彩音様、いったい何を感じているので?」
「これはズブズブの奴らだ」
「ズブズブ……??」
「とにかくユキとサチコは玄関で素っ裸になって、そのまま風呂場に行け。アタシがその醜気消してやる。脱いだ服は庭で燃やせ。おちゃん2二人は大国のおじさんとこに行け。車も纏めて祓ってもらえ」
彩音の家に戻ってきた途端、さっきまでは奥に引っ込んでいたサチコが再び表に出てきてるらしい。玄関で裸になって大はしゃぎで、同じく裸になったユキのお尻やオッパイを触っては「でっかーーい」と騒ぎ、ユキが風呂場に逃げて行った。
風呂場に来た彩音。
「騒ぐなサチコ。そこで黙って突っ立てろ」
裸で立っている二人の身体にまるで金属探知機を当てるように、手のひらで二人の全身をなぞりながら彩音が聞いた。
「お前達二人ならナニか見たはず。なにを見た?」
まずはユキが応えた。
「うん、車の中に入ってきた。さっきアヤちゃんが言ったみたいな奴。身体が解けたみたいなズブズブの奴」
「どっから来た?」
「う~ん………それは分かんないな」
するとサチコが言った。
「あのアパートだよ。桂のジっちゃんが変わった番地だな~って言ったとこ。うんとね~~……ゼロ番地だって言ってた! ………ユキちゃんのってチリッチリ~」
「痛てっ………あっ……抜いた! もう………」
「ええ?! 辞める!? ………どっ、どうして? だってあなた………典子先生はウチの幼稚園に来たばっかりでしょ。いったいどうして? 辞める理由はナニ? 典子先生!!」
そこは鶴岡幼稚園の園長室。今日は月曜日だが「お泊り会」の代休で幼稚園は休みなのだが、園長の鶴岡美佐江は園長専用の大きな木製の机で仕事をしていた。そこにドアがノックされたのだ。
「……え? 誰? ……どうぞ、入って」
現れた典子先生は目を伏せたままで歩いて来ると、机を挟んで美佐江の目の前に立ち、そして1通の封筒をその机の上に置いた。退職願と書かれた封筒。
「ちょっと待って。とりあえずそこに座って。…………典子先生!! お願いだから座ってちょうだい!」
美佐江は、園長室にある応接セットに座るよう促すが、俯いたままの典子先生は立ったままで座ろうとしない。美佐江はそんな典子先生の肩に手を回し、強引に長椅子に座らせ、そして自分は一旦は真向いの一人掛けに座ろうとしたが思いとどまり、典子先生の隣にピッタリとくっついて座った。それはまるで逃がしてなるものか、というような座り方だ。膝の上に手を置てい座っている典子先生のその手をしっかりと握るという念の入れようだ。
「典子先生、どうせ退職願には一身上の都合でって書いてるんでしょ。ちゃんとした理由を聞かせて」
だが美佐江の隣に座る典子先生は俯いたままで頑なに口を開かない。それでも美佐江を振り払って園長室を出て行こうとはしないところを見ると、全部を喋ってしまいたいと思ってもいるのだろう、と美佐江は考えた。これは男絡みだな。結婚はしてるけどまだ若いし子供もいない。それに可愛い顔してるし。幼稚園の先生って職業はストレスが溜まる。よその男と遊んでそれが本気になった? 俯いたまんまでモジモジしてるのが何よりの証拠。間違いなくセックスが関係してるな。もしかしたら遊んだ男が亭主より良かった? まぁ女だったら1度や2度は誰にだってあるけど所詮は遊びは遊び。私だって30代の頃には………ふふふ。けど典子先生は真面目っぽいから深刻に考えすぎてんだろうな。よし、経験豊富な女として相談に乗ってやろうじゃないの。
「時間あるんでしょ? まぁ辞めるなら辞めるでも良し。それでもさ~、せっかく縁あってウチの幼稚園に来たんだから、物も言わんで辞めちゃうのは………ちょっと頂けないな~。飲もう」
「………え?」
そこで初めて顔を上げた典子先生。そんな典子ににっこりと微笑んだ美佐江は、立ち上がって園長室に鍵を掛け、それから自分の机に戻り、引き出しを開けて何かを取り出した。2つのグラスとブランデーだ。
「貰い物なんだけどね、ヘネシーXOってブランデー………なんでもXOって10年熟成させてんだって。美味しいから飲もうよ。典子先生、飲めるんでしょ?」
「えっ……ええ」
それじゃ~乾杯と美佐江が言った直後、なにを思ったのか典子先生は一気に飲み干した。
「え……あははは……いける口なんだ。遠慮は無用、今日はとことん二人で飲もう」
アルコール度数が40度のブランデー。つまみも無しにストレートで飲めば簡単に酔う。二人そろって真っ赤な顔の酔っぱらいになるのに大して時間は掛からなかった。
「典子先生………だれとヤったのさ? 私の知ってる人?」
「え~~? やったって何が~」
「ま~たとぼけちゃって~~セックスに決まってんでしょ。旦那以外とのセッ・ク・ス。それって何人目ぇ? 初めての浮気ぃ?? ちなみにさ~……私なんだけどさ~……亭主が生きてた時ね~……へっへっへ……
3人だね、うん。3人の男とやっちゃったさ~……今となったらみ~んなイイ思い出ぇ~…………ん? どうした? 典子しぇんしぇ~どうちたのぉ?」
酒に酔って真っ赤な顔の典子だが、目がいきなり座った。
「私………犯された」
「えっ…………えええええ??」
「お泊り会の時に」
「ちょっ…………ちょっと………ええええええ??」
「そいつ………私を犯した奴………人間じゃない」
「はい? ………それって………どっ、どういう意味? まさか動物?」
「違う!! 生きてる男じゃなかった!! ライオン組で………ソイツに犯されたのに私……私……自分から……」
そう言って園長室から出て行ってしまった典子先生。残された美佐江は酔った頭で必死に考えた。生きてる男じゃなかったって……だったらナニ? ええ? 生きてないなら死んだ男ってこと?
「バカな。そんなバカな話し………あるはずが……」
急に何かを思い至ったのか、美佐江は机に飛びつき、引き出しの中にある手書きの住所録を取り出し、どこかに電話を掛けた。酔いは一気に醒めていた。
「…………もしもし、薫子先生? ………あ~良かった~~……もしかしたら引っ越して電話番号も変わってるかもしれないと思ったんだけど………鶴岡幼稚園の美佐江よ。元気だった? …………うん、私は元気。あいかわらず忙しいけどね。あのね、ちょっと聞きたいことがあって電話したの。………ちょっと変な話で申し訳ないんだけど………私と薫子先生の仲だから聞くんだけど……………うん、セックスに絡む話し。まさか薫子先生………ウチの幼稚園に居た時に………犯されたってこと……ないよね?」
薫子先生は鶴岡幼稚園に勤めている時には独身だってこともあり、けっこう男関係が派手で園長の美佐江に何度も相談していたことがあった。そんな薫子先生が「一身上の都合」という退職届を郵便で送りつけてきてたのだ。頭にきた美佐江は薫子先生とは一切の連絡を絶っていた。
「どうして知ったの? 私………誰にも喋ってない……………それに思い出したくない」
「お願い、電話切らないで!! 実わね、あなたの代わりに雇った先生が、お泊り会の時に犯されたって。それも人間じゃないヤツに………」
「それ………ライオン組で……だよね。………………やっぱり。うん、ライオン組にはナニかいる。私の場合は………けっこう遅くまで色々と準備していることあったの覚えます? ……………うん、そう。子供たちにこんなことしてあげたら喜ぶだろうな~って思ったら、どうしてもやってあげたくて、人形劇のお人形さん作りとか、自分で考えたストーリーの紙芝居とか作っちゃって、何度か徹夜になって………ある日の夜に、ライオン組で作業してて、ちょっと仮眠取ってたら金縛りにあって…………そのまま……ヤられた。あれは……なんて言ったらいいんだろう………ハッキリ言っちゃうけどね、病みつきになりそうだった。だから辞めたの。退職届の郵送なんて凄く失礼だって解ってたけど………もう鶴岡幼稚園には行けなかった。行ったら私………」
それ以上は喋らなくなった薫子先生。電話口で泣いているようだ。きっともっともっと鶴岡幼稚園で働きたかったのだろう。美佐江は、ごめんね、へんなこと聞いちゃって、といって電話を切った。