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26.帰領準備



「トラスト・カレディスが実家に戻る目的はただ一つ。教皇様との面会を取り付けるためだと思います」


 聖人のゴブレットの発見で未だにお祭り状態が続いている教会において、トラスト・カレディスは相当焦っているようだ。

 私達からの聖女密告手紙を発見して直ぐに教皇様への面会を申し出たトラストだが、多忙を極める教皇様から許可は出なかったとか。

 現在実家であるカレディス伯爵家に泣きついているそうで、寄り親であるリックス侯爵家を通じて近々教皇との面談を取り付けるだろうと思われる。

 そこから直ぐに女神の宝玉を借りられる訳ではないだろうが、ゴブレットフィーバーに湧いている今なら、神の思し召しと言って強引に押し切りそうだ。


「姉の捕獲や屋敷の準備には少し時間が掛かると思います。それに、揚げ芋屋が開業すれば、中々落ち着いて時間も取れません。だからこそ、今の内に帰領してある程度の準備を整えておきたいと思います」


 改築中の店舗が完成するまで最低でも一ヶ月以上はかかる。今は準備を進めている段階だが、マリアンヌさんが中心になって進めてくれているので助かっていた。

 『ツヤーラ』に関しても事務方として雇ったカールさんが出荷調整などの管理をしてくれているので、私がいなくても商会は回っている。


「あの気まぐれの姉のことですから、余裕を持って準備したいと思います。なので、お兄様。予定通り、商会のことはお任せしますね」

「……それなんだが、俺も一緒に帰ろうと思うんだ」

「お兄様?」

「やはり、フェリと父上だけでアレを捕獲するのは厳しいと思う。気まぐれなアレのことだ。聖女になりたいからと言って、大人しく屋敷にいるとは思えない。ギリギリまで遊び歩きそうで不安なんだ」

「でも、商会の仕事だけじゃなく、お兄様には学園の入学準備も結構ありますよね?」


 王都に来る前まで、兄は王立学園には入学しないつもりだった。費用面の不安に加え、糞姉の追い出しに成功した場合、奴は必ず学園に通おうとする筈だからだ。学年が違うとはいえ、これ以上あの顔を見たくないと兄は断言していた。

 幸いにして学園の入学は貴族にとって必須ではない。地方貴族の中には通わない人間も一定数いる。特に学びたいことが無いと思った兄は、このまま商会に力を注ぐ予定となっていた。

 だが、ここでアンブローズ侯爵から忠告が入る。

 今後も商会を運営していくなら、将来を見据えた人脈を学園で作るべきだと言われたのだ。

 また、同じ年のルドルフからも一緒に学園に行きたいと言われ、悩んだ末に兄は学園への入学を決めた。

 この決定には私も大賛成だった。

 糞姉のせいで落ち着いて見えるが、兄はまだ十五歳の若者だ。兄の人生を糞姉の尻拭いと仕事だけの人生にさせたくない。友人を作り、青春を謳歌するべきだと私は思っている。

 手紙で報告した父も喜んでくれたし、商会の売り上げで入学費用も何とか工面出来た。

 唯一の心配は学力面だったが、父に習ってずっと勉強していた兄は問題なかった。とはいえ、学園は貴族であれば無試験で誰でも入学でき、入学後にクラス分けの試験があるだけだそうだ。

 馬鹿でも入れる学校に価値があるのかと一瞬思ったが、どうやら進級するのが大変だとか。学年末試験に合格しなければ進級できないそうである。

 しかも試験内容は勉強だけでなく、マナーから始まり、乗馬や剣術、社交ダンスまであるそうだ。

 そのせいで、入学準備もかなり大変だった。制服や学用品の準備だけでなく、乗馬用の馬具一式や運動着に模造剣、さらには社交ダンス用の服や靴まで準備する必要があり、前世では無縁だった学用品の数々に眩暈がしそうだった。

 幸い、中古で良ければと、クリス様やバーミリオン様が使っていた中古品をアンブローズ家で用意してくれた為、馬具などはどうにかなった。兄とクリス様は体型も似ているので、乗馬服なども譲ってくれたのだ。

 それが無ければ、どれだけの出費になっていたことだろう。恐ろしい……。

 さらに面倒なのは、学力面ではなく政治面、いわゆる貴族の社交に関してだ。

 高位貴族の名前を覚えておかないと、学園でうっかり粗相をしてしまうことも考えられる。


「学用品は既に用意済みだし、入学中の高位貴族は大体把握したから大丈夫だよ」

「いつの間に?」

「ゴブレットの捜索に出た時に貴族名鑑を持って行ったんだ。夜は暇だから、バーミリオン様や護衛の方々に教えて貰いながら、派閥も頭に入れた」


 どうしよう、うちの兄は優秀過ぎないだろうか?

 まさか、旅の間の暇潰しに貴族名鑑を持っていくとは誰が思う。


「という訳で、一緒に帰ろうフェリ」

「で、でも、二人して王都を離れるのは危険じゃありませんか?」


 タブロイ兄弟やマリアンヌさんはよく働いてくれているが、何かトラブルがあることも考えられる。


「確かに少し不安だけど彼らなら信用出来るし、その為に買った通信光具だ。今後も、俺やフェリの二人が王都を離れることはある。その為の予行演習だと思えばいい」


 通信光具とは、前世でいうファックスのような光具のことだ。

 相手から連絡が入れば光具が点灯し、登録している人物が手をかざせば相手から送られた文章を印刷できるという優れ物である。

 これを初めてアンブローズ侯爵家で見た時は本当に驚いた。

 私以外にも転生者がいるんじゃないかと思うほど、形も前世のファックスにそっくりだったのだ。

 残念ながら電話機能はなかったが、遠隔地との手紙のやり取りが簡単に出来るとなれば買うしかなかった。


「移動中の馬車の中からも通信できるか試したいってフェリも言ってただろ?俺だったら使い方や設定も分かるから、ちょうどいいと思う」


 通信光具を購入してから、兄は初期設定を色々弄くっていた。楽しくて仕方ないらしい。

 お蔭で、少々の不具合なら自分で直せそうなほど詳しくなっている。

 確かに領地に持って帰った光具に不具合が有っても私には直せない。私は光具の使い方を覚えるだけで精一杯だった。

 それとは反対に、兄はよく使う番号の登録や、紙の設定、光り具合などを細かく調整していた。

 ちなみに、この通信具は光具ギルドにてそれぞれに番号が振り分けられており、必ず番号使用者を光具ギルドに登録しなければいけない。

 そしてこの登録番号は、使用者一覧として冊子が販売もされている。前世でいう有料の電話帳のようなものだ。

 もちろんもこの冊子も購入済みだ。冊子の中には王宮の各部署の番号や大手の商会、宿屋や各貴族家の番号も記載されている。

 最近の貴族家では、王宮への問い合わせは専らこれを使っているそうで、未だに手紙でやり取りする貴族は遅れていると馬鹿にされるとか。

 とはいえ、税収などの正式書類に関しては当主印の押された実物が必要であり、また恋文などの個人的なものは手紙で送るのがマナーとされている。

 ちなみに、商会用と実家の男爵家用の二台を買っただけで、ツヤーラの初回出荷分の利益の八割が消えた。本当に高かった……。


「それと、父上が心配なんだ。手紙では元気そうだったが、かなり無理をしていそうだと思って……」

「確かにそうですわね……」

「入学してしまえば当分は領に帰れない。だから一度どうしても帰っておきたい」

「お兄様……」


 アンブローズ侯爵様が文官の方を派遣して下さったので、領主として仕事は大分楽になったと聞いた。

 だが、糞姉はいつもの調子でトラブルが勃発しているそうだ。

 父は何も言ってこなかったが、文官さんから侯爵様への報告には呆れるような報告が満載だった。

 報告を読んだ侯爵様が『私ならとっくの昔に始末しているな……』と呟いていたのが印象的だったが、それをすると危ないのはこちら側なので、今は嵐が過ぎるのをひたすら耐えている状態だ。


「幸いアレは一昨日からローリア地方に旅行中だ。おそらく二週間は帰ってこないだろう。それなら、アレと顔を合わせるのは最低限で済む。耐えられないなら、俺だけ先に帰ってもいいしな。だが、追出作戦は万全を期したい。アレを聖女に祭り上げる為には少しの失敗も許されない」


 確かに私だけでも作戦の遂行は可能だ。

 だが、兄の言う通り、気まぐれで我が侭な姉ことだ。

 どのようなトラブルを引き起こすか分かったものじゃない。


「分かりました、お兄様。カールさんやブルーノさんご夫妻には迷惑をかけますが、一緒に帰りましょう。そして、出来ればその時に姉とは縁を切れるように頑張りましょう」

「我が侭を言ってすまないな、フェリ……」

「何を仰いますの、お兄様。お父様だって、お兄様の顔を見たいはずですわ」


 本来ならここまで王都に長居する予定ではなかったのだ。

 父だってきっと寂しい想いをしているはずだ。

 そう考えれば、やはり兄と共に帰領するのはいいタイミングだったかもしれない。


「では、お兄様。リズお姉様とヒースの話し合いが終了次第、領に向けて出発しましょう」

「そうだな。カールさん達やスナイル工場長にも話しておかないと駄目だろうし」


 商業ギルドにも顔を出さなければいけないだろう。

 二人して王都を空けるとなれば、やることは山積だ。


「あのさ、二人の帰領に僕も付いていっちゃ駄目かな?」


 明日からの予定を考えていると、ルドルフが突然そんなことを言い出した。

 まさかの彼の言葉を私は慌てて止めに入る。

 侯爵子息とは思えないほどフットワークの軽い彼だが、さすがに領地までの遠出は無理がある。


「ルドルフ様、何を言ってるんですか?貴方だって入学の準備があるでしょ?」

「それはもう終わってるよ」


 兄と同じ年のルドルフも学園に入学することが決まっている。

 だが、中等部からの持ち上がりであるルドルフが用意するのは制服と教科書くらいなもので、準備らしい準備は必要ないらしい。

 とはいえ、幾ら暇だからと言って領地まで同行されるとそれはそれで困ってしまう。

 我が家は人様を迎え入れられるほど裕福ではないし、屋敷もボロボロだからだ。


「前からずっと君達の領地には行って見たかったんだよね。ちょうど明後日から長期休みに入るしさ」

「田舎で何もありませんよ」

「王都から馬で四日なら全く田舎じゃないよ」

「辺境よりは確かに近いですが……」


 一番遠い辺境は王都から馬車で一ヶ月近くも掛かる。早掛けの馬を用いて乗り継いでも二週間以上掛かるという遠さだ。

 だが、辺境よりも近いとはいえ、野宿をせずに町中で泊まりながら進むとなれば、最短でも五日は掛かる。


「今回は荷物も多いので馬車で帰る予定です。つまり、往復で最低十日間は馬車ですよ。それに、ルドルフ様はトラスト・カレディスに顔を知られていませんか?」

「……そう言えば、知られているな」


 あ~~……と残念そうな声で脱力したルドルフだったが、どうやらどうしても一緒に行きたいらしい。

 眉間を寄せながら、何か良い方法はないかと思案している。


「カレディス卿が来ている時は隠れていれば問題ないよね?」

「それはそうですが……」

「それに、僕と一緒なら帰領費用はアンブローズ家で出すよ?今回は高価な通信光具もあるし、道中は宿に泊まるんだろ?僕が一緒なら、馬車から宿代まで全部込み込みだよ?」


 まるでどこかの携帯電話会社のようなセールストークに私は唸るしかない。

 以前と違ってそこまで切羽詰まっている訳ではないが、お金に余裕がある訳ではなかった。

 にっこりと笑ったルドルフは私の心情をよく理解している。悔しい。


「通信光具を買ったらお金無くなったって言ってたよね?」

「ぐっ、確かにそうですが、でも…、費用に関しては商業ギルドで借りる予定になってるので……」

「そうなの?」

「はい」


 先日商業ギルドの規約を読んでいたら、会員を対象にした貸付制度があることに気付いた。

 ヒルデンさんに確認したところ、事業計画を出し、保証人を付けられるなら、一般的な金利よりも安く借りられるそうだ。

 店舗改築費用が幾ら侯爵家持ちとは言え、備品やタブロイ兄弟の給与は当然商会の負担である。

 初回販売分の残金と姉の宝飾品を売ったお金があったので切り詰めれば何とかなると思っていたが、従業員の生活が掛かっている現状、ゆとりの有る資金繰りをしたいと考えていた。

 兄にも相談したところ、借りることで意見が一致した。

 保証人は父にお願いする予定だ。貧乏な低位貴族だが、領地持ちの貴族は信用がピカイチらしい。

 ちょうど領地から父の保証人書類も届いたので、明日にでも手続きをする予定である。


「じゃあ、僕の存在意義は?」

「いや、存在意義とかそんな重い話をされても……。そもそも、どうしてそこまでして我が家に来たがるんですか?本当に貧乏なので、ろくなおもてなしは出来ませんよ」


 ルドルフ付きの侍従さんや護衛が一緒なら、なおさら彼らの部屋の準備なども必要になる。

 屋敷自体は無駄に広いので部屋は有り余っているが、手入れをしていないので荒れている。トラスト・カレディスを迎えるためにもそれらを整える必要があり、とてもじゃないがルドルフ達の分まで整えている余裕がない。


「ん~~、僕も迷惑かなっとは思ってるんだけど、父上に一度見ておいた方がいいと言われたし、僕自身も凄く興味があってさ……」

「興味?」

「実はさ、君達の姉を一度見てみたいと思ってるんだ」

「え、アレを見たいんですか?」

「うん。君たちの話を信じていないわけじゃないんだけど、本当にそんな女性がいるのか、半信半疑というか……。正直に言うと怖いもの見たさって感じかな。それと、君たちの計画が上手く行ったら、いずれ学園で会うことになるだろ?だから心構えをしておきたいというか……」


 なるほど、百聞は一見にしかず…というやつである。

 幾ら書面や伝聞で怪物の話を聞いても、実際に見なければ話半分だと思われても仕方ない。


「多分、僕なら年齢的にも彼女の攻略対象外だろ?自分の耐性がどれくらいあるか知りたいし、対策も練りたいんだよね。もし彼女が聖女に認定されれば、間違いなくリオン兄様とも会うことになるだろうし」

「そうですね。クリス様はともかくバーミリオン様は……」


 疑うことを知らなさそうなバーミリオン様では、直ぐに糞姉の毒牙に掛かってしまいそうだ。

 深い関係にならずとも、気づけば財産を吸い尽くされているように思う。もしくは地位を利用されても不思議ではない。


「バーミリオン様には、ゴブレット探索中に散々アレの悪行を吹き込んでおいたから、大丈夫だと思うよ」

「お兄様…」

「多分、皮だけ綺麗な怖い怪物くらいに思ってるはず」


 姉の名前を出すだけで怯えるようになっているそうだ。

 兄は一体何を言ったんだろう。

 だが、どれだけ怖い話を聞かせても、悪評が鳴り響いても、あの糞姉の美貌を前にすると、誰も彼もが虜になっていく。


「でも、ルドルフ殿に実物を見て貰うのはいい案かもしれない」

「お兄様まで……」

「取り敢えず、リーズロッテ様の婚約話がハッキリしてから決めてもいいんじゃないかな?話し合いには実際に現場に立ち会ったルドルフ殿の証言は重要だと思うし。それに侯爵様の許可も必要じゃないかな?」

「父上は反対しないと思うけどな……」


 むしろ反対して欲しいと思うが、現状は侯爵様の判断待ちとなった。

 どちらにせよ、今日の報告を上げてから、ヒースとの婚約話がどうなるかによって変わる気もする。


「私も行こうかしら?傷心旅行と言えば、反対されないと思わない?」

「リズお姉様まで……」


 この姉弟のフットワークの軽さに眩暈を覚えつつ、何となく今回の帰領は大所帯になりそうな予感がした。


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なんというか、クソ姉が聖女うんたら無くっても、成功報酬をたんまりと揉め事解決に脅したら、すごく優秀なハニートラップになるんじゃないかな……とか用法を考えてしまった。 何だったら足がつかないように直接接…
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