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脱走

作者: 南雲泰斗

三年前、俺は狂っていた。

地蔵は寄ってきて話しかけてきた。

壁は明確な殺意を持って俺を睨み、床は血で塗れていた。

地蔵は何体も壊した。壁は一度も破れなかった。

空は青かった。


南雲泰斗、という名前は俺の中で特別な意味を持っていた。

それはもちろん自分の名前だからという意味もあったが、もう一つ、重要な意味があった。

春先、学園に編入した俺に降りかかった災難は、その名前がなければ起こることはなかっただろう。

晴れ渡る青い空、南に雲がひとつ。

そんな日に、俺は東明学園に足を踏み入れた。


自己紹介、なんてものを求められても俺には語るべき自分がなかった。

仕方がないので、自分の名前に関連してちょうど今南に雲があるんだよ、などとどうでもいいことを言って場を凌いだ。

「では、南雲君はあそこの席ね」

女教師が言う。俺は席に着いた。

「で、なんなんさっきの。ダダ滑りだったけど」

席に着いた途端、隣の女生徒が声をかけてきた。どうやら、場は凌げていなかったらしい。

俺は照れの感情を強く感じた。曖昧に笑って頭を掻く。

女生徒は目を細めた。そして周りの別の女生徒に耳打ちする。何かまずいことをしたのだろうか。軽く焦燥感を覚える。

その後は特に何も話しかけられず、朝のHRは終わった。

編入生、なんていうのはどこに行っても特別扱いを受けるらしく、HRが終わると同時に生徒がたくさん寄ってきた。

俺は器用なことに照れと喜びと不安という三つの感情を覚えたが、尿意を覚えたのでトイレに向かった。

トイレには三人の男子生徒がいた。彼らは俺に興味を持ち、親しげに話しかけてきたので俺は喜びをあらわにした。

「ははははは」

笑いながら頭をど付き合った。

編入初日から楽しかった。尿は出なかった。


「君、南雲君だよね」

学園にも慣れてきた頃、廊下で一人の男子生徒が俺に話しかけてきた。

彼は眼鏡をしていて背も高くスマートだったため、とても頭がよく見えた。

「僕は東原っていうんだ。ちょっと付き合ってくれないかな。南、探してたんだ」

俺は結構頭の回転が早いので、彼が俺の名前に入った南の文字に興味を示したことはすぐわかった。

「北と、西は?」

ちょっと驚かせてやろうと、俺は先読みして質問をした。

だが、残念なことに彼はたいした反応をみせずに答えた。

「北條と、葛西」

それには何の感情もこもっていないように感じられた。狂っている。

「狂っている」

俺は彼を指差して言った。彼はすこし驚いたようだった。

彼は感情を持っていた。俺は安堵したり驚愕を浮かべたり妬んだりした。

結局、俺は彼に連れられてひとつの部屋にやってきた。

方角研究会、というプレートがドアに掛かっていた。

俺は首を捻ったが、すぐに体中に電撃を走らせた。

わけのわからない名前だったが、頭の回転量の問題で俺にはすぐ意味がわかった。

四つの方角の名前を持った人を集め、方角とそれが及ぼす人類への害を研究する会なのだろう。

俺は自分の頭の良さに激しく恐怖、快楽の双方の感覚を覚えてみた。

ちげーよ。

頭の中の誰かが言った。

その日は北條と葛西に会って終わった。東はまだ揃わない。誰か編入してこないかな。


「君、南雲君だよね」

ある日、廊下で一人の男子生徒に声をかけられた。

少し太っているが、腕周りは筋肉で覆われていて、とても男らしく見えた。

「僕は雨宮っていうんだ。ちょっと付き合ってくれないかな。雲、探してたんだ」

俺は例によって頭を回して、それから理解した。

「こっちだろ、言われなくてもわかってるよ。晴野とか雪川とかいう感じのやつもいるんだろ。ネタはわれてんだよ」

雨宮は目を見開いていた。俺は得意げになっていた。

「温めますか」

レジで店員に尋ねられた。

俺は腹が減ったのでコンビニに来ていた。

晴野と雪川は部室で寝ていたので放置してきた。

弁当の温め方がわからなかったので、俺は他のお客さんに訊いて温めた。


こうして、俺は二つの部活に所属することになってしまった。とても大きな災難だ。災害の一種かもしれない。

その部活のどちらかは、明らかに違法なことをしていた。

俺は警察の人に追いかけられていた。

部室にあったボールペンは俺のものではなかったが、それが窃盗品だったのだという。

俺は事情を話した。

「何を言っているんだ、早く来なさい」

俺は警官が笑いかけてきたので飛びついた。だが、体のバランスが悪く俺は転んだ。手をつくことはできなかった。

「あっははははは」

あまりにも滑稽な転び方だったので俺はおかしさを堪えられず、腹を抱えて転げまわった。

ちょうど隣を車が通りかかったので危うく轢かれるところだった。

俺は左手を軸にして左手の力で立ち上がった。

近くにいた警官に笑いかける。

あまりにもおかしかったので、このおかしさを誰かと共有したかったのだ。


三年前、俺は狂っていた。

一昨日、俺は狂わなかった。

地蔵はその日、いつもより数が少なく、壁は俺の三年に及ぶ攻撃によって大分消耗していた。

俺はその場にあった地蔵と壁をすべて壊して空を見上げた。

空は青かった。

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