第02話 竹千代とあいら
その女性はある日、突然竹千代の前に現れた。
人質の身として一人さびしくしていた時に、まさしく目の前に突然現れたのだった。
髪を背中に長くたなびかせ目鼻立ちの整った美しい20代の女性だった。
その身は一見、和服のような純白の衣装を着て、襟や裾の部分は赤くなっている。
女性だが、その腰には武士同様刀を二本差していた。
「はじめまして、竹千代君」
今まで誰もいなかった場所に突然人が現れて竹千代は驚いた。
「誰じゃ?」
「私は戦乙女を率いる者で、明月院あいらという者ですよ」
「イクサオトメ?なんじゃそれは?」
「そのうちわかりますよ、今はただ、あいらと呼んでいただければ結構です」
「そのあいらが何をしに来たのじゃ?」
「まずは竹千代君のお顔を見る事ですよ、それから・・・」
「それから?」
「遊ぶ事かな?」
「遊ぶ?」
「ええ、何をして遊びますか?」
「・・・・」
いきなり出てきた人物に遊ぶと言われても、竹千代には何と答えて良いかわからない。
幼いとはいえ、竹千代は人質生活を送っているうちに用心深くなっていたので、なおさらだった。
それを察したあいらが、懐から何やら取り出して竹千代に見せる。
「ふふ・・・じゃあ、私が持ってきた物で遊びましょうか」
「何を持ってきたのじゃ?」
「色々ありますけど、今日はこれを持ってきましたよ~。
これ、何だかわかりますか?」
「何じゃ?それは?」
初めてみる丁の字の形をした竹細工に竹千代は不思議がる。
「これは竹とんぼです。こうして・・・」
あいらが両手で竹とんぼを晴れた大空に飛ばして見せると、竹千代が驚く。
「おお~っ」
初めて空を飛ぶ竹とんぼを見た竹千代は大いに気に入ってはしゃぐ。
あいらは落ちてきた竹とんぼを拾うと、今度は竹千代に手渡す。
「さあ、今度は竹千代君が飛ばしてみてください。
こうして手をすり合わせるようにして・・・」
あいらの言う通りにすると、今度は竹とんぼが竹千代の手によって大空へ舞い上がる。
「おお~飛んだ!飛んだぞ!」
竹千代は大喜びで竹とんぼを追いかけると、落ちてきた竹とんぼを拾い、再び夢中になって飛ばす。
用心深げだった表情はすっかり子供の顔に戻り、楽しそうに竹とんぼを何度も何度も飽きることなく、飛ばして遊んでいた。
あいらはもう一本、懐から竹とんぼを取り出すと、一緒になって飛ばして遊ぶ。
しばらく竹とんぼに夢中になっていた竹千代であったが、やがてあいらが別れを告げる。
「それでは、私はこれでおいとましますね」
「行ってしまうのか?」
「ええ、今日はここまでです」
「あいら、また会ってくれるか?」
「ええ、また一年後に」
「一年・・・」
幼い竹千代にとって一年は長い。
しかもこんな夢のような出会いでは、出会いそのものを忘れてしまいそうだった。
それを察したのか、あいらが竹千代に話しかける。
「私と遊んだのが、夢や幻でなかった証にこれをもっていてくださいね」
そう言うと、あいらは細長い丸い筒を手渡す。
「これはなんじゃ?」
不思議な丸い筒を持って竹千代が質問する。
「万華鏡ですよ」
「まんげきょー?」
「更紗眼鏡の事ですよ。
明るい方へ向けて、そこの覗き穴から中を見て、くるくる回してくださいね」
「こうか?」
あいらに言われた通りに竹千代が筒を構えてみせる。
「ええ、そうして中を覗きながら筒を回してください」
あいらに言われて竹千代が万華鏡を覗きながら回すと、そこには色取り取りの世界が色彩と光の洪水として氾濫していた。
「おお~っ」
竹千代が筒をクルクルと回すと、カシャ・・カシャ・・・とごく小さな音を立てながら万華鏡は美しい世界を織り成す。
一体どういう仕組みなのか竹千代には全くわからなかったが、その美しい小さな世界に竹千代は興奮して虜になった。
竹千代はしばらく夢中になって万華鏡を回しながら覗きこんでいた。
「凄いぞ!あいら!これは・・・」
ハッと竹千代が気づくと、そこにはもう誰もいなかった。
竹千代は、自分がまたたった一人になったのを気づいたのだった。
しかし、あいらは竹千代との約束を守った。
それから毎年、日は決まっていないが、竹千代が一人でいる時、あいらはいつも突然やってきて、遊び相手となっていた。
竹千代は不思議に思っていたが、それは年に一度の楽しみであり、毎年あいらがやってくるのを一日千秋の思いで待っていたほどだった。
ケン玉、折紙、ベーゴマ、ビー玉と、あいらは毎年必ず何かしらのおもちゃを持ってきて、竹千代はそれに夢中になって遊んだ。
そして幼い竹千代が、いつもそれに夢中になっている隙に、いつのまにか姿を消すのだった。
あいらと出会ってから5年ほど経った時、初めて竹千代はあいらに聞いたみた事がある。
「あいらと始めて出会うてから、もう5年か・・・
しかしあいらは、いつもどこから来るのじゃ?」
「私ですか?ジパングという所からです」
それは竹千代が全く聞いた事がない場所だった。
「ジパング?聞いた事がない・・・それはどこにあるのじゃ?」
「ここからだいぶ東の方ですね」
ここ駿河の国から東と言えば、東夷と言われ、いまだこの時代は田舎扱いだった。
竹千代は自分の知っている東の地名を挙げてみた。
「東・・・伊豆か、小田原か・・・?」
「いいえ、もっと東です」
「とすると、武蔵の国か?」
「そうですね、武蔵の国と下総の国との境、そこがジパングです」
「そんな所から?」
「ええ、そうです」
それは子供の竹千代にとっては、まるで地の果てのように感じられた。
そんな遠い場所から、年に一度とはいえ、わざわざ自分に会いに来るのが信じられないほどだった竹千代はあいらに聞いてみた。
「しかし一体何のためにそんな遠くから私に会いに来るのじゃ?」
「それは竹千代様に御味方するためです」
「なぜ私に味方するのじゃ?」
「それがジパングの意思だからです」
「?」
その時の竹千代にはその意味がわからなかったが、あいらが味方だという事は、なんとなくうれしかった。
しかし自分は悲しいかな人質の身の上だ。
一体いつまでこんな自分の味方でいてくれるのか、不安にも思ったので、あいらに質問をしてみた。
「あいらはいつまでも私の味方でいてくれるのか?」
「ええ、竹千代様の方から私たちと戦おうとしない限りはずっと御味方ですよ」
「・・・それは私がずっと人質であってもか?」
「ええ、そんな事は関係ありません」
おずおずと質問をした竹千代に、あいらはニッコリと微笑んで答える。
その答えを聞いて竹千代の顔は一気に明るくなる。
「では、では!私はあいらと戦う気などない!戦いとうない!」
「ありがとうございます。
それでしたらあいらはいつまでも、竹千代様の御味方でいられます」
その答えに竹千代は喜んで言った。
「・・・もし、もし、将来私がひとかどの武将になれたら、必ず、あいらには報いたい。その時は何でも与えるから何でも言って欲しい。
金でも宝石でも綺麗な着物でも、何でもあいらが欲しい物をお礼にあげたい」
そう興奮して話す竹千代にあいらは首を横に振って答える。
「いいえ、あいらはそのような物はいりません」
「いらない?では何が欲しいのじゃ?」
「そうですね、あいらが望むのは竹千代様がいつまでも私の御友達でいる事、そしてジパングとも仲良くしてくれる事です」
そのあいらの返事に竹千代は拍子抜けする。
「え?そんな事で良いのか?」
「ええ、それがあいらとジパングの望みです」
「そんな事なら簡単だ!私はいつまでもあいらの友だし、まだ行った事はないが、ジパングとやらとも、決して仲たがいはせぬぞ!約束する!」
「ありがとうございます」
あいらが礼を言うと、竹千代も満足そうだった。
竹千代が十才を過ぎた頃から、あいらは竹千代と遊びながらも、その身体を鍛え始めていた。
鬼ごっこや木登り、かくれんぼをしたりして遊んだが、そのあいらの走る速さや跳躍力に竹千代は驚いた。
それは明らかに普通の人間と大きくかけ離れていたのだった。
特にその尋常でない力には肝を潰すほどだった。
ある時あいらは、大人十人でも決して持ち上げられないであろう大岩を、両手でひょいと無造作に持ち上げたばかりか、それを片手で半町(約50m)ほど先まで投げ飛ばして見せたのだった。
それも軽く、まるで小石を投げるかのように・・・。
「・・・あいらは恐ろしいほどの力を持っているのう・・・」
「ええ、私は戦乙女ですから」
「いくさおとめ・・・以前にも聞いたが、一体どういう者なのじゃ?」
「それもいずれわかりますよ」
あいらは微笑んでそれ以上は説明しなかったので、竹千代もそれ以上は詮索しない事にした。
竹千代はあいらが年に一度遊び相手になってくれれば嬉しかったからで、それ以上は人質の身である自分は望んではいけないのだと漠然と考えていた。
しかもなぜか、あいらがいる時は、決して誰も邪魔が入らないのだった。
竹千代はそれを不思議に思っていたが、あいらと一緒にいる時は誰にも邪魔されたくはなかったので、それで満足だった。
しかし、竹千代が元服した年、あいらは一時の別れを告げた。
「竹千代様、あいらは今回でしばらくの間、お会いする事はできなくなります」
「会えぬと?なぜじゃ!」
竹千代は、友だと思っていた、そのあいらの言葉に驚いた。
「しばらくはこの国と近隣諸国の状態が不穏になるからです。
これからは竹千代様の周囲も色々と騒がしくなり、忙しくなりましょう」
「では、もう会えぬのか?」
一年にたった一回とはいえ、すでに長い付き合いになっていたあいらと、もう会えなくなるかと思うと、竹千代の心は苦しいほどに辛くなった。
「いえ、大丈夫です。いずれ竹千代様が人質でなくなり、武将として起つ時が参りましたら、必ずあいらは再びお会いしに参ります。
そしてその後はずっとお付き合いする事になりましょう」
「それは真か?」
「ええ、今まで私が竹千代様に嘘を言った事がございましたか?」
「・・・ない、確かにないな。ではその時までしばしの別れか?」
「はい」
「そうか・・・ところで別れる前に一つあいらに頼みがある」
「なんでございましょう?」
「いつもあいらは私の前で最後に突然いなくなる。
今回はせめて私の見ている前でいなくなってくれ」
「わかりました。それでは今回は竹千代様の目の前で消えてみせましょう」
「うむ」
「では、竹千代様、しばらくの間、おさらばでございます」
そう言うと、あいらの姿が徐々に消えていく。
「おお!これは・・・!」
驚く竹千代にあいらが最後に語りかける。
「再び会うその日まで、どうかお体を大切に御自愛ください」
「うむ、あいらも体を大切にな」
「はい、それでは・・・」
「あいら!」
竹千代は叫んだが、そこにはもう誰も見えないし、いないのがわかった。
(いつか再び必ず・・・)
そう誓って、竹千代はあいらのいなくなった場所を見つめるのだった。