35.奇妙な怪物(アーサー視点)
外の騒ぎに気付いた護衛のシャーリーの視線の先、宿の入り口から奇妙な団体が入ってきた瞬間、ロビーが一瞬にして静まり返った。
それを柱の陰から覗き込みながら、アーサーは入ってきた人物に視線を向ける。
何人もの男を侍らせ、まるで女王のように歩いてきたのは、まだ少しだけ少女らしい面影を残した綺麗な女だった。
「あれが、シーナ嬢か……」
波打つ金髪は、アーサーが知っているコルプシオン兄妹よりは少し明るめで、瞳も二人とは違って綺麗なエメラルドグリーンをしていた。
まるで女神の彫刻が動いているような錯覚さえ起こさせるほど整った容姿は傾国と言っても差し支えないほどで、ロビーにいる人間全ての視線を独り占めしている。
けれど、アーサーにとっては、ただ美しいだけの女だった。
確かに綺麗だと思うが、それが美しければ美しいほど、何となく生物ではないような気がして気持ち悪い。
「それに服の趣味がちょっと悪いと思いませんか、ダルカン?」
キラキラ輝く金色のドレスは、髪の色との境が曖昧で目が痛い。
どうせなら目に優しい緑、いや、黄緑がいいかもしれない。
そして毛皮は思い切って真っ赤に染め上げれば、お祭りのような感じで似合うと思う。
「黄緑と紫の水玉柄とかどうでしょう?」
可愛らしい水玉柄を着れば、あの化け物じみた美貌も少しは中和されるかもしれない。
そう思いながら隣で共に隠れているダルカンに話し掛けるも、隣からは一切の反応がない。
「ダルカン?」
もう一度、今度はその存在を確かめるようにはっきりと彼を呼ぶが、食い入るようにシーナを見つめるだけで反応がなかった。
その様子はまるで何かに魅入られたようで、恐らくアーサーの声など全く聞こえていないのだろう。
なるほど……、これが通常の反応なのか……。
「ダルカン、柱から余り出ないでください」
身を乗り出す勢いでシーナを見ているダルカン。
そんな彼に大きくため息を吐きながら、アーサーはダルカンの耳に口元を近づけた。
「ルーシーとピアナを路頭に迷わせたいのですか?」
アーサーの言葉にダルカンの肩が大きく揺れる。
そして今初めて直ぐ横にアーサーが立っていることに気付いたような表情で、アーサーに視線を向けた。
ちなみにルーシーとピアナは彼の妻と娘の名前だ。
「金貨80枚、平民出身の護衛騎士にそこまでの年棒を出してくれる家は滅多にありませんよ。まぁ、それでもというなら無理には止めませんが、どれだけ貢いでも彼女が貴方と一夜を共にする可能性は低いと思います」
「いや……、すまん。分かってる……」
言いながらも、チラチラと視線をシーナに向けるダルカンも、自分の立場はよく分かっているのだろう。
それでも視線を向けずにいられないというのだから、シーナの美貌がいかに恐ろしいか分かる。フェリシアやシリウスはさぞ苦労したに違いない。
「はぁ……、あれはやばいな」
「確かに美しいとは思いますが……」
「あれだけフェリシア様やシリウス様から警告されていたのに、見た瞬間に何も考えられなくなった」
ダルカンだけでなく、あれだけ絶対に大丈夫だと豪語していたルドルフさえも、一瞬だけだったといえ、シーナに見惚れていた。同性であるシャーリーさえもだ。
「ここまでくると、まるで人の皮を被った化け物のようですね」
「あの美貌を前にしてその感想が出てくるお前が頼もしいよ……」
「だって、綺麗なのは見た目だけですよ。あの話し方や所作を見れば、百年の恋も一気に冷めるのでは?」
「貴族からしたらそうかもしれないが、平民の俺からすれば余り気にならない」
「なるほど……」
正直、話し方や媚を売る仕草なんかは酌婦や娼婦のようだなと思う。高級娼婦の方がまだマシだと思えるほどだ。
恐らく高位の貴族であればあるほど、彼女の虜にはならないだろう。
現時点では……。
「マナーや所作さえ学べば分からないか……」
フェリシアはシーナをアンブローズ家の反対派閥である教会派のカレディス家やその上のリックス家に押し付けるつもりでいる。
養女となれば当然、あのシーナという女も高位貴族のマナーを身につけることになる。 そして恐らく学園に入学することにもなるだろう。
つまり、社会を知らない若者が多数被害に遭うということだ。それはこのロビーの状態を見れば容易に想像できる。
「これは本当に気を引き締めないとダメですね」
「そうだな。ルドルフ様の傍にはシリウス様がいるので大丈夫だろうが、学園にいる貴族の坊っちゃん連中にゃ刺激が強いだろうな」
「愛妻家の貴方でさえ、未だに視線を外せないようですしね」
「面目ない……」
無意識に視線がシーナへと向いてしまうダルカン。だが、先ほどに比べて彼女を見つめる視線には理性が戻っている。
それでも吸い寄せられるように目が追ってしまうのは余り良い兆候ではなかった。
「それはさておき、どうやら明日帰るのは無理そうですね」
「そのようだ。大した我が儘お姫様だな」
「ええ。どうやら侍っている男達も彼女を持て余し気味のようですよ。大方金銭でも尽き掛けているのでしょう」
「それでもシーナ嬢が微笑めば金を出すんだからな……」
「それこそ財布に残った銅貨一枚まで絞り取られるでしょうね」
「恐ろしい……」
ぶるり…と小さく肩を竦めたダルカンの視線がようやくシーナから外れた。
そして彼女と対峙しているフェリシアとルドルフへと視線を向ける。
「明日はここで一日待機になるのか?」
「どうでしょうね。ここで待っていたところでシーナ嬢が明日帰領することはありませんし、折角観光地に来ているのですから、フェリシア様達も出掛けられたら良いのではないでしょうか?」
フェリシアを憎からず想っているらしいルドルフなら、この提案に喜ぶのではないだろうか?
さすがにシーナと同じ舞台を見に行けとは言えないが、街並みを散策するだけでもいい雰囲気になると思う。
「王都からここまでほぼ休みなしでしたし、ゆっくりするのも良いですね」
「そうだな。俺もルーシー達に土産でも買っていくとするわ」
ダルカンと二人、そんな話を小声でしている間に、どうやらフェリシアとシーナの話し合いは終わったようだ。
シーナが見えなくなったのを確認して近づけば、対峙していた三人がぐったりとした様子でソファーに沈み込んでいた。
この様子では、明日は散策ではなく部屋での休息になりそうだ。
「取り敢えず、お兄様に今日のことを報告してきます」
そう言ってフェリシアは手紙を書き、宿のフロントで通信光具を借りていた。
アーサーもルドルフと相談しながらアンブローズ家への手紙を書いていると、送った手紙とは別の紙を持ったフェリシアが慌てた様子でこちらまでやってくる。
「フェリシア様、どうかされましたか?」
「カレディス卿が先ほどコルプシオンに到着したようでっ」
「もうですか?!」
「はい。しかも糞姉の帰領が待ち切れないから、こちらに来るそうです!」
どうやらトラスト・カレディスはシーナがこちらにいると聞き、待つよりも追いかけることにしたようだ。
相当焦っているらしい。
明日の朝にはコルプシオンを出発するらしく、夕方にはこちらに着くという連絡だった。
合わせてシリウスとコルプシオン卿も追いかけて来るそうで、どうやら明日は全員がこの場に揃うことになりそうだった。
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