第1話 ニセ勇者になってみた
ある日の夜。
馴染みの酒場で飲んでいると、別の席から噂話が聞こえてきた。
「勇者が邪竜を倒したってよ」
「俺は妖精の森を守ったって聞いたな」
「魔王軍を蹴散らしたのも勇者一行らしいぜ」
英雄への惜しみない賛美。
それを耳にした俺は歯噛みし、苛立ちのままにジョッキを机に叩き付けた。
表面に小さな亀裂が走る。
「ちくしょうが……」
唸る俺の前に店主のウォルドがやってくる。
エプロンを着けた恰幅の良い中年男だ。
あるかないかの軽薄な笑みに、皮肉ったような目つきが特徴である。
ウォルドは俺の肩に手を置いて話しかけてきた。
「どうした、ジタン。やけに不機嫌じゃねぇかよ」
「いつも不機嫌さ。このくそったれな人生のせいでな」
「盗賊稼業が不満なのかい? お前は一人でよくやっている。十分に恵まれてるだろ」
ウォルドの慰めに俺は鼻を鳴らす。
すっくと立ち上がり、正面から睨み付けてやった。
「恵まれている? 冗談はよせ。辺境都市の裏街で糞みたいに生きているだけだ。何も意味がない。もし俺が死体になっても悲しむ奴さえいねぇだろう」
「いや、悲しむと思うぞ。今までのツケが帳消しになっちまうからな」
「……クズ野郎」
「罵倒より代金をくれ。今夜こそ払ってくれよ」
ウォルドが平然と手を差し出してきた。
俺は鷲掴みにした貨幣を押し付けるように渡す。
そのまま荷物を粗雑に持ち上げて店を出ようとする。
直後に目を丸くしたウォルドが引き止めてきた。
「おいおい、どういう風の吹き回しだ。お前さんが代金を持ってくるなんて」
「今夜で街を去る。その前に清算しようと思ってな」
「どこへ行くつもりだ」
「知らん。旅をしながらおいおい決めるさ」
「随分といい加減だな。本当に大丈夫なのか? 酔いすぎは良くないぞ」
ウォルドが少し心配そうな顔をする。
彼なりに気遣っているらしい。
だから俺は、不敵な笑みを湛えて言い返した。
「――逆だ。俺は目を覚ました。これから人生を取り戻すのさ」
それ以上は何も言うことがない。
静まり返った室内を見回してから、堂々と酒場を飛び出した。
◆
その後、身支度を済ませた俺は、長年の拠点だった裏街を出た。
街道を辿って夜の森を進んでいく。
ほどなくして、後ろから声が聞こえてきた。
「おーい、待ってくれよ。置いていかないでくれー」
小走りで近付いてくるのはウォルドだ。
背中には大量の荷物がある。
明らかに旅に出る装いだ。
俺は呆れを隠さずに問いかける。
「……なんで追いかけてきた。ツケならちゃんと払っただろ」
「腐れ縁の野郎がいきなり消えようとしてるんだ。心配もするだろう」
ウォルドは当然のように答えた。
彼は無精髭を撫でながら得意げに語る。
「お前さんが数日前から旅の支度をしていると聞いて、こっちも準備していたのさ。どうだ、びっくりしたか?」
「店はどうする」
「バカ息子達に任せてきた。あいつらなら心配ない。前々から引退したいと思っていたからちょうどよかったんだ」
思い切りの良い性格だとは思っていたが、まさかこれほどだとは。
ウォルドの野次馬根性は人並み以上だ。
何かやろうとする俺を見て、日常生活より興味と好奇心が勝ってしまったのだろう。
俺は無理だと悟りながらも確認する。
「戻れと言っても聞かないよな」
「ああ、もちろん。おいらは巨乳美女の言葉にしか従わないと決めている」
「……ったく」
俺は舌打ちするも、ウォルドは満足げだった。
こちらの反応を含めて楽しんでいる節があり、だからこそ余計に厄介なのだ。
(むさ苦しい男二人で旅かよ……)
胸中で嘆くが、別に悪い気分ではない。
互いに知った仲である。
一人で旅をするより頼もしいのは確かだった。
なんだかんだで有能な男なのだ。
俺は諦めてウォルドと共に移動を再開した。
隣を歩くこいつも、飽きたらどこかで勝手に帰るだろう。
押し問答をするのも面倒だ。
放置しておくのが正解だと思う。
一方、ウォルドは乗り気になって本題に触れる。
「それで、どんな風に人生を取り戻すんだ? 酒場での感じからして、何か計画があるんだろ。独り占めしてないで教えてくれよ」
「計画ってほど大層なもんじゃないがな」
俺はそう前置きすると、ウォルドの顔を見て真剣に宣言した。
「これから俺は、勇者のふりをして生きていく。奴の名声を利用して旅をすれば、楽をして良い暮らしができるって寸法だ」
場に静寂が訪れる。
呆気に取られていたウォルドが我に返った。
彼は苦笑交じりになだめてくる。
「――ジタン。冗談にしても滑稽すぎるぜ。鏡を見て考え直した方がいい」
「このために髭を剃ったんだ。悪人面も少しはマシになったろ」
「うん、確かにな。トロールからゴブリンになった感じだ」
「大して変わってねぇだろうが」
俺はウォルドの感想に噛み付く。
どれだけ自惚れても美形とは言えないが、いつもの盗賊顔より小綺麗なはずだ。
立ち止まったウォルドは、しげしげと俺の衣服を観察して納得する。
「ははぁ、なるほど。だから身なりを整えているのか」
「勇者を騙る上で、まずは外見にこだわってみた。似合うか?」
「そうだな、ゴブリンよりは似合――」
罵倒を重ねるウォルドの後頭部に狙いを定めて、俺は拳骨を打ち付けた。




