17.工場にて
「よ、ようこそおいで下さいました、フェリシア様……と、えっと……」
「ルドルフ・アンブローズだ。今日はフェリシア嬢に無理を言って同行させて貰ったんだ。宜しく頼むよ」
「同じくリーズロッテ・アンブローズよ。宜しくね」
二人を見た瞬間に固まってしまったスナイル工場長さんを尻目に、アンブローズ姉弟はマイペースに工場の中へと入って行く。
その様子を恐る恐る見つめるスナイルさんは、僅かに震えているようだった。
「すみません、急に同行すると言われて……」
「フェ、フェリシア様……っ」
「むやみにその辺りの物を触らないように言ってありますので、少しだけ見学させて頂けますか?」
「も、もちろん構いませんが…っ、従業員が粗相をした場合どうすればいいか……っ」
従業員といっても家族経営の小さな町工場だ。中で働いているのは家族と近所のパート主婦の方々だった。
もし貴族の子息令嬢に何かあれば…と、スナイルさんは泣きそうになっている。
「お二人ともお優しい方ですから無体はされません。安心して下さい」
無茶振りはするかもしれないけど……と、心の中でそっと謝っておく。
そしてそんな私の予感は当たるもので、石鹸の型抜きをしたいと言い出したり、大樽で配合していたトリートメントを掻き混ぜたいと言い出したりと、お二人はこちらが思うよりも工場見学を楽しんでいる様子だった。
最初はハラハラと見守っていたスナイルさんも最後は二人の対応を息子さんへと丸投げし、自分は出来るだけ係わらないように私と納品の相談をしていた。
少しだけ痩せたかもしれません……と、ふくよかな腹を撫でながら呟くスナイルさんに、私はそっと手土産の芋ケンピを差し出す。
これで今日磨り減った贅肉も元通りですよと冗談めかして言えば、隣にいた奥様が静かに箱を没収していった。甘い物は制限されているらしい。
「フェリシア様、いつもいつも差し入れをありがとうございます」
「いえいえ、スナイルさんにはいつもお世話になっておりますので。私こそ、もっとお洒落な手土産を…と思うのですが、まだ王都には不慣れでオススメのお菓子が分からず…」
決して予算の関係とは言わない。
貧乏男爵とて、少しくらいの見栄はある。
「けれど、前回頂いたラスクというお菓子も非常に美味しかったですわ。主人が一人で食べようとするので、止めるのが大変だったんですよ」
「そうだぜ、親父。フェリシア様からの差し入れを独り占めしやがって」
工場見学が終わったアンブローズ姉弟を連れて事務所へと戻ってきた息子さんが、スナイルさんに苦言を漏らすと、何故かそこへリーズロッテ様が参戦した。
「けれど、工場長さんの気持ちも分かりますわ。フェリちゃんの作るお菓子は素朴でとっても美味しいんですもの。今日持ってきたものも、是非食べて頂戴。………手が止まらなくなるわよ」
真剣な顔で脅すように言うリーズロッテ様に苦笑しながら、私はついでとばかりに新しく始める店の話も始めた。
「実は、今日お持ちしたお菓子のお店を始める事にしたんです。宜しければ、また食べた感想などを聞かせて下さいね」
「新しいお店ですか?どの辺りに?」
「大通りの北端にある、元パン屋だった店舗です。実はこの後はその店舗の下見に行く予定なんです」
私が店舗予定地を話すと、途端にスナイルさんと息子さんの表情が曇った。
「えっと、もしかして何か問題のある場所だったんでしょうか?」
「……あ~、実は、店舗に問題があるんじゃなくて、その隣がちょっと……」
「隣?」
呟きながら、この店舗を契約してきてくれた侍従のアーサーさんを振り返る。
そうすると、彼は今日一番の笑顔で現状を教えてくれた。
「隣はこの王都で五番目に大きなレストランです」
「えっと、それが何か問題が?」
レストランならテイクアウト中心の揚げ芋と競合することもないだろう。
だが、話はそう単純ではないようだ。
「以前のパン屋なんですが、実は隣からの嫌がらせで廃業してしまったんです」
「何かお店同士で揉め事が?」
「いいえ、どうやらレストランからの一方的な嫌がらせだったらしく……」
言葉を濁したスナイルさんに代わり、背後で私達の話を聞いていた従業員の方が恐る恐る話に入ってきた。
「あの……、実は私の従兄が以前の持ち主なんです…」
「パン屋さんの?」
「はい。従兄の店は先代から続くパン屋で、レストランが出来る前からあの場所で商売をしておりました。しかし、レストランが出来てからというもの、酷い嫌がらせが頻発するようになり、奥さんが体調を崩して廃業することになったんです」
「嫌がらせ……」
「ゴミを店の前にバラ撒かれたり、客のふりをした輩に難癖を付けられたりと…、かなり酷い状況だったようです」
「まぁ、それは最低ね……」
何故レストランがそんな事をしたかというと、いわゆる地上げが目的だったらしい。
レストランはL字型に建っており、どうしてもパン屋の土地が欲しかったようだ。
パン屋を手に入れれば、レストランは王都で三番目の大きさになるとか。
その思惑があったせいか、嫌がらせはかなり酷かったという。
しかし、ここである誤算が発生した。
パン屋を廃業した持ち主だったが、決して土地をレストランへ売らなかったのだ。
生活に困窮すれば売るだろうとレストラン側は高を括っていたようだが、ご主人は田舎でカフェを経営している息子夫婦の下に行ったらしく、意地でもレストランに土地は売らないという話だった。
また、平民が買ったところで同じような事が起こるのは目に見えている為、売るのは絶対に貴族かレストランに対抗出来そうな商会だと不動産屋に言っていたらしい。
「なるほど、だからあのような奇妙な契約書だったのですね」
「奇妙とはどういう事でしょうか?」
あの物件を即決したアーサーさん曰く、購入後、絶対に三年は他に売らない事。
その代わり、一般的な価格の八割で購入出来たという事だった。
「旦那様に確認しましたが、揚げ芋屋がダメなら石鹸屋をやればいいというお話でしたので、即決させて頂きました。それに、あの立地なら土地代が下がることはありませんし、貴族相手に嫌がらせをしてくるほど隣も馬鹿ではないでしょう」
「それなら安心ですね」
「でも、君やシリウス殿が店舗に出れば、侮られるんじゃないかな?」
「それは否定しませんが、今お聞きした程度の嫌がらせなら私も兄も気になりません。お客様に迷惑を掛けられるのは困りますが、私達への恫喝や難癖程度で体を壊すほど柔ではありません」
そう、糞姉への苦情に比べれば、それくらい可愛いものだ。
時には刃物を持った女性が突撃してきたり、目の血走った男性が姉を求めて屋敷の周りを徘徊したり、兄や父は飲み物を掛けられることもあった。
それに比べればゴミをばら撒かれることや、恫喝程度は胃を痛めるほどでもない。
「兄なら鼻で笑って終わりです。どちらにせよ、暫くは私と兄のどちらかが常駐する予定にしますから安心して下さい」
ちょっと得意げな顔でそう言った私だったが、何故か話を聞いていた周りの面々が悲しそうな顔になる。
おかしい…、ここは安心する場面のはずでは?
「えっと、何かおかしいことを言いましたか?」
「いや、恫喝程度と言ってしまえる君やシリウス殿の今までの苦労を思うと……」
「それはまぁ、糞姉絡みとだけ言っておきます」
「……えっと糞姉とは?」
「私の実の姉です。ちなみに人間の屑です。なので、私の姉と名乗る人物から何か連絡があっても絶対に何かを請け負ってはいけません。私の家族は父と兄だけです。ちなみに、兄は糞姉のことを“アレ”としか言いませんので、不思議に思っても無視して下さい」
「…りょ、了解しました」
目の据わった私の断言に、スナイルさんを含め、工場の皆さんは一斉に頷いた。
しかし実際に彼らが糞姉に会えば、この忠告も余り意味を成さないとは思う。あの美貌を前にすれば、どれだけ頭では分かっていてもついつい従ってしまうのだ。
だからこそ、糞姉に私達が商売を始めたことがバレてはいけない。
バレれば、あの姉のことだ。まるで自分の商会のように勝手に商品を略取し、金を奪っていくだろう。
いずれバレるにしても、男爵家を出た後ならば他人として拒絶もできるし、それでも強引に何かをするなら訴えることも可能だ。
問題は奴が聖女に認定されて縁を切るまでの間だが、糞姉は意外なことに美容に関しては余り興味がない。
何故なら、何をせずとも奴は美しいからだ。
どれだけ夜更かししようが暴飲暴食をしようが、恐ろしいことに奴の美貌には何の影響もない。
それゆえに糞姉は自分を着飾らせることは好きだが、美容には余り興味が無いようだった。
むしろ、必死で美貌を磨こうとする人間を見下し、『元が悪いと大変ね~』という嫌味を言うのが奴の悪女ムーヴである。
「ところでスナイルさん、実は王家に卸すことが確定しましたので、申し訳ないですが、王家納品分は専用の樽を作って頂けますか?」
「お、王家?!」
絶句するスナイル工場長さん。
その後ろでは奥さんや息子さんまで息を飲んでいる。
「つ、つまり、その、それは我が家で作ったものが、王族の方にお使い頂けるという事でしょうか?」
「はい、そういう事になります。ですので、ゴミや髪の毛などの異物が入らないよう、細心の注意を払って下さい。また混ぜる香につきましては、王家納品分だけ最高級品にしようと思います」
「分かりました。早急に新しい樽を用意いたします。いや、製作する部屋も別にした方が良いですな……。しかし、まさか我が家で作る物を王家へ……」
「それに関してはこちらにいらっしゃるアンブローズ家の皆様のお力添えの賜物です」
感無量といった面持ちのスナイルさんが、アンブローズ姉弟に向かって腰を折った。
それに倣うように息子さんや奥さん、工場で働く面々も頭を下げる。
「みなさん、頭を上げて下さいませ。ただ私達は良い物を紹介しただけ。それだけですわ。ねぇ、ルディ」
「そうですね。それはもう自分の髪を自慢げに学園で見せびらかしておられますからね、姉上は…」
「だ、だって、凄く綺麗になったんだもの、自慢したいじゃない」
少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめるリーズロッテ様が非常に可愛い。
そんなリーズロッテ様の髪は、それはもう艶々に輝いており、陽の光に当たれば金色の髪がまるで黄金のように煌くのだ。
そのお蔭で、学園だけでなく何処のお茶会に出席しても羨望の的で、今や商業ギルドには引っ切り無しに問い合わせが来ているとか。商品を取り扱いたいという商会からの要望も多く、昨日打ち合わせを行った商会さんともスムーズに交渉が出来た。
リーズロッテ様様々だ。
「恐らく二、三日中には父にお願いしていた王家への献上用ガラス瓶も届くと思うので、早急に専用樽の用意をお願いします」
「……承知しました。不肖スナイル、誠心誠意頑張らせて頂きます」
ピシッと背筋を伸ばしたスナイルさん。
張り切るのは構わないけれど、無理をしないようにお願いしたい。
まぁ、奥さんと息子さんがしっかりしているので大丈夫だとは思うけれど…。
「では、また近いうちにお伺いしますね。今度は兄も連れてきますので」
「お待ちしております」
こうして、初回納品分などの打ち合わせを終え、私はようやく揚げ芋屋予定の店舗へと向かったのである。