9.誤解? 【馬鹿でも心から信頼する人が説得してあげれば、学べる事もある】
【side クロ】
衛兵によって王子様が連行された後、国王陛下がおもむろに口を開いた。
「皆の者、状況を把握したい。マリアという者は?」
国王陛下がマリアを探して会場内を見渡す。マリアは俺の背中の服を掴んで震えていた。実は、あの王子様がとんちんかんな事を言い始めた時に、マリアを王子様の視界に入らないよう、俺の背に隠したのだ。だが、この状況では、マリアを隠し続けるのは悪手だろう。ここの生徒達はマリアの顔を知っているのだから。現に、数人の生徒達が、こちらをちらちらと見ている。
「――あ、あの。わ、私です。私がマリアです」
マリアが俺の後ろで、消え入りそうな声で答えた。その声から、普段の明るい様子はかけらも感じられない。俺は、拳を握りしめた。
「ふむ……おぬしが着ておるのは学校が貸し出しているドレスだな。フィリップの他に、パートナーもおるようだ」
国王陛下がマリアをかばっていた俺を見る。
「か、彼は……」
「クロと申します。国王陛下、誓って、マリアは王子様をたぶらかすような事はしておりません!」
俺の発言に、控えていた衛兵達の眼が光った。そう言えば、国王陛下と謁見する際、聞かれたこと以外の事を話すと、不敬に当たると授業で習った気がする。だが、俺にはそんなことを気にしている余裕はなかった。
「マリアと王子様が会話した事はほとんどありません! 王子様から贈られていたドレスも、ほとんど開封せずに俺の部屋に置いてあります! 国王陛下! 誓って! 誓ってマリアは――」
「――もうよい」
いよいよ衛兵達が俺にとびかかろうとしてきたが、それを制するように国王陛下が口を開く。
「おおかた、こ度の事は、フィリップの暴走なのだろう。おぬしらを見れば、それは明らかだ。この状況でおぬしらを罰すれば、我ら王族の信頼は地に落ちるだろうな。詳しく聞き取り調査を行う事になるが、おぬしらを罰する気が無い事は、ここに明言しておこう」
国王陛下の言葉を聞いて、安堵した俺は膝から崩れ落ちそうになった。
「さて、我は早急にやるべきことが出来た故、ここで失礼する。皆の者は、パーティーを続けるがよい………………校長、頼んだぞ」
「え!? …………あ、はい! かしこまりました!」
『この空気の中、そんな事言われても!』という校長先生の心の声が聞こえた気がする。だが、国王陛下は、そんな校長先生を置いて、会場を後にした。
「え、えーと……えー、皆様。色々ありましたが、今日はパーティーなのです。えー、美味しい料理も用意してありますので、どうぞ、楽しんで行ってください!」
精一杯、場を盛り上げようとする校長先生に、同情の視線が集まる。とはいえ、いくら校長先生が頑張っても、『王子様による婚約破棄』という国レベルでの不祥事を前に、心から楽しめるような生徒はいないだろう。
「美味しい料理……食べたい! クロちゃん、行こう!」
訂正。ごく一部を除いて、ほとんどいないだろう。
(ま、いっか。それでこそマリアだ)
俺を誘うマリアの声は、先程の消え入りそうな声とは違い、いつもの明るい声に戻っていた。
【side フィリップ王子】
(どうしてこうなった!?)
俺は猿ぐつわと魔封じの手枷によって動きを制限されつつ、自室に監禁されていた。
どれくらいそうしていただろうか。猿ぐつわのせいで水が飲めず、のどの渇きが限界に達したところで、父上が衛兵と一緒に部屋にやって来た。
「ひ、ひひうへ……」
俺は父上に話しかけようとするも、猿ぐつわのせいでうまく話す事が出来ない。
「はぁ……おい。猿ぐつわを外してやれ」
父上が衛兵に命じ、ようやく俺の猿ぐつわが外された。
「この、愚か者が……なぜあんなことをしでかした?」
「ち、ちち……ごほっごほっ!」
「ちっ!」
喉が渇き過ぎてうまく話せない俺めがけて、父上が水魔法を放った。
「がっ!? や、やべ、やべて!」
父上の水魔法のおかげで、喉は潤ったが、今度は逆におぼれそうになってしまう。
「……もう一度聞くぞ。なぜあんなことをしでかした?」
ここで初めて、俺は、父上が俺に怒りの感情を向けている事に気付いた。服がびしょびしょで気持ち悪かったが、そんなことを言っている場合ではない。父上は怒ると本当に怖いのだ。俺は慌てて父上の誤解を解こうとする。
「お、落ち着いて下さい、父上。あれには訳が、訳があったのです!」
「……ほう。訳、とな? クラリス王女との婚約を一方的に破棄し、あのマリアとかいう平民と婚約を結ぶにふさわしい訳があったと申すか?」
やはり父上はそこを誤解しているようだ。俺は急いでその誤解を解くべく話し出した。
「は、はい。その通りです。驚かないでください。マリアは母上と同じ、『奇跡の平民』なのです!」
「………………は?」
俺の言葉に、父上はぽかんとした表情を浮かべた。やはり、このことは父上も予想外だったのだろう。俺はさらに言葉を続ける。
「マリアは、母上の血を継ぐ私より無詠唱魔法の才能があります。それはつまり、マリアも母上と同じ、『奇跡の平民』だという事です。ただの『隣国の王女』と、母上と同じ『奇跡の平民』。どちらが俺の嫁にふさわしいかは明白でしょう!」
「………………そうか。貴様はそう考えたのか」
俺の言葉を聞いて、納得してくれた……のかと思いきや、父上は突然怒り出した。
「このっ!! 大馬鹿者が!!! 貴様が! 貴様が、そんなプロパガンダに惑わされてどうする!!!」
「――っ! ぷ、プロパガンダ? い、いえ、いいえ、父上! 『奇跡の平民』は母上をモデルにした実話を基にした話です!」
なぜ父上が怒るのか俺は理解できない。そんな事、この国では子供でも知っているというのに。
だが、父上は失望しきった目で俺を見ながら話を続ける。
「貴様は……貴様はどこまで愚かなのだ。『奇跡の平民』は我がシルディアと結婚するために事実を誇張させたプロパガンダだ……王族たる貴様がそんな事すら知らんでどうする……」
「は?」
確かに『奇跡の平民』の話にケチをつける者の話は聞きたくなくて、ろくに話を聞いてこなかった。ただ、そう言えば、母上からも『奇跡の平民』の話は誇張され過ぎているから信じてはいけないと言われた事がある。あれは遠慮だと思っていたのだが……。
「おかしいとは思わなかったのか? この国に第二王妃などという制度は存在しない。王妃は唯一無二の存在で、ほかの者は側室と呼ばれるべきであろう? シルディアの他に、第二王妃と呼ばれた者は、過去、この国に存在しないのだぞ? それなのに、シルディアが第二王妃と呼ばれている事に、貴様は疑問を抱かなかったのか?」
「そ、それは……は、母上が特別だから……」
「特別? 何が特別だというのだ? シルディアは平民でありながら我に見初められたという点においては確かに特別かもしれん。だが、それ以外に特別な事などないぞ」
「そ、そんな……だって、小説で……劇だって……それに、母上が無詠唱魔法で魔獣を狩った跡地も……」
「ああ、それは本当だ。プロパガンダなのだ。シルディアの実績は本物に決まっておろう」
「だ、だったら!」
ならば、母上は特別な存在だろう。昨日、オークと戦った俺には分かる。無詠唱でオークを倒せるほどの魔法を放てるのは、特別な存在に決まっている。そんな俺の想いを、父上は一蹴する。
「だが、だから何だというのだ?」
「………………え?」
「『魔獣を狩った』だから何だというのだ? そんな事、この学校の教員ですら出来るぞ? それの何が特別なのだ?」
「ち、違います! 『無詠唱魔法で魔獣を狩った』のです! そんな事が出来るのは、勇者の他に、母上とマリアしかいません!」
俺は必死の思いで父上に訴えた。しかし……。
「だから、それがなんだというのだ?」
「え?」
「『勇者と同じように、無詠唱魔法で詠唱魔法と同じ威力が出せる』なら、まだしも、『無詠唱魔法で詠唱魔法の100分の1の威力が出せる』事に何の意味がある?」
「え? え?」
父上の言葉の意味が理解できず、俺は混乱して言葉を発する事が出来ない。父上もあきれ果てた顔で黙り込んでしまった。そんな沈黙の中、女性の声が響き渡る。
「だから、申しましたのに」
「――っ! は、母上」
声の主は母上だった。
「私、何度も申し上げましたよね? 『あのプロパガンダはすぐにやめるべきだ。ひどい誤解を生んでしまう』と。これは貴方の責任ですよ?」
「シルディア……はは……そのようだな……言葉もない」
そう言って父上は力なく座り込んでしまう。その様子からは、国王たる威厳は感じられない。
そんな父上をぼんやりと眺めていると、母上が俺に話しかけたきた。
「いいですか、フィリップ。よく聞きなさい。若い人達は、国王が流したプロパガンダのせいで勘違いしていますが、実際の魔獣討伐において、無詠唱魔法が使われることは、ほとんどありません。なぜなら、無詠唱魔法より、詠唱魔法の方が強いからです」
「………………え? は、母上?」
母上の言葉に、俺は自分の中の価値観がひっくり返される程の衝撃を受ける。
(詠唱魔法が無詠唱魔法より強い? ……そんな事って)
一昨日までの俺であれは、母上の言葉であっても即座に否定しただろう。無詠唱魔法の使い手。それが、俺の唯一無二の取柄であり、他者より優れた存在である証だったのだから。だが、俺の脳裏には、オーク達を次々と狩っていくあいつの魔法がこびりついていた。
「考えてもみなさい。確かに詠唱魔法を1発撃つ間に、無詠唱魔法を4~5発撃つ事が出来るでしょう。ですが、詠唱魔法1発分の威力を出すために、無詠唱魔法を100発撃つ必要があるのであれば……どちらが強いか、明白ですよね?」
「そ、それは…………」
脳裏にこびりついたあいつの魔法。そして母上の言葉。俺は、自分の価値観を信じられなくなっていく。そんな俺の両手を、母上の手が優しく包みこむ。
「そもそも魔法とは、精霊への『願い』です。声に出せば伝わる『願い』も、声に出さなければ伝わりません。人と人がそうであるように、人と精霊も同じなのです」
母上の優しい表情で俺に笑いかけてくれた。だが、次の瞬間、厳しい表情になって父上を見ながら話し出す。
「なのに、私の立場を良くするために、さも、無詠唱魔法が強いようなプロパガンダを流し、学校の入学試験にも、無詠唱魔法を使える者が有利になるような試験を取り入れるなんて……。だから、フィリップのように勘違いする者が出てくるのです。聞いてますか? 貴方!?」
「あ、ああ! 聞いておる。もちろん聞いておるぞ!」
座り込んでいた父上は、母上が父上の方を見た事に気付いていなかったようだ。突然、話を振られて、驚いた顔をしている。
「だいたい、自分の想いをちゃんと口にしないから、貴方の真意がフィリップに伝わっていないのです。平民である私の血を引くフィリップに少しでも良い生活をさせるために、隣国で魔導兵の指揮官にさせようとしていたのでしょう? それ、フィリップに言いました?」
「い、いや……言っておらん……」
「はぁ……だから、フィリップが勘違いするのです。私、言いましたよね? フィリップが魔法戦略科ではなく、魔術科に進んだ時に言いましたよね? 『フィリップの気持ちを聞いたのか』と『ちゃんとフィリップと話したのか』と」
「う、うむ……」
「貴方答えましたよね? 『フィリップの事は分かっている』と………全然わかってないじゃないですか!」
「い、いや……その……てっきり、隣国で指揮官としてではなく、一兵士として働きたかったのかと……」
「それ、フィリップに確認していませんよね? 貴方の都合のいい妄想ですよね?」
「そ、それは……」
「はぁ……自分にとって都合のいい妄想を現実だと思い込むのは、貴方もフィリップも同じですね」
「う、うぅ……申し訳ない」
父上が、母上に謝った。こんな父上、俺は今まで見たことが無い。
「そんなだから貴方はいつも! ……いえ、貴方の事は後回しです。さて、フィリップ。今回、貴方が色々と勘違いしてしまった原因の一旦は、国王陛下にあります。とはいえ、パーティー会場での貴方の行動は、この国の王族として許されるものではありません。それは、仮に、貴方の勘違いが事実であったとしても同様です。危うく、隣国と戦争になるところだったんですよ? その自覚はありますか?」
「せ、戦争……」
そこまでの事になるとは考えていなかった。せいぜい、慰謝料を払えば済む話だと……。
「『浮気未遂』までならまだしも、貴方は『婚約破棄』という『一方的な契約の破棄』を行ったのです。貴方が平民の血を引いている事を差し引いても、とても許される事ではありません」
あの時、クラリス王女は言った。『婚約中のアレの躾は私の役目』と。
『浮気未遂』は、『隣国の法律を知らない王子の戯言』、として許しても、『一方的な婚約破棄』は、『隣国の信用まで落としかねない行為』として、許容できなかった。そういう事なのだと今更ながら理解する。
「先ほど、クラリス王女、および隣国の国王陛下と魔法通話で会話いたしました。先方は今回の事を許すつもりは無いそうです」
俺は母上の言葉を受け入れるしか出来ない。無詠唱魔法というあまり価値のない魔法しか取り柄のない王子が、自国の姫に婚約破棄を突き付ければ、怒るのも当然だろう。
「何度も謝罪し、戦争だけは回避して欲しいとお願いしてようやく提示してもらえた和解の条件が『国家予算の1割を慰謝料として支払う事』と『フィリップ王子の身柄を引き渡す事』です」
俺の身柄の引き渡し。つまり、俺は処刑されるのだろうか。他人事のようにそう考えた。
「一応、『フィリップ王子を処刑するつもりはない』そうです。『一般兵として、魔術兵士に参加してもらう』と。『当然、王子として特別扱いはしないが、特別不遇な扱いもしない』と約束して頂けました」
魔術兵士の一般兵。戦争や、魔獣討伐の際に。最前線に立つ事になる兵士だ。今の俺では、処刑と変わらないだろう。だが、母上の眼には死にゆくものに向ける冷たさは無い。
「いいですか、フィリップ。隣国では一般兵となった者は、実戦に参加するまでに3ヶ月の特訓を受けます。もちろん、貴方も。貴方はそこで、心を入れ替えて詠唱魔法を学ぶのです。そうすれば、貴方の道は開けるでしょう。もし、そこでも心を入れ替えられないようなら……貴方の道はそこまでです」
母上の言葉を受けて、俺の中で何かが変わったのを感じる。これが、今一時の変化か、それとも根本からの変化かは自分でも分からない。だが、俺はこの変化を受け入れて、維持していかなければいけない。そんな気がする。
「私に出来るのはここまでです。隣国の兵士となる貴方に、私達はこれ以上の援助は出来ません。強く生きるのですよ、フィリップ。私の愛しい子」
そう言って母上は、俺を抱きしめてくれた。父上も、母上と一緒に抱きしめてくれる。
「はい……すみ、ません、でした」
俺は2人のぬくもりを感じながら、産まれて初めて謝罪の言葉を口にした。