体育館裏にあるカップルのたまり場に女子二人で突撃した結果
「ほ……本当に行くの?」
「当たり前じゃん。卒業までに一回は行っとこうよ。別に変な事してる訳じゃないし大丈夫だって!」
「私達だけで行くようなところじゃないよ……」
「何でだよぉ。愛佳は私とじゃ嫌なのか?」
「そ、そういう事じゃないけど……周りの目とかあるし……友達同士で行く場所じゃないっていうか……」
「そんなの関係ないよ。何事も経験だよ。ほら、行くぞ」
怖気づく私の手を同じクラスの杉浦里桜が引っ張る。
里桜はクラスでは明るい方で男女分け隔てなく友達が多い。同性のオタク友達と推しについて熱く語り合っている私とはカーストも住む世界もまるで違う。
特に話したことも無かったのだけど、夏休み明けにグループ作業で同じ班になってから里桜はやたらと私に絡んで来るようになった。
夏の面影が一欠けらも見えなくなった秋のこの頃、里桜は昼休みに私を教室から連れだして校内のレアスポットを回るツアーを始めた。
男子トイレで用を足している先生と目が合う場所や、先生がこっそりと煙草を吸いに来る校舎裏とか、誰から情報を仕入れたのか良く分からないスポットに案内してくれた。
今日の行先は体育館の裏。学校の敷地から出る道から奥まった場所になるので、人通りはほとんどない。日当たりも悪そうだ。
そんな場所を好むのは、不良か陽キャかミミズか苔。私はそのどれでもない。でも、一番近いのはミミズかもしれない。じめじめした性格をしているし、日陰が好きだから。
うちの高校の体育館裏は里桜に聞くまでもなく、カップルのたまり場として有名な場所だ。誰々が二人で入っていっただのとどうでもいい話をよくクラスの人がしている。
そこに私と里桜の二人で行くだなんてどういうつもりなのか分からない。
もしかすると里桜のドッキリで私を一人で置き去りにするつもりかもしれない。陽キャに囲まれて一人で座っているなんて耐えられない。
だけど、里桜は私の手を掴んでズンズンと進んでいく。昼休みは学校の敷地から出てはダメとなっているので、出入り口に近い体育館の近くに人はいない。
正面の入り口を通り過ぎて、体育館の側面に回り込む。
「うわぁ……」
誰も住んでいないジャングルを分け入ったその先に大都会があったかのような驚きだった。
体育館の側面に設けられた非常口から続く階段を埋め尽くすように二十組くらいのカップルが適度な距離を保ちながら、恋人と肩が触れ合う程に近寄って座っている。
手前の方にいた人たちはちらっと私達を見たが、すぐに二人の世界に戻って行った。
恋人と過ごす時間なのだから、冷やかしに来た女子二人に注目する時間なんて無いのだろう。
誰からも話しかけられることもなく、二人で手を繋いで終端まで歩いた。
里桜は私の手を払うと、一人で非常口のドアに背中を預けて座り、通り過ぎて来た陽キャの集団を眺めている。
やる事もないので私も隣に座る。
「思ったよりすごいな。こんなに付き合ってる人っているのかよ……そりゃ昼休みに教室にイイ男はいない訳だ」
里桜は一人でうんうんと頷いて納得している。私は友達と話しているだけなのでそういう視点でクラスを見た事が無かった。
「いつまでいるの? 次って移動教室だから早めに戻って準備しないとだよ」
「分かってるよ。でも、ギリギリまで粘るぞ。五分前のチャイムが鳴ったら走って戻ればいいよ。ここに人が居るってことはまだ大丈夫って事だからさ」
「良いけど……何のために粘るの?」
「何があるか分かんないから粘るんだよ。こんだけ若い男女が集まってんだぞ。何も起こんない訳ないだろ」
里桜はニヤニヤしながらカップルの集団を眺める。いつにもまして悪趣味な回になってしまった。さすがに用を足している先生と目を合わすよりはマシだろうか。
とはいえ里桜を一人で置き去りにするのも忍びないので気のすむまで付き合う事にした。
◆
何分経っても面白い事は起きない。カップルは皆ニコニコしているのでさぞかし楽しい話をしているのだろう。手を叩いて笑う程楽しい話題とは何だろうと考えていると丁度良い時間になったらしい。
授業開始五分前の予鈴が鳴り響いた。
カップル達は立ち上がる訳でもなくキョロキョロと辺りを見渡す。里桜が睨んでいた「何か」が起こる予感がした。
チャイムの音がこだまする。その残響が消え切らないうちに誰からともなくキスをし始めた。
この場所ではキスをしていない私と里桜の方が異端だとばかりに、どのカップルもキスをしている。
「おぉ……やっぱりこういうのがあったか……」
当の里桜は見せるためにしている訳でもないカップルのキスをまじまじと見ている。
やがて、午後の授業のために一人また一人と帰っていく。
同時に帰らないカップルは付き合っている事を隠している人達なのかしれない。
仲睦まじいカップルにも色々な事情があるのだと思わされる。
「愛佳、どうだった?」
人がほとんどいなくなったところで里桜が口を開く。通り道にいる、ここに来た時に私達をチラッと見てきた一組のカップルがまだキスをやめないので私達も帰りづらくなってしまっている。
「どう……って言われても……陽キャ怖い、くらいかな」
「何だよそれ」
里桜はケタケタと笑っている。彼氏がいるとかの話はしたことが無い。こんな遊びをしているくらいだし校内にはいないのだろう。
この手慣れている感じは年上の恋人がいたりするのだろうか。隣の敷地に生息している大学生なんかと付き合ったりしているのかもしれない。
「人がイチャイチャしてるところを見て楽しい? キ……キスとかしてるとこ……」
「楽しいだろ! これはライブだし試合なんだからさ」
「どういうこと?」
「バンドの演奏って良く動画で見るけど、やっぱり生が一番だろ? スポーツだってそうじゃんか。テレビで見るのもいいけど、やっぱりスタジアムで見るのが一番良い。なんでキスは動画で見る方がいいんだ?」
別に動画で見る方が良いだなんて言っていないし、キスの動画って一体何なんだという疑問も湧いてくる。
だけど、妙な説得力がある口振りだった。確かに目の前で何十人もの人がキスをしている様は圧巻だった。漫画やアニメではあり得ない光景。リアルが広がっていた。
「なぁ……愛佳。バンドの演奏を見てたら楽器もやりたくなるし、スポーツの中継を見たら身体を動かしたくなるよな?」
里桜はいつの間にか私の真正面に来ていた。何やら目がトロンと半開きになっていて気だるそうにも見える。
「え……う、うん。そうかもね」
「そうだよなぁ!」
里桜が私の肩を掴んで壁に押し付けてくる。「ひっ」という私の悲鳴にも似た声で里桜は少し落ち着きを取り戻した。
「あ……ごめん。その……」
里桜が言いたかったことは分かった。
バンドの演奏を見たら無性に歌いたくなるし、サッカーの試合を見たら無性に走りたくなる。
だから、キスをしているカップルを見たら自分達もしたくなる。
いや、なる訳がない。まさに理解はできるけど納得は出来ないという状態だ。
それでも里桜の心は完全に着火してしまったようで、私の肩を掴む手はプルプルと震えながらも一向に力は緩まない。
里桜の本心は分からないけれど、私も興味がゼロかと言われるとそうでもない。
怯えと冒険心と興奮の入り混じった里桜の表情から私の心まで延焼してしまったのかもしれない。
「してみる?」
私の言葉を聞いて里桜の喉がゴクリと鳴った。生唾を飲んでいるのがありありと分かる。カクカクと小刻みに首を縦に振る姿が可愛らしく見えてきた。
私の肩を掴んでいた手は壁に移動して里桜の体重を支えている。
ゆっくりと肘を曲げながら、里桜が顔を近づけてきた。
こういう時は目を瞑るものらしく、里桜はしっかりと目を瞑っている。バレないうちに唇を内側に巻き込んで湿度を調節する。
寒くなってきて唇が乾燥しがちだったのでリップクリームを塗っておいて良かった。まさかこんな事になるとは思ってなかったけれど、唇のコンディションは最高だ。
私は目を瞑らず、里桜の顔をじっくりと見ながら唇が触れ合う瞬間を迎えた。
里桜の薄い唇は少しささくれが目立つ。教室に帰ったらそれとなくリップクリームを貸してあげる事にした。
里桜の吐いた鼻息を私が吸う。唇は接着剤でピッタリと張り付いたように離れていかない。
暖かい鼻息を吸う度に頭がボーッとしてきた。フワフワとした感覚でとても心地良い。
もっと続けていたいのに、授業開始のチャイムが鳴ってしまった。
それを合図に里桜が離れていく。里桜は真っ赤な顔をしてそっぽを向いてしまった。何故か分からないけれど、妙に嗜虐心をくすぐられてしまう。
「どうだった?」
「ふつ……柔らかかった……」
強がって「普通だった」とも言えないくらいに楽しい体験だったらしい。私もすごく楽しかった。推しのカップリングについて語り合うのも良いけれど、ライブもスポーツも何でも、やっている時が一番楽しいのだろう。
体育館では体育の授業でバスケットボールをしているようで、各々のタイミングでボールを床に叩きつけている音がする。
「そろそろ戻らないとな……遅刻しちゃうぞ」
里桜が立ち上がろうとするので無理矢理抱き寄せる。ちょっとくらい騒いでもバスケットボールの音で中には聞こえないだろう。
「ちょ……愛佳!」
「もう遅刻もサボりも変わらないよ。このまま次の授業までここにいよ?」
里桜は私の腕の中でゆっくりと頷いた。
今度は私が里桜を壁際に押し付けてキスをする。里桜は唇が触れる前にまた目を瞑った。
何度か壁にボールがぶつかり、驚いてビクンと体を震わせたけど、息継ぎをしては唇を味わい続ける事ができた。
授業が終わる前、アリバイ作りに保健室に行ったけど、二人共顔は赤いし息は上がっているしで本当に風邪を引いているんじゃないかと心配されてしまった。
◆
次の日の昼休み。弁当をオタク友達と食べ終わった頃、里桜が近づいてきた。
「おっす! 愛佳、今日も行くぞ!」
里桜はいつもと変わらないハイテンションで私の手を引き、机から引き剥がしてくる。
教室を出て廊下を歩き、体育館の近くまでは昨日と同様、ズンズンと一歩前を歩いていく。
だが、体育館の曲がり角を曲がる手前で立ち止まった。その角を曲がるとカップルの楽園が待ち受けている。
「どうしたの?」
里桜が何をしたいのか分かってはいるけれど、イタズラ心からそう聞いてしまった。
「い……いや……その……今日もどうかなって」
「何を?」
「言わなくても分かるだろ! アレだよ」
「今日はチャイムと同時だよ?」
「分かってるって!」
里桜は顔を真っ赤にして俯く。梃子でも動かなさそうなので、私が手を引いて体育館の角を曲がった。
昨日、私達を見てきたカップルは目もくれない。二日目にして私達はここに溶け込んでしまったようだ。
里桜を連れて昨日と同じ場所に座る。
「お……おい。本当にいいのか? 一日だけならまだしも連続で来てたらさすがに噂になるって」
里桜が一人でドギマギしながらあたりを見渡している。
「じゃあ早朝か放課後に来る? 朝練や夕練をしてる運動部の人がランニングで通るかもしれないけど」
来る来ないの話はしない。来るのは確定だ。私は一日で病みつきになってしまった。
里桜も同じことを考えているようで、首を横に振ると小さい声で「昼で良い」と言った。
私も里桜も予鈴を今か今かと待ち構えてしまい、他のカップルのように会話が弾まない。
時計を何度も見ていると、やっと予鈴のなる時間になった。
昨日、どのカップルも誰かが始めたら自分達も、という感じで少し及び腰だった。照れもあるし、何となく一番最初と言うのは気まずい。
だけど、私は予鈴の一音目が鳴りだした途端に、里桜を壁に押し当てて唇を奪う。
周囲のカップルも私達に続いている事だろうけど、そんな事を確認する余裕はない。目を瞑って応えてくれる里桜に集中しなければならないからだ。
予鈴が鳴り終わっても私達は離れない。
何度も舌を絡ませるうち、とうとう本鈴が鳴りだしたところで漸く口を離す。
「誰もいなくなっちゃったな……」
午後の授業に遅刻をしないように皆はそそくさと教室に戻ったようだ。
「本当だね。折角だし、もっとする?」
私に問いに里桜は顔を赤らめて頷いた。今日も午後の授業は遅刻だろう。
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