やって来た幸運
「ところで、グワラニー様」
側近の男は少しだけ顔に緊張の色を見せて、妄想の森を楽しそうに彷徨い始めたグワラニーに声をかける。
「あの渋い王から領地を与えるという言葉をよく引き出せたものですね」
「それか……」
あの場に立ち会っていなかった男の言葉でその時の愉快な光景を思い出したグワラニーはこれまでで一番ともいえる黒い含み笑いを見せながら答える。
「国内に反乱勢力の拠点ができぬよう最高幹部のガスリンやコンシリアにさえ領地の所有を認めていなかったのだ。王だって本当はそうしたくはなかったのだろう。だが、あの場を収めるにはもうそうするしかなかった。まさにコンシリアさまさまだ」
そう。
実はあの日のグワラニーの言葉には続きがあったのだ。
そして、その続きの言葉がこれである。
「ですが、条件があります」
「言ってみろ」
すでに勝った気でいるコンシリアは先ほどの失態を取り戻す必要もあり、あからさまに自らの度量を大きく見せるため傲慢そのものといえるその言葉でそれに応じる。
一方、単純な脳筋をあっさりと罠に嵌めた形となったグワラニーは深く頭を下げ完璧なまでの感謝の言葉を述べたものの、見えないところでどす黒い笑みを浮かべていた。
……まさか、こんなところでどうしても必要だったノアの箱舟が手に入るチャンスがやってくるとは。
心の中でそう呟いたグワラニーがゆっくりと口を開く。
「たとえば、私ひとりがクアムートに移り住むのなら問題ありません。ですが、将軍の要求は、私だけではなく私の家族と私の配下にある全員。さらにその家族まで。その全員がクアムートに強制的に住まわせるとなれば当然それなりの根拠と特典が必要となります。なにしろ彼らの多くはこの王都やその周辺に自らの家を持ちその土地で友をつくり生活しているのです。そのすべてを捨ててクアムートに移り住むことを要求しなければならないのですから」
「まあ、当たらずとも遠からずと言ったところか。いいだろう。聞いてやる。おまえが望むものとは何だ?」
「まず、この命令を陛下からいただきたい。配下とその家族全員にこれまでの生活のすべてを捨ててクアムートに行くことを納得させるには私はもちろん、申しわけないのですが将軍の言葉であってもまだ軽い」
「……だが、陛下からの命令とあれば全員が動くと?」
苦り切ったコンシリアの言葉にグワラニーは重々しく頷くと、すぐ近くにいるその人物には目を向けることなく言葉を続ける。
「そのように私に命じていただくように将軍から陛下にお願いしていただきたいのです。それから、もうひとつ。陛下のその言葉には我が配下がそこに移り生活をするという希望と決意を持たせるだけの何かを加えていただきたい。具体的には……クアムート周辺を我が領地としていただきましょうか」
「図に乗るな。そんなことできるわけがないだろう。そのような高望みは貴様が陛下に直接お願いしろ」
当然のようにやってきたその言葉。
だが、これこそが突然沸いて出た好機を見逃さず一気に組み上げたグワラニーの策の中核となるもの。
引くはずがない。
毅然としてそれを拒否するように言葉の鎖を引く。
「いいえ。私だけではなく配下やその家族までクアムートに移住せよという極めて理不尽な命令をしたのは将軍です。それに対する最低限の要求であるこの条件を陛下にお願いするのはその命令をした将軍がやるべきことです」
「馬鹿々々しい。では、前言を撤回する。貴様ひとりがクアムートに行け」
「そうはいきません。私はすでに将軍の命令を承諾しています。それなのに将軍は自らが口にした言葉に伴う義務を果たさない、いや果たせないばかりか、それをなかったことにするため自らが一度口にした言葉を簡単に翻す。これはまさに無能で下劣な人間でもそう簡単にはおこなわない恥ずかしい所業と言わざるを得ません」
「そして、これほどのことを易々とやってのける方が恥ずかし気もなくこの神聖な場に存在しているとは驚き。いやいや、下劣な人間でもできないような恥を恥と思わぬこのような言動はコンシリア将軍以外の誰にもできぬこと。まさに感服の極み」
「き、貴様。言っていいことと悪いことがあるぞ」
「では、これは言ってもよいことでしょうね。すべてが事実なのですから」
「なんだと。死にたくなければその言葉を今すぐ取り消せ」
「ふたりともそこまでにしろ。とにかく、そういうことであれば、私からグワラニーに命じることにする。おまえはおまえの配下、それからおまえと配下の家族とともにクアムートに移り住むことを命じる」
再び始まったそれは果たしなく続く、そうでなければ、挑発に乗った一方の激発で双方にとって悲劇的な結末を迎えるしかない。
誰もがそう思ったその時、それを止めた言葉はその場を支配する者からの口から発せられたものだった。
「そのうえでグワラニーに尋ねる。つまり、おまえはクアムート城主の地位を所望しているのか?」
続いてやってきたあきらかに疑念の思いを香らせるその声にグワラニーは恭しく、だが、きっぱりと答える。
「いいえ。城は陛下のものでございます。私が望んでいるのはあくまで配下の者とその家族を住まわせる土地。陛下が僕である臣下に土地を分け与えた前例がないことは承知のうえで申し上げます。現在の家を捨て陛下から賜った土地に住むよう我が配下たちに説得するためクアムート城東方に広がる平原を領地として私に与えてくださるようお願いいたします」
「そして、そこに新たな城をつくるのか?」
「いいえ。先ほど申しましたとおりクアムートを抜くことがイペトスートへの唯一の侵攻経路だったこの方面の最大の敵ノルディアは無力化されたうえ我々の盾としての役目を果たすだけとなり、もはや脅威とは呼べません」
「残るもうひとつの可能性も、かの国の王は元々不凍港を目指し南下政策をとっていたためその目が王都よりも北に向く心配はほぼありません。万が一彼らがやってこようと不落の名城クアムートと現在の城主プライーヤ将軍がおられるかぎり心配することは何もございません。あらたな城は不要。私は配下たちと暮らすに不自由がない程度の住処を建てるだけでございます」
……明敏なあなたは、これ以上の会話は不要なことはすでに気づいているはず。
……なぜなら、この話はもう詰んでいる。
……まあ、コンシリアの暴走の巻き添えを食ったあなたにとっては不本意の極みでしょうが。
グワラニーは顔を伏せながら心の中でそう言って待った。
それを。
そして、グワラニーが待ったそれは考えていたよりも少しだけ遅くやってくる。
「……すべて承知した。クアムート城の北と東の土地をグワラニーにクアムート防衛戦での圧倒的勝利とその後におこなったノルディアの無力化工作に対する褒美として特別に与えることにしよう。あわせて、プライーヤが守るクアムート城を含むその方面に対する警備はおまえの責任下でおこなうものとする。よいな」




