7.アンブローズ家の事情
「落ち着いた?もう大丈夫?」
「はい……、すみません。ご迷惑をお掛けしました……」
ルドルフは、私が泣き止むまでずっと傍にいてくれた。
撫でていいものか悩みながら、時々頭上を彷徨う彼の手が、彼の優しさを表していたように思う。
しかしながら、前世と現世合わせれば四十歳を越えているというのに、何とも恥ずかしい限りである。
気を張っていて普段は気付かないが、感情の起伏は肉体年齢に左右されやすいようだ。
「色々思い出してしまって……、本当にすみません……」
「…その…、君はご領主様をお慕いしてるんだね。ごめんね」
「領主は父です……」
「そっか、お父上か……って、え?!ちょっと待って!え?!本当に?!」
「はい…」
「あぁ…益々、本当にその……」
あちゃーっと護衛の騎士様も宙を仰いでいる。
「商人からの評判が悪いのは知っていましたが、まさか遠く離れた王都でそんな事を言われているとは……」
「……あぁ、本当にごめん…」
「謝らないで下さい。借金で首が回らないのは事実ですし……。けどその……、食費を切り詰めて必死で借金を返してきましたし、返済だって滞りなくしてきたつもりだったんです。領の税金だって一度も上げてませんし、だからそこまで酷く噂されてるなんて思わなくて…………」
「うん、それは君やお兄さんを見てたら分かる。いや……ホント、ごめんね……」
彼が悪い訳ではないのだから謝る必要も無いのに、愚痴のような言葉に律儀に返してくれる。
恐らく、姉の話が回りに回っての悪評だと思う。それが領主一族になっていたのは非常に遺憾だ。
もしかしたら、姉の悪評は全て妹である私のせいになっている可能性も高い。
「僕の方こそ責めるような言葉を吐きました。すみません」
「いや、いいんだ…。僕が無神経だった」
そこから二人で謝罪を繰り返し、この話はここまでで終わらせようと決まった。
ルドルフは侯爵家の人間という割には、フレンドリーで助かった。
「ところでルドルフ様。一つお聞きしたい事があるのですが…」
「何だい?」
「なぜ、ルドルフ様が聖女関連のことに携わっておられるのでしょう?」
教会の関係者が探しているなら分かるが、彼はまだ十代半ばの学生にしか見えない。
多分、年齢的に兄くらいだと思う。
そんな彼が、噂の域を出ない聖女の話の為に動いている理由も分からなかった。
「実はね、僕の二番目の兄が司教でね。二年前に聖女を探しに行ったのもこの兄なんだ」
「そうなんですか……」
「けど、折角神託があったというのに、結局聖女は見つからなかっただろう?責任を取らされる形で左遷されたんだ」
「……それは…」
「幸い兄の左遷は直ぐに解かれたんだけど、その後兄は聖女のことをずっと気にしていてね。だから、聖女が見つかれば兄が救われるかと思ってさ。今回の件も半信半疑で調べてみたら、二年前の神託地であるコルプシオンにいるとの噂だし、これはもしや…と思ってね」
「そうだったんですね。では、今回はルドルフ様のお兄様がコルプシオンに?」
「そのつもりだ。どうだろう、兄に汚名をそそぐ機会をくれないだろうか?」
聖女の認定なんて、私からすれば誰がやっても同じだ。さっさと、認定でも何でもして引き取って欲しい。
だが、聖女が見つからなかったという理由だけで左遷するような教会だ。
もし、聖女の中身がアレでアレな最悪な女だと分かったら、見つけて推薦した人間に影響があるのではないだろうか。
「もし、見つかった聖女が偽者だった場合、推薦した人間の立場は悪くなりませんか?」
「勿論なるよ。……やっぱり聖女は嘘なのかい?」
例えが悪かったのか、偽者だと言った瞬間、目に見えてルドルフはガッカリした表情を浮かべる。
「いえ、偽者ではありません。聖女としての能力は間違いなく本物です」
「だったら何も問題ないのでは?是非、兄に紹介したい」
「………正直、姉を聖女認定して頂けるなら、私達家族は死ぬほど喜びます」
「だろうね」
「ちなみに、もし姉が無事に聖女に認定された暁には、姉が成人した瞬間に廃籍して、我が家も爵位を返上する予定です」
「は?」
「確か成人は十八ですよね?つまり、学園の在学期間中で、ギリギリ縁切りが間に合うと私達家族は考えています」
「ご、ごめんね、ちょっと意味が分からないんだけど?どうしてわざわざお姉さんと縁を切るの?聖女の実家という肩書きがあれば、商売もやり易いし、もうちょっと裕福な暮らしが出来ると思うよ」
「……それ以上の厄災が降り掛かる予感しかしません」
断言した私に絶句するルドルフ。
恐らく彼は今、私の言葉の意味を必死で考えているところだろう。
「お兄様の今後を考えれば、姉の聖女認定は他の方にお願いした方が良いかと思います。その際も、自分が見つけたとは一切言わず、功績も口にしないことをお薦めします」
「い、意味が分からない……」
「本当ならこんな事は言いたくありません。私は姉を一日でも早く聖女にしたくて仕方ありませんので……。けれどルドルフ様は石鹸も全部買ってくれましたし、ハンカチも貸して下さいました。姉のせいで破滅する姿は見たくありません」
「いや、だから、ちょっと待って…っ。破滅?聖女の認定をするだけで?」
「はい。いずれ、あの聖女を見つけたのは誰だ?!と糾弾される日が必ず来ます。断言してもいいです」
「聖女なんだよね?!」
「ええ、間違いなく聖女です」
混乱したように頭を抱えたルドルフは、そのまま限界を迎えたようにその場に蹲った。
「床、汚いですよ」
「いや、うん、悪いけど、ちょっと頭の整理させて……」
その後、ブツブツと何かを呟いたきり、ルドルフはそのまま沈黙した。
そして頭を整理する事、数分。
「フェル君、簡潔に訳を教えて!」
「姉は稀に見る悪女です!でも聖女です!以上!」
「益々分からない~~~!」
「詳細を説明しても良いですけど、長くなりますよ?」
「……それなら申し訳ないけど、うちに来てくれないかな?椅子に座って話をしたい」
確かに、こんな何もない部屋に侯爵令息をいつまでも立たせている訳にはいかない。
護衛の騎士さんも落ち着かないだろう。
しかしながら、昨日会ったばかりの人間の屋敷に行くというのは躊躇ってしまう。
それに、うっかりこちらの事情を話してしまったが、下手をすれば姉を聖女にする計画が駄目に成りかねない。
それだけは断固として阻止したい。
「その…、詳細を話すのは構わないのですが、それが原因で姉が聖女に認定されないのは避けたいのですが……」
「いや…でも…、悪女なんだよね?」
「悪女です。でも、聖女です。だから、悪女という理由で聖女に認定出来ないというお話なら、僕はこの件を他の方に持って行きます。……多分、その方がルドルフ様のお兄様の為になるかと思います。むしろ、お兄様の政敵を教えて下されば、そちらに話を持って行きますよ?」
「ごめん、本当に意味が分からない……。だから、悪いけどやっぱり屋敷に来てくれないかな?兄も紹介するし」
「でも……」
「聖女に認定出来るかどうか僕では断言出来ない。だからこそ、ちゃんと兄を交えて君の話を聞きたい。出来るだけ悪いようにしないつもりだ」
姉を聖女として迎え入れたいのは、私もルドルフも一緒だ。
だが、私がうっかり悪女だと言ってしまったばかりに、彼は混乱している。
口を滑らせたなぁ…とは思う。
あのまま、彼を騙して彼の兄に聖女認定させれば、上手くいったのに……
でも、彼は泣いている私にハンカチを貸してくれた。
それに、出会ってからこっち、高圧的な態度を取られた事は一度もない。
多分……、凄くいい人だ。
姉のせいで、今まで色んな人を見てきたから分かる。
ニコニコした顔で近寄ってくるのに、裏で悪口を言う人や、騙そうと寄ってくる人間は嫌という程見てきた。
だから、彼は大丈夫。
何となくそう思えた。
「分かりました。そちらの御屋敷にお伺いします」
「ありがとうフェル君!」
その言葉を待っていたかのように、護衛の騎士さん達が部屋へと入ってくる。
そして、まるで逃がさないと言わんばかりに周りを囲まれながら、馬車へと連行された。
目の前には、にこにこと機嫌の良さそうなルドルフ。
おいっ、さっきまでの困った顔は偽物か?!
「……早まったかもしれない……」
「大丈夫だよ。さっきも言ったけど悪いようにはしないから」
そうして私は、生まれて初めて高位貴族の御屋敷に足を踏み入れることになったのだ。