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20.兄の帰還



 ようやく待ちに待った兄が帰ってきたのは、揚げ芋屋店舗を視察した日のおよそ三日後の午後のことだった。

 予定より少々遅れたのは、途中で雨にあったからだ。土砂崩れで迂回する必要があったらしく、予定より一日過ぎの帰宅となった。

 長旅だった割に兄は比較的元気な様子で、少し草臥れた感じではあったが、その薄汚れた姿さえも格好良かった。

 むしろ、少しだけ疲れた様子が色気を醸し出しており、兄を見たリーズロッテ様の目が、完全にハート型になっている。

 

 これ、大丈夫だろうか?

 糞姉がリーズロッテ様の婚約者を誘惑する前に、兄がその婚約者から訴えられたりしないだろうか?


「ただいまフェリ、元気にしてたかい?」

「もちろんですわ、お兄様。アンブローズ家の皆様には大変良くして頂きました」

「それは良かった。皆様、妹が大変お世話になりました」

「いいえ、寧ろ世話になったのはこちらの方ですわシリウス様!フェリちゃんが居てくれたお陰で毎日が楽しくて!」

「リーズロッテ様が妹の話し相手になって下さったのですね。ありがとうございます」


 にっこりと微笑む兄に、言葉もなくポーッとするリーズロッテ様。

 やり過ぎですよ、お兄様……


「ところでお兄様。バーミリオン様は?」

「バーミリオン様はそのまま教会へ行かれたよ。『聖人のゴブレット』に関しては手紙で既に知らせているので、あちらは今か今かと待っているそうだ」

「………つまりは順調にコトが運んでいるという事ですね?」

「そういうことだ」

「うふふ……、これでようやく糞姉を追い出せますね」

「ああ、ようやくアレを処分出来ると思うと嬉しくて堪らないな」


 兄妹そろって黒い顔で微笑む。

 姉を聖女に担ぎ挙げる準備が着々と進んでいると思うと、笑いが止まらない。


「ところで実はお兄様に急ぎご報告が…」


 疲れているところを悪いが、私は早速『揚げ芋屋』の開業の話を語った。

 既に店舗まで用意しているという話に、兄の目が大きく見開かれる。


「そこまで進んでるのかい?」

「はい、アンブローズ家の皆様が非常に乗り気で」


 私の言葉に、傍でニコニコと私達の話を聞いていたリーズロッテ様へと兄が視線を向ける。

 その仕草だけでリーズロッテ様のお顔が一気に真っ赤に染まった。

 本当に、婚約者様との関係は大丈夫だろうか……?


「俺達からすればありふれた物なのですが、そこまで気に入って頂けたのですか?」

「それはもう…っ、父も兄も、お母様でさえもパクパクと食べておりましたわ」

「そうですか」

「兄など、会合の時に薄揚げ芋を持って行って以来、呼ばれる頻度が増えたそうですわ」


 嫡男同士が集まる気軽な会合の終わり、ワインの肴にと少しだけ振舞ったそうだ。

 それ以降、最初に作ってからまだ三日しか経っていないのにも係わらず、昼夜呼び出されるとか。

 簡単なものなので真似すれば良いと思うのだが、許可を取らずに真似するのは下品という風潮があるらしく、基本は公開予定のレシピ待ちだそうだ。

 そのお陰で、アンブローズ家の厨房では現在専任の揚げ芋担当がいる。

 昨日少しだけ覗いた厨房では、死んだ表情で皮を剥いている担当さんがいた。申し訳ない気持ちで一杯である。


「なるほど、そこまで皆さんに受け入れられたとは嬉しい限りです。じゃあ、その話も早々に詰めてしまわないといけないな」

「はい。お兄様にも一度実際に見て頂きたいのですけれど、まずはゆっくりと疲れを癒して頂くのが先かと」

「ありがとう、フェリ…」


 そう言って私を優しく撫でた兄は、アンブローズ家の方々に礼を言ってから客間へと入って行った。

 これから湯浴みをして休んで頂く予定だ。

 ちなみに兄の湯浴み係は、侍女の方々の熾烈な争奪戦の結果、ベテラン侍女様が勝ち取ったとか。

 しかし兄は基本自分で何でも出来るので、侍女の方の出番はタオルを差し出したりするだけである。

 それなのに苛烈な争いが起きるそうで、兄の貞操が若干心配になる私だ。




 その後、仮眠を取った兄が起きたタイミングで、アーサーさんを交えた三人でトリートメントの製造状況や出荷予定、それから揚げ芋屋の準備状況の説明に入った。

 何故か侯爵家の中でアーサーさんは私の専任のような立ち位置で、ありがたい事に商会関係の仕事もお手伝い頂いている。

 そんなアーサーさんがある程度の状況を紙に纏めてくれていたこともあり、兄への説明は比較的スムーズに進んだ。


「スナイル工場長さんにお願いして、王家の頭髪保湿剤は別室にて専用樽での作成をして頂いております。装飾したガラス容器の高級保湿剤と一般販売用の保湿剤についても今後は樽分けしていく予定です」

「いいと思うよ。香料などを考えれば分けないと匂いが付きそうだ」

「はい。香り毎に樽も分けるとスナイルさんも仰って下さいました」

「手間を掛けさせる分、またお礼をしないとね。ところで、王家への献上日程は決まったのかい?容器も見せて貰ったけど、試作の時より更に良くなっているね」


 そう、昨日やっと領地の父から高級品用のガラス瓶が届いたのだ。

 王家用はとりわけ美麗に作られており、貴族用のガラス瓶も非常に美しい仕上がりになっている。

 父とガラス職人さんの努力の結晶だ。

 王家への献上が決まったと言ってからは職人さんも相当気合を入れてくれたらしい。


「少し大げさな表現だけど、容器自体が宝石のように見えたね」

「はい。私もそう思います。そこで、容器の呼称を宝石瓶と名づけようと思うのですがどうでしょう?」

「それは良いな。宝石瓶シリーズで売り出そう」


 王家への献上についてはリーズロッテ様とアンブローズ侯爵夫人が責任を持って下さるという話だった。

 そして、献上する宝石瓶には、王家の紋章と王冠のデザインを入れてある。

 このデザインは王家の専用とし、許可が貰え次第、商業ギルドで意匠登録をする予定だ。


「容器を明日工場へ納品しますので、おそらく二日後には宝石瓶の保湿剤は出荷可能になると思います。宝石瓶の初回出荷に関してはアンブローズ侯爵家へそのまま全品納品。その後の采配については侯爵夫人に一任する予定です」

「手間を掛けて申し訳ないが、アンブローズ家の有利になるよう侯爵夫人に使用して頂こう」


 この件に関しては私と侯爵様との間でしっかりと契約を交わしている。

 一般用の販売に関してはギルドに卸すが、宝石瓶のトリートメントに関しては、しばらくの間アンブローズ家のみに卸すことにした。

 卸すと言っても価格は無償だ。これは、私から侯爵家へ提案した揚げ芋屋出資の対価だった。

 当初無償で出資して貰えるという話はしていたのだが、やはり後々の面倒を防ぐ為にもしっかりとした対価を払いたいと私から侯爵様に再度お願いしたのだ。

 出来れば私もタダで貰えるならそうしたかった。しかしタダほど怖いものはない。特にこれから糞姉関連やトリートメント事業で迷惑を掛ける事もある為、悩んだ末に分割払いを申し出たのだ。

 その申し出に侯爵様は渋られたが、聖女関連で痛い腹を探られた時、無償だとバレれば面倒なことになる。

 という訳で、きちんとした書面を作成し、お金ではなくトリートメントを対価として出資金の返済をする旨の契約を交わしたのだ。宝石瓶を三百本、数回に分けて納品する条件となっている。

 また、アンブローズ家への納品が完了するまで、他へは一切売らないことも条件に盛り込んだ。

 この対価を安いと思うか高いと思うかは人次第だが、出資して得したと思って頂けるように頑張る次第だ。


「現在貴族でこれを手に入れられるのは我が侯爵家のみで、奥様はどこの茶会にも引っ張りだことの事です」


 実際、王家への納品もアンブローズ家経由となる。

 理由は簡単だ。私達の商会はまだ王宮への納品が許されるレベルではないからだ。

 これはあくまでもアンブローズ家から王家への献上品となる。

 ゆえに、アンブローズ家のためにも下手なものを作成できないが、逆に言えば、王家へ献上できるほどの品はアンブローズ家経由でしか手に入れられないのだ。

 トリートメントが欲しければアンブローズ家に頼む他になく、他派閥の女性は目を吊り上げて歯軋りしているとか。

 近々一般的なトリートメントに関してはギルドと契約済み商会にて販売開始となるが、高級路線である宝石瓶入りの香り高いトリートメントはまだ販売されない。

 故に、販売後はまた侯爵夫人に注目が集まる算段である。

 ちなみに、昨日届いた宝石瓶も真っ先にご覧になり、王家献上分以外の宝石瓶を睨むようにリーズロッテ様と二人で検分していた。

 そしてお気に入りの瓶を真っ先に確保した二人は、それはもう朝からご機嫌で部屋に飾っているらしい。まだ中身が入っていないからこそ部屋で楽しめるとご満悦だ。

 なので、アンブローズ家へは詰め替え用を渡している。好きなタイミングで中身を入れて貰う予定だ。


「社交界でも話題になっているそうで、出資分の元は取れたと旦那様は仰っていました」

「そう言って頂けるとこちらとしても嬉しい限りです」


 この調子なら、スナイルさんにお願いしてアンブローズ家専用の樽も作って貰った方が良いかもしれない。

 奥様とも相談して、アンブローズ家だけの香を調合すれば、出資の良いお返しになるんじゃないだろうか。


「ところでお兄様。揚げ芋屋よりも早急に解決しなければいけない問題がございます」

「…アレのことかい?」


 バーミリオン様が戻ってきた今、彼の政敵であるトラスト・カレディスはかなり焦っているはずだ。

 聖人のゴブレットに盛り上がる教会を尻目に、何とかバーミリオン様を出し抜くべく躍起になっていると思われる。


「侯爵様はどのような手を?」

「私達が送った手紙をカルディス卿の目に留まるように手配してくれています」


 やはりというか何というか、私達の送った例の手紙は悪戯として早々に処分されていた。

 教会に送られてくる書簡を管轄する神官が、どうせ悪戯だろうと見過ごしていたという話だ。

 だからこそ、侯爵様の息の掛かった神官を手配し、さりげなくトラスト・カレディスが意識を向けるように仕掛けるという事だった。


「しかしその書簡担当はどうして手紙を無視したんだろうな?大司教様の御神託の地が係わるなら、念のため上に聞いても良さそうなのに……」

「どうやら大司教様の御神託は極秘だそうで、上層部しか知らないとの事ですわ」

「なるほど……」


 ぶっちゃけ、私達の手紙作戦は最初からかなり破綻気味だったのだ。

 あのまま行けば、何かあっても担当の神官は責任逃れの為に手紙の存在を隠匿しただろう。

 そんな手紙は来ていなかったと言えば、助言を無視した責任逃れが出来る。

 そう考えれば、早い段階でルドルフと知り合えたことは僥倖だったと言えた。


「手配の者からの報告だと、無事に手紙はトラスト・カレディスの目についたようです。明日にでも教皇様に事情を話し、『女神の宝玉』を借り受ける算段に向かうのではないかという話でした」


 アーサーさんの言葉に、私と兄は顔を見合わせる。

 アレの処分が早まるのは嬉しいが、少し展開が速すぎるのだ。


「宝玉ってそんなに直ぐに借りられるものなのでしょうか?」

「いえ、おそらくは最低でも一ヶ月以上掛かるでしょう。特に今は『聖人のゴブレット』の発見で教皇様もお忙しいはず。トラスト・カレディスの話に時間を割いている暇はない。けれど奴は焦っているはずです。実家の権力を使ってでも一ヶ月以内には必ずどうにかすると思われます」

「……つまり、こちら側も早々に準備を始める必要があるという事ですね」


 準備とはズバリ糞姉の捕獲だ。

 ふらふらとあちこちの男と遊び歩いている姉は、滅多に家へ帰ってこない。

 折角トラスト・カレディスがやって来ても、前回と同じく会えないのでは意味がない。


「では、ある程度の仕事が片付きましたら、私は一旦領へと帰らせて頂きますね。お兄様は引き続きこちらで商会の仕事をお願い致します」

「………一人で大丈夫かい?」

「お父様もいらっしゃいますので大丈夫です。それに私は余り糞姉には警戒されていません。その分誘導も上手く出来るはずです」


 前世を思い出すのが少し遅かったせいか、糞姉は私のことを炉端の石程度の認識しかしていない。

 目の前にいれば邪魔だが、隅にいる分には邪魔にならないという感じだ。

 特に暴力を振るわれたりした記憶はなく、会話も一応は成り立つ。

 と言っても、会話らしい会話と言えば姉に来た手紙や贈り物を渡す時だったので、糞姉の認識では宅配物保管運搬係くらいだと思う。

 対して兄と糞姉の仲は険悪と言っていい。

 何かあれば反発してくる兄のことを糞姉は邪魔だとしか思っていないはずだ。

 故に、姉がどちらの言葉を聞くかと言われれば、私の方がまだ会話が成り立つのだ。


「基本の会話はお父様任せになりますが、出来るだけ姉が乗り気になるような誘導を致します。そして今回の私の一番のお相手は姉ではなく、カレディス卿です。是非彼には姉の引き取り先になって貰わねば」


 兄や父が何か言うよりは、『姉に迷惑を掛けたくない…』と涙ながらに少女が訴える方が効果を期待出来る。

 そこからどこかの養女になれるように誘導するのだ。


「お兄様、私頑張りますわ」

「頼んだぞ、フェリ。何かあれば直ぐに駆けつけるから、遠慮なく連絡しておいで」

「我らが悲願、絶対に成功させてみせます!」


 握り拳で健闘を称えあう兄妹に、若干アーサーさんが引いているように感じるが、そんなものは無視だ。

 これでやっとあの糞姉を処分出来る道筋が見えた。

 ここからが正念場だ。絶対に頑張ろう!


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