表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/8

俺が欲しかったモノ


-4-



「諸々の説明は省くがこの男子サッカー、勝ちにいく。でも、俺一人じゃ無理だ。おまえたちのチカラを貸してほしい」


 一旦教室に集まってもらったサッカー参加のクラスメイトに頭を下げる。

 球技大会のサッカーは半コート8人制の試合だ。

 ここにいるメンバーは俺と霧島に加え、ベンチ要員も合わせた合計10人。


「やる気、でたんだねぇ」

「うるさい茶化すなやめたくなる」

「あらら。じゃあしばらく黙るよ」


 なおもニヤついている霧島だが、無視する。構っている暇はない。

 第一試合の開始は迫っているのだ。

 俺は霧島以外の8人へ視線を戻した。


「頼む。どうしても、俺は勝たなくちゃいけない」


 虫のいい話だと、自分でも思う。

 俺は霧島や、クラスの中心である七瀬が友人であることにかまけて他のクラスメイトとの交流を図ってこなかった。七瀬がクラスにおける俺という存在を繋いでいたにすぎない。

 彼らを最初から切り捨てて、俺は外へ希望を抱いてナンパしていた。

 

 いきなり頭を下げられたからなんだというのか。

 友人ですらない。まともに話したこともない。ただのクラスメイトに。


 その上、元より男子サッカーへのモチベーションは低いはずだ。

 だから……


「……いいぜ」


 ひとり、体格の良いツンツン頭の男子が呟いた。


「……え?」


 その男子は勢いよく、俺の眼前へ拳を突き出す。


「やってやろうぜ! 男子サッカー優勝!」

「……いい、のか? なんで……」

「クラスメイトじゃねえか! そんなもん、無条件に協力するに決まってんだろ!」

「お、おお……」


 なんだコイツ……いい奴かよ……。

 たしか、名前は……。

 あやふやな記憶を探る。


「サンキュー、助かる……細川……!」

「細谷だバカ野郎! おまえ7月にもなってクラスメイトすら覚えてないのかよ……まあいいけど。あんま話してねえしな。これから覚えてくれよ!」

「ああ、分かった。覚える。おまえいい奴すぎるな、細山田!」

「だからおまえな……わざと……? それはそれで面白いな!」


 コイツ何言っても許してくれそう!


 と、興奮しすぎた。

 俺は細谷にしっかりと視線を合わせる。


「マジで助かる、細谷」

「いいってことよ」


 まずは一人。無理やりにでも手伝わせる霧島を入れて二人か。


「ボクもいいよ。役に立てるかは分かんないけど」

「ほんとか沢田!」

「沢城だ……」


 許してくださいマジで覚えてない。

 あらかじめサッカー参加者の名簿くらい見ておけばよかった。


「正直言って、これは妥協だ。お前みたいなやつが篠崎さんと付き合ってるとか、未だに信じたくない」

「あ……?」


 沢城は妙に複雑そうな顔で語り始める。

 そうか、クラスメイトは昨日のことを知っていた。

 俺と彼らの間では少しだけ事実の認識にズレがあるんだ。

 

「でも、あんな三年のイケメンに篠崎さんを奪われるくらいなら……せめておまえであってほしい。青山に勝ってほしいって、ボクはそう思った」

「……そう、だな……そうだよ! 俺もそう思う!」


 沢城の告白に、もうひとりが続く。

 そして、それは波紋のようにメンバー全員へ波及した。


「俺らの天使をクソイケメンに渡してたまるか!」

「イケメンはいつもそうだ! 俺たちから何もかも奪っていく!」

「それに考えてもみろよ! 青山みたいな冴えないやつが篠崎さんと付き合ってるって言うなら、俺たちにだってそんなチャンスがあるかもしれないって思えるだろ!」

「青山は俺たち非リアの星だ!」

「そうだそうだ! 非リアの夢を、俺たちで手助けしてやろうぜ!」 

「これは非リアの非リアによる非リアのための下剋上じゃー!」

「三年ぶっ潰ーす!」


 もはや俺を無視して、盛り上がってゆくメンバーたち。

 変な方向に話が進んでいる気がしないでもないが、大きな問題はなかった。


「おまえら……」

「へへ。よかったな! 青山!」


 細谷が俺の肩に手をかけ、ニカッと笑みを見せる。彼だけはまったくの善意で、俺に手を貸してくれるつもりらしい。

 イケメンすぎかよ……。モテるんだろうな。

 尊敬の意を込めて、細谷さんと心の中で呼ばせていただこう。


「で? 話は決まったみたいだけど、勝算はあるのか? すまねえが、俺は陸上部だ。サッカー経験なんてない。体力とガッツだけは、任せてくれって感じだけどな、ははっ!」


 騒ぎが落ち着くと、細谷さんが話を切り出した。

 自然に進行の手助けもしてくれる……素敵。

 残念イケメンしかいないこの学園の真のイケメンが決定した瞬間だ。

  

 細谷さんの問いかけに、全員の視線が俺は寄せられる。


「勝算は……ある。勝てる」


 言いきると、メンバーから「おお……!」と声が上がった。


「ひとつ言えるのは、この球技大会において各クラスの戦力差なんてそうそうないってことだ」


 出場できるサッカー部員はひとり。

 他の選手は7人。多少は元サッカー経験者がいるかもしれないが、試合を揺るがすほどの実力はないだろう。


「得点を量産しているようなチームがあるとしたらそれは現役のサッカー部員が独りよがりな活躍をしているだけとか、そんな表面的なもんだ。サッカーは一人でできるスポーツじゃない。工夫次第で、いくらでも試合はひっくり返る」


 サッカーはチームスポーツ。

 この球技大会において最も重要なのは、サッカー部自身の活躍ではないと俺は考えている。


 女子サッカーの場合は圧倒的な1で圧倒できるゲームだった。

 しかしそれは帰宅部や文化部など運動とは疎遠な人間が集まっていたからだ。

 そんな場ではそもそも、サッカーというスポーツがうまく機能しない。


 しかし男子の場合は違う。

 もちろん帰宅部、文化部もいるが、女子に比べれば全体として運動部の割合がはるかに多い。

 男子サッカーは運動能力の低い人間が集う試合ではないのだ。

 これはサッカーを知る人物が、どれだけ初心者を、ひいては細谷さんのように他に専門分野がある人間を上手く使うかという戦いなのだ。


 個人の強さではなくチームの強さで勝敗が決まる。


「そのために、まずはみんなのことを知りたいが……」


 それよりも、俺のことか。

 思えば、こういうことをクラスメイトの前で話すのは初めてで少しだけ、緊張する。

 だが、自分を晒さなければ。今日は進めない。


「……俺は小学の途中までサッカークラブに通っていた。一応は経験者だ」

「おお! イケるじゃねえか!」

「だが、今日までずっと、まともな練習なんてしていない。特に体力面は絶望的だ」

「おお……それは……ドンマイ! そこは気合でカバーだ!」

「お、おう、まぁ……そうだな。そうなんだけど……」


 気合にも限界がある。

 特に俺みたいな温室育ちにとって、できればそんな展開は勘弁願いたい。スポ根反対だ。

 

「俺は決勝まで司令塔に徹したい」

「司令塔?」

「ああ。軽い指示だけを出す。指示は初心者でもこなせる簡単なものだ。それだけできればいい。だから決勝までに、それぞれが自分の役目を理解して欲しいんだ」

「なるほどな」

「そのためにまずは、おまえたちのことを教えてくれ」


 慣れない司会を務めつつ、急ごしらえの作戦会議が始まった。 


「はは」

 

 静かに傍観していた霧島がふいにくすりと笑う。


「んだよきもいな」

「いーや? ただ、今の青山、七瀬ちゃんにも見せてあげたかったなぁって」

「……ふん」


 申し訳ないが、これは七瀬のための闘いではない。

 俺のための、闘いだ。


「おまえにも働いてもらうからな」

「わかってるよ。好きに使ってくださいな、大将」

 

 相変わらずの飄々とした態度で、霧島は笑った。




まずは、得点パターンを共有することだ。

 こうすれば点が獲れる、勝てる。というその意識のすり合わせがチームスポーツでは肝になる。


 だから俺が最初にするべきことは、このチームで得点する方法を見つけること。


 それは思いのほか簡単に見つかった。


「そうだ! サイドハーフは味方がボールを持ったらとにかく走れ!」

「あいよ……! 俺にピッタリの仕事だ……!」


 俊足の細谷さんが走り、そこへロングボールが上がる。

 ボールの精度は決して良くないが、問題ない。

 誰よりも早く走り出していた上に、陸上部である細谷さんに追い付ける選手なんてそうはいないからだ。


 サイドハーフの細谷さんへのパスだったはずが、ボールは中央寄りにそれる。が、細谷さんはやはり最初に追い付きボールを足元に納める。 

 そこからセンタリングなどする必要もなく、細谷さん自身がシュートを叩き込んで第一試合が終わった。


 4-0。完勝だ。


「よっしゃー!」

「俺たちやれるじゃねえかよ!」

「これはマジで優勝狙えるぜ!」


 クラスメイトたちが互いの健闘を称え合う。


「ふぅ、なんとかなったか」

「やったじゃねえかよ青山! 俺ハットトリックよ!?」

「ああ。ほんと助かるよ……細谷さん」

「……あん? さん?」

「いや、なんでもない」


 まずは一安心と言ったところだろうか。

 それに、第一試合を終えて分かったことがある。


 チームごとの戦力差はないなどと大見栄を切ったものの、このチームに現役サッカー部がいないことは間違いなく他との差になると思っていた。

 差がないというのは、サッカー部がいることを前提とした話だ。


 しかし、サッカー部員こそいないものの、このチームは決して弱くない。


 まずは細谷さんの身体能力、体力が圧倒的だ。

 フィジカルが強く、決して当たり負けない。オフェンスでありながら我武者羅な守備までこなすことが出来る。この運動能力は単純にサッカー経験者たちの中に混ぜられたとしても脅威なのではないかと思えるほどだ。

 さすがにシュートなどはまったくの初心者で、第一試合でもチャンスの数の割に点は取れなかったものの、雑なプレーでさえもチャンスに変えてしまう個の強さは、このチームの得点源となり得る。


 沢城は決して運動神経に優れていないが指示への理解が早く、懸命に対処してくれている。


 そして俺と同じく小学までサッカーをしていたという飯塚。小柄だが判断力に優れ、一番のネックだったディフェンスを進んでこなしてくれた


 その他。完全に初心者で運動部ですらないメンバーたちも俺の指示をしっかりこなそうと意識してくれている。


 沢城のおかげで全員が一丸となるきっかけが作れたのもそうだし、そして何より……


(七瀬のメンバー選びのおかげ……なのかもな)


 切り札となる霧島をサッカーに配置してくれたこと。

 他のメンバーも、協力的で気の良い人間が集まっている。

 それは七瀬が作り上げたクラスの空気でもある。


 ここにいない友人に、密かに感謝した。


 うちのチームの戦略としては、王道ではあるが、堅守速攻と言える。


 飯塚、そして俺の指示を中心に組織的な守備を組み上げ、サッカー部員相手には3人以上でマークすることを徹底した。

 さすがに3人でかかればボールは高確率で奪えるし、もしパスを選んだとしてもそのさきにいるのは初心者だ。ただでさえ落ち着きのない試合状況で、ミスを誘発するのは容易い。

 ボールを奪ったらすぐさま細谷さんを狙ったロングパスのカウンター。

 そのまま細谷さんがシュートに持ち込めれば吉だし、俺や霧島などオフェンスの人間がこぼれ球を対処する。

 綺麗な形でなくとも、ゴールネットを揺らすことができれば勝ちだ。


「あ、青山くーん!」


 試合が終わり一息ついていると、クラスメイトの女子二人がこちらに駆けてきた。


「おお、えっと洋食屋の」

「森園だよ! ちゃんと覚えて!」

「私は咲崎ね~。いつもこの子と一緒にいる」


 2人は少し呆れながらも気分を害した様子もなく対応してくれた。


「森園に、咲崎な。覚えた」

「もうっ、ほんと頼むよ~。クラスメイトの男子に覚えられてないとかふっつーにショックだから!」

「まぁまぁ、青山くんは篠崎さんにしか興味ないんだから許してあげなさいな」

「は、ははは……すまんね」


 七瀬以外の女子とまともに話すのもこれが初だ。

 しかし彼女らには俺からコンタクトを取った。男子は全員試合に駆り出されているため、女子に頼りたいことがあったのだ。


「で、撮れたか?」

「もちもちバッチリ~」


 森園が誇らしげにスマホを掲げる。

 彼女らに頼んだのは、2-Aと同時に行われている試合の視察、録画だ。


 特に小早川先輩のいる3-Aを見るように頼んである。


「ちゃんと出来てるか分からないけど、言われたこともちゃんとメモしといたから~。ちょっと見てみてくれる? 参考になると嬉しいな」

「ああ。助かる」


 咲崎からメモ帳を受け取る。

 開いてみると、俺の想定よりもかなり丁寧に書かれていた。


「こんな感じで大丈夫だ。次の試合も頼むよ」

「わかったよ~」


 とりあえずメモは第二試合までに目を通すため、俺はポケットにそれをしまった。


「それから、アレの方も。意外と楽な仕事だったよ~」

「お、マジか」

「よゆーよゆー!」


「それじゃあ悪いが、女子たちにそっちのことも……頼めるか?」


 正直、ひどく手のかかる作業だ。時間も足りない。

 それをサッカーに詳しくもない女子たちに頼むのは忍びないのだが……。


「もっちろん! やったるよー! 森園さんにまっかせとき!」

「いや、あんたはやめときなって。素直に男子の応援だけしときな~?」

「ええー!? なんで!?」

「アホだから」

「なにをー!?」


 ポコポコと殴りかかる森園を咲崎はひょいひょいとかわす。

 そして咲崎は余裕の笑みを浮かべながらこちらに視線を流した。


「まぁ、さ。任せときなよ~。みんなやる気になってるからさ~?」

「やる気?」

「私と森園はさ、バレー負けたし。いいんちょに頼りすぎだったよね。サッカーも、篠崎さんばっかに頑張らせて……ケガさせてさ。ちょっと責任感じてるんだよね」

「いやでも……それは……」


 2人とも、望んでしたことだ。きっと後悔も何もしていないし、クラスメイトに責任を追及することもない。


「それでも! だよ!」

「二人の足手まといでいたくないでしょ~? 私らは、対等なクラスメイトで、友達なんだから」


 2人はクラスメイトの想いを代弁するように胸を張って語る。


「そうか……じゃあ、任せる」

「おー! 任せろい! ってずっと言ってるー!」


 このメモと、女子たちがこれから行うことの成果が今日の試合のカギになる。

 そして、これを活かすも殺すも俺次第だ。


 緊張と同時に、不思議と心が昂るのを感じた。


「……んー? 青山くん……なんか顔つき変わった?」

「は? なんか俺、変な顔してたか?」

「そうじゃないけど……ううん?」

「バッカ。そんなの決まってるでしょ?」


 咲崎が森園に耳打ちする。


「あ、あーそっか。そうだよね! にゅふふ~」

「何がだよ……」


「いやー熱いね青山くん! ちょっと見直したよ! 頑張ってね! 応援してる!」


 森園はすべて理解しましたと言わんばかりにニヤついて、俺の背中を叩くとガハハと気分良さそうに笑ってこの場を後にした。


「あはは。ごめんね~調子いい子で」

「いやべつに」

「でも、私からも少しだけ」


 しっとりと、咲崎は笑みをみせる。


「期待してるよ。ウチの女子みーんな、ね」

「お、おう……?」

「まぁ、青山くんにとっては篠崎さん以外どうでもいいか~。他のみんなに言っといて。ここで頑張れば見る目変わるぞ~って」


 ひらひらと手を振って、イマイチ掴みどころのない少女は去っていく。


「よっし、俺もやることやらないとな」


 クラスメイトのそれぞれが、勝つために今できることを始めていた。



 そして、その時はやって来る。


「必ず決勝に来ると信じていたよ。青山凪月」


 決勝の舞台に姿を現した小早川先輩は、堂々たる面持ちで俺に笑いかける。


「はぁ」


 俺はといえば、生返事。


 まぁ、負けても全然良かったんですけどね。少なとも今朝くらいまではマジでそのつもりだったし。

 まったく、誰のせいでこうなってるんだか。もうわからんのですわ。


 惚けながらも、先輩の思い描くシナリオそのままに事態が進んでいることには若干イラついた。


「俺はね青山、キミと戦ってみたかった」

「はぁ。恋敵的なアレっすか」


 どうでもいいが。


「それもあるし、今はそれこそ本懐だが……それとはべつに、だ。俺はずっと、キミと試合がしたかった」

「はぁ?」


 なして?

 つーか俺のこと知ってたのかよこのイケメンが。

 

「この地域のサッカー関係者なら、キミを知らない者はいないよ。天才サッカー少年、青山凪月」

「……はは。いやに昔の話っすね」


 そういうのマジでやめろよ。

 ぜんぶ捨てたんだから。

 終わった話なんだから。


「そいつを言うなら先輩の方がよっぽど有名でしょう。今も、昔も」


 少し調べてみればわかる話。

 最後のインターハイこそ振るわなかったが、彼個人でみれば昔から県のトレセンにも招待されるような選手だ。


「そうだな。でも、あの頃のキミには俺以上の華があった」


 小早川先輩は昔を思い出すように瞳を細めて語る。


「そんなキミが、まさか同じ学園にいたとは今まで気づかなかったがね」


 はっ。

 所詮その程度の話ということじゃないか。

 いや、これに関しては変わりすぎた俺が悪いのか?


「とにかく、俺はキミに勝ちたい。心から」

「はぁ」


 そんなにまっすぐに見つめてくれるなよ。

 ここにいるのは、ただの陰キャの、ナンパ野郎だぜ? 

 

「そんなに期待しないでくださいよ。まともなサッカーなんてここ数年やってないし、何より運動不足なもんで」

「わかっているさ。それでも……」


 小早川先輩は、やはり威風堂々と、この舞台の中心で台詞を口にする。


「キミはこの舞台にいる」


 ぞくり。

 まっすぐな瞳に貫かれて、ふいに背筋が震えた。


「正々堂々、いい勝負にしよう」

「…………そうっすね」


 握手を交わすと、俺たちは背を向け別れた。


 は……っ。

 正々堂々、ね。


 そんなもん…………


「…………クソくらえだ」


 試合開始が迫る。

 

 コイントスの結果、ボールは俺たち2-Aが取った。


 センターサークルの端に俺は立つ。

 

「すぅ……はぁ……すぅ、はぁ……」

「なにしてんの?」

「…………ルーティンってやつだな」

「ああ、集中力を高めるあれね。プロっぽい」


 正確に言うなら、これはプレパフォーマンスルーティンと呼ばれる。

 試合前ではなく、プレー中に行われるものだ。


 サッカーで言うならたとえば、フリーキックや、ペナルティキックの直前……。


「しっかり頼むぞ、霧島」

「お安い御用だよ」


 そう言って微笑むと、霧島はフィールド中央へ向かった。


 そして、試合開始のホイッスルが鳴る。


「……っし」


 最後に俺はその場所を、睨みつける。


 フィールド上の声、外野の応援。

 何もかも、今の俺にはもう聞こえない。


 女子決勝において、篠崎聖良は疾風怒濤のドリブル突破を見せた。

 瞬く間の得点。衝撃のスタート。

 まさか俺と似たようなことを考えているとは思わなかったよ。


「へへ」

 

 なぁ聖良。おまえはスゴいよ。

 本当は運動音痴なくせして、よくやるものだ。

 だけど。

 俺ならもっと、上手くやる。

 もっと、もっと、簡単な方法があるだろう?


「青山っ」


 中央の霧島が、こちらへボールを蹴り出す。

 コロコロとゆっくり転がる程度の、パスと言うには弱い球。


 そこへ向かって、俺は助走を始めた。


「————っ!? まさか!? オフェンス! 前にでろ!!」


 瞬間、小早川先輩が叫ぶ。


「え? 前っ!? は? え? え? どど、どうすれば!?」

「クソッ」


 突然の指示に、相手オフェンス陣は統制を欠いている。


 はは、想定外だったか?

 もしも俺が聖良のようなドリブル突破を選んだとしても、自分が阻めばいいことだと思っていだだろう?


「————そんな時間はねぇよ」


 体に染みついた動作だ。

 もはや考えるまでもない。

 左手を大きく広げ、軸脚となる左脚を全力で地面に踏み込む。

 

 そして素早く、鋭利に、右脚を振り抜いた。


「え…………?」


 グラウンドが静寂に包まれる。


「く、う、————ぉぉおおおお!!」


 ただ一人、反応した小早川先輩が必死の叫びを上げて、宙のボールを追っていた。


 が、やはり何もかも、もう遅い。


 キーパーは動かなかった。いや、動けなかったのだろう。


 俺の放ったシュートは、吸い込まれるようにゴールネットを揺らした。


「ふぅ」


 ゴールの中で転がるボールを見つめて、ようやく呼吸を思い出したかのように、俺は息をついた。


「なんとか、なるもんだな」


 いや、なってもらわないと困る。


 昔のようにサッカーはできない。本当だ。サッカーの練習なんてしていない。

 そもそも、サッカーなんてそんなに好きじゃない。

 俺が好きだったのは……この、ゴールネットを揺らす瞬間だけ。

 点を獲ること、シュートを撃つこと。

 だから、あの河川敷で、あくまで趣味の範疇で、己のシュートを研究することだけはやめなかった。


 たとえその先に、昔求めたあの面影がないんだとしても……。


「………………」


 これはそれだけの話の、その結果なのだ。


「す、すっげええええええええええ!!!! すげえよ青山ぁぁぁぁああああ!!!!」


 大興奮の細谷さんがこちらへ駆け寄り、強引にハグする。

 続いて霧島、他のチームメイトたちも。


 それを合図に、やっと状況を認識したオーディエンスが湧き上がる。


 ————ウォォォォォォォォォォォォォ‼︎‼︎


 ああ、何度体験しても、この瞬間だけは良い。

 

 しかし、


「気を引き締めろ。試合はここからだ」


 まだ小早川先輩は一度たりともボールに触れていない。

 この手はもう2度と通じないだろう。

 これはただの不意打ち。

 正々堂々とは程遠い。

 たった一度だけ使える、俺の持つ唯一のジョーカーなのだから。


 ・


 ・


 ・


 ああー、このまま試合終わらねーかなぁ。

 最初からわかっていたことだが、体力もたねーぞこれ?

 思うものの、やはりそうはいきそうもない。

 前半も10分ほどが経過して、明らかに形勢としては劣勢だ。攻め込まれる状況が続いていた。


 未だ1-0のスコアを守っていると言っても、地力の差はでている。


「敵さんは大半が運動部。当たり前か」


 受験生とはいえこの時期じゃまだ引退組も少ないだろうしな。

 それでも失点を免れているのは小早川先輩の行動によるものだろう。

 試合開始前ミッドフィルダーの位置についていた彼は、俺のシュートを見てセンターバックに下がった。

 俺がどこからでもシュートを撃てると見てだろう。

 ゴール前でキーパーさながらにドンと構えていやがる。


「まぁ、そう簡単に撃てるもんじゃないけど」


 あれはマークもプレッシャーもなく、最高の集中力を維持していなきゃ無理な代物。

 いい位置でフリーキックでも貰えればラッキーだが、それでも2回目は自信がない。


 だから、小早川先輩がディフェンスについてしまったのは正直ツラいところ。

 こちらにはあの鉄壁を崩して新たに点を獲る術がほとんどないのだ。


 膠着状態。

 しかし、やはり心理的に有利なのはこちら。

 なぜなら俺が思う通り、このままスコアが動かなければ勝ちなのだから……。


「そのための策だって、急ごしらえだが用意した」


 そろそろだろう。

 俺はチームメイトたちにアイコンタクトを送る。

 ここからがチームの闘い。

 外野まで含めた、七瀬が創ったクラスの闘いだ。


「くるぞ沢城! トラップ際!」

「わかってる!」


 ロングパスに対して、沢城が距離を詰める。


「……テニス部主将の江口先輩はトラップの際、8割の確率でボールが1メートルほど右へそれる」

「え?」


 沢城の呟きに先輩は目を点にする。


「それは女子から貰ったデータでも、この目でもすでに確認済みだ!」


 沢城はその小太りの身体に似合わない機敏さで、華麗にボールを奪取する。


「それ! 細谷!」

「うぉぉぉぉキタキタキタキタぁ! やっとオレの出番かぁぁ!!」


 すかさずカウンターのロングパス。

 それは全員で共有した、俺たちの攻めパターンだ。

 待ってましたとばかりに走り出す細谷さん。

 そしてボールを足元に収めると、小早川先輩のマークが詰めてくる前に、無理矢理にシュートを撃った。

 しかし残念ながらシュートはゴールの枠を大きく外れ、プレーは一度途切れる。

 

「ちっきしょー!」

「おーけーおーけー。シュートまでいければ上出来だ」


 一番怖いのは小早川先輩にボールを奪われ、相手のカウンターとなってしまうことだ。

 そうならないために、細谷さんには少し無謀でもシュートで終わるように言ってある。

 ゴールキックになれば、こちらも大勢を整えることができる。

 

 そこから、試合の流れは変わった。

 こちらの作戦が機能し始めたのだ。


 試合に出場しないクラスメイトたちに集めてもらったのは、相手選手の情報。

 今日の決勝までの試合に至るまで全て調べ込み、その技術の程やクセ、思考、行動パターンを出来うる限り暴き出した。

 小早川先輩については、過去の試合にもできるだけ目を通した。

 もちろん情報は足りていないし、時間だってなかったが、それでもいくらかの役に立つ。


「よしインターセプト。情報通りだ」


 ディフェンスの飯塚が冷静にパスカットする。

 よし。ボールを持てる時間も飛躍的に増えてきた。


 この調子なら、勝てるかもしれない。


「すごいすごーい! みんな上手いじゃーん!」


 ボールがラインを割り、スローインまでの僅かな時間。

 浮かれ気味の声がグラウンドに木霊した。

 クラスメイトのひとり、森園だ。

 それに咲崎も続く。


「私たちの集めた情報、役に立ってるみたいだね〜」

「ほんと!? やったね!」

「いやアンタはほとんど何もやってないんだけどねぇ。寝てたし」

「知らない知らなーい」


 おいおいとクラスメイトたちの間で笑いが起こる。

 しかしやっぱり森園にとってそんなことは知ったことではなく、満面の笑顔でこちらへ叫んだ。


「みんな頑張れ〜! カッコいいぞ〜!」


 それは純度120%の爽やかで甘酸っぱい応援。


「お、おう……」

「な、なんだこれ」

「なんか……」

「顔が、緩む……」


 普段から応援され慣れてないチームメイトたちは皆一様に困惑を示しながらも……


「「「「でへへ♡」」」」」


 やがてダラシない顔で鼻の下を伸ばした。


 なにコイツら気持ち悪い……。


「おまえらデレデレしてる場合か!? 集中切らすなよ!?」


 一喝する。

 前半も残りわずか。

 おそらく次がラストプレーだ。

 相手のスローインはそこまで危ない位置でないとはいえ……


「ん……?」


 ちょっと待て。

 スローインのためにボールを持ったのは、筋骨隆々の先輩だった。

 あの人は、たしか……ハンドボール部……?


 彼はボールをがっしりと握ると、大きく大きく助走をとってゆく。


「お、おいおいまさか……」


 今までの試合では一度もなかったぞ?

 それどころか、ハンドボール部の彼がスローインをすることさえ……。

 だが、可能性はある。


「————ろ、ロングスロー警戒! 自分のマークを離すな!」


 咄嗟に叫んだ。


「ロングスロー!? って言われても……ど、どうすれば!? うおぉ!?」

「な、なんだなんだ!?」


 しかしそれを嘲笑うかのように、相手選手たちは次々とポジションを入れ替えるかのようにゴール前を入り乱れる。

 これではもう一人一人への指示なんて間に合わない。

 そもそもロングスローへの対処なんて教えていないのだ。


 これが目的か……?

 いくらロングスローと言っても、それは蹴られたボールよりもずっと威力が弱いものとなる。

 つまり、ヘディングシュートも上手く威力を伝えられない。

 ロングスローの本当の目的は、ゴール前の混戦。こぼれ球を押し込むこと……

 

「————っ!?」


 その時、俺の間違いを正すかのように背後を大きな影が走り去った。


「小早川先輩……!?」


 まずい。まずいまずいまずいまずい!


 そうだ、この試合ディフェンスに専念していたせいで忘れかけていた。

 小早川柊斗のプレイスタイル。

 それは、恵まれた身体能力、フィジカルによる圧倒的で無慈悲な蹂躙————!


 彼なら、容易くヘディングシュートが撃てる。


「小早川だ! 全員で小早川をマークしろ!」

「え? でもそんなことしたら他がノーマークに……」


 そんなこと分かってる!

 しかし、小早川先輩を止めなければそれ以前に全てが終わるのだ。


「ちぃ……!」


 チームメイトは動けない。動けるわけがない。

 たった1日だけのチームに臨機応変なんて言葉を求める方が間違っている。


 俺がいくしかない……!


 走り出す。

 同時、予想通りにハンドボール部の先輩は大きな助走を駆け抜け、豪快なロングスローを放った。


「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「く、う、ぉ……!」


 小早川先輩が猛獣のごとき唸り声を上げてボールめがけて飛び込む。

 俺も一歩遅れてジャンプし、小早川先輩に身体をぶつけるが……


「(でけぇ……っ)」


 そして、硬い。

 まるで鋼のような肉体だ。


 ————ドン‼︎‼︎


 次の瞬間、俺は無情にも突き飛ばされ、地面に尻もちをついていた。


「いってぇ……っ!」


 くっ、頭がグラグラする。

 意識飛ぶかと思ったぞこんにゃろう……善良な帰宅部に何してくれてんだ……!


 って、そんか場合じゃねぇ。


「……ぼ、ボールは!?」


 慌てて視線を巡らすと、ボールは見事に自陣のゴールネットを揺らしていた。


「っ…………あ〜、……きっつ」


 前半終了間際————1-1。

 同点。



「立てるか?」


 こちらを見下ろし、小早川先輩が手を伸ばす。


「ああいや、だいじょぶっす」

「そうか」


 少しばかり強がって、俺はズボンの泥を払いながら立ち上がる。


「……今回は、キミのやり方に少し倣ってみた」

「は?」


 ロングスロー。

 不意打ちという意味で、だろうか?


「だがやはり、これは俺の道じゃないな」

「はぁ」


 真の強者に策などいらない、か。


「次こそは、俺のやり方で。正々堂々いかせてもらおう」


 まもなく、前半戦が終わった。


 ◇


「ほんっとごめん! ごめんね? ね?」


 ハーフタイムになると、森園が飛んできて俺たちに頭を下げた。

 自分が応援した直後に得点を許す形になって、責任を感じてしまったのだろう。


「森園のせいじゃないから安心しろ」

「え、そうなの?」


 ロングスローは完全に想定外だった。

 それはあの一瞬の気の緩みがあってもなくても、変わらない事実だ。


 その上で、俺は森園に言う。


「だからもっと応援してやってくれ。こいつらもやる気がでるよ」


 応援————それも可愛いクラスメイトの女の子からとなればその効果は言うまでもない。


「そっかー!」


 すると森園は素直に頷いてにぱーっと笑うと、選手ひとりひとりに声をかけ始めた。

 

 それによって、同点にされてすっかり落ち込みムードだった周囲が華やかに色づいたのもまた、言うまでもなかった。


「あ、そだそだ。応援以外にも、勝ったらご褒美とかどうかな?」

「ご褒美?」

「うん。私がとっておきのご褒美、用意しちゃうよ?」


 森園が得意そうに笑みをつくる。


「と、とっておきのご褒美ッッ、だと!?」


 同時に、アホどもが騒めきだした。

 

 とっておきと言うと、やはりエロ写メか……。

 しかし森園はとても愛嬌があって可愛らしいものの、こういってはなんだが身体の方はあまり発育がよろしくない。


 ふむ……お、俺の食指はあまり動かないかな。うん。

 それ以前に俺のやる気はすでに充分だしな。


 俺の視線は自然と、幼馴染を探してグラウンドを漂う。

 しかしらそれっぽい影を認めることは出来なかった。


「あ、私がずっといたら休めないよね! じゃあ私もう行くから! ご褒美楽しみにしててね! 勝ってね!」


 謎に空気を読んた森園は、場を十二分に潤いを届けて、俺たちの元を去っていった。


 その小さくて可愛らしい背中をアホどもが食い入るように見つめること数秒……


「「「「でへへ♡」」」」


 彼らは地獄のように気持ち悪い笑みを浮かべて談合を始めた。


「ご褒美ってなんなろうなぁ」

「え、えろいことだったり……」

「うひょひょひょい燃えてきたぁ!!」

「はっするはっする!」


 こいつら本当にキモいよぉ……もう近づかんどこ……。


 そろそろと集団から離れると、


「実際大丈夫なのか、青山?」

「そうだね、あのロングスローは脅威だ」


 そう言って霧島と細谷さんが身を寄せてきた。


「……あれについては問題ない」


 不意打ちのようなプレーは彼の望むサッカーでなければ、本領でもない。

 あれはあくまで、ここまで俺の策略に対するお返しなのだ。

 だから、きっともう先輩はあの手を使わない。


「だが、それ以上に怖いのは……」


 ……正々堂々。


「イヤだねぇほんと」


 これ以上の失点は許されない。

 次を決勝点にするんだ。


 今一度、気を引き締めていこう。



 ◇◆◇



 人間、どんなに精神を統一しようと、意味を成さない場面がある。


「ぅ、がぁ……っ!?」

「軽いぞ、青山凪月!」


 圧倒的な実力差。


 正々堂々。

 力の差が問われる場面を作られてしまったら、俺にはもう出来ることがなかった。


 あっという間の出来事。


 後半開始数分。

 小早川柊斗は余裕のドリブル突破により、逆転の一点を獲得した。


 それは華麗なフェイントなど一切要さない、チカラによる一点突破の行進。


 これが本当のお返しってか……?

 俺、そして聖良が必死こいて成したことを、こんなにいとも簡単に……。

 俺たちのしたこととは、ロングスローしかりドリブル突破しかり、本質が違う。

 一度きりのカードじゃない。

 小早川先輩にはこれが何度でもできるのだ……。


「くっそ」


 逆転するにはあと2点……か。

 もぉ帰りたいよぉ……。


 少しばかり、話し合いが必要だ。

 俺はボールを回収すると、審判の生徒に注意されない程度にゆっくりとフィールド中央へ向かいながら、チームメイトを集める。

 

「3人でマークしよう」

「3人?」

「俺と細谷、それから沢城の3人で小早川先輩につく」


 ロングスローと違って、この個人技の暴力については想定内だ。


 いや、実際に体験してわかる。

 残念ながらあの圧倒的すぎるフィジカルは完全に想定を超えている。


「細谷の負担がデカくなるが……」

「まっかせろ! 筋肉なら先輩にも負けねえって!」

「ああ、頼むよ」


 ほんとお願いしますマジで神さま仏さま細谷さま。

 俺じゃどうしようもねえよ。もう2回も一瞬で吹っ飛ばれたんだよ?

 なに戦車なの?

 それともモビルスーツ?


 その他のメンバーにもそれぞれ、指示をする。


「僕は? ディフェンスに回ろうか?」


 唯一、お声が掛からなかった霧島が言った。


「いや、いい。おまえは前線にいろ」


 たとえ攻撃の要である細谷さんを下げようとも、霧島だけには残ってもらう。


「いいの?」

「そろそろ働いてもらうぞ」

「……なるほど。でも、その後は大丈夫?」

「大丈夫なわけあるか?」

「ないねぇ」


 これで、ちっぽけな頭で考えた小細工はぜんぶ終わりだよ。


 これ以上の失点は許されない。

 その上で、2点を奪う必要がある。


 あの、小早川柊斗から。


 ……遠いよ。

 晴天の空には、もう決して手の届かない月が薄く顔を覗かせていた。

 笑ってやがる。

 マヌケでノロマで、どうしようもなく弱い俺を。


「……嫌なことは後で考える。いつものことさね」

「ま、青山ならなんとかしてくれるしね」

「なるようになるだけなんだよなぁ」


 ボヤいた頃、審判から早くしろと怒られて試合はリスタートした。


 ・


 ・


 ・


「……ぐ、う、くそ、がぁ……っ」


 小早川先輩のドリブルに、決死の覚悟で身体を寄せる。


「なんだこれ……! ビクともしねぇ……〜〜〜〜っ!」

「なんで、ボクまでこんな役をぉ……!」


 さしもの細谷さんも、そして沢城も余裕がない。


「おまえは体重負けしてないだろぉ……はぁ、はぁ……」

「そんな理由でぇ……っ!? ぜぇ、はぁ」


 プレイ再開から、小早川先輩は完全に攻撃態勢に入った。

 果敢にドリブル突破を仕掛けてくる。

 クソ、ここは個人競技の舞台じゃねぇぞ……。

 ニセモノとは一線を画すホンモノによる、一人舞台。

 球技大会だぞ。パンピーに花を持たせやがれ。


 心の中で愚痴りつつも、身体をぶつけ続ける。


「なかなか、しつこい守備だな。やすやすと追加点は頂けそうにない」

「く、うおおおおおおおお!」

「特に細谷、君の筋肉は称賛に値する」

「え、そうすか? マジ? でへへ」

「照れてる場合か!?」


 このチームメイトはどいつもこいつも!!


 しかし、必死のディフェンスの甲斐あって、事態は好転の兆しを見せる。


「勝っているオレとしてはこのままボールをキープして時間経過を待つのもいいんだが……いつかボロはでるだろう。ここは、さすがに仕切り直させてもらおう」


 さしもの小早川先輩も突破を諦め、バックパスを選択する。

 

「へっ」


 自然と頬が緩むのがわかった。

 まるでメンバー全員の心が繋がっているかのように、共鳴するのがわかる。


 そう、俺は、俺たちは。

 この瞬間を、待っていた。


 軽い気持ちだっただろう?

 俺の……いや、アホ共の体力を甘くみちゃいけない。


「ここだ!!!! 詰めろぉ!!!!」


「「「「おう!」」」」


 指示を飛ばすよりも早く、チームメイトたちは動き出していた。


「うおおおおおご褒美のためええええええ!!」

「エロ! エロ! エ・ロ・ス!」

「森園ちゃぁぁん見ててくれえええええ!!!!」


 きっも。

 

「おわぁ!? え、バ、バックパス!?」


 そんなヘンタイたちの裏で、すっかり小早川先輩頼りになっていた3年の選手たちは、驚き、戸惑っている。


 しかしそんな間にも俺と細谷さん、そして一歩遅れて沢城はそのままボールを追いかけていた。


「あ、あいつらすげえ勢いでこっちに!? 小早川が抜けないのに俺が敵うわけねぇよ! す、すぐにパスを……あ、あれ? パスコースが……」


 そして、気づいた時にはもう遅い。


 俺たちは、たったひとつのプランのために意識を共有していた。

 全員のヘンタイが連携して動き、パスコースはすでに塞いである。


「こっちに戻せ柳瀬! オレがフリーだ!」

「え? お、おう小早川! な、なんだよ小早川が空いてるじゃねえか!」


 安堵し、意気揚々とパスする先輩。

 そうしてボールは再び、小早川先輩に————渡ることはなかった。


「インターセプト。すべて予定通りだ」

「な、なにぃ!?」


 小早川先輩の背後に小さな身体を潜めていた飯塚が現れ、ボールを奪取することに成功。


 小早川先輩、もう少し冷静に考えてくれよ。あんたと違って俺たちはこれだけ計画的に、組織的に動いているんだ。

 あんたをフリーにするわけがない。

 もしフリーに見えたのだとしたら、それは……


「トラップですよ」


 愚直な選手ほど痛い目を見る。

 相手を騙してこその、サッカーだ。


「ぐっ、そういうことか……だが!」


 悔しさに拳を握った小早川先輩は、それでもすぐさま顔を上げる。


「当てつけのつもりか? わざわざオレの目の前で奪ったのは失敗だ! たとえ一瞬奪おうと、一瞬で奪い返せばいいだけのこと!」

 

 それもまた道理……小早川先輩にはそれだけのチカラがある。


 だからこそ、そこいるのはサッカー経験者の飯塚なのだ。


「……そう、一瞬で十分なのもまた、サッカーだ。これはもう、あんたのボールじゃない」


 飯塚は小さく呟くと、慣れた動作で、正確に、大きく、ボールを蹴り上げた。


 一瞬にして、ボールは人間なんかよりもずっと早く、手の届かない遠くへと飛んでゆく。


 その光景を見て俺はようやく人心地ついたような気がした。


 なにせ後は、頼りになる親友の出番だ。


 細谷さんが、沢城が、飯塚が、チームメイトたちが、全員いなきゃこの状況は作れなかったが……


「ヒーローはおまえだ、霧島」


 いや、最高のヒールかもしれないが。

 思わず、くつくつとした笑いが漏れる。


「おっとっと、トラップトラップ。よし、おーけー」


 緊張感のカケラもなく、霧島はボールを足元に収める。


「じゃあ、やりますか」


 そう言って、霧島は————らっきょう大好きイケメンはいつものマスクを取って、その整った素顔を晒した。

 これが、七瀬里桜が用意してくれていた最後のカードである。


 しかし……あークソ、鼻栓用意するの忘れてた。

 あれの欠点は味方にも被害が出ることだからなぁ。

 まぁ、だからこそ霧島はたったひとりのフォワードなのだが。


 なぁ先輩方、そいつはただの綺麗な飾りだと思っていたか?

 違いますよ。

 そいつこそ、うちの主砲だ。


「な、なんだコイツ……いきなりマスク取りやがって……そ、そっこーボール取ってやるぜ!」


 ディフェンスの先輩が霧島に詰める。


「あ、僕に近づかない方が……」

「ヴォエエエエエエエエエ!! くっせなんだコイツくっせヴォエエエエエエエエ!?!? ksmg○snm×odmppy●□aaaaaaabty!?!?!!!?(自主規制)」


 ああ、今日、またここに一人、名も無い先輩が犠牲となった。


「あーあ。だから言ったのに。……とか言ってるけど、僕は僕でこれ辛いんだけど。ねぇそんなに臭い? 倒れるほど? たしかに今日は青山に言われていつもの10倍らっきょう食べたけど……あとニンニクも少し。……うん、ちょっと心折れそうかも……」

「アホ言ってないで早くしろ!?」


 叫ぶ。


「うっわ怖いよ大将……ほんとに余裕なさそうだね……」

「うっせえよ……」


 ぜーはーぜーはー。

 ちょ、マジ息切れ治らねえんだけど。

 余計な体力使わせるないで?

 余裕とか1ミリもないんよお先真っ暗なんよ。


「よし。じゃあとりあえず一点、取らせてもらいまーす」


 霧島がドリブルを開始する。

 先程の光景を見て、誰が彼に向かっていくことができようか。

 周囲の先輩方は硬直していた。

 

「お、オレがすぐに行く! だからそれまで耐えるんだみんな!」


 小早川先輩だけが全力で走りながら叫ぶが……やはり他の誰も動くことが出来なかった。


 気づけばもう、霧島はゴール前。

 キーパーと一対一。


「ちょ、待て。く、来るな。許して、ま、まだ死にたくない。やめて、お、俺この試合終わったら妹と結婚するんだああああああアアアアアアア!!!?!!る?!!??!」


 キーパー死亡。


「ほいっと。はい、ゴーーーーーーーーール」


 静まり返ったグラウンドに響く気怠げな声。


 霧島の活躍によりスコアは振り出しに戻った。


「これでいいかい、大将」

「完璧だ」


 俺と霧島は軽いハイタッチを交わした。


 それから、数分後。


「————フッ!!」

「うわあ!?」


 再びボールを持った霧島はまたしても天下無双の地獄絵図を作り出すかに思われたが……


「やっぱダメかー」


 小早川先輩によってあっさりとボールを奪われた。

 知ってた。


 おそらく彼は、息を止めている。

 

 まぁ、それこそ一瞬あれば霧島からボール奪うなんて出来るしなぁ。

 息を止めることさえ負担になりはしない。


 霧島(核兵器)を有効活用するには、先程のように小早川先輩がマークに付けない状況にする必要があるわけだ。


 しかし、スコアが同点となってから小早川先輩は前半と同じくセンターバックに位置取った。


 残り時間は少ない。

 個人技で突破しようにも俺と細谷さん沢城の3人でマークされれば簡単には突破できない。

 もしもボールをロストすれば霧島で確定演出。


 それならば、俺たちの攻撃を自ら止めた上で陣形が崩れているところにカウンターアタック、ということだろう。

 最悪の場合、PK戦も視野に入れているだろうか。


 小早川先輩の思考トレースはそんなところだ。

 キッツイなぁ。

 知ってます? 

 俺たちったら結局、小早川先輩が守備するゴールは一度も割れてないんですよ……。


 下手に攻めてボールを失えば即ピンチ。

 ボールは持たせてもらえるものの、攻めあぐねている状況だ。

 

 もういっそのことPK戦で……いや、


「それは、イヤだなぁ」


 ここまできて最後は運ゲー?

 今からお祈りでもする?


 ……ざっけんなよ。

 そんなの、ここまで頑張った甲斐がないったら……。


「はぁ……」


 パスを受けてボールを収めながら、思わずため息を吐く。

 しかし、考えてる間に息は少し整ったかな。

 小早川先輩を止めるために体力は使い果たしたので、身体自体はもうクタクタだが。

 

 散々、チームプレーを謳ってきた。

 サッカーはチームスポーツだ。


 だが、即席のそれはもう、使い果たした。

 切り札も、ない。

 ここから奇跡のチームプレーを生み出すには、練習も、関係性も、絆も、何もかも足りない。


 漫画のような必然の奇跡は起こらない。


 だったら、もう、俺に出来ることは……


「っっっったくさぁ……」


 眼前に聳えるのは、この場において最強の個人————小早川柊斗。


 誰かが、彼を個人技で抜き去る。

 それが出来なきゃ、ゴールは奪えそうにない。


 誰が?


「俺が————」


 覚悟を決めろ。


 非常に遺憾だが、この球技大会において最後に全てを決めるのは、個だ。


 結果として、そうなってしまった。

 

 俺がクソで、陰キャで、クラスの関わりを絶っていたばかりに、俺たちはチームとして完成できない。


 これからいつか、もしかしたらコイツらとならとか……今日試合をして思わなくもなかったが、それはやはりいつかの話で、今ではない。


 だから。


「よっと、ほっ、おおう、あっぶねっと」


 一人、二人、ひょいひょいとドリブルでかわしてみる。


 初心者相手なら、問題ねぇなぁ。


 長年試合なんてやってないから、感覚的なモノは薄れている。

 だけど、シュートばかりしていたとはいえボールには触っていたし。


 練習して。

 練習して。

 練習して。

 練習して。


 あいつに笑ってほしくて。

 あいつに喜んでほしくて。

 心のどこかでそんなことを思いながら、いつかのあの日に身につけた技術は、そう簡単に衰えない。


 裏切らない。


「やったるか」


 数十メートル先の小早川先輩を睨みつける。


 憎ったらしいほどにイケメンだ。

 滴る汗も、泥だらけの体操服も、全てが芸術的にさえ映る。

 今すぐ、ぶん殴ってやりたい。


 ああ。

 そう、そうだよ。

 そうだった。

 元々これは、俺と小早川柊斗。

 俺たちの賭けから始まった闘い————いや、俺がふっかけられたケンカだった。


「小早川先輩!」


 もしかして、初めてかな。

 俺は自ら、彼へ向かって叫ぶ。


「今度こそ、正々堂々やりましょう。一対一の勝負。これが、最初で最後です」


「…………臨むところだっ」


 あんたなら、ノってくるよな。

 そういうところがバカで、アホで、クソ真面目で、少し羨ましい。


 何を言わなくとも、霧島(すごく臭い)が先輩たちを威嚇するように立ち回ってくれる。


 そして、ゴール前。

 小早川先輩までの道が真っ直ぐに空く。


 邪魔は入らない。


 俺と小早川先輩以外の全てが観客に成り下がっていた。


「いくぞ!」


 応援さえも鳴り止む静寂の中、俺はドリブルを始める。


 小早川先輩はまるで聳え立つ壁のように、俺を待ち構える。




 あと一歩、



 いや、二歩、



 三歩……。



 ここだ————!



 小早川先輩まであと数メートル。


 俺は小難しいフェイントをかけるでもなんでもなく、ただ、左脚を踏み込み、右足を振り上げた。



「むっ………………シュート!? 青山凪月————貴様ぁぁぁぁ!?」



「————————へ」



 正々堂々勝負?

 笑っちまうねほんと。


 言ったろ。


「クソくらえって」


 凄まじいキレ味で俺はボールへ向かって右脚を振り下ろす。


「俺の勝ちだ!!」

「させるかああああああああああ!!!!」


 小早川先輩は決死の覚悟で、こちらへ飛び込む。


 そうだろうな。


 そういう位置を、選んだ。

 アンタがカラダを張れば、俺のシュートコースはほとんど塞がれる。


 だから。


「ふっ」


 ボールに触れる直前、俺は右脚をピタリと止める。

 迫真のフェイク。


「キック……フェイント……」

「じゃあな、先輩」

 

 前半、ファーストプレー。

 疲れ果てた今の俺にあんなシュートはもう打てない。間違いなくゴールの枠を大きく外れる。そんなビジョンしか見えない。


 だけど、あのシュートはさぞ脅威に映ったことだろう。

 だからこそ、本気でカラダを投げ出した小早川先輩は当然止まれない。


 俺は冷静にそれを見定めながら、右のつま先でボールの下を軽く持ち上げループさせる。すると、ボールは小早川先輩の頭上をふわりと通り過ぎていった。


 地面へ転がりゆく小早川先輩の横をすり抜け、俺は走り出す。


 ……やった。やったぞ。


 あとは、キーパーを抜き去るのみ……!


 ループの力加減は絶妙。


 キーパーは飛び出すべきか、待ち構えるか迷ってしまい一瞬のラグが生じる。


 もう、俺の勝利は決まったようなもの。


 ————そのはずだった。


「まだだ! そんな小細工に、俺は負けない!」

「————ガッ!?」


 強烈なタックルに視界が、意識が揺らぐ。


「(あ、やば……)」


 気づいた時にはもう遅い。

 

 最後まで見誤っていた。

 最後まで測りきれなかった。


 現役で、エースとして、主将として、フィールドを駆けていた人間の強さを。


 地面を転がってから、この一瞬で俺に追いつくのかよ…………!?

 どんな体力、体幹、瞬発力————そして、意地。


「ぐ、お…………っ」


 バランスを崩した俺の斜め後方から、小早川先輩の身体がねじ込まれる。


「青山凪月————最後までキミは、弱者だな」


 まるで捨て台詞のように、小早川先輩が言う。


 あっけなくもボールは奪われ、今度は俺がその場に崩れ落ちた。


「あ」


 もう、ダメだ、これ……。


「ハァ、ハァ、ハァッ………」


 息、こんな切れてたっけ。

 カラダ、いてぇな……それに、思うように動かねぇ。

 膝も、笑ってやがる。


 立つことさえ、できねぇよ。


 なぁ、おい。

 誰にでもなく問いかける。

 俺、頑張っただろう?


 そうだよ、俺は弱者だ。

 一点目は、何の干渉もあり得ない完全なる不意打ち。

 二点目は、みんなのチカラを借りることで完成した最後の切り札。


 俺一人じゃ、こんなもんだ。


 あの人に勝つことなんて到底できやしない。

 土台無理な話だったんだよ。


 そりゃそうだ。

 多少頭を使ったところで、彼の愚直な性質を利用したところで、俺には何の積み重ねも存在しない。


 高校3年間、いやもっと長い間、サッカーのために心血を注ぎ努力してきた人間が、俺なんかに負けていいはずかない。


 サッカーという競技を好こうともせず、選り好みして、シュートしかしてこなかった俺なんかに……。


 もう、いいよな?

 これで終わりにしよう。


 聖良は先輩に告白なりなんなりされるだろうが、元々彼女が勝手に了承した話だ。

 そうだよ、俺には関係ない。

 これは元々、俺が色んな蟠りとか後悔とか想いとか願いとかを、胸の内に抱え込めばいいだけのことだったのだ。


 初めから、そのつもりだった。


 だから、この勝負は俺の負け————————




「がんばれ———————!!!!!!!!」




 …………おい、ざけんな。




「なつくん!!!! 負けるなーーーー!!!!」




 今更、どの口が叫んでやがる。




「がんばれ! がんばれーーーー!!!!」




 応援、できないんじゃなかったのかよ。


 つーか今までどこにいたんだよ。


 試合中も、ハーフタイムにだって、どこにも見かけなかったぞてめぇ。


『がんばれ、がんばれ。なつくん、がんばれ〜っ!』


 幼い頃の記憶。

 つまんねぇ、クソみたいな思い出。

 色を失ったはずのそれらの中で、唯一まだ、俺の中に残るモノ。

 失ってから、大事だと気づいたモノ。


 ざけんな。

 ざけんな。

 ふざけんなよ。


 応援なんていらねぇ。

 応援があるから頑張れるなんて、そんな女々しいこと言ってたまるか。


 俺は。

 俺は。

 俺はぁ……。


「ぐ、う、ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 あいつの応援が、ずっとずっと欲しくて。

 それ以外はいらなくて。


 それだけが、ちっぽけな俺の心を満たしてくれた。


 だけどもう、俺にそんな資格はないから。


 もう、二度と手に入らないモノだから。


 俺の罪だから。


 俺は一度、自分を殺したのだ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 だけど。

 もし。

 おまえが今、そんな俺に応援のコトバを掛けてくれると言うのなら。


「(ごめんな、小早川先輩)」


 初めて会った時、あんたの言葉に虫唾が走った。

 それはただの自己嫌悪だったみたいだ。


「なつくんーーーーーーーー!!!!」


 俺は何度でも、立ち上がれる。


 立ち上がった瞬間、ゴール脇にいた聖良と目が合った気がした。

 その瞳には涙が流れていたが、俺にはそのワケを聞く時間もない。


「いっけーーーーーーーーーーー!!」


 すぐさま、背後の小早川先輩に喰らいつく。


「それはまだ、俺のボールだっ……!!」

「青山凪月……!? まだそんなチカラが……!」


 わずかに嬉しそうな、小早川先輩の声音。

 渾身の力を込めたタックルで、さすがの先輩もわずかに揺らいだ。

 だが、すぐに押し返されて力は均衡。とてもじゃないが奪い返すには至らない。


 ここで少年漫画よろしく奇跡の超パワーアップでもあれば、楽なんだがな……。


「ぐ、が、あぁ! がぁぁあ!!!!」


 まるで言葉を失ったケモノのように、俺は小早川先輩へ身体をぶつける。

 こんな荒々しいプレーは初めてだ。

 しかしそれでも、小早川先輩は倒れない。


「…………見苦しいな、青山凪月」


 自我失ったかのように不様を晒す俺の有様を見てか、今度は悲しそうに呟く。


「これで、終わりにしよう」


 そして次の瞬間、渾身のチカラを込めたショルダーチャージが俺を襲う。


 が、


「なっ、に…………っ!?」

「…………正々堂々。そんなコトバ、やっぱり俺の辞書にはないよ、先輩」


 俺は先輩のタックルと同方向へ身体を引くことで、タックルを避けた。


「最後まで、キサマは…………」


 対象を失ったチカラに抗えず、小早川先輩は地面にもんどり打って倒れ伏す。

 自らの意思で体を投げ出した1回目とはわけが違う。受け身も取れない。

 今度こそ、すぐには立ち上がれまい。


 無闇やたらとタックルしていたのは、疲れ果て、頭に血が上っていると思わせるため。

 そしてあちらからのタックルを誘発するため。


 冷静だ。冷静だったさ。

 誰よりもクールで、そしてズル賢くなければ、幼い俺は神童なんて呼ばれちゃいない。


 そんなハリボテの称号を得ちゃいないんだよ。


 俺が冷静さを欠いたのは、あの頃も今も、聖良に関することばかり…………って嫌なこと思い出した。忘れろ忘れろ。


 今はそれどころじゃない。


 俺は奪い返したボールを持ってドリブルを開始すると、パニクって突っ込んできたキーパーを軽くかわしてボールをネットに流し込んだ。


 ぱさり、と乾いた音が響く。


「あんま好きなタイプのゴールじゃ、ねぇなぁ」

 

 爽快感など微塵もない。

 そもそもシュートと言えるのか? これ。


 しかし、ゴールはゴールだ。


 シーンと静まり返ったままのグラウンド。


 これくらいはしてもいいだろう。

 得点者の、そして————勝者の特権だ。


 俺は高々と右手を空に突き上げる。

 割れんばかりの大歓声が湧き上がり、同時に試合終了のホイッスルが聞こえた。


 たまには歓声も、悪くないかな。

 まぁ、べつにいらんけど。


 ゴールのあたりを見やるが、聖良は消えていた。


 おい。

 まさか俺の超超超頑張ったシーンを見てないとか言わないよな……?


 そもそもあれって本当に聖良だったのか?

 俺の願望が見せた幻だった可能性も捨て切れない……。


「って……あれ、うお?」


 視界がぐらつき、チカラが抜ける。


「おっと。大丈夫? 大将」

「危ねぇ危ねぇ。ヒーローが倒れちゃ締まらないぜ」


 膝が折れる直前、霧島と細谷さんが両肩を支えてくれる。


「ああ、大丈夫大丈夫…………じゃねぇよぉもぉぉぉぉぉぉぉうおおおおおおん」


 2人に全体重を預けて疲れのままに両手両足ブラブラする。


「身体うごかねぇよぉなんだよこれなんだよこれマジぃ……つーか痛い。やっぱ身体痛い。なに俺ってばもしかして岩石にタックルでもしてたの意味わかんねぇよもぉ。ねぇよく勝てたよね。ねぇ俺頑張ったよね。ねぇもぉゴールするよさよならお家返してぇ……!」


 泣き言が無限に出てくる。

 マジぜんぶ本音だから。

 許してもぉぉぉぉん。

 

「それだけ喋れるなら大丈夫そうだね」

「違いない」


 グズグズの俺を見て、なぜか2人は笑っていた。


 それからチームメイトやクラスメイトたちが合流して、めちゃくちゃ胴上げされたりもみくちゃにされた。

 だから身体いてぇんだって。

 勘弁してください。


 その場にも聖良はやはりいなかったが…………


「篠崎聖良、キミが好きだ!」


 は……?


 2年の集まりから少し離れたところで、あまりにも堂々と、その会話は行われていた。


 幻聴かなと思い耳をほじくるが、ちょっぴり泥がついただけだった。

 グラウンドにいる生徒全員の視線が、彼ら————篠崎聖良と小早川柊斗に注がれる。


「俺と付き合ってくれ!」


 おいおい。

 何してんだあの人こんな衆目の中で。

 そもそも、これじゃあの勝負は何だったのん?

 あんた負けたよね……?


 まぁ、たしかに負けた側が告白しちゃいけないなんて約束はないが……。


 さすがに格好悪くないかい?


 しかし、その威風堂々とした態度たるや。

 

 あれ?

 球技大会で勝ったのって小早川先輩だったっけ? って生徒の8割が思ったことだろう。


 かく言う俺も、実は負けてて、今までの胴上げは頑張ったで賞だったのかなと疑った。


 だが事実、小早川柊斗は負けたのだ。

 負け犬のくせに、往生際の悪いやっちゃ。


 だけどどうしてか、そんな行為をしている先輩が俺には眩しい。

 彼の告白には、想いには、初めから理由など必要なかったのだ。


 見方を変えればもしかしたら、あの勝負は彼から俺への配慮でもあったのかも。

 いや、それにしてもとんでもねぇわ。


「俺の苦労もしらないでまったくまぁ……」


 生き方が、真っ直ぐすぎるからだろうか。

 本当に気に入らないが、なんだか嫌いにはなれない先輩だ。


 そして長い長い沈黙の後。


「ごめんなさい。お断りします」

「……そうか」

「はい」

「理由を聞いても?」

「まぁ色々ありますが……負けた癖になんなのこの先輩マジウケるー。ちょ、写メ写メ。あとでSNSに晒しちゃおー、とか。思っちゃいますが」

「んなにっ!?」


 聖良さんマジ鬼畜。

 でも、その意見には俺も賛成だ!

 みんなで拡散しよう!


 しかしそれでも、小早川先輩にとってはノーダメージなんだろうなぁ。

 彼にとってこの告白は、きっとなんら恥ずかしいことではないのだから。


「でも……一番の理由は」


 聖良はにっこりと笑って、先輩に告げる。


「私には、好きな人がいるので」

「そう、か」

「ごめんなさい。ではこれで」

「ああ。ありがとう」

「どういたしまして、先輩」


 くるりと一転、聖良は先輩に背を向ける。


「これで俺も、前に進めそうだ」


 そう言って聖良と反対方向へ歩き出した小早川先輩は、何もかもに破れ去った一日だと言うのになんだか晴れやかに見えた。


 そんな小早川先輩の元に、そさくさと近づく女子生徒がひとり。

 たしか、3年の葛城凛子先輩だっただろうか。女子サッカーに出ていた。


 はーぁ?

 女に振られてすぐまた次の女だよおい。


「あーもぉ! 何やってんのよ柊斗あんた! 格好悪い格好悪い格好悪い恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!」

「お、おう葛城か。なぜそんなに怒っている?」


「あんたのせいでしょう!? あんたが恥ずいことばっかすると、幼馴染の私だって立場がないんだからね!? ほんとあんたって顔がいいばっかりで世間知らず非常識の大バカなんだから!!」

「そこまで言われることを俺はしたのか……? そもそも、俺が振られたからといって葛城には関係ないだろう」


「〜〜〜〜っ!!!! あ〜〜もぉ! 私が今日をどんな気待ちで〜〜〜〜!! …………まぁ私も負けたけどさぁ……そりゃもぉ完膚なきまでに、無様に、篠崎聖良に負けたけどさぁ……。はぁ私だって勝ったら胸を張って告白って……ごにょごにょ」

「すまない。なんだって? 最後の方がよく聞き取れなかったのだが」


「何でもないわよバカ! 死ね! 鈍感クソ真面目ゴリラ!」

「ゴリラではないと思うぞ。俺はおそらく人間だ」


 その会話を聞いて、今度は全生徒がこう思ったことだろう。


 ああ、ラブコメしてんなぁ。

 さっさと爆発しろ。と。


 俺もあんな甘酸っぱいラブコメがしたかったなぁ(遠い目)。


 そんなこんなで、球技大会は幕を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ