第07話 両替所と「財」
船着場を出た一行に正信が説明をする。
「さて、いよいよジパングじゃ。もっともこの辺はまだそうでもないがな。
今出てきたここが、両国の船着場という訳じゃ。
ここからが一応、ジパングの国となる。
まあ、この辺はまだ江戸日本と混在しておるがな。
両国という名も日本とジパング、両方の国の間という意味で名づけられた。
そしてあの遠くに見える壁が、ジパングの街そのものじゃ」
そう言って正信の指差す方向には、遠く数里先に大きな長い壁のような物が見える。
それがジパングそのものなのだと一同にも一目でわかった。
「しかし、ずいぶんと活気があるのう」
両国の船着場の周囲を見渡した勝重が、その広い道にすでに出ている屋台や人の多さに驚いて話す。
「うむ、まだ朝も早いと言うのに、道の両脇のあちこちに屋台も出ているようじゃ」
「街の雰囲気も川のあちら側と全く違う」
「そういえば、物乞いや眼つきの悪そうな者がほとんどいなくなったのう」
正成の言うとおり、確かに大川のジパング側では、物乞いの類はほとんどいなくなっていた。
「ああ、先ほども言ったように、こちら側には金の無い者は、まず入れないからな。
それにここからはジパングの取締りが本格的になるからな。
だからここから先は、治安も格段に良くなる」
「なるほど」
「それにしても広い道だのう」
勝成は江戸ではとてもありえない、幅の広い道に感心して話す。
「うむ、神田辺りから道幅が広かったが、幅が一町(100m)ほどもありそうじゃの」
「しかし、ここまで広くする必要があるとは思えぬが・・・」
正成の疑問に正信が歩きながら答える。
「いや、この道のお陰で、火事になっても反対側へ火が移る事はほとんどないそうじゃ」
「火避け地か、なるほどのう・・・」
正成が感心する。
「もっともこの辺はともかく、ジパングの中に入ると、石造りの家屋が多くなって、火事もほとんどないそうじゃ。
このまままっすぐと東へ進み、この先の錦糸掘辺りを過ぎれば、町並みは、よりジパング寄りとなる」
一行が両国から半里ほど歩き、錦糸掘を過ぎると、それまでの活気はあるが、雑然とした町並みはなくなり、碁盤の目のようなきっちりとした街区になってくる。
「両国からこの近辺まではジパングの外郭居住区となっておる」
「なるほどのぅ・・・ところで先ほどから気になっておるのじゃが、あの馬が引いている物はなんじゃ?」
勝重が広い道に通りかかった馬車を指差して聞く。
「ああ、あれは鉄道馬車といって、馬に人間の乗った車を引かせているのじゃ。
線路と言って、鉄の道の上を移動する物で、ここでは重要な乗り物の一つとなっている。乗り心地もかなり良いぞ」
「ほほう」
正信の説明に強い関心を示した勝重だったが、そのまま正信に釘を刺される。
「我々も乗っても良いのだが、今は物見に来ている身。
まずはゆっくりと歩いて、よく町並みも含めて検分した方が良かろう。
あれは後でも乗れるし、ジパングの街の中にもあるからな」
「なるほど、確かにそうじゃな」
勝重も納得すると、広いジパングの道を歩き始める。
やがて一同が川幅が大川と同じ位の亀戸川に辿り着くと、そこには大きな橋が架かっていた。
「これは・・・鉄の橋か?」
「そうじゃ、ジパングの橋はほぼ全て鉄で出来ておる」
「ううむ、鉄で橋を作るとは・・・」
江戸幕府でも大きな橋を作る事は出来ても、鉄で橋を作る技術などない。
一同はジパングの進んだ技術に驚くのだった。
その鉄で出来た立派な橋を越えると、そこからは完全に区画が整理されている場所になる。
広い道、整った区画、大きな建物、行きかう人々、それらはどれをとってもまだ発展途上な江戸はもとより、往年の京の都をも凌ぐ物であった。
「ここからは完全にジパングの土地となり、ここは正式には外部商業地区・・・いわゆる楽市のような物だ。
普通はジパング市場、もしくは単に市場とも言っておる。
ここまではまだジパングの手形はいらぬ。
しかし持っていた方が色々と都合は良いがな。
そしてここではジパングの民でなくとも、自由に物の売り買いが出来る」
「ほほう・・・確かにこれはずいぶんときっちりとした町並みよのう」
「うむ、わしが朝早く江戸を立ったのは、まだ日が明るいうちにここを皆に見せたかったのもあるからじゃ」
「うむ、それは確かに良い考えじゃ」
「ここから荒川までの東西四半里(約1km)南北1里半(約6km)の間が、ほとんどが市場となっている。
北の端の方がわずかに学業地区、南の方は港になっておるが、これほど巨大な市場はわしも他で見た事はない。
しかしひょっとしたらここより大きな市場はあるかも知れぬが、ここより品物の種類が多い場所は無いと断言できる。
おそらく品物の種類だけで言えばジパングの街壁内側よりも多いだろう。
それほどここは品数が豊富だ。
ここでは日本の物はもちろん、ジパングの物も売っているし、他国の物も色々売っている。
それこそ南蛮渡来の物ですらな。
手形を持っている者ならば、そこの役所で登録さえすれば、誰でもここで売り物も出来るし、買う方は何も手続きをせずとも、金さえ払えば誰でも買い物は出来る。
支払いは基本的にジパングの通貨である「財」だが、店によっては小判や豆銀、銭でも支払いは出来るし、両替する場所もある。
それに自分で店を開かなくても、持っている物を買ってくれる店もあるので、そこで金を作る事もできるぞ」
その正信の説明に一同が感心する。
「なるほど、それは確かに便利だのう」
「しかし店の規模に大分違いがある様子じゃが・・・」
町並みを見て店の大きさの違いに気づいた勝重が、正信に問いかける。
「それはの、店の規模によって登録料が違うからじゃ。
この市場は基本的に全てジパングの土地で、それぞれがその場所を借りる事によって商売をしている。
最も安い無料の一日店舗から始まって、有料一日店舗、月店舗、年店舗と店の広さが増すにつれて、登録の金額が大きくなっていき、一番大きな店舗は十年契約の店舗なのじゃ」
「それで店の規模が違う訳か」
「そうじゃ、それと許可制で屋台もある。
わしが昔ジパングにいた頃は、まだまだ空いている場所もたくさんあったのだが、最近は大御所様が江戸で幕府を開いたせいもあって、商売人が多くなって、近場の無料店舗が借り難いので、屋台も増えていると聞いている」
「そう言えばここに来る間も、結構屋台があったのう・・・」
「そうじゃな」
「うむ、何しろ広いから場所はまだまだ余裕があるのだがな、みんなやはり道の近くを借りたいのが人情なので、道から遠い場所を借りるくらいならば、屋台をやった方がましだと考えておるのじゃろう」
「なるほどのう・・・」
一同が納得すると、今度は勝重が川を渡ってすぐの大きな通りの四つ角に立つ、一際大きな4つの建物を指差して質問する。
「では、あの一番大きな店が、その十年店舗とやらか?」
「いや、あれはジパングがつかさどっている両替所や、今言った買取店、それに役所と奉行所や火消し所のような所じゃ」
正信が銀行兼外貨両替所、その隣に併設された買取所、そして役所、警察と、消防署を説明する。
「ほほう、あのように大きな両替所や奉行所が・・・」
四つ角にあるそれらの建物は全てが巨大な5階建ての建物で、大坂城や、現在まだ一部建築中の江戸城を除けば、そのように大きな建物は一同は見た事もなかった。
感心する一同とは別に、正信は大通りの中央にある大時計をちらりと見ると、時計は10時半ほどを示していた。
「まだ昼前だ。時間はあるので、まずは両替をして、その後にこの辺りを少々見物でもしながら回り道をして見てみよう」
「うむ」
「賛成だ」
正信が今渡った亀戸川の川沿いにあった大きな建物を指差すと説明を始める。
「まずはここが今言った両替所だ。
ここで小判や丁銀、銅銭をジパングの通貨「財」に換える事ができる。
これとほぼ同じ物が市場の反対側にもあって、この2つが主な両替屋だな」
「主なというと、他にもあるのか?」
「ある、ただし、この二ヶ所はジパングが公に運営している店なので、両替の交換率も非常に良心的で手数料も五分程度だが、それ以外の店はそれぞれ勝手に開いている店なので、交換率は高い。
ひどい所は五割も手数料を取る店があるらしい」
「何と半分か!それは高いな」
そのあまりにも法外な手数料に、勘定方を務める正成が思わず顔をしかめる。
「まあ、しかしこの店も一日中やっている訳ではないし、休みの日もあるのでな、そういう時に「財」が無ければ、他の場所で交換するしかないわけだ」
「なるほどな」
正信の言葉に勝重が納得し、勝成が聞き返す。
「で、その「財」とやらはどのような種類があるのだ?」
「うむ、わしも多少なら扱った事もあるが、詳しくは知らぬ」
正成も正信に聞くと、正信が先に進み、建物へと向かう。
「それは中へ入って説明しよう」
一行が両替所の中へ入ると、その広さや建物の作りに驚きの声を上げる。
「しかし、この建物は明るいのう・・・先ほどの船着場もそうだったが、あれほど大きな窓が全てギヤマンになっておるのが凄いのう」
壁のほとんどがガラス窓になっているのを見て驚きの声をあげる勝重。
その声に正成も、うなずきながら賛同する。
「うむ、ギヤマンはまだまだ高価だし、これほど窓に使っているのは初めてみるのう」
感心しながらガラス窓を眺める一同に、正信が驚きの説明をする。
「お主たちは知らぬかも知れぬが、ギヤマン・・・
こちらではガラスと言うが、日本のガラスの出所はほぼ全て、このジパングじゃ」
突然、二人の会話に割って入った、その正信の説明に3人が驚く。
「な、なんじゃと?」
「しかし、江戸にも京にも、ギヤマンを扱っているギヤマン鍛冶屋はおるではないか!」
「あれは古来よりジパングから流出し続けられたギヤマンの古くなった物を加工しているにすぎん。
その証拠にギヤマン鍛冶屋やギヤマン細工師たちも誰一人としてギヤマン自体の作り方を知らぬ。
我ら日本にはギヤマンを加工する術はあっても、生み出す術はないのじゃ」
「では、日本にあるギヤマン鍛冶屋は?」
正成の問いに正信がうなずきながら答える。
「さよう、全てジパングから来たギヤマン、すなわちガラスの古い物や割れた物を集めて再加工しているだけじゃ。
もっとも最近ではガラス塊や板ガラスを直接ジパングから買取もしているらしいがな。
あまり知られておらぬが、ギヤマンはジパングの特産品の一つじゃ。
わずかに南蛮から入って来る物もあるが、もしジパングという物が存在していなければ、我々は未だにギヤマンという物を知らなかったかも知れぬ。
特にほぼ完全に透けて見えるギヤマンは、ジパング以外では、いまだに作れぬらしい」
「驚きじゃな」
「確かにそれは知らなかった・・・」
愕然とする一同に正信が「財」の説明を始める。
「さあ、両替する前にこちらを見られよ」
正信が言った方向には何やらガラスケースに展示されている物が見える。
「ふむ、これはなんじゃ?」
横1m、縦30cmほどのそのケースを見て3人が説明を求める。
「これはジパングの貨幣の説明をするための物じゃ」
そう正信が説明をしていると、一人の紺色のジャケットとスカートに身を固めた女性が話しかけてくる。
「いらっしゃいませ、「財」の説明でございますか?」
その言葉に正信が同意して説明を促す。
「うむ、この者たちはジパングが始めてなのでな。分かりやすく説明を頼む」
「かしこまりました。私、当両替所のお客様係で、高比良と申します。
当両替所はジパングにより公式両替所として設立された物で、他国の貨幣、特に日本の貨幣から「財」への両替を主に行っております。
また、ここは基本的に品物の買い付けはいたしませんが、金と銀だけは例外的に受け付けております」
高比良と名乗った、その職員に正成が問いかける。
「金と銀だけはなぜ?」
「理由は後ほど説明させていただきます。
まずは、早速ですが、こちらをご覧ください」
そう言って、一同を先ほどのケースの前に案内する。
「これはジパングの「財」硬貨の見本です。
ここに飾ってあるのはジパングに来た方に説明するためと、偽物に騙されないように見た目を覚えていただくためです」
「なるほど」
「こちらにあるように一番右から順番に一財銅貨、十財銅貨、百財銀貨、千財銀貨、一万財金貨、十万財金貨となっております」
言われた場所にはそれぞれ丸い硬貨が並んでいた。
一番端に大きさも見た目も21世紀の日本でいうところの10円硬貨ほどの硬貨が展示してあり、その隣にはその倍ほどの大きさのある銅貨が、その隣には同様に1財硬貨と同じ大きさの銀貨とその倍ほどもある銀貨が、さらにその隣には同様に金貨と倍の大きさの金貨があった。
「その左端にある四角い物は何かな?それはわしも始めて見るが・・?」
正成の指差す方向には、それ以外の貨幣と離れて、小判ほどの大きさの長方形、縦7cm、横3cmで、厚みが2cmほどの大きさで、四角い金塊のような物が展示されていた。
表面には複雑な模様が刻み込まれ、中央部には百万財と書かれていて、その四隅にはそれぞれ美しい青、赤、黄、碧の小さな石が嵌って輝いている。
それは説明された一番額の大きい十万財金貨の隣にあり、一際大きい輝きと大きさで、その圧倒的な存在を誇っていた。
「それは高額取引に使われる百万財宝石金貨です。
ご覧の通り、金貨の四隅にそれぞれ青玉、紅玉、翠玉、黄玉が嵌っており、ジパングでは金額も大きさも最も大きな貨幣となります」
「ふむ・・百万財というと・・・?」
「ざっと40万文、そう・・・だいたい百両(約1千万円)ほどかの」
正信の換算に3人が驚く。
「なんと!あの貨幣1枚で小判百枚分か!」
「よくもまあ、そんな額の金貨を作ったのう」
そのあまりの金額の大きさに勝重と勝成が驚きと感心の声を上げる。
かつて豊臣秀吉が作らせた慶長大判ですら、その金額は小判十枚分、すなわち十両だった。
確かにこの金貨は慶長大判より厚みはあるが、面積で考えれば小判とさほど変わらない大きさだった。
ましてや慶長大判と比べれば、かなり小さな面積のこの金貨が百両の価値とは信じられなかった。
「しかもそれが普通に使用されているとはな・・・」
勘定方である正成は百両という単位の金貨が、実際に流通している事自体に驚く。
慶長大判は金貨として作られているとはいえ、実際の流通は皆無に近かった。
それは基本的に取引ではなく、褒美として秀吉から家臣たちに下賜されるものであり、もらった慶長大判はそのまま大切に保管され、金額が大きすぎる事もあって、実際に使用される事は稀だった。
それがこのジパングでは、その十倍もの価値の貨幣が普通に流通している事に正成は驚いたのであった。
「そうですね、その金貨はジパングでも使用されるのは稀で、よほど高額の取引か、土地取引など以外にはあまり使われる事はありません。
皆様も恐らくここで見る以外は利用する事はないでしょうが、一応偽物にはご注意ください」
「先ほども偽物に注意と言っていたが、やはり、偽物が出回るのか?」
「はい、滅多にありませんが、百万財金貨に限らず、他の貨幣でも、ごく稀に偽物が見つかる場合もあります。
偽貨幣を使用すると罪になりますので、ご注意ください」
「まあ、当然じゃな」
贋金を作ったり、使ったりすれば当然、罪になる。
その事には全員当たり前のようにうなずく。
「ちなみにどのような罪になるのじゃ?」
「単に知らずに偽貨幣を使っただけなら罰金、もしくは短期間の投獄で済むでしょう。
しかし偽貨幣を作ったり、作る事を指示したりした場合は、問答無用で死刑になります」
その答えを聞いた一行はなるほどという感じでうなずく。
「妥当な所ではあるな」
「うむ」
貨幣はどの国にとってもその国の経済の根幹を成す物だった。
それを揺るがすような行為は当然国としては認められないので、勢いそれに関する罪は大きくなる。
従って贋金作りが死刑という厳しい処分にも一同は納得する。
「それはわかる。
しかし、先ほどから思っていたのだが、銅貨はともかくとして、銀貨や金貨は大きさからして価値が高すぎないか?
その一番高い百万財金貨とやらも、宝石分を合わせても、とても小判百枚分の価値があるとは思えないのだが・・・」
正成の質問に高比良が淀みなく答える。
「そうですね、宝石分を引いたとして、百万財宝石金貨の金の含有量は慶長小判7枚ほどです。
他の金貨や銀貨も日本の二朱銀や一分金と比較しても、金や銀の含有量はともかく価値は、はるかに上ですね」
「なぜじゃ?なぜ金や銀を使っていないのに、そのように価値があがるのじゃ?」
「それは日本の貨幣が基本的に金本位制なのに対して、ジパングでは信用通貨だからです」
「シンヨウツウカ?それはなんじゃ?」
あまり聞いた事のない言葉に勝成が問いかける。
「簡単に言えば、国がその価値を保証して、それを民が信用しているという事ですね」
「しかし、いくら国が保証しても民が納得すまい。
一体どうやって信用させるのだ?」
「そうですね。それは色々ありますが、一番の基本は生活基盤を安定させる事ですね」
生活基盤を安定させるといっても、具体的にどういう事を意味するのか、理解しかねた正成が質問を重ねる。
「それは一体どういう事じゃ?」
「例えばジパングでは生活に一番大切な物の価値を常に一定させて、それを揺るがしません。
具体的に言うならば、米は生活基準の中で、最も重要な物の一つで、ジパングでは米1斗は500財と決まっています」
「決まっている?米相場はないのか?」
正成の当然の質問にも高比良は淀みなく答える。
「ない訳ではないのですが、少なくともジパングが供給する米、この場合は新米の白米の事ですが、それは必ず1斗500財であって、他にも重要な生活物資に指定されている物は大豆、麦、塩、砂糖、菜種油、木綿、薪棒と全部で八種類あって、この八つの品物の金額はジパングが固定して保証しているので、民間相場にもほとんど差異はありません」
「何と!そのような事が可能なのか?」
「ちょっと待ってくれ、今の中の薪棒というのは聞いた事がないが、何なのだ?」
勝重と正成がそれぞれ同時に質問をする。
「はい、可能です。薪棒とはジパング圏で主に使われている棒状の燃料の事で、紙くずや枯れ草、木っ端、籾殻等を燃えやすい接着剤、つまり糊などで練り合わせた物です。
ジパングでは菜種油と共に、最も一般的な燃料の一つとして売られています」
「なるほどのう」
「特に米、大豆、塩は、その8つの中でも重視されていて、ジパングでは常に生産に注意しています」
「ふむ、米と塩はわかるのだが・・・大豆はそれほど重要かのう?」
「はい、日本ではそれほどではありませんが、ジパングでは大豆は非常に重要視されていて、米と並び二大農作物と称されています」
ジパングでは大豆が米と同等に近い扱いと聞いて一同が驚く。
「それほどまでに?」
「はい、大豆は非常に栄養に富み、汎用性、加工性にも優れた植物ですので、ジパングでは大変重宝しております」
「しかしそれほど大豆は貴重かのう?」
説明を聞いても今ひとつピンとこない勝重がさらに尋ねる。
「はい、大豆は植物類の中ではたんぱく質と言って、人間に必要な栄養素が大変含まれており、その生産性に優れているために注目されています。
食品としては皆さん御存知のように、煮豆として食べる事から始まって、豆腐、納豆、湯葉、おから、あぶらげ、きな粉など、様々な物に加工され、未熟な物は枝豆として、早期の芽の部分はもやしとして食べられます。
また醤油や味噌の原料としても欠かせません」
「ふむ、言われてみれば確かにのう」
高比良に説明されて、勝重も大豆の応用範囲の広さに改めて驚く。
「それと豆乳と言って、豆腐に加工する段階で出来る飲み物が、ジパングでは通常の飲み物として普及しております」
「ほう?そんな物が?」
「はい、豆乳そのままではあまり飲みませんが、塩や、砂糖、果実などを加えた物が人気で、ジパングのそこここで売られて飲まれていますね」
「ふ~む、なるほど・・・」
「豆乳か・・・それはジパングにいる間に一度飲んでみるか」
「そうじゃのう」
高比良の大豆の説明に一同が納得する。
さらに高比良は説明しなかったが、大豆は人造蛋白としても用いられ、ジパングでは肉の変わりに使用される事もあった。
そして後にジパングの燃料には、薪棒、菜種油の他に、大豆油も加わる事になる。
「なるほど、確かにその品々が安定して、必ずいつでも同じ金額で、しかも安く手に入るとなれば、庶民の生活は楽になるな」
「はい、先ほども説明した通り、この米、大豆、麦、塩、砂糖、菜種油、木綿、薪棒の八品は生活品の基本八種と言われていて、この八つの物の値段は我がジパング創始者である天ノ川未来が制定して以来、ここ千年以上、ジパングでは変化していません」
その高比良の説明に正成が驚きの声をあげる。
「千年以上だと?」
「はい、そうです」
「そんな馬鹿な!そんな事が出来るはずがない!」
「いえ、本当です」
「しかし、凶作や豊作の時は?それに民間での相場は?」
正成の要点を突いた質問にも、高比良はスラスラとよどみなく答える。
「これらの物の生産は基本的にジパングの政府自体で生産しているので、凶作や豊作の時にも相場を固定しています。
豊作の時にも値段を下げずに、同様に凶作の時にも相場を吊り上げたりはいたしません。また、塩や砂糖、木綿は基本的に腐ったりしませんので、普段から在庫を大量に確保しておいて、品質の管理さえしておけば問題はありません」
「しかし豊作の時はともかく、凶作の時はどうするのじゃ?
無い物をどうしようというのじゃ?」
「ジパングでは普段から米をかなり多めに作っております。
その年の米が余れば、次の年は古米として、またその次の年は古古米として、それぞれ新米の8割・5割で売りに出しております。
従って常に新米があるとは保証しかねますが、少なくとも米そのものを切らせた事は過去に一回もありません。
そして今の所、新米も全く在庫なしになった事はありません」
高比良の説明に勝重と正成がそれぞれ感心する。
「古米とはいえ、米が常にあるとはな、それは驚きじゃ」
「ふむ、新米の八割、五割という事はそれぞれ一斗当たり400財・250財という事か?」
「そうですね」
「それでも余った古い米はどうするのじゃ?」
「それは一部を飢饉等の時のために備蓄用に取って置きますが、ほとんどは旧古米として扱い、加工用に使用しますね」
「旧古米とはなんじゃ?」
聞いた事の無い米の名称に勝重が質問をする。
「ジパングでの米用語で、籾の状態で3年以上経過した米の事です。
これは主に備蓄用と加工用に回します」
「加工用・・・どのような物を作るのだ?」
「酒、煎餅、上新粉、水飴などです。
古い米で作るために、味は今ひとつの部分がありますが、その分、安く販売するので、評判は上々です。
後は有事の際の非常食「練米板」別名「ジパングおこし」にも加工したりします」
「ふむ、「ジパングおこし」の名は聞いた事があるな」
聞いた覚えのある勝重に対して、勝成はまったく記憶にないような返事をする。
「そうなのか?」
「お主も食べておるはずじゃぞ?勝成」
「わしがか?」
驚いたように答える勝成に正信が声をかける。
「そら、戦の時にお主も甘味のある板のような食べ物を食べたであろう?」
「ああ、あれか?関ヶ原の時に徳川陣中で配っていた・・・」
「あれがジパングおこしじゃ」
「何?あれか?うむ、戦の陣中で食べる物にしては中々美味であったと記憶しておるが・・・しかし、あれは確か「陣中菓子」とかいう名前だったと思うが・・・」
「それは徳川で勝手につけた名前で、実際はジパング軍からの差し入れじゃ」
「何と!そうであったか!」
驚く勝成にうなずきながら高比良が説明を続ける。
「はい、本来はジパングの非常食の一種なのですが、便利なために、次第に旅人伝いに全国に流行って、自然と「ジパングおこし」の名がついたようです。
旅に持って行くのに都合が良いので、「旅の友」とも言われております。
その他にも「陣中菓子」「ジパング餅」「甘板煎餅」など様々な名称で呼ばれているようですね」
「その非常食・・・か?なんじゃそれは?」
「簡単に言えば、米であられのような物を作り、それを胡桃や胡麻、南瓜の種、ひまわりの種や水飴と練り合わせて、細長い板状に形を調えて作った物です。
保存が利き、持ち運びに便利な食べ物の事ですね。
ジパングでは地震や台風など有事の時のために各家庭を始めとして、様々な場所で備蓄されています。
そして先ほど言われたように食べやすいので、戦時の食料にしたりもしますね。
他にも似たような物で「滋養棒」という物もあります。」
「ふむ・・・つまりそれは武田の兵糧丸のような物かの?」
甲斐の武田軍が戦用に米粉や蜂蜜などを練り合わせて団子状にして持ち歩いているのを知っていた勝成が質問すると、高比良がうなずいて答える。
「ええ、基本的な考えは同じですが、あれよりも保存も利くし、味も良いですよ。「練米板」は味も上々で、安く、栄養もあり、持ち運びにも便利なので、非常食でもありながら、ジパングの御土産としても、最も人気で有名な物の一つです」
実際に高比良の説明どおり、「練米板」こと「ジパングおこし」は、その金額と運びやすさ、そして味や栄養面から、御土産だけでなく、いざとなれば道中の食事としても手軽に使えたので、燐寸と共に、ジパング土産の一番人気とされていた。
特にこの時代はまだ室町末期から始まった戦国時代の傷が癒えず、村々は疲弊し、町や城下に入っても、ろくに店も無く、旅をする時には食べ物の入手にも事欠く有様だった。
そのような状況で、安く持ち運びが簡単で、食べやすい上に味も良い「練米板」は非常に重宝な食べ物だった。
「ふむう、全く上手く出来ておるのう・・・」
何から何まで全てうまく利用されているジパングに改めて勝重が感心する。
実際にはこれらの農産物はジパングの植物工場の水耕栽培により栽培されているので、凶作や豊作の心配もない。
しかも十七世紀日本の科学技術よりも遥かに進んだ高度なジパングの科学技術による品質管理は、ほぼ完璧なので、10年でも20年でも保存が可能だった。
さらにジパングの稲は品種改良や水耕栽培科学の発達により、通常の稲の3倍以上の成長速度で育つために種を蒔いてから1ヵ月半ほどで、収穫が出来る。
この技術はすでに20世紀後半から21世紀前半にかけて確立していたが、その時ですら、レタスなどの葉物は2倍以上の成長速度で生育されていた。
ジパングのさらに進んだ米作技術では、実に一年八期作が可能で、単位面積辺り収穫も戦国時代の五倍以上だったので、実質同じ作付け面積ならば、年当たり四十倍以上の収穫が得られたのだった。
従って、日本で飢饉の兆候があれば、すぐに米を多めに作るように調整が出来た。
それゆえに定額で安定供給されていたのだが、対外的には、技術漏洩を防ぐために、高比良がしたような説明がなされていた。
事実ジパングにある米の生産プラントは年間平均50万石ほどの生産量であったが、その気になれば150万石まで生産可能であったし、さらにジパング諸島の父島にある農作物生産工場を全力稼動させれば、優に1千万石以上が生産可能なために、農作物の生産に困る事はなかった。
「そしてもちろんジパングの民間でもこれらの作物は育てていますが、その量はジパング生産量全体の千分の一にもなりませんし、相場に大きな変化を与えるほどではありません。
もちろん、相場という物は存在し、日々変化はしておりますが、ジパング自体が米価を固定している以上、大した影響はないのです」
その説明に一応の納得をする一同。
「うーむ・・・」
「理屈はわかっても、そのような事が可能とは俄かには納得いかんのう」
「しかし、そうなるとジパングの政府は金貨や銀貨で相当儲かるのう」
「そうですね。本来の金や銀の価値よりも、ジパングの金貨や銀貨の価値のほうがはるかに上になりますから通貨を実際に作った時の利益・・・「通貨発行益」と言いますが、これはかなり大きいと思います」
その話を聞くと、正成が再び贋金の事を気にして話し始める。
「そうなると、やはり贋金が出回るのではないかな?」
当たり前の事だが、金貨の金の含有量が実際の金相場より高くなれば、普通に考えて鋳て潰して金塊として売られてしまう。
金貨としてより金自体の価値が高いのだから当然だ。
だから金貨や銀貨が金・銀の相場よりも低くなる事はまずない。
逆に貨幣としての価値が、金の含有量を大きく上回れば、当然今度はその金貨の偽物を作ろうと考える輩が出てくる。
偽物を作ればそれだけ儲かるからだ。
二十世紀の日本でも「天皇在位六十年記念金貨」という物が発行された時に、額値の10万円に対して金の含有量が40%、つまり金額にして4万円程度と、あまりにも低かったので、大量に偽物が出回った事がある。
そしてジパングの貨幣は明らかに金や銀の相場よりも金貨や銀貨の含有量が大幅に少なかったので、贋金を作れば大幅に儲かる事になる。
犯罪者がこれに目をつけないとは思えなかったし、これから幕府の中枢として経済の基盤を考える者としては、そこに興味が行くのは当然の事だった。
「そうですね。先ほども言ったように、貨幣の偽造、改造等はもちろん極刑ですが、ジパングの方でも、可能な限り偽造が出来ないように色々と工夫をしてあります」
そう言うと、いつの間にかそばに来ていた別の職員が、説明員の高比良にいくつかの道具を渡す。
「これはジパングの硬貨をよく見られるように工夫した道具です。
どうぞ手にとってご覧ください」
それは大き目の竹の定規か、大きなそろばんのような大きさの板で、中には1財銅貨から10万財金貨までが2枚ずつ表裏でピッチリと嵌っていた。
それぞれの硬貨をはずす事は出来ないようになっているが、板自体を手に持って、細かく観察するには好都合に出来ていた。
「よく御覧になっていただけばお分かりになると思いますが、ジパングの硬貨は非常に細かく複雑な模様で作られており、一見して同じような物を作るのは普通の村の鍛冶屋では無理で、見た目が似たような物でさえ、相当腕の良い金細工師でもなければ作れないでしょう」
改めてジパングの硬貨を見てみると、確かに信じられないほどに細かい模様や細工がされていて、とても大量生産で作られている物とは思えないほどだった。
「うむ、確かに言われてみれば・・・」
「我々の小判や一朱銀などはこれと比べれば、子供の細工だのう・・・」
その精巧なジパング貨幣の驚くほど高度な加工精度を見て、勝重や勝成が唸る。
「どうすればこのような複雑な模様をこれほど大量に作れるのだ?」
正成が疑問を投げかけるが、それには答えず、高比良が話の先を進める。
「そして決定的なのは、お日様に当てて見るとわかると思います」
「日に当てる?」
「はい」
実際に一同が窓際近くに行き、太陽の光に当てると、全ての硬貨が先ほどとは異なった光沢を持った色彩を帯びて光るのが見える。
「おお!これは?」
次に高比良がさらに別の見本を一同に見せる。
「これはジパングが比較のために、公式に作ってみた偽物の見本ですが、本物との見分けの区別がつきませんよね?」
一同が持っていた竹に嵌った見本と同じような物を、高比良が全員に見せると、それぞれが見比べて納得する。
その板には「見本(贋作)」と大きく書いてある。
「うむ、これは見分けがつかぬな」
「これは本当に贋金なのか?」
あまりにそっくりなので、とても贋金に思えなかった正成が尋ねると、それに答えるように高比良が大きくうなずきながら説明をする。
「はい、それを本物と一緒に太陽に当てて見てください」
一同が実際に太陽の光を当ててみると驚きの声が上がる。
「おお、何と・・!」
「確かに日の光を当てると違って見える!」
本物は先ほどのように虹色がかった色彩に踊り、一方贋物の方は単なる金・銀・銅の輝きに過ぎない。
一同が驚いていると、さらに高比良が説明を進める。
「次はこちらにいらしてください」
一行が案内されて建物の一角に行くと、そこには何やら横に大きく穴が開いている黒い箱のような物がおいてある。
「今度は、これをこの中に置いてみてください」
そう言われて正信が自分の持っていた本物と偽物の見本を穴から入れて、その黒い箱の中に置くと、本物のほうは薄く黄緑色の光を放ち、偽物の方は全く光らずにそのままであった。
ジパングの硬貨には全て、紫外線塗料と蓄光夜光塗料を特殊な方法で金属と一緒に塗り込んであるので、暗い場所でもボンヤリと光るし、紫外線に当てれば、より光を増すのだった。
これらの特殊な塗料は硬貨を熱で溶かしてしまえば無くなってしまうので、ジパング硬貨の偽造や変造はこの時代の技術では事実上不可能だった。
しかしながら生まれて初めて、この現象を目の当たりにした一行は当然驚いた。
「おお!」
「何と!このような仕掛けが!」
「貨幣が暗闇でホタルのように光るとは!」
正信以外はこの事実を知らなかったので、驚く一同に高比良が説明をする。
「ご覧になったように、ジパングの硬貨には材料の中に特殊な材質の物が入っていて、日の光や、特別な光に当てると、このように光るように出来ています。
また闇夜でもしばらくの間はわずかに光るようになっています。
これはジパングの最高機密の一つで、もちろん私もどうしたらこうなるのかは知りません。
しかし、ジパングの公的な施設には必ずこの仕掛けがあるので、太陽がない夜でも本物か、偽物かの区別が簡単につけられます。
もしあなた方が手にしたジパングの硬貨が本物かどうか自信がなければ、こういった場所や方法で確認をする事ができます。
ジパングでは子供の頃からこの教育を施しているので、ジパングの民は、まず贋物をつかまされる事はありません」
その高比良の説明を聞いて改めて一同が感心したように唸る。
「なるほどのう・・・」
「確かにこれは偽物を作るのは難しいわい」
「いや、全く同じ物を作るのは不可能であろうよ」
相当腕の良い金細工師でもなければ作れない複雑な模様、そしてどうやって作っているのか、まったくわからない、闇夜でも発光する材質・・・そのような硬貨を作るのは確かに不可能だろうと考えた一同は深く感心した。
「こうして偽物を防ぐ事で「財」の信用価値が高まります。
そしてジパングならば、必ず500財で米を一斗買えるし、他の基本的な品物もジパングの公式市場に行けば、いつも定価で買えるとなれば、「財」の信用はさらに高くなります。
さらにそれが千年以上続いたとなれば、その信用は揺ぎ無い物となります」
「ううむ、そうかも知れん・・・」
「言われてみれば、今でも確かに江戸や京では「財」の信用は大した物だ」
「金や銀自体の価値ではなく、貨幣自体の「信用の値段」という訳か・・・」
「確かにジパングがこれを全国に流通させたい気持ちはわかるのう」
「然り」
「しかしすでに限定的ではあるが、「財」は全国の主な都市に流通しているではないか?」
「いや、それはあくまで慣例というか、暗黙の了解で、信用のある貨幣だからじゃ」
「それを幕府の権限で公式に流通させたいということか・・・」
「なるほど、それで、あの項目があるわけか」
先日、あいらが出したジパングの条件に「財」を全国に公的に流通させるという一文があったのを一同は思い出していた。
「しかし・・・確かにこれほど信用のある価値ならば流通をさせた方が我々の都合としても良いな」
正成の言葉に勝成が興奮して反対をする。
「なぜじゃ?徳川が幕府の中枢にあるからには当然貨幣の中心も我々の作った物でなければならん!」
その勝成の言葉に正成が答える。
「もちろんそうじゃ。
あくまで基本は幕府の制定した両・分・朱・文などじゃ。
しかし現状で関東は金、関西は銀を中心に商いは動いておる。
すでに二つの貨幣体系があるようなものじゃ。
そこに信用のある第三の体系を組み込んだとて問題はないし、それが全国に流通するとなれば、相場の換算も楽になる。わしらにとっても都合は良い」
「むむむ・・・」
正成の言葉を受けて正信が締めくくる。
「つまりはジパングの「財」を全国流通させるという事は我々にとっても、都合がよく、得だという事になる」
「確かにのう・・・」
正信の言葉に一同が不承不承ながらも納得すると、高比良が一行を窓口の方へと促す。
「さて、以上で基本的な説明を終わらせていただきます。
それでは実際に両替をしていただきますので、こちらにいらしてください」
高比良に案内されて一同が両替窓口に行くと、そこで高比良が最後の説明を始める。
「私の役目はここで終わりですが、最後にあまり「財」への両替をしすぎないように御忠告させていただきます」
「どういう事かな?両替をしすぎないようにというのは?」
「はい、実はジパングでは他国からの両替は出来ても、基本的に「財」からの他の貨幣への両替は出来ないのです。
つまり皆様の持っているお金を一旦「財」に変えたら小判や丁銀には戻せないと御考えください」
その言葉に一同が不思議がる。
「何と?」
「なぜじゃ?」
「それには色々と理由がありますが、最大の理由はジパングでは金や銀の価値が、日本も含めて他の国とは大きく違うからです」
「違う?どう違うのじゃ?」
「相場にもよりますが、ジパングでは銀の価値は日本の数倍、金の価値に至っては場合によっては数十倍にもなります」
「数十倍じゃと?」
「はい、ですから下手に「財」から他の貨幣に両替すると、混乱が起こるので、基本的にしないのです」
「では、こちらから金や銀を持ってジパングに行けば、数倍に売れると言うのか?」
「はい、そうです」
「ならば、実際にそうしている者がいるのではないか?」
「はい、確かにそういった目的で、ジパングに金や銀を持ってくる方はたくさんいらっしゃるようです。
先ほど金と銀は例外で、こちらで買い取ると説明をさせていただいたのは、そういった理由からです」
高比良のその説明に興奮して勝成が叫ぶ。
「それならば、日本から金を持ってきて、ジパングで売り、それを小判に換えれば・・
ううっ、そうか・・・」
日本から金を持ってきてジパングで売り、それは再び小判に換えて江戸で金を買う・・・そしてそれを繰り返せば、あっという間に大金持ちになる。
しかしそれが不可能と知った勝成が思わずうめく。
「はい、そういった事が出来ないように「財」からの両替を出来ないようにしたのです」
「ううむ」
勝成が考え込んでいると、正成が高比良の話を聞いて自分の考えを話す。
「しかし、金と銀の相場も相当開きがあるようだな?
それならば日本から金を持ってきてジパングで売り、銀を買い、それを日本に持って帰ればかなり儲かるのではないか?」
「おお、それよ!」
思わず勝成が声を上げると、高比良もうなずきながら答える。
「はい、その方法は正解です。
確かに少々手間はかかりますが、その方法で儲けている方は少なからずいる様子です。
ですから最近はそれに伴い、江戸での金と銀の価値がジパングに近づいているようです」
「しかし、それだと日本からジパングへ金が恐ろしいほどの勢いで流出してしまう・・・これはまだ気づいている者が少ない内に早急に対策をしないとまずいな・・・」
幕府の勘定方の一人として正成が考え込む。
「それには賛成ですね。
今はまだ少ないですが、これから江戸にも沢山の人が流入して来るでしょう。
その時までに対策を取る事をお勧めします」
高比良が正成の言葉に賛同すると、今度は勝重が自分の疑問を口にする。
「ところで先ほど財の両替は基本的には出来ないと言ったが、どういった場合に日本の貨幣に両替できるのじゃ?」
「はい、大体二両以内でしたら銅銭には変えられます」
「ふむ、八千文までか」
一両は四千文なので、二両ならば八千文だ。
「銅銭は構わないのか?」
「はい、あくまで二両程度までですが」
「銅の価値は変わらないのか?」
「いえ、銅や鉄の価値は逆にジパングでは日本の数分の1です」
それを聞いた勝成が嬉しそうに叫ぶ。
「何?では銅をジパングで買って、日本で売れば大もうけではないのか?
笑いが止まらんワイ!」
再び興奮し始める勝成に高比良がうなずいて説明をする。
「ええ、現実にそうしている商人の方はいらっしゃるようですね。
まあ、実際には笑いが止まらないほどの大もうけという程ではないようですが・・・」
「なぜじゃ?」
興奮して質問する勝成に正信が落ち着かせるように話しかける。
「勝成、落ち着いてよく考えよ」
「うん?」
「銅を買い付けて日本に持って帰るとは言っても、銀や金とは違い、ある程度儲けるには相当な量が必要だぞ」
その正成の言葉に高比良もうなずきながら説明をする。
「そうですね、金や銀ならともかく、銅や鉄となると、ジパングでの取引単位は匁単位ではなく貫目、それも最低でも百貫単位になりますから」
「そら聞いたことか、お主、銅百貫を持って歩けるのか?」
一貫と言えば約3.75kgである。
百貫と云えば375kgにもなり、とても一人の人間で持てる重さではなかった。
もちろん、この時代に動力を使った自動車や鉄道などジパング以外にはある訳もなく、荷物の移動は、人力、荷車、船しかなかった。
「むむむ・・・しかしそれを日本に持って帰れば数倍に売れるのじゃから」
「ええ、確かにそうなのですが、何しろ重いですから馬が必要でしたり、丈夫な台車も必要ですし、量が増えれば、場合によっては人足も必要になりますので、それらの雇う費用を考えると、それほどは儲からないかと思います。
それに船の渡し賃なども考えると・・・」
隅田川の渡し船の船賃は帰りは人間は無料だったが、荷車は重さに比例して渡し賃を取られるので、金属を持っていると相当高くなった。
「わかったであろう?」
「うむ・・・」
「それに実際にはジパングからの銅だと分かると、相場よりも買い叩かれる事が多いようですし、最近はそうして儲ける人も多くなってきました。
それに伴い、日本の銅の相場もゆっくりと下がってきているようなので、今からするのはお勧めできないですね。
恐らくはもう数年すれば、ほとんどジパングと相場は変わらなくなるでしょう。
そうなればその商売も相当難しくなりますね。
もっとも品質は良いので、鉄と共に喜ばれるようですが・・・」
「そうか・・・」
勝成も自分の考えた話しがさほど儲からないと知るとガックリとする。
「それに江戸幕府の開府に伴って、我々も江戸に銅や、鉄の店を出し始めましたから、その勢いは一層増すでしょう」
その言葉に正信がうなずきながら答える。
「ほほう、最近江戸では銅や鉄の相場がどんどん安くなっていると聞いていたが、そういう理由だったのか」
「逆に金相場や銀相場が上がっている理由もよくわかったわい」
実際にこれから数年後には、江戸幕府の尽力により、日本とジパングの金・銀相場は差がほとんどなくなり、安定する事になる。
「うむ、そうじゃな」
一同が納得するのを見ると高比良が両替を促す。
「それでは実際に両替をなさってください。
ここはジパングの公的両替所なので、ジパングの中と同じ交換率で両替が出来るのでご安心ください」
その高比良の説明に、ふと思い出したように正成が質問をする。
「そう言えば、他にも両替屋があると聞いているが?」
「はい、ジパングで正式に登録されている両替商はまだ良心的ですが、ジパングに認められていない両替商や、悪質な未登録両替商もいるので、ご注意ください」
「手数料が五割を超える所もあると聞いたが?」
「それは恐らく財から小判や丁銀に変える逆両替屋ですね。
先ほども言った通り、ジパングでは公式には財からの両替はしないので、それなりに重宝はされているようです。
それよりも悪質な所では贋金と交換する所などもあるようなので、先ほどの贋金対策を思い出して贋金をつかまされないように気をつけてください。
また、そういった者を見つけた場合には御役所に届け出れば、金一封を貰えたりもしますので、よろしくお願いいたします」
「そんな者が?心得た」
「それと最近では明銭やポルトガルなどの外国通貨を悪用している模様です。
そちらの方が交換率が良いからと嘘を言って、財や小判を巻き上げる者もいるようなので、そちらも合わせてご注意ください」
その高比良の説明に一同は驚くやら呆れるやら感心する。
「そのような者まで?どこにでもあくどい事を考える者はいるものよのう」
「全くじゃ」
「さてと、では、どれほど両替をすれば良いかのう?」
「まあ、とりあえず一人当たり、十両も両替すれば良かろう」
「そうじゃな、もし途中で足りなくなれば、また中で両替をすればよかろう」
「仮に余ったとしても、最近は江戸でも財が使えるから、さほど問題はあるまい」
「うむ」
色々と驚きながらも一同が無事に両替を終わると、両替屋を出て全員が溜め息をつく。
「やれやれ、両替するだけに、思ったよりも時間がかかってしまったの」
「それは初めてだから仕方がない。
それに随分と有益な話も聞けた」
「うむ、確かにここの話だけでもずいぶんとためになったのう。
幕府の今後の事を色々と考えさせられたわい」
「十両の両替料が五分取られて、約九万五千財か」
「しかし、改めてこの金貨や銀貨を見ると、何やら心が躍るな」
そう言いながら改めて真新しく製造された金貨や銀貨を見ると、全員が軽く興奮した気持ちになってくる。
「ああ、改めて異国に来た感じがするのう」
「それではご一同参りますぞ」
正信の言葉に一同はうなずくと、両替屋を後に再び歩き始めた。