鎧袖一触
瞬きをしてはならない。瞬きをすれば、奴らに距離を詰められる。じりじりと足を後ろに引く。
後ろは振り向けない。だから足で地面を探りながら、後退を試みる。視線は奴らに固定して動きを封じ、じりじりと、じりじりと、足を地面に這わせる。
「あっ」
右足に当たった石の感触に気を取られて、一瞬奴らから意識がそれ、瞬きをしてしまった。
限界まで開きっぱなしにしていた目が乾燥により痛みを発している。
一度閉じてしまった事で緊張が途切れ、何度も瞬きを繰り返してしまう。ようやく落ち着いて、奴
らを確認すれば、
「近っ!?」
目と鼻の先に巨大な顔が迫っていた。近い。きもい。無理!
思わず右手で張り手を食らわせ、その場を飛びのく。効果はいまひとつのようだ。全然効いた様子がない。うわっ・・・・私の攻撃力、低すぎ・・・・?
こんな大きな蚊に刺されて、謎の薬を塗られるとか嫌すぎる。必死に両手を振り回し、一番近くにいた蚊を殴りつける。
殴りつけるけど、蚊が全くと言っていいほどびくともしない。せめて数センチでもいいから後退してほしいのに、空中で固定されているかのように動かない。
「さっすが幼女!弱い!」
え、いま何て言った?おもちゃさんが少し離れたところから聞き捨てならない言葉を叫んだ気がする。
目前の蚊にいっぱいいっぱいでよく聞き取れなかった。でも何となく、後で厳重に抗議しておこう。
それにしてもこの蚊、こんなにぽかぽか殴っているのにまだ倒せないなんて、頑丈すぎじゃないだろうか。ひょろひょろと長い手足からして防御力も低そうなのに。
『なにを遊んでおるのだ』
必死に叩いていた蚊が一瞬で溶けた。バロンには防御力も耐久性も関係ないらしい。助かったよ、バロン。でも、遊びじゃないんだわ。
「全力で死闘を繰り広げてたんだよ・・・・」
殺るか食われるかの死闘だったんだよ。周囲に気を配る余裕がなくなるくらい必死で戦ってたんだよ。
私の訴えを黙殺したバロンは一匹目の蚊を瞬殺した勢いのままに、次なる標的へとビンタを食らわせる。
私の時とは明らかに違う音を響かせて二匹目の蚊が光の粒子へと変わる。バロンの視線が三匹目の蚊へと走る。
殺気を察知した蚊は回避行動へと移る。バロンの跳躍、宙を飛ぶ蚊へ目にもとまらぬ速さで襲い掛かる。
しかし、バロンの動きを注視していた蚊はその規格外の速さをも視認し、素早く回避する。
仲間たちの死により形勢の不利を悟った最後の一匹は逃走へ意識を切り替えたようだ。
初撃をかわされたバロンが地面で体勢を立て直すよりもはやく、耳に残る不快な羽音を響かせて離れていく。
逃がしてたまるかとバロンは拳を繰り出したが、蚊が逃げ切る方が僅かに早かった。またしてもバロンの拳は宙を切り、嫌な音を発生させる黒々とした姿はどんどん遠ざかっていく。
「うそっ、バロンから逃げ切った!?」
「きゅっ!?」
あの速さも怪物級なバロンから逃げ切るとはあの蚊やりおるな。
羽音を聞いて何度も叩こうと挑戦したのに倒せなくて寝不足になった苦い夜の記憶が思い出される。蚊っていらっとするくらいすばしっこいよね。
バロンは林の中へと消えていった獲物の姿を無言で見つめている。これは、暴れるだろうな。
蚊を仕留めそこなった時の悔しさは私も知っている。またいつ忍び寄ってきて刺しに来るか警戒で神経がささくれ立つのも。
おもちゃさんにはバロンの殺戮に付き合わせるのも悪いので、先に村に行ってもらおう。きっとバロンは逃がした獲物を忘れるまで延々と蚊を屠り続けるだろうから。
「おー、さすがズィッヒェルヴィーゼル!速いなぁ!・・・あいつら防御力も攻撃力もないかわりにむっちゃ早いんだよな・・・・・」
「え?」
此方に近づいてきたおもちゃさんに先に行ってもらうよう提案しようとしたところで、思わぬ情報がもたらされた。
あの蚊、攻撃力も防御力も弱いらしい。攻撃力は知らないけれど、防御力は何度殴っても倒れないくらい堅かったよ?
正直信じられない気持ちでいっぱいだが、おもちゃさんに嘘をついている様子はない。
「・・・防御力・・・・・・低いの・・・・?」
「ああ、俺でも一発で倒せる柔さだぞ」
否定を期待して呟いた言葉にもしっかりと肯定が返ってきてしまった。私の攻撃力ってそんなに低いの・・・・・?
「私の全力って・・・・・」
「まぁ、リアルよりも伸長低くするとその分、攻撃力も防御力も下がるから・・・」




