6.ルドルフ来襲
翌朝、窓から差し込む陽の光で目を覚ました。
洗面で水を汲んで顔を洗い、身支度を整える。
このアパートは幸いにして上下水道が完備されているので、水周りは非常に充実していた。おかげで井戸から水を汲まなくて良いので助かっている。
「町並みや生活様式は昔の西洋風なのに、こういう便利なところは乙女ゲームのお蔭かな」
貧乏な我が男爵家でも、上下水道はちゃんと整っていた。
ちなみにこの世界、残念ながら魔法は存在していない。
だからといって科学が発展している訳ではないのだが、その代わりのように光石という石を使った光具と呼ばれる道具が広く普及している。
光石というのは、虹色に光る丸いビー玉のような石だ。
前世でいうところの電地のようなもので、冷蔵庫やコンロといったものから上下水道の運転や浄化など、幅広い用途で使われている。しかも光石は使い捨てではなく、空気中に含まれる光力と呼ばれる力を補充すれば何度も使える優れ物。非常に環境にも優しいクリーンなエネルギーだ。
お陰で、値段は高いがおおよそ前世で便利だと思っていた家電は存在する。
そのお蔭で魔道具を作ってチート無双するという野望は潰えたが、便利なものは便利なので文句はない。文句があるとすれば高いので中々買えないという点のみだ。
「さて、今日は天気もいいし、古着のついでにコンロを見てから帰るか……」
貧乏な我が家には、光石を使用した高価な道具は数少ない。あるのはランプが五つほどと給湯器だけだ。
その内二つのランプは姉の部屋に設置されているので、残りを私達三人で使っている。冷蔵庫やコンロなどの光具も以前はあったが、借金返済の為に売り払っていた。
しかし、冷蔵庫はまだしも、そろそろコンロくらいは買い直したいと思っている。
お湯を沸かすだけで竈に火をつけるのは大変なのだ。だから面倒な時は、給湯器のぬるいお湯でお茶を淹れていた。給湯器は埋め込みだった為売れなかったのだが、お陰で助かっている。
しかしいい加減ちゃんとしたコンロが欲しいと思う今日この頃である。
「取り敢えず、手持ちの石鹸を売って少しお金を作って、それからお兄様の靴も見なきゃ…」
明日のパンさえ危うい生活が続いたせいか、当然衣服になど掛ける金はなかった。
私の服は全部母や糞姉のおさがりだし、兄は父のお下がりを着ている。しかし残念なことに靴のお下がりは余りない。有ってもかなり傷みが激しいせいか、私も兄も平民が履くような大きめのサンダルを履いていた。
私はそれでも良いが、今後商会長として商談する機会の多くなる兄には、ちゃんとした革靴を履いて欲しいと思っている。
兄はそんな物にお金を使えないというが、服よりも足元を見て人となりを判断する人はいる。だからこそ、僅かとはいえお金に余裕のある今、兄の衣服にはお金を掛けておきたい。
「でもお兄様は自分よりも私が着飾るべきだと譲らないしな……」
男のような格好をしている私を、時々悲しそうに見つめている時がある。
『お前だってお洒落をしたい年頃なのに……』と、姉のドレスを売る私に、いつも一着くらい残してはどうだと言ってくるが、ドレスを売った代金で一ヶ月分の食費になるのだ。兄も父も少々食べなくてもいいと言ってくれるが、私がそれを我慢出来なくて強引に売っている。
「そう言えばお父様の靴も磨り減ってたな……」
姉の不始末の謝罪行脚が原因だ。
あぁ、早く姉を追い出したい。
そんな事を考えながら硬いパンを水で胃に流し込んでいると、トントン…と軽く扉を叩く音がする。
ここを訪ねてくるような知り合いは王都に居ないと首を傾げれば、不意に聞き覚えのある声が聞こえた。
『フェル君、居るかな?』
その声は昨日会ったばかりの男、ルドルフ・アンブローズのものだった。
住所を教えた記憶はない。
それなのに、何故こんな朝の早い時間ここにいるのか?
『お~い!フェル君!いないのかい?!』
「います!少々お待ち下さい!」
居留守を使おうかと思ったが、多分無理だと思い返事をした。
そして渋々扉を開けると、朝からやたらと煌びやかなルドルフがニコニコとした笑顔で立っていた。
昨日の庶民のような格好とは違い、今日はいかにも貴族の坊ちゃんという服装だ。
「……おはようございます、アンブローズ様」
「ルドルフでいいよ。堅苦しいの嫌いなんだ」
「左様ですか……。それで、ご用件は?」
そう聞いた私を無視し、彼は招いてもいないのに強引に部屋へと入ってきた。
「あのっ…?!」
「へぇ~。君はこんなところに住んでるんだ?何にもないね~」
「王都に来た際の宿代わりにしているだけで、普段はここに住んでません」
「そうなんだ?けどここ、ベッドもないよ?」
「……毛布があれば十分です。それで、ご用件は?」
じろじろと室内を見るだけで中々話を切り出さないルドルフに苛々しながら声を出せば、彼は少しだけ面白そうな顔でジャケットの懐から小さな布袋を取り出した。
「昨日貰った石鹸と頭髪保湿剤。これで買えるだけ欲しいんだよ」
そう言って彼が袋から取り出したのは、キラキラと輝く金貨五枚。
前世の価値で言えば、およそ五十万円程の額だ。
「…え、えっと…、もしかして昨日の試供品の?」
「そうそう、あれ!僕が試しに使ってみたんだけど、ビックリするくらい良い匂いがするし、髪もサラサラになるしさ~~。それを見た母上と姉上がそれはもう恐ろしい奪い合いを始めてね~~~」
「う、奪い合い……」
「お蔭で、朝一番で買って来いと言われて屋敷を追い出されたよ~~~」
あははは…と楽しそうに笑っているが、それは災難である。
使用人を寄越せば良かったのに。
「ところで、どうしてこの場所が?」
「商業ギルドで聞いたら、商会の登録住所はここだって聞いてね。居てくれて良かったよ」
「そうですか……」
「で、もちろん売ってくれるよね?」
ずいっと、差し出された金貨に私は思考を巡らせる。
というのも、石鹸の価格もトリートメントの価格もまだハッキリと決めていないのだ。
ある程度は想定していたが、昨日のギルドでの女性陣の反応を見る限りでは、少し高めに設定しても良いんじゃないかとヒルデンさんとも話していたところだ。
「今手持ちであるのは石鹸が二十個と保湿剤十本です。それで宜しければ」
「本当?!助かるよ!ありがとう!」
言いながら金貨を全て押し付けてくるルドルフ。
だが、さすがに五枚も貰う訳にはいかない。
「い、一枚で結構です!」
「そう言わずに取っておいて!朝から押しかけたお詫びだから」
「でも…っ」
「あっ、商品はこれだよね?」
「そうですけど……」
部屋の隅の木箱に入れていた商品を目敏く見つけたルドルフは、機嫌よくそれを抱え上げた。
「木箱は貰っちゃっていい?」
「どうぞ」
押し付けられた金貨を考えると、駄目と言える訳がない。
この金貨があれば、木箱など幾らでも買える。
「お~い、悪いけどこれ運んで~~~」
貴族のくせに自分で運ぶのかと思ったら、ルドルフが声を掛けた瞬間、数人の護衛らしき騎士が部屋へと入ってきた。
どうやら扉の外で待機していたようだ。
貴族のお坊ちゃん一人でこんな場所に来るわけないと思っていたが、やはり護衛はちゃんと来ていたらしい。
「始めから使用人の方を使いに寄越せば良かったのでは?」
「それも考えたんだけど、ちょうど君に話もあったしね」
「…話?」
「そ、聖女のことだよ」
金貨を貰ってホクホクしていた気分が一気に冷めた。
そう言えば、昨日も根掘り葉掘り聞かれたんだった。
「えっと、まだ聞きたいことが?」
「もちろん」
そう断言したルドルフは、キョロキョロと部屋を見渡す。
「話が少し長くなりそうなんだけど、椅子は無さそうだね……」
「……すみません」
「まぁいいや。それで話というのは聖女だという女性のことなんだけど…」
どうやらルドルフから話を聞いた教会の関係者が実際に会ってみたいと言ってるそうだ。
最低でも魔獣のスタンピードが起こってからだろうと思っていただけに、時期が早まるのは非常にありがたかった。
しかしだ。
何故、その話をルドルフが私に持ってくる?
直接コルプシオン家に手紙を送れば済む話じゃないのか?
「あの……、何故その話を僕に?」
「だって、関係者でしょ?」
「確かにそうですけど、直接あちらに連絡して頂ければ……」
「していいの?」
キョトンとした顔で返され、思わず動揺する。
確かに急に聖女の確認に行くと言われても、そもそも姉が屋敷にいるかどうかも怪しいし、何よりアレでアレな姉を聖女らしく見せるようにしなければいけない。
「……えっと、そちらはどこまでこちらの事情をご存知で?」
ルドルフの言い回しは何もかも裏があるように感じる。
私が噂の出所だと分かっていたようだし、当然のように私が聖女の関係者だと思っている。
「聖女の噂話が流れたのが二ヶ月程前。教会関係者や信者に話を聞いたところ、主に流しているのがコルプシオンから来たという君と、君の兄。ちなみに、ここまで分かったのが今から一ヶ月程前だよ」
つまり、私と兄の浅はかな噂ばら撒き作戦は早々に怪しまれていた上に、一ヶ月も様子を見られていたという訳だ。
王都怖い……。
「君たちの目的が何かを調べてたんだけど、君もお兄さんも初日に聖女の噂話をした後は、手持ちの貴金属の換金をするだけで、後はギルドに行くか買い物してるだけだろ?もう、不思議で不思議で…」
「さようですか…」
「それで、特に悪意も無さそうだし、これは手っ取り早く聞いた方が早いんじゃないかと思って昨日声を掛けた訳さ」
「なるほど…、了解しました」
しかし全く理解出来ない点は沢山ある。
まず、何故まだ学生と思われるルドルフが、公安のような仕事をしているのか。
何故昨日の今日で教会の関係者と話が出来るのか?
そして、噂話に対して何故そこまで過敏になっているのか?
「了解したという割に、納得がいかない顔をしてるね」
「話が上手く進み過ぎだな~と思って……」
「あぁ、それね。簡単だよ。教皇様に神託が降りたから」
「神託?」
「うん。今から二年くらい前かな……。コルプシオン地方に聖女が現れるっていう神託があったんだ」
「そんなものが……」
今から二年前というと、乙女ゲームの始まる時期だ。
糞姉が寝坊したとかどうとかで間に合わなかったと書いていたな、確か……
「教会が秘密裏に探したんだけど見つからなくてね」
「えっと、領主様のご協力などは仰がなかったんですか?」
「あそこの領主一族は評判が悪いと聞いたんだよ。もし聖女の存在がバレたらそれを盾に何を要求してくるか分からないだろ?でもまさか、そこのご息女が聖女だったなんて、これは完全に盲点だよ」
「………領主一族の評判、悪いんですか?」
「悪徳という訳じゃないらしいけど、余りいい評判は聞かないかな。あちこちで借金をして回ってるという話だね。その割に領主は常にみすぼらしい格好をしているというから、博打で首が回らないんじゃないかな?まぁ、爵位返還も時間の問題だって噂さ」
ショックだった。
確かに常に何処かしらから借金をしている身だが、一度たりとも踏み倒した事はないし、借金返済の為に税を上げたりもしなかった。
ボロを着ても、平民より粗末な生活をしても、領主としての責務を父は全うしていた。
洪水で橋が落ちた時は橋の建設費を捻出する為に三ヶ月ほどずっと芋ばかりだったし、不作で麦の出来が悪い時は、非常用にと蓄えていた小麦を領民に配ったりもした。
姉の件で確かに評判が悪いのは知っている。特に商人には非常に嫌われていたが、まさかそれが王都に届くほどの悪評になっているとは思いもしなかった。
「そんなに……」
「え?!何で泣くの?!」
「す、すみません……っ」
泣くつもりなんてなかったけれど、朝から晩まで必死に働いている父が悪く言われていると思うと悲しくて仕方なかった。
「ごめんっ、ホント待って、僕何か気に障ること言った?!お願いだから泣き止んで!」
「……ル、ルドルフ様は悪くないです…っ、すみません…」
必死で泣き止もうと思っても、次から次へと涙が湧いてきて止まらない。
ゴシゴシと必死で目を擦れば擦るだけ、涙が零れ落ちる。
「ごめんねフェル君!関係者の君に言う話じゃなかったね!」
「ち、違うんです…、ホント、泣くつもりじゃ……」
多分、昨日からちょっとホームシックになっていたのだ。
寂しくて寂しくて、でも、後少しだと思って頑張っていた所に、今の話を聞いて何かが壊れてしまった。
父が殴られて帰ってきた日のこと。
兄がお茶を頭から被って帰ってきた日のこと。
町を歩いていたら、姉に振られた男性にいきなり突き飛ばされた日のこと。
そんな物まで一気に思い出し、涙が止まらなくなった。
「どうしようぉ~~~~、フェル君~~~、お願いだから泣き止んで~~~~!」
「ルドルフ様、どうかされましたか?」
「あぁ、ルチアーノ!ど、どうしよう、フェル君が泣き止んでくれないんだよぉ!」
「……いたいけな少年を泣かせて何してるんですか?」
「そんなつもりじゃなかったんだよ~~~」
ルドルフ様が泣く私の周りを歩き回りながらアタフタとしている。
異変を感じた護衛騎士がどうやら部屋まで入ってきたようだが、私は涙を止めるのに必死で顔を上げる事が出来ない。
「ごめんねっ、フェル君!あぁ、そうだ!ハンカチ!ほらっ、これ使って!」
「……すみません……」
パリッと糊のきいたハンカチを受け取り、私は涙を拭った。
でも涙は中々止まらず、暫しの間、私は泣き続けたのであった。