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宣戦布告

-3-



 テストもいよいよとなったとある日。

 突如ネット上から始まったそれは、生徒の間でまことしやかに広がり始めていた。


『なあなあ聞いたか?』

『何が?』

『ほら、転校生の篠崎聖良。彼女が二年の青山とデートしてたって話』

『はあ!? マジで!?』

『マジマジ。ふたりで遊園地だってよ。裏掲示板で流れてた。他にもふたりきりで歩いてたって目撃情報多数』

『うっわマジかぁ俺狙ってたのになぁ。……てか、青山って誰よ』

『さあ? 俺も知らね』

『そんな目立たないやつに持ってかれたのかよぉ。意味わかんねえなもう』

『ほんそれなぁ。しかも夏休み前よ夏休み前。玉砕覚悟で告白、儚い夢だったぜ……』

『球技大会とか、男子的には篠崎さんにアピールするためのイベントだったのにな。もうおじゃんよおじゃん』

『それなー。受験の苦しみを癒してくれる美少女彼女、どっかにいねえかなぁ』


 その噂は当然、この夏休み前に彼女を射止めたいと考えていた男子生徒たち全員の耳に入ったことだろう。


『なあ、そこの二人。その話、ちょっと詳しく聞かせてくれないか』


 彼の知らない場所で、彼女さえも想定しないシナリオが動き始めていた。





「失礼する」


 それは、全てのテストが終わり放課後を迎えた直後だった。

 教師がいなくなってクラスメイト全員の緊張が弛緩し、今まさにパラダイスが始まろうかというところ。


 堂々たる勢いで2-Aクラスの扉を開くと同時に教室へ押し入ってきた男子生徒によって、教室は静まり返った。


「え? え? なに?」

「あれって小早川柊斗こばやかわしゅうと先輩じゃない? サッカー部主将の!」

「あ、知ってる! イケメン! 残念じゃない方!?」

「あ、それちょっと傷つくなー……」


 ひそひそ話す女子たちの会話で胸にナイフを受けている霧島は放っておくとして、その小早川先輩とやらの方を見てみる。

 なるほどイケメンだ。身長はめっちゃ高い。サッカー部というだけあって筋肉もついていて、ひょろくない。むしろ筋骨隆々。顔立ちも鼻が高く、瞳もキリリと鋭い。一目で自分、そして他生徒との格の違いを思いしった。もって生まれた美形と言ったところか。

 そんな男が、こんな後輩の教室に何の用だろう。

 女子はともかく、男子の方も帰るに帰れずなんだなんだと不満声が上がり始めている。

 まぁ、俺には関係ないか。


 戸惑うクラスメイトを代表して、まずは七瀬が先輩の前に出た。


「ちゃお、センパイ。突然何の用ですか? テスト後だよ? みんな疲れてるんだよね」


 開幕、緊張から解放されたはずだったクラスメイトの言葉をやんわりと代弁していく七瀬。

 そうだそうだもっと言ってやれ。イケメンは死すべし。お呼びじゃねえんだよ。


「ああ、七瀬か。いや、俺としては後輩の放課後を邪魔する気などなかったのだが……」


 全員が着席してしまっている教室に気づき、少しだけ視線を泳がせる小早川先輩。


「いやあそれは無理でしょ~? センパイにあーんな意気込んで入って来られたらさ~? 後輩としては、そういうもんだよ~」

「そ、そういうものか」

「そういうものですにゃ~」


 おちゃらけている七瀬だが、目があまり笑っていない。

 彼女としてもテストから解放された最高の瞬間を邪魔されたのは不服だったらしい。

 イケメンに甘くない我らが委員長、素敵。


「それは、すまなかった。皆、楽にしてくれ」


 小早川先輩は素直にクラスへ頭を下げる。


「俺が用があるのは、青山凪月あおやまなつき。一人だけだ」

「は……?」


 ホッと一息したクラスに再び、緊張が走る。

 だれ? そいつ、みたいな。いや、さすがにないか。ないよね?


 「だれ」よりは「なぜ」か。

 いや、みんなして俺の方を見ないで。

 聖良でさえも、不思議そうにこちらを見ている。


 あんなイケメンな先輩と面識とか、一切ないんですが!?


「え? 青山? 青山凪月? センパイ青山に用なの? え……ほんとに合ってる? 間違ってない?」

「大丈夫だ。間違いない。それで、青山凪月はどこにいるだろうか」


 そんなことを思っている間にも、七瀬が疑問符を浮かべながらもさりげなくアイコンタクトを取ってくる。

 対して俺は逡巡した後、静かに頷いた。


 これ以上クラスメイトの放課後を邪魔してもらうわけにもいかないだろう。

 俺に用があるというのなら俺が対応して、クラスメイトはもう解放。それが一番効率的だ。

 俺の頷きを受け取った七瀬が先輩をこちらへ連れてくる。

 さあ、みんなもう帰り給へ。俺という犠牲をしっかりと噛みしめてな……。


 あっれー、誰も帰らないわ。なぜー? ちょっと、この状況でイケメンの先輩と話すような胆力はないのですが。七瀬にすべて通訳してもらいたい。


 しかしクラスメイトに注目されるのも小早川先輩にとってはいつものこと、もしくはそういったことに頓着しないのだろう。

 俺の前までやってきた先輩は堂々と口を開いた。


「初めましてだな。俺は小早川柊斗。キミは青山凪月で合っているか?」

「ああ、はい。まぁ、そうっすけど」

「なるほど。では、キミが……」

「あん?」


 小早川先輩は俺をジッと見つめて、値踏みでもするように目を細める。

 この人、あっち系の人だったりしないよな? 俺、もしかしてかなりのピンチなんじゃ……。


「キミが、篠崎聖良と交際しているというのは本当だろうか」

「……は……ぁ……?」


 あまりに視覚外からの質問すぎて、咄嗟にまともな反応を返すことすらできなかった。

 交際。つまりは付き合っているということだ。俺と聖良が恋人? そもそもこいつ、校外に彼氏がいるんだが。


「な、何のことっすかね。いや、マジで意味わからないんですが」

「それは付き合っていないということだろうか」

「はあ、まあそう受け取ってもらって構わないですけど……でも、なんで先輩がそんなこと気にするんですかね。どうでもよくないっすか、先輩くらいイケメンなら」


 女なんていくらでもいるだろう。

 

「無論、篠崎聖良が好きだからだ」

「――――ぶふっ、は、はぁ!? いやあんた、何言って……!?」


 キャーッと女子から歓声が上がる。

 これではまるで公開告白。

 いや、だってさ、


(聖良ならそこにいるんですけどおおおおおおおおおおおおおおお!?!??!)


 俺の席の! 隣! そこにいるって! 

 そんなこと気軽に言ってよかったんですかね!?


 内心慌てまくりの俺だが、威風堂々とでも言うべき先輩の佇まいを見ているとそれもバカらしくなってくる。


 聖良に気づいていないのだろうか。いや、違うな。


 あまりにも堂々たる姿で仁王立ちする小早川先輩。

 少しだけ、この小早川柊斗という人間が分かってきた気がする。

 きっとこの人にとっては、この場における外野など関係がないのだ。後輩の教室に何の配慮もなく押し入ったように。それがたとえ意中の相手であったとしても、今は標的である俺しか見ていない。

 自分の目的のために動き、自分が言いたいことを言う。

 言うなれば、圧倒的オレ様気質。王様根性。

 生まれつきのイケメンにしてカーストの最上位でもてはやされる存在故に、それはもう空気読み合戦を得意としている陽キャですらない。

 自分が絶対であり、それが正しく、万人に尊重される。

 自分の成すことに恥ずかしいことなど、何一つない。

 そんな生き方がまかり通るのが、彼と言う男のような気がした。


「はぁ、そうっすか……いやそうっすねそういうことですか。あー、それならなんですけど、もうひとつ、聞いていいっすか」

「なんだ?」

「どうしてせいら――――篠崎のことが好きなんですか? 先輩、篠崎と関りないっすよね?」


 試しに聞いてみる。

 その答えは一拍の間もなく返ってきた。


「無論、一目惚れだ。そして、初恋だ」


 聞く人が聞けば、一瞬で恋に落ちてしまいそうな一言。

 女子は惚れ惚れと目を細め、男子は呆れたように唾を吐いた。


 その中で一人、周りとは違う反応をしたやつがいた。


「ぷっ――――くすっ……ぷふふっ」


 そう、当事者であり現状外野に居座る女である。


「おい聖良」

「い、いえ、なんでも。ど、どうぞ……つ、続けてください……くすくす」


 誰と誰を重ねて笑っているんでしょうねえ? 

 先輩も大概変人のようだが、こんな女やめた方がいいですよ、マジで。


「では続けようか」

「え、続けるの?」


 この先輩のメンタルが分からないっ。

 いや、そもそも俺とは精神構造がまったく異なるのだろう。理解しようとするのが間違いだ。


「あれはつい先日。引退をかけた試合に敗北し、帰ってきた日のことだ」

「マジで続けるのか。しかもべつに馴れ初めは聞いてない」

「まだ校舎では授業が行われていた。しかし俺たちの帰りに気づくやいなや、皆が俺たちを称えてくれた。窓から顔を出して賞賛の声を送ってくれた」


 俺の呟きは一切耳に入っていないらしい。

 でも、そういやあったな。そんな日。


「その中のひとりが、篠崎聖良だった」


 はい?

 聖良の方へ向いて俺は尋ねる。


「おまえ、そんなことしてたっけ?」

「はい。一応気になったので、顔を覗かせる程度ですが」

「そか」


 俺はたぶん、我関せずで机に突っ伏していたな。


「ひっそりと顔を覗かせていた篠崎聖良はこちらに言葉こそかけてくれることはなかったが、一心に微笑んでくれていた。それを見て、思ったんだ」 


 なるほど?


「おまえ、笑ってたの?」

「その時はたしか、雲がストロベリーパフェみたいな形をしていたので美味しそうで。少し顔が緩んでいたかもしれません」

「そか」


 先輩の方、見てすらいないじゃん。


「思ったんだ。あの微笑みがあったら、もっと頑張れただろうにと。彼女の応援があったなら、もっと、肺がはちきれんほどに走っただろうにと。俺に足りなかったのは、間違いなくこれなのだと。愛する者のために、何があっても勝つ。その心意気が必要だったのだ――――」


 もはやギャグかなと思っていた最中、何がきっかけか俺の中にシリアスが宿る。


「はっ。なんだよそれ。かっこわる」

「……今、何と言った。青山凪月」


 思わず鼻で笑うように遮ってしまった俺が気に入らなかったのか、先輩はこちらに目を向ける。


「……いやべつに? なんでもありませんよ。ところで結局、何の用でしたっけ。いい加減飽きたので帰りたいんですが」


 なんだか、その馴れ初めとも言えない戯言を聞いて無性に笑えてしまった。

 試合に負けて引退が決まった日、微笑んでくれた聖良に恋をした、ね。

 聖良の応援が欲しかった、ね。

 要するに彼は、試合に負けた言い訳を女に求めたということだろうか。

 大好きな女の応援があれば今度はいくらでも頑張れるって? 走れるって?

 なぜだろう。虫唾が走る思いだった。


「ああ、そうだな。そうだった。引き留めてすまない」


 基本的には温厚な人間なのだろう。それとも、そもそも、怒らせる人間がいないのか。小早川先輩は俺の失言に対して、案外気分を害した様子もなく、話を戻した。


「キミは本当に、篠崎聖良と付き合っていないのだな」

「まぁ、そうっすね――――」


 今の話を聞いた後だと肯定するのは少しだけ躊躇う気持ちもあったが、実際問題聖良の彼氏はべつにいるのだから仕方がない。

 聖良がクラスに彼氏の存在を話していない以上、雅史くんの存在を俺から話すこともできない。


 だが、これで一件落着。

 悪い人間とも思わないが、こんな面倒くさい人種とは金輪際関わりたくない。


 そう思った時だった。


「えー? ふたりってほんとに付き合ってないのー?」


 クラスメイトの誰かがそう言った。


「正直ガチだと思ってたよねー」

「あー私も、正直怪しいと思ってたんだよねえ。でも二人が隠してるのなら聞くのもアレかなって」

「俺も、掲示板見たし……」

「転入初日とか、なんか特に怪しかったもんな」

「彼氏いるかって聞かれたとき、篠崎さんも誤魔化してたよな」

「町で一緒にいるの、私実際見たしー」

「ここまできて隠す意味とかなくない?」

「ねー」


 仲が良い故の発言の軽さ。誰か一人が言い始めれば、もう止まらない。

 それもひとつの同調圧力というべきか。

 きっと俺と聖良の関係については話してはいけないと、クラスの中で暗黙の了解のようになっていたんだ。あるいは、空気を読んだ七瀬がやんわりとそういう方向にもっていってくれていた……?

 しかしそれは今、破られた。


 俺の責任だ。聖良には彼氏がいるのを知っていながら、あまりにも一緒にいる時間が長すぎた。

 距離を保てているなどと思っていたのは俺だけだったというわけだ。


 悪意などない、クラスメイトの好奇心。聞かないことにより降り積もっていた、ストレス。

 外野からしたら囃し立てたいことこの上ないであろうこの状況。


 七瀬に助けを求めてみるが、諦めろとでも言うようにひらひらと両手を振られた。


「クラスメイトはこう言っているが、どうなんだ?」

「…………っ」

「決まりのようだな」


 沈黙を肯定と受け取ったらしい先輩はそっと瞳を伏せた。


「それならば、俺は当初の予定通り宣戦布告させてもらおうか」

「宣戦……布告……?」


 先輩は俺の鼻先にビシッと指をさす。


「篠崎聖良をかけて、俺と勝負してもらいたい。舞台は球技大会のサッカーだ。俺がキミに勝ち、優勝したのならば、篠崎聖良は俺がもらい受ける」


 勇ましい宣言に、またしても女子からは歓声が上がった。

 くそ、見せもんじゃねえぞ……。

 何を意味わからないことをグダグダと……!

 あまりにも思い通りにいかない。いい加減にイラつきは最高潮に達していた。


「……は。バカか。そんなもん、俺には受ける理由がないだろ」


 前提として、自分の最も得意なフィールドであるサッカーで戦おうとか、ふざけているのか。どこまでも自分が主人公。自分が主役の舞台を生きていやがる。


「それに、それは俺たちが決めることじゃない。聖良を無視してんじゃねえ」


 勝手に商品にされるなど、たまったものではないはずだ。

 こんな何もかもが間違っている勝負、成立するはずがない。


「ふむ、そうだな。では篠崎聖良に聞こう」


 そこでようやく、先輩が聖良を見た。


 聖良に了承を取り付けようという魂胆か。

 しかし見たところ、聖良は先輩に対する興味が微塵もない。お空のストロベリーパフェ以下だ。

 こんな勝負、彼氏のいる聖良には微塵の利益もありはしない。話がこじれてゆくだけ。

 すっぱりと断ってくれるだろう。


「どうだろうか。この男と男の闘い、どうか承諾してはいただけないか。俺は本気なんだ」

「あ、はい。いいですよ」

「そうか。感謝する」

「先輩も頑張ってくださいね」


 っておいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!??!

 なに安請け合いしてんのこの女ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!??!?

 戦うの俺なんだけど!? ねえ!? なんで俺!? 


「とのことだ。では明日、楽しみにしているぞ。青山凪月」


 満足そうに頷き微笑むと、先輩は教室を後にしたのだった。



球技大会はテストの翌日、全授業を返上して行われる。

 午前は女子の部、午後は男子の部だ。

 バレーボールが体育館で、サッカーがグラウンドでそれぞれ競技をすることになる。

 自分が競技に参加しない間、どちらの応援に行くかは自由。

 俺は一応指導した身として、聖良の参加するサッカーを観戦するつもりだ。

 実際多くの生徒にとって応援に身が入るのは本命競技であるバレーボールなのだろうが、そっちは七瀬の率いる2-Aが危なげなく獲ることだろう。

 バレーボールの決勝はサッカーの決勝後に行われる午前の目玉となので、その時だけ顔を出そうかという程度である。


「ねえちょっと、青山、霧島」


 午前中、女子の部が始まるため生徒たちが移動を始めた頃。

 教室を出ようとした俺と霧島は七瀬によって呼び止められた。

 他のクラスメイトは、聖良も含めてすでに教室を後にしている。


「あんたらさ、やる気ないでしょ」


 相変わらず軽い雰囲気で、痛いところをついてくる。

 それもこれも、七瀬が俺たちのことを十分に理解している証拠だ。


「まぁ、そうだねぇ。特に頑張る理由もないし」


 霧島はポリポリとらっきょうを摘まみながら覇気なく答える。


「青山は? センパイにあんな発破かけられて、それでもダメ?」

「いや、俺には何も関係ないし。ぜんぶ見当違い。俺がやる気を出す理由ななんてどこにもない」

「ふーん。……なら、どうして聖良はセンパイの宣戦布告を受け入れたのかしらね」


 意味ありげに呟く七瀬。

 知るかよ、そんなこと。

 俺が聞きたいくらいだ。

 聖良の考えることなど、今更考えたって仕方がない。

 俺が負けて、聖良はあの小早川先輩のものになる。それだけ。それを承諾したのは他でもない聖良だ。

 彼氏持ちでありながら、まったく何を考えているのか。


「まぁ、それはいーんだけどさ。あたしとしてはどーでも」

「意外と薄情な」

「だって聖良って、あたしの助けがいるような人間に見えないもの。あんたが勝手に腐るのはどうでもいいし」

「ちょっと七瀬さん? 俺の扱い酷くない?」

「ふん。救えないバカのことなんて、あたし知らなーい」


 なんだか、いつもより七瀬の当たりが強い気がする。

 何かしただろうか。俺は先日の書記をやらされた件のお礼を未だ求めていないぐう聖だというのに。

 それともそれは、七瀬なりの挑発でもあったのか。


 七瀬は宣戦布告のことは置いておいて、と語り始める。


「あんたたちみたいなバカはさ、こういう機会にアピールするしかないの」

「あ?」

「アピールって?」


 霧島とふたり、クエスチョンマークが浮かんだ。


「体育祭でも文化祭でもそうだけどさ、バカな男子がやる気になってくれるのって有り難いもんだよ。そう言うときの男子って、格好いいもんだよ」

「はあ……」

「そして、女子ってね、意外とそう言うときの男子をちゃんと見てるんだよ。頑張ってる姿に、きゅんときたりしちゃうものなんだよ」

「そういうもんかねぇ」


 そんなことを言われても、文化祭の出し物ならともかく、球技大会や体育祭じゃ活躍できる人間は限られている。

 それこそ、今回で言えばサッカー部主将である小早川先輩のためにサッカーがあるようなものだ。

 どんなにやる気を出そうと、俺たち脇役はピエロにしかならない。


 煮え切れらない返事をする俺たちにしびれを切らしたように、七瀬はその手を振り上げる。


「もうっ、カノジョ欲しいあんたが、こんな大舞台を盛り上げないでどうすんの! 今日はあんたのための舞台でしょう!?」

「いてっ……!? 叩くなよ……っ」


 俺の文句も聞かず、七瀬は次に霧島へ詰め寄る。


「霧島も! あんたの顔はらっきょうでプラマイゼロなんだから! こんな時くらい、いいとこ見せてよ!」


 背中を叩かれ、バシッといい音が鳴った。


「うわっ。やっぱ痛いとこつくねえ七瀬ちゃん」


 それぞれを一回ずつ引っ叩いた後、我らが委員長で、腐れ縁の一人である彼女は今一度俺たちの前に仁王立ちする。

 

(ん……?)


 その時、ふと気づいた。

 七瀬の息が少し乱れている。

 こんな、俺と霧島を叩いただけで……?


「おい、七瀬――――」

「――――色々考えたけどさ、あんたらを焚きつける方法とか、あたしには分かんなかった。だからさ、あとあたしが言えるのはこんだけ」


 俺の疑問は当の本人によって遮られる。再度口を開く暇を与えてはくれない。

 それから七瀬はふっと力を抜き、眩しいくらいの笑顔を見せた。


「あたし、目一杯応援するからさ。声出すからさ。だから、たまには見せてよ! あんたらの格好いいとこ! そして、見せてやってよ。あたしの親友二人は、こんなに格好いいんだって!」


 七瀬はこちらに背を向け駆け出すと教室の戸に手をかけるが、再度こちらを振り返る。


「獲るよ、四冠。絶対だから。あんたたちなら、3年のセンパイにも負けないから」


 強く、念を押す。

 それはまるで自分を鼓舞するかのようで。

 そして、まるで俺たちに勝ってもらわなきゃ困るかのようで。

 最後の、悪あがきをしているかのようで。

 散々に言いたい放題言った七瀬はもう一度こちらへ笑いかけると、体育館へ向かった。


「どうする、大将? 七瀬ちゃんはああ言ってたけど」

「さあなぁ……なんとも」

「そっかぁ。僕はけっこうやる気になったけどねぇ。ま、それで勝てれば苦労もないけれど」

「それなぁ」


 生返事をしながら、俺はグラウンドへ向かった。


「わぁ。すごいねえ、篠崎さん。七瀬ちゃんといい勝負なくらいじゃない?」


 一緒にグラウンドへやってきた霧島が少し興奮気味に呟く。


 女子サッカーの第一試合が終わったグラウンドは騒然としていた。

 それはもちろん、ノーマークだった篠崎聖良しのざきせいらの活躍があったからに他ならない。


 第一試合、一年生のクラスを相手にした聖良は3得点――――ハットトリックを見事達成した。


「よっ」


 試合後、一応と思って霧島といったん別れると、俺は聖良に声をかけた。

 昨日の件は学校中に広まっているため、それだけでも注目が集まるのだが、今更気にすることでもない。


「あら、応援ですか? 私の」

「……まぁな」

「どうでしたか?」

「文句ないな。この調子で行け」

「そういうことではないのですが……まぁいいです」

「あ?」

「もっと釘付けにしますから、見ていてください」


 会話もそこそこに、聖良と別れた。

 まぁ、第一試合はさすがに上手く行き過ぎたというべきなのだが、それでも好調な出だしだ。

 このままなら問題ないだろう。


 第二試合が始まる頃には、バレーボールからかなりの人数の観客が流れてきていた。聖良の活躍を聞いてやってきたのだろうか。男子の数がヤケに多い。


 そして第二試合のホイッスルが鳴った。

 第一試合を見た者なら、まだまだ聖良の一人舞台は続くと確信していた。


 しかしそう上手くいかないのが、勝負事の常だ。

 第二試合、対戦相手の3-Bは聖良を徹底マークした。

 2人の選手を聖良に常についていかせる形だ。

 荒療治ではあるものの、聖良という突出した選手への対応を見せたのだ。


 だが所詮は応急処置にすぎない。

 聖良に二人の徹底マークを付けるということは、単純だが三年クラスは選手を一人少ない状態で戦わなければならないということに他ならない。

 逆に言えば、聖良一人で常に二人の選手を封じているんだ。たとえボールに触れられずとも、それだけでも聖良の価値は大きい。


 それはまさしく、俺が想像していた泥試合の様相を呈した。

 だが終了間際、ボールが零れた一瞬のチャンスを逃さなかった聖良により貴重な一点が挙げられ、2-Aクラスの勝利に終わったのだった。

 

 そこからは順調の一言。

 危なげなく、聖良たちは決勝進出を決めたのだった。


「ふぅ。なんとかここまで来れました……けっこう疲れるものですね」

「お? お? 走り込みやらなかったのがここで響いてきたか? お?」

「いえそんなことは。私はもっと、スマートに勝ちたいので」


 せかせかとタオルで汗を拭きとる聖良の頬は暑さと疲れで朱に染まっていた。


 ウチのクラスは良くも悪くも聖良のワンマンチーム。

 七瀬などの主戦力はバレーボールに出ているのだから当然だが、その負担の大きさについては俺も見誤っていたかもしれない。

 

「大丈夫か?」

「ここまで来て負ける選択肢なんてありません」

「だな。頑張れよ」


 そろそろ別れようか、そう思ったところで見覚えのある人物がやってきた。


「篠崎聖良。先ほどの試合、見事だった。キミは運動神経もいいんだな」

 

 小早川先輩だ。

 当然のこと、聖良の試合を見に来ていたらしい。


「サッカー部の先輩にお褒めいただけるなんて光栄です」

「いやはや。本当に素晴らしかった。特に第二試合、俺はてっきりPK戦にもつれ込むものと思っていたよ。だが、あのこぼれ球を拾ったキミからは執念を感じた」

「執念……そうですね。そういうものも、あったのかもしれません」

「キミの雄姿に、賛辞を。そして決勝も期待している。とは言っても決勝の相手は俺のクラス、3-Aだ。一筋縄ではいかないだろうが、キミならいい戦いができるだろう。俺はあくまで公平に、キミを見ている」

「あは。ありがとうございます。頑張りますね」


 愛想良く応じる聖良に満足したらしい小早川先輩は機嫌良さそうに帰っていった。

 

 案の定だが、今回は俺のことが目に入っていなかったらしい。

 俺に宣戦布告したんじゃなかったんかい。

 いや、彼の中では自分が勝つことまでが既定路線。約束を取り付けた今、俺という個人に用はないのか。


「じゃ、俺も行くわ」


 素っ気なくそう言い残して、俺は霧島と合流した。


 まもなく、女子サッカーの決勝が始まる。

 女子バレーボールの決勝とは時間がずらされているため、そちらに参加する生徒以外はほとんどが応援に駆けつけていた。

 当然のように七瀬たちは決勝に進んだらしく、2-Aメンバーは男子がほとんどだ。

 しかしそれでも、これまでとは応援の熱が違う。


「がんばれー篠崎さーん!」

「またハットトリック見せてくれよー!」

「応援してるぜ~! まずは一冠~!」

「強さも可愛さもナンバーワンだ~!」

「はぁはぁはぁはぁ……せーらたんせーらたんかあいいマジ天使」


 野太い応援に応えるように、聖良はこ笑顔でひらひらと手を振った。それによってまた歓声が大きくなる。


「……嗚呼……あの笑顔だけであと100年は生きられる……ありがたやありがたや。あとでグラウンドから汗を採取しなければ……っ」


 とりあえずさっきから性癖拗らせている奴らは後で廃除しておこう。俺が知らない間に不気味なファンが生まれていたようだ。


 ほどなくして、選手たちがグラウンド中央へ並ぶ。


「こんにちは。あなたが篠崎さんね。私は3-Aの葛城凛子かつらぎりんこ。よろしくね」

「篠崎聖良です。どうぞお手柔らかに、よろしくお願い致します」

「それはどうかな~。私らも最後なんでね。思い出作りに必死なんだ」

「それならよかった。敗北も、とっても素敵な思い出になると思いますよ?」

「言うねえ。けっこう上手いみたいだけど、私も昔は男子に混ざってサッカーやってた身でね。女の子には負けないよ」

「それは楽しみですね」 


 早くも火花を散らせる両クラスの中心選手ふたり。

 闘志は十分、ふたりのやり取りにグラウンド中がざわついた。

 しかしまさか経験者がいるとは。

 聖良は余裕な顔しているが、厳しい戦いになりそうだ。


「それでは、2-A対3-A。女子サッカー決勝戦を始めます」


 いよいよ、試合開始のホイッスルが鳴らされた。


 ・


 ・


 ・


「ゴール!」


 試合開始直後、それは一瞬の出来事だった。

 素人だらけのフィールド。誰も準備など出来ていなかった。

 経験者だと話した葛城凛子かつらぎりんこですら、その空間でこんなことが起きようとは予想していなかったことだろう。


 まさに先手必勝。全員の隙を突く、疾風怒濤のドリブル突破。

 聖良の素晴らしい戦況判断により、開始1分にして2-Aは貴重な1点を獲得した。


 グラウンドが大歓声に包まれる。


 普段はポーカーフェイスの聖良だが、さすがの彼女も嬉しさを表すように大きく手を振って称賛に応えた。


「ははっ。すっげ」

「ホントだね。なんか見てるだけでもぞわぞわしてきたよ」


 今のプレイは鮮烈の一言に尽きる。ずっとまともにプレイしていない右足が疼きを感じるほどに、痺れるプレーだった。

 ドリブルなんてまともに教えていないのに、聖良は華麗なドリブルを見せた。最初はてんでセンスもないように見えたものの、コツを掴んでからの成長速度には舌を巻くばかりだ。


 しかしそこから一分の間もなく、


「ゴール!」


 3-Aは葛城先輩の得点によりスコアを振り出しに戻した。

 葛城先輩はとめどなく垂れる汗を拭きながらも、ニヤリと笑みを見せている。

 してやったりと言ったところか。

 葛城先輩は聖良と同じことをやり返したのだ。

 まさかの開幕得点に浮つく、その隙をついた。

 もし七瀬がサッカーに参加していればまた展開は違ったのかもしれないが、指示を飛ばせるような選手のいない2-Aがそれに対応するにはあまりにも荷が重かった。

 この失点は仕方がないと言えるだろう。

 重要なのはここからの切り替えだ。

 まだ試合開始直後、しかもスコアは振り出しに戻っただけ。

 だというのに、この失点のインパクトにキモチが切れてしまえば、一気に大量失点をする可能性もある。

 今のプレイからも感じ取れるが、葛城先輩はそういった流れや雰囲気を読めるクレバーな選手だと推測できる。しかも、おそらくもう最初のような油断はしてくれない。


「やっぱり、厳しいか……」


 ・

 ・

 ・


 試合も終盤。

 序盤の攻防から点の取り合いになると思われた決勝だったが、意外にもスコアは1対1の均衡を保っていた。

 そこにはなんといっても、聖良の尽力があったように見える。

 選手のひとりひとりと、よくコミュニケーションを取っている姿が目立った。激を飛ばすようなものではないし、観客席からその声を聴くことはできないが、こまめに声をかけているらしい。


 それが切れないキモチに繋がり、功を奏した上での、タイスコア。

 第二試合以上の泥試合が繰り広げられていた。

 第二試合と違うのは、両クラスがワンマンチームであること。

 聖良と葛城先輩がお互いにお互いをマークする展開。

 二人の勝敗が、この試合の勝利に直結するカギを握っている。


「いけー! 篠崎さーん!」

「決勝点だー!」


 聖良がボールを持ち、ペナルティエリア内に入る。


 しかし、


「――――やらせない!」

「きゃ……!?」


 葛城先輩のスライディングにより、ファールとなった。

 葛城先輩にイエローカードが渡される。


 まさか女子の球技大会でスライディングタックルが飛び出すとは。

 いくらなんでもガチすぎではないだろうか。


 いや、そんなことよりも……


「あいつ……」


 聖良がすぐに立ち上がらなかった。

 膝からは血が出ているのが窺える。負傷だ。

 しかしすぐに葛城先輩が駆け寄ると、その手を取って聖良は立ち上がった。

 歩けているところを見ると、プレーに大きな支障はなさそうだ。


 となれば肝心なのはペナルティキック。

 試合時間は残り少ない。ここはぜひとも、得点しておきたい。

 

 蹴るのはもちろん、ファールを獲得した聖良。

 

 相手のキーパーは初心者なのだから、はっきり言って決めるのは難しいことではないだろう。


 あとは聖良がプレッシャーに打ち勝つだけ……


「ん、な……。マジかっ。いや、そうだよな……そうなるか……」


 思わず感情的に呻いてしまう。

 ゴール前には、先ほどまでフィールドでプレイしていたはずの葛城先輩が立っていた。キーパー交代だ。


「青山、あれってルール的にありなの?」

「……試合中にフィールド選手とキーパーが入れ替わるのは何も問題ない」


 きっと葛城先輩はあらかじめこうするつもりだったのだろう。

 キーパーグローブを身に着けた彼女は迷いなく、聖良を見つめていた。


 キーパーが本職というわけでもないだろうが、素人の女子がやるのとでは雲泥の差があることは想像に難くない。

 しかし、雲泥の差と言っても。されどペナルティキックだ。

 サッカー選手であれば決めて当然の場面。

 そしてそれは、この数週間シュート精度をひたすらに高めてきた聖良にとっても。


(いけ……! 決めろ……!)


 心の中で唱えると、聖良がこちらを見てふと笑った気がした。

 笛の合図と同時に聖良は地面を蹴り、走り出す。そして、しなやかな足の振りでシュートが放たれた。

 シュートはゴール右隅——キーパーの最も取りにくい位置に吸い込まれていく。


 葛城先輩も反応して飛びつくが……


「……く、うぅ……!」


 その手がボールに触れることはなかった。

 キーパーの絶対に届かないスピード、コース。完璧なペナルティキックだ。


 次の瞬間、グラウンドは勝ち越しゴールの歓声に包まれていた。


 それが決勝ゴールとなり、女子サッカーは幕を閉じた。





「聖良っ」


 試合が終わると、俺はグラウンド中央に駆け出していた。


「凪月さん? どうしたんですかそんなに慌てて。あ、勝ちました。私、ちゃんと勝ちましたよっ。凪月さんのおかげですっ。褒めてくれますかっ?」


 聖良が少し驚きながらも、興奮気味に言う。


「ああっ、すごい。おまえはすごいよっ。すっげえ格好良かった」

「ふふっ。ふふふふ。そうですか、それなら、良かった……」

「ってそうじゃねえよっ。おまえ、怪我っ。怪我は大丈夫なのか?」

「え? そんなの全然大丈夫ですよぉ」

「ホントか?」

「はい。今はそんなことより、みんなで勝利を……ぇ? あれ……わたし、フラフラして……」


 途端に力が抜けたように倒れそうになる聖良。


「おっと」


 慌てて抱き留めると、しっとりと熱い体温と、汗が伝わってきた。


「……やっぱキツイんだろ?」

「す、すみません……なんだか、いきなり……」

「疲れたんだよ。それに、足はたぶん捻ってる」

「そう、ですか……? 膝っこ、ちょっと血、出ちゃっただけかと……」

「ああ、俺の目は誤魔化せない」

「なつくんが言うなら、そうなのかなぁ。でも、そんなに見ててくれたんだね。嬉しいな」


 言いながらも身体にチカラを入らない様子で、仮面も次第に外れてきている。

 はやく保健室に運んだ方がいいだろう。 

 

「タンカ必要? 僕が持ってこようか?」


 後から付いてきてくれていた霧島が聞いてくれる。


「ああ、たのむ――――いや、やっぱいい」

「大丈夫なの?」

「俺が運ぶわ。一応、……幼馴染なんでね」

「……そっか。それがいいね」


 俺は聖良をお姫様抱っこ――――なわけはなく、背中におぶる。


「ああ、そうだ。肝心なこと忘れてた」

「なんですか?」

「優勝おめでとう」

「ありがとうございます、せんせー」


 体力は限界なくせして、聖良は心底嬉しそうに笑う。

 俺はグラウンドを離れ、保健室へ向かった。


「具合はどうだ?」

「だいぶ落ち着きました。足も、たいしたことはないようですし」


 サッカーの決勝を勝利した後、力尽きた聖良は保健室のベッドで横になっていた。

 足の方は軽いねん挫で、2、3日もすれば良くなるとのこと。

 倒れそうになったのは単純な疲労によるもので、今日までに蓄積されたものであるらしい。


 気づけば、バレーボールの決勝が始まっていた。

 聖良の次は七瀬が学園のアイドルにして、ヒロインだ。

 サッカーに勝るとも劣らない声援が寄せられているに違いない。


 俺はと言えばそちらの応援に駆け付けるのも面倒になり、聖良のベッド横の椅子へ腰かけていた。

 保健室はクーラーが程よく効いていて心地いい。

 昼休みが終われば、俺も猛暑の戦地へ出向くのだ。今はこうしているのも悪くない。

 なるだけ涼んでおこう。


 そうして、そろそろバレーボールの決勝も終盤かと言う頃だ。


「は……?」


 おい、どういうことだよ。

 ドタバタと、幾人かの生徒と保健教師がタンカに載せられた生徒を運び、保健室へなだれ込んできた。


「七瀬ちゃん! 大丈夫!? 意識ある!?」

「あ、あはは……ダイジョーブダイジョーブ……。ちょっとクラっと来ただけだからさぁ……」


 運ばれてきたのは2-A委員長、七瀬里桜ななせりおだった。

 俺と聖良の存在を無視して、七瀬はもう一つのベッドへ寝かされる。

 俺は聖良と視線を合わせた後、一連の流れが落ち着いたのを見計らって席を立った。


「おーい、七瀬?」

「んー? あー青山? ここにいたんだ」


 寝かされた七瀬は視線だけをこちらに向ける。


「まぁな。聖良が倒れたんだよ。今そっちで寝てる。元気そうだけどな」

「……そっかそっか。でも、サッカー優勝したんだよね。良かったぁ」


 七瀬は少しだけ安堵した様子で、青い顔ながらも一息を吐く。


「体調、悪かったんだな」

「バレてた?」

「まぁ、なんとなく」


 それでも止めなかった。

 今は少し、後悔している。

 いや、俺が何を言おうと七瀬が休んだとは思えないし、意味はなかった。そんなことは分かっている。


「ごめん。負けちゃった」

「そか」


 べつに謝ることなど何もない。

 俺は元々球技大会の勝利に執着がないのだから。

 七瀬は少しだけ迷ったように視線を逸らしつつ、珍しくシリアスな様子で口を開く。


「ねえ」

「あん?」

「あたしの分まで、勝って。……って言ったら。あんたはどうする? あたしのために、頑張れる?」

「…………さあね」

「そっか」


 七瀬里桜にとって球技大会はどういうものであるか、少しだけ考えていた。

 七瀬はクラス全員――――ハミダシ者でもある俺や霧島、そして自分をも含めた全てが楽しめる居場所を求めている。

 球技大会は、4月に編成された各クラスにとって最初の大きなイベントだ。ここで試されるのは、この7月までに育んだクラスの絆。協調性。

 クラスをまとめる七瀬はそれを何より重要視している。

 球技大会の結果は、これからの文化祭、体育祭に対するモチベーションにも影響してくるだろう。

 4冠とはいかなくても、まとめ役である自分が足を引っ張ることなどあってはならなかった。

 親しみやすい委員長としてクラスメイトと同じ視座にいながらも、委員長としての格を示す必要があった。


「まぁ、応援できなくなっちゃったから。今、ダメ元で言っとく。頑張れよ、ナンパ男」


 朝のような勢いがその声にはなかった。


「…………ああ――――」


 最低限の義理として、声援に応えようとしたその時、保健室の扉が再び開かれる。


「――――失礼しまーす。あ、いたいた。姉ちゃん。弁当持ってきたよ」

「は?」


 入ってきたのは、見覚えのある少年。

 聖良の彼氏であるはずの雅史くんだった。


 今、彼は何と言った……?


「ちょ、ちょっとまーくん……!?」


 聖良が慌てた様子で声を上げる。

 雅史くんの視線が聖良から七瀬へ移され、それから俺へ向く。最後に聖良へ戻った頃には、その顔には冷や汗が伝っていた。


「……あー、なんか俺、やっちゃった……よね? 姉ちゃん」

「姉ちゃん言うなバカぁ!」

「……………………ごめん」


 雅史くんが頭を下げると、その場には沈黙が流れた。


「え? え? 何、この空気。その子、聖良の弟さん……?」


 状況を理解できないであろう七瀬だけが、落ち着かない様子で確信をつく。


「……はい。えっと……私の弟、です」

「どうも、篠崎雅史です……あ、あはは……」


 観念した聖良は涙目でそう呟き、雅史くんは非常に居心地悪そうに頭をかいた。



「お弁当、食べましょうか。実は今日、凪月さんの分も作ってみたんです。家に忘れちゃって、それでまーくんにこっそり届けてもらうつもりだったんですけどね……あはは」

「お、おう……そうなのか。はははは」


 さすがの聖良も歯切れ悪く、お弁当を広げてゆく。

 七瀬は親の迎えが来て、早退した。

 昼休みを迎えた保健室にはすでに俺と聖良しかいなかった。


「わ、私の手作りなんですよ? こう見えてお料理も、練習しているんです……」

「へ、へえ。そうなのか。そりゃまぁ、楽しみだな……」


 雅史くんはといえば……

 俺は数分前までの会話を思い出していた。


 ・


 ・


 ・


「で、何の用だよ。偽彼氏くん」


 衝撃的な真実発覚の後、意外にも2人で話したいと言い出した雅史くんと共に俺は保健室を出た。

 生徒は出払っているため人気はない。

 俺たちは適当な廊下で、立ち話を始めた。


「あんまり動揺とか、しないんですね」

「…………まぁな」


 動揺しているかしていないかと言われれば、もちろんしているのだろう。

 しかし予想がついていなかったとは、言えない。


 なぜって、ふたりの関係が不自然すぎたからに他ならない。

 もし本当の彼氏で、柏原高校に来る前からの付き合いなら、雅史くんは果たしてあの時聖良が呼んですぐ来れる範囲に住んでいるだろうか。

 もし本当に彼氏がいるなら、エロ写メを送るような間違いを犯すだろうか。

 もし本当に彼氏がいるなら、俺が思う限りの聖良の目的を鑑みても、俺の家に平然と上がり込み、デートまで演じるだろうか。

 聖良の発言、行動の裏には彼氏の存在が薄すぎた。

 

 雅史くんの苗字を明かさなかったこと。この年代の恋人なら少し珍しいとも言える二つの年差。聖良の苗字の変化。

 粗は探そうと思えばいくらでもある。


 半ば確信しながらも、俺はそれが間違っているという可能性から逃げたくて。もし彼氏がいるということを確定されてしまったらとう恐怖が消えなくて。

 問い詰めることを先延ばしにしていた。


「俺はまぁ、これで良かったと思ってますよ」


 雅史くんは呟く。


「無理ですもん、俺に姉ちゃんの彼氏役とか。マッジでヒヤヒヤしました。姉ちゃん、勝手ですから。アドリブですよアドリブ。あり得ないっすよ」


 雅史くんは参った参ったと手を広げ、この前はすみませんと謝ってきた。

 どうやら被害者の会はここに結成できるらしい。


「だけど……偶然だけど、このタイミングで良かった」

「は……?」

「お兄さん、これで枷は外れましたか?」

「どういうことだ。てか俺はおまえのお兄さんじゃねえ」


 ふっと、雅史くんは表情を改める。

 その顔は年よりも幾分か、大人びて見えた。


「姉ちゃんが何を考えているのか。俺にだって……少しは分かるけど、やっぱり複雑すぎて全部はわかりません。お兄さんには、分かりますか?」

「わかったら苦労しねえ」

「ですよね」


 雅史くんはくすりと笑って見せる。

 しかしすぐにまた、その表情は真剣さを取り戻した。


「……でも、今回はお兄さんの負けだと思う」

「…………」

「お兄さんが言わなきゃ、一生終わりませんよ、これ。いい加減、姉ちゃんを解放してください。…………ぜんぶ、あんたのせいなんだから」


 そんなこと、俺がまだ一番知っている。

 彼女と再会したその日から、わかっているんだ。


「今日はとっておきの機会でしょう? 姉ちゃん、よく言ってましたよ。なつくんはサッカーがすごく上手いんだって」


 そう言い残し、雅史くんは帰っていった。


 ・


 ・


 ・


 まったく、言いたい放題言ってくれたものだ。

 小早川先輩といい、そして何より聖良といい、最近はそんなことばかりでイライラする。


 勝手に話を進めてばかりだ。自己中ばかりだ。


 だけど、何も言い返せなかった。


「……? どうしました? 凪月さん?」

「ん?」

「もしかしてお弁当、食べたくないですか? 学食の方がよかったでしょうか……」

「ああいや、そんなことは……」


 うけとったお弁当を開け、箸を持つ……が、


「なあ、聖良」

「はい?」


 俺は箸を置き直した。


「勝つよ、俺」

「……はい」

「そしたら、おまえに言いたいことがある」

「……やっと、ですか」

「ああ、やっとだ」

「応援は……できなくなってしまいましたが……」

「あん?」

「今日の私は、平等ですので。だから、見守っていますよ」

「……おう、そうだったな」


 応援なんて、求めていない。

 必要なのは、結果なのだから。


「そうと決まれば、お弁当を食べましょうか! きっと力が出ますよ!」


 ヤケに張り切った様子の聖良に急かされながら、お弁当をいただいた。

 初めて食べる女の子の手料理は、幼馴染の手料理は、美味しくて、少しだけ悲しい味がした。


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