36.お連れ様
トラスト・カレディスには色々言いたいことがある。
社会人に大切なものは何か?
報・連・相だと!
「コルプシオンを朝に出るということは、ここに着くのは夕方になるのかしら」
「恐らくそうだろうね。……参ったね、トラスト・カレディスの焦りは相当なようだ」
「実家やリックス侯爵家から強く言われているのかもしれませんね」
ルドルフと朝食を取りながら、昨夜兄から連絡のあったことを話し合う。
と言っても話し合うことは余りない。
もうこうなったら出たとこ勝負だ。
ただ、アンブローズ家が関わっていると知られると面倒なので、ルドルフには隠れて貰うことになっていた。
代わりにアーサーさんが兄の侍従として控えてくれるらしく、後はとっとと糞姉を聖女認定して引き取って貰うだけである。
「カレディス卿の暴走のせいで予定が狂いっぱなしだわ」
「彼に振り回される周りが大変だよね。今頃シリウスは怒っているだろうね」
「かなり鬱憤が溜まっていそうです……」
昨夜通信光具で送られてきた文面を見るだけで、兄のストレスが最高値に達しているのが分かる。
父も非常に困惑しているようだが、ベルティールさんが色々と二人をフォローしてくれているらしい。
今回も彼女がいるからこそ、父と兄の両方が揃ってこちらに向かってくることが可能になった。
彼女が屋敷に残ってくれなければ、安心して家を空けることも出来なかっただろう。
「シーナ嬢へ連絡は?」
「一応、お連れ様宛て言伝を頼みましたが、姉が素直に聞いてくれるかどうか……」
糞姉が目当ての舞台は夕方開演で、終わるのは夜だと聞いている。
舞台が終わり次第ホテルに戻ってくれるように伝言を頼んだが、姉のことだ。待たせておけばいいと言って、公演後も食事や何やらと遊び回る気がする。
お連れ様には念を押してあるが、糞姉に胸を押し付けられただけで意見を変える男には余り期待出来ない。
なので、非常に不本意だが、いざとなれば劇場で出待ちをして姉を捕獲する予定だ。
「取り敢えず、夕方までは時間があるし、この後は各自自由行動にしようか?」
「王都からここまで余りゆっくり出来ませんでしたから、それもいいですね」
ローリアは綺麗な湖を有する国内有数の景勝地で、観光業に力を入れている。
ゆえに、この宿屋の周りには多くの土産物屋や飲食店が軒を連ねていた。
「フェリシア嬢、良かったら湖でボートでも乗りにいかないか?」
「是非と言いたいところなのですが、姉のことが気になって湖に落ちては大変なので、この辺りを散策したいと思います」
ご当地グルメや土産を見ながら、今の流行などをリサーチしたい。コルプシオンでも活かせる何かが見つかるかもしれない。
「そ、それならこの地方で有名な料理を出す店があるらしいから、そこで昼食はどうかな?」
「いいですね」
「では、私の方で手配しておきますね」
「頼むよ、アーサー」
私の返事に嬉しそうな顔で頷いたルドルフは、どうやら余程ここの名物料理が食べたかったらしい。
折角観光地に来たのに、姉のご機嫌伺いだけで何もしないのは勿体ない。
むしろ姉の件がなければ、みんなでゆっくりと遊びに来たいくらいだった。
「はぁ……、早くアレを処分したい……」
美味しいはずの紅茶の味が余り分からないまま、私は朝食を食べ終えた。
そして護衛の二人は交代で休憩して貰うことにして、私とルドルフはアーサーさんを連れて散策に出掛ける。
「有名観光地ということもあって、通りは随分と賑わっていますね」
「そうだね。あっ、姉上への土産はあれでどうだろう?」
「可愛いですね。リズお姉様が好きそうです」
噴水を囲むように作られた石畳の広場の周りには、カラフルな屋根の屋台が並んでいる。
民芸品などの庶民的なものから少し高価なアクセサリーなどを売る店など色々あり、リーズロッテ様の好きそうな可愛らしい物も沢山あった。
「お兄様がいらっしゃるなら、お兄様に選んでいただいた方がリズお姉様も喜ぶような気がします」
「そうだな。シリウスが選んだ物なら何でも喜びそうだ。それに、その方が置いて行かれた機嫌も直るような気がする」
二人で複雑な顔をしながら、リーズロッテ様の土産は兄に一任することにした。
そして、そんな広場を過ぎると、今度は高級店が軒を連ねる通りに入る。裕福な商人や貴族がターゲットなのか、綺麗に整備された道はかなり賑わっていた。
そんな通りの一角、私達の目にとある人物の姿が入り込む。
「フェリシア嬢。そこの店に入った男、シーナ嬢のお連れ様の一人じゃないかな?」
通りを見ていたルドルフの視線の先、宝飾品店に入って行った人物は、確かに姉の取り巻きの一人だった。
姉の腰を抱いていたアランという男ではなく、姉の後ろを取り巻いていたイケメンの一人だ。
中々に派手な格好をしていたので、覚えている。
「もしかして姉もいるのでしょうか?」
あの姉のことだから絶対に昼まで寝ていると思っていたが、宝飾品を購入する為なら早起きも厭わないのかもしれない。
「いや、どうやら男は一人のようだよ」
店に入った男は何やら深刻な顔で店員と話している。
もしかしたら姉への貢物を購入する予定なのかもしれない。
だが、私がそう思った直後、男は自らが身に付けていた懐中時計を店員に差し出した。
そして状態を確認した店員が彼にお金を払っている。
「なるほど……、どうやらお連れ様達はいよいよ資金繰りが危なくなったようですね」
「うわぁ……」
全員でドン引きしながら通りから男の様子をうかがう。
私達が見ているとも知れずに、金を受け取った男は眉間に皺を寄せたまま店を出て来た。
そして、見ていた私達と視線が合う。
「…………」
「…………」
視線が合ったものの、お互いに何と言っていいのか分からず黙り込んだ。
「情けないところを……」
恥ずかしそうに言葉を濁した男に、私は首を横に振る。
金に困って宝飾品を売るなんて、私からすれば日常茶飯事のことだ。
「……姉のせいでしょうか?」
「いや……っ、うん……、なんというか……、敢えて言うなら自分のせいかな……」
言葉を濁しながら、それでも彼は自分が悪いのだと言った。
お金が無いのに無理をする自分が悪いのか。
あんな女に貢いでしまった自分が悪いと思っているのか。
「そのお金、どうするおつもりですか?」
借金の返済に充てるなら口出すつもりはないが、これ以上糞姉に貢ぐというなら全力で止めさせて頂く。
「………どうしようかな……」
ぼそりと小さく呟いた男が、ワシワシと髪をかき回しながら大きなため息を吐いた。
「シーナにさ、どうしてもラルマンっていう店の魚介料理が食べたいって言われてさ……」
ラルマンというのは、この街ではかなり有名な高級レストランで、コース料理一人前で金貨一枚という値段がするらしい。
糞姉は自分と取り巻き全員でそこでの食事を所望したようだ。
「全員で美味しいものを食べましょうって言われて、予約して来た帰りなんだけど……」
「手持ちが足りなくなったんですね」
「そういうこと。予約したからには当然代金は俺持ちだからさ。でも……」
「でも?」
「君の顔を見たら、俺は何をやってんだろ?って思ったんだよな……」
彼らは、知り合いの宝石商に糞姉を紹介されたという。
その知り合いとは恐らくガスパルのことだろう。
「こんな目の覚めるような美女が相手をしてくれるなんて夢みたいだと思ったんだ。彼女が望むなら何でも叶えてあげたいって思ったんだ。だけどさ、昨日の君とシーナの会話を聞いていて………、いや、違うな。シーナを見る君の瞳がね、余りにも冷たくて……、惚けていた頭が少しだけ冷たくなった」
手に持った数枚の金貨を握り締め、暗い顔の男が私を見る。
「今でもこれを使ってシーナを喜ばせたいという気持ちがある。でも、君のその冷たい瞳を見ていると、俺はこのまま何もせずに彼女の傍を離れるの方がいいんじゃないかとも思う……」
彼は今、分岐点に立っている。
そして私は、今ここでどれだけ冷静に自分を分析していようと、一度でも姉と会えばその気持ちが薄れてしまうことも知っていた。
「姉の美貌は呪いのようなものです」
「呪い?」
「はい。男を狂わす呪いです。私は今まで多くの男性が身を持ち崩すのを見て来ました。愛妻家の男性、子煩悩な父親、真面目な商会主。様々な男性が姉に溺れ、破滅しました」
「…………」
「貴方もこのままではいけないと分かっていても、姉の顔を見ると駄目でしょう?」
「そうだな……。彼女の為に何でもしたくなる……」
呪いなどある訳ではない。
けれど、糞姉の美貌は呪いのように一度掛かると中々解けない。
「これ以上破滅したくないならば、姉の顔を見ずにこの土地を離れることをお薦めします。……お荷物は姉と同じ部屋ですか?」
「い、いや……。俺の部屋は一応別で荷物はそっちに……」
どうやら荷物はそちらの部屋においてあり、夜は姉の部屋で取り巻き全員でお楽しみだったようである。
聞きたくなかった情報に思わず無表情になると、男は途端にビクリと肩を竦ませた。
そんなに私の視線が痛かったのか、男は手に持った金貨を握り締めて俯いた。
「……俺はもう帰るよ」
「はい。それがいいと思います。借金をする前に離れるべきです」
「そうだな……。親父の形見を売ってまで俺、何してんだろうな……」
そう小さく呟いた彼は、そのまま再び出て来たばかりの宝飾品店に入った。
そして先ほどの店員と会話を交わすと、手に持った金貨と引き換えに懐中時計を持って店を出て来た。
「ありがとう、妹さん。最後の一線を踏み止まれた気がする」
「いいえ、まだ安心してはいけません」
「え?」
「アーサーさん。良かったら、この方が姉に会わないようにホテルまで同行してあげて貰えませんか?少しでも姉の顔を見て言葉を交わせばまた逆戻りです」
私の言葉に、全員が小さく震える。
「いいですか?出来るだけ速やかに荷物を持ったら宿を引き払って馬車に乗ってください。決して後ろを振り返ってはいけません」
「……お、おう……」
「貴方に迫り来るのは、皮だけが綺麗な化け物です。いいですね?」
何故かよく分からないが、男性が若干涙目になっている。
もしかしたら漸く自分が恐ろしい化け物に対峙していたのを理解したのかもれない。
「では、私はこの方と一緒にホテルに戻りますね。ルドルフ様とフェリシア様はゆっくりと散策の続きを」
そう言って顔色の悪い男性を連れてホテルへと戻っていくアーサーさんを見送り、私とルドルフは散策を再開することにした。
だが、少し通りを歩いた先、老舗らしき宝飾品店の前を歩いたところで、その店の中で店員と話している男を見て、私達は顔を見合わせた。
本日二度目のお取り巻き様の登場に、私は何か一種の運命のようなものを感じた。
いや、姉が絡んだ場合は強制力と言えば良いのか……。
「たしか、アランさんでしたっけ?」
昨夜会った際、糞姉の腰を抱いていたお連れ様だ。
そんな彼は、宝飾品店で眉間に皺を寄せながら何かを吟味している。
「どうやら何かを選んでいるようだが……」
「恐らく姉への貢物でしょう」
アランは先ほどの男性と違ってまだ金銭に余裕があるのだろう。
いや、あの顔を見る限り、ギリギリ持っているという感じだろうか。
「ん~~~……」
糞姉のこの旅のスポンサーは、恐らくお連れ様であるアランだ。
そして、彼に成り代わろうと侍っていたのが、先ほどの男性を含めて四名。
顔で選んだと思われる姉のハーレムラインナップだが、どんなに足掻いても彼らの関係は今日限りだ。
先ほどの男性もそれが分かっているから、早々に離脱する気になったのだろう。
では、アランはどうだ?
未だに糞姉への貢物を選んでいる辺り、目が覚めていると思えない。
けれど昨日の様子を見るに、まだ少しだけ理性が残っている。
借金までする末期症状まで行くと何を言っても聞く耳を持ってくれないが、今ならまだ引き離せる気がするのだ。
「彼を引き離せば、アレをさっさとカレディス卿に押し付けられるのでは?」
彼がいなくなれば、糞姉は残っている取り巻きから次を選ぶだろう。
だが、先ほどの男性を見る限り、これまで散々貢いでいた彼らも余裕がないはずだ。恐らく、取り巻きの彼らでは姉を舞台に連れていくだけで精一杯のはずである。
そうなれば、舞台直後に捕獲することも可能なのではないだろうか?
「悪い顔をしているね……」
「うふふ、アランさんに糞姉の武勇伝を聞かせてあげようかと思って」
もちろん、男を破滅させる武勇伝だ。
「僕的に怖かった話はパン屋のアレだな」
「私は包丁を持って徘徊していた男の話が……」
ルドルフと護衛のシャーリーさんお薦めの武勇伝。
それからバーミリオン様が夜眠れなくなったという武勇伝を思い浮かべ、私はニッコリと笑った。
「では、アランさんに声を掛けましょうかね」
こうして善良な顔でアランに声を掛けた私は、糞姉の男破滅伝説を彼に語って聞かせた。
最初は『シーナの美貌に目が眩んだ男が悪い』と言っていたアランも、武勇伝が七つ目に入った辺りで白旗を揚げた。
そんな彼を連れてホテルに戻った私達は、ちょうど出てきたアーサーさんに事情を説明する。
すると彼は彼で、取り巻き達の離脱を成功させていた。
「取り巻き全員離脱しました」
「え?」
「奴隷として売られていった商会長さんの話をしたら、全員が一斉に身支度を始めて、そのまま泣きながら出ていきました」
それは姉の最凶武勇伝のベスト3に入る話だ。
アランに聞かせた武勇伝ラインナップにも当然入っていた。
取り巻きの男達もアランも商売人らしく、この話が一番彼らの恐怖を駆り立てたようだ。
「……私の部屋にはシーナがいる。ど、どうすれば……」
「幸い彼女は今眠っていますので、私が代わりに入って荷物を取ってきましょう」
姉の呪いから離脱出来たアランさんの心配を他所に、部屋へと入っていったアーサーさんはあっさりと彼の荷物を持って出て来た。
更に、姉の宝飾品も幾つか持ってくる有能ぶりだ。
どうやら冷静になった取り巻き達からも頼まれたようで、彼らが貢いだ物も幾つか取り返してくれたらしい。
「あ、ありがとう……」
「いいえ、でも、これに懲りたら、決して顔だけの女性に靡いていけませんよ」
「分かってる。でも、彼女は綺麗で……」
そう言ったアランは姉を思い出したのか、先ほどまでの話を忘れてフラフラと部屋へと入って行こうとする。
「アランさんっ!」
「最後にひと目…」
「駄目です!破滅したいんですか?!」
「大丈夫だよ」
「駄目です!帰りましょう!」
そこからがまた大変だった。
無意味に大丈夫だと言うアランを全員で部屋から遠ざけ、休憩中だった護衛のダルカンを呼び出して強引に馬車へと押し込んだ。
あれだけ武勇伝を聞かせたというのに、理性を取り戻したのが一瞬だけとは腹が立つ。
幸い王都行きの馬車には取り巻きだった男性も乗っていて、完全に正気に戻っていた彼がアランの身柄を引き受けてくれた。
「こいつのことは俺が面倒見るからっ!」
そう言ってくれた男性に後をお任せして、私達は出発した馬車を見送った。
馬車の中からは最後まで『シーナ』という叫び声が聞こえたけれど、姉の顔さえ見なければその内正気に戻るだろう。
疲れた。
しかし、まだ終わっていない。
「姉が起きてきて新たな男を物色したら面倒です。夕方まで起きないよう睡眠薬を飲ませようと思いますがどうでしょう?」
「そうだね。アラン達がいないと知ればホテル周りにいる男を誘惑しそうだし、シリウス達がくるまで眠っていて貰おうか」
「では、今から調達してきます」
「お願いします」
誰も止めなかった。
むしろ、ドンドンやれとばかりにルドルフ達も積極的だった。
そしてアーサーさんが買ってきてくれた睡眠薬を、メイドに扮したシャーリーさんが糞姉の下へと運ぶ。
半分寝惚けた状態の姉は、アラン達の行方を聞きながら豪快にシャンパンを飲み干し、そして再び眠りに付いた。
「神様もいい加減痺れを切らしたのかも……」
途中で何の妨害もなく計画が進んだということは、やはりこれは何らかの強制力が働いたと考えるべきだった。
取り巻き全員があれだけ簡単に離脱出来たのはさすがにおかしい。
経験上、どれだけ酷い姉の武勇伝を聞かせても、アランのように再びおかしくなる男がほとんどだ。
けれど全員がアーサーさんの助言で正気に戻った。
「さすがにあれだけの男を周りに侍らかした状態で聖女は無理があるからかしら……」
何にせよ、私達に都合がいい強制力が働いたのは間違いない。
お蔭で兄が来るまでゆっくり出来る。
しかし結局は彼らの後始末として、舞台やレストランのキャンセル、宿の手配関係で時間が潰れ、兄達が到着するまで奔走することになった。




