最悪の再会
-プロローグ-
「あ、すみません。こちら落としましたよ」
7月の日差しが照り付ける駅前で、ハンカチを落とした黒髪少女の後ろ姿に声をかける。
今日はナンパをするためブラついていた俺だが、そこまでは邪な気持ちなど一切ない親切心。
それもそのはず、まだ顔を見ていていないのだから当然だ。
ここ一年でナンパ(失敗率100%)の経験値だけはレベルマしている俺からすれば、女性の後ろ姿だけを見てナンパするのは非常にリスキーと言える。
意気揚々と気合を入れて声をかけてしまったが最後、そこにいるのは世にも恐ろしいクリーチャーかもしれないのだ。
まったく、思い返すだけでも忌々しい。
だから、この瞬間まではまだ善行の一環。
「あっ……」
「え……?」
少女が振り返ると同時、お互いの顔を認識してそれぞれに声が漏れ、瞳を見開いた。
口をぽかんと開けた少女の感情は読み取れないが、俺のは単純な驚きだ。
なぜって、彼女が美しかったからに他ならない。
見たところ、年は俺と変わらないくらい。高校生だろう。
正面から見たその顔立ちは端正に整っているが、どこか子供っぽいあどけなさを残しているのが可愛らしい。
後ろ姿からでも十分に窺えていた長く伸びる黒髪は麗しく艶やかで、風になびくのを見ているだけで心が洗われるようだ。
ペールトーンの淡いワンピースは夏らしく爽やかで、清涼感を生み出している。
シンプルながらもまとまったファッションが清楚な雰囲気を醸すと共に、大人っぽい色気をも演出し、もはや芸術的にさえ思えた。
手足はスラっと伸びていて、ゆったりとした服の上からでも主張を忘れない胸元からもそのスタイルの良さがありありと感じ取れる。
俺は思わずごくりと、生唾を飲んだ。
間違いない。
これは、当たりだ。
一目惚れなんて言葉は信じちゃいないが、もしこれがそうだというのなら頷くのも致し方ない。
「……っと、このハンカチ、キミのだよね。落としていたよ」
お互いに黙ってしまっていたことに気づいて、俺は今となっては手段に変わろうとしている本来の目的を思い出す。
しかしハンカチを差し出しても少女は、俯きがちに黙ったままだ。
「あの? どうかした? もしかしてキミのじゃなかったかな? それとも具合悪いとか?」
落とすところは確かに見たのだが……。
そこでようやく、少女はふと我に返ったように顔を上げる。
「あ、い、いえ、大丈夫です。ハンカチ、ありがとうございます。助かりました」
ハンカチを受け取った少女はやんわりと人好きのしそうな笑みを浮かべたが、その後一瞬だけ考え込むように瞳を伏せる。
「……そっか。…………ないんだ」
「え? 何か言ったかな?」
「いえ、なんでも。それより、ハンカチを拾っていただき本当にありがとうございました」
少女は再度、丁寧に頭を下げる。
一瞬だけ暗い表情を見せたように思えたのは気のせいだったのだろうか。
「では、これで失礼しますね」
「あ、ちょ、ちょっと待ってっ」
背を向けようとした少女を慌てて引き留める。
危ないところだった。集中しなければ。
今は、ナンパだ。
俺はこの夏を絶対に可愛い彼女と過ごすんだ。
「なんでしょう?」
「あーえっと、その……」
少女は快く足を止めてくれたのだが、不思議と言葉が出てこない。
一年のナンパ経験はどこへ行ってしまったのか。これでは普段の口下手な自分と変わりない。しどろもどろに、鼓動だけは早くなる。
クソ。この機を逃したくはないのに。
「どうしたんです? あ、もしかして」
まごついていると、少女は少し悪戯な笑みを浮かべて上目遣いにこちらを見つめる。
慌てているはずなのに、そんな顔も可愛いなと思う悠長な自分が苛立たしい。
「もしかして、私をナンパしようとしていたり?」
「ふへ?」
時が止まった気がした。
そんな俺を見て、少女は一歩身を引く。
「あ、いえ。ごめんなさい。冗談です。そうですよね、そんなわけないですよね……あはは。忘れてください」
俺の反応を、見当違いと受け取ったのだろう。
自嘲するように、引きつった笑みを浮かべる。
しかしそれこそ、勘違い。
俺はまさに今、彼女をナンパしたいのだ。
こんな誘うような発言をされて黙っていられるほど、ナンパ小僧のお行儀はよくない。
このチャンス、絶対にモノにしてやる。
「あーその、もし良かったらなんだけど。こ、これから一緒にお茶でも……どうかな」
「え……?」
驚く彼女に、俺は精一杯の笑みを向ける。
するの彼女は少しだけ恥ずかしそうに頬を染め、「いいですよ」と小さく頷いた。
「お、おお……っ」
マジかよ。
やった。ついに俺の一年間のナンパ努力が実を結んだのだ。
感動に打ち震えるとは、まさにこのことを言うに違いない。
だけど、この時の俺は知らなかった。
浮かれる俺をよそに、少女はその完璧な微笑みの裏で高笑いしていたことだろう。
この瞬間、彼女による俺への復讐が始まった。
なんてことはない偶然と、神さまのくだらない思し召しによって、俺たち幼馴染は再会を果たしてしまったのだ――――。
◇
「俺は柏原高校2年の青山凪月。よろしくね」
あらかじめリサーチしておいた喫茶店に招待し、簡単なドリンクの注文を終えたところでまずは自己紹介を始めた。
「凪月さんですか。ちょっと女の子みたいな名前で可愛いですね」
「よく言われる」
昔はからかわれて、よくよく喧嘩に発展したものだ。今となっては美少女に可愛い名前と言ってもらえるとか最高の名前だ。母ちゃんありがとう。
「じゃあ、凪月ちゃん?」
「それはさすがに恥ずかしいかな」
「それではやっぱり凪月さんで」
「そうしてもらえると助かるよ」
「ふふっ」
少女はコロコロと鈴を鳴らすように笑う。その所作一つとっても、気品を感じられる。クラスの大口を開けて笑う女子とは大違いだ。
「では、今度は私の番ですね」
そう言って少女は居住いを正す。
「私の名前は、聖良。篠崎聖良と申します」
その名前聞いた瞬間、閃光に当てられたように昔の記憶がフラッシュバックした。ずっと忘れていた顔を思い出しそうになった。
嫌な偶然もあるものだ。
しかし、今はそんなことどうでもいいだろう。話題にすることでもない。
「せいら……か」
「どうかしましたか?」
「いや、べつに。美人は名前も可愛いなと思って」
「もう、お上手ですね」
こほんと咳払いすると、少女は落ち着いた透き通る声で喋りで続ける。
「碧邦学園の2年生です。よろしくお願いしますね、凪月さん」
「同い年だったんだね」
「そうですね。私もびっくりです」
それにしても、まさか碧邦学園の生徒だったとは。
碧邦学園――――この地域では一番の進学校にして、お嬢様校と言っていい。
美人が多いことでも有名。
碧邦の生徒と合コンでも出来ようものなら、数多の男子諸君が食いつき、そのを席をかけた血で血を洗う闘争が始まることだろう。
彼女はそんな碧邦でもトップクラスの美少女に違いない。
「私のことは聖良ちゃん、でいいですよ?」
「え? いやいきなりそれはさすがに……」
ナンパ男(童貞)にはいささかハードルが高いように思う。
「私が呼んで欲しいんです。ほら、学園だとあまり気安い呼び方はしてもらえませんので」
「そうなんだ?」
お嬢様校とはそういうものなのかもしれない。
「はい。だから、どうぞ?」
「じゃあ、まぁ、その、僭越ながら……聖良ちゃん」
「はい。聖良ちゃんです。ありがとうございます、凪月ちゃん」
「いやだから俺にちゃん付けはやめよう!?」
軽やかにボケてくれた聖良ちゃんにツッコむと、彼女は楽しそうに笑った。
こちらがナンパしたはずなのに、なんだか会話の主導権を握られているかのようだ。
しかしナンパとはあまり話したがらない女の子も多い中で、警戒心もなく話してくれる聖良ちゃんはありがたい。
少しばかり手玉に取られている様な気はするが、それは彼女も乗り気であることの証左だろう。そこへ俺も乗っかるだけだ。
と、そこで店員がドリンク持って来た。
「お待たせしました。こちらアイスコーヒーになります」
「ありがとうございます」
「あ、どうも」
店員に対しても愛想よく振る舞う聖良ちゃんにつられて、俺も取って付けたように言葉を付けてコーヒーを受け取る。
そんな些細な彼女の態度にも好感を抱いた。
「何か他にも頼もうか。パフェが有名なんだよ」
コーヒーで一息ついた後、メニューを取り出しスイーツのページを開いてみる。
甘いものに目がないのは女の子のパッシブスキルだ。
例にもれず、聖良ちゃんも嬉しそうに小さな両手を合わせた。
「わあ。とっても美味しそうですね」
「お店のおすすめはストロベリーパフェみたいだね。あとは夏季限定のピーチとか。定番はバナナかな?」
「むむむ。どれも美味しそうで悩みます……ちょ、ちょっと時間をもらってもいいですか?」
「いくらでもどうぞ。俺のも決めちゃっていいよ。味見し合おう」
「いいんですか?」
「うん」
「凪月さんは優しいですね。では、私は一番美味しいのを見極めてみせます」
そう言って、張り切った様子でメニューとにらめっこを始める聖良ちゃん。
先ほどまでは同い年とは思えない大人っぽいイメージの強かった彼女だが、今は何歳も年下に見えるような子供っぽさがあった。
メニューの写真を見て瞳を輝かせる姿は可愛らしくて、いつまでも見ていられそうだ。
それから結局、聖良ちゃんは10分以上もにらめっこを続けたのだった。
「ん~♪ 美味しい~♪ あまーいですね~♪」
一言でいえば、それは天使の微笑み。
ストロベリーパフェを小さく一口頬張った聖良ちゃんはお手本のように片手で頬を撫でながら見悶えた。
その幸せそうな表情だけで世の男子は三日三晩飯いらずだろう。
「もしかして、普段あんまりこういうの食べない?」
「いえ、今は糖質を――――じゃなくて、そ、そうですねっ。普段はなかなか食べに来る機会もなくて……」
「そっか。じゃあ今日は思う存分に食べるといいよ。俺のピーチパフェもどうぞ」
「そ、それでは……」
そう言って、聖良ちゃんは少し顎を上げて、小さく口を開ける。
「あーん」
「え?」
「だから、あーん、ですよ? ダメですか?」
「い、いや、ダメじゃないけど……」
「それなら、してほしいです。あーん」
いいのか!?
出会ってまだ何分だおい!? もう恋人ですか!?
まあやるけどね!? 据え膳食わぬはなんとやら!
「じゃあ、あーん」
「あーん♪ こっちも美味しい~♪ 旬のピーチが瑞々しいですね♪」
「あーうん、そうね。うん。そう」
思いきり間接キスなんですが、どうしましょうかこれ。
聖良ちゃんが綺麗に舐めとったスプーンを見つめて固まってしまう。いかんいかん。これでは童貞もいいところ(童貞です)。
「それではお次は……はい、お返しです。あーん♪」
聖良ちゃんは当たり前のように自分のスプーンでパフェを掬うと、こちらに差し出してくる。
やっぱ俺たち付き合ってる!?
もう結婚目前だよねそうだよね!?
勘違いしていいんだよね!? ひゃっほー!
「それでは、いただきます……!」
平静を装いつつ、パフェを頂いた。
そのストロベリーパフェはめちゃくちゃに甘酸っぱくて、頭がおかしくなりそうだった。
たぶん、法に触れるような劇薬が入ってたんだと思います。
・
・
・
「夕日が綺麗ですね~、凪月さん」
「だね。最高のロケーションだ」
眼前に広がるのは夕暮れの日本海。
喫茶店で寛いだ後、街を回りたいという聖良ちゃんに従って、案内をしていた。
最初は俺にとって馴染みのある店や施設を巡り、聖良ちゃんはすごく喜んでくれていたのだが、そのうちにそれも尽き、最終的には町の名所を訪れる流れに。
そして駅で手に入れたガイドブックに目を落とすと、聖良ちゃんが特に興味を惹かれたようだったのがここ。
恋人岬だった。
「本当に素敵……こんな所で結ばれることができたらって思うとそれだけでドキドキしちゃいますね」
カモメが飛び交う日本海に包まれた岬。
恋人岬という名前からも分かるように、ここは恋人たちの名所であり、告白スポットだ。
この場所で告白をすると、必ず結ばれる。
その後、ふたりで未来への願いを書いたプレートを柵に結び付け、岬の中心にそびえる鐘をふたりで一緒に鳴らす。
すると、ふたりは仲睦まじく幸せに、遥か彼方の未来まで一緒に居られる。
恋人として訪れ、プレートを書いても然り。
そんなジンクスの眠る場所。
「まぁ、さすがに出会って一日で来る場所ではなかったかな?」
俺だったら、重いと思う。聖良ちゃんが言わなければ、連れてくることは絶対になかっただろう。
「いいじゃないですか。もしかしたら、未来は違うのかもしれませんし」
「へ? それはどういう……?」
「さあ、どういうことでしょう?」
聖良ちゃんはクスクスと含み笑いを見せると、鐘の方へと歩みを進める。それから、柵に結ばれているプレートの一つを撫でるように、手に取った。
それを読んで、彼女は何を思っているのだろう。
夕日に照らされる彼女は、昼間よりも更に美しく、幻想的にさえ見えた。
「まぁ、私はかつてここで…………たんですけどね」
小さな呟きと同時、大きな波音が聖良ちゃんの声をかき消した。
「……今、なんて?」
「いいえ、なんでも」
それから聖良ちゃんはこちらをふわりと振り向く。
夕日の加減か、その微笑みには影が差しているように見えた。
「ただ、こういう場所のジンクスって夢があるようで、一種の呪いみたいだなって。そう思いまして。素敵だとは思いますが、あんまり信じていないんです。ごめんなさい。自分で来たいって言っておいて、おかしいですよね」
「意外と、リアリストなんだね」
まぁ、俺だってそんなジンクスは信じてはいないのだが。
真に受けすぎる方がどうかしているのだ。
あの日、私たちはここで結ばれたんだから。だから別れるはずなんてない。一生一緒に居られる。
もしそんなふうにジンクスに囚われたのなら、それこそきっと恋愛に浮かれている、一時的な感情に過ぎない。
ジンクスなんてものは都合よく、信じるべき時だけ信じていればいい。都合が悪くなれば、投げ捨てればいいのだ。
聖良ちゃんはもしかしたら、純粋にジンクスを信じたいからこそ、それが呪いにさえ思えて、自ら距離を取ったのかもしれない。
そんなことを思うと、彼女が更にいじらしく感じられた。
「夢見るばかりの可愛らしい時代は終わりましたので。やはり、恋愛といえどしっかり地に足付けていないと」
聖良ちゃんは鐘に背を向け、ゆっくりと俺の方へと戻ってくる。
「キレイなお話ももちろん好きですが、やっぱり泥臭くても、運命は自分の手で掴み取らないとって思うんです」
そしてとうとう、すぐにでも抱き合えそうな距離までやってきて足を止めた。潮風と一緒に、女の子の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「そんな夢のない女の子は、お嫌いですか……?」
それはふわりと、息遣いさえも感じられる距離で放たれた甘い言葉。狙っているのかも分からない完璧な上目遣いは、視線を外すことを許してくれない。
一瞬でも気を抜けば、今すぐにその華奢な身体を抱きしめて愛を囁いてしまいそうだ。
いや、待てよ。
べつに抱きしめていいんじゃないのか?
たしかにナンパ初日からそこまで踏み込むなんてセオリーから外れている。
だがそれを言うなら、今の状況そのものがセオリー外だ。
この状況でどうして抱きしめてはいけない理由がある?
むしろ彼女からそれを求めているのでは?
いや――――、俺は抱きしめる寸前まで挙げそうになった両手を、静々と下ろした。
「すごく、いいと思うよ。俺は好きだな。聖良ちゃんの考え方」
「そうですか。良かったです。安心しました」
「安心?」
「空気読めてないーとか、引かれちゃったらどうしようかと思っていたので。こんなことお話したの、凪月さんが初めてですから」
「そんな心配、ぜんぜんいらないよ」
「凪月さんが優しい人で良かった」
結局、俺は何もしなかった。
聖良ちゃんの表情を注視しても、何が正しかったのかは分からなかった。
カノジョすらいたことのない俺に、女心など、分かるはずがないのだ。
だけど、今回は本気だ。
今日一緒に過ごして、そう思った。
この子を逃したくはない。
だからこそ、慎重になるのも悪いことではないはずだ。
現に彼女も機嫌を崩した様子はない。笑ってくれている。
「それでは、帰りましょうか」
しばらくの時間を過ごした後、日が暮れる直前の聖良ちゃんの一言で、俺たちは駅へ向かった。
「そうだ、聖良ちゃん。連絡先教えてもらってもいいかな」
帰り際、忘れないうちに俺は話を持ち出した。
これが出来ずに終わったら笑い者にもほどがある。先ほど耐えたことも何もかも、意味がなくなってしまう。
逆にここで断られたら、俺の選択が間違っていたことになるのだが……
「はい、もちろんいいですよ♪」
聖良ちゃんは待ってましたと言わんばかりに笑みを見せた。
「ふふ。凪月さんから言ってくれてよかった」
「え?」
「自分から男性の連絡先を聞くなんてしたことがなかったので。どう話を切り出そうかと頭を捻っていたところだったのです」
「そっか。それなら俺も少し勇気を出してよかったよ」
「はい。その勇気に感謝を♪」
それから、お互いにスマートフォンを取り出し連絡先の交換をする。
するとすぐにメッセージアプリの一覧へ新しいフレンドが追加された。
「は……?」
そこに表示されていた名前を見て、即座に眩暈がした。
――――高峰聖良。
「どういうことだよ……これ……」
画面へくぎ付けになった視線の淵で、唇の端をこれでもかと吊り上げて不敵に笑う彼女――――聖良ちゃんの姿が映る。
「おまえが……あの……聖良なのか……?」
それは、かつての幼馴染とまったく同じ名前だった。
「ふふ。ふふふ。ふふっ、あはは。あははははは」
駅前の雑踏に、不気味とも思えるような少女の笑い声が響く。
「おい。なんなんだよおまえ。何がおかしいんだよ、おい!」
「ほんとに?」
「え?」
「ほんとにほんと?」
「なにが」
「ほんとにっ、本気でっ、気づかなかったんですか? 篠崎聖良が、高峰聖良だって!」
人が変わったように、聖良はにやついた笑みを見せる。
「あんなに一緒にいたのにね。あんなに遊んだのにね。ご飯も一緒に食べたのにね。でも、そうだよね。なつくんにとっては、その程度のことだよね。忘れていて、当然だよね。そうだよね。おバカで、おデブで、ブスで、地味だった私の――――告白なんて。忘れているんだよね」
「ん……なっ……! おまえ、やっぱり……!」
「そうですよ。私は高峰聖良。篠崎聖良がウソと言うわけではないんですが、でも、あなたにとっては高峰聖良です。あなたの大嫌いな、幼馴染です」
そんな、ウソだろ?
でも、否定しようとすればするほど、記憶の中の高峰聖良と目の前の高峰聖良がリンクしていく。
いくら可愛くなったとしても、綺麗になったとしても、その中に昔の面影を見つけてしまった。
特に、今の聖良は自分を偽っていない。
今ならわかる。さっきまでの笑顔がすべて、作られたものであったことが。
今目の前にいる女が、幼馴染だということが。
それなら、今日の俺はなんだ?
昔フッた女に、泣かせた女に、俺は一目惚れして、ナンパして、街を連れ歩いていたっていうのか?
聖良は最初からそれに気づいていた?
とんだ大まぬけの、道化野郎じゃないか。
「さすが、頭の回転は速いですね、なつくん。状況は理解できましたか? くす……自分がどんなに滑稽で、お笑いだったのかも」
「おまえ……」
「でも大丈夫。安心してください。私は変わりました。こんなに可愛くなりました。あなたのせいで。あなたのおかげで。今の私になれたんです。昔の私とは、似ても似つかない。だから、気づかなくても仕方がないんです」
相変わらずの笑みを張り付けながら、聖良は続ける。
「それで、どうでしたか?」
「あ? 何がだよ……」
「今の私です」
先ほど恋人岬でしたのと同じように、しかしまったく異なって見える憎たらしい表情で、聖良は上目遣いを寄せる。
「好きに、なっちゃいましたか?」
「そ、……そんなわけ……」
「え~、そうですか~?」
聖良は楽しそうに声を弾ませると、跳ぶように俺から離れた。
そして演劇でもするようにさらさらと、大げさな声音で台詞を吐く。
「出会った時、私に思いきり見惚れていたくせに?」
「それは……」
「すかさずお茶に誘って、あーん♪ に、とってもとっても緊張していたくせに?」
「………………」
「さっきは、抱きしめようとまでしてくれたのに?」
「………………」
何も言い返すことが出来なかった。
聖良を引止め、お茶に誘った時点で、いや、彼女に気づかなかった時点で俺の敗北は決まっていたんだ。
「ぜんぶ気づいてますよ、ぜんぶ。鼻の下伸びすぎ。いやらしい。ナンパをするならもう少し気を付けた方がいいのではないかと」
「ぐ……っ」
やめろ。これ以上喋るな。
今日の赤っ恥は甘んじて受け入れるから、さっさと俺の前から消えてくれ。
それとも、そこまで俺のことを恨んでいるとでも言うのか?
たかだか、子供の頃の告白くらいで。
「そうですね、たかだが一回、子供の頃に、フラれただけです。おバカ、おデブ、ブス、地味。――――大嫌い。たくさん酷いことも言われて、当時の私はいっぱいいっぱい傷ついて、あなたから距離をとるに至りましたが、それも、今は昔と笑いましょう。私は寛大です」
「だから、何だって言うんだ。謝れば気が済むのか?」
この場で土下座でもしろと?
「いえいえ。謝罪なんて必要ありません。むしろ、今の私になれたことを感謝しているくらいですよ。おかげで、とってもモテモテです」
「じゃあ、おまえの目的は何だって言うんだ。なぜ今更俺に近づいた」
「うーん、今日のことは全くの偶然で目的も何もないのですが……でも、強いて言うなら……」
にやぁっと、聖良は唇を吊り上げる。
「告白、してみましょうか? あなたが、私に」
「は?」
「好きなんでしょう? 私のこと。好きになってしまったんでしょう?」
「だから、そんなわけねえつってんだろ!?」
たかが一日一緒にいただけで。
一目惚れなんて信じていないって何度も言ってる。
よしんば好きになっていたとして、ここまで笑い者にされて、好きのままでいるはずがない。
「――――ほんとうに?」
むにゅ――――と、右手が柔らかな感触に支配された。
「おま、なにして……っ!」
「ドキドキ。ドキドキ」
右手が聖良の胸に当てられている。
信じられないほどに柔らかいそれは、吸いつく様に俺の手を離さない。
「ドキドキ。ドキドキ。していますよね? どんどん早くなりますよね。好きですもんね。私のこと。分かりますよ?」
言われて気づく。こんな状況でありながら、興奮は留まることを知らない。鼓動は主張を繰り返す。初恋の鼓動を伝え続ける。
「ねえねえ、あのおにーちゃんたち何してるのー?」
「バカッ、見ちゃいけませんっ」
「――――っ!? い、いい加減にしろよ!?」
ギャラリーの存在に気づいて、慌てて手を放す。
「ふふ。夢中になってたくせに。どうですか? 気持ち良かったですか? 私の……」
「やめろ、それ以上言うな」
「いくら取り繕っても、隠せませんよ。なくなりませんよ。恋心って、そういうものです。勝手に心の奥深くを巣食い始めるくせに、そう簡単に排除できない。消えてくれない。たとえ、好きな人に笑われようと、傷つけられようと、ね?」
「…………っ」
「それで、どうでしょう? 告白してみては? まぁ、返事には期待しないで頂きたいものですが。あ、それともさっきの岬へ戻りましょうか? そこなら、期待できるかもしれませんよ? ほら、ジンクスって、あるじゃないですかぁ。私のキモチも変わるかも? あーいえいえ、フるなんて、一言も言ってませんがね? クスクス」
愉快すぎて仕方がないと言った様子の聖良の言葉を聞きながら、怒りに震えながら、それでも思い浮かぶのは今日一日のこと。
(あー、楽しかったなあ)
やっとカノジョできるかもって、本気で思ったんだけどな。
何度も見せてくれた笑顔が脳裏によみがえる。
(あー、辛いなあ)
でも、こんな結末を導いてしまったのは俺だから。
過去の俺が原因だから。
聖良を傷つけたのは、間違いなく、俺だったから。
俺には怒る資格すらもないのだろう。全面的に俺が悪い。昔の俺はそれほどまでに、クズだった。
「すまなかった。謝るよ、本当に。これで昔のことがチャラになるとは思わない。だけど、今日はもう……帰ってくれ」
「そうですか。はい。わかりました」
絞り出すように言うと、聖良は思いのほか軽い口調で、あっさりと引き下がった。
「いいのか?」
「もちろん。今日はやりすぎましたね。私も、ごめんなさい。…………ごめんね」
聖良はスッと頭を下げる。
その軽さが、逆に不気味さを醸し出しているようにさえ思える。
「最後に、凪月さん」
「なんだよ」
「私、今日はとってもとっても、楽しかったです。ありがとうございました」
「もういいって、そういうのは」
何を言われたって、もう信じられない。
「そうですね、言葉だけでは信じてもらえません。感情は伝わりません。だから、人間は行動するのです」
タタタッと、聖良はこちらへ駆け出す。
そしてその勢いのまま、俺の胸に両手をつく。
「――――――――ちゅ」
聖良は流れるように俺の頬へキスをして、
「それでは、また。告白、お待ちしていますね」
再び駅の方へと駆け出した。
と思った矢先、聖良は再度立ち止まっていやらしく笑顔を見せる。
「まぁ私、彼氏いるんですけど」
最後にそう言い残して、今度こそ聖良は改札へ消えた。
そうして、俺と幼馴染――――高峰聖良の最悪の再会は終わったのだった。