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6/8

夢の終わり


-5-



「んん……」


 生ぬるくもどこか心地よい西日を感じて意識が鮮明になる。

 夕方だ。

 場所は教室の自席。

 すでに放課後なのだろう。教室は閑散としていた。


 どうやら疲れ果て、眠りこけていたらしい。


「あら、お目覚めですか?」

「ああ……聖良か」


 目の前の席に、見慣れた黒髪を流す聖良が座っていた。

 オレンジ色の夕焼けが、彼女の姿をより美しくて、麗しく演出する。


「おはようございます」

「おはよう。待っててくれたのか?」

「はい」

「そか。……さんきゅー」


 きっと昼休みの約束を覚えていてくれたのだろう。


 つまりは、ここがその場所になるわけか。

 夕暮れの教室。

 ベタだが悪くない。


「クラスの皆さんが、お疲れ様って。あと、ありがとうって」

「そか」

「二冠達成の祝勝会は夏休みに入ってからになるそうです。今日は里桜ちゃんがいませんしね」

「そりゃ……楽しそう、だな」


 言いながら、自分の言葉に少し驚いた。

 今日一日で、俺も何かが変わったのかもしれない。


「そうですね。ふふ、私たちが主役ですよ?」

「主役は聖良だろ。俺は脇役だよ」

「そんなわけないです。男子サッカーを勝利に導いたのは凪月さんです」

「いんや、俺一人じゃ何も出来なかった。そう甘くなかった。小早川先輩つよすぎなんよ。……だからまあ、それを言うなら一緒に戦ったみんなが主役、だな」

「そうですね。私も、ひとりではダメでした」

「そうなのか?」

「はい。試合中、皆さんがたくさん励ましてくれました。もうダメだって思ってしまう、弱い私を支えてくれました」


 試合中にコミュニケーションを取っているように見えたのはそういうことだったのか。

 チームメイトと会話することで、自分自身のメンタル補助にも繋がっていたんだ。


「凪月さん、サッカーって面白いですね。一人じゃ、決して勝てない。人と人との繋がりが、サッカーというスポーツなんです」

「……俺も今日、それを思い知ったよ」


 最後の最後、個人の闘いにもつれ込んだあの時でさえ、倒れた俺を再び立ち上がらせたのは聖良の応援だった。


 球技大会がサッカーで良かったと、心から思う。

 もしも個人種目であの小早川先輩と相対していたらと思うとゾッとした。

 俺はとてもじゃないが、一人で戦えるような強い人間ではないらしい。

 先輩の言う、弱者そのものだ。


 ふいに、聖良がこちらへ手を伸ばす。


「お疲れ様です。凪月さん」


 ふわりと頭に乗せられた手が、髪を柔らかく撫でる。

 

「とても、かっこよかったです」

「……そうかよ」


 上手くいったのは最初だけ。

 あとは地面を這いずり、針に糸を通し続けるような試合だったけどな。


「ふふっ」


 聖良はなぜか嬉しそうに、俺の頭を撫で続ける。

 それが心地よくて、リラックスするのを感じた。


 だから、ずっと言えなかったはずのこの言葉はいとも簡単に喉を抜けて出てきた。


「好きだよ」

 

 やっと、言えた。

 それは、俺がこの人生において初めて誰かに対して本気で使った言葉。

 どこかで、いつかは言わなきゃいけなかった。

 雅史くんの言った通りだ。そうしなければ、この関係は終わらない。


 きっと小早川先輩もまた、それを肌で感じていた。

 言ってしまわなければ、前に進めない。


 そして俺はこの言葉を伝えるために、伝える理由を得るために、勝たなきゃならなかった。

 あの小早川先輩に勝って。本気を見せて。今の聖良と同じ景色に立って。

 その上でやっと、この告白が許されるような気がした。


 自己満足だ。

 でも、それだけ本気だった。


 どれだけ傷付けられようと、弄ばれようと、最初に彼女へ抱いてしまった気持ちは消えてくれなかった。

 むしろ、どんどん大きくなっていく。

 こんなにも苛立つのに、ムカつくのに、彼女と話すことが出来ているというだけで全てが霧散してしまう。

 まったくもって都合がいいことで。

 そんな自分に今度はイライラした。

 

 それでも。


「聖良。好きだ。好きなんだ」

「凪月さん……」

「俺と、付き合ってくれるか?」


 長い道のりだった。

 再会してからたいした時間が経ったわけではないけれど。

 きっと、俺なんかより彼女にとっては長く、険しい道のりだった。


 この瞬間のために、彼女がどれだけの時間を費やし、努力したのか。

 昔その場所に立っていた俺には、それがわかるのだ。


 だから、この日のために生きてきた彼女は————


「凪月さん。いえ、なつくん」


 ――――ぐんにゃりと、今までに見たことのない冷笑を見せる。


「ありがとう。とっても、嬉しいです」


 歓喜。興奮。爽快。満足。同情。哀憐。躊躇。失望。空虚。憎悪。絶望。悔恨。恍惚。

 そこには無数の感情が入り乱れていて、おぞましいとさえ感じた。

 

 夜空の星々が分厚い雲で隠されてしまったかのように輝きを失った瞳から、涙が溢れる。


 そしてその言葉、満願の想いと共に。


「ごめんなさい。お断りします」

「そっか」

「はい」


 聖良の表情が、まるで魂が抜け落ちたような能面に移り変わる。


「これで、私の復讐はおしまいです」


 そして、また。

 堪え切れないと言ったふうに、それは吹き出す。


「あは。あはは」


「私があなたのことを好きなわけ……ないじゃ、ないですか……」


「期待、していたんですか?」


「今更……もう、そんな都合のいいことあるわけ、ないじゃ……ないですかぁ……」


「ぷっ。ぷふふっ」


「あはははははははははは!!!!!!」


 聖良はまるで壊れてしまったかのように、涙を流し続けたまま、笑っていた。

 ずっと、ずっと、笑っていた。

 夕日の降りた空には、分厚い雲が多い始めていた。

 光を失い、暗闇に包まれていく教室。


 ふと、またしても笑いが止む。


 そして、狂気の少女は言った。



        『ざ 

  

         ま 

   

         あ 

   

         み 

     

         ろ』



 すべての目的を果たしたはずの聖良が、俺にはもう、まったく嬉しそうに見えなかった。


 復讐って、そういうことらしい。


 俺の心もまた、空っぽで。

 まるで暗い暗い闇の中へ堕ちてゆくかのようだった。


 ◇


数日が経った。


「ちゃお~みんな~」

「あ、委員長! もういいの!?」

「心配したよ~。てか、委員長いないと祝勝会も出来ないし~」

「あはは。ごめんごめん。もうすっかり大丈夫よ。ありがと」


 朝の教室は七瀬の復帰によって活気づいている。

 俺は当然、そこへ混ざることもなく着席していた。

 

(意外とキツイもんだな……)


 まともに眠れていない。

 ずっと、このおよそ一か月間に起こったこと、そして過去を振り返っている。

 後悔のようなものを重ねている。


 これは失恋というのだろうか。

 いや、違うな。

 告白してフラれたからって、今までため込んできた恋がゼロになるわけではない。

 もしもスパッとゼロになってくれるんだったら、恋愛なんて心底くだらなくて、浅ましいものだと思う。


 恋を失うのって、そんなに簡単なことではないらしい。


 だから俺は、まだ……。


『ただの幼馴染でいましょう? ね?』


 あの日、聖良は俺にそう言い残した。

 しかしここ数日、隣席の彼女が話しかけてくることはない。

 俺が話しかけることもない。

 一度たりとも、話していないのだ。


 これが、ただの幼馴染というやつなのだろうか。

 幼馴染なんて、所詮は幼い頃の仲。

 現在はもっと、それぞれの人格形成が進んでいて、俺たちはちゃんと自分に合った友人を選ぶことが出来る。

 美人で優等生で、コミュニケーション能力にも優れた聖良と、クラスメイトと関わろうとしない陰キャの俺に関わりが生まれないのは必然だ。

 聖良が復讐を終え、俺と話す理由がなくなればそれで終わり。

 後は、幼馴染であったという事実だけが残る。


「ねえねえ、聖良ちゃん一位だったよ!」

「うっそマジかよ!? 委員長が負けた!?」

「すっげえ! 球技大会に続いてテストもとか……完璧かよ!」


 放課後、テスト結果が公表されたらしい。

 ウチの高校は時代錯誤なことに、テスト上位者を張り出すのだ。


 チラッと見に行ったそれには、一位「篠崎聖良」、二位「七瀬里桜」と書かれていたのが見えた。

 どうでもいいが、俺の名前は上位にない。ほどほどだ。


「マジで勝ちやがった……」


 もう、はるか遠くの人間だ。

 俺が聖良に告白なんて、身分違いにもほどがあったらしい。


「すごいな、おまえは……」


 席に戻った俺は、荷物をまとめて帰宅準備を始める。

 あと数日の辛抱だ。

 テスト結果も出たとなれば、もう終業式を待つのみ。

 そしたら夏休み。一人になれるじゃないか。


「待ちなさいよ」


 教室を去る直前、背後から声をかけられた

 亜麻色のハーフアップ。七瀬だ。


「あん?」

「帰るの?」

「そうだよ」

「ゲーセン」


 七瀬はそう言って、俺の手を引っ掴む、


「ちょ、おいなんだよ」

「だから、ゲーセン行くの!」

「はあ? なんで俺を連れて行こうとしてんだ。行かねえって」

「だーめっ」

「なんで」

「だって、あんたたちと遊ぶのが一番楽しいもん。ほら霧島~! あんたも! はやくはやく!」

「はいはーい」


 七瀬に急かされて、帰り支度を済ませた霧島が飛んでくる。


「今日は球技大会に加えてテストでまで大敗北したあたしを励ましなさいの会なんだから! たっぷり甘やかしてよね! もちろんふたりの奢りで!」


 ビシッと俺たちを指さす七瀬。


「……結局は金かい七瀬さん」

「ははは。まぁいいじゃない。たしかに残念だったしね」

「まあ、そうだなぁ……しゃーない。行くか」


 思えば、三人で遊ぶのも久しぶりだ。

 中学の頃とかはそれこそ毎日遊んでいたものなのに。


 俺が頷くと、七瀬は満足そうに笑みを見せる。


「それじゃあまずはゲーセン! それで次はカラオケでしょ。ボーリングでしょ。ファミレスでご飯して、それから最後に~」

「おいおいマジかよ……」

「七瀬ちゃんフルスロットルだねえ。今日は帰れるのかな?」


 まるで他人事のように笑う霧島。

 楽しそうに計画を立てていく七瀬。

 七瀬を中心にして三人で歩く廊下は、なぜだか足取りが軽くなっていく気がした。



 ◇



「イッエーイ!」

「95点! さすが七瀬ちゃん歌も上手い!」

「でしょ~? あ~気持ちいい!」


 ゲーセンで騒ぎつくし、続いてやって来たカラオケ。

 ゲーセンに引き続きだが、七瀬の一人舞台は続く。

 球技大会に、テストの敗北。そして病み上がりのストレス。

 それは事実なのだろう。いつにも増してハイテンションで、俺たちの意見などお構いなしに連れまわす。

 まとめ役であるべき教室では滅多に見せない七瀬の本当の顔だ。

 いつだって彼女は頭がよく、要領がよく、気遣いができる。


 だから彼女は、俺を逃してくれないのだ。


「ほーら青山! 青山も歌おうよ!」

「いやいいって。俺は七瀬さんのすんばらしいお歌を聞いてるだけで満足ですよー。あー癒される」

「じゃああたし次ペケモン歌うねー」

「ちょっ、待ておいそれは違うだろうよ卑怯だろうよ人の心がないのかよ端的に言って○すぞ七瀬さん」

「そこまで言う?」


 ペケモンは俺の少年時代を捧げた愛するアニメであり、ペケモンの曲はすべて俺の持ち歌だ。

 しかしここにいるのはみんな同世代。

 子どもの頃の思い出だって当然被る。

 戦争が起こるのは必定。


「はい入れたー。よっし歌うぞー」

「おいおま、勝手に……!」

「ん」


 七瀬は俺の前にマイクを差し出す。

 自分のマイクは持っている様なので、もう一つのマイクだ。


「ほら。歌う気あるなら、歌お? デュエット♪」

「ちっ。……へいへい。わかりましたよ」

「よろしい。ってことで~、ほら立つ~! 叫べー! うったえー! 霧島はタンバリンよろ!」

「はーい」


「「~~~~♪」」


 もうどうにでもなれと、マイクを持って立たされた俺は歌った。


 歌詞を見ずとも、もう身体が覚えている。

 訳が分からないくらいに叫んでいるのに、歌詞が自然と理解できる。頭の中を流れていく。


 子どもの頃に聞いた曲の歌詞って、年を経るにつれて初めてその意味を知っていくことになる。

 それが嬉しくて、でもどこか寂しくて。

 でも、いつかのチカラになるような気がした。


 俺の夢は、とうの昔に終わってしまっていたよ。俺が自ら、終わらせたんだ。

 俺の翼は、とうの昔に引きちぎってやったよ。もう星へは届かないんだ。


 それでも。

 それでも、いつか、また。

 こんな俺でも、翔べる日がくるのかなぁ。


 今、ここで、変われたら……また――――。


「ああー! 78点!? ひっく!」

「あははは! 青山下手すぎ! 七瀬ちゃんと歌ってこのデバフ! っていうか感情入りすぎだって!」

「ああ!? いや、そういうもんだろ!? 泣けるんだよわりいかよ!?」

 

 叫び疲れた喉でなお叫ぶ。

 そして次の曲を入れるべく、機器へ手を延ばした。


「あーもう怒った。キレちゃいましたわ。ここから俺の70点パレードですわ」 

「あたしも歌ったおかげで78でしょ? ひとりなら70切るんじゃない?」

「ピッキーン。うっせえな俺は自由に歌う! 歌は自由だから楽しいんだよ! 俺のソウルに音程なぞ存在しない!」 


 次の曲が始まり、俺はまた叫び倒す。


「やっとエンジン掛かって来たみたいだね」

「そうね。まったく、面倒なんだから」


 2人がそんなふうに話しているのが、かすかに聞こえた。


 ・


 ・


 ・


「買ってきたよー」


 パンパンになったレジ袋を両手で持って、七瀬がコンビニから出てくる。


「おいおいどんだけ買ったんだよ」

「いいでしょー。夏だし。アオナツアオナツ〜」


 得意げにウィンクする七瀬。


 しかし夕食も終えて夜もいい時間。

 いよいよ七瀬さんのワガママデーも最終局面だ。


「さあ、走るわよ〜!」

「走るって、どこまで!?」

「そんなの決まってるじゃない!」


 戸惑う俺と霧島に、七瀬は数歩先を踊るように走りながら叫ぶ。


「————あの海まで!」



 ・


 ・


 ・



「うい〜、やっと着いた〜」

「はは、七瀬ちゃんといるとやっぱり楽しいねぇ」


 下手したら補導されそうなほどに騒がしく走って、走って、走って、ヘトヘトになりながら俺たちはようやく海岸の浜辺にたどり着いた。


「じゃあやるわよ〜!」


 さっそくと言わんばかりに、七瀬はレジ袋の中を漁る。


 そこには、大量の花火が詰まっていた。


「待った」


 しかし俺は、そんな七瀬に待ったをかける。


 この頃にはもう、素直になっていた。


 今日のこの時間の本当の理由だって、初めから分かっている。


 だから、ここにいる最高の腐れ縁2人に、この2人にだけは、俺は言わなければならない。


 しんと、静まり返っている夜の海岸。


 馬鹿騒ぎしていればただただ楽しい場所なのに、そこは深夜の暗闇を讃えているかのように不気味で、恐ろしいものに見えた。


 まるで、俺の心の深淵を映すかのように。


「なぁ、俺……俺、さ」

「ん。なに?」


 きょとんとこちらを見つめる七瀬。

 無言でこちらに笑いかけている霧島。


「フられちまったよ。完膚なきまでに」


 重い重い告白。

 こんな話、腐れ縁である俺たちの間でも、初めての話題だ。


「そ。んー、そんなことより花火♪ 花火♪」

「いえーい」

 

 七瀬はレジ袋漁りを再開。霧島はバケツに水を汲みに出かけようとする。


「ちょ、え? え? 待って待って? なに? もうちょいなんかないの?」

「なんかって何よ」

「何よってそりゃあ……その……あー、なんだ?」


 たしかに分からんわ。

 クソみたいに優しく励まされてもウザイしなぁ。


「そもそも青山が振られたなんてこと、とっくに知ってるしねぇ」

「ほんとそれ」

「は?」

「バレてないと思ってたの?」


 またしてもきょとん顔の七瀬さん。


「あんたもだけど……特に聖良ね、分かりやすすぎ」


 聖良が分かりやすい?

 そんなことあるかよ。ポーカーフェイスの塊みたいな女だぞ。

 あいつのせいで、俺がどれだけ悩んだと……。


「とにかく、あんたの不幸自慢なんて知らない聞いてない興味なーい! 言ったでしょ! 今日は私を励ます会なんだから! はい花火持ーつ!」


 言って、七瀬は俺の両手に花火を持たせる。


 なんなんコイツマジで。

 せっかく人が……そう、あの、か、感謝の言葉の一つでもと、思ったのにな……。


 霧島に視線を向けると、やはり彼は和かに微笑んだまま。


「ちっ」


 ったくコイツらは……やっぱり最高の腐れ縁共だ。


「よっしゃやるぞー!! 今日は俺たちだけの花火大会だ!! ひゃっほーーーい!!!!」

「そうこなくっちゃ!! いやっほーーーー!!!!」


 手持ち花火を両手に、俺たちは他に誰もいない深夜の海岸でバカみたいに踊り騒ぐ。


 ああ、楽しいなぁ。

 めちゃくちゃ楽しい。

 昔からそうだ。

 これが金色に輝く、最高の時間。


 いつから違う関係を、どこかの知らない誰かに求めていた?

 ナンパなんてしようと思った?

 恋人なんて作ろうと思った?

 心のどこかに蟠りを抱えながらそんなものを求めたって、叶うはずはないのに。


 本当は分かっていた。


 七瀬里桜。

 霧島大気。


 あの別れ以降腐っていた俺が、コイツらと出会えて、今もこうしてバカをやれる。

 恋人なんかいなくても、コイツらが一緒にいてくれる。


 そんな仲間がいてくれたことが、俺にとって本当の幸いだ。


 俺は、この幸いを、決して見失ってはいけない。


 ……なぜだろう。

 この1ヶ月の出来事があったからこそ、俺はそれを改めて知ることができたような気がする。


「ねぇ青山! 霧島!」


 七瀬が夜空の下、叫ぶ。

 俺なんかのどうでもいい話より、私の話を聞けと、そう言わんばかりに。

 狡く賢くあざとくも、俺たちのアイドルは刹那的な煌めきで語るのだ。


「私、私ね! いつ死んでもいいと思ってた!!」


 その言葉に、俺と霧島は一瞬だけ視線を交差させる。

 ぞわりと、得体の知れないモノに心が疼く。


「あんたたちに会わなきゃ、私はずっと、病室で、自分の不幸を呪って、迎えが来るのを待ち続けて、生きることに意味を見出せないでいた!」


 だけど、と七瀬は繋ぐ。


「私、今、とっても楽しいよ! 心底、生きたいって、思う! この身体、いつまで保つのか知らないけど、でも、あんたちがいるこの世界にずっといたい! ずっとバカなこと、していたい!」


「七瀬ちゃん……」


 霧島が、きっと無意識に呟く。

 俺もまた、彼女の飾らない本心に、言いようもない感情が湧き出るのを感じた。


「球技大会……私はあの場にいなかったけど、ぜんぶ聞いた。動画も見せてもらった。それでね、たくさん笑ったし、泣いちゃった。嬉しかったんだ。すごくすごく、嬉しかったよ。あんたたちは、やっと認められたんだ」


 なに、泣いてんだよ。

 七瀬の瞳には一筋の涙が伝っていた。


「………………」


 何も言えない俺の頭の中には、過去が巡る。


 七瀬の境遇は全て、知っている。

 彼女はいわゆる普通の身体ではなかった。

 そんな彼女が今までどんな想いで生きてきたのか、きっと俺なんかが語っていいものではいのだろう。


 それはきっと、一生、誰にも語られることのない物語。


 だから、俺には七瀬里桜の感情が分からないと言い切る。

 もしかしたら、どこかの未来で、俺は彼女のために生きたかのもしれない。

 そういう未来があっても良かったと、心から思う。

 だけど、今、それはもうできないと分かっているから。

 あの再会によって、俺の物語は決まったから。

 俺たちは一生、かけがえのない腐れ縁だから。


「————大好き」


 七瀬は泣き笑いする。


「こんなこと言うの、すごく、めっちゃ……恥ずいけど……でも私、やっぱりあんたらが大好きだ……」


 あははと、今度は取り繕うように笑って涙を拭う七瀬。

 自分でもなぜこんな話をしているのか分からないといった表情だ。


「……それを言うなら、僕もだ」


 霧島もまた、心情のままにか、それとも彼のことだから七瀬を気遣ってか、語る。


「キミたちがいなきゃ、変わり者の僕は今でも独りだよ。だから、今がすっげぇ楽しい」


 それは滅多に見せない、霧島の満面の泣き笑いだった。


 ああ、そうだよな。

 そうなんだよ。


 俺たちはそれぞれがそれぞれに、普通じゃないものを抱えてしまっていて。

 まぁ、俺についてはただ、勝手に腐っていただけなのだが……。


 それでも、普通に生きられない俺たちはあの病院で出会って……そしていつしか救われていたのだ。


 そうだ。

 俺は。

 本当に自分勝手ながら。

 幼馴染を傷つけたことに悩み、苦しみ、己を嫌悪し、自身を殺しながらも。

 

 彼らの存在によって、救われていた。


 そして、今も……。


 

「ったくよぉ……」



 俺は呆れた様子で2人に語りかける。


「おまえら、ほんっとに恥ずかしいな。重いわマジで。きっもちわりー」


 本心だ。

 そんな言葉も、コイツらにだからこそ口にできる。

 もう大爆笑。腹を抱えて笑ってやる。


「うわひっどー。ひどくないこれ? どうしてくれようか七瀬ちゃん」

「せっかく人が腹割って話してるのにー! 人の心がないのかー!」


 ぷんすかと七瀬は怒る。


「心がなかったのはてめぇだ!? ってか俺に語らせなかったのもおまえだよな!?」

「うるさいうるさーい! 私に口答えしてはいけない! それが私たち腐れ縁第一の掟よ!」

「んなわけあるかー!?」

「これでも喰らえ〜!」

「ちょ、ま、待て! 待てったら!? 花火は、花火はマジで危ないから!? 追ってくんな〜!?」

「あははははははは! 頑張れ青山〜! 逃げろ〜!」

「てめえ霧島! てめえはいつもいつも傍観者気取ってんじゃねえぞ!? ぎゃー火花! 熱い! マジ熱いからそれええええ!??!?」


 叫びながら、俺はガチになって逃げ回る。

 そんな俺を七瀬は楽しそうに大はしゃぎで笑いながら追いかけた。


「あんたの失恋話なんて知らなーい! 興味なーい! 甘酸っぱいのなんかいらないのよ!」


 そんな七瀬もまた、叫ぶ。


「私が欲しいのは、たった一つのコトバー!」


 それさえあれがいいんだと、七瀬は言う。


 それは彼女が俺たちにだからこそ見せてくれる、甘えだ。

 そして、俺を甘えさせてくれるコトバでもある。 


「あーもうわかった! わかったよ! 言えばいいんだろ!?」


 背を向けていた彼女らの方へ向き直って、俺は大きく大きく息を吸った。


 わかってんだよそんなこと!

 もう何年も前からな!


「おまえら2人とも、大好きだあああああ!!!! ずっと一緒にいようぜえええええええええええええ!!!!!!」


 だけど、大事なモノだからこそ人間、見えにくくなってしまうもので。

 だからこそ、失ってしまってから気づいたりする。

 バカな生き物だ。

 

「あは」


 霧島が笑う。


「「いっえーーーーい!!」」


 そして七瀬と霧島はやったぜと言わんばかりにハイタッチした。


「なにハイタッチしてんだそこー!! こっちはクソ恥ずかしいんじゃー!!!!」

「なによこっち来ないでよ恥ずかしいやつー! きゃーーー!!!!」

「バカそういうのは俺も混ぜやがれーー!! ほれハイターッチ!」


 ドタドタと砂浜を走って2人に近づくと、無理矢理にハイタッチを繰り返す。


「ふふ」

「あはは」


 自然と笑顔が重なった。


「————————〜〜〜〜っ!!!!」


 この時、3人それぞれが何を叫んでいたのか、もはや分からない。


 だけどそれでも、この時の俺たちは世界で一番、通じ合っていた。

 そしてきっと、これからもずっと、ずっと、遥か先の未来まで繋がれている。

 恋とか愛とかみたいな一過性の勘違いじゃない。

 これは、これだけは、一生のキズナ。


 あの夜空に浮かぶ一等星に勝るとも劣らない2つの輝きが、ちっぽけな俺に寄り添っていた。


 それから遊び疲れて家に帰って、風呂に入って、寝て、起きて。

 朝日を浴びる頃にはもう、俺の胸の奥底に巣食う呪いのような赤黒い何かは消えていた。


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