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4 ドキドキ☆魔都デート!

 賑わう市。飛び交う声。そして行き交う人々――否、それは人ではない。

 この場にいるのは、全て魔族である。

 ここは魔都。魔界の中心の更に中心であり、魔王の膝元である。


「…今日は暑いな…」


 そんな場所に足を踏み入れた男が一人。


「取材するには大変そうだ…」


 カネダは一人、禍々しく光る赤い月を見上げながら呟いた。




「魔都の取材、ねえ。いいんじゃない?」


 一時間ほど前のことである。

 カネダは今日の目的地を門番のイシドロに伝えた。イシドロはカネダの方を見ようともせず、買ってきてもらった漫画を読みふけりながら答えた。


「でも何でまた?魔王軍の調査じゃなくていいの?」

「はあ…自分もそのつもりだったんですが、その…最近アレがあったでしょう」

「アレって?」

「その…魔王様のトゥイッターのアカウント開設が…」

「ああ!あれね!」


 その話題に食い付いたイシドロは、漫画を手放してげらげらと笑う。


「あれ俺の案なんだけどさ!試しに言ってみたら通っちゃったんだよね~!いやあ、陛下が寛大でよかったわ~。おかげで俺の呟きもバズってフォロワー増加中。SNSライフ満喫できてるよ~!」

「そ、それはよかったですね…」


 SNSに詳しくないカネダは苦笑いを浮かべる。


「それでですね…魔王様の日常がSNSに上げられているじゃないですか。あれが人間界では結構評判良くて。魔王の状況を人間界から逐一観察できるって勇者ギルドの方々は好意的だし、関係ない市民は単純に面白がってます。それで、僕が懇意にしてもらってる雑誌の読者の興味が、段々と魔界の暮らしに向いているんですよ。魔界の悪魔たちはどんな暮らしをしてるのかって。なので担当さんの提案で今回は魔都の取材をさせて頂くことになりました」

「あらら、そんなところにまで影響が。まあいいんじゃない?人間はもっと気軽に観光にくればいいと思うし」

「いやまあ、それは無理だとは思いますが…」

「そうかなあ?…でもそうだねえ、魔都ねえ…」

「…何か問題が?」


 イシドロは腕を組んでううんと唸る。


「あんま治安いいわけじゃないから、カネダみたいな普通の人間にとっちゃ危ないとこだよ?うっかり死ぬかもしれないし」

「え…っ」

「…あ。いや待って。大丈夫だったわ!」


 ぽん、とイシドロは手を叩く。

 そしてふわりと手を翳すと、カネダにいつも渡している通行証が現れた。


「ほい、通行証。これがあればまあ大丈夫っしょ」

「通行証があれば、ですか?どういうことです?」

「まあ、口で言うより実際に行って確かめたほうがいいよ。んじゃ、門開きまーす」


 イシドロがぱちりと指を鳴らすと、魔界の門が大きな音を立てて開く。

 カネダは首を傾げながらも通行証を身に着けた。


「それじゃ、行ってらっしゃい。よき旅を~」


 いつものように、イシドロはにこやかに旅人を送りだした。




「…本当にこれが役に立つのか…?」


 カネダは一人呟きながら改めて通行証をまじまじと眺める。

 それは至って普通の通行証。取材をしたいと申し出たら、魔王から直々に渡されたものだ。もしかしたら、葵の紋の印籠のような効果があるのかもしれない、とカネダは思った。


「…っと、こんなことしてる場合じゃないな」


 通行証を首から下げ、カネダは歩き出す。とにもかくにも目的は取材である。まずは魔都を見て回ろう、とカネダは考えた。

 中世の西洋の街並みを思わせるような建物の数々。賑やかな市の中心部は、多くの魔族で溢れていた。魔法で調理をする出店、珍しい武器防具を扱う屋台、怪しげなマジックアイテムを売る露天商。目にする全ての光景が、カネダにとって初めての出来事だった。


「これが、魔都の生活か…」


 目に映る光景の一つ一つを、カネダはカメラに収めていく。

 その時である。


「おや、珍しいねえ、アンタ、人間かい?」

「え」


 突然背後から声を掛けられたことに驚きカネダが降り向くと、獣の耳を生やした若い女性が立っていた。


「え、ええと」

「安心しな、とって食いやしないよ。今時人間なんて食う奴、魔界にはほとんどいないんだから」

「は、はあ…」

「んなことより人間!アンタ見たところ勇者じゃないね。観光かい?」

「はあ…どちらかというと取材、です」

「へえ?そいつはまた変わってるねえ。気でも触れてんのかい」

「はは…かもしれません」


 女性は人懐っこい笑みでぐいぐいと話しかけてくる。カネダは戸惑いながらも女性を観察した。


「貴女は…獣人族、ですか?」

「おや、見るのは初めてかい。そうとも、狼の獣人さ。鼻だけはいいから、アンタが人間だってこともすぐ分かったよ」

「へえ、そうなんですか」


 これはチャンスだ、とカネダは思った。


「あの、もしよかったら、取材させてもらっても?今、魔界での暮らしについての取材をしているところなんです」

「ふうん、それ、協力して、アタシに何の得があるんだい?」

「へ?」


 カネダは予想外の回答に素っ頓狂な声を上げた。


「アンタ人間だから教えてあげるけど、魔界の基本ルールは等価値取引。何かを得たいならなにかを差し出さなきゃいけない。あんたの取材に応じる代わりに、何かアタシにメリットがないといけないのさ」


 そんなルールがあったなんて。カネダは思わず目を丸くした。

 呆然とするカネダに向かって、獣人の女性は笑いかける。


「ま、少し意地悪し過ぎたかね。でも、このことは覚えておくといいよ。じゃないと他の連中は見返りに何要求するか分かんないからさ。…ってことで」


 獣人の女性はにやりと笑う。


「取材とやらに応じてもいいけど、その代わり、ウチの屋台で何か買ってってくんな!」

 女性が指さした先には、どうやら食べ物の屋台とみられるものがあった。


 カネダはそれを見て理解し、思わず苦笑いをする。


「なるほど、商売上手ですね」

「まあね。でもウチは魔都の名物料理を出してるんだけど、魔都に住んでる連中は飽きちまってなかなか買わないのさ。だから観光客を探してたって訳」

「そういうことでしたか。自分でよければ喜んで、と言いたいところですけど…僕でも食べられるものなんでしょうか…?」

「その辺は安心しな!ガラオの肉とルコ菜をザラ麦粉の生地で挟んだものだ。毒なんざ入っちゃいないよ」

 カネダが屋台に近づくと、香ばしい肉の香りが鼻をくすぐる。確かに食欲が刺激される匂いだ、とカネダは思った。

「それじゃ、一つ貰おうかな…って、あっ」

「ん?どうしたんだい?」


 カネダは財布を開いて思い出す。


「…僕、魔界の通貨持ってません…」

「おや、そうなのかい?だったら確か、魔界の門の門番に頼めば替えてくれるよ」

「そうなんですか?じゃあ、少しかかりますが、一度戻って――」

「その必要はないよ、おじさん」


 カネダの背後から、少女の声が聞こえる。

 カネダが振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。桃色の髪を隠すように深めに被った帽子のせいで、その表情ははっきりとは読めない。少女は小さく笑い、獣人の女性に近づく。


「おねーさん、ガラオサンド二つちょうだい」

「え、それって…」

「おじさんに一つプレゼントしてあげる」


 少女は無邪気に笑う。


「で、でも悪いよ。僕はちゃんとお金を替えてもらうから…」

「それじゃ遅くなっちゃうでしょ。いいの。魔都に来てくれたお礼みたいなものだから。それに私、こう見えてお金もってるんだよ」


 少女はそう言ってカネダの意見も聞かず、獣人の女性から商品を買い上げる。


「毎度ありい!」

「はい、おじさんの分」


 少女はカネダに買ったものを差し出す。

 カネダは半ば気圧されながらそれを受け取った。


「あ、ありがとう…」

「どういたしまして。ほら、早く食べないと冷めちゃうよ」

「あ、ああ…」


 カネダは少女に促され、慌ててかぶりつく。

 香ばしく焼き上げられた肉に、今まで嗅いだことのないようなスパイスの香りが鼻をつき、噛みしめるとジューシーな肉汁が溢れだす。それはもちもちとした生地によく合っていて、絶品だった。


「…おいしい」

「当たり前さ!ウチの商品をマズイなんて言ってたら殺してたよ!」

「は、はは…」

「ほらおじさん、食べたら取材、でしょ。おねーさん待たせちゃ悪いよ」

「あ、ああ。そうだね」


 少女に促され、カネダは慌てて食べ進める。

 この子、何だか――

 カネダは頭の隅で、何かが引っかかっていた。




「毎度!また来てくれよ!」


 取材を終え、最後まで陽気な獣人族の女性に別れを告げる。いろいろと貴重な話を聞けて、カネダはほっと胸を撫で下ろした。

 だが。


「ねえ、おじさん。次はどこへ行くの?」

「…君も、付いてくるのかい?」

「うん、だって面白そうだもの」


 少女は笑う。


「それとも、私が魔都を案内してあげようか?」

「………」

「…おじさん?」


 カネダは立ち止まる。

 少女もそれに合わせて振り返った。


「あの……魔王様、ですよね?」


 カネダの言葉に、少女は目を瞬かせる。

 一瞬の沈黙の後。

 少女はにい、と邪悪な笑みを浮かべた。


「ほう、我が擬態を看破するとは」


 その声色は少女のものではなく、カネダがよく聞き慣れた魔王の声そのものだった。

 魔王は帽子を外す。纏められていた桃色の髪がなびき、あっという間に漆黒の髪色に変わった。


「少しはやるではないかカネダ。何故分かった?」


 いつもの調子に戻った魔王に気圧されつつ、カネダは答える。


「ええと、そうですね…何となく、笑い方が似ていたので」

「……笑い方?……むう、おかしなことを言う。本当か、それは?」


 魔王は首を傾げながらむにむにと自分の顔をいじる。

 その様子が年頃の少女みたいで、カネダは胸の内でそっと笑んだ。


「…それにしても、魔王様。どうしてこんなところに?」

「うむ、書類仕事に飽いてな。こっそり抜け出してきたのだ」

「そんなことをして、大丈夫なんですか?」

「うむ、大丈夫ではないな!」


 魔王は胸を張って答える。


「今頃ルゥ辺りが大騒ぎしておろう。我は真面目故、めったに脱走しないからな!」




 がらん、とトレーが落ちる音が響き渡る。

 ぐわんぐわんと回転をして止まったそれに気づいた様子もなく、ルゥはその場に立ち尽くしていた。


「……陛下、いない」


 もぬけの殻となった執務室で、呆然とした声が落ちる。

 すると、先程の物音に気が付いたのか、扉を開けてジャンが入ってくる。


「…どうしたルゥ。何かあったか」

「へへ、へいか、が、がががががが」

「お、落ち着け、どうした」


 ジャンが慌てて尋ねると、ルゥの目からは涙が溢れだした。


「へ…へいかがいなくなりました!」

「…ああ、数年ぶり十三度目の脱走か…」

「へいか…いない…へいか…」


 止めどなくあふれ出るルゥの涙を見て、ジャンは珍しくぎょっとし、慌てふためく。


「お、おちつけ。へいか、しなない、だいじょうぶ」

「でも、へいか、いない…」

「えーと、えーと…」


 ジャンは激しく動揺した。ルゥは泣き続けている。

 そんな混沌とした場所に、一つの羽音が響いてきた。


「ただいま帰りましたー。いやあ、聞いてよ騎士団の連中がさ、…って何この状況!?」

「…ブラム…!助けろ…!」

「本当どうしたの?何なの?何ルゥのこと泣かせてんの?」

「お、俺じゃない…!陛下が…!」

「陛下?」


 蝙蝠姿のブラムは、しぱしぱと目を瞬かせた。




「う…っ今悪寒が走ったぞ」

「魔王様…やっぱり戻られたほうが…」

「いいや!今日は脱走する日と決めていたのだ!とことんまでやるぞ我は!」

「はあ…」


 カネダは思った。この人絶対後で怒られる、と。

 桃色の髪に髪色を戻し、先程の少女に擬態し直した魔王は、カネダを振り返り、に、と笑う。


「それよりもカネダ。喜ぶがいい。今日はこの魔王が特別に、魔都の見どころをたくさん紹介してやろうではないか」

「はあ…それはありがたいんですが、いいんですか?僕は魔王様に返せるものなんて何も…」

「ふむ、さては等価値取引の話を聞いたか。心配せずともよい。そなたが見聞きしたことの全てを、そなたが勇者たちに流してくれさえすれば、我の目的は達成されるのだから」


 魔王はそう言って笑う。

 カネダは何となく複雑な心境だったが納得することにした。


「…それじゃあ、お言葉に甘えて。デートのエスコートは不得手なのですが、魔都探索、おつきあいしますよ」

「……でえと?」


 魔王は目を丸くした。

 カネダはしまった、と思った。


「す、すいません!調子に乗りました!いや今のは軽い冗談のつもりだったんですが…その、気に障りましたよね…?」


 カネダはおずおずと魔王の様子を伺う。

 魔王は肩を震わせ、顔を上げる。


「……デート!これが!」


 魔王の顔は少女のようにきらきらと輝いていた。


「好きあった男女が街を闊歩し、くれえぷとやらを食すというあれか!都市伝説かと思っておったぞ!そうかこれが!デー…」


 魔王はぴたりと動きを止める。

 そして、不思議そうに首を傾げた。


「…我とそなたは、別に好きあってはおらんな?」

「まあ、そうですね…。でも、最近は好きあってなくても、男女で…いや男女以外でも、二人連れで出かけることを、デートと呼ぶんですよ」

「おお!そうなのか!ならばこれはまごうことなきデートであるな!」


 魔王は再び勢いを取り戻した。


「ならば行くぞカネダ!我とそなたの!ドキドキ魔都デートの幕開けである!!」

「…はあ」


 何故魔王がこんなに張り切っているのか分からないが、楽しそうだから何でもいいか…と、カネダは全てを諦めることにしたのだった。




 赤い月が傾く。人間界で言う太陽の役割を果たしているそれは、今日の任務を終え沈んでいくかというところだ。


「いやあ、今日は楽しかったぞ、カネダ!」

「はあ…僕は死ぬかと思いましたよ…」


 ぐったりとした様子でテーブルに突っ伏しているカネダはかすれた声を出す。

 魔都のとある酒場の中で一息ついている魔王とカネダだったが、カネダの様子を見て魔王は呆れ果てた声を上げる。


「どうしたのというのだ、だらしない。いくら勇者でないとはいえ、この程度で音を上げているようではまだまだだぞ」

「いやいや、無理ですって。魔王様どんどんいろんなところ案内するから付いていくの大変でしたし、案内した先で街娘口説くし、一緒にいる僕は変な眼差しで見られるし…」

「うむ!あれは楽しかったな!やはり街に出たらナンパであろう!」

「何ですかそれ…てか魔王様女の子の姿で女性を口説くって…」

「些末な問題だな!」

「はあ…」


 謎の持論を展開する魔王のテンションについていけず、ぐったりと疲れ果てたカネダは、魔王と一緒にいればいるほどその人物像が分からなくなっていた。

 そこへ、酒場のマスターが飲み物を持ってくる。


「はいよ、ギール酒とナバ茶お待ち」

「ありがとう、マスターさん」


 声音を変えた魔王が対応する。器用なものだ、とカネダは内心呟いた。


「ところで魔王様。その見た目でお酒はマズイんじゃないですか?」

「問題ない。魔界では飲酒に年齢制限などないからな」

「そうなんですか?」

「うむ、全ては自己責任と言う奴だ。それにそもそも我はこの体で千年以上は生きているぞ」

「ええ…そうだったんですか」

「そうなのだ」


 魔王はグラスの中身を一気に煽る。あまりにいい飲みっぷりにカネダは少し感心しながら、受け取ったお茶を飲む。


「それにしても、実際に魔都を歩いて驚きましたよ。もっと殺伐としてるかと思ったら、人柄のいい人ばかりだし、等価値取引のルールさえ守れば、気前よく取材に応じてくれるし」

「うむ、基本的に魔族とは合理主義だ。不合理なことは己のためにならないからしない。逆を言えば、己のためになることならだいたい何でもする。勇者を始めとした人間たちは魔都にとって立派な観光資源であるしな。手を出したところで得はない故、滅多なことがない限り手は出されぬだろう」

「…それが驚いたんです。僕が人間界で見てきた魔族は、もっと、おぞましいものでしたから」


 カネダは手元に目線を落とす。

 魔王はそれを見て、口元だけで笑う。


「力ある強者は恐ろしいと思われがちだが、我から言わせてもらうと、弱者こそ恐ろしい存在であると思うぞ。強者には余裕がある。だから何もしない選択肢が取れる。だが弱者には選択肢などない。追い詰められたら何をするかわからん。誇りも矜持もかなぐり捨てて、なりふり構わず人間を食い荒らす、なんてこともあるであろうよ」


 カネダはその言葉に、静かに拳を握った。


「…僕は、魔都を取材して、魔族に対する認識を改めたいと、思い始めています」

「うむ、そうか。それは面白い。だが早計だ」

「…どうしてです?」

「そなたが今日出会った魔族はほんの一部。そしてそれは、〝運がよかった〟。だから、結論を出すのはまだ早い」

「それって――」


 ばん、と大きな音を立てて酒場の扉が勢いよく開かれた。

 カネダが思わずそちらを見ると、いかにもガラの悪い魔族が二体入ってきたところだった。


「……目を合わせるなよ、カネダ」


 魔王が隣で呟く。カネダはその言葉で慌てて目を逸らした。

 ガラの悪い魔族は店内を見渡し、声を荒げる。


「ああ?おかしいなオイ。席が空いてねえぞ」

「本当だ、オイ店主、どうなってんだ?」

「申し訳ございませんが、本日は満席となっております」

「見りゃ分かる。チッ…オイ、そこのお前ら」


 ガラの悪い魔族は、既にテーブルについている三体の魔族に声を掛けた。


「…何か用かい」

「見ての通り、席が空いてねえんだ。俺ら今日は特別な日でよ、その席譲ってくんねーか」


 にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、ガラの悪い魔族は言う。


「……悪いが、こっちも特別な日でね。他の店探してくれないか」


 座っている魔族はそっけなく答えた。


「そーかい」


 ガラの悪い魔族はあっけなく引き下がる。

 ――かのように見えた。

 ごとり、と店内に重い音が響き渡る。

 その音が何の音なのか、カネダは振り返った。

 そして、見てしまった。

 床に転がっているのは、魔族の首。

 辺りが血の色に染まっていく。

 首を無くした体は、ぐらりと床に倒れ伏した。


「一つ、空いたなあ?」


 男は笑う。


「………」


 首を落とされた魔族と席を共にしていた残りの二体は、大人しく席を立った。連れを瞬時に殺した相手の強さを悟ったのだろう。

 二体の魔族は首と、首のない体を抱えると、黙って店を出ていった。


「―――」


 何が起きたのか、カネダには理解できていなかった。

 全てのことが、あまりに突然すぎた。


「マスター、ギール酒二つ」

「かしこまりました」


 まるで、何もなかったかのように、酒場は賑わいを取り戻す。

 ただただ凄惨な、血の色を残して。


「どう、して」


 カネダは呆然と声を落とす。


「…カネダ、魔界でのもう一つのルールを教えていなかったな」


 隣で魔王は声をひそめる。

 真っ黒な瞳が、カネダを見た。


「この世界ではな、〝弱い者が悪い〟のだ」


 呆然と、するしかなかった。

 今、カネダは、その〝ルール〟を正に目の当たりにしてしまったのだ。

 その時である。


「ん?アンタ、人間じゃねえか」

「――え」


 さっきの男たちが、カネダを見ている。

 カネダは全身の血の気が引いていく音を聞いた。


「へえ、人間なんて珍しいな。アンタ勇者か?いや違うな。カメラ持ってるから、記者か何かか?」


 興味津々に、男たちが尋ねてくる。

 まるで昼間の、人の好さそうな魔族たちみたいに。


「あ…自分は…ジャーナリスト、を…」

「へえ、変わってんな。何の取材してんだ?」

「あの、僕は、その」

「ん?もしかして」


 男は首を傾げる。


「殺しを見たのは初めてか?」


 男が笑う。


「あんなの日常茶飯事だっての!いちいち驚いてたら世話ないぜ!アンタは人間界で見たことないのか?殺しとかさあ、魔族に嬲り殺される人間とかよ」

「……あ、僕、は」

「そこまでにしてもらおうか」


 カネダの隣から、凛と声が響く。

 魔王は落ち着いた態度で、毅然と言い放つ。


「ツレは体調が悪くてな、そろそろお暇しようと思っていたところだ。マスター、勘定を」

「おいおい、ツレないな嬢ちゃん。俺たちはこいつの話をもっと聞いてたいんだが」

「遠慮させてもらう。行くぞ、カネダ」

「ちょっと待てよ」


 男の声が低くなった。


「せっかくの酒の席でそりゃあないだろ?嬢ちゃんアンタも付き合えよ」

「生憎、そろそろ帰らないと怒りを買うのでな」

「へえ、どうしても?」

「どうしてもだ」

「そーかい」


 男はそっけなく返事をする。

 次の瞬間。

 カネダは見た。

 男が何も無い空間からナイフを取り出すのを。

 体が勝手に動いていた。

 がきり、と音が鳴る。

 痛みはなかった。

 カネダは恐る恐る、知らずに閉じていた目を開ける。

 目前まで迫っていたナイフを、透明な壁…バリアのようなものが防いでいた。

 気が付くと、通行証が淡く輝いている。


「マジックアイテムだと?何で人間がそんなものを…」

「――よくも我が客人に手を出してくれたな、下郎」


 魔王がそう言った次の瞬間。

 一瞬、黒い光が瞬き。


「――失せよ」


 一段と低い魔王の声が響く。

 次の瞬間、男たちの姿は、忽然と消えていた。

 そう、彼らがいたはずの場所には、何もなかったのだ。


「……な、何が……?」

「さて、何であろうな?」


 床にへたり込んだカネダに、魔王は手を差し伸べる。


「よもや我を庇うなどと思わなかったぞカネダよ。我びっくり。そなたもなかなか紳士であるな」

「いや、あれは、咄嗟に…というか、彼らはどこに?」

「うむ、店の迷惑になる故、飛ばしておいたぞ」

「…ど、どこに?」

「知らぬ方がよい。…ま、奴らのことなら気にするな。〝弱い者が悪い〟のだから」


 魔王はひっそりと、邪悪な笑みを浮かべた。

 それを見てカネダは聞かない方がいいと判断した。思わず、冷や汗が流れ落ちる。


「…でも、結局魔王様に助けられてしまいましたね」

「結果的にな。厳密には、そなたを救ったのは通行証だ」


 カネダは通行証を見る。

 それは既に、何の変哲もない通行証に戻っていた。


「万が一、うっかりそなたが死んだら面白くないのでな。守護魔術を織り込んでおいたのだ。ふふん、やはり我は慧眼であったな。ばっちり機能したぞ」


 魔王はそう言って得意げに胸を張る。

 カネダは引き攣った笑いしか、今はできなかった。


「あ、ありがとうございます、魔王様。貴女には、借りを作ってばかりです」

「うむ、よい。そなたはそなたの仕事で我に借りを返せばそれでよい」


 そう言って魔王は無邪気に笑う。

 いつものその笑顔に、カネダはどこか安心した。


「…魔王陛下?魔王陛下だって?」

「何でこんなところに…」

「さっきの奴らはどうしたんだ?」

「……げ」


 魔王はマズイ、といった表情で店内を見渡した。

 店内の魔族たちの全ての目はカネダと魔王に向いている。これではお忍びどころの話ではない。


「い、行くぞカネダ!マスター、釣りはいらん!」


 魔王はテーブルに金貨を叩きつけて店を出ていく。カネダも慌ててそれに続いたのだった。




「いやあ、危ない危ない。危うく騒ぎになるところであったな」

「いや…もう手遅れかと…」


 青い月が昇った夜空の下、魔都の路地を魔王は歩く。

 カネダはそれに付いて行きながら、ポツリと零す。


「…甘かったです。僕は。魔族のことを少しでも分かった気になったようでいて、何も分かっていなかった」

「それは当然であろう?何せ我らは違う種族。一朝一夕で理解するというのが無理な話よ。そなたはそなたのペースで結論を出せばよいのだ。…ただ、急がねばならぬぞ。人の一生はあっという間故な」


 魔王はその一瞬だけ、目を伏せた。

 どこか遠くへ、思いを馳せるように。


「―――しかし、これで改めて分かったであろう、カネダ。魔族とは、人間にとって恐ろしい存在であると」

「アンタにとっても恐ろしい存在ですよ」


 どす黒い声が響き渡る。

 魔王の動きがぴたりと止まる。


「仕事抜け出して何してるかと思ったら……どういうことか説明してもらおうか。陛下。それとカネダ」


 魔王とカネダはぎしぎしと音を立てて振り返る。

 そこには、満面の笑みを浮かべる悪魔がいた。

 カネダはすっ…と真顔になる。


「……僕が取材してるところに、魔王様が来ました」

「カネダ!我を売るのか!カネダぁぁ!」

「自業自得だろうが。なあ、陛下?」


 涙目の魔王に悪魔が迫る。

 悪魔の側近、ブラムは、笑みを浮かべながら魔王の目前に立つ。

 否、その瞳は、笑っていない。

 魔王はぷるぷると震えながら立ち尽くしている。


「――どうやらアンタには」


 ブラムは魔王の頭を鷲掴みにする。


「――仕置きが必要なようだな?」

「……あ……あ……」


 その夜、魔都には少女の悲鳴がこだました。

 その叫び声は、それはそれは悲痛なものであったという。




「じゃ、俺たち帰るから、カネダもさっさと帰れよ」

「はあ…そうさせて貰います…」


 魔王を小脇に抱えたブラムは、背中から翼を生やすと、あっという間に城に飛び去った。

 魔王はその直前、捨てられた子犬のような目をしていたが、カネダはさっと目を逸らした。


「……僕も帰るか」


 カネダはため息を吐いて、通行証をかざす。青黒い光が瞬き、魔界の門が現れる。

 一度だけ、カネダは魔都を振り返った。

 青い月に照らされた魔都。

 不気味さを感じさせるその街を見て、静かに瞑目し。

 カネダは人間界へと戻っていった。

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