16.揚げ芋屋
その後、芋ケンピを異様に気に入ったらしい侯爵様の一言により、アンブローズ家の出資の元、フェリウス商会で揚げ芋の専門店を出す事になった。
自分でも何をどうしたらこのような話になるのか分からないが、何故か出店は侯爵様の中で決定事項になっており、『店の場所は押さえたから』と翌朝に報告されたのである。
思わず『は?』と言ってしまった私は悪くない。
どうやら昨日食べた芋ケンピを大層気に入った侯爵様は、直ぐに侍従を呼び寄せて商業ギルドへ向かわせ、大通りに面した廃業店舗を押さえたらしい。
以前はパン屋だったというその店舗は、数席だがイートインスペースもあるとか。
『即決しました!』と晴れやかな顔の侍従さんには申し訳ないが、全て決まってからの事後報告は止めて頂きたかった。
そしてアレよアレよという間に巧みな侯爵様の話術に嵌り、何故か『揚げ芋屋』を開く事になってしまった私だ。
レシピを提供するので…と言ってみたが、何故か出資だけしたいと言われ、後の経営は丸投げされた。
店舗の買取や初期設備など、開業に関する全ての費用は侯爵家が負担してくれるという事だった。
しかもなんと無料である。
絶対に何か裏があると踏んだが、どうやらこれは『聖人のゴブレット』の発見に対する謝礼らしい。
『これでバーミリオンの大司教への昇進は確実となった。その上、発見に関して我が家は資金を提供している。これで教会に対して大きな貸しが出来た』
『しかしその見返りとして、我が家では姉を聖女にして頂けるというお約束を頂いておりますが……』
今更それを反故にし、金で解決されては困る。
金よりも糞姉の処分が我が家の最優先なのだ。
『今回の発見は、それだけでは釣り合わないという事だ。考えて見たまえ、現在教会への求心力が離れている原因はなんだと思う?』
『……神の御心を感じる機会がないことかと』
『そういう事だ。唯一教会の権威を象徴出来るのが、聖女や聖人と言われる人物の出現だが、それらの人物さえも象徴という意味合いの方が大きく、実際は大した力を持っていないというのが通説だ。しかも最後に出現したのがおよそ二百年前。人々の記憶から薄れるのも仕方ない』
『しかし、教会には聖遺物と呼ばれる神からの贈り物があったはずでは?』
聖女や聖人を発見することが出来る『女神の宝玉』
神の教えを説いた『神々の英知』
この二つの聖遺物は歴史の教科書にも出てくる特級遺物で、教会にて厳重に管理されている。
『だが、あれら二つを信者が目にする機会はあるかね?』
『ありませんね……』
そう、人は見えないものを余り信じたりはしない。
だからこそ、『聖人のゴブレット』のような、見える形での奇跡が教会には必要なのだ。
『聖人のゴブレットであれば、水が湧き出る奇跡を目の当たりに出来ますね』
『そういう事だ。俗世に染まった話をすれば、その水を聖水として売ることで、教会には多額の寄付金も入る』
つまり教会にとって『聖人のゴブレット』は権威の象徴であり、金を生み出す金の卵なのだ。
ゆえに、それを発見したバーミリオン様とアンブローズ家の功績は非常に大きいという事である。
『本来ならその功績は君やシリウス君のものだ。だが、シーナ嬢を聖女にすることを考えれば、君たちが今回の一件に関与している事は伏せた方がいい』
『はい。出来るだけ聖女との関係は匂わせない方が宜しいでしょう。下手をすれば糞姉に成果を横取りされます』
だからこそ、全面的に今回の発見はアンブローズ家の手柄とするのである。
教会への貸しが出来ればそれだけで政治的にやり易い場面が多々あり、侯爵様曰く、今回出資する金額など直ぐに取り戻せるという事だった。
『ただし、直接金が流れたとバレれば、後々何を言われるか分からない。しかし、商会への出資と言えば、言い訳もたつ。だからこそ、出資という形は取るが、返済は必要ない。利子代わりに毎月揚げ芋を融通してくれれば良い』
『……そんなに気に入られましたか?』
『うむ。甘味と塩味を交互に食べると手が止まらなくなる……』
『クリス様達にも申し上げましたが、太りますのでご注意を』
『………承知した』
その後、庭で素振りをしている侯爵様を横目に、私は『揚げ芋屋』開業のために商業ギルドへと向かった。
思いも寄らない開業話だったが、条件は悪くない。
いや、むしろタダで開業させて貰えるなら文句を言うこともない。
予定していなかった飲食での出店だが、我が領のオリーブや芋類が消費出来るなら万々歳だ。
この店を足掛かりに、行く行くは石鹸やトリートメントを扱う店も出したい。
そんな事を考えながら商業ギルドへとやってきた私だが、出迎えてくれたヒルデンさんの顔色は悪かった。
今朝、揚げ芋屋の話を聞いた私と同じような顔をしている。
「あ~~、お忙しいところをすみません……」
「………昨日の夕方にいきなり侍従の方が来られてね、大通りの売り店舗の情報を見せて欲しいって言われてさ、見たら見たで今度はそのまま不動産屋に行くって言うだろ?心配だから私も付いて行ったんだけど、詳しく聞けばフェリシア嬢が新しく始める店舗だって言うじゃないか。その時の私の驚愕を分かってくれるかな?」
「私も朝起きたらいきなり『店舗押さえましたよ♪』って言われて何のことか分からず困惑したばかりですよ」
あはは…と乾いた笑いを返せば、一気にヒルデンさんの表情が同情めいた物に変わった。
お互い苦労するな…と無言で見つめ合う。
「良かったらコレ、少しですがその店で売る菓子です。あと、ついでにこの商品のレシピを特許登録したいので宜しくお願いします」
侍従さんの勧めで、ポテトチップスも芋ケンピも、何ならサツマイモチップスとフライドポテトもついでに特許登録することにした。
オリーブ石鹸とトリートメントも当然特許申請を出しているが、レシピに関しても特許が申請出来るらしい。どうやら以前『元祖』対『発祥』の争いが起きたらしく、それ以来飲食面においての法律も細かく整備されたとか。
そう丁寧に説明してくれた侍従さんは、店舗を即断即決してくれた凄腕の侍従さんである。
何やら商業関連に詳しいらしく、今日も侯爵様の命令で商業ギルドへ付き添ってくれていた。
侍従さんのお名前はアーサーさんというらしく、二十五歳のイケメンお兄さんだ。
ちなみに、本日の付き添いはアーサーさんだけではない。何故か付いてきたルドルフとリーズロッテ様も一緒である。
何故一緒かというと、二人共新しい店舗に興味津々らしく、是非見てみたいと付いてきたのだ。
二人とも学校が休みなので暇なのである。
お蔭で、侍女さんや護衛騎士さんまで連れた大所帯だ。急遽会議室を取ってくれたヒルデンさんには感謝しかない。
「レシピは四種類ですか?」
「今のところは。しかし、いずれは新商品が出来るたびに登録しようと思っています」
「了解致しました。ただ、レシピの登録には少々時間が掛かるので、新商品などの場合は早めに登録されることをオススメしますよ」
「分かりました」
持ってきたポテトチップスをかじりながら、ヒルデンさんが書類に目を通している。
就業中なのに大丈夫なのか?と思ったが、試食と言い張るので周りも黙認しているようだ。
だが、パリパリと小気味良い音を響かせているせいか、室内にいるギルド職員さん方の視線が痛くなってくる。
あと、アンブローズ姉弟が羨ましそうに見ているのが気になった。
この二人は昨日あれだけ食べたのにまだ足りないらしい。
「ところで、こちらの店はいつ開業予定でしょうか?悪いのですが、頭髪保湿剤の納品を最優先にして頂きたいのですが…」
「それは勿論承知しております。実はこの後、スナイルさんの所へ訪問予定です」
「という事は、ついに出来たんですね?」
「はい。ある程度の量産が調ったという事で、今日から容器詰めの作業に入るそうです」
そこから初回出荷分の調整や、ギルドに卸す分の調整に入った。
また、ギルドの直営店舗以外に、美容系に力を入れている商会との商談も始まっていた。
話の大詰めは兄が戻ってからとなっているが、事前段階までは詰めておきたい為、これから忙しい日々が続きそうだ。
「では、ヒルデンさん。また後日、今度は兄とお伺いしますね」
「ああ、宜しく頼みます。……ついでに、アレ、また持って来て頂けると助かります」
ヒルデンさんの指差す後方で、彼の机の上に置かれた紙箱から奪うようにポテトチップスを食べているギルド職員の姿が見えた。
多分、彼が振り向く頃には全て無くなっているだろう。
「……特許を急いで頂けるなら」
「君は本当に抜け目ないね。特許担当を急かしておくよ」
「早く仕事をして頂く為には実物を見て頂くのが一番だと思いますので、明日にでもまた届けさせて頂きます」
これは賄賂ではない。見本である。
そう断言した私とヒルデンさんはガッチリと握手を交わし、商業ギルドを後にした。
そんな私達二人を見ながら、ルドルフとリーズロッテ様が感心したように頷いている。
「あれが商人というやつだよ、姉上」
「なるほど…」
腹黒くてすみません…と心の中で謝罪していると、二人は私の後ろについて馬車へと乗り込んだ。
どうやら工場まで付いてくるらしい。
「お二人共、私に付いてきても退屈じゃありませんか?」
「いや、非常に勉強になっているよ」
「そうですわ。今までどうやって商品が出来ているかなんて考えたこともなかったもの。とても興味深いわ」
そう断言したリーズロッテ様はキラキラと輝く視線を私へと向けている。
初めて訪れる場所に興奮が止まらないようだ。
「工場は下町にありますから、馬車でお待ち頂いた方が良いかもしれません」
「なぜ?」
「お召し物が汚れますよ」
「大丈夫よ!そう思って庶民風のワンピースを用意して貰ったもの!」
自信満々のリーズロッテ様だったが、どう見ても貴族のお忍び衣装だ。
まだルドルフの方が町歩きに慣れているせいか、庶民に見える格好だった。
ちなみに私の衣装は自前で、どこからどう見ても町娘にしか見えない。全く違和感のない自分の庶民ぶりが悲しい。
「フェリシア嬢、一人だけ除け者にしたら姉上は煩い。悪いけど工場まで同行させてくれないか?」
「私は別に構いませんが……」
多分、スナイルさんは腰を抜かすほど驚くんだろうな…と思わず彼に同情した。