14.侯爵邸での日常
兄がバーミリオン様と共に王都を発って五日目。
ついに聖人のゴブレットを発見したという一報がアンブローズ邸へともたらされた。
「フェリちゃん、ついにシリウス様は無事に見つけたようよ!良かったわね!」
「はい、リズお姉様!」
あれからなし崩し的にアンブローズ邸への滞在を余儀なくされた私は、リーズロッテ様を始め、アンブローズ家の方々とは非常に仲良くなった。
どうやらアンブローズ侯爵もこの件には非常に乗り気な様子で、私の滞在に関してはかなりの気を配って貰っている。
本当は兄が出発した段階で一度領地へ戻るつもりだったが、出来れば兄が戻るまで滞在して欲しいという侯爵の要望もあり、あれから一度も領地どころかアパートへすら帰っていない。
無理に帰ろうとすれば、リーズロッテ様を筆頭に皆様に必死で止められる。
何となく、兄が帰るまでの人質のような感じだ。
ちなみに父へは、侯爵が使いを出してくれた。その上、兄が分担していた業務を手伝う人員の手配までしてくれている。正直、至れり尽くせりで怖い。
後で滞在費や人件費などを請求されたりしないだろうか?
「リオンお兄様のお手紙では二日後には帰ると書いてあるわ」
リーズロッテ様に見せて頂いたバーミリオン様の手紙からは、彼が非常に浮かれた様子で手紙を認めている様子が見て取れる。
聖人のゴブレットを毎晩抱きしめて寝ているそうだ。
中の水が零れないのかと不思議に思ったが、祝詞を唱えないと水は出ないらしい。
さすがは聖遺物。ゲームらしい不思議なアイテムだ。
ちなみにこの聖人のゴブレットだが、後々のゲーム進行で必ず必要となってくる第二王子攻略の必須アイテムだ。
順調に第二王子の好感度が上がれば、学外オリエンテーリングで迷い込んだ教会廃墟で聖人のゴブレットを発見し、急速に二人の仲が深まるらしい。
個人的には、糞姉に篭絡される男が全面的に悪いと思ってはいるが、さすがに第二王子を篭絡されると王家が出てきて面倒な事になりかねない。幾ら姉と縁を切ったとしても相手は王家。どんな難癖を付けられるか分かったものではない。
そこで兄と相談の結果、アンブローズ家へ恩を売ることも兼ねて、聖人のゴブレットの情報を対価に交渉した訳だ。
「姉の予言の証明が出来てホッとしてます」
「その事なのだけれど、本当にシーナ様が聖女なの?話を聞く限り、とてもそんな風には思えないわ」
「正直な話、私も何かの間違いであって欲しいと未だに思っています」
「……でもダメなのね?」
「はい。アレが聖女なのは変えようがない事実なのでしょう。しかし、私が聞いている予言は全て姉が十九になるまでのものばかり。それに関しては姉本人も何故かは分からない様子でした」
ゲーム記録ノートには、今後のゲームの展開が書かれており、姉はそれを予言だと吹聴していた。
本来は天啓を受けるようなシーンがゲーム中には有ったらしいが、ノートを読む限り、実際に姉がそのような天啓を受けた記録はない。
姉自身もその件に関しては違和感を覚えているようだが、ゲームの内容を覚えている限りは問題ないと判断している。どうせ学園卒業後のことなど何も考えてもいないのだろう。
「姉のような悪女が何故聖女かと考えたこともありますが、期間限定の聖女だと考えれば納得が行きます」
この考えはアンブローズ家の皆様には話してある。
なので、姉が卒業するまでは適当に持ち上げて予言を聞き、力が無くなれば、素行の悪さを理由に神の怒りを買ったと言って追放すれば良い。
そして、もし期間限定でなかった場合も、どこかに幽閉して予言だけして貰えるようにすれば問題ないと進言している。
聖女の扱いについては教会内でも揉めるだろうが、聖人のゴブレットの発見により、バーミリオン様の枢機卿への特進は確実。つまり教会内での発言力が増すということだ。
そうなれば、適当に聖女の悪辣さを理由に排除や幽閉も可能ではないだろうか?
むしろ、糞姉の非道ぶりが明らかになれば、排除する事で王家にも恩を売れるのではないだろうか?
そう考えた時、聖人のゴブレットは最高に一石二鳥な聖遺物となった。
だからこそ、姉が聖女として有用な内は使い潰して下さいと言ってある。
端から見れば極悪非道な物言いだとは思うが、これは紛れもない私の本心だ。
そして、私や兄がこう思うに至った経緯を聞いているアンブローズ家の皆さんは、私達を責めるような事は誰も言わなかった。
「そう言えば、確かシーナ様は私と同じ年だったわね?」
「はい。リズお姉様にはご迷惑を掛けると思いますが…」
「覚悟しているわ」
実はゲームの攻略対象にリーズロッテ様の婚約者が入っている事が分かった。
リーズロッテ様に婚約者の名前を聞いた時は愕然としたが、糞姉がその婚約者に狙いを定めた場合、リーズロッテ様は悪役令嬢のポジションになってしまう。
それだけは絶対に避けたい。
とは言え、下手にゲームの説明も出来ない為、現状ではリーズロッテ様に警告するだけで精一杯だ。
「姉は見目の良い男性には見境無く接触してくるはずです。特に高位の男性は要注意です」
「……ヒース様がその条件に当てはまるのよね?」
「そうです。賭けても良いです。絶対に接触してきます」
入学が一年遅れてようが、あの姉のことだから絶対に力技で落としに来るだろう。
例のゲーム記録を見る限り、本命は第二王子殿下でありながら、おそらくあの糞姉なら逆ハーレムを目指してもおかしくない。
無理だと思えば諦める可能性もあるが、絶対に一度は接触してくると私は思っている。
何故なら、あの糞姉は自分が世界の中心であり、男は全て自分に惚れると信じているからだ。
現状ゲームとは進行状況がかなり掛け離れているのにも係わらず、そこまで上手くいくと思える思考回路が理解出来ない。
しかし糞姉の美貌が神掛かっているのは事実であり、その事が懸念事項を凌駕する可能性が高いことも腹立たしいが事実である。
本当にこのゲームの製作陣には文句しか浮かんでこない。
神から天啓を受けるだけの【予言の聖女】とか、魔王も何もいない現状に必要ないだろうに、何故に聖女という肩書きが必要だったのか?
答えは決まっている。
ただの男爵令嬢が、高位の貴族令息を落とすのに都合が良かったからだ。
その一言に尽きる。
ただし、現状に救いはある。
何故なら、糞姉が天啓を受けた事実がないからだ。
つまり、糞姉の予言はゲームのエンディングである学園卒業までの期間限定。
私はそう予想を立てている。
「はぁ……、早く縁を切りたい………」
「フェリちゃん、もう直ぐよ。ねぇ、クリスお兄様?」
「ああ、教会への根回し準備も既に済んでいる。功を焦っているトラスト・カレディスは絶対に飛びつくだろう」
楽しそうに言ったクリス様の腹黒い笑みを頼もしく思いながら、アンブローズ家と繋がりを持てた自分の幸運に感謝した。
侯爵様や嫡男のクリス様は冷静沈着であり非常に頭の切れる御仁だ。二人を見ていると、アンブローズ侯爵家が今後も安泰である事は疑いようもない。
最初は少し怖かったが、我が家の境遇に非常に同情してくれたし、ノブレス・オブリージュを体現している立派な貴族である。
有り難い事に、私や兄のことを非常に可愛がって下さっており、兄はクリス様の薦めで来春から学園に通うことも出来そうだった。
糞姉の顔を見るのは嫌だと言っていたが、兄には学園で学んで欲しいと常々思っていたので大歓迎である。
「ところで、フェリちゃん。今デザインしているそれは、保湿剤の新しい容器かしら?」
「ええそうです。今までは大人っぽい高級感を出していましたが、今度は少し可愛い感じで作ってみたくて」
手に持ったスケッチブックを捲りながら、私はリーズロッテ様へと絵を見せた。
以前作ったものは花や宝石などをイメージした物だったが、今回はリボンやレースなどの可愛らしいイメージのものだ。
これは少し背伸びをしたい十代前半の少女向けの物にする予定である。貴族の令嬢は基本的に精神年齢が高めな為、大人の真似事がしたい年頃のはずだ。
また、これを贈れば間違いないと、父親世代にも認識して貰う予定である。
「今回は可愛らしいデザインね。私も欲しいわ」
「少し可愛すぎませんか?」
「そうかしら?でもこのレースのデザイン、私が今付けている物にも似てるし、出来上がったら是非欲しいわ」
「分かりました。試作品が出来ましたら、真っ先にリズお姉様にお渡しします」
「やったわ~~」
満面の笑みで喜ぶリーズロッテ様を見ていると、可愛いに年齢制限など無いと実感できた。
というか、リーズロッテ様なら何でも似合う。
親子でお揃いも良いかもしれない。
よし、抱き合わせ商法で売ろう。
「ところでフェリシア嬢。それは私にも貰えるのかな?」
「クリス様にですか?」
「ああ、私の婚約者がね、リズの髪を見てから煩くて……」
「なるほど、それは気が回りませんで…」
言いながら、そろそろ領地の父に頼んでいた新しい容器が届く予定だったことを思い出した。
中身のトリートメントも、先日契約した工場の方で製作が始まっている。
「中身だけであれば、明日工場と打ち合わせに向かう予定ですので、幾つかお屋敷で使う分も含めて持ち帰りますね。容器も恐らく近いうちに届くと思いますので、そちらを婚約者様にお持ち頂ければ宜しいかと…」
「助かったよ。最近は毎日のように手紙で催促されて、本当に困ってたんだ」
「それはそれは…」
商業ギルドでも完成を手ぐすね引いて待っているらしく、先日会ったスナイル工場長さんは圧力が凄いと泣きそうになっていた。
明日訪問する際は、お礼とお詫びを兼ねて何か手土産を持っていった方が良いかもしれない。
「クリス様、少し厨房をお借りする事は出来ますか?」
「また何か作るのかい?」
先日も厨房を借りてラスクを作り、工場への差し入れとして持って行った。
何故かアンブローズ家の皆様にも好評で、クリス様が期待したような視線を向けてくる。
「家族の好きなお菓子があって、工場の皆さんにも食べて頂こうと思ってるんです」
サツマイモと砂糖があれば出来る、お財布に優しい芋けんぴである。
本当はクッキーとかお洒落な物を用意したいところだが、私にそれを作る技量はない。
だからと言って買えば高いので、庶民の味方である芋を使った菓子を手土産にしようと考えた。
幸いなことにサツマイモは安価な主食品として流通している。煮て良し焼いて良しで、我が家も極貧時代には大変お世話になっていた。
いや、今もなっていると言って間違いないだろう。
ちなみに、サツマイモのことを現世では甘芋という。
「どんなお菓子なの?」
「芋を使った菓子ですので、貴族の方が食べるような高級なものではないと思いますよ」
興味津々な様子のリーズロッテ様を牽制しつつクリス様を見ると、こちらも楽しそうに目を輝かせている。
更には何故か絶妙なタイミングでルドルフが部屋へと入ってきた。
「ルディ、ちょうど良いところにきた」
「クリス兄上?」
「お前、フェリシア嬢の作った菓子は食べたくないか?芋で作るそうだ」
「直ぐに手配します」
「ちょっ、あのっ…!」
止める間も無くルドルフが侍従を呼び、直ぐに芋が厨房へと運びこまれた。
そして、興味津々なアンブローズ三兄妹に観察されながら、私は芋を呆然と眺める羽目になったのである。
ジャガイモじゃなくてサツマイモなんだけどな……、とはとても言い出せなかった。