29.通信光具
予め登録してあったアンブローズ邸へと送った書面通信。
その返事は直ぐに返ってきた。通信光具の前で待っていたのではないかと思わせるほど早い返信の相手は、予想通りリーズロッテ様だった。
『親愛なるシリウス様、フェリちゃん、あとルドルフ』
絶対に後から付け足したと思われるルドルフの名前から続くリーズロッテ様の返信は、何故か用紙が四枚にも及ぶ長い内容だった。
取り敢えずヒースとの婚約破棄が無事に成立したことが書かれていたが、その後は一緒にコルプシオンに行けなかった事に対する悲しみと愚痴と、ヒースへの恨み言に溢れていた。
「姉上……」
文面を読んだルドルフが微妙な顔をしながらため息を吐いている。
「リズお姉様、楽しみにしてらしたから」
「それにしても……」
「まぁまぁ、多分、急に三人もいなくなったので寂しいんですよ」
これは下手をすると追い掛けてきそうだと思ったが、その後クリス様から追加で送られてきた通信によれば、聖女の騒動が終わるまではそちらに行かせないから安心して欲しいと書かれていた。
さすがは仕事の出来る次期侯爵様である。
「でもこれで通信光具は移動中も問題なく使えることが分かったし、一安心ですね」
「本当に便利だよね」
「個人的には音声が送れたらもっと便利だと思うんですが、誰か作ってくれないでしょうか……」
商品の発注や宿の予約をする場合などは紙が有用だとは思うのだが、ちょっとした問い合わせならば断然電話の方が楽である。
転生者としての我が侭なのは分かっているけれど、利便性を知っている身としては切実に誰か開発してくれないかと思ってしまうのだ。
「確かに会話が出来たら楽だよね」
「わざわざ紙を送り合うより便利だと思うんですよ。と言うか、紙の内容が送れるなら音声も送れると思うんです」
「そもそも、どういう仕組みで送られているのか興味を引かれるね」
「ですよね」
ルドルフと二人でそんなことを話していると、兄が考え込むように通信光具を裏返した。
そして、難しい顔で蓋を開け、中に接続されている光石を睨みつける。
「お兄様、どうかしましたか?」
「いや、フェリが言うように、紙の内容を送るより、音声を送る方が簡単な気がしたんだよ」
言いながら、更に分解するかの如く部品を取り外していく兄。
「ちょっ、お兄様?!」
「組立なら自分で出来るから大丈夫」
「本当ですか? 元に戻らないと困ったことになりますよ」
金額的に非常にダメージが大きいので、出来れば危険なことは止めて欲しい。
だが、兄はどうやら非常に気になるらしく、無言で分解を始めた。
「シリウス、さすがに馬車の中ではこれ以上は危険だよ。部品が紛失したら洒落にならない」
「………確かに」
言いながら漸く分解を止めた兄だったが、その顔の眉間にはずっと皺が寄っている。
通信光具の仕組みがかなり気になるようだ。
「光具の仕組みって公開されてないのかな?」
「ほとんどの光具が秘密特許として登録されてますね」
商業関係に詳しいアーサーさん曰く、光具ギルドに登録されている商品のほとんどは秘密特許になっており、後発でより良い物が開発されて初めて公開されるらしい。
それゆえに、現状第一線で活躍している光具に関しては秘密特許になっているそうだ。
ちなみに秘密特許の正式名称は非公開特許といい、特許を所得した後も、技術を公開しない特許のことだ。
生前の日本には無かった制度だが、確か外国にはあったと思う。
そもそも、この世界の特許は前世とは若干仕組みが異なる。
まず、特許の公開時期を申請者が選べるのだ。
基本は一年以内となっているが、無期も選択できる。これが通称、秘密特許と言われる非公開特許だ。
秘密特許の審査はかなり厳しい。だが、その分メリットも大きく、他の商会は類似品を開発しても却下されるし、登録も出来ない。更に言えば、未公開期間中に販売された場合は損失補償を訴えることも出来る。
だがデメリットもある。後発商品が数段優れた物だと認められた場合は、秘密特許は問答無用で破棄されてしまうのだ。
ちなみに、我が商会の売れっ子商品であるツヤーラは一年特許にしてある。
特許の公開時期の長さにより、ロイヤリティーのパーセンテージが変わるからだ。
短期の特許に比べれば公開後のロイヤリティーは低くなるが、初発利益が莫大なため、ツヤーラは一年特許にしている。
ちなみに、ツヤーラと一緒に開発したオリーブ石鹸については、特許の申請が通らなかった。
何故なら既に植物油由来の製品として別の特許商品があったからだ。
製造方法も良く似た物であった為、特許の申請は却下された。もし販売するならば、使用料を支払う必要が出たのだ。
幸い、開発者本人は石鹸を販売しておらず、ロイヤリティーも安価だった。
なので、兄と相談して使用料を払って販売することになっている。
また、芋関係のレシピに関しての特許公開は販売後一ヶ月としている。
どうせ類似商品が出るのは分かっているし、だったら早々に公開してレシピを販売する方がお得だ。
まぁ、食品やレシピに関しては特許というよりは商標登録の側面が強い。
商人としては、類似品や劣化品を同じ商品名で売られるのが嫌なだけなのだ。
新メニューを出す度にレシピを起こして特許登録なんてしたくないから、商標登録だけしたい。そうすれば、同じ商品名の使用を防ぐことが出来る。
なので、商業ギルドのヒルデンさんには、特許と言わずに商標登録としてはどうかとアドバイスしておいた。
検討してくれるというので、今後は商品名の登録だけで済ませられそうだ。
「ところでアーサーさんは、この光具の開発者って知ってる?」
「開発者というと、光具師ですか?」
「うん。その人に相談したらどうかと思って……」
密かに私と同じ転生者じゃないかと思っているのだ。
まぁ、その場合は電話についてもよく分かっていると思うのだが、もし可能であれば一度話したいと思っている。
「残念ながら光具師の名前は秘匿になっていることが多いですね」
「そうなんですか?」
「公表すると、外野が煩いそうです。無償で修理しろと言う人がいるそうで……」
修理と少し言葉を濁していたが、要するに強引にその製品や利権を奪おうとする輩がいるということである。
「残念だな……。もし会うことが出来れば色々聞きたいのに……」
「お兄様はその通信光具を凄く気に入っておられますね」
「そうなんだ。こんな画期的な光具を作るなんて本当に製作者は凄いよ!光石を動力源にするのは理解出来るけど、転送と記憶のために別の光石を利用しようとする発想が凄いと思うんだ!特にここの回路の細かさとか…!」
通信光具について語り始めた兄は、私の戸惑う表情には気付かずに、延々と通信光具の素晴らしさを語りだす。
それは通信光具を購入してから何度もあったことだ。
そして、そんな兄の様子には身に覚えがあった。
前世の同僚にも居たのだ。普段はクールビューティーなインテリ美女が、何故か幼児向けのアニメに夢中で、そのアニメについて語り出すと止まらなかったのだ。
兄を見ていると、どうしてもその彼女を思い出してしまう。
あれだ、いわゆるオタクというやつだ。
そして私の勘違いでなければ、兄はおそらく光具オタクというやつだろう。
家にあった光具は借金のカタに殆ど売ってしまったので、その反動もあるのかもしれないが、通信光具を買ってからはずっと弄っている気がする。
「シリウス、学園には光具についての選択授業もあったから受けてみたらいいんじゃないか?」
「そんな授業が?」
「確か、有名な光具師の先生が居たはずだ。もし授業を受けられなくても、放課後は同好会で勉強するのもいいと思うよ」
「……同好会」
呟いた兄が嬉しそうに通信光具を撫でる。
学園の入学に関しては時間の無駄だと言っていた兄に、社交以外の目的が出来るのは非常に良いことだと思う。
「お兄様、商会の仕事は私が回しますので、遠慮せずに同好会などにも参加して下さいね」
「しかし……」
躊躇する様子を見せているが、兄が同好会に興味を持っているのは一目瞭然。
商会のことを気にしているのだろうが、学生らしい薔薇色の青春ライフを送って欲しい妹としては、ここで更に背中を押しておく。
「是非、商会でも売れるような画期的な光具を開発して下さい」
「それは中々厳しいね。でも折角勉強するなら、フェリの期待に応えるためにも頑張るよ」
「楽しみにしてます」
そんな話をしながらも、その時は私も、そして兄ですらそんな光具が出来るとは思っていなかった。
だが、人生においては何が幸いするか分からず、兄がとある光具の開発で有名になるのはもう少し後のことだ。




