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8.侯爵家訪問



 貧乏な我が家は、それでも小さな領地を預かる男爵家として、それなりに大きな屋敷を有していた。

 前世の感覚で言えば、三階建ての広さを誇る洋館だ。

 残念ながら手入れはほとんど出来ていないが、それでも貴族として恥ずかしくない広さの屋敷だと思っていた。

 だが、目の前に建つ屋敷は、まさに宮殿という名がふさわしい佇まいだった。

 五階建ての建物が左右に広がり、案内された玄関ホールでさえ我が家がすっぽり入るのではないかという広さだった。

 思わず、あんぐりと口を開けて見渡せば、「うちより広い家はもっとあるよ」とルドルフが言うのだから、高位貴族は本当に恐ろしい。


「こっちだよ、フェル君」

「あ、はい……」


 立ち並ぶ執事やメイドさんに恐縮しながら、私はルドルフの先導で二階にある客間へと案内された。

 すると、中には既に一人の男性がいた。白い神官服を纏った二十歳前後の男性だ。

 多分彼がルドルフの言っていた二番目の兄だろう。


「やぁ、君がフェル君かい?初めまして。私はバーミリオン・アンブローズだ。バーミリオンと呼んでくれ」

「初めましてバーミリオン様。フェリシア・コルプシオンと申します」


 悩んだ末に正式名を語った私は、男性用のボウ・アンド・スクレープではなく、女性用のカーテシーを披露した。ドレスではなくパンツ姿なので完全とは言い難いが、この仕草で二人とも意味は分かるだろう。

 案の定、私を男だと疑いもしなかった二人は、目を見開いて固まった。

 そんな姿でも上品なのは、さすが侯爵子息だ。大口を開けてこの屋敷を見ていた私とは大違いだった。


「ちょっと待って…、フェル君……、いや、フェルさん……?」

「な、何を言ってるんだ、ルディ……。この場合はそう、たぶん、フェリさんだ」


 うん、二人とも奇妙な程に動揺しているのが分かる。今は私の呼び方を悩んでいる場合ではないかと思うのだが、二人は気付いていない。

 というか、彼らはこのように分かり易い態度で大丈夫なのか?

 動揺し過ぎではないだろうか?

 ちょっとアンブローズ家が心配になるほどだ。


「えっと、わたくしの事はフェリシアとお呼び下さい」

「そ、そうだね!そうだよ!ご、ごめんね、フェリシア嬢!」

「いいえ…。こちらも今まで無礼な態度を取り失礼致しました」


 言葉使いも令嬢用のものに切り替えて頭を下げれば、ルドルフは目に見えて動揺した。目がせわしなく動いていて分かりやすい。


「ま、まぁ、立ち話もなんだし、座ってくれ」

「はい…」


 返事を返しながら、薦められてソファーを見る。綺麗な布張りのソファーで、こんな小汚い格好で座るのは憚られるほど高そうだ。汚したくない。

 仕方なく持っていたハンカチをソファーヘと敷き、その場所に腰を下ろした。


「すまない、何かソファーに汚れが?」

「いえ、このような服で汚してはまずいと思いまして…」

「そんな事は気にしないでくれ。ソファーなど誰が座っても汚れるものだ」


 確かに子どもが座れば何かを溢すかもしれないが、誰が座っても汚れるというのは大げさに感じた。

 だが、ふと我に返る。

 私、子どもだったわ……。


「と、ところで君のその髪はカツラかな?」

「いいえ、地毛です。邪魔なので切りました」

「邪魔なので、切った……?」


 理解不能な様子で呆然とするバーミリオン様。隣のルドルフも奇異な眼差しを私に向けてくるし、室内にいる侍女や執事も同じような顔をしている。

 だが、年若い侍女だけは、痛ましそうな表情で私を見ていた。多分彼女は金の為に髪を売る女性がいることを知っているのだろう。


「切った髪で作ったカツラは自宅にありますので、普段はそれを被っております。本当は売って換金したかったのですが、兄に泣きながら止められたので……」

「……誰でも止めるよ」

「そのようですね。短い方が洗うのも楽だと思って切ったのですが、まさかあそこまで兄が泣くとは思わず……」

「……お兄さんの苦労が偲ばれる……」


 その件に関しては非常に私も後悔しているので、もうこれ以上は蒸し返さないで欲しい。

 それよりも、私は早く本題に入りたいのだ。


「ところでバーミリオン様は神官をされているとお聞きしましたが…」

「あぁ、そうなんだ。その件で君と話がしたくてね」


 言いながらゆっくりと手を上げたバーミリオン様。

 それを合図に、小さく一礼した執事や侍女が部屋から出て行く。

 どうやら人払いをしてくれたらしい。


「君がコルプシオン家の令嬢という事は、もしかして君が聖女なのだろうか?」

「いいえ。聖女は私ではなく、姉になります」

「お姉さん?」


 私の足りない説明をカバーするように、ルドルフがこれまでの状況を語る。


「フェリシア嬢は姉君を聖女にする為に、予言の手紙を教会に送り兄君と共謀して噂を流していたようですね」

「なるほど……。では、姉君に聖女としての能力はないと?」

「いいえ、姉が聖女なのは間違いありません。今までに、ブリューゲル領の水害と、王都の城壁破損事故を予言しています」

「本当かい?!」

「はい、間違いございません」

「では、彼女こそ神託にあった予言の聖女に間違いない!直ぐにコルプシオンに向かわねば!」


 興奮した様子で立ち上がったバーミリオン様を、ルドルフが慌てて引きとめた。

 彼は私の忠告を当然覚えている。


「兄上お待ち下さい!彼女の話には続きがあります!」

「更なる予言かい?!」

「それもありますが、バーミリオン様、どうか落ち着いて下さいませ」


 言いながら、私は侍女が置いていったお茶を口に含む。

 いつも白湯しか飲まない私にとって、久々に味の付いた飲み物だ。

 美味しい…というか、前世を含めて思い出しても最高級なお味がする。

 得体のしれない客相手にありがたいものだ。


「フェリシア嬢、君、いやに落ち着いてるね?」

「余りにも美味しいお茶だったので」


 私の思わぬ落ち着きぶりに、ストンと興奮が収まったバーミリオン様。そして疲れた様子のルドルフが、再び私の前へと腰を下ろした。


「フェリシア嬢、君いくつだい?」

「十三歳です」

「見えないって言われない?」

「昨日言われたばかりですね」


 屋敷の大きさに驚いたものの、話し合いが始まってからの私は確かに落ち着いていると思う。

 恐らく聖女に関する話し合いは私にとって商談に近いからだ。

 今の時点で、姉を聖女に祭り上げるためには彼らの協力が不可欠。

 そう思うと、前世の自分がむくむくと顔を出す。


「ルドルフ様にはここに来る前にご説明しましたが、姉が聖女であるのは間違いないと思われます。ただし、聖女である姉とアンブローズ家が関わる事はお薦め出来ません」

「理由を聞いても?」

「簡潔に言えば、姉が稀に見る悪女だからです」


 そこから私は、姉がどういう人物であるか、我が男爵家にどのような災難が巻き起こっているかを詳細に説明した。

 途中で何度も『本当に?』『嘘はいけないよ…』『そんな女がいるのか?!』と聞いてくる彼ら兄弟に、何度も何度も今起こっている事を説明する。

 多分、姉の説明だけで軽く一時間以上は掛かった。


「ルドルフ様はある程度私に声を掛ける前に私や兄のことは調べておられますよね?」

「………この一ヶ月の行動だけは…」


 言葉を濁す彼は、私や兄が王都でどういう生活をしているのか知っているのだろう。

 もしかしたら、領地へ帰る道中も監視されていたかもしれない。


「それを踏まえて、私の話は嘘だと思いますか?」

「いや……」


 小さく言葉を濁し、ルドルフは黙り込む。

 そして暫くの逡巡の後、バーミリオン様へ向かって言葉を紡いだ。


「兄上、フェリシア嬢も彼女の兄君も、王都から領地までは毎回野宿でした」

「野宿?!女性なのに?!いや、そもそもフェリシア嬢はまだ子どもだ!」

「はい。ですが、僕が尾行させた二回共に野宿です。王都では商業ギルドに顔を出す以外、毎回宝飾品を換金しては古着や食糧を買って帰るだけでした。コルプシオン家に出入りしているのは知っておりましたが、ずっと使用人だと思っておりました」


 使用人に間違われるほど、私や兄の格好はみすぼらしかったということだ。


「……フェリシア嬢はずっとそんな生活を?」

「今はまだパンが食べられるだけマシです」


 そう口にした瞬間、バーミリオン様の瞳から滂沱の涙が流れた。


「フェ、フェリシア嬢……、す、直ぐに食事を用意させるからっ!」

「大丈夫です!朝はちゃんと食べましたので!」


 慌てて辞退すると、今度はルドルフからするどい視線が飛ぶ。


「何を食べたんだ?」

「えっと、パンを…」

「パンと?」

「………だからその…、パンを……」


 パン以外口にしていないと言えば、止まり掛けていたバーミリオン様の涙が止まらなくなり、ルドルフの目が怖いほどに釣りあがる。

 そして、傍にあったベルを手にとったルドルフが、それを景気良く鳴らした。途端にワラワラと入ってくる使用人達。


「クッキーでもサンドイッチでも何でもいい。何か軽食を至急持って来てくれ」

「かしこまりました」


 泣く青年と不機嫌な青年。

 そして、どうしたものかと視線を彷徨わせる少年もどき。

 それでも顔色を変えることなく即座に対応した使用人はさすがだった。

 そのお陰で、十分後には、豪華なアフタヌーンセットがテーブルに置かれる。


「さぁ、フェリシア嬢。好きなだけお食べ…」

「は、はい…」


 涙ぐみながら勧めてくれるバーミリオン様に逆らえず、私は目の前に置かれたサンドイッチに手を伸ばした。

 そして、恐る恐るそれを口に入れる。


「お、美味しい……。生野菜食べるの久しぶりかも……」


 この世界に生を受けて早十三年。

 日持ちのする根菜ばかりで、たまに食べている葉物もキャベツが中心だ。

 レタスのような足の早い葉物を生で食べられる機会など早々になかった。


「この果物も美味しいですね。さすがは侯爵家です」

「……うんうん、もっと食べて…」


 久しぶりのまともな食事を堪能していると、部屋にいる人間の視線が集中している事に気付いた。

 ヤバイ、食べ方が汚かったかも……。

 焦って周りに視線を向けると、ハンカチ片手にグズグズしているバーミリオン様と、泣きそうな顔を必死で我慢しているルドルフ。そして目尻に涙を浮かべている使用人さん達がいた。

 どうやら完全に可哀想な子認定されている。


「一人だけバクバク食べてすみません。えっと、それよりも、お話の続きなのですが…」

「食べてからにしないか?」

「いえ、もうお腹一杯なので……」

「そうか……。では、もう一度人払いをして……」


 そうルドルフが言い掛けた時、廊下から慌しい音が聞こえた。

 足音が近づいてきたので、どうやら誰かがこちらに向かって来るようだ。

 誰だろう?と首を傾げた瞬間、バンっ!と勢い良く扉が開いて派手な顔立ちの美少女と、落ち着いた大人の女性が入ってくる。


「ルディ!例の髪の保湿剤を確保したというのは本当なの?!」

「ルドルフ、ちゃんと今後の仕入れについても話して来ているのでしょうね?」

「姉上、母上…、来客中です……」


 ズカズカと遠慮なく入ってきた二人は、ルドルフの言葉で途端に表情を変えた。

 そして、ソファーに座っている私に慌てて視線を向ける。


「あらっ、ごめんなさいね……。もしかして貴方があの商品を扱う商会の方かしら?」

「はい、侯爵夫人。フェリウス商会のフェリシアと申します。この度はわたくし共の商品をお気に召して頂き、誠にありがとうございます」


 慌てて立ち上がり挨拶をすると、クワっと目を見開いた侯爵夫人が直ぐさま近くまで寄ってくる。


「あの商品、大変素晴らしいわ。特に髪の保湿剤は最高よ」

「ありがとうございます」

「それで、ルドルフはちゃんと買えたのかしら?」

「手持ちの物は全てお譲りさせて頂きました。今は今後の納品の件についてご相談させて頂いております」

「あらぁ、そうなの?!うふふ…、今後とも宜しくね」

「もちろんです。こちらのお品を逸早く目に留めて頂いたルドルフ様には、優先してお譲りしたいと考えております。…………ただ、残念ながらまだ量産体制が確立しておらず、現在は全て手作業にて製作しております。それゆえ余り量が作れない状態で、一般のお客様にはお売り出来ない状況です」

「分かっているわ。秘密なのね?」

「はい。その代わり、奥様やお嬢様方がお困りにならない量は特別に納品させて頂きます」


 特別を強調すれば、機嫌よく奥様は頷いた。

 お嬢様も上機嫌で髪をクルクルと指に巻いてはその感触を楽しんでいる。


「今日のお茶会でも、どんな香油を使ってるのかと凄く聞かれたのよ」

「それはそれは…」

「お友達もぜひ知りたいと言ってくれたの。本当に秘密にしなきゃダメかしら?」

「そうですね。今は、アンブローズ様にお譲りする量で精一杯です。ですが、近々ギルドを通して工場と契約する予定ですので、量産体制が整いましたら是非ご紹介頂ければと存じます。……しかし、お友達にまで秘密となるのは少々肩身が狭いかと思いますので、宜しければこちらの試供品を親しい方にお渡し下さい」

「これはルドルフが持っていたものね」

「はい。これで私の手持ちは全てとなりますので、信頼の置けるご友人の方にだけお譲り頂ければ…」

「ありがとう。助かったわ。さすがに王女殿下には秘密に出来なくて…」


 さすがは侯爵家。

 ここで王家の名前が出てくるとは思わなかったので少し焦る。

 これは本当に量産体制を早々に確立しなければ拙い。悠長なことを言っている時間は無いかもしれない。


「姉上。王女殿下への献上品は母上と相談して下さい。一応、それなりの数は用意して貰ったので」

「分かったわ。では、お母様、我が家の分を確保しつつ、どう王家へと割り振るか考えましょう」

「そうね。では、フェリシア君、納品の件は宜しくね。商業ギルドにはうちからも一筆入れておくわ」

「ありがとうございます。可能な限り頑張らせて頂きます」


 いきなり侯爵家から手紙がきたら、ヒルデンさんビックリするだろうな。

 あと、王家を盾に、暗に物凄く急かされているのが分かる。

 やっぱり高位の貴族怖い。


「はぁ~~、すまないなフェリシア嬢」

「いえ、大丈夫です……」


 上機嫌で出て行った女性二人を見送り、少しだけ疲れた気分でソファーに座り直す。

 非常に濃い時間だったし、何となくアンブローズ家の力関係が垣間見えた。


「それで、どこまで話したのでしたか?」

「君の姉君の話を聞き終わったところだ」


 その言葉と共に、再び使用人の皆さんが部屋を出ていく。

 何度も出たり入ったりさせて申し訳ない。


「では、次に何故そんな姉を聖女と思うかをお話します」


 ここから先の話を信じてくれるかは一種の賭けだったが、出来るだけ分かりやすく私や兄が実際に体験したことや思ったことを話し始めた。


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