34.糞姉登場
昼過ぎに帰ってくるとは思わなかったが、三時を過ぎても戻ってこない糞姉にイライラが増す。
気を利かせたアーサーさんが、この地方の特産品であるお菓子を買ってきてくれなければ、糞姉に対する呪詛を延々と吐き続けていたかもしれない。
「まさか、夕方になっても戻ってこないとは……」
少し日の落ち始めた外の景色を見ながら、ルドルフが疲れたように呟く。
ロビーにあるソファーに座っていただけなのに、妙な緊張感をずっと維持していた為、全員が無駄に疲れていた。
「妹が待ってると、連れの男は言ってないのかな?」
「いえ、恐らく私なら待たせてもいいと思っているのでしょう」
「はぁ……、そういう性格とは聞いていたけど……」
ルドルフだけでなく、アーサーさんやダルカンさんもうんざりした顔をしている。
これだけ悪感情を稼げば、彼らが糞姉の美貌に惑わされることはないかもしれない。待たされたのは業腹だが、その点だけは良かった。
「お二人共、どうやらシーナ嬢が戻ってきたようですよ」
シャーリーさんの声に顔を上げると、ロビーの玄関口がいきなり騒がしくなった。
糞姉目当てで宿屋前に居座っていた男達が騒いでいるのだ。
「では、私とダルカンはあちらの柱の陰に待機します」
徐々に近寄ってくる騒動に、アーサーさんとダルカンさんがソファーから素早く立ち上がる。
そして直ぐにロビーホールからは見えない柱の陰へと移動した。
「では僕とシャーリーは君の後ろに控えておくね」
「よろしくお願いします」
騒ぎが益々大きくなる。
どうやら糞姉に群がっている男達が強引に入ってこようとしているのを宿屋の従業員が止めているようだ。
そしてそんな喧騒を他所に、派手な外見の男を何人も侍らせた一人の女がゆっくりとした足取りで姿を見せた。
瞬間、ロビーが水を打ったように静まり返る。
従僕の振りをして後ろに居たルドルフが息を飲むのが分かった。
ホント、見てくれだけは最高級なんだけどな……
体のラインがはっきりと分かるシャンパンゴールドのマーメイド型ドレスに、ピンク色にキラキラと輝く毛皮のコートを羽織った糞姉。
身にまとう物はこの距離から見ても分かるほどの高級品で、更に指先から首元まで多種多様な装飾品が光り輝いている。
身に付けている品の総額が幾らになるのか気になるところだが、そんな高級品さえも糞姉の美貌の前には霞んでしまうのだから、本当に恐れ入る。
「ルドルフ様……」
私の声に、ルドルフの意識が現実に戻る。
糞姉の美貌を初めて見る人間は必ず陥る現象だ。
だが、問題はその状態から正気に戻れるかどうかだ。
「す、すまない。分かっていたのに見惚れてしまった……」
「いいえ、アレを初めて見れば誰もがそうなります。むしろ、一声掛けただけで現実に戻れたなら上出来です」
「そ、そうか……。気を引き締めるよ」
「ルドルフ様のことを殴りたくはないので気をしっかり持って下さいね」
「ああ……」
「では、今からアレに接触します」
「了解」
ロビー中の人間が固まる中、私は敢えてゆっくりとした動作で糞姉に近づいた。
その場にいた全ての視線が姉に向かう中、私の足音で正気に戻る人と、姉を見つめたまま恍惚としている人の二手に分かれる。
そして、そんな私の足音に、姉の取り巻きの一人が気付いた。
近寄ってくる私に一瞬だけ怪訝な顔をしたものの、私の顔を確認して慌てて姉に声を掛ける。
「シーナ」
低い、姉を呼ぶ声に、面倒そうにロビーを歩いていた糞姉が立ち止まった。
そしてゆっくりとこちらを振り返る。
「お姉様、お帰りをお待ちしておりました」
艶々と輝く金髪がふわりと揺れ、女神と称えられる美貌の顔がこちらを見る。
長い睫毛に彩られたエメラルドグリーンの瞳が、私の姿を認識して小さく見開かれた。
「フェリシア……、あんた本当に来てたのね……」
「はい、お姉様」
甘く融けるような麗しい声。
けれど口調は貴族とは思えないほど粗野で、どこか人を見下したような声色が姉の本性だ。
それでも姉の美貌の前には小さなことで、群がる男達は後を絶たない。
「お姉様に至急お知らせしたいことがございまして、お待ちしておりました」
「妹さんはどうやら昨日からシーナを待っていたようだよ」
姉の腰を抱いていた三十代前半と思われる男性が、私を労うように見ていた。
どうやら彼が姉のお連れ様であるらしく、少しだけ私を気遣うような気配を醸し出している。
「ふ~ん、わざわざあんたが来るなんてどうしたのよ。お父様が亡くなったの?」
面倒そうにそう口を開いた糞姉は、乱暴な仕草で目の前にあったロビーのソファーへ腰を下ろした。
言うに事欠いて、冗談でも父が亡くなったと口にする糞姉に殺意が沸く。
しかし今はジッと我慢するしかない。
「実は、王都の教会からお客様が来ることになりまして……」
わざとらしく姉の関心を引く話題を口にすれば、興味のない振りをしつつも姉は話に食いついた。
「教会?」
「はい、どうやら以前にも来られていたらしいのですが、今回は再調査ということで」
勿体ぶった口調で私も向かいのソファーへと腰を掛けた。
未だに静まり返ったロビーで、私と姉の声だけが響いている。
「調査?何の?」
「それがその……、聖女を探しに来られたらしく……」
瞬間、姉の目が見開かれた。
そして直ぐに歓喜の笑みを浮かべる。
興奮で少し上気した頬と、弧を描く櫻色の唇。
満面の笑みを浮かべた姉に、周りの男達が息を飲む。
まさに、周囲を魅了する微笑み。
こういう姿を見ると、姉は聖女というに相応しい容姿をしていると実感する。
中身は糞だが……。
「フェリシア、教会の客はいつ来るの?」
「それが二日後なんです。ですので、急いでお姉様を探しに来たのです」
「二日後?どういうことよ?!間に合わないじゃないの!」
まるで私が意地悪をしていたように機嫌を悪くした姉だが、文句はトラスト・カレディスに言って欲しい。
「私達も三日前に知らせを聞いたばかりで……」
「ふん、まぁいいわ。明後日にここを出るから、あんたは先に帰って待たせておいて」
「は?……い、いえ…っ、えっと、お姉様も一緒に明日帰れば間に合うかと……」
「無理よ。明日は舞台を見る予定なの。だからあんたは一足先に帰ってちょうだい」
「でも……」
おいおい、ふざけんなよ?
急いでるって言ってんだろう?
お前だって、待ちに待った聖女認定だろ?
ガクガクと糞姉の肩を揺さぶってそう怒鳴りたいのを必死で我慢する。
「お、お姉様、お客様が帰ってしまったらどうするんですか?今回はどうやらお姉様の評判を聞いて来られるようですし……」
「だから、それを引き止めておけと言ってるのよ、察しの悪い子ね。それに私が目当てというなら、私が帰るまでは待ってるでしょ」
「でも……」
「うるさいわね。帰るのは明後日。これは変更なしよ!」
目尻を吊り上げて怒鳴る姉の顔面を殴りたい。今ならボコボコにしても許される気がする。
しかし周りの男達にやり返されるのは目に見えているので、グッと唇を噛んで我慢した。
「……シーナ、妹さんも困っているようだし、戻ったらどうかな?」
「アラン……」
「舞台は今度また見に行こうよ」
どうしたものかと思案していると、意外なことに連れの男性が助け舟を出してくれた。
今回のお連れ様は、姉に溺れていてもまだ人としての理性はあるようだ。
………いや、もしかしたら金が尽き始めているのかもしれない。
「お姉様、お連れの方もこう言って下さってますので、どうか明日一緒にここを発って頂けませんか?もちろん、馬車はお連れ様方と一緒でかまいませんし、私は別の馬車で向かいますので……」
「いやよ!明日は『ローリア城の悲劇』を観るの!これはここでしか観れないんだから、帰るのは絶対に明後日よ!ねぇ、アラン!いいでしょ?」
「そ、そうだね、シーナがそう言うなら……」
おい、アラン。
胸を押し付けられただけで簡単に意見を変えるんじゃない!
「で、では必ず明後日にはここを出発してくださいますか?そうじゃないと私、怒られてしまうんです……」
姉が色香で惑わすならこちらは泣き落としだ。
暗い表情で涙ぐめば、アランだけでなく、周りで侍っていた他の男達も同情的にこちらを見る。
やはり幾ら糞姉の色香に惑っていても、湯水のように金を使う我が侭放題の姉の所業にみんな疲れている。
そんな男たちは、時に今のように現実に返る時がある。その瞬間だけは、彼らは少しだけまともな思考回路に戻るのだ。
しかし、先ほどのアランのように、それは余り長く続かない。
糞姉が少し見つめるだけで、蜜に群がる蜂のように糞姉に吸い寄せられ、彼女を第一に考えるようになるのだ。特に一度でも姉と寝たことのある男はそれが顕著で、まるで麻薬のようだと思う。
実際、こちらに同情的な視線を寄越すものの、誰一人姉に反論してまで私を庇ってくれる男はいなかった。
「連絡して、神官様の引き止めはお父様にお願いします。ですので、お姉様。どうか明後日は私と一緒に帰ってくださいね」
「分かってるわ。何度も同じことを言わないでちょうだい」
「お姉様……」
「あんたは明後日ここで待ってればいいの!……はぁ、折角いい気分で帰ってきたっていうのに、あんたの顔を見たら疲れちゃったわ。アラン、もう行きましょ!」
言いながら不機嫌な様子で立ち上がった糞姉は、アランだけでなく、取り巻きの男達を数人引き連れながらロビーを出て行った。
途端にざわめきを取り戻す周囲の喧騒を聞きながら、私はソファーの背もたれに沈み込んだ。
「はぁ~~~~~……、疲れた……」
「お疲れ様」
私の隣にルドルフが座る。
そんな彼は、姉が去って行った方角をジッと見つめていた。
「……想像以上だった」
ボソリと呟かれた言葉に彼の驚きが滲み出ていた。
「君やシリウスの話は少々大げさじゃないかと思っていたが、アレは想定以上だった。目が無意識に惹き付けられる。乱暴な口調や傲慢な態度に一瞬で理性が戻るけれど、平民なら気にならないだろうね……」
「そうですね。実際姉に侍っているのは平民がほとんどです」
「けれど、貴族でも溺れる者はいるはずだ」
「ですので、是非アンブローズ家の方々にも気を付けて頂きたいです」
「分かった。父上にも至急連絡するよ」
言いながら考え込んだルドルフの傍に、遠くで成り行きを見守っていたアーサーさんとダルカンさんが戻ってくる。
「そ、想像以上の美女でビックリしました」
そう言ったダルカンさんは、話しながらも未だに視線は糞姉が消えた扉へと注がれている。
だが、そんなダルカンさんとは対照的だったのがアーサーさんだった。
「凄い美女でしたけど、性格は悪そうですね」
あっさりとそう表現したアーサーさんは、私に対して労いの視線を向ける。
「お疲れ様でした、フェリシア様」
「えっと、アーサーさんは惹かれたりとか、そういうのは無かったですか?」
「確かに凄い美女だとは思いますが、なんというか美術品を見ているような感覚でしょうか?……あと、全く好みではありません」
「いや、アレは好みとかそういう次元では……」
「そうですか?なんかこう、性格の悪さが滲み出ていて私としては余りお近づきになりたくない女性ですね」
さすがは、美的感覚が他とは違うタブロイ家の血。
一番糞姉の毒牙に掛かりそうなアーサーさんが、まさかの完全拒絶でビックリした。
「あと、服の趣味が悪くないですか?あのコート、メニッツミンクの毛皮ですよね?それを趣味の悪いピンクに染めるなんて……。それにドレスがキラキラし過ぎていて目が痛かったです」
私から見ても姉の装いは彼女に似合っていたと思う。あんなに体の線が出るドレスなんてスタイルに自信がなければ着られないし、着る人を選ぶピンクのコートを華麗に着こなせるのは姉くらいじゃなかろうか?だが、アーサーさんの視点では趣味が悪いらしい。
「フェリシア嬢、僕は今日ほどアーサーを頼もしく思ったことはない」
どこか遠い目をするルドルフには何も言えなかった。
まさか美的感覚が姉の美貌にまで作用するとは思いもしなかった。
「という訳で、これからはフェリシア様の本当の侍従である私がお付きとして控えさせて頂きます」
「……前から言おうと思ってたんだが、アーサーは一応僕の侍従だぞ?」
「形式上は分かっています」
「形式上……」
またしても遠い目をしたルドルフ。
これはもう、形式上ではなく、ちゃんと正式に我が家でアーサーさんを雇った方がいいのかもしれない。
「取り敢えず、私はお兄様への報告書を書いて送りますね。カレディス卿の接待をお願いしなきゃ……」
結局姉の帰郷を間に合わせられなかった不甲斐ない妹を許して欲しい。
後はもう、カレディス卿の到着が遅れることを祈るのみである。




