表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/8

頑張るから

-2-



 今でも、幼い頃のことは鮮明に覚えている。

 それはきっと、そこが私の原点であるからだ。

 私はずっと、私だけの一等星を見つめていた。

 

 それはみんなが帰った後の教室で。


「ねえねえなつくん、何やってるの?」

「算数。先生にもらった難しいやつ」

「お勉強? それより一緒に遊ぼうよ」

「ヤだ」

「じゃあ、私は応援するね。なつくんがんばれ、がんばれ」

「いやうっせえよ集中できないだろ……」 


 それは休日の河川敷で。


「聖良はサッカーやんないのか?」

「うん。見てる方が好き」

「ふーん」

「がんばれ、がんばれ」


 それはみんなが集まってサッカーをする公園で。


「ぎゃー!? またやられた~!」

「凪月くん強すぎ~」

「へへっ。楽勝だってこんなん!」


「がんばれ……がんばれ……っ」


 彼を見るのが好きだった。

 努力を欠かさない彼が好きだった。

 そんな彼を応援するのが好きだった。

 日に日に増してゆく彼の輝きを見つめるのが好きだった。


 どんどん遠くなってゆく彼の後ろから、ずっと見つめていた。


 でも、それがそもそもの間違いだったのだと、今では思っている。


 ――――ある日、両親が離婚することになった。


 特に驚きはなかった。

 両親は昔から仲が悪かったから。

 不思議だね。

 小さい頃の私だってよく読んだ、たくさんの物語。

 王子様とお姫様が出会って、いくつもの困難に見舞われながらもふたりは永遠の愛を誓うの。そして、結婚するの。

 2人は一生、幸せに暮しました。

 めでたし。めでたし。


 どうしてお父さんとお母さんは、幸せそうじゃなかったんだろう?

 私が読んでいたそれはやっぱり、ただの綺麗なおとぎ話でしかなかったのかなぁ?

 それでも、多くの人は一人の人と一生を添え遂げるのに。おかしいね。


 まぁ私には、そんなこと関係ないけれど。

 両親が離婚して、私にとって重要だったことはひとつだけ。


 なつくんと、一緒に居られなくなってしまう。


 私はお母さんに連れられて、隣町にあるお母さんの実家に行かなければならない。隣町と言っても、幼い私には随分な距離だ。


 だから、コクハクした。

 彼と別れたくなった。

 コクハクして想いが届いたって何がどうなるわけではないけれど、離れ離れは必然だけど、幼い私にはそんなこと分からなかった。

 こんな時、大好きな人にできることはこれしか知らなかった。

 焦りに呑まれるまま、勢いのまま、私は本で見たコクハクを実行したのだ。


 結果は知っての通り。

 あまりにも拙い初めてのコクハクは、彼を怒らせただけだった。


 それもそのはずだ。

 彼と私では、立っている場所が違いすぎた。

 聡い子供だった彼は、毎日誰よりも努力して、どんどん前に進んでいく。


 それに比べて、私はどうだった?

 一度でも、彼に追い付こうとしただろうか。

 彼と同じ景色を見ようとしただろうか。

 ただ、応援を繰り返すばかりで。


 コクハクしようって一念発起。

 いきなり夜空に輝く一等星へ手を延ばしたって、そこに梯子は用意されていない。

 そこまで連れて行ってくれる電車も、切符すらも、何もない。

 届くわけが、ないのだ。


 彼は私にとっての一等星で。眩しい人で。輝いていて。尊敬する人。

 だけど彼にとって、私は、ただのつまらない幼馴染だった。


 そうして私は耐え難い失敗を胸に――――彼の元を去った。


「なんで……どうして……?」


 分かってる。

 おバカな私でも、ぜんぶ分かっているよ。

 でも、分かっても、分かるはずがなかった。

 理解で押さえつけられるほど、感情は安くない。



「…………大嫌いだ」



 高峰聖良の復讐は、ここから始まることになる。



◇◆◇



「えーっと……あ、この単元はまだ私習ってない……でもこっちは逆にもうやってますね……。うーん、学校によって学習する順番も進度も違うんですねぇ」


 休日の午後。

 俺から借りた各教科のノートを見ながら、聖良が呟く。

 場所は俺の家。

 その私室。クーラーがガンガンに効いた、俺の唯一と言っていいプライベート空間。


「いやなんでだよ」

「どうしました凪月さん。私はボケていませんが、ツッコミの練習ですか? エッチですね」

「いやなんでだよ」

「壊れちゃったみたいですね。修理に出さないと」

「いやなんでだよ! 俺は壊れた玩具じゃねえ! ――――じゃなくて、おまえがなんでここにいるのかって聞いてんだよ!」


 そう、今まさに俺のプライベート空間は脅かされている。

 

 一万歩ほど譲って、ノートを見せてやるのはいい。

 転校生としては転入先の授業の進行度をしっかりと確認しておきたいところだろう。夏休み前の期末テストだって数週後には迫っているのだ。

 聖良はこの数日で十分にクラスに溶け込んではいるが、出会って一週間足らずで全教科のノートを借りるというのは心理的なハードルが少し高いとうのも理解できる。

 そこで、俺だ。先日の人見知りを信じているわけもないが、幼馴染である俺には遠慮がいらない。

 

 肝心なのは、なぜ俺の家に来ているのかということ。


「なんでって、幼馴染だからですが?」

「それは理由にならねえよ!? つーか、俺に関わるなって彼氏にも言われたんじゃないのか!?」

「それについては問題ありません。まーくんはほら、あれです。独占欲を拗らせちゃうお年頃なんです。14歳ですから」

「なるほど――――いや納得しねえよ。厨二彼氏の意見聞いてやれよ」

「中三です」

「はあ」

  

 どうでもいい訂正をどうもありがとう。

 しかして、どうやら俺の幼馴染は年下好きであるらしい。

 それにしては大人びてはいたか。イケメンだし。俺だったら二つも年上の恋敵に啖呵を切る自信はない。


「幼馴染と休日に会うくらい良いのではないですか? まーくんにもそういうのではないとちゃんと説明したつもりです。何も問題ないでしょう? まぁ、凪月さんが私に邪な感情を抱いていれば、別かもしれませんが……くすくす」


 聖良はしてやったりとでも言いたげに笑う。

 聖良としては幼馴染、ひいては男友達と一緒にいるだけ。その上今日に関しては理由も明確。転校生としては重要な要件だろう。

 厨二まーくんとしても言いくるめられて致仕方ない部分はある。そもそも、聖良に口で勝てる未来が俺も含めて見えない。


「それから、こうも言えますよ。この方が凪月さんには収まりがいいかもしれません」

「あ? なんだよ」

「私は幼馴染の男の子の家に来ているのではありません。お友達の渚なぎさちゃんの家に来ているのです。そこにたまたま凪月さんがいて、たまたまノートを借りるのに都合が良かったのです」

「渚? おまえらまだ仲良かったのか?」


 渚と言うのは、俺の妹。

 青山渚あおやまなぎさ。これまた偶然だが、中学三年の少女だ。


「ええもちろん。ずっと連絡も取っていました」

「マジかよ……」


 俺はまったく知らなかったのだが……。


「ということで、ここは私にとって女の子のお友達である渚ちゃんのお家。なんらおかしいことはありません」

「なるほど――――いや渚のやつは今家に居ねえけどな!?」

「それは誤算でした。ふたりっきりですね♪」


 てへぺろと舌を巻く聖良。

 今日はやけにツッコミをさせられる日だ。


「まぁまぁ、今日は本当に凪月さんのおチカラを借りたかったのですから。許してください。このノート、すごく助かります。ここで作業させてもらえれば、分からないことがあってもすぐ凪月さんに聞くことが出来ますしね。本当に、ありがとうございます♪」

「え……お、おう。まぁ、どういたしまして」


 突然天使のような微笑みで殊勝な態度を見せられると、言葉に詰まってしまう。

 やはりと言うか、なんというか、結局言いくるめられた俺だった。


「ふーむ、それでは、テスト範囲はここまでということでよろしいですか?」


 しばらくすると、聖良が自分でまとめたノートをこちらに提示しながら、確認の意味で聞いてきた。線が細く、丁寧で美しい文字だ。


「あーっと、おう、そうだな。大体そんなところ」

「よかった。ありがとうございます。でも……これはこれは。私が習っていないところがけっこうありますね。張り切って勉強しないと」

「転入生だし、そこら辺は大目に見てくれるんじゃないか?」

 

 聖良の学習態度は至って真面目だ。ノートに向かっている時は、憎たらしい言動も大方息を潜めていた。

 それに転入試験も優秀だったという噂だ。

 教師の心象が悪いということもあるまい。

 いや、授業中は教師に隠れてかなーりふざけてますけどね? この女。いつまでシャーペンで俺を突いているのか。教師の話は聞いているしノートも取っているのが余計にムカつく。

 

「それはそうかもしれませんが……やるからにはやっぱり、いい結果を残したいので」


 やはり真面目だ。こいつ、人格が入れ替わっているのでは?


「彗星のように現れた美少女転校生・聖良ちゃんが学年一位を取っちゃいますよ?」

「そこまでかよ……」


 昔は俺に散々バカにされていた、あの聖良が?

 聖良は自信満々な様子で黒髪を揺らし、豪胆に笑む。


「惚れ直しちゃいます?」

「いやべつに」

「イケズー」


 ぷぅっと子供っぽく頬を膨らませる聖良。

 やば可愛い。ってちょっと待て俺。騙されるな戻ってこい。


「っ……い、一位を取るなら、最大の壁は七瀬だな」

「え、里桜りおちゃん?」

「うちで一番の才女だからな。入学以来不動の学年一位。その上、文武両道。おまけにいい女。我らが委員長に隙はない。おまえに勝てるかな?」

「ぷぅ……」


 また頬が膨らむ。

 やばい、突きたい。突こう。遠慮などいらない。俺は散々シャーペンで刺されている。

 本能のままに白いほっぺたへ指をダイブさせた。


「む……なんでしゅか」

「……何でもないです」


 柔らかかったけれどすぐに逃げられた。

 それから聖良は一度咳払いして、仕切り直す。


「絶対、里桜ちゃんに勝ちますので。しっかり目に焼き付けておいてください。私が勝利を収めた暁には、機嫌がすこぶるいい聖良ちゃんへの告白権利をあげますよ? 大チャンスですね」

「いや意味わからんわ」

「一緒に勉強しましょ~ってことですよ~」


 縋るように甘えてくる聖良と共に、俺たちは少し気の早いテスト勉強を始めたのだった。



「ふぁ……」


 二時間ほど経っただろうか。

 夏は陽が長い。まだまだ、太陽が沈むには早い時間だ。


 しかし勉強の疲労は身体に微睡を伝え始めていた。

 元々俺は、家で張り切って勉強するようなタイプではない。テストだって、その場しのぎの勉強で平均点程度をとって乗り切れば御の字。

 勉学に対するモチベーションなどありはしないのだ。

 そんなことをするくらいなら、せっかくの休日、ナンパに精を出したかった。


 しかし聖良は夏の暑さも、お昼の微睡も歯牙にかけない様子でシャーペンを走らせている。たいした集中力だ。

 その姿だけは、素直に応援したくなった。

 聖良がこれだけ頑張っているのに、俺が眠気に負けるわけにもいかないだろう。


 眠ってしまったが最後、聖良が何をするかも分からないしな……。


「凪月さん、眠いんですか?」

「眠くない」

「さっきから全然進んでませんってば。無理しないでください」

「大丈夫だって。問題ない」


 俺は強がりつつ、シャーペンを強く握る。

 しかし聖良は俺とは逆にペンを置いて、一息を吐いた。


「人間の集中力の一般的な持続時間は50分なのだそうです。だから、それ以上は無理しても効率が悪いんです」

「いや、おまえは全然集中力切れてなさそうだっただろ」

「私の集中力だって、もって二時間といったところです。もうガス欠です」

「そうなのか……?」

「はい。だから、うつらうつらしている凪月さんの可愛いお顔を横目で観察していました」

「なっ……」

「ふふ。疲れちゃったので、少し休憩してもいいですか?」

「ま、まぁ、おまえがそういうなら」

「ありがとうございます」


 聖良はからかいがちないつもの微笑みではなく、優しく瞳を細めるように笑みを見せる。

 明らかに俺を立てるような口ぶり。気を遣わせてしまった。

 今日の聖良はとことん俺の調子を崩してくる。


 だけど天使のフリはそこまでで、休憩に入った聖良は普段の調子に戻り、憎たらしかったということは言うまでもない。

 ただ、後ほど帰宅した妹の渚と、聖良。久しぶりに再会したのであろう二人のやり取りだけは、少し微笑ましかった。

 俺は、蚊帳の外だったけれど。



「おはようございます、凪月さん」

「ああ、おっす……」


 登校してきた聖良に挨拶を返す。

 初日以降、クラスではただのお隣さんとしての距離を保っていた。七瀬以外に関係を勘ぐられるようなこともなく、表面上は上手くやっている。


 しかし今日は少し、違った。

 席に着いた聖良はクスッと笑みを見せると、俺の耳へ口を寄せる。


「――――昨夜はお楽しみでしたか?」

「……っ、はあ……!?」


 反射的に椅子をズラシて聖良から距離を取る。その瞬間、ガタッと音が響くが、日常の騒音に紛れて注目はされずに済んだ。

 しかし心臓に悪いことこの上ない。

 また何を考えているんだ、この女は。

 なおも聖良は囁く。


「お楽しみじゃなかったんですか?」

「な、何の話だよ」

「何って、分かってますよね? まぁ、あの後お返事がなかったのは、ちょっと悲しかったですけど」


 シクシクと泣き真似する聖良。

 聖良が何の話をしているのか。当然俺はそれを理解していた。

 それは、聖良と成り行き的な勉強会をした日の夜。聖良が帰った後のことだ。


 夕食を食べ、風呂にも入り、後はもう寝るだけというところだった。


 その悪魔の通知は鳴った。


「見たんでしょう? 私の――――」


 メッセージアプリに届いたのは、一枚の画像。

 送り主はもちろんのこと、篠崎聖良しのざきせいら。


「――――えっちな……写・メ……♪」


 耳元で囁かれるそれに、思わず背筋がぞわぞわと反り返る。


「み、見てねえ」


 いや、見た。見ましたとも。

 だがそれは事故のようなものだ。

 なにせ通知だけでは画像までは見ることが出来ない。聖良から何らかの画像が送られてきた。その事実だけがわかる。

 もちろんのこと最初は無視してしまおうと思った。聖良のことだ。くだらないことに違いない。

 しかし見てしまわないことには、それも分からない。もしかしたら、重要な内容かもしれない。

 まぁ、要するに好奇心に負けた俺はその通知を開いたわけである。


「うっそだー。だって、既読ついてましたよ?」

「ぬぅ……」


 逃げるように視線を逸らす俺。

 どうせ逃れられないのなら、ムカつくニヤケ面の聖良は無視して画像の話をしよう。

 それは聖良がその夜、おそらく風呂上がりに撮ったと思われる下着姿の写真だ。

 鏡の前で撮られたそれには聖良の下着姿がバッチリと写っていた。

 さくら色とでも言うべき淡いパステルカラーの下着は聖良の白い肌に映えていて、長く黒い髪はそれを一層際立たせる。

 スタイルは言わずもなく高校生とは思えないレベルで、大きく膨らんだ胸に、引き締まったお腹、美しいお臍、ほどよい肉付きの太もも。

 全てが扇情的で、艶やかだ。

 そこに関しては、素直にならざるを得ない。抗えない。

 しかも、それが幼馴染で、今はクラスメイトでお隣席の女だぞ?

 得も言われぬ背徳感が俺を支配した。


 くっっっっっっそエロかった!!


 無意識のうちにも画像を保存していたことは言うまでもない。


「ふふっ。まぁいいです。男の子のプライベートに土足で踏み込むつもりはありませんので」


 聖良はしばらく俺を見つめると、やがて身を引いた。

 やけにあっさりしている。頑なな俺(内心諦めの境地)に、恐れをなしたか。


「一応言っておくと、あれはお礼です」

「……お礼?」

「はい。ノートのお礼」


 なに? こいつに感謝されるとその度にエロ写メが送られくるの?

 それなら、これからも何かと助けてやるのもやぶさかではない――――わけあるか。ああでも、俺の男子高校生な部分がもう飼いならされている。


「ですから、あれは凪月さん専用。凪月さんだけのために撮った写真。凪月さん以外が見ることのない写真です。凪月さんの好きなように使って、いいんですよ?」

「…………」


 ……なんでこいつはここまで男を刺激することばかり言えるんだ!?

 それが天然ではなく創られたものだというのは分かっているのに反応してしまう。やはりお盛んな男子高校生が恨めしい。


「まぁ、本当はまーくんのために撮ったのを間違えて送っ――――おっと、すみません忘れてください。先日はありがとうございました、凪月さん♪ とっても感謝しています♪」


 わざとらしくお礼を繰り返す聖良。

 こいつ、絶対にこれが言いたかっただけに違いない。

 ぶん殴りたいワからせたい。


 しかし教室で声を荒げるようなことが出来るはずもなく、震えて眠ることしかできない。


「あ、そういえば凪月さん凪月さん。今日の授業のことでお聞きしたいんですが」


 しばらくその様子を見てニマニマしていた聖良だったが、それからふと思い出したように言う。

 少し警戒したが、邪気が抜けているので大丈夫そうだ。いや、なんだよ邪気って。

 

「なんだ?」


 ともかく話題が変わることは歓迎だ。


「午後、ロングホームルームがあると思うんですけど、何をするんでしょうか」

「ああ、それか。それはな――――」


 転入生の聖良に話しておくには丁度いい機会だと思い、俺は口を開いたのだった。



「ということで今日は私、七瀬里桜ななせりおが司会を務めまーす」


 本日最後の授業、ロングホームルームの時間がやってくると我らが学級委員長七瀬が教壇の前に立った。

 そして俺も教壇、正しくは黒板前にいた。


 七瀬は慣れた様子でクラスメイトに説明をしてゆく。


「議題は単純明快。期末テストの翌日に行われる球技大会。その出場種目決めね」


 そう、俺たちの通う柏原高校では期末テスト後にクラス対抗の球技大会を行うのが定例となっている。テスト後のストレス発散と共に、運動不足解消というわけだ。

 クラスの雰囲気にもよるが、それなりに盛り上がる学校行事の一つでもある。

 ウチのクラスは言わずもがな、七瀬を中心にゆるっと本気で勝ちを狙いにいくことだろう。

 七瀬里桜がそういう女であることを、俺は知っていた。


「今日のところは終わり次第すぐにでも解散だし、練習とかもできないから、テキパキいくわよー。あたしゲーセン行きたいのよねー。最近音ゲーにハマっててさー」


 七瀬は言葉の通りキビキビ発言してゆく。


「あ、おい。おいちょっと待て」


 そんな七瀬の発言を遮り、その背中へ呟いた。


「俺への説明をお忘れでは? なぜ俺がここに立たされている」

「書記。よろしく」


 雑に黒板を指さす七瀬。


「は? ふつーに嫌なんですが」

「だってこうでもしないとあんた話も聞かずに寝てそうだし」

「いや寝ないよ? 寝ないって。俺、悪い生徒じゃないよ?」


 自分の種目が決まった後のことは知らないが。


「いいからいいから。あたしの言ったこと、黒板にメモしておいてよ。あとでお礼くらいするからさ」

「……それはエロ写メか?」

「は、はあ!? あんた教室で何言ってんの!? バカなの!? 死ぬの!? あたしが殺すわよ!?」

「あ、すまん。口が勝手に」


 本能に刷り込まれているかもしれない。

 女の子の言うお礼の品というのは、エロ写メである、と。


 七瀬は怒りからか顔を真っ赤に染め上げる。


「か、勝手にじゃないわよぉ……バカ! いいから手伝いなさい!」

「はぁ……へいへい。わかりましたよ……」


 失言した手前もあり、俺は渋々了承したのだった。

 快く手伝ってくれるクラスメイトならいくらでもいるだろうに、貧乏くじを引いたものだ。

 そうして、少々グダグダながらも各人の参加種目決めが始まった。


 種目は毎年変わるのだが、今年はサッカーとバレーボール。それぞれの種目を男女分かれて行う。

 柏原高校には男子サッカー部と女子バレー部が存在するが、それらの部に所属する人間はその種目において一人のみが参加できるようだ。

 それ以外のルールは、本来より人数が少ない、コートが狭いなどはあれど、基本的にそれぞれの競技に準拠する。


 七瀬は自分が知っている限りのクラスメイトの運動適正などと照らし合わせながらも、本人の希望に沿わせる形で話し合いを進めてゆく。


 聞いている限りだと、七瀬は男女共にバレーボールを主軸とするつもりのようだ。

 理由は単純で、クラスに現役サッカー部の男子がいなかったことが挙げられる。そのため、男子は必然的にサッカーを捨て気味になる流れに。

 女子はバレーボール部員がいる上に、運動神経に優れる七瀬がバレーボール部員と遜色ないパフォーマンスを見せることが予想されるため。言ってしまえばそれだけでも女子バレーボールについてはウチのクラスが優勝最有力候補なのだ。


 そして肝心な俺の参加種目はというと、当然のように捨て種目のサッカーである。

 クラスメイトたちからすれば納得の采配だろう。たいしてやる気もないとみられているだろうし。

 

(まぁ、その通りなんだけどな)


 バレーボールより走り疲れそうなのがネックだが、さっさと負けてしまうとしよう。


(しかし……)


 俺と、そして霧島をまとめてサッカーに割り当てたのは七瀬だった。

 そこには多少、思惑が絡んでいるような気がした。

 が、もしそうであってものらりくらりとやり過ごせばいいだけだと、俺は思考を切った。


「じゃあ次は聖良ね。種目の希望はある? と言っても、今のところバレーにかなり偏ってるから……」

「そっか。うん。そう、だね。それなら、私はサッカーで構わないよ」

「あ、ほんと? ありがとー助かるっ。実を言うとバレーは今の戦力でも十分優勝狙えるから、サッカーに可能性を残す意味でも聖良はサッカーにって思ってたんだ」


 感謝を伝えるように七瀬は両手を合わせる。


 体育の授業を見た感じ、聖良は運動もそつなくこなしていたようだった。七瀬もそれは理解している。

 俺からすれば、それもまた、昔とは似ても似つかないのだが。

 しかしたしかに、聖良をサッカーに置くのはいい案だ。

 女子のサッカーというのは、ほぼ全員が初心者の泥試合になることが予想される。

 当然他のクラスだって勝てる可能性の高いバレーボールに戦力を割くため、そこには普段からまともに運動をしないような女子たちが集まることだろう。

 従って、勝敗は運の要素が大きくなるのだが、逆に言えば運動神経が少なからず優れている人間が一人二人いるだけでも、そこでは絶対的なチカラを発揮する可能性があるのだ。

 どう転ぶかも分からないが、転入生である聖良は他のクラスにとって情報の薄い生徒でもあり、球技大会におけるジョーカーになりえるというわけだ。


 七瀬は間違いなく、サッカーでも優勝を狙っている。

 となるとやはり、男子サッカーのメンバー選びが引っかかるのだが……


「うん、優勝できるように頑張る……よ」


(ん……?)


 それ以上に、いつもより幾分ぎこちなく見えた聖良の微笑みが気になったのだった。


「で、こうなるわけか」


 球技大会の出場種目を決めた翌日の放課後。

 俺は河川敷にいた。

 手にはサッカーボール。

 そして目の前には案の定とでもいうのか、聖良だ。


「よろしくお願いします、せんせー」


 聖良は黒髪を揺らし、丁寧に頭を下げる。

 なんだこれ。まぁ美少女に教えを請われるというのは、感情としては悪くない。

 

「いや、俺に教えられることなんてほとんどないからな?」


 すでにお察しだと思うが、今日の目的は球技大会に備えて聖良にサッカーを教えることだ。

 昨日感じた聖良の笑顔のぎこちなさというのは勘違いではなく、サッカーなどほとんどしたことがない聖良はあの後俺に泣きついてきたのである。

 変なところで見栄っ張り。いや、七瀬の考えを読んだ上で、クラスで優等生のいい子ちゃんを演じている聖良にはあの受け答えしか存在しなかったのか。


「そんなこと言って、昔はクラブチームでブイブイ言わせてたくせに~」

「ブイブイて。その表現はどうなんだ。それに昔は昔。もう何年もやってないっての」

「それでも、初心者ではないでしょう? 基礎的なことで構いませんから、どうかよろしくお願いします。今回ばかりは少し、自分でどうにかするのが厳しそうなのです」


 聖良は誠意を見せるように、再度頭を下げる。

 確かに球技大会までの短い期間で、経験のないサッカーの練習を一人で行うのは無理があることは理解できるのだが、


「どうしてそこまでして練習するんだ? 言っとくが、七瀬は本気の本気でサッカーまで勝とうとしているわけでもないと思うぞ? 負けても全然構わない」


 むしろそれも、いい思い出というものだ。


「それは……もちろん、里桜ちゃんにああ言ってしまった手前というのもあります。でもそれは理由の一つでしかありません。小さな小さな、一つです。……一番は……」


 聖良は一瞬、躊躇うように口ごもるが、視線をこちらに据えてはっきりと言った。


「私には、手を延ばすと決めた星空がありますので。そこを目指して、私はずっとずっと、あの日から。自分を錬磨してきたのです。在りたい私で、在るために。球技大会で醜態を晒すなど、論外なのです」


 それは、目が離せなくなるほどの真っすぐな瞳。煌めきが増し続けるその瞳に、気を抜けば吸い込まれてしまうのではないかとさえ思った。


 勉強の時と同じ。それは本気の瞳。


「だから、お願いします。教えてください」


 再三、聖良は頭を下げる。


「……ったく、わかったよ。てか、べつに教えないとは言ってないだろ」


 居心地の悪い俺はガシガシと頭を掻く。


「あは。そうでしたっけ?」

「ああ、そうだよ。でも、……やるからにはみっちり教えてやる。覚悟しろ」

「はい♪ あ、でも根性論とかは暑苦しいのでやめてください。技術だけ、お願いします♪」

「あ、そう……」


 走り込みとかガンガンやらせて溜まりに溜まった恨みを晴らす気ですまん。

 まぁ、聖良を見る限り運動不足は感じない。日々、何かしらのトレーニングはしているのだろう。だから体力面に不安はない、か。

 残念。非常に残念だ。


「また、お礼しないとですね……」

「は? え、なに。また?」


 エロ写メ第二弾くるー!?


「さあ、それはどうでしょう? お楽しみに」


 焦らされたまま、聖良のサッカー特訓が始まった。



「て、てりゃぁ――――って、は、はにゃ……!?」

「おい大丈夫かー?」

「は、はい。だいじょうぶ……れす……」


 聖良の指導を始めてから、半時ほどの時間が経った。


 その僅かな時間でも、分かったことがある。


「も、もう一回お願いします……!」

「ほれ。しっかりボールを見ろよー目離すなー」

「は、はい……~~っ、きゃっ!?」


 見事、転倒。


(こいつ、センスねー……)


 今やっているのはトラップ練習なのだが、ボールを触るたびに一緒になって自分も転んで地べたを転がる有様である。


「も、もう一回! 今度こそ!」


 しかし、やる気だけはある。

 何度転んでも泣きごと一つ言わないで立ち上がる。


「あ、で、できた! できました! こんな感じでいいんですよね!?」


 そして少しずつ、本当に少しずつだが、成長してゆく。


 それは普段と違う、泥臭い篠崎聖良。

 それは絶対に人前で見せないであろう姿。

 その容姿も、勉強も、コミュニケーション能力も、何もかもそうやって身に着けてきたのだろうか。

 人は、時が経てば変わるものだ。だけどそれはほとんどの場合、自分が理想とする姿とはかけ離れていくということなのだろう。

 理想を形にするというのならば、それは成り行きではなく、自ら作っていくしかない。


 泥臭くとも、自分の運命は自分で掴み取る、か。

 聖良は努力のできる人間だ。

 至らない自分を、積み重ね続けた努力で覆い隠している。

 あの頃の彼女を知っている俺が思うのだから間違いはない。


 そんなこと、すでに分かっていたつもりだ。

 そして、彼女にそうさせたのが誰なのかも。


(それなら、その行動理由は……やっぱり……)


 俺はそこで思考をやめた。

 今は球技大会が優先だ。

 なぜだろう。そのやる気に応えることを、今はしたかった。


 ◇


「あ、凪月さんっ。ごめんなさい、お待たせしましたか?」


 日が高く昇り始めた休日の駅前。

 ナンパしたあの日と同じワンピースに身を包んだ聖良がこちらへ駆けてくる。


「めっちゃ待った」


 聖良が指定した集合時間は午前10時。今は10時半だ。実に30分の遅れである。


「ですよね♪」


 喧嘩売ってんのかコイツ。


 先述の通り、俺がここに来たのは聖良の指定、もとい誘いがあったためだ。

 サッカーの指導はまだ途中ではあるものの、そのお礼の先払いとのこと。エロ写メじゃないのか。残念――――いやべつにそんなことはないが。


 しかし今の時点ですでに、ホイホイ誘いに乗ってしまったことを後悔し始めていた。

 最近は真面目な姿も見ていたため忘れていたが、初手から遅れてくるようなやつに感謝のキモチがあるわけがない。


「なぁ、帰っていいか」

「そんなこと言わずに。今日はデートなんですから」

「は?」

「遅れて来たのも、デートならこうすべきだと判断したからです。だから凪月さんは、ううん全然待ってないよ、というのがテンプレートであり、正しかったのです」

「いや知らんし」

「とにかく、今日は私が誠心誠意エスコートしますので、お付き合いいただけますか?」


 聖良はお嬢様のように、優雅にお辞儀する。


「今日の私は、あの日の聖良ちゃんです。お久しぶりですね、凪月さん♪ またお会いできて嬉しいです♪」

「は……あ……?」


 また人格入れ替わってませんか? もしくは記憶が改ざんされている。


「また、聖良ちゃん、と呼んでくれますか?」

「いや、おまえ……何言って……」

「呼んでくれますか?」

「…………聖良ちゃん」

「はい、聖良ちゃんです」


 圧に負けた。

 そして、聖良ちゃんと呼ばれた彼女の笑顔はやはり天使だった。

 今日は、そういう夢を見せる日。それが聖良式のお礼であるらしい。

 罰ゲームの間違いではないだろうか。両者にとって。


「にへぇ……」

「え、なに、キモいんだけど」

「な、なんでもないです。は、はやくいきますよ、凪月さんっ」


 突然ニヤけ始めた聖良がめちゃくちゃに可愛く見えて、それと同時に不気味だった。



「さあ、今日はここで一日遊び尽くしましょう!」


 電車に揺られてやってきたのは、近くの遊園地。

 天候に恵まれた休日だ。遊園地は家族連れやカップルたちで賑わいを見せていた。


「久しぶりだな、ここ来るの」

「そうなんですか? もしかして私や渚ちゃんと来たのが最後だったり?」

「ああ、よく覚えてないが、そうかもな」


 少なくとも、七瀬や霧島とよくつるむようになってから来た覚えはなかった。ゲーセンやカラオケなど、もっと手軽な施設が常だ。


「そうですか。それなら今日は思い出参り――――ではないですね。今日の私は聖良ちゃんなので」

「ああ、やっぱそういう設定なのね……」

「設定? はて何のことでしょう?」


 わざとらしく惚ける聖良。

 今日はあくまで、ナンパされて本性を現す前の篠崎聖良、か。なるほど、よーくわかった。

 友人以上、恋人未満の距離感で隣に並ぶ聖良と共に、俺は数年ぶりの遊園地へ足を踏み入れたのだった。


「まずはどのアトラクションに乗りましょうか。あ、私のおすすめではですね~……」

「よし、絶叫系だな」


 迷わず即決する俺。

 途端、聖良ちゃんの笑顔に影が差した。


「え、ちょ、な、凪月さん……?」

「いやあ俺、絶叫系に目がなくて。今日はもう全部乗るしかないよな!」

「あ、あの凪月さん? わ、私はその……め、メリーゴーランドとか観覧車とか……」

「俺の地味でノリの悪い幼馴染は絶叫系とか超苦手だったけど、まさか気の合う聖良ちゃんがそんなはずないよな! 俺と同じで絶叫系、大好きだよな!」

「な、凪月さ――――なつくん~~~~~~~~っ!?」


 俺は戸惑う聖良ちゃんを引きずり、この遊園地で一番人気のジェットコースターへ向かったのだった。

 ああ、楽しいなぁ、デート!


「ちょ、ちょっと待って……待ってくださいよぉ……凪月さぁん……」


 いくつかの絶叫系アトラクションを回ると、遂に聖良が溜まらないと言った様子で音を上げた。

 生まれたての小鹿ように足をプルプルとさせ、平衡感覚も怪しいようだ。


 今さら言うまでもないが、聖良は絶叫系のアトラクションが苦手だ。特にジェットコースター。それは昔から変わっていなかったらしい。


「うぅ……怖かったぁ……寿命縮んじゃう……もぉヤだぁ……」


 それにしても、少しやりすぎただろうか。

 俺は振り向いて、後ろを歩く聖良に片手を差し出す。


「おい大丈夫か? 少し休むか?」


 声をかけると直後、聖良はその手をガッシリとつかんだ。


「え゛?」


 痛い。握力強すぎぃ!?


「そうですね。少し疲れたので、休憩しましょうか。あちらのお店の、かき氷でも食べながら」


 ニッコリと笑った聖良と共に、かき氷屋台へ向かった。


「凪月さん、あーんがすごく、すごーく好きでしたよね。今日も、してあげますね♪ あーん♪」

「え、いや俺はべつに……あーんなんていらな――――むぐぅ……!?」


 山盛りスプーンのかき氷が口の中へねじ込まれる、甘さの欠片もない。


 冷たい。頭が~~~~っ!?


 かき氷のシロップの味って実はぜんぶ同じなんだぜって無駄雑学を披露する暇もない。味など分からない。


「美味しいですか? 美味しいですよね? なにせ私があーんしてあげてるんですから。もっと食べたいですよね? ね? ね?」

「待って、今まだ頭。頭痛くて――――ぐっ……ごぽぉ……!?」

「楽しいですね、凪月さん♪」


 喋る隙もなく、かき氷を必死こいて口の中で溶かしてゆく度に新たなかき氷が口内へ放り込まれた。


「はぁ、はぁ、はぁ……くそっ、てめぇ……」

 

 結局すべてのかき氷を胃の中へ詰め込んだ後、ようやく俺は満足に息をすることが出来た。


「では次はどこに行きましょうか」

「ん、あー。そうだなぁ」


 ちょうどすぐそこに居を構えていたお化け屋敷がお互いに目に入った。おどろおどろしい音楽が耳を澄ませば聞こえてきそうだ。


「ふむ。お化け屋敷、いいですね」

「お、お化け屋敷ぃ……?」

「え? あら? まさか。まさかまさか、昔は見栄を張って怖くないようなふりをしていたなつくんが、お化け屋敷が怖いなんてことはないですよねえ?」


 なっ……コイツ……なぜ昔の俺がお化け屋敷を苦手としていたことを知っていやがる……!? 

 上手く隠していたはずなのに……!?


「な、なんのことかなぁ……!? 俺は今も、昔も……! お化け屋敷が大好きだが……!?」

「あら、そうなんですか……?」

「そんなことよりおまえこそ、お化け屋敷を嫌がって泣いてなかったかなぁ……!?」

「そ、そそそそんなことあるわけないじゃないですかぁ? もしそんな事実があったとしても、今は当然、お化けなんて怖くありませよ? そんなものが怖いのは小学生までですとも、ええ」

「そうかぁ、じゃあお互い問題ないなぁ……!」

「そうですね……!?」


 威嚇でもし合うようにしながら、ズカズカと俺たちはお化け屋敷へ向かった。



「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!??!?!」

「きゃあああああああああああああああああああああああ!??!?!」


 悲鳴が響き渡る。

 それは当然のように、俺たちのもの。


「な、なつくんどいて! 邪魔! わ、私が先に逃げるんです!」

「ふざけんなコラ! てめえ囮になりやがれ!」」

「いやぁ!? ゾンビが! ゾンビが追ってくるぅ!?」

「うおおおお俺の服掴んでんじゃねええええ!?!??」


 見るに堪えない足の引っ張り合いが行われたことは言うまでもない。


 お化け屋敷とか、今も昔もマジ無理だから。

 それは聖良も同じだったらしい。


 やっとの思いでお化け屋敷を抜けると、二人して汗だくで息を切らし、疲れ切っていた。 


「ぜ、ぜんっぜんたいしたことなかったな!」

「そ、そうですね! お化けとかゾンビとか、結局そんなもの存在するわけありませんし!」

「だ、だよな! 怖がる方がバカらしいって!」

「ですよねえ!?」


 2人して強がって、必死に胸を張る俺たち。高校生には高校生のプライドがあるのだ。

 しかしそれも、限界だった。


「――――ぷっ。ぷふ、ふふふっ」

「な、なに、……ぷっ、笑ってんだよ……聖良……っ」

「だ、だってなつくん……っ、すっごい涙目……強がってるの、丸わかり……昔と一緒……! ふふ、ふふふふふっ……!」

「はあ……!? それを言うならおまえだって、昔と変わんねえ! お化け屋敷ぜんっぜんダメじゃねえかよ! はは。はははは!」

「それはぁ、……大丈夫かなぁって思ったんですよぉ……! もうっ、私たち、何年たってもダメダメですね……あは、あはははは!」


 お互いに意地を張り合い、もはやデートの雰囲気などどこにもない。

 ナンパしたあの日の篠崎聖良も、気づけば何処にもいない。


 だけど、俺たちはいつまでも笑い合っていた。

 それがなんだか無性に、楽しい気がした。


 ・


 ・


 ・


「今日はごめんなさい。あんまりお礼になりませんでしたね」


 遊園地の帰りがけ。気づけば辺りは夕日に照らされていた。


「いやまぁ、俺から始めたことだし。べつにいいよ」


 俺の絶叫系アトラクションに連れまわしたことに始まり、かき氷、お化け屋敷。そしてその後も、意地を張り続けるようなデートだった。


 しかしそれだけに、偽りのない時間だったように思う。

 幼馴染の高峰聖良。クラスメイトの篠崎聖良。ナンパで知り合った篠崎聖良。

 そのどれとも違う、お互いの今と昔が混ざり合っているような時間だった。


「それなりに楽しかったぜ?」

「そうですか。……それなら、良かったです」


 聖良は少しだけ恥ずかしそうに視線を逸らした。


「「あっ……」」


 並んで歩く二人の手が、触れ合う。それと同時に、ぴたりと目が合って、時が止まったかのようだった。

 だけどそれも一瞬だ。


「す、すみません」

「ああいや、うん。べつに。……あ、あー、そーいえばおまえ、あんなにスイーツ食べてよかったのか? あんなに食べたら太――――」


 ――――グキャッ。


 足元で嫌な音がした。

 見れば、聖良の足が俺の足をグリグリと踏んでいる。


 雰囲気に負けた結果、俺は地雷を踏み抜いていたらしい。

 

「何か、言いましたか?」

「い、いえ、なんでも……」


 ちょっと心配してみただけなんですよ?

 だって聖良が日々の努力によってそのスタイルを維持しているんだとしたら、結構な食事制限をしているんだろうと思ったから。大好きなスイーツも、普段はあまり食べないのだろうと思ったから。


「もうっ。凪月さんといるんですから、その日は私にとって特別、なんですよ? だから、いいんです」


 聖良は俺の足を解放すると、少し足早に歩き出した。俺は足の痛みを気にしつつもそれを追いかけ、再び隣に並ぶ。

 もう、肩すら触れ合わない。腕を抱くようなこともあるわけがない。

 適切な距離を測り直した俺たちは会話もそこそこに家路へついた。



 それからおよそ、二週間。

 テスト、そして球技大会が間近に迫っていた。


 今日も今日とて、テスト勉強の合間に聖良のサッカー指導をしている。

 サッカーの指導という明確な理由が生まれてしまったこともあり、ついでにテスト勉強をすることも多く、聖良と過ごす時間は格段に増えてしまっていた。


「こんな感じでどうでしょう」

「おー、上手くなるもんだな」

「ふふん。そうでしょうそうでしょう」


 得意げに胸を張る聖良。


「そうだなぁ。偉い偉い」

「な、なんですかその子供をあやすような言い方はっ」


 聖良は最初こそ匙を投げたいレベルのセンスのなさだったが、一週間が経った頃にはコツを掴み始め、その後はグングンと俺の技術を盗んでいった。

 要するに、聖良という人間は最初の飲み込みが悪く、物事に対する瞬発力がないだけなのだ。だからこそ、それが特に顕著に現れていた幼少期は俺や周りから鈍間と思われていた。普通の子供が簡単に出来ることが、聖良には時間をかけなければ出来なかったのだ。


 しかしじっくりと教えてやれば理解力がないわけではなく、むしろ思考力は高い。コツを掴めばこの通りだ。


「ていっ」


 聖良の蹴ったパスが綺麗な弾道を描き、右足へ打ち込まれる。トラップすると、バシッと綺麗な音が鳴った。

 女子にしてはしっかりと体重の乗ったパスで、コースも完璧。

 初期の酷さを思えば、涙もちょちょぎれるというもの。


「いい感じいい感じ。次はシュートやってみようか。強いシュートじゃなくていいから、コース狙えよ」


 素人だらけの女子の試合だ。

 力強さは必要ない。

 インサイドキックでまっすぐに、正確な軌道を描いたボールが蹴れるだけでも脅威となる。

 キーパーなどいないも同然の試合ではゴールネットを揺らすことができる。


 ドリブルやトラップ技術については本当に最低限の基礎だけを。

 後はパスとシュートのコントロールを重点的に鍛えた。

 そして何よりも足でボールを操るという行為それ自体に慣れること。

 聖良に教えたのはそれだけだ。


 それだけだが、何度も言うように女子の試合では十分すぎる。


 あとはもみくちゃになるであろうフィールドで、どこにボールが零れるか。零れたボールをどれだけ自分のチャンスに変えることが出来るか。

 多少の運はやはり絡むだろうなといったところだ。

 

「ほれ」

「あ、ありがとうございます」


 休憩に入ると、聖良にスポーツドリンク入れた水筒を手渡す。

 夏も真っ盛りであるため、水分補給は欠かせない。そこら辺は、一応コーチしている身の俺がしっかり見ておいた方がいいだろう。

 当日に体調を崩したなんて言っても笑えない。

 

「完璧だな」

「そうですか?」

「ああ。男子の試合に混ざってほしいくらいだ」

「それは遠慮したいですね。汗臭そうです」

「今、ウチの全男子が泣いたからな」

「じゃあイヤらしい目で見られそうなので」

「それは女子の試合を見に行く男子すべてがそういう目でみてるから安心しろ」

「なんか当日に仮病が発生するような気がしてきました……」

「それはやめろよ……」


 付き合った俺のキモチも考えてくれると嬉しい。この暑い中、ウザったい女に、付き合っている、俺の。


「凪月さんも、そういう目でみているんですか?」

「は?」

「イヤらしくてスケベでえっちな目」

「い、いや俺は……」

「ん?」


 わざとらしく顔を近づけてくる聖良。

 なんでこいつ汗かいてるくせにこんないい匂いすんのもうマジ意味わからん近い近い近い。


「そ、そりゃあまあ、みるんじゃねえのぉ!? 球技大会なんて男子にとってはそのためにあるようなもんだっての!」


 ぶっちゃけた。


「そうですか。じゃあ頑張らないとですね」

「あ?」

「凪月さん――――いえ、せんせーの視線を独り占めする活躍をしますので、お楽しみに」


 聖良が力強い笑みを浮かべると同時に心地よい涼風が吹いて、俺たちは2人ならんで腰を下ろしたのだった。


「せんせーも頑張ってくださいね、球技大会」

「いや俺は頑張るも何も」


 どうせ負ける予定の男子サッカーである。

 むしろ聖良を育てることで女子サッカーを戦えるようにした俺は、それだけでも称えられるべき存在ではなかろうか。


「応援してますから」

「はぁ……」


 やっぱりやる気とか、ないよなぁ。今更。だから、応援なんていらない。

 さっきも言った通りだ。

 テスト後の疲れを女子の健康的な体操着姿で癒す。

 俺にとって球技大会とは、そのためのイベントなのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ