小指を飼う
大好きだった先輩の小指を飼うことができて、私はなんて幸せものなんだろう。机の端っこに置かれたハンカチの上。もぞもぞと動く先輩の愛おしい小指を見つめながら私はそう呟いた。
私が人差し指で先輩の小指をちょんちょんと突くと、小指はくすぐったそうに身体をもぞりと揺り動かした。その様子があまりにも可愛らしくて、私の頬が自然と緩んでしまう。それから、私は小指の持ち主である大好きな先輩の顔を思い浮かべる。先輩が端正な顔で私を見つめ、微笑みかけてくれることを想像するだけで私の顔全体が熱くなってくるのがわかった。卒業式の後、勇気を振り絞って先輩を校舎裏に呼び出し、薬で眠らせ、小指を切断した。最初は話しかける勇気すらなかった私だったけれど、あの日、ちっぽけな勇気を振り絞って本当によかったと思う。机の上の先輩の小指を私はじっと見つめる。私の熱い視線に応えるように、先輩の小指が小さく身動ぎした。
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先輩の小指は鶏のささみが大好物だ。ハムスター用の餌皿にそれを入れておくと、芋虫みたいに身体を一生懸命くねらして餌皿に近づいていき、餌皿の中に入り込んで食事を始める。
小指は身体全体を使ってご飯を食べる。食事の後は身体中が食べ物のカスで汚れてしまうから、私がハンカチできちんと拭いてあげる必要がある。面倒なんかでは全然ないし、先輩の身体の一部をこうしてお世話できること自体が私にとってはすごく幸せなことだった。それから私は綺麗にしてあげた小指の写真をスマホで撮る。もちろん先輩に見せてあげるために。
だけど、LINEはブロックされてしまっているから、そのまま写真を送ることはできない。だから、私は携帯で撮った何百枚もの写真を家のプリンターでプリントアウトした後で、写真の束を輪ゴムで縛り、それをこっそりと先輩の家の郵便受けにいれておく。恥ずかしいから感想を聞かせてもらったことはないけど、私がこれほど大事に先輩の小指を育てていることを知って、きっと嬉しく思ってるはずだ。
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先輩の小指を飼育し始めてから三ヶ月が経った。初めは小さくて可愛らしかった小指も、月日が経つにつれてもひと回りもふた回りも大きく育っていた。関節周りにも肉がつき、まだまだ成長期なのか長さも二倍以上伸びている。
だけど、身体が大きくなるにつれて反応が鈍くなり、隅の方でじっとしていることが多くなった。一応晴れの日には窓際で日向ぼっこさせたり、運動不足にならないよう運動もさせてきた。それでも、先輩の小指は日を追うごとに元気がなくなっていき、私の不安も大きくなっていった。お医者さんか誰かに見せようにも、こんな小さな街に小指専門の医者なんているはずもないし、自分で治そうにもそもそも原因がわからない。
それでも私が根気強くネットで情報を探していると、私と同じように小指を飼っている人のブログにたどり着いた。ブログ主も買っている小指が同じような症状に悩まされていたが、結局それは孤独によるストレスで心身症みたいなものを発症していたことが原因だと分かり、小指同士の交流を始めることで症状が回復したと書いてあった。
最後のまとめ部分に書かれていた解決策は簡単で、小指の多頭飼をするか、それか愛好家同士で集まって、たまに小指同士の交流をさせてあげること。しかし、愛好家の数は少なく、定期的に開かれているという会合が開かれているのは家から遠い大都市だけ。となれば、先輩の小指のためにはもう一本、小指を飼い始める必要がある。
さあ、どうしよう。私は弱った先輩の小指をちらりと一瞥した後で、ふと視線を落とし、じっと自分の左手の小指を見つめた。
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小指の赤ちゃんが生まれた。それも双子の赤ちゃん。先輩の小指と私の小指が生んだ小指なのだから、これはもう私と先輩の子供だと言っても過言ではない。
私の小指の第二関節あたりが妙に膨らんでいるなということに気が付いたのがつい二週間前で、それから出産まではあれよあれよという間のことだった。双子だということもあって難産で、出産が終わったのは、深夜の三時を回った時間帯。無事に子供が生まれたことを、先輩に早く伝えなくちゃいけない。先輩の携帯電話の番号は随分前に着信拒否されてしまっているから、私はこのまえ調べあげた先輩の家の電話にへと直接電話をかけた。長い着信音の後、先輩本人ではなく、先輩のお母さんが電話に出た。先輩のお母さんが電話に出るとは思ってもなかったので、私は一瞬だけ何を言おうか言葉に詰まった。だけど、こういう大事なことは先輩に直接、そして一番最初に知らせる必要がある。いくら先輩のお母さんとは言え、先輩より先に知らせるのはやっぱりだめだな。私は軽く舌打ちをした後でそのまま電話を切る。私は寝巻きを着替え、そのままパパとママにバレないようにこっそりと家の外へと出た。
まっすぐに先輩の家へと向かい、私は玄関のチャイムを連打した。だけど、先輩はすぐに出てきてくれない。ひょっとしたら私のために鍵を開けていてくれているのかもと思って、玄関のドアノブを掴んで力一杯に引いたり押したりしたけど、鍵がかかっていて中に入れない。私は家の中にいる先輩に気がついてもらおうと、ドアの隙間に口を近づけ、大声で先輩の名前を叫んだ。一度だけ聞こえないだろうから、何度も何度も叫んだ。だけど、それでも先輩からの返答はなかった。
もしかして、先輩の身に何かあったのでは?
不安がどんどん広がっていくのがわかった。ひょっとして強盗が押し入って先輩を襲ったのかもしれない。病気か何かで起き上がれない状況にあるのかもしれない。私はもう一度先輩の声を叫んだ後、携帯を取り出し、震える手で110番へ電話をかける。警察へ繋がり、私は必死に呼吸を整えながらなんとか状況を冷静に伝えようとする。しかしその時、背後から強い懐中電灯の光が私に当てられた。反射的に振り返ると、そこには二人組の警察官がいた。助けてください! 私は通話中の携帯を耳から離し、彼らの元へと駆け寄っていった。
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パパやママに怒られて、しばらく家の外へ出ちゃいけないことになった。だけど、今の私には可愛い小指たちがいるから退屈はしない。先輩の小指はリモコンほどの大きさに成長していて、成人男性らしく、節が浮き出た格好いい形をしている。私の小指もまた、私が毎日丁寧に肌の手入れをしているから肌は白く、張りがある。この前生まれた双子の小指はいつの間にか動かなくなってしまったからもう捨ててしまったけれど、先輩と私の小指が仲睦まじく身体を寄せ合っているだけで心がとても穏やかな気持になれるから不思議だ。
そうだ。私はあることを思いつき、家庭科の授業で使っていた裁縫道具を引っ張り出して、中から赤い生糸を取り出した。赤い糸を適当な長さで切り、端っこを先輩の小指に、もう一方の端を私の小指に結びつける。小指どうしを赤い糸で結ばれた恋人同士。ロマンチックな光景に自然と笑みが溢れてしまう。
「えへへへへへ」
私はツンツンと先輩の小指を突く。先輩の小指がくすぐったそうに身動ぐ。その隣で先輩の小指へと這い寄っていく私の小指。気のせいかもしれないが、以前と同じように第二関節がふっくらしている気がする。私は幸せものだ。可愛らしく動き回る2本の小指を見つめながら、私はそう呟いた。