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28.ルドルフの初体験



 出発の始めで遅れを取ったものの、アンブローズ邸を出てからの旅程は平穏そのものだった。

 馬と違って馬車での旅は快適そのもので、同じ道程を通っていても景色が違って見える。


「馬車と違って馬に乗りっぱなしは大変なんだろうね」

「そうですね。やはり最初は筋肉痛になりました」

「長距離馬車じゃ駄目だったのかい?」

「金銭的に非常に苦しかったので……」


 ルドルフの素朴な疑問に、私と兄はため息交じりに返答する。

 馬で王都に行くのは苦肉の策だったのだ。

 特に私は女性の為、道中の危険は兄以上だった。

 それでも強行に馬で移動したのには訳がある。お金の問題だ。


「うちから王都まで、直通の馬車は出てないんですよ。途中で乗り継ぐにしても、町中経由だと宿泊代も掛かるし、馬車代だけでも往復銀貨六枚ほどは必ず掛かります。しかし馬なら王都滞在中に馬屋に預ける費用だけで済むでしょ?」

「なるほど…」


 馬車代に加え、途中の宿代を入れると銀貨八枚もの額になる。前世の感覚で言えば一回の王都行きに約八万円近くの旅費が掛かる訳だ。

 金貨一枚、十万円ほどで平民の四人家族が一ヶ月暮らせることを考えれば、銀貨八枚というのは大金なのである。

 だが、野宿しながら往復を馬で駆け抜ければ、実質の旅費は王都での馬屋への預け賃だけで済む。代金は一日銅貨二枚。二千円ほどの値段だ。

 ちなみに、今回私と兄が乗ってきた二頭の馬はアンブローズ侯爵家で預かって貰っていたため、費用は掛かっていない。

 むしろ、侯爵家でいい物を沢山食べさせて貰ったようで、我が家にいる時よりも少し太ったような気がする。

 今回の帰領でも当然一緒に帰ってきており、三台目の荷馬車を引いてくれているのが我が家の二頭の馬である。

 借金返済の為に何度も売られそうになりながら、何とか手放さずに済んだ馬だ。


「それにしても、野宿って大変じゃないかい?」

「確かに大変ですけど、一応野営用に開けた土地が街道沿いには作られているので、比較的その場所は安全なんですよ」

「そんな場所があるんだ?」

「街道沿いに幾つか水の取れる開けた空き地があって、暗黙の了解でそこが野営場になってます。もう少ししたらその場所を通ると思いますよ」


 地図を見せながら兄と私で説明すると、ちょうど最初の野営場が近付いてきていた。

 すると、そのタイミングで護衛から休憩の合図が入る。どうやらこの場所で一度休憩するようだ。


「水場があると、馬も休憩させられるので、野営以外にも休憩している馬車が時々いますよ」

「なるほどね。勉強になるよ」


 実際に野営場につくと、どこかの商会らしい小さな馬車が一台止まっていた。

 私達とは反対に、これから王都に向かうようだ。

 そんな彼らと少しだけ距離を空けて野営場に乗り入れ、私達はゆっくりと馬車を降りる。


「う~ん、ずっと馬車の中にいると体が固まるね」

「そうですね」

「でも、馬よりは楽ですよ」


 馬車から降りて四人で伸びをする。

 馬より楽とはいえ、それでもずっと車内にいると身体は無意識に固まるものだ。


「ねぇ、フェリシア嬢。あそこにある建物はなんだい?」

「ああ、あれは御不浄ですよ」

「え、あれが?!」

「はい。男女兼用で余りお薦めは出来ませんが、野宿する身としては衝立があるだけでも有りがたいです」


 木を組んで囲い、穴を掘っただけの掘っ立て小屋だ。綺麗とは言い難いが、何もない野外ですることを考えれば、見えないように隠されているだけ遥かにマシである。

 むしろ、トイレの無い野営場の方が断然多く、コルプシオンから王都までの街道沿いにトイレのある野営場は十箇所ほどあるが、ここは王都に近いゆえにまだマシな方である。


「二人はこういう場所で毎回野宿を?」

「はい。水場と御不浄がある場所で、必ず誰かが野営している場を選びながら野宿しました」

「護衛がついている商会かどうかを確認してましたね。近くで野営させて貰うと挨拶すれば、見た目が子どものせいか、少しだけ気に掛けてくれましたよ」

「でも、危ない目にあったりとか」

「私はありませんが、お兄様は一度だけ馬を盗られそうになったのよね?」

「深夜、馬の鳴き声で目を覚ましたら、暴れた馬を必死で押さえている男がいました。厠に行く時に驚かせてしまったと言い訳していましたが、あれは多分嘘ですね。幸い近くにいた別の商会の護衛が来てくれたお陰でそれ以降は何も無くてすみましたが、あれ以来、寝る時は鞍に長めの縄を括りつけ、その端を持って寝ることにしました」


 兄にその話を聞いてからは出来るだけ私もそうしているし、兄と研究して中々外れない結び目を考案して馬と木を繋いでいる。

 まぁ、縄を切られてしまえばそれまでなのだが、今のところ何とか無事に済んでいるし、お金に余裕の出来た今後は、ちゃんと馬車での旅程を考えている。

 王都から東西南北に伸びる大きな街道は、騎士団が定期的に見回りをしている為比較的安全で魔獣や盗賊が出ることは殆どないが、子どもである私達が何よりも警戒すべきは人攫いである。

 だからこそ、私も兄も旅程中はいつも小汚い格好で旅をしていた。

 今回はそんな心配もないが、着替えなどを簡素化するため、私は男装姿で一見従僕のような格好をしている。


「折角馬車で帰るのに、フェリシア嬢が初めて会った時みたいな男装をしているのは盗賊を想定して?」

「どちらかというと、人攫いと御不浄の覗き対策です」

「なるほど……」


 とはいえ、私も出来るだけ利用したくないので、水分を余り取らずに頑張っている。

 騎士様二人は私達の話を苦笑しながら聞いているので、女性騎士様も経験はあるのだろう。

 ちなみに貴族女性がいる場合、トイレ専用の馬車を一台持っていくことも珍しくないそうだ。しかし幾ら馬車があるとはいえ忌避感はあるらしく、基本はひたすらレストランや宿まで我慢だと騎士の方が教えてくれた。


「凄く大変そうだけど、僕も一度体験しておこうかな……」

「本気ですか?」

「うん、何事も経験だと思うんだよね。人生何があるか分からないし」

「確かにそれはそうですけど、貴族には辛いと思いますよ」

「いや、そういう君たちも貴族でしょ?」

「……あはは…、時々忘れそうになります」


 空を見上げながら、兄が凪いだ目で無表情になる。

 私も多分同じ表情をしているだろう。


「じゃあ、取り敢えず僕は行ってくる」

「ルドルフ、その前にこれを……」

「ハンカチ?」

「鼻を押さえて下さい」

「りょ、了解した」


 兄に渡されたハンカチを握り締め、まるで戦地に赴く兵士のような緊張感で野外トイレに向かうルドルフを、残された面々で生暖かく見守る。

 だが、トイレにあと数歩という所で立ち止まったルドルフが、泣きそうな顔でこちらを振り返った。

 ちなみに、兄とルドルフは同じ年ということもあり、先日からお互いを名前で呼び合っている。

 身分差を理由に最初は遠慮していた兄だったが、様付けをするとルドルフが非常に悲しい顔するので、公式の場以外では呼び捨てにすると根負けした。


「シリウス~~~~!扉が閉まっているのだが、これは勝手にあけても良いのか?」


 獣対策で中に入らないように簡易のかんぬきがしてあるので、ずらせば直ぐに扉は開く。外から鍵がしてあるということは中に人がいないということであり、逆に閂が外れているのに扉が閉まっている場合は、中に人がいる証だ。


「俺が説明してくるよ」


 護衛の男性騎士が行こうとするのを止め、兄が苦笑しながらルドルフの傍に駆け寄って行った。

 そして、色々と使い方を説明しているのがここから見える。

 そんな二人を眺めながら、男性騎士さんが少し安堵の息を吐き出した。


「学園の高等部に入学すると課外遠征授業があるので、ルドルフ様にはいい機会かもしれません」

「遠征なんてあるんですか?」

「ええ。貴族といえど、戦となれば戦場に立つこともあります。ですがいざという時、野営が出来ないでは話にならないので、毎年一度は野営の授業があるのです。それはもう大変らしいですよ」


 学園所属の騎士に知り合いがいるらしく、騎士達にとっては一番嫌な行事になっているそうである。

やれ寝床が硬いやら食事が不味いやら、一番酷いのは野外トイレにどうしてもいけず漏らす人間が毎年必ず一名はいるのだとか。


「下位貴族は文句を言いながらもまだするそうですけど、高位貴族のお坊ちゃんは酷いと帰ってしまうそうです」

「あらあら……」

「クリス様もバーミリオン様も何とか三年間我慢したそうですが、二度とやりたくないと言っておられましたね」

「じゃあ、バーミリオン様は先日の遠征に行かれた時、大変だったんじゃないですか?」

「学園での経験があったことと、シリウス様が丁寧に教えてくださったので、何とかなったそうです」


 それに加え、【聖人のゴブレット】の発見による興奮で、瑣末なことは全く気にならなかったそうだ。


「学園だと見栄があって、怖い素振りも出来ないんですよ。でもこういう機会を一度でも体験しておけば、未知の恐怖ではなく既知の嫌悪になります」

「なるほど……、ではルドルフ様にはこの機会に色々と体験して頂いた方が良いですね」

「さすがにシリウス様やフェリシア様並は厳しいかと思いますので、お手柔らかにお願いします」

「了解です」


 そんなことを話していると、酷く顔を歪ませたルドルフが鼻を押さえながら戻ってきた。

 隣の兄を見ると、何とか目的は達成出来たようだ。


「おかえりなさい」

「ただいま……」

「ルドルフ様、感想は?」

「使い方は分かったが、出来れば二度と使いたくない」


 苦い顔をして言い切ったルドルフは、今度入学する学園の校外課外実習については何も知らない様子だ。ご愁傷さまである。


「では、そろそろ出発しようか」


 馬もある程度休ませられたので、再び私達は馬車に乗り込んだ。

 そして走り出して直ぐ、兄は嬉しそうに通信光具を取り出して膝の上に乗せた。

 先日買った通信光具を、移動中も稼動出来るか試すのだ。

 送る相手は決まっている。

 本当は商会に残って事務仕事をしてくれているカールさんに送る予定だったが、出発間際に急遽相手が変更になった。


『シリウス様の最初のお手紙を是非わたくしに送って下さいませ!』


 ヒースとの話し合いで渋々残ることになったリーズロッテ様の圧力に誰も何も言えなくなった。

 ゆえに、ここに来るまでの道中で、リーズロッテ様に送る手紙の内容を考える羽目になった兄である。

 かなり悩んでいたが『無事に王都を出ました』と無難なことを書いていた。そして余りにも目立つ余白にルドルフが追記をし、ついでに私もメッセージを書く事になった。

 リーズロッテ様はもしかしたら兄だけの手紙を欲していたのかもしれないが、ヒースに見られると面倒なので、私とルドルフも寄せ書きした形だ。

 書面が埋まったことにホッとした様子を見せた兄が筆不精なのを知っているのは恐らく私だけだろう。

 とはいえ、何とか書面を埋めることに成功した兄は、早速アンブローズ侯爵家へと最初の通信を試みた。





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