美食は幻影の露
美味しいけど、これ・・・・・
「・・・・・・・」
『どうした?』
ボルシチやないミネストローネや。何かの間違いかと思って、もう一口掬ってみたがこの酸味はトマトです。ビーツじゃない。
ビーツは食べたことないけど、トマトならよく知っている。というか、イタリアンは好きなのでよく食べる。これはミネストローネでファイナルアンサーです。
「・・・美味しいね」
『そうじゃな』
ボルシチのことは残念だったけれどミネストローネも美味しいから良いことにしよう。
お次の赤い麵に期待。きっと、次は美味しいロシア料理が出てくるはず。
スープを飲み終えれば麺が出てくる。姿がなくとも感じる美味しそうな匂いに期待が高まる。
「・・・・・・・」
『どうした?』
美味しい麺料理を食べ終えて、思わず口の前で両手を組みゲンドウポーズをしてしまう。
いや、うん、美味しかった。美味しかったよ?けどさぁ、あれ、ロシア料理じゃないじゃん。
明らかにイタリアンだったじゃん。太麺にトマトとひき肉と玉ねぎetcを絡めた美味しいボロネーゼだったじゃん。
美味しかったけど、美味しかったけどさぁ!
フォークが使えないバロンとアイギスの分はマカロニパスタで作ってくれている心配り。
コンキリエだっけ、貝型のやつ。このレストランは三ツ星だ、自信を持って言える。ロシア料理はでないけどね。
この分だと次のデザートもイタリアンで来るな。ジェラートとかかな。でも、名前が黒の菓子だし、別のものかもしれない。
「パスタもおいしかったね…」
『うむ。好みの味じゃ』
バロンが満足げなのでロシア料理じゃなくても良いかな。口の周りを赤く染めたアイギスをおしぼりで拭いてあげながら考える。
バロンは口元を汚すことなく上品に食べるのに、アイギスは食べ方が豪快でよく真っ白な毛並みを汚している。
世のお母さま方が白は汚れが目立つと嘆く気持ちを理解してしまった、今日この頃。
そしてデザート。見た目はチョコレート菓子っぽい。化粧品などの小物入れを想起させる形をしている。
ナイフで切れるくらい柔らかく、口に入れた瞬間にふわっととろけてチョコレートとナッツの芳香が広がる。
チョコだけでなくナッツ、ヘーゼルナッツかな?の味もして絡み合う二つの味が絶妙な相乗効果を発揮している。
なめらかで程よい甘さ。なのに、後味はすっきり。やっぱり、ロシア料理ではない気がするけど、どうでも良いや。
美味しければすべてよし。ロシアは幻覚ということで忘れよう。ここはイタリアです。
お腹もいっぱいになって幸せな心地で広場に戻ってきた。次は何をしようか。
お土産を買えるような露店は近くにないかな?アン…何とかの始まりの広場では目視できる範囲に露店があったけれど、ここの広場では見当たらない。
従魔用の椅子も完備しているレストランからして、従魔用の装備も置いていそうだから武器防具屋さんとか鍛冶屋さんにも行きたい。
でも、場所が分からない。困って広場を見渡せばギックリオお爺さんがいた。なにやら大きな建物の前にいる。めずらしく赤くない建物だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・人の背後でなにしとる」
「ハッ!しまった!ついうっかり…」
知らない人に話しかけるのは緊張するので、唯一知っているギックリオお爺さんに引き寄せられてしまった。
「うっかり、なんだ?お前さん、人の背後を取る癖でもあるんか?」
「ご、ごめんなさい。知らない人に話しかけるのは怖くて・・・・」
お爺さんに近寄ったは良いものの、なんと声をかけたら良いのか思い浮かばず、無言で後ろをついてまわるという不審行為をしてしまった。このままでは通報されてしまう。
「はぁ、今度は何を探しとる…」
「…鍛冶屋さんです」
「…案内してやるわい、ついて来な」
「ありがとうございます!」
許された。それに鍛冶屋さんまで案内してくれるという。ギックリオお爺さんの半分はやさしさで出来ているに違いない。
広場を抜けて大通りを歩く。前を歩くギックリオお爺さんは無言だ。
バロンも近くに人がいるとむっつりと口をつぐむ。アイギスは元々あまり声を出さないし、言葉は話せない。
つまり、この場には沈黙の神が降りてきている。しかも神様は通り過ぎる様子もなく居座り続けてしまっている。気まずい。何か話題はないものか。




