第04話 ジパングの条件
家康はその大恩ある、あいらやジパングと、できれば戦いたくはなかった。
そこで家康は重臣たちを集めた場に、あいらを呼んで問いただしてみようと考えた。
徳川とジパング、家康とあいらは対等の立場ではあったが、一応、あいらが家康に仕えている形を取っているので、家康が上位という事になっていたために、家康はあいらを呼び出したのだった。
「ジパング国主、明月院あいら、家康様の御要望により、まかりこしました」
挨拶したあいらは、家康と初めて出会った数十年前の昔と全く変わらず、優雅で美しく気高かった。
そして後ろにまとめた黒く長い髪をなびかせて、いつも通りの簡素ではあるが、ジパング式の着物を着ていた。
それは薄手の白地に端に赤の線が入った、キチッとした服で、腰にはこの世に切れぬもの無しと言われているアレナックと言われる金属の刀を差していた。
家康に会見する時に、大御所である家康以外に唯一、江戸城で刀を差していられるのは家康と対等の身分の証でもある。
だが、この時点で徳川重臣たちの中にはすでに顔をしかめる者がいた。
あいらは「御命令」ではなく「御要望」と言った。
つまりこの時点で、すでに「配下」ではなく、対等の「盟友」である事を宣言しているのだった。
また刀を堂々と差して来た事も同様の事を示していた。
そして家康の事を「殿」や「大御所様」ではなく、単に「家康様」と呼んでいるのも、今やあいらたちジパングの者だけだった。
しかし、家康はそのような事を全く気にするでもなく、喜んであいらを迎えた。
「よう来てくれた。
あいら殿よ、実は今回は折り入って相談と願いがあるのじゃ」
家康の物腰は柔らかかった。「命令」ではなく「相談と願い」と言ったのも、家康のあいらに対する気の使い方だった。
何と言っても、今日までは対等の盟友であるのだ。
その対等の相手に、いきなり今日か明日にでも配下になれと言うのであるから、出だしは腰が低くなるのは当然と言えた。
この時、ふと家康はかつての秀吉と自分との会談を思い出していた。
秀吉が天下を取る一歩直前であった頃、秀吉はどうか大坂城に来て、形だけでも自分に頭を下げて欲しいと願い出たのだった。
その時、秀吉との戦いを避けた家康は不本意ではありながら、秀吉に頭を下げる約束をしたのだった。
そしてその結果、秀吉は天下を取ったのだった。
今ある意味、自分がその秀吉と同じような立場にいるかと思うと、家康は不思議な気持ちだった。
家康はあいらに話し始めた。天下も定まり、もはや徳川の世となった、できればこれからは盟友ではなく、徳川の配下として一大名となって接してはくれまいか?
その代わり、徳川としては見返りに可能な限りは尽くすつもりである。
対等の身で散々世話になっておいて、このような言い分はずうずうしい限りだが、どうか自分の願いを聞いてはくれまいか?
そう、あいらに語ったのだった。
「狡兎死して良狗煮られる」とはまさにこの事だったが、家康も驚いた事に、ジパングのあいらは意外にもあっさりと配下になる事を受け入れた。
「承知いたしました。
このあいら、ジパングもろとも家康様の、いえ、徳川家の配下となりましょう」
「まことか?」
あまりにもすんなりとあいらが降伏を受け入れるので、家康も驚きを隠せない。
「はい、今まで家康様に誠心誠意お付き合いしてきたこのあいらが、どうして今更偽りを申しましょう。
ただし、それにはいくつかの条件がございます」
降伏には条件があると聞いて、家康もようやくある程度納得もしたし、安心もした。
家康としても、今までは対等の盟友だった者に対して、何の条件もなく、いきなり配下になれと言うつもりはなかったので、それをあいらの方から話し出したのはむしろ好都合なほどだった。
「うむ、もっともな事じゃな。
そなたとジパングは常にわしと徳川を陰日向に助けてくれた。
わしも出来る限りはそなたの願いを叶えてやりたい」
家康はあいらとジパングに対しては、今まで様々な恩義もあり、可能な限り本気で、その条件を飲もうと申し出た。
家康としては、それこそあいらが百万石以上を望んでも、徳川の領地を割いてでも叶えるつもりだったし、副将軍や関白の地位を望んでも与えるつもりだった。
「ありがとうございます」
礼を述べるあいらに対して、こうもあっさりと降伏をするとは思っていなかった徳川の重臣たちが驚く。
しかし、その驚きはあいらが条件を語り始めると、別の驚きに取って変わられるのだった。
「さて、それではこちらの降伏の条件をお知らせいたしましょう」
あいらの言葉に、今まで徳川と対等でいた者が、一体どのような条件を出すつもりなのか?家康を始めとして、一同が固唾を呑んで耳を聞きたてる。
「条件としては十二条ございます。
一つ、我が藩の土地は荒川と江戸川の間と大川(隅田川)から検見川までの間と、海で囲まれた場所、それと慈潘具諸島である事。
ただし、大川から亀戸川までは緩衝地帯としてジパングと江戸幕府双方の土地とします。
そして改易や国替えは決して受け入れません
二つ、現在ある江戸と京、大坂などにある我が藩の屋敷や施設は、そのまま我が藩が治めること。
そして、その敷地中では幕府の権限は効かないこと
三つ、我が藩の政策・内政、及び内部事情に幕府は一切、口を挟まぬこと、またその権限もないこと
四つ、幕府において諸外国に対する外交的な問題は発生次第、必ず速やかに我が藩に相談すること
五つ、今後、将軍職を継ぐ者には、決して我が藩と争ってはならないと教える事
六つ、大老、老中、若年寄、大目付、及びそれに相当する役職の方々は万一、幕府、もしくは将軍が我が藩と事を構える事になった時は、それを諌める権限と義務があること。
それを怠った場合、解任、改易もあること
七つ、将軍家、大名家とその家老、及び直参旗本の子弟は、男女を問わず、必ず十三歳になったら当藩に留学をして最低でも五年間学ぶ事、それを徳川幕府の名で行います。
しかし、身体的な事やその他、何かしら問題があって、それが出来ない者は留学を延期、もしくは免除されます。
但し当藩にて学ばなかった者は、何らかの制限をかけられます
八つ、あくまで今回の件は、日本の部分のジパングだけの事であること。
こちらの本国は関係なく、そのままである事
九つ、我が藩の通貨である“財”を日本中に公式に流通許可する事
十 、我が藩の通貨を偽造、改造、変造等をした者は幕府がただちに取り締まること。
また当方でも日本中で取り締まる事が出来ること
十一、我が藩の名称や登録されている屋号を勝手に使用する者は、幕府が必ず取り締まること。
また当方でも日本中で取り締まる事が出来ること
一二、我が藩の手形・証明書を持った民は自由に日本を行き来可能にすること。
その際の身分は武士相当にして、万一何らかの罪を犯しても、その罪はジパングの裁きとすること
以上の十二項目です。
なお、以上の項目はジパングが正式に徳川幕府に降伏を認めると同時に発効しますが、七つめは準備期間に五年、そして、補足事項として、該当者が従わない場合に何らかの制限と言うのは、主に跡目を継げないと事と考えていただきます」
あいらが全ての条件を話し終わると、最初はあっけにとられて無言だった家臣団が、すぐに大声で怒鳴り始める。
「なんというあきれた要求だ!これが降伏する者の条件か?」
「大御所様!このような条件を受け入れる必要はありませんぞ」
「何が降伏の条件だ!どの口がぬけぬけと・・・」
騒ぎ立てる家臣団に、あいらが凛とした声で制する。
「おだまりさい!私は家康様に聞いているのです」
しかしあいらが制しても、家臣団は収まらない。
「なんだと!この痴れ者が・・・!」
「貴様など、この場でわしが成敗してくれるわ!」
その家臣たちに家康が怒鳴りつける。
「だまれ!」
自分達の君主である家康に一喝された家臣達が、流石に今度は押し黙る。
「もし、わしがこの条件を受け入れなければ?」
家康の質問にあいらが淡々と答える。
「そうなった場合、私達は正式に徳川家とは交わりを断ちます。
その後はおそらく戦になるでしょう。
そしてその戦に徳川方は負け、徳川幕府は滅びるでしょう」
「なっ!」
そのあいらの言葉に、再び家臣たちが声を上げようとするのを、家康が片手で制して質問を続ける。
「なぜ今ここで我々を切らぬ?」
事情を知らぬ他の者たちはいざしらず、家康はあいらの実力を知っていた。
あいらは、家康の見知っている人間の中では群を抜いて強く、ここにいる家臣団全員の首を取る事など、彼女にとっては、たらいの中の鯉を捕まえるよりも造作もない事だと知っていた。
従って戦をするまでもなく、家康も含めて、今ここにいる重臣たちの首を取れば事は終わるはずだった。
それの家康の疑問に対してあいらが玲瓏とした声で答える。
「第一にそれは我々の流儀ではありませぬ。
第二に我々は約束を必ず守ります。
私は家康様、あなたが私を敵視しない限り、友であると思っております」
それは家康の予想通りの答えではあったが、そのあいらの答えに再び家康が考え込む。
「むむむ・・・」
「いかがいたしますか?」
あいらに問われて家康は困惑した。
家康は家臣のほとんどの者達よりも、あいらとジパングの事を知っていた。
その兵力、文化、思索の深さ、国としての方向性や思惑も他の者よりも知っているつもりだった。
だからこれほどの複雑で多くの条件が、いまこの場で考えられた物とはとても思えなかった。
つまり、あいら、ひいてはジパングは以前からこの条件を考えていた事になる。
それは確実に間違いのない事だった。
しかしそれは一体いつ頃からだろうか?
この条件には徳川が天下を取らなければ意味が無い条件が多く含まれている。
そしてそれは最初からまるで徳川の手に天下を取らせようとしていたかのようだ。
それを考えると家康はゾッとする物が背中を走った。
「最初」からとは一体いつからであろうか?
関ヶ原の時だろうか?
それとも今川から独立して自分の護衛を始めた時であろうか?
よもや竹千代の頃に初めてあいらと会った時からだろうか?
もしそうだったとしたら・・・?
そう考えると家康はえも知れない恐怖に囚われた。
「しばらく考えさせてくれぬか?」
「ええ、お返事は後日でも良いですよ」
「かたじけない」
礼を言う家康にあいらがやさしく話しかける。
「家康様・・・」
「何か?」
「いくら家康様でも、おそらくこのまま終わらすのは無理でございましょう」
「・・・」
確かにジパングには得体の知れない部分はあった。
むしろ多すぎた。
それを考えればいくら家康が決定をしても、部下たちがこのままジパングの思惑通りに従うのは難しいと家康は考えていた。
しかし、人質で空しい思いをしていた自分の相手をしてくれたのはあいらだったし、それ以上に自分をここまでの天下人にしてくれたのは、あいらとジパング、その二つの力は大きいと家康にはわかっていた。
その恩はとてつもなく大きいし、どう返しても返しきれないほどであるのは家康にもわかっていた。
そんな家康にあいらはさらに言葉を続ける。
「一度、配下の皆様にジパングをお好きなように攻めさせてみなさいませ、我々は何とも思いませぬ」
「・・・!」
“何とも思わない”そのあいらの一言で、家康はハッとある事に気づいたような気がした。
自分は今まで自分の考えで、天下を目指して来たと思っていたが、実はジパングに操られていたのではないだろうか?
いや、自分だけではない、あの信長公も太閤秀吉殿も、みな全てジパングに操られていたのではないだろうか?
自分たちは釈迦の手の平の上の猿で、実は今までの事は全てジパングの計画通りだったのではないだろうか?
だからこれから自分たちが攻めようとも何とも思わないのではないか?
そんな不安に襲われたのだった。
しかし、家康は頭を振ってその自分の妄想を否定する。
仮にそうだとすれば、あまりにも不確実な要素が多すぎた。
もし桶狭間で今川軍が負けていなければ?
もし本能寺で光秀が信長公を討っていなければ?
もし秀吉が山崎でその光秀を討っていなければ?
どう考えても偶然の要素が多すぎた。
そう考え直した家康は改めてジパングの思惑を考える。
どちらにしてもこの状況で自分の配下の者たちは、いくらジパングの事を説明したとしても理解は出来ないだろう・・・そんな家康にあいらは全てを見通したかのように話しかける。
「口で説明してもわからぬ者はたくさんおりまする」
「本当に攻めても良いのか?」
今まで友軍でもあり、あいら自身は家康の数少ない友でもあった。
また家康の伊賀越えや関ヶ原の合戦も、あいら、ひいてはジパングの協力があったからこそ無事に終えたという事は疑いがない。
その恩人とも言える人間と、そのの故郷であるジパングを攻めるというのは、個人的な感情もさる事ながら、今までのジパングの功績を知る者たちにとっても動揺を誘う行為だった。
しかしあいらは余裕すら感じる微笑で家康に答えるのだった。
「はい、もちろん家康様には、かの街が落ちるかどうかはわかっておりましょう?」
「やはり・・・落ちぬか?」
家康は恐る恐る問うてみた。
かつて家康はあいらと本多正信弥八郎に連れられて、ジパングで数ヶ月生活をした事があった。
その時の経験と知識、そして戦さ人としての本能で決してジパングには勝てないと言うのはわかっていた。
そしてあいらは淡々と家康の予想通りの返事をするのだった。
「ええ、例え百万の兵と百万の鉄砲と大砲があっても、残念ながら・・・」
「そうか・・・」
「しかし、部下の皆様を納得させるには一度は攻めねばなりましょう」
「本当にそれで良いのか?それでその後もわしと友諠を保ってくれるのか?」
「はい、それが家康様の今後のためになるのならば、友としてあえて攻められましょう」
そのあいらの言葉で、家康の気持ちは完全に決していた。
大きくうなずいた家康があいらに礼を述べる。
「承知した、かたじけない」
「いいえ、それでは私はこの後、一度ジパングに戻り、戦の準備をさせていただきます」
「うむ」
家康の返事を聞くと、あいらは一礼をしてスッと立ち上がり、部屋を出ようとする。
しかしそこへ何名かの部下が駆け寄り、襲いかかろうとする。
「愚かな!このまま無事に返すと思うてか?」
「その傲慢な思い上がり、今ここで思い知らせてくれよう!」
その男たちにあいらは怯える風でもなく、ただ淡々と答える。
「おやめなさい、後悔する事になりますよ」
「何をこの雌狐めが!」
今まさに襲いかからんとする部下たちを家康が一喝する。
「やめぬか!」
その言葉に全員がピタリと止まり、躊躇する。
「しかし、大御所様、このように徳川の権威を軽んじる者がいては・・・」
「さよう、今後の天下に示しがつきませぬ」
口々に反論する部下たちに家康が再び命令する。
「やかましい!そこにいるあいら殿はわしの古くからの莫逆の友。
仮に今後、戦場で敵同士で会おうとも、その尊敬と友誼に揺るぎはない!
それがこのような場にわざわざ呼んでおいて、騙し討ちのように首を取ろうなど、卑怯千万!言語道断!
そのような事をすればわしの名が地に落ちるわ!
そのような振る舞い、他の誰が許してもわしが決して許さぬ!
もしどうしてもあいら殿の首級をあげたくば、戦場にて尋常に勝負して奪え!
わかったか!」
その獅子が吼える如き家康の言葉に全員がその場にかしこまる。
「ははっ」
「失礼いたしました」
部下たちが納まると家康があいらを促す。
「さ、失礼いたした。あいら殿、行かれよ」
「かたじけのうございます。家康様」
そう言って頭を下げると、あいらは部屋から退出した。