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6 絶対に負けられない戦いが、ここにある。

 それは、戦いの始まりだった。

 緊迫した空気の中、四体の魔族が二手に分かれて見合っている。

 一方は、魔王側近のジャンとルゥ。そしてもう一方は、同じく魔王側近のブラムと、魔王その人である。

 両者の間で真剣な眼差しが交わされる。


 「ルゥ、ジャンよ、この魔王、いかにそなたらとて手加減はできぬぞ?」


 魔王は不敵な笑みを浮かべる、

 対するルゥは、静かに息を呑んだ。


 「望むところです、陛下。私とて矜持があります。手は抜きません」


 真っ直ぐに魔王の瞳を見つめながら、ルゥは言う。

 その言葉に、魔王は満足そうな笑みを浮かべた。

 互いの間に緊張感が満ちる。

 それはまさしく、戦いが始まる直前の空気であった。


 「……なにこれ」


 ブラムの呆然とした声が落ちる。

 それは、遡ること二時間程前の出来事である――




 「よし、じゃあ本日の業務も終わりだな、お疲れさん」


 ブラムがそう声を掛けると、魔王の執務室で仕事をしていたジャン、ルゥは手を止める。


 「…もうそんな時間か」

 「本日もお疲れ様でした、先輩方。」

 「ああ、お疲れ。陛下もお疲れ様でした…って」


 魔王の方へと振り返った人間姿のブラムは、思い切り顔を顰める。

 目線の先にいたのは、スマホとにらめっこしている魔王の姿である。


 「ちょっと陛下。仕事が終わった途端スマホですか。最近そればっかりいじってますけど、どうかと思いますよ、俺は」

 「むう、別にいいではないか。本日の業務が終わったとトゥイートしただけであろう」

 「それはいいんですけどね、せめて時間を決めて遊んで下さい。目に悪いですよ」

 「ええい、お前は我の母上か!お節介焼きめ!」

 「ええ、お節介焼きですよ。陛下の側近なんですから」


 頬を膨らませている魔王に、ブラムは大きくため息で返す。

 そんなやり取りをしているところに、ルゥがやってくる。


 「ですが陛下、最近本当にそればかりいじっておりますね。そんなに面白いものなのですか?」

 「うむ、気になるかルゥよ!これは真によい品であるぞ!」


 ルゥの何気ない問いかけに、魔王は目を輝かせて答える。


 「何せ人間界の世界中の情報が、いつでも、どこででも見れるのだ!人間界の情報に少し詳しくなったぞ我は!それに、我が今こんなことをしてる、とトゥイートするとな、人間どもから反応が返ってくるのだ!面白いであろう!」

 「はあ、ではちょっと拝見します。えっと、陛下のさっきのトゥイートに対しては…『おつかれー』、『魔王って何の仕事してるの?』、『さっさと勇者に倒されちゃえ』…」

 「あ?」

 「…ブラム、殺気を消せ。今戦闘態勢になったところでどうしようもないだろう」


 魔王のトゥイートに対するリプライに凄まじい殺気を見せたブラムだったが、ジャンに宥められ渋々殺気をひっこめた。

 しかし魔王は気にした様子もなく話を続ける。


 「他愛ない人間どもの戯言など我は気にせんぞ。我は寛大故な。それに人間どもの発言も、なかなかに面白いのだ。今人間界では何が流行っているか、なども分かるし――む、そうだ!」


 魔王は突如何か思いついたように立ち上がり、側近たちを見た。


 「お前たち!ぱんけえきとやらを知ってるか!?」

 「ぱん?」

 「…けえき?」

 「何なのですか、それは?」

 「うむ、ちょっと待つがよい。イイネをしておった故」


 魔王はそう言ってスマホの画面を操作すると、側近たちに勢いよく突きつけた。


 「うむ、これがぱんけえきである!今人間界で流行っているすいーつであるそ!どうだ、美しいであろう!?」


 魔王が見せた写真に写っていたのは、ふわふわとした生地の上に、カラフルな果物や真っ白なクリームが乗っている食べ物だった。


 それを見て、ルゥは感心したように息を零す。


 「確かにこれは美しいですね。人間たちはこんなものを食べているのですか」

 「うむ、皆『ぱんけえきなう』みたいなことを写真と共にトゥイートしているのだ。我もこれがやりたいぞ!」

 「でも、陛下は魔界から出られないじゃないですか」


 ブラムが呆れたようにため息を吐く。


 「うむ、それが真に厄介であるな…我も人間界に遊びに行きたかったのだが…」

 「…絶対やめて下さい。大騒ぎになる」


 ジャンは沈痛な面持ちで冷静に言う。


 「という訳で、これを作って欲しいのだ!お前たち、できるか?」


 魔王が尋ねると、真っ先にルゥが言葉を返す。


 「可能でしょう。見たところ、それほど難しい料理でもなさそうです」


 ジャンも、改めて写真を見て言葉を落とす。


 「…それなら俺も手伝おう。この程度なら俺にもできそうだ」


 ブラムはそれを聞き、明るい声を上げる。


 「おお、じゃあ安心だな。ルゥとジャンならきっとうまいものになる」

 「うむ、楽しみであるな!我、飛び切り甘いものが食べたいぞ!」

 「かしこまりました、陛下。このルゥ、ジャンと共に腕によりをかけてお作り致します」


 ルゥはそう言って張り切って胸を張る。魔王は満足そうに微笑んだ。

 そこに、ふとブラムが声を落とす。


 「でも、簡単だって言うなら、俺も手伝おうかな。料理の腕なら多少自信があるし」

 「ほほう、ブラム。と言いつつ、変なものを作るでないぞ?」

 「はは、まさか。陛下じゃあるまいし」


 ピクリ、と魔王が反応した。


 「待て。何だその言い方は。我は一度も料理を披露したことなどないぞ」

 「だからですよ。一度も料理したことのない陛下と比べられましてもねえ」


 ピキリ、と魔王の額に青筋が浮かぶ。


 「ほほう、言うではないか。我、魔王ぞ?魔王なのだぞ?料理くらいお茶の子さいさい、天下一品の品を作るくらい訳ないぞ?」


 ブラムは両手を上げて鼻で笑う。


 「まっさかあ。少なくとも、ルゥには勝てませんよ。ルゥの腕は城のコックより上だと俺は思ってますし」

 「ぶ、ブラム先輩!さすがにそれは言い過ぎです!」

 「…いや、俺もそう思うぞ」

 「ジャン先輩まで!」

 「……むう、確かに一理あるが、我の腕がルゥに劣るとは限らん!」

 「無理ですって、陛下。諦めて下さい。陛下は大人しく、食べる専門を極めた方がいいですよ」


 ブチリ、と何かが音を立てた気がした。

 側近たちは魔王を見る。

 魔王は俯いたまま、ゆらり、と体を揺らした。


 「言うではないか、お前たち。この我が、料理ができぬとな…」

 「…いや、言ったのブラムだけですが…」

 「よかろう。我、おこであるぞ。激おこである」

 「なんとなく、その言葉古そうですね」

 「――我は決めた」

 「な、何をです…?」


 ダン、と大きな音を立て、魔王は一歩前に踏み出す。


 「そこまで言うなら仕方あるまい!この我が、料理がものすごくできるということを証明してやろうではないか!!そう、今宵は決闘である!!そう、題して――」

 「『魔王城ワクワク料理対決!』ってとこですかねぇ」


 門番のイシドロが、楽しそうに呟いた。

 一同はそちらを振り返る。


 「…お前、いつからいた」

 「まあまあ、細かいことは気にしない。このイシドロ、面白そうなことがあればいつでもどこでも即参上ですよ。…まあ、それはさておき」


 イシドロは楽しそうな笑みを浮かべる。


 「会場のセッティングならお任せあれ。審査員もこちらで準備しましょう。陛下たちは思う存分料理をして頂くだけで結構。どうです?」

 「うむ、ではそなたに一任する」

 「御意」

 「マジか…」

 「と、いう訳で」


 イシドロはにっこりと笑みを浮かべた。




 「レディース!アーンド!ジェントルメーン!!よくぞお集まり頂いた愚か者ども!!今宵はよき決闘日和だ!まさにスイーツが食べたくなる!そんな日に、クレイジーな奴らが集まったぜ!さあ、ご紹介しよう!」


 マイク片手に叫ぶイシドロは、会場の右手を指し示した。


 「まずは青コーナー!魔狼の一族よりやってきた女、ルゥ!アーンド!不死身の怪力男、ジャンの登場だー!」


 わあ、と会場が沸き上がる。ルゥは張り切って胸を張り、ジャンも腕を組んで仁王立ちである。

 次にイシドロは会場の左手を指し示す。


 「続いて赤コーナー!驚異の陛下馬鹿吸血鬼、ブラム!アーンド!我らが王、魔王陛下の登場だー!」


 こちらも負けぬほどの歓声が沸き起こる。魔王は優雅に観客席に向かって手を振った。

 互いのチームが向かい合う。

 両者の間で真剣な眼差しが交わされる。


 「ふっ…よもやそなたらと戦うことになろうとは思わなんだが…我は負けぬぞ?」


 魔王は不敵な笑みを浮かべる、

 対するルゥは、静かに息を呑んだ。


 「私もです、陛下。全力でやらせて頂きます」


 真っ直ぐに魔王の瞳を見つめながら、ルゥは言う。

 その言葉に、魔王は満足そうな笑みを浮かべた。

 互いの間に緊張感が満ちる。

 それはまさしく、戦いが始まる直前の空気であった。


 「……なにこれ」


 ブラムの呆然とした声が落ちる。

 イシドロがマイクを掴んで再び叫ぶ。


 「さあ、準備はいいか野郎ども!今宵のテーマはパンケーキ!もちろんうまいものを作った方の勝ちだ!審査員は俺、魔界の門番イシドロと!」

 「魔術院のカティでーす!」

 「魔技研のジルダよ」

 「この三体の悪魔でお送りするぜ!」


 うおお、と観客たちが盛り上がる。

 ブラムは呆然と立ち尽くし、ぽつりと零す。


 「……なに、これ」


 マイクの反響音が響き渡る。


 「さあ会場もあったまってきたところで、そろそろ開始といこうじゃないか!これより先、信じるものはパートナーと自身の腕!いざいざいざ!運命の対決の幕開けだ!」


 イシドロは右手を高く挙げる。


 「――『魔王城ワクワク料理対決』――」


 緊張感が会場を包む。

 イシドロの右手が降り下ろされた。


 「――始め!!」


 ゴングの音と共に、会場に歓声が沸き起こる。

 開始の合図と共に、両チームが一斉に動き出す。

 ただ、ブラムだけは。

 現実を受け止めきれず立ち尽くしていた。


 「なにこれ――!?」

 「ぼさっとするなブラム!もう戦いは始まっておるのだぞ!」

 「それ以前にですね!!色々とツッコむべきとこあるでしょう!?何なのこの会場!?何なのこの観客!?何がどうなってこんな愉快なことになってんの!?」

 「なってしまったものだから仕方あるまい!それより手を動かせ手を!!」

 「あーもう畜生!イシドロは後でぶっ飛ばす!!」


 ブラムは半泣きで動き出した。

 その間にもイシドロは華麗なマイクパフォーマンスを披露する。


 「さあ!いよいよ始まりました運命の対決!実況はこの、魔界の門番イシドロがお送りするぜ!…なお、この対決は現地で見れない奴らのために、アイチューブでライブ配信されてるぜ!みんな、トゥイッターで是非拡散してくれよな!」

 「あいつ本当何やってくれてんの!?」


 ブラムは叫ぶが、その声は歓声に掻き消される。

 もうこうなればヤケだ、とブラムは全てを諦めることにした。

 イシドロはマイクで高らかに叫ぶ。


 「さあ、まずは青コーナーから見ていこうか!こっちは二手に分かれて作業しているぞ!見たところ、ルゥが生地を作り、ジャンがクリームを泡立てているようだが…?」

 「クリームの泡立ては力いるもんね!ナイス采配ってかんじかな!」

 「どっちも手際がいいわね。特にジャンは氷水で冷やしながら泡立ててる。正しい手順で、見てて安心するわ」


 解説のカティとジルダもマイクをとり、食い入るように見る。

 その時である。


 「ちょっと陛下!?」

 「おっとお、赤コーナーから悲鳴が上がったぞ!?一体どうした!?」


 会場の目が赤コーナーに集まる。

 ブラムは慌てたように叫んだ。


 「いいですか陛下!基本的な生地の材料は恐らく、薄力粉にベーキングパウダー、あとは砂糖、卵、牛乳、バター!そんなもんで充分です!それ以外は余計ですって!」

 「何を言うブラム!そなたとてあの写真を見ただろう!あの写真の生地はふわふわであった!故に――」


 魔王は手に持っているものをブラムに突きつける。


 「わたあめを入れるのは道理であろう!!」

 「おっとぉ!陛下が手に持っているのはわたあめだー!誰だこれ用意した奴!」

 「兄さんでしょ」

 「そうだったー!!」


 魔王の動きに解説席も盛り上がる。

 しかしブラムはこめかみに手を当てた。


 「まあある意味砂糖みたいなもんだからいいですけど…先が思いやられる…」

 「ふふん、安心するがよいブラム。我は慧眼故な、見ただけで全ての材料が分かったぞ」

 「俺はその言葉信用できませんよ?」

 「えーと、次は…生地が茶色かったからちょこれえとであるな!」

 「大丈夫か本当に…」

 「陛下の一挙手一投足にハラハラのブラム!食べる前に胃がやられそうだぞー!?」

 「お、青コーナーでも動きがあったよ!」


 カティの言葉に、青コーナーに注目が集まる。


 「そうしている間に手際のいいルゥは生地を完成させようとしている!」

 「生地はとろっと流れ落ちるくらいがちょうどいいんだよねー」


 カティが言っている間に、ルゥは泡立て器で生地を持ち上げる。

 とろりとした生地が流れ落ちた。


 「おお、どうやらいい塩梅の様子!これは期待できそうだぞ!」

 「陛下ああぁぁ!?」

 「おっと再び悲鳴が出たぞ赤コーナー!?」


 再び観客の目が赤コーナーに向く。

 ブラムは頭を抱えて叫んでいた。


 「ですから陛下!余計なもの入れないで下さい!」

 「何を言うブラム!いいか、料理とはな、おりじなりてぃが大切なのだ!ただレシピをなぞるだけでは三流よ!故に――」


 魔王は手に持っていたものをブラムに突きつける。


 「我はこの特上A級ガラオ肉を入れる!」

 「アンタ甘いもの食いたいって言ってたでしょうが!何で肉なんですか!」

 「案ずるな、ぱんけえきにはおかずものもあるのだ。我知ってる。きっとこれであまじょっぱさがクセになるはずだ」

 「アンタわたあめとチョコ入れてたでしょう!どう考えてもミスマッチですよ!冒険しないで無難なもの作りましょう!?」

 「えい!」

 「肉を塊のまま入れんなああぁぁ!」


 ブラムの悲鳴が響くが、魔王は気にせず生地――生地なのかこれ――をかき混ぜる。

 実況席のイシドロは大喜びである。


 「こいつは驚いたあ!陛下はオリジナルの創作料理を作ろうとしているのかあ!?一体何ができあがるんだ!?」

 「冒険も時には大事だよね~」

 「…あれ、私たちが食べるのよね?」


 渋い顔をし始めたジルダを無視し、イシドロは続ける。


 「さあ、青コーナーのほうも見逃せないぞ!こっちは…おっと、生地を焼き始めるところだー!」

 「ジャンのクリームの泡立ても終わって、果物のカットに入ってるね。いい感じ!」

 「あら、生地を普通に焼かないのかしら?」


 ルゥの様子を見ると、フライパンに生地をそのまま流し込む――ではなく、何かフライパンに仕込みをしているようだった。


 「もしやこれは…パンケーキに模様をつけるつもりか!?なんという職人の遊び心!一体どうなるのか!」

 「陛下あああ!!」

 「またかよ赤コーナー!」


 会場の目が再び赤コーナーに向く。


 「陛下!何考えてるんですか!やめて下さい!」

 「邪魔をするなブラム!いいか、ぱんけえきは人間界の西洋の料理だ。故に――」


 魔王は手に持っているものをブラムに突きつける。


 「ワインでふらんべをするのは道理であろう!!」

 「何が!どうなって!そうなったんだ!!」


 ブラムは頭を抱えて叫ぶ。


 「いいですか陛下!フランベは肉とか魚を焼くときに香りづけをする手法です!パンケーキでやったらぐちゃぐちゃの消炭に――」

 「えい!」

 「言ってる間に入れんなああぁぁ!!」


 フライパンから勢いよく火が上がる。

 轟々と立ち上る火柱を見て、ブラムは悟った。


 「――終わった」

 「む、まだ終わりではないぞ!次はてんぱりんぐだ!!」

 「アンタ意味分かってます!?」


 一方審査員たちはというと――誰も、言葉を発することができないでいた。


 「……えーと」

 「冒険してる、ね~…」

 「確認だけど、あれ私たちが食べるのよね?」


 審査員席にはただならぬ絶望感が漂い始めていた。

 その時、イシドロははっとしたように顔を上げる。


 「そ…そうこうしてるうちに残り時間あと五分!さあいよいよラストスパートだ!」


 実況の声に、魔王が顔を上げる。


 「む…時間がないぞブラム!急げ!」

 「もう何もかも無駄な気がするんですが」

 「仕上げのトッピングだ!シェラ茸と椿魚を持てい!」

 「何ができるのかなははははは」


 いろんな意味で絶望感の漂う赤コーナー。

 一方、青コーナーは順調そのものに見えた。

 生地を焼き終わったルゥが顔を上げる。


 「ジャン先輩!盛り付けお願いします!」

 「分かった、ルゥ、皿をくれ」

 「承知しま…きゃっ」


 その時、ルゥの足が縺れた。

 ルゥは皿を抱えたまま床に倒れこむ――

 ガシャン、と皿の割れる音が会場に響く。

 ルゥは恐る恐る、知らずに閉じていた目を開ける。

 そこには、ルゥの体を支えて受け止めたジャンの姿があった。


 「じゃ…ジャン先輩!申し訳ありません!」

 「…気にするな、怪我がないならいい」

 「…!ジャン先輩、血が…!」


 ルゥを庇ったジャンの腕からは血が流れていた。

 ジャンは涼しい顔で口を開く。


 「この程度の傷、すぐに再生するから問題ない。お前もよく知っているだろう」

 「で、でも…!」

 「それよりも、完成を急げ。時間がない」

 「でも、ジャン先輩が――」

 「ルゥ」


 ジャンは穏やかな笑みを浮かべた。


 「…うまいもの、作るんだろう?」


 珍しく笑ったジャンを見てルゥは目を見開き――零れそうになっていた涙を拭く。


 「――はい!」


 ルゥは大きな返事を返して立ち上がる。そして、最後の仕上げに着手した。


 「いやあ、いいねえ、青春てやつ?」

 「微笑ましいわ~」

 「和むわね」


 審査員席がほのぼのとしている間にも、時間は過ぎていく。

 タイマーは残り二十秒を刻むかというところだ。

 イシドロはそれに気づき慌ててマイクを取る。


 「さてさてカウントダウンでもしますか!さあ残り10秒!」


 魔王がノリノリで最後の仕上げをしていく。


 「5!」


 ルゥが手際よくトッピングを終わらせていく。


 「4!」


 ジャンは傷口を抑えながらルゥを見守る。


 「3!」


 ブラムは頭を抱えてうずくまる。


 「2!」


 会場の声が一つになる。


 「1!」


 大きく、鐘の音が響いた。それは、いろんな意味で終わりを知らせる合図。

 張りきったイシドロはマイクを掴んで叫ぶ。


 「さあ、調理時間は終了だ!両者ともに完成させたようだが、果たしてどうなったのか!さっそく実食して審査といこうじゃないか!まずは青コーナーから!」


 イシドロの声で、ルゥと、傷の塞がったジャンが皿を運ぶ。

 審査員席の前に皿が差し出される。


 「作品名は、『わくわくコウモリパンケーキ』です」


 丸いパンケーキの中心に、蝙蝠の模様が描かれたパンケーキ。その周囲にちりばめられた色とりどりの花の形のフルーツも相まって、可愛らしい出来上がりとなっている。

 審査員たちは思わず感嘆の息を漏らした。


 「すっごい女子力高くねコレ!?ちょっと写真撮るわ!」

 「本当かわい~!食べるのもったいないよ~!」

 「な、なかなか可愛らしいじゃない。やるわね」


 それぞれが見た目を吟味したところで、ナイフとフォークを持つ。

 やわらかな生地にナイフを入れ、クリームと共にそれを口に運んだ。

 瞬間、審査員たちは目を見開く。


 「うま!何コレ!ふわっふわじゃん!」

 「ふわふわな上に程よい甘さでおいし~!何皿でも食べれそう!」

 「生地だけじゃない…クリームにジャムを混ぜたわね。ペクチンの効果で泡立ちやすくなる上に、隠し味としても有効…やるわね…」


 審査員たちは夢中になって食べ進める。

 観客席からは「いいなー」とか、「俺にも食わせろ!」などとヤジが飛び交っている。

 審査員たちの皿はあっという間に空になった。


 「いやあ、ごちそうさんでした。満足満足」

 「ふっ…満足するのはまだ早いぞ審査員共よ」


 高らかな声が響き、審査員たちは凍り付いた。

 見ると、既に皿を持った魔王がスタンバイをしていた。

 審査員たちは引き攣った笑みを浮かべる。


 「い、いやあ…だいぶお腹いっぱいになっちゃったなあ、なんて…」

 「む、我の料理が食べられないと申すか?」

 「め、滅相もありません…」


 全てを諦めた審査員たちは大人しく席に座り直した。それはまるで、刑期を待つ受刑者のような姿であった。

 そんなことも知らずに、魔王は意気揚々と皿を差し出す。


 「さあ、食すがいい!題して!『魔王スペシャルパンケーキ~やばたにえん~』であるぞ!」


 それは、どんな魔物よりも禍々しい、およそ食品とは思えない物体であった。

 黒なのか紫なのか分からない色の消し炭が皿の上に鎮座している。そんなメインのパンケーキ生地らしきものもさることながら、周りのトッピングもすごい。活きのいい魚はビチビチと跳ね、かろうじてブラムが綺麗に泡立てたクリームからは、何かの手足が生えている。

 まさにこの世の地獄を詰め込んだかのような、そんなパンケーキ――パンケーキなのかこれ――がそこにあった。


 「………」


 審査員たちは無言でナイフとフォークを取る。

 その手は震えているようだった。

 やがて、数瞬の逡巡を重ね、審査員たちは――それを口に運んだ。

 会場に静寂が満ちる。


 「……ど、どうであるか?」


 魔王が耐えきれず尋ねる。

 審査員たちはおもむろにナイフとフォークを置き――


 「…ヴォエッ」

 「うっ…」

 「ぐ……」




 ~~しばらくお待ちください~~




 「………えーと」


 しばらくした後、口元をナプキンで拭きながらイシドロが声を落とす。

 「勝者、青コーナー!ルゥ&ジャン!!」


 わあ、と会場が沸き起こり、盛大な拍手に包まれる。


 「…っジャン先輩!やりました!勝ちましたよ!」

 「…ああ。よく頑張ったな」


 互いの顔には笑みが満ちていた。

 そんな勝者の姿を見て、魔王は床に崩れ落ちる。


 「――何…だと…」


 魔王は震える拳を床に叩きつけた。


 「何故なのだ…!?我のぱんけえきは完璧だったはず…!!」

 「この後に及んでその自信はどっから沸いてくるんですかねえ」


 ブラムは後ろで冷静な声を落とす。審査員たちも後ろで無言で頷いている。

 ブラムは静かにため息を零す。


 「とにかく、これで分かったでしょう陛下。貴女には料理の才能なんてないと」

 「馬鹿な…そんな馬鹿な話があるか!我は、我は…!」

 「――陛下」


 ふと、魔王が顔を上げると、皿を持って立つルゥの姿がそこにあった。

 魔王は気まずそうに目を逸らす。


 「な、何だルゥ。敗者である我を笑いに来たのか」

 「いえ、そうではありません、陛下」


 ルゥは穏やかな笑みを浮かべる。しゃがみ込み、魔王と目線を合わせる。


 「どうか、私の作ったパンケーキを食べて下さいませんか」

 「…我が、か?」

 「はい。私は今回のパンケーキ、陛下のことを想って作りました。陛下においしいと言って頂けるよう、腕によりをかけて作りました。ですから、他でもない、陛下に食べて頂きたいのです」


 ルゥは静かに微笑む。


 「私は陛下にお仕えしたときから、陛下の手足となると決めました。貴女のために命を懸けると決めました。ですから、陛下が料理ができないとしても――私が陛下の手足となり、代わりに料理をお作りします。それでは、ダメですか?」


 ルゥは俯き、そう尋ねた。

 魔王は、何も言わなかった。

 何も言わずにルゥからフォークを受け取り――パンケーキを口に運ぶ。

 瞬間、魔王は目を見開いた。


 「――おいしい」

 「……っ本当ですか、陛下」

 「うむ、おいしい…!おいしいぞ!やっぱりルゥの料理は魔界一だ!!」


 魔王はそう叫び、ルゥに思い切り抱きついた。

 ルゥは感極まり、涙を浮かべる。


 「――身に余る光栄です、陛下…!」


 わあ、と会場が沸き起こる。

 会場全体が席を立ち、拍手の音が鳴りやまない。


 「――いい話だな」


 ジャンがポツリと零す。


 「いや、何流されてんの?あの産業廃棄物で三つの命が失われたこともっと気にして?」

 「いや、生きてます生きてますブラムさん。死にかけたけど」


 ブラムの言葉にイシドロが冷静にツッコむ。

 カティとジルダも大きくため息を吐いた。


 「本当、あれはこの世のものじゃなかったわね…歴代魔術院院長が川の向こうで手を振ってたわ…」

 「あれは解析不可能ね。兵器としてなら運用できるかもしれないけれど」

 「いや、陛下は二度とキッチンに立たせない方がいい」


 ブラムは冷静に言葉を落とす。

 その言葉は、魔王にも届いていた。


 「言ってくれるなブラム。だが…今は同意しよう。何故なら――我にはルゥがいるのだからな!」


 そう言って、魔王は再びルゥに抱きついた。




 「…で、めでたしめでたしとなった訳ですよ」

 「そんな…イシドロさんが死んでしまったなんて…」

 「カネダ、生きてる生きてる。ここにいる」


 あの決闘があった数日後。王の間でイシドロとカネダ、それからブラム、ジャン、ルゥがその時のことを話していた。

 話を聞いたカネダは苦笑いをしながら口を開く。


 「それにしても、あの料理対決は人間界でも話題になってましたよ。SNSで拡散されて今も動画の再生数が伸びてます」

 「面白いことになったもんなー。俺は死にかけたけど最終的にバズったからいいや」


 イシドロは呑気に答える。この人もなかなかタフだな、とカネダは思った。


 「そういえば、今日は魔王様はどうしたんです?」

 「ああ、さっきまで書類仕事してたんだけどな」ブラムが答える。

 「…何か思い立ったのか、急に私室に篭ってしまわれてな」ジャンは首を傾げる。

 「お体を壊してないといいのですが…」ルゥが心配そうな面持ちになる。


 その時、ばん、と音を立てて王の間の扉が開く。

 一同がそちらを振り返ると、件の人物、魔王が入ってきたところだった。


 「おや、魔王様、お久しぶりです。何かありましたか?」

 「おお、カネダではないか。うむ、ちょうどよい。三日後は空いているか?」

 「はあ、空いていますが…どうしたんです?」

 「うむ、喜べカネダ。そなたには特別に、此度の取材の許可をやろう」

 「取材の許可って…何の?」

 「うむ」


 魔王はにやりと邪悪な笑みを浮かべた。


 「大陸王会議、である」


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