籠の鳥は薬湯に沈む、それは幸せに至る道?
私はアイリーン・キャラウエイ。
没落貴族の一人娘、病気療養を建前として隔離小屋に幽閉されている。
――明かりとりの小さな窓から見えるもの。
色あせた苔生すレンガの塀、緑に澱む小池、枯れた花壇。
手入れされた形跡はない。
わたしから見える世界は断片的、室内は牢のように狭く病室のように味気ない。
机と椅子、奥にはベッド。ここに押し込められてから何一つ変わってない。
照明はなく入り口近くには洗い場のような水回りとトイレ。
補修した掃除用具は交換されることのなくポツンと置いてある。
それが私の生きる世界。
今の私に許される世界はたったこれだけ。
私の居場所はここしかない。
受入口には日に一回しか運ばれてこない薬と食事。
ごくまれに思いだしたかのように勉強教材が突っ込んである。
目覚めた私は配給品を震える手で室内に入れる。
発症してから隔離小屋に追いやられ、人とはドア越しにしか接したことがない。
偶に医師や使用人が短時間であるが訪れるくらいだ。
隔離されているのだから、私に会話する機会さえない。
忘れてしまった声の出し方。
今日も孤独に空を眺める。視野に入ってくる千切れ雲、低く浮かび、親子雲のように流れ去っていく。
私の家族、母は重篤な病気で静養していて生まれてこのかた会ったことはない。
父は忙しいのか私の病気が発症してから声さえ聞いたことがない。
まだ本邸で生活していたころ、使用人が噂していたことを覚えている。
生まれてはいけなかった。
存在してはいけない。
呪われた娘……。
囁く声が耳から離れない。
私は遺伝性の病気を母から受け継いだ。
誰にも望まれない娘。
窓は北側にあるのか日差しが入らない。天気の日は窓際に椅子を運び本を読む。
私は本を読むのが好き。現実を忘れられるから。
でも、頭が悪く幾度となく読み返す。
一向に頭にはいらない。
本を眺めながら椅子に座って熟睡してしまう。
当然ながら本の内容を理解することはできるはずもない。
私は記憶の加護を持つというのに記憶さえできない……ただの役立たず。
小さい頃、使用人たちが陰口を言っていた。頭の出来が悪いのに記憶の加護。
我ながら滑稽だ。笑われても仕方ない。
病気の影響から意識は朦朧としていて、夢と現実の境界は驚くほど曖昧である。
眠りが浅いからよく夢を見る。その多くは思い出したくもない悪夢。
5歳の頃に奇病と診断されて山村療養が決まった。
時を同じくして流行病が山村を襲う。
心当たりもなく、病というだけで魔女狩りのように裁かれてしまう。
建物にいると髪を掴まれて小道に引きずり出された。
村人たちから罵声を浴び、石を投げられる。
私が何をしたのだろう。
村人は叫ぶ。
「お前が来たから死人が出た!」
「死神に鉄槌を!」
私は恐怖しながら考える。どうして私が悪いの?
どうにか生きて連れ戻された。
心に傷を抱えて。
私の世界が動き出すのは10歳の夏。
病状が安定していることで、医師から隔離の解除が言い渡された。
新たに侍女がつけられ社会復帰が決まる。
住む場所は相変わらずだけど、侍女をまじえた生活に切り替わった。
侍女のコリーは私と同じ病を患う理解者。
私への躾は挫けそうになるほど厳しい。
時には町に連れ出され病気差別の実態を教えられる。
私たちを指さして忌諱する人たち、子供は親の陰に隠れ寄り付かない。
コリーの首筋から腕の露出部分には、赤く爛れた病斑が醜く彩る。
私にも淡い病斑はあるが、隠していても匂いから病気を勘づかれる。
隠したくとも隠せない呪い。
病気から逃げられないことを身をもって理解させられた。
病気とは罪なのだろうか。
私は他人が、人が怖い。
石を投げられるのではと辺りをうかがう。
萎縮して心の聖域に逃げ込めば人は寄りつけない。それは自明のこと。
私は虐めにあうたびにトラウマが増えていく。
しかし、コリーは事実として受け止めることを強要する。
生活に自立は欠かせないと諭された。
人前に立つと前向きに努力しても足が震える。
笑われているようで心を閉ざす。
そのうち教師がつけられた。私は勉強に身が入らず熱意もない。
当然のことながら教師も投げやりになる。
時間はかかったものの、最低限の淑女教育は終わる。
残念なことに、私には貴族令嬢のような真の気高さは微塵もなかった。
病的にやせ細った死んだ目をした幽鬼。
それが私。
コニーから教育の背景に婚約があることを知らされる。
私は人に興味がない。結婚など想像もできない。こんな私で良いのだろうか。
相手のことを聞かされても頭に入らない。
興味なく誰でもいいから。
私のような娘はお飾りにはいいのかもしれない。
時間があれば代り映えしない庭を見つめる。
今日は雨が降っている。
空は雲で覆われ、雷雲が近づいてきた。
私の小屋は風通しよく、至る所から雨垂れのように雨漏りする。
足元には小さなアマガエル。
風が吹き抜け、雨の匂いが部屋に充満する。
雨は死ぬほど嫌いだ。
室内は湿気に満ちて重苦しい。
私の心と同じ。
その年の冬、私は父に呼ばれた。父と言われても記憶にない男性。
他人と言われても疑問に感じず信じてしまう人。
父と名乗る人物は高圧的に語りだす。
「私は結婚することにした。家族となるのはマーシャと娘のフィオナだ。
あまり接点はないと思うが仲良くしてやってくれ」
「はい……」
「二人の住まいは王都の別邸になる」
私は相変わらず放置され、隔離小屋に住むことを暗に告げられたようだ。
部屋に戻るとコリーが別邸の豪華なことをしゃべり続ける。
景観や立地のことなど、夢見がちな少女とはコリーのことを言うのだろう。
コリーは継母が愛されていること、義妹が愛らしいとか話し続ける。
対比されるのはいつも私。
私は聞きたくない。同じ年の妹がいるなど。
会えない母でも比較されるのは嫌だ。
父が継母と結婚しても私の生活は現状維持。ただ、小さいながら変化はあった。
家族の集まりに参加させられるようになり、家族からは腫れ物を触るような扱い。
私は継母と義妹から明らかに距離を置かれている。
病気感染を恐れるように近づかず、 用事がすむと一目散に立ち去ってしまう。
私を避けるかのように……。
コリーは継母に普通に接するようにお願いしたという。
改善はなく、より距離感が広がった気さえする。
病気や長女であることが目障りなのかもしれない。
コリーによると義妹の教師は王都でも著名な人物のようだ。
私の先生は経歴不明である。
あらゆる面で義妹は優遇され、私は差別されているとコリーは憤る。
告げなければ私は気づかないのに。
15歳の夏になり学園入学が決まる。
妹は通常学級に決まったというのに私は擁護学級。
病弱であるだけでなく、学力の評価からこうなったようだ。
知的障害を認定されてしまったとコニーは悔しがる。
私のために……?
9月の入学前に家族で入学祝をすることになった。
場所は王都のレストランと聞き、私は今から行きたくなくて憂鬱だ。
私は馬車に乗る前に父に叱られる。
臭いが鼻を刺し、姿がみすぼらしいと。
そんなこと聞きたくなかった。
ただ涙が零れ落ちた。
行きたくない。
継母と義妹は目を逸らし助けてくれる素振りはない。
そのまま、レストランに着くが、確かに私は浮いている。
綺麗な内装、食器やカトラリーは美しかった。
私は機嫌の悪い父の前に座らされ、継母と義妹は離れて座り楽しそうに談笑する。
私は家族団欒を壊す邪魔ものだ。
学園に入学した私は、記念塔のエントランスにある風景画が大好きになる。
絵の前で立ち止まって時を忘れるほどじっと見つめ続けた。
それは、夕日に染まる丘から城下町を見下ろす景色。
わたしにとって、知らない世界、憧れの世界。
夕日さす城下町の景色。
私は学園に入学して、同じ病で闘病するアニーと仲良くなる。
私にとってアニーは生まれて初めての友達だった。
とはいえ、アニーと会話したのはたった数回。
それだけ彼女の病状が悪かったのだろう。
アニーは記念塔でいつもの絵を見る私に告げる。
実際のペリトカールの丘から見た街並みはこの絵以上に美しいと。
私に見てほしいという。嬉しそうに手を握り、一緒に行く約束をした。
運の悪いことに友達になったアニーは亡くなり約束を果たせなくなってしまう。
私はアニーが心残りだったのでは……と涙する。
私の心は涙で穴が開く。
私はアニーとの約束を父に説明した。
半泣きでペリトカールの丘に行きたいと懇願する。
父はあっけないほど簡単に許可し、車椅子で移動することを条件にされる。
長時間の行動は難しいので現実的に思えた。
そして、コリーに連れられて念願の丘に来た。
ペリトカールは歴代の聖女が眠る霊苑でもある。
建国時の聖女はこの丘の眺めを愛したと伝えられている。
この国で一番の眺望といわれる高台。
そこは王家に所縁あるものしか立ち入れない場所でもあった。
この時だけは没落しているとはいえ高位貴族であることが嬉しかった。
車椅子から見たペリトカールの丘からの眺め。
私は息することさえ忘れていた。
晩秋の空は透きとおり、深く引き込まれるような青空。
鱗雲は空高く緩やかに風に乗って流れる。
右手には大きく枝を広げた一本の広葉樹。足元には紅葉した落ち葉が積もり、
風で私を誘うように舞い上がる。幹には葉を落とした蔦が絡まっている。
コリーが城下の街並みを説明してくれる。
城壁に夕日が差し掛かっていた。
太陽が赤熱するガラス玉のように大きくなり赤く燃え上がる。
夕焼けの空には鳥が西を目指し飛んでいく。
町からは夕食の調理の煙なのか白煙が立ち昇っていた。
私の知らなかった世界がそこに広がっている。
生まれて初めて、喜びが心に満ち溢れ、幸せに包まれた。
アニーの魂は……私と一緒にこの景色を見ているに違いない。
わたしにとってかけがえのない景色。
「幸せ! もう死んでもいい」
身体がクルクル回るほど幸せだった。
私は丘から戻ったあとの記憶がない。そして、いつしか身体中に痣ができていた。
この頃から薬が増えて意識が朦朧とすることが多くなる。
いつも夢の中にいるような感覚。
病気は悪化の一途をたどり学園に馴染めず中退することになってしまう。
退学した私は王都のタウンハウスの離れをあてがわれた。
孤独な望まない病気療養が始まる。
いつから不在だったのか覚えていない。
侍女のコリーが病気で亡くなったことを聞かされた。
後任の侍女として健常者のタニアが雇われ紹介される。
理解者であったコリーの死は重く、私の性格を暗く捻じ曲げた。
これ以上醜くなってどうなるのだろう。
黄昏時、窓から見える景色。王都の空は夜でも明るい。
街灯には虫や蝙蝠が飛び回り人気などない。
夜空にはぼんやり星が輝いている。
コリーの病斑が空に漂う。
薬の影響なのか幻覚や幻聴がひどくなる。
空に病斑などあり得ない。
16歳になってすぐ婚約が解消される。
きっと病気の悪化が原因に違いない。
婚約解消は別に悲しくもなく普通に受け入れられた。
そんな私でも、お相手がどんな人だったのか気にはなった。
この頃になると私にも遅まきながら異性への興味、憧れが芽生えてくる。
私の部屋からは本邸のエントランスが見える。
窓際に読書用の椅子とサイドテーブルを設置してもらった。
私は読むつもりのない小説を広げて窓辺に佇む。
私が楽しみに待つのは金髪で眼鏡をかけた優しそうな青年。
私よりも少し年上で、どこの誰ともわからない。
数少ない同年代の人。
今か今かと気になってしまい、まったく本に集中できない。
私はこの気持ちが何なのかまだ知らない。
私は歩く気力があれば庭に出るように心掛ける。
青年に会えるのではないかという、淡い期待から無理してでも庭を目指していた。
気力もあり、この時は病状が安定していたのかもしれない。
青年と遭遇することができても、意気地なしの私は逃げ腰になる。
遠く離れたところから私はここに居ますと念じるだけ。
こっそり覗くから、会釈すらできていない。
ある日、私は調子が悪いのに無理して庭を散歩していた。
戻る途中で貧血から倒れてしまう。
誰かに運ばれ寝かされた記憶はあるがはっきりしない。
部屋で横になっていると助けてくださったのは薬屋のジェームス様と知らされる。
「タニア、助けていただいた薬屋の方にお礼を言いたいのだけれど……」
「承知しました。お嬢様。次回立ち寄られたときにお連れしますね」
「ジェームス様はどのような方ですか?」
「背の高く金髪の青年、医学院で薬学の勉強をされています。薬屋はアルバイトですね」
「そう……」
「興味がおありですか? お嬢様」
「いえ……」
私は本当に意気地なしだ。好奇心を抑えきれないのに侍女にさえ話せない。
自身の性格を忌諱していても、期待から胸を高鳴らせてしまう。
姿を追っていた方が薬屋と知れた喜び。
その日はとても気分がよかった。
その後、タニアの協力でジェームス様にお礼を言えた。
私は積極的にジェームス様と会話するようになる。
私の気持ちは侍女には筒抜けだったみたいで恥ずかしい。
ジェームス様は薬を届けるときに立ち寄ってくださり会話も増えてきた。
私は恋心というものが何なのか初めて理解する。
会いたくてしかたない。
私の病気は悪化して起き上がることさえ困難になっていた。
薬の量が増えたことでジェームス様と会う機会は増えたけれど。
やつれた姿を見せることに抵抗感がある。
しかし、ジェームス様が訪問されると私は舞い上がってしまう。
病室の窓際に設置されたベッド、窓からは屋敷のエントランスと庭が見える。
あけ放たれた窓から心地よい風が吹き抜け、優しい日差しが心地よい。
私は目が覚めていればエントランスを見つめる。
待ち人の訪問に恋焦がれて。
「あ……」
「お見えになりましたか? お嬢様」
「準備しなければ……」
「はい。お嬢様」
タニアがテキパキと身繕いを手伝ってくれる。
私はタニアにすべてを任せ姿勢を正す。手鏡を見せられ最終チェックが終わった。
もう一人では上半身さえ起こせない。
「お嬢様、おきれいです」
「ありがとうタニア」
あまり代わり映えしなくても褒められると嬉しいものだ。
私は朦朧とした意識の中でジェームス様を待つ。
私はゆっくりと顔を入口に向け、じっとドアを見つめている。
この部屋まで歩くと時間がかかるのを知っている。でも待ちきれない。
耳を澄ますと静まりかえった廊下から、愛しい人の足音が微かに聴こえてきた。
ドアが開き風に乗って花の香りが部屋に広がってゆく。
人影が動き、タニアが何かを受け取る。音からして花束だろう。
私に誰かが顔を近づける。
「ジェームスです。今日はアイリーン様のお誕生日と聞いて」
花の香りが部屋に溢れ、私は花束の意味を知る。忘れていた誕生日。
私は手を差し出そうと努力するが力が入らない。
「……ありがとうございます」
私はやっとの思いで、聞き取れないほど小さな声で感謝をつたえた。
嬉しいのに体が言うことを聞いてくれない。
私の手が握りしめられる。
「無理をしないでください。病気のことは存じております。
病のない世界が訪れることを願い、微力ながら学問に励んでいます。
私は貴方の病を治したい」
彼の言葉が
私の心に響きわたり
死期が近いことなど忘れてしまう。
あぁ、もう思い残すことはない……。
聞こえてくるの……
枯草たちのざわめき
風にのって流れゆく
舞い上がる落ち葉
幼いころの夢、何度も見るまぼろし……
誰かが遠くで歌っている……。
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