姉はさらわれたんじゃなかった。むしろ乱心していた
「続きを話しても、よいだろうか」
返事もしないで放心していたからだろう。
見かねた様子で、スロース筆頭書記官が問いかけてきた。
「は、ハイ、ハイ! すみません。どうぞ。ここでうかがったお話は口外しません。絶対に」
ルーテの返答を受け、スロースは瞑目し、ひとつ息をついた。
いよいよ、ネフィについての話が始まるのだ。
場の空気が引き締まったように、ルーテは感じていた。
同時に、向かって左端に控えている護衛騎士から、ルーテを射殺さんばかりに強烈な視線が向けられているのに、気が付いた。
背筋をシャンと伸ばして控えている護衛騎士からすれば、そこらの
Cランク冒険者であるところのルーテなど、木っ端に等しいだろう。
きっと、そんな木っ端が、乞われてとはいえ、筆頭書記官と同じ卓についているのが気に入らないのだろうな、と考え、ルーテは席に着いた尻をモゾモゾと動かした。
帰りたい。でも話は聞きたい。
スロースの右後方に佇んでいるオズモンド副団長の方は、ヒゲ面で左目に眼帯までつけていて威厳たっぷりなのだが、左端の護衛騎士のような威圧感はない。
ただ、威厳はたっぷり3倍盛りはあった。
埒も無くそんなようなことを考えている間に、話すことの整理がついたようで、スロース筆頭書記官は目を開けた。
自然、ルーテも背筋を伸ばして、座り直す。
「よろしい。では、はっきり言おう。まず、貴方の姉、ネフィは生きている」
「そ、そうなんですね! よかった……」
呼び出された道中で、様々に悪い想像をしていたルーテは、つい先ほど伸ばした背筋が早くも緩み、脱力して椅子にもたれかかった。
左端の護衛騎士から、もはや殺気と呼んでいいほどの視線が飛んできて、実際に一歩、動きかけた。
「控えよ」
ボソッと。
ひとこと。
オズモンド副団長が呟くと、左端の護衛騎士は姿勢を元に戻した。
「失礼した。どうか、先を続けてくれ」
それだけ言うと、オズモンド副団長は黙った。
ルーテは、なんとなくまた座り直してから、話の続きを聞く態勢を作る。
左端の護衛騎士は、姿勢こそ元通りだが、顔色は真っ赤で、こらえきれない怒りのせいか、次第に青白くなっている。
怒り過ぎではないだろうか。
ルーテが左端の護衛騎士のことを、密かに「青ざめ騎士」と名付けているうちに、スロースが続きを話し始めた。
「ルーテ殿にとっては朗報かも知れないが、王国にとっても同様かは、分からない。……王国騎士団長のデズールだが、彼は死んだ」
王国騎士団長。
乱心の末、数多の部下を殺傷し、ネフィを攫って逃亡したとされている。
その王国騎士団長デズールが、死んだ?
「じゃ、じゃあ、もう安心なんですね? 姉は今、どこに?」
「何も安心などではない!」
「控えよ、アズバーン!!」
もうこらえきれない、といった様子で「青ざめ騎士」が怒鳴りだし、副団長が、再度止めた。今度は大音声だ。
ルーテは思わず、座ったまま腰が跳ねてしまった。
「青ざめ騎士」ことアズバーンは、どうにか黙って元の姿勢に戻ったものの、身体をぶるぶると震わせている。
副団長オズモンドは横目でジロリとアズバーンを見遣り、徐に口を開いた。
「退室せよ、アズバーン」
「ハッ。……ハハッ!」
「青ざめ騎士」アズバーンは、大層ショックを受けた顔をした後、ギン、という擬音がきこえそうな程にルーテを睨み、踵を返して退室しようとした。
それを止めたのは、筆頭書記官のスロースであった。
彼は、片手を挙げて制止しながら、話し始めた。
「よい。……ルーテ殿。王国騎士団は、先の事件で多くの犠牲者を出している。栄光ある王国騎士団の精鋭といえど、心穏やかではいられぬ。どうか、ご容赦頂きたい」
「あ、はあ。なんだか、すみません」
わけがわからないが、ルーテはとりあえず謝っておいた。
その軽い調子に、青ざめ騎士が目を剝いたが、今度は自制心が勝ったようだった。
「ルーテ殿。戸惑われるのも無理はないが、ここは一旦、不用意な言動は控えて、話を聞いて頂きたい。このままでは話が進まぬばかりか、これまで心身を磨きに磨き抜いてきた騎士たちを徒に刺激し、疲弊させるだけだ」
「お心遣い、痛み入ります」
ルーテにはさっぱり要領を得られなかったが、スロースは騎士たちの精神面を心配しているようだ。オズモンドが言葉少なに礼を言う。
確かに、話がなかなか進まない。その原因の一端が、どうやら自分の言動にあるらしいと遅まきながら気が付いたルーテは、口を綴んで話を聞くことにする。
「ありがたい。さて、王国騎士団長デズールが死に、王室占い師ネフィが生きている。王国発表では、デズールが乱心して部下を殺傷、ネフィを攫って逃亡した、ということになっているが……事実は、ほぼ逆といっていい」
「逆? えっ? ど、どういうことですか?」
思わず声をあげ、立ち上がったルーテを、スロースはじっと見つめる。
そうだった、まずは話を聞かなくてはならない。
ルーテは座り直した。
「つまり、端的に言って、乱心したのはネフィ、だということだ」