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幼馴染のターン

 -1-



 昔、俺にはモテ期というものがあったように思う。

 周りの同年代より少しだけ聡く、身体の成長も早くて運動もできた俺はそりゃあもう天狗になっていた。


 誰より勉強ができた。

 サッカークラブでは上級生でさえねじ伏せた。


 神童などと持て囃され、大人にだって負けることはないと思っていた。


 そんな世間知らずのガキ大将が、同年代の女子には思いのほか好評だったのだ。


 だから異性との交友関係に悩むことなどなかったわけなのだが、それが恋愛となると話はべつだ。

 あの頃は色恋になど興味はなかったし、男友達と遊んでいる方が楽しかった。

 どれだけの女子が寄ってこようと、追っ払っていた。


 要するに、多くの人間がそうであるように、女子たちの方がちんけな俺なんかより精神的な成長が早かったのだろう。

 しかしそれでも、ずっと俺の隣にいようとした女が一人いた。


 それが、高峰聖良たかみねせいら。

 幼稚園の頃はそれこそ仲睦まじく、毎日一緒に遊んでいたのだろう。

 だけどあの頃の俺にとってはやはり、彼女も煩わしい存在だった。

 なにせ聖良はドン臭く、頭も悪くて、顔だってとても可愛いとは言えなかった。

 一緒にいると、そんな聖良と俺が付き合っているんじゃないか、などとクラスメイトに囃し立てられるのがすごく嫌だった。

 だから俺は気づけば、聖良と距離を取るようになっていたんだ。


「ま、待ってよ、なつくん。私も一緒に行きたいよ……」

「付いてくんなって。どっか行けよおまえ」


 そう言って、突き放した。

 だけど聖良は一向に俺から離れようとしない。


「なつくんっ、今日は一緒に、遊んでくれる?」


 そんな彼女がウザったくも、追い払いきれない日だってたまにはある。


「…………ちっ、仕方ねえな。みんなが来たらどっかいけよ?」

「うんっ、なつくんと遊ぶの久しぶりで、うれしいっ」


 聖良は感情をはっきりと伝えてくる。


「がんばれ、がんばれ。なつくん、がんばれ~っ」

「いやおまえも手伝えよっ。てかなんで俺が砂遊びなんか……」


 文句を垂れながらもペチペチと砂を固めて、砂の城を建設する。


「だって私がやったらなつくんの邪魔になっちゃうよ……」

「楽しくないだろ。そんなことしてても。何も意味ないし」

「ううん。たのしいよ。私、なつくん応援するの、好き。サッカーのときだっていつも、たくさん応援する。応援、だいじ」

「……ふん」

「えへへ……」


 やっぱり素直な聖良は柔らかに笑って、俺は渋々と手を動かす。聖良といると、こんなことばかりだった。

 本当に、何が楽しいんだか。

 でも非情になりきれなくて、結局聖良といることを許してしまう自分に嫌気がさした。聖良と遊ぶ時間を、悪くないとも一瞬でも思ってしまう自分にもだ。


 そんな日々が続いて、苛立ちは募っていった。


 ある日、聖良がこんなこと言った。


「なつくん、私、私ね、なつくんのことが好きだよ……っ! なつくん、大好き……! ずっと一緒にいたい……!」


 拙くて、あまりにも幼い告白。

 しかもそれは、友達みんながいる前で。


 もちろん、途端に辺りは大騒ぎだ。

 散々に茶化された俺は、恥ずかしいやら怒りが湧いてくるやらで、聖良の手を取ると無理やりに引っ張ってその場を後にした。


「な、なつくん……待って。待ってよ……! 走るの、早いよぉ……おてて、痛いぃ……」

「っ……くそっ」

「きゃ……っ」


 手を放すと、聖良は勢いのまま躓いてすっ転んだ。

 闇雲に走って辿り着いたのは、子供の間でも一度は話題に挙がったことがある近所の告白スポット。


 恋人岬。

 

 街としてはフィーチャーしたいようだが、たいして人がいることもない寂れた場所だ。


「痛いよぉ……なつくん……」

「おまえさあ、いきなり何言ってんだよ!?」

「ふぇ……なつく……ん?」


 泣きじゃくる一歩手前の聖良に、俺は容赦なく怒鳴り散らした。


「わ、私……私はただ、その……なつくんにコクハク、したくて……。好きな人にはそうするんだって、その、ご本で読んだから……」

「本!? 告白!? なんだよそれ! だからって今することじゃないだろ!? 笑い者にされたのは俺なんだぞ!?」


 子供の頃というのは、男女のペアでいるのが恥ずかしいもので。告白なんてものはその最たるものだ。

 自分はどんなことも完璧にこなせる。

 くだらない自尊心に呑まれていた俺にとっては、クラスでの自分の立ち位置が何よりも重要だった。


「ふぇ……だ、だって私……その、え、えっと、ね……私、今度、ね………………しちゃうから、もうなつくんといっしょにいられ…………」

「ああ!? 声ちっさくて聞こえねえって! もっとはっきり喋れよ!」

「う、うん……ごめん。ごめんね……その……その、ね、……うぇ、うぇぇぇぇん……」


 必死に言葉を繋ごうとしていた聖良だが、あの頃は気弱だったこともありついには泣き出してしまった。

 そこでやっと、頭が少し冷えた俺は聖良に駆け寄る。


 どんな暴君も――――いや、バカな子供も、女の涙には弱かったらしい。


「お、おい泣くなよ。泣くなって」

「うん。ごめんね、ごめんね」

「謝るな。もういい。もういいから。早く泣き止め」

「うん……」


 それから泣き止むまで、俺は聖良をあやした。


 泣き止むと、聖良は少し期待した様子で視線を向ける。


「なつくん、なつくん」

「なんだよ」

「お、お返事、まだ聞いてないから」

「はあ? 返事?」

「こ、コクハクの、お返事」


 まだ言うのか、コイツは。そう思った。

 ここで俺はもう一度、バカをする。


「わ、わたし、なつくんのことが好き。なつくんは? なつくんは、せーらのこと、好き?」


「ふ、ふざけんなよっ。お、おまえを好きとか、そんなことあるわけないだろ! おまえなんか、バカだし、デブでブスだし、その上地味子じゃん! どうやって好きになんだよ! おまえのことなんか、大嫌いに決まってるだろ!? っ、――――あっ、い、いや、聖良? 今のは……」 


 この時ばかりは、俺もやってしまったと、幼いながらに気づいたのだ。

 言うべきじゃないことを口走った。

 このときの俺が聖良に恋心を抱いていなかったのは事実だと思うのだが、あの年にしてはまともな考え方が出来る方であったはずの俺には、もっといい選択肢があったはずなのだ。もっと言葉の選びようがあったはずなのだ。

 しかしそのためには、心の成長が取り残されていた。


「ごべ、ごべんなさい……そ、そうだよね……なつくん……私のこと嫌いだよね……」

「い、いやそれはさ……」

「ごめんね、ごめんね……」

「だから謝るなって! くそ、めんどくせえなあ! お、おまえはその……あれだよ! 幼馴染ってやつだ! 母ちゃんがそう言ってた!」

「おさな、なじみ……?」

「ああ! だからその……好きとか、ちげえけど! でも……ああその……えっと、だからさあ!」

「なつくん……?」


 その後、自分が何を口走っていたかは覚えていない。

 聖良はずっとずっと、泣いていた。

 俺の言葉なんて、何一つ届いていなかったかもしれない。

 でも、必死にフォローしようとしたのだとは思う。それが何の役に立ったのかは知らないが、確かなことがただ一つ。

 この日からまもなくして、聖良は隣の小学校へ転校した。

 それだけ分かれば、俺には十分だった。


 当然のことながらそれ以降、連絡のひとつも取ったことがない。


『告白してみましょうか? あなたが、私に』


 ざけんな。出来るわけないだろ。資格がない。意味もない。

 そもそもおまえ、彼氏いるとか言い残しやがって。くだらない。 

 

 だから。

 だからさ。


 俺たちの間に、物語なんてあり得ない。


 ましてやラブコメなど、決してあってはならないのだ。



 ◇◆◇



「おはよう青山」


 週明けの朝。

 クーラーの冷気がまだ行き渡っていない教室には着々とクラスメイトたちが集まり始めていた。

 そんな中、自席で夏の暑さと先日の件もあって項垂れ尽くしていた俺に話しかけてきたのはクラスメイトであり友人のひとり、霧島大気きりしまたいき。

 穏やかで物腰柔らかく、いつも微笑みを浮かべる学年一のイケメンにして、らっきょうが大好物で常に食べ歩いているという学年一の残念イケメン。

 顔だけでモテはするものの、キスに至る頃には女子の方から逃げていくのは言うまでもない。


「……うっす。相変わらず臭いな霧島。ちょっと離れてくれる?」

「あのねえ青山、開口一番それは僕だって傷つくんだよ?」

「だったらそう言われないように努力しような」

「それは無理かな。あ、青山も食べる? 食べてしまえば僕の匂いも分からくなると思うよ?」

「全力で遠慮する」


 霧島はイケメンだからこそ奇行がギリギリ許されているのだ。俺が教室でらっきょうパンデミックを起こしていたら女子からの殺意は免れない。


「マスクしろマスク」

「はーい」


 素直にマスクを装着する霧島。

 これで口臭が抑えられるのは良いのだが、余計にイケメン度が上がって騙される女子が増えてしまうのが憐れだ。どちらにとっても。


「で? 今日はどうしたの? 朝から機嫌悪そうだけど」

「暑いからだろ」

「またナンパに失敗した? しかも今回はなかなかの大物を逃したとみた。けっこう本気だったのかな」

「うぐ……ち、ちげえよ」

「当たりかー。まぁまぁ、元気だしなよ。ナンパなんてわざわざ頑張らなくても、街へ出れば女性の方から寄ってくるんだから」

「黙れラッ狂」

「まぁ、僕の場合はそこからが問題なんだけどねぇ。どうしてみんな逃げちゃうのかなぁ。らっきょう、美味しいのに」


 言いながらもたいして気にした様子ではなく、霧島はらっきょうを頬張る。 

 恋愛に興味がないわけでもないだろうが、同種のモンスターを見つけるまでは気楽にやるスタンスなのだろう。

 きっといつか、お似合いのニンニク女とかが見つかるさ。


「あ、そうそう。失恋したての青山にとびきりの情報があるよ」

「失恋してない。が、なんだよ情報って。合コンでも組んでくれんの」

「今日、このクラスに転校生が来るんだって」

「転校生ぇ? こんな時期に? なんで?」

「さあ。詳しいことは知らないけどね」


 季節外れの転校生か。

 いかにもな展開だ。これで男子生徒の主人公枠がやって来るとかは勘弁してほしいが、美少女転校生であれば俺にも可能性がある。

 嫌なことはさっさと忘れて切り替えたい。そのチャンスだ。


「あ、それあたしも聞いたわよ? けっこう噂になってるし」

「お、七瀬か。おっす」

「ちゃおちゃお~、青山、それに霧島も」

「おはよう七瀬ちゃん」


 気さくに会話へ入ってきたのは七瀬里桜ななせりお。

 亜麻色の髪のハーフアップが特徴的なこのクラスの学級委員だ。文武両道、才色兼備、八方美人で我らが柏原高校のアイドル的存在でもある。


「で、女か? 女だな? 女なんだろ? そうだと言ってくれ。俺、七瀬ちゃん信じてる」

「え? なに? なんでそんな食い気味なのよあんた……」 

「青山はまたフラれてご乱心なんだ」

「にゃーんだそういうこと……くだらにゃーい」

「くだらなくねえしフラれてねえ! そもそも、おまえらが枯れてんだよ!」

「なにおー? 枯れてませんー。あたしは、今の学校生活が充実してるんですー」

「けっ。はいはい。これだからモテモテのアイドル様はいいですね。作ろうと思えば恋人なんか一瞬だもんな。俺と違って余裕ですよねー」

「はあー?」

「事実だろ」

「ムカつくー。コイツ蹴り飛ばしていーい?」


 七瀬がほどよく引き締まった美脚を振り上げる。


「まぁまぁ、落ち着きなよ二人とも。それって、七瀬ちゃんは彼氏作るよりも僕たちと一緒にいることを優先してくれてるってことでしょ? とっても嬉しいことじゃない」

「はあ!? ちょ、霧島!? あんた何勝手に解釈してんのよ!? そんなこと誰も言ってなーい!」

「赤くなっちゃってー。七瀬ちゃんは可愛いなぁ。青山もそう思うでしょ?」

「ん、あー、そうだなぁ。可愛い可愛い。俺たちの紅一点マジ感謝」


 蹴られるのは嫌だし、苛立ちをぶつけてしまった節もあるので霧島の目配せに合わせる。

 霧島とふたりで褒め殺し大勢だ。中学からの付き合いの俺たちはお互いの扱い方を心得ている。


「ふ、ふんっ。なによ二人して。都合のいいことばっかり。可愛くなーい」


 七瀬は最終的に満更でもなさそうに真っ赤な顔で鼻を鳴らしたのだった。


「それでだいぶ話は逸れたけど、七瀬ちゃんは転校生についてどんなことを聞いたの?」

「あ、うんそれなんだけどね? 女の子よ、転校生」

「女キター! ひゃっほーい! 俺の時代だー!」

「うっさい」

「へぶしっ」


 顔面にグーパンを食らった。

 どうせなら蹴る方にしてくれ。パンチラチャンスあるから。


「転入試験がすっごい優秀だったってうわさよ」

「なるほど才女か。俺にピッタリだな」

「あと、まぁ……あんたの思惑通りみたいで癪だけど、美人だってよ? 事実かどうかは保証しかねるけど」

「はは。よかったね青山」

「ちょっと身だしなみ整えてくるわ」

「なにそれ。バッカみたい」


 七瀬の罵倒を背に、俺はウキウキで教室を後にした。


 人生には波があるという。

 俺の場合、子供の頃、非常に不本意だったがモテ期があったように思う。

 そこが上振れ地点。その後は至って平たん、緩やかな下降を続ける道のりだった。

 それが先日、突如ゲージが振り切れるほどの不幸に出会った。


 もう一度言うが人生には波があり、幸不幸はコインの表と裏のように一定の確率の中で巡り巡ってくるものだ。

 だから次は、俺の元へ最高の幸運が舞い込んできて然るべきだろう。


 感謝するぞ聖良。

 おまえという不幸に再会したことで、結果として俺は幸運を引き寄せることに成功した。

 もう会うこともないだろう。それがお互いにとっても最良に違いない。

 未だ消えないこの感情もいずれは薄れてゆく。

 絶世の美女である転校生が洗い流してくれる。


 グッバイフォーエバー幼馴染。

 

 俺の青春は、ここからだ――――!!!!


 で、


「篠崎聖良しのざきせいらと申します。どうぞよろしくお願い致します」


 その転校生――――篠崎聖良と名乗った少女がぺこりと丁寧に頭を下げると同時、教室は歓声に包まれた。


 まあ、美人だもんな。絶世の美女と言ってもいい。

 みんなのアイドル七瀬ちゃんの言葉に間違いなどない。


 教師に促され、彼女が教壇から席へ向かって歩き出す。

 その席は、ウソだと言って欲しいが俺の隣。


「あら、凪月さん……ですか?」


 わざとらしいにも程がある第一声。


「まさかこんなにも早く再会できるなんて……しかもお隣さんだなんて。これってもしかして運命、だったり? 私、とっても嬉しいです」

「……は」

「わからないことがいっぱいなので、色々、教えてくださいね?」

「はああああああああああああああああああああ!?!!??」


 聖良は本性を現す前と同じ、天使のような笑みを浮かべる。

 こんなにも、現実が夢であればいいと思ったことは初めてだった。


 

 ◇

 

 

 休み時間になると、転校生といえばの定番イベントとでも言うべきか、聖良はすぐさまクラスメイトたちにもみくちゃにされていた。


「ねえねえ篠崎さん! 碧邦学園からの転入って本当!? すっごいお嬢様校だよね!?」

「はい、その通りですね。といっても、こことそこまで変わりはしませんよ?」


「どうして転入したのー?」

「それはお家の事情、ということでお願いします」


「敬語なんていいよー。もっとフレンドリーに、ね?」

「そうですか?」

「うんうん!」

「それでは。うん。じゃあ、こんな感じでいいかな?」

「いいよいいよーすっごく距離が縮まった感じ!」

「そうかな……ちょっと恥ずかしいね……♪」


「篠崎さん! 篠崎さん!」

「彼氏! 彼氏はいるのー!?」

「教えてー!?」


「ええ~……どうしようかなぁ……」

「そんな勿体ぶらないでよ~」

「うーん、彼氏はぁ……いー……、やっぱり秘密♪ だって恥ずかしいもん♪」


 そいつ、ばっちり彼氏いるらしいですよ。必死に聞き耳立ててる男子諸君、残念だったな。

 教室の隅というの名の圧倒的陰キャポジションで、遠巻きに状況を見つめながら心内で呟く。

 

「どうしたの? こんな隅っこで。朝の感じなら真っ先に飛び付くと思ったのに」


 隣にやってきた霧島が怪訝そうに聞いてくる。


「べっつにー。ちょっと気分が乗らないだけだ」

「ありゃ、また機嫌悪くなってるねえ」

「そんなことねえし」


 この世界のあり方と運命とやらについて疑問を持ち始めているだけだ。

 神との対談を所望したい。そして殺す。


「さっきの奇声と関係ある? てっきり歓喜の声かと思ってたけど」

「べっつにー。ちょっとカメカメ波が出せる気がしただけだしー?」


 とにかく、これ以上聖良と関わることはしたくない。

 あちらから来ない限りは無視を決め込むつもりだ。


 そもそも、本来俺は陰キャだしな。クラスでは影の薄い存在だ。

 ナンパは外の姿。

 ここでは目立つことのない一生徒。それでいい。


「あ、そうだ! 歓迎会しようよ歓迎会!」

「はいはいそういうのはまず、いいんちょに確認〜」

「ねね、いいよね委員長~!」

「はあ? いや、そんないきなり言われてもにゃー……」


 聖良周りの一団から、少し離れて事態を見守っていたこのクラスの委員長・七瀬里桜へお声がかかる。

 七瀬のコミュニケーション能力をもってして完璧な調和が保たれているこのクラスでは、何をするにも七瀬の意見を仰いでからというのが暗黙のルールだ。


「森園の家、使っていいからー! 夜ならたぶん貸し切りできると思うー!」


 歓迎会の提案者であるクラスメイトが、ぴょんぴょんと跳ねながら手を挙げる。

 どうやら実家が洋食屋を経営しているらしい。


「お、いいね〜。森園んちのオムライス食べたーい」

「ちょっと待ちなさいってばあんたたち」

「えー!?」

「まだ篠崎さんの予定を聞いてないでしょー?」


 七瀬はクラスメイトをなだめつつ、聖良の前へ進み出た。


「篠崎さん。私はこのクラスの委員長をやってる七瀬里桜。何かあったら基本的にはあたしに言ってくれていいから。よろしくね」

「篠崎聖良です。こちらこそよろしくね。えっと、七瀬さん」

「里桜でいい」

「では、里桜ちゃん。私も聖良でいいよ」

「わかったわ、聖良。それで、聖良さえよければ今夜にでも歓迎会をやろうと思うんだけど、どうかな?」

「それはもちろん――――と言いたいところだけど、一つだけ条件が」

「条件?」


 七瀬が聞き返した直後、なぜか聖良がこちらへ視線を投げた。


「あ……?」


 そして、ニコッと笑みをつくる。

 それは可愛らしいことこの上ないはずなのに、冷や汗が出来そうなほどに寒気がした。


 それから、聖良は一切迷うことなくこちらへ歩いてくる。

 同時に何事かとクラスの視線が寄せられた。


「な、なんだよ」

「今日、みなさんが私の歓迎会をしてくれるそうです」

「そりゃよかったな。せいぜい楽しんで来い」

「はい。凪月さんが一緒に参加してくれるなら、ですけどね?」

「いや俺は行かないって」

 

 誰がおまえを歓迎しているというんだ。


「凪月さんが来ないと、主役の私も不参加でみなさん困っちゃいますね?」


 クラスメイトたちは俺と聖良の関係を一切理解していない。

 だけどその瞬間、クラスメイトが聖良の味方に付いたということは分かった。

 明確な理由も提示せずに友好的な新メンバーを歓迎しないなど、クラスにおける反逆に等しい。


「あのなぁ……」

「ん? なんでしょう?」

「うぐ……ぐぬぬぬぬぬぬ……」


 いよいよもって有無を言わさない聖良の笑顔と背後のクラスメイトの圧力に負けようかという頃、次の授業を告げる鐘が鳴る。


「あら残念。授業ですね」


 聖良は優等生らしく引き下がり、俺は解放されたのだった。



「ちょんちょん。ちょんちょん」


 授業中。俺は隣席の女からしきりに妨害を受けていた。

 ずっとシャーペンで脇腹を突かれているのだ。

 

 聖良は俺以外に聞こえないよう小さな猫撫で声で話しかけてくる。


「凪月さーん。無視しないでくださいよー。ねーえー」

「……五月蠅い」

「あ、反応した。さっきのこと、考えてくれました? 歓迎会。了承してくれないと、凪月さんが悪者になっちゃいますよ?」

「授業に集中しろ」

「私はちゃんとノート取ってるし、先生のお話も聞いてます。むしろ集中出来てないのは凪月さんでは? さっきから手、動いてないです」

「誰のせいだ誰の」


 すべての元凶のくせして、聖良は悪びれた様子も見せない。


「凪月さん凪月さん」

「……なんだよ」

「こうしていると、授業中にいちゃつくカップルみたいですね」

「…………」

「なつくんとお隣で授業を受けたことってなかったので、新鮮です。ちょっと楽しんじゃってるかも」

「…………」

「うるさくしてごめんなさい。興奮しちゃってるんです。この場にいられるのが、とってもとっても、嬉しいんです……♪」

「…………」

「しばらくは、我慢してくださいね?」


 無視を繰り返していると、そのうちに聖良の独り言は終わった。

 どこまでが本心で、どこまでが偽りなのだろう。もしくは、すべてがウソなのか。

 とにかく、このままでは俺の高校生活がめちゃくちゃにされる。

 聖良をどうにかしなければ、彼女作りどころではない。


「おい」

「はいなんでしょう。しりとりですか? いいですよ。この授業、ちょっと退屈ですもんね。聖良ちゃんはドンとこいです」

「ちょっと話がある。放課後、屋上に来い」

「わお」


 聖良は大げさに開いた手を口に当てる。


「大胆。遅れても怒らないでくださいね。乙女には準備があるので♪」

「言ってろ」


 口約束を取り付け、その後の授業は滞りなく進んでいった。



 ◇



「来たな」

「緊張しすぎて逃げ出したいのも山々でしたが、他でもない凪月さんのお誘いなので♪」


 約束通り、クラスメイトに悟られぬよう集まった屋上。

 聖良は何か勘違いしているようだが、もちろん告白するために呼び出したわけはない。


「屋上で逢引きなんて初めてです。誰かに見られちゃったりしていませんか?」

「――――もう俺に関わるな」

「え?」


 聖良はきょとんと驚きで喉を鳴らす。


「なぜ? 私のこと、好きなのでは?」


「もう十分だろ。お互い関わるのはやめよう。関わるべきじゃない」

「転校生の私は、幼馴染のなつくんしか頼れる人がいないんですよ?」

「クラスメイトがいる。楽しそうに話してただろ」

「私、人見知りなので」

「昔はともかく今はもう違う」

「そんな。そんなそんな。人の本質なんてそう変わりませんよ。経験と技術で会話しているにすぎません。内心はいつだってそわそわビクビク。心を許せるのは、今も昔もなつくんだけ」

「嘘つけ」

「私にはなつくんしか……いないんですよぉ……」


 甘えるように蠱惑的な囁き。

 昔と今を絡めて話す聖良の言葉は、幼馴染である俺にとってどんどん曖昧なものになっていく。疑念が渦巻いてゆく。

 この縋るような表情も、絶対にウソだと思うのにその確証が持てなかった。

 それ付け加えて、幼馴染ではない「聖良ちゃん」に頼られるのを喜ぶ都合のいい男が心のどこかにいるのだ。


「なーんて。冗談はこれくらいにしましょうか」


 聖良はぺろっと可愛らしく舌を出す。


「お、おう」

「ドキドキ、しました?」

「してねえ」


 聖良はからかうように笑いながら美しい黒髪を屋上の風に揺らすと、話を進めた。


「まぁ真面目な話、クラスメイトでありながら関わらないというのは不可能ですし、それこそ不自然です」

「……それはまぁ、そうかもな」


 特にウチのクラスは七瀬を中心に全員の仲が良い。まとまりのあるクラスだ。あの様子なら聖良もすぐに溶け込むだろう。

 そこで俺が聖良に対して全く協調性のない態度を示していれば、それは間違いなくクラスで浮いた存在となる。

 七瀬にも迷惑をかけるかもしれない。

 数年に渡り仲良くしている手前、彼女の足を引っ張るような真似をしたくはなかった。


「不自然が続けば、いずれ私たちの関係を勘ぐる人間も現れるでしょう。そうなれば最終的にクラスで立場を悪くするのは凪月さんの方なのでは? それは嫌でしょう?」


 それも悔しいがその通りに思えた。

 昔が知れれば、聖良はこっびどくフラれた可哀想な悲劇のヒロイン。

 俺は特に格好いい主人公でもないくせして女の子を泣かせたヒールだ。

 今にしてみても聖良をナンパしたことが知れれば、何らかの理由で気まずい状況になっていることは簡単に推測される。

 それでも仲よくしようとしてくれる優しい転校生を跳ねのける俺はやっぱり、クラスの調和を乱す悪者でしかない。


「まぁまぁ、いいじゃないですか。過去のことは水に流して、仲よくしましょう? 聖良ちゃんのことが大好きな凪月さんは、心の奥底でそれを願っているはずです」


 聖良は握手を求めて、女の子らしい小さな手を差し出す。


「私だって、凪月さんと仲良くしたいのです。至ってふつうの友人関係を、ここで築いていきましょう。そうすればいつかは、満願成就の日が訪れるかも♪」


 聖良は俺の手を強引に取ってしっかりと握ると、満足したように背を向け歩き出した。


「これで仲直りですね♪ さ、歓迎会へ向かいますよ。道案内お願いしまーす」


 納得いかない。納得するわけがない。

 しかし俺が何を言っても、彼女は聞く耳を持たないのだろう。

 その上、思い通りにならなくて安心している俺もやっぱりどこかにいる。

 握られた手の温もりを噛みしめている。


 俺は以前として、聖良の掌上で踊るばかり。

 どこまでいっても、その胸中は読めないままだった。


 ◇


「あ、このオムライス美味しい」

「でしょ~? ウチで一番人気なんだから!」

「しかもしかも、この子のクラスメイトだとおじさんマけてくれるから~。おすすめだよ~」

「そうなの? ふふっ。それなら私も通っちゃおうかな」 

「ぜひ来てよ! 待ってるね!」


 笑い声の絶えない会場。

 幹事七瀬による歓迎会はつつがなく進行していた。

 幸い常にクラスメイトに囲まれる聖良とは会話する暇もなく、俺は会場の端で飲み食いしていればいいだけの簡単なお仕事。

 聖良とて、今はクラス内の地位確立に必死だ。俺のことを構う様子は見せなかった。

 昔は、俺の後を金魚のフンが如くつき纏っていたくせに。たとえ突き放そうと、しがみついてきたくせに。

 聖良は本当に変わったのだ。

 俺の思い違いでなければ、昔の告白が原因で。

 それは聖良にとって転機でもあったのだろうか。

 しかし彼女が少なからず俺に対して負の感情を抱いていることは間違いないはずだ。それ以外に考えられない。そうでなければ、こんなことにはなっていないのだから。


 それにしても聖良のやつ、俺にだけ他人行儀な敬語のままなんだよな。

 やはり何もかもが不可解だ。


「人気だねえ、彼女」


 隣の霧島が見つめる先にはやはりクラスメイトの過半数以上に囲まれる聖良の姿。天使のような笑みを見せながら見事に応対を続けている。

 ここまでくると化けの皮もたいしたものだと思えてきた。

 

「さすがの青山もこれじゃ隙なしって感じ?」

「そうだな。俺なんかじゃとてもとても」


 大げさに手を振り、興味がないことをアピールする。


「あら、そうなの? 聖良の方はあんたにちょっとは興味あるみたいだったじゃない?」


 ドリンクを持った七瀬がクラスの輪から離れてこちらへやってきた。彼女もまた、聖良に負けず劣らずこのパーティーの中心で、忙しそうに会場を駆け回っている。


「お疲れ、休憩か?」

「ありがと。まぁそんなとこ。それで? あんたら知り合いなの?」


 七瀬は気軽に空いている席へ座りながら、霧島がここまであえてスルーしていたであろう質問を容赦なくかましてくる。


「いや? 初対面」

「そうよね。あんたたちに接点とか全くなさそうだし。月とスッポン?」

「それなー。まあ大方、教室の隅っこ暮らししてたお隣さんが憐れになったんじゃないか? お優しい姫様だ」

「まぁ、そんなところよね」

「そんなもんだよ」


 ある程度の納得がいったようで、七瀬はすぐに興味を失ったようにテーブルの料理へ視線を移したのだった。



「だーれだ♪」

「はぁ?」


 歓迎会が終わると、夏といえど陽は完全に沈んでいた。

 その帰り道で、他のクラスメイトと別れひとりになった頃、背後の襲撃者に視界を奪われる。


「はーやーくー。答えてくださいよー。この態勢……ちょっと……つら……凪月さんおっきぃですよぉ……」


 つま先立ちになっているらしい襲撃者はこちらの背中に寄りかかる形で、豊満な胸が押し付けられている。


「辛いならやらなきゃいいだろ……」

「いいですからー。役得でしょー? だーれだー。ヒントはー、凪月さんのー、大好きなー」

「聖良だろ。さっさと手をどかせ」

「あら。認めちゃいました。でもごめんなさい。そういう告白の仕方はちょっとズルいのでトキメキません。ノーカンということで。こう見えて私はもっと直球勝負が好みですよ♪」

「はいはい言ってろ」


 背後から姿を現すと、聖良は自然に隣へ並ぶ。肩が触れ合わないギリギリくらいの距離だ。

 わざわざ俺を追いかけていたのだろうか。

 当然ながら聖良は俺の家を知っているため、ストーキングも難なくこなせたことだろう。


「何しに来た」

「もう少しお話したいなと思いまして。ほら、歓迎会では構ってあげられなかったので拗ねちゃったかなぁって」

「はっ」


 俺からしてみればむしろ有難いの間違いだろう。


「凪月さん、変わりましたね」

「そりゃこっちのセリフ」


 それは聖良自身がはっきりと自覚しているほどに。


「昔は逆でした。あなたが真ん中で、私が隅っこ」


 懐かしむように語りながら、聖良は夜空を見つめて手を伸ばす。

 

「あの一等星のように輝くあなたに、かつての私は憧れ、その星に、この手で触れてみたいと願ったのです」


 暗闇でよく見えないが、珍しく聖良の顔には笑顔が張り付けられていないように見えた。


「何が、あなたを変えましたか?」

「さあ、なんのことやら」

「答えてはくれませんか。でも……」


 それから、ようやく笑う。


「私は、今のあなたも嫌いじゃないですよ。見栄を張らない、自然なあなたです」

「はぁ」

「でも、同時にムカつきますけどね♪ 殴っていいですか?」

「なんだよ、それ。少しはいい話ふうだったのに」

 

 意味が分からない。

 聖良が変わったように、何年も時間が経てば人は少なからず変わる、当たり前のことだ。誰しもそこに大きな要因があるわけではない。


「さあ、面倒くさいお話はこの辺で終わりにしましょうか。これからどうします? どこかお店に入りましょうか。それとも凪月さんの家でお泊り? 夜遊びなんてテンション上がっちゃいますね~♪」

「ざけんな。帰れ」

「え~、もっと一緒にいましょうよ~」

「い や だ」

「むぅ~……あ、じゃあじゃあ家まで送ってくださいよ。私の家、ここから逆方向なので」

「ヤだよ面倒くせえ」

「何を言ってもイヤイヤイヤイヤ。そんなんじゃモテませんよ?」

「べつにおまえにモテたくない」

「そんなこと言って、この前はとってもとっても紳士だったのに」

「五月蠅い。彼氏持ちの癖してナンパにホイホイついてくビッチが。てか彼氏に送ってもらえよもう」

「あ、それいいですね。そうします」

「え?」


 適当な思い付きだったのだが、聖良はすぐさまスマートフォンを取り出し、通話を始めたのだった。


 そして、


(本当に来やがったよ……)


 彼氏は思いのほかすぐにやってきた。

 2人は何やら仲睦まじそうにゴニョニョと俺には聞こえない声で話すと、こちらへやってくる。


「パンパカパーン。こちら、私の大大大好きな彼氏、まーくんです」

「雅史まさしです。……よろしく」

「まーくん、いつも話してるから分かると思うけど、こちら私の初恋の幼馴染、青山凪月さん」

「よろしく……」


 なんだこの会合。

 気まずいにもほどがある。この中で楽しそうに悪戯な笑みを浮かべる聖良の精神構造が分からない。

 雅史……くんも非常に複雑な表情だ。顔はかなりのイケメンだけど、幼い。俺たちより一つか二つは年下だろう。

 この状況を思うとなんだか少し、彼が可哀想になる。


「ほらほら二人とも、何か言わなくていいんですか~? 恋敵ですよ、恋敵!」


 煽るなよ。

 彼氏をフォローする気は微塵もないらしい。

 俺たち、篠崎聖良被害者の会として仲良くできるのではないだろうか。

 

「あの」


 雅史くんがしわがれているかのような低い声で口を開く。


「あ、はい。なんでしょうか」


 俺は俺で上擦っているし敬語だし。

 男ってこういう時、不器用でコミュ障だ。距離の詰め方が下手とでも言おうか。


「やめてくれませんか、――――せ、聖良に近づくの」

「いや、寄ってくるのはそちらの彼女さんでしてね」


 雅史は忌々しそうに眉をひそめる。

 まぁ、そうなるか。被害者の会、儚い夢だった。

 そして俺、なぜかモテ男っぽい台詞。やっぱヒールじゃん。実際はそうでもないはずなのに。

 

「もし……もしそうだとしても。あんたがはっきり拒絶すればいいだけでしょう」

「ああ、そう。まぁ、そうね」

「聖良は俺の彼女ですから」


 その通りすぎる!

 なんだよこの修羅場ほんとやめてくれよぉ……帰りたい。

 心の中でおちゃらけたくもなるというもの。


 緊張が走る中、聖良だけは忍び笑いを堪えるのに必死な様子だ。本当にいい性格してやがる。


「じゃあ、聖良は俺が送りますから」

「よろしくね、まーくん」


 雅史は慣れた動作で聖良の肩を抱く。


「ではでは。今日はありがとうございました、凪月さん。また明日、です」


 2人はまさに恋人の距離感で触れ合いつつ、夜道に消えていった。

 暗闇の中、ひとり取り残される。


「くそっ」


 思わずそこらの小石を蹴っ飛ばすと、野良猫に威嚇された。


「なにイラついてんだ、俺……」


 聖良に彼氏がいようと知ったことじゃない。むしろ雅史くんのこの牽制は聖良から離れたい俺に都合がいいはずだ。

 それなのに、心はモヤが掛かったように落ち着かなかった。


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