少女の夢
平和は、人の気を紛らわす偶像に過ぎない。
幾百の気候が存在し、幾千の国が存在している大陸、ムーリア大陸。
あるところには森、あるところには湖、さらにあるところには砂漠と、あらゆる景色が一つの大きな島に凝縮されている大陸である。
周りは大きな海に囲まれ、海の向こうに行ける人は限られている。
この大陸の国々は、互いが互いの短所を補いながら生活していた。
いや、補いあうしか生き残る手段はなかった。
僅かな場所の違いによって環境や得られる資源が大きく違うこの大陸では、互いの余剰生産物を交換しあうほかなったのだ。
冬が来る前に温暖な国と国交を結べなかった国は、その吹雪と寒波で凍えながら滅びた。
夏が来る前に寒冷な国と国交を結べなかった国は、その灼熱と熱波に晒されながら滅びた。
どんなに強い国でも、独立した状態で季節を前にしては一つの軍配を上げることができなかった。
その中で、永遠に国を残すことを強く志した国家たちは、その同志たちが集い特別根強い国交関係を結んだ。
関係を結んだ国家はすべてが大きく、立場の高い国であったことから、周りの国々はその関係を「列強国家」と呼んだ。
この物語は、列強国家に所属するの二つの国の少女たちと、ムーリア大陸で最も醜い国で生まれた少年の、旅の記録を残した、いわば伝記である。
理解に苦しむ場面もあるだろう。目を瞑りたい場面もあるだろう。
さあ、それを知識だと考え、それを期待し、それを覚悟し始めている読者諸君。
書き手はこのマリアがお届けしよう。
〇〇〇
「ねえ、クーラ、あなたの『シーブルク』という国はどのような国なの?」
ここはムーリア大陸の端に近い山脈に位置する国、その名はガレス。
そして今話しかけたのがガレスの王家ヴェスムハイトの血を持つ第三王妃、ベリーセ・ウ・ヴェスムハイトだ。周りからはベリーの愛称で親しまれたいる。
太陽の光に反射している輝かしい金髪がベリーの自慢で、エメラルドのように綺麗な色をした目は彼女の幼さの特権であり象徴である。
だがその幼さとは反面、自分は将来この国を大きく支える柱の一つだということを自覚していて、城下町に出かけるときにはどんな国民にも挨拶することを忘れない元気で心優しい少女だった。
国民もまたベリーのことを愛している。老若男女が彼女を国の宝として考え、彼女の身に何かあった時には、男はすぐさま城へ赴き、女はすぐさま家で祈るほどにその愛は重かった。
「そうね...毎日いろんな国から新しいものが来るから、毎日が冒険でとても楽しい国よ」
ベリーの話相手をしているのは、ガレスと共に列強国家に所属しているムーリア大陸で一番の大国、『シーブルク』の第二王妃のクルベリ・ア・ヴェスムハイトだ。ベリーとは遠い親戚の関係である。
言いにくい名前なので、昔からベリーにはクーラと呼ばれていた。
ヴェスムハイト家の歴史は長い。その一族の中でシーブルクを抜け出し、新たな地で国を興した者がいた。それで出来上がったのがガレスだ。
すでに数えられないほど昔の出来事なのだが、それでもどちらも列強国家に所属しているからかガレスとシーブルクには強い関係性があった。
シーブルクはガレスと完全に反対側に位置するにも関わらず、この関係を絶だすまいと一年に一回ガレスに使節団を送っていた。そしてクーラは毎年その使節団に参加していた。
つまりは、今はベリーにとって一年に一回だけのクーラと遊んだり話せる楽しい時間なのだ。
ベリーとクーラの年を比べると、クーラのほうが三年上だ。だが二人にとっては三年の年の差などないに等しいものであった。
「そうなの!?毎日新しいものがくるって、例えばどんなものがくるの?」
ベリーの最近の流行りは新たなことを知ることだ。朝早くに起きてから図書室に籠っては、夜遅くまで図鑑を読み漁ってそのまま眠ってしまっている。
王妃にはありえない生活習慣で実際に父も母も頭を悩ませているが、自分から学びたいというその意欲は捨てさせたくないので優しく目を瞑っている。
知りたいことは図書館に行けばなんでも知ることのできたベリーだったが、いくつか図書館に無い情報もあった。そのうちの一つが『国』だ。
広大なムーリア大陸の国すべてを一つの本に残すには莫大な労力とそれに見合った金が必要になる。それに加えてガレスは山の中に位置していて外側からのアクセスが悪い。新しい本を買うのにも一苦労する。
ベリーにとって国を知る手段は地図しかなかった。
だが地図も知れるのはあくまでも見た目と立地と名前だけだ。それだけではベリーの知識欲を満たすことはできない。
それで恰好の的となったのが、クーラだ。
クーラはシーブルクから来た友達であり、まだベリーが知らないことをたくさん知っている貴重な情報屋でもある。
一秒でも早く国について知るために、ベリーはクーラが使節団としてくることを今か今かと待ち望んでいたのだ。
そして今がその時である。ベリーはクーラと対面した瞬間には聞かず、クーラと会えたこと、これからいろんなことを知れることへの嬉しみのあまりクーラの手をとり大きな庭園で走りだした。
そしてやっと一周すると、草の生い茂った野原に寝転んで荒い息を上げながら、その質問を聞いたのだった。
「数えきれないほどたくさんあるけど、最近見たもので一番驚いたのは白い熊ね。雪と同じくらい白くて
、寒いところでも平気な顔で生活しているらしいの!」
クーラも荒い息を整えながらベリーの問いを返した。
「白い熊...雪と一緒の色...!」
クーラの話を聞くなり、ベリーの緑色の目により一層輝きが走った。
ようやくこれから知らないことをたくさん知ることができる。そう判断したベリーは荒かった息を一転して大きく息を吸い込み、その喜びをもう一度か嚙み締めた。
「他には!?他にはどんなすごいものがくるの!?」
もう休み終えたのか、ベリーは寝転んでいた体を起こした。
ベリーの好奇心は、国だけでなくムーリア大陸全土の未知にまで広がっていった。もはや、国以外のことでも新しいことを聞けたらなんで良いようなテンションだ。
クーラもそれに答えるようにベリーにいろんなことを教えた。
今研究されている石炭で動く鉄の馬、飲むととてつもなく苦い代わりに様々な栄養素を一気に蓄えること
ができる薬、まだ感じたことのない味がずらりと並ぶ調味料たち。
クーラの話を聞けば聞くほどベリーはさらにその魅力にひかれていき、胸をどんどんと熱くしてクーラに食らいついていった。
〇〇〇
「そういえば、ベリーは国について聞きたかったのじゃないの?」
もう日も暮れかけるころ、ようやく話がひと段落ついたときに、クーラは以前ベリーの父親に言われたことを思い出した。
「ーーー彼女の知識欲を満たしてほしい。それができるのは国の外から来ているかつベリーと仲の良い君だけだ」
クーラはもともと彼の願いを叶えるためにベリーに会いに来たのだ。それがいつの間にか、ベリーのペースに押されて違うことを話してしまっていた。
ベリーはクーラの話にとても胸を躍らせて満足している状態だが、クーラが話したのはまだクーラの頭の中の半分にも満たない、
「あ!そうだった!私、あなたに国について聞くつもりだったの!」
ベリーはどうしてそれを今まで聞かなかったのだろうと後悔した。だが今は夕方。使節団も帰国する準備を整えている。
「でももう時間もないね...、そうだ!じゃあ一つだけ、私が知りたい国を教えて!!」
クーラは首を傾げた。幾千もある国の中でも、それを差し引いてベリーが唯一知りたい国とは一体どこの国なのか。
だが、クーラはもうすでに答える準備をしてベリーに笑顔を見せながら静かに頷いた。
「クーラが一番好きな国を教えて!!」
ガレス国内に二回鐘の音が鳴り響いた。使節団が出国する十分前の合図だ。
クーラは、数秒の間黙り込んで考えた。
一番好きな国。
クーラは今までいろんな国のことを見てきた。その中で一番を決めることは、どんな疑問を教えることよりも難しいことだった。
記憶を遡る。決められない景色の中の一番。今までで最も興味をそそられた国。それはーーー
「砂漠に位置する国、ライトールよ」
クーラがそう答えたあとも、少しの間沈黙が二人を包んだ。
「大丈夫、クーラ?なんだか顔色が変だよ?」
その沈黙を破ったのはベリーだった。
ベリーの声によって、クーラはようやく自分がずっと黙り込んでいたことを自覚した。
クーラが困惑している最中でも、世界の時間は続いてゆく。
「え、ええ。大丈夫よ。多分、遊び疲れているだけ。それで、ライトールは、とても広大な国なの。だから色んな人たちが一緒に暮らしていて、いろんな考えがある。それに、食べ物がとても美味しいの!」
ベリー自身も今日だけで一週間分の知識をつぎ込んで疲れていたが、ライトールの話はそんな彼女の活力を復活させるには十分すぎるほどに魅力的なものだった。
「へえ、それは素敵な国ね!とても広いなら、馬に乗って走るととても心地いいんだろうなぁ...」
ベリーは頭の中で想像した。
広い大地を馬に乗って駆け抜け、心地よい風を浴びている自分。いろんな人と仲良くなって、いろんなものを食べて、幸せな気分でいる自分。
考えれば考えるほど胸が熱くなって破裂しそうになるのを、胸に優しく手を添えることでなんとか阻止した。
「...それに、ライトールにはまだたくさんの特徴があるの!だけど、だけど今は教えない。わたしは、ベリーが実際にライトールに行ったときに、それを知ってほしいの」
クーラは、ベリーをそっと見つめていた。
「私が...行く...」
ベリーがクーラの言葉を輪唱した。
「私が...行けるかなぁ...?」
ベリーはその幼さを最大限に使うようにその首を可愛らしく傾げた。
ベリーはまだ子供だ。ガレスより外に出たことはまだ一回もない。
「行けるよ。ベリーも四年後には十五歳になってる。ガレスは十五歳で出国権が下りるから、その時に使節団としてシーブルクに行けばいい。そうすれば、途中でライトールの景色を見ることができるわ。ライトールだけじゃない。ガレスからシーブルクへの道のりは長いから、それこそ冒険のように思える。きっと、ベリーが初めて見るもので溢れかえっているわ!」
やっと収まったはずのベリーの胸の鼓動が、またさらに強くなった。
感動のあまり、もうベリーには声を出す余裕もなかった。
だが、彼女の赤く染まった顔や耳、何よりその希望に満ちた笑顔を見るに、とてつもなく興奮していることはクーラでもわかった。
ガレス国内に、大きな鐘の音が一回だけ鳴り響いた。使節団が出国する合図だ。
「う...私はもう行かなくちゃ。ベリー、あっという間だったけど、もうさよならね」
クーラはベリーに背を向け、使節団の方へ歩き出した。
「...で」
去る直前、クーラが何かを呟いた。だが、ベリーがそれに気づくはずがない。
ベリーは未だに、彼女の感情に支配されていた。
ベリーは一人になった。だが、何故か寂しさは感じない。
強い風が吹いた。
それは、ベリーの四年後の旅立ちを鼓舞するものか、そうでないものか。