31.有能なベルティールさん
「お、お父様、ボロボロだった手摺りが綺麗になってますが…っ?」
「それは大工の方が補修してくれたんだ」
「父上、絨毯が新品のようですが……?」
「アンブローズ侯爵殿が使っていない絨毯を譲ってくれたんだよ」
外からは全く分からなかったが、屋敷の中が別の場所かと錯覚するほど綺麗になっていた。
よく見ればヒビ割れて無残だった窓も綺麗になっているし、玄関脇のポーチには花まで生けてある。
「なんだか自分の家ではないみたい……」
「この屋敷ってこんなに明るかったんだな……」
まるで見知らぬ屋敷に来たような気持ちで、私と兄は辺りを見渡した。
恐らくメインで使う場所だけなのだろうが、以前とは比べ物にならない綺麗さだ。
補修するとは聞いていたが、精々雨漏りを直したり窓や扉の建付けを直す程度だと思っていた。
さすがに床などは古いままだが、それでも見違えるほど綺麗になっている。
アンブローズ侯爵様が家を整える為に下働きのメイドを数人送ったと言っていたが、これはメイドがどうこう出来るレベルではない。
つまり、アンブローズ家はメイドだけでなく大工や左官なども手配してくれたということである。
恐らくかなりの費用が掛かっているはずだ。
「ルドルフ様……、さすがに滞在費代わりと言っても貰い過ぎではないでしょうか?」
「気にしなくても大丈夫だよ」
「でも……っ、お父様だってそう思いますわよね?」
「そうなんだよ。だから一度は断ったんだけどね……」
言いながら、父はチラリとベルティールさんに視線を向けた。
その視線に心得たように小さく頷いたベルティールさんは、今回の補修に掛かった費用に関する事情を教えてくれる。
「アンブローズ侯爵様から、今回の補修に掛かった費用は寄進した聖具の対価だとうかがっております」
聖具というのは『聖人のゴブレット』のことで、どうやら私が想定していたよりもあれは価値があったようだ。
予定ではアンブローズ家から無償で教会へ寄進する話になっていたが、後々遺恨が残らないようにと、捜索費用という名目でかなりの額が教会からアンブローズ家に支払われたらしい。
揚げ芋屋の開業資金は結局『ツヤーラ』を対価として渡したため、アンブローズ侯爵はこの屋敷の改装費用を対価として用立ててくれたようだ。
先に私や兄に話をすると遠慮すると思ったようで、直接父と交渉してくれていたらしい。
「そこまでして頂くのは申し訳ないと何度も断ったんだが、フェリの好きなお風呂を増築出来ると聞いてつい…っ」
「お風呂……」
今までは湯沸かしから出てくる温いお湯で体を拭いていたが、ついに我が家にも風呂が出来たらしい。
感動で思わず目を輝かせた私に、更にベルティールさんの言葉が続いた。
「私の一存で厨房にコンロを三台と保冷箱も増設させて頂きました」
「べ、ベルティールさん、ありがとうございます!」
急に羽振りが良くなると借金取りが押し寄せてくるかもしれないので、外観は以前のまま雨漏りなどの補修だけをしているそうだ。
その他は客室を含めて糞姉の部屋以外は改装済みということだった。
掛かった費用を考えるとアンブローズ家に足を向けて眠れないと思うが、聖人のゴブレットの対価というなら遠慮なく貰っておこうと思う。
決してお風呂の誘惑に負けた訳ではない。
「しかしアレの部屋だけ元のままとなれば、帰ってきた時にうるさそうだな……」
「ですのでシリウス様。シーナ様がお帰りになられたら、出来るだけ他の部屋には入らせないようにしてください。使用していない部屋には鍵をかけ、玄関や廊下などは教会の関係者を迎え入れるために急遽改装したと言い張る予定です」
「分かった、ベルティールさんの言う通りにしよう。しかし問題はアレがいつ帰ってくるかだな……」
「その件ですが、ある対策を考えておりますわ」
「本当ですか?」
「ええ」
ベルティールさんは、姉がどうやって金持ちの男を次から次へと引っ掛けてくるのか不思議に思ったそうだ。
領内では悪評が轟いているし、だからと言って金持ちの男がそうそう都合良くここまでやってくるとは思えない。
つまり誰かが糞姉に男を紹介しているんじゃないかと考えたそうである。
「宝石商のガスパルという男で、本人も随分とシーナ様に貢いでいるようですが、王都などに出向いては、シーナ様好みの金持ちを連れてきているようです」
「………まるで女衒だな……」
「シーナ様の今までの散財旅行の傾向をみますに、旅先で相手の男に散財させた後は、そのガスパルを呼び出して迎えに来させています」
旅行先からそのまま帰ってこなければいいと思っていたが、まさか領内の商人に迎えに来させているとは思わなかった。
どうりで相手の男が破産しても糞姉だけは無事に帰ってくるはずだ。
「じゃあ、そのガスパルがアレを迎えに行くのを見張ればいいという訳ですね」
「はい、既に関所の兵士には通達済みですので、ガスパルが町を出れば直ぐに分かるでしょう」
「問題は相手の男に飽きるのがいつになるかだな。飽きたところで、その地方の金持ちを引っ掛けて遊ぶ場合もあるし……」
糞姉が戻ってくるのは本当に気分次第なのだ。
しかも最近は私や兄が糞姉の私物を売り払っているのに気付いたのか、益々帰ってこない。
「あいつが今居るのはローリアだったか?」
「ここから往復で三日程掛かりますわね」
「じゃあ、最悪は俺達で迎えに行くしかないな……」
迎えに行ったところで素直に帰るとは思えないが、教会から使者が来ていると言えばさすがの糞姉も従ってくれるだろう。いや、従ってくれないと困る。
「念のため、私の方でシーナ様が滞在しそうなホテルもいくつか確認しております。本当は見張りを派遣したいところなのですが、人手が足りず……」
「だったらシャーリーに行って貰うのはどうだろ?」
ルドルフが推挙した人物は、王都から一緒に来た女性の護衛騎士さんだ。
「シャーリーには悪いけど、女性の君が見張るのが一番安全だしね」
敢えてここで男性騎士を選ばなかったのは、篭絡されて洗いざらいこちらの計画を話されたら元も子もないからだ。
さすがはルドルフである。
「もちろん今日はゆっくり休んで貰って構わないし、あっちでは見張りだけで構わないよ」
「そういうことなら喜んでローリアに向かわせて頂きます」
「うん、宜しくね」
「シャーリーさん、お任せしても大丈夫ですか?」
「勿論ですよ、フェリシア様。ローリアは海鮮が美味しい町ですので、見張りついでに堪能させて頂きます」
そう言って楽しそうに笑ったシャーリーさんは頼もしかった。
それにしても、頼もしいのはベルティールさんも同様である。糞姉の行動や交友関係をそこまで把握してくれているとは。
糞姉の部屋を漁るしか能がなかった自分達が情けない。
「色々調べて下さりありがとうございます、ベルティールさん」
「好きでやったことなので御礼は不要ですよ。私はただ、フリッツ様に迷惑を掛け続ける彼女が許せなかっただけなんです」
「ベルティール……」
「フリッツ様、微弱ながら貴方の憂いが晴れるように頑張りますわ」
「本当にありがとうベルティール。君がこの領地に来てから助けて貰ってばかりだ。情けない上司だが、これからも私を支えてくれるだろうか?」
「もちろんですわ、フリッツ様」
そう言って見つめ合う二人の距離の近いことよ。
仕事モードの時はキリリと格好いいベルティールさんなのに、父と話す時の顔は完全に恋する乙女のそれである。
「何だか、凄くいい雰囲気だよね……」
「ですね……」
兄とこっそり話しながら、そっとベルティールさんをうかがう。
事前に仕入れた情報によると、ベルティールさんは現在二十八歳。
準男爵家の長女で、学園を卒業後は城で勤めていたとか。しかしその城勤めで男性社会の柵にあって退職したそうで、それを勿体ないと思ったアンブローズ侯爵がスカウトしてこちらに派遣してくださったようだ。
話を聞いた時は父が上司で大丈夫かと思ったが、今の様子を見る限り、男性社会に対するわだかまり等は見えない。むしろ、ベルティールさんの方が積極的に父に絡んでいるように思える。
以前は心労と寝不足と栄養不足で覇気のない表情をしていた父も、今は精神的にも肉体的にも落ち着いて明るい表情をしているせいか、身内の欲目を引いても非常に格好いい。
それに、もとを正せば私達の親。そして超絶美形の糞姉の親。顔が悪い筈がない。
そんな父が仕立の良い服を着て髪もしっかり整えているのだから、ベルティールさんが惚れてしまうのも無理はないと思った。
「それよりも旦那様、このような玄関で立ち話は失礼ですよ。皆さまにはお部屋でお休み頂かなくて……」
「ばあやの言うとおりだ、申し訳ありませんルドルフ殿」
「いいえ、お気になさらず」
「では、皆さまを客室に案内いたします。シリウスとフェリは自分の部屋で着替えておいで」
「分かりました」
屋敷のビフォーアフターに驚いてる場合ではなかった。
私と兄はともかく、ルドルフや護衛さんには休んで貰わねばならない。
「では、ルドルフ様、落ち着いたらリビングでお茶でも致しましょう」
「そうだね」
そう約束して部屋へと歩き出そうとした瞬間、玄関のチャイムが鳴り響いた。
カランカランッと昔から変わらないベルの音に、ホールに居た全員が一斉に動きを止める。
「お父様、来客の予定が?」
「いや、ない……」
「借金の督促でしょうか?」
出るか悩んでいる間に、もう一度チャイムが鳴った。
そして、それと同時に明るい声が聞こえてくる。
「郵便です!誰かいらっしゃいませんか?」
「今、開けます!」
郵便の声に反射的に返事をすると、扉の近くにいたメイドさんが出てくれた。
すると、扉の隙間から見慣れた郵便配達の青年が姿を見せる。
「お手紙を預かってます。受け取りの署名をお願いします」
言いながらキョロキョロとする彼は、多分糞姉の姿を探しているんだと思う。
アレの下僕ではないが、一目だけでも見たいと思う輩は多い。
そんな彼の姿にため息を吐きながら、父は直ぐに受け取りの署名をした。
「ありがとう。あぁ、そうだ。娘のシーナは旅行中だから、今はいないよ」
「いえ、あの……、そういう訳じゃ……、えっと、署名ありがとうございます!」
モゴモゴと何か言い訳しながら、受領書を受け取った彼はそのまま慌てて去って行った。
あんな純朴そうな青年まで毒牙に掛けているのか、糞姉は……。
「ところでお父様、手紙はどちらから?」
もしかして借金の督促状かと思ったが、父が手に持っていた手紙は遠目から見ても非常に高級そうな紙だった。
「タイミングがいいのか悪いのか……」
「お父様?」
「……教会からの手紙だ」
父が手に持った手紙の封蝋印は光を表す教会十字。
そして手紙には、シーナの聖女認定に使者が赴くと書かれていた。




