2 ジャーナリスト・カネダ
ここは、魔界へと続く門を預かる、寂れた遊園地の城。
今日もここに、一人の訪問者の姿があった。
ぎい、と悲鳴のような音を立てて扉が開く。
その音を聞き、魔界の門番は姿を現した。
「ようこそー!魔界の門へ…って、何だ、アンタか」
門番は拍子抜けた声を上げる。
彼の元を尋ねたのは、眼鏡をかけた髭面の中年男性のようだった。彼は首からやや古ぼけたカメラをぶら下げている。
よく見るとところどころにシワが残っているシャツと、ややオーバーサイズ気味のスラックスを身に着けており、見るからにくたびれた冴えない中年男性といったところだ。
男性は門番ににこやかに笑いかける。
「どうも、門番さん」
「よう、カネダ。久しぶり」
人間と悪魔。その間柄であるはずの彼らは、どこか親しげだ。
門番はカネダと呼ばれた男に近づき、囁く。
「……例のものは」
「持ってきましたよ。確かに」
カネダは眼鏡を上げながら答える。
その答えに、門番は満足そうに笑みを返す。
そして、カネダは手に持っていた袋を門番に渡す。
――それは、悪魔との取引。
「……いつも悪いな」
「いえ、この程度」
門番はにやりと笑いながら、カネダから受け取った袋を開ける。
「いや~待ってたんだよ。今週の週刊少年ホッピング!」
門番は満足そうに手に取ってそれを眺める。
「いやあ、前回からのヒキが気になって気になって!特にあのスポーツ漫画!カネダも読んだろ?面白い展開になってるよな~」
「はあ…自分は漫画は読みませんので、何とも」
「お前な~、ジャーナリストのくせに漫画も読まないなんてどうなの?」
「関係あるんですかそれ…?」
カネダは苦笑いを浮かべながら答えた。門番の方はというと、既に漫画を開いて読み始めている。
「んで?今日は?」
「魔王様に会いに行こうかと」
「はいよ、じゃあ通行証。門、開きまーす」
適当な言葉で対応する門番を気に留めた様子もなく、カネダは門番から通行証を受け取る。
そして、魔界への門は重苦しい音を立てて開いた。
「では、行ってきます」
「んー、よき旅を~」
適当に返事をする門番を気にせず、カネダは魔界へと足を踏み入れた。
カネダが足を踏み入れると、そこは王の間だった。
「行くぞ魔王…どわー!!」
「何回同じネタやんだよ!」
「これが天丼ってやつ~!?」
カネダが到着すると、レオモンド一行がちょうど倒されたところだった。
床に倒れ伏した彼らを見て、カネダは気まずそうに声を掛ける。
「あ、あの、大丈夫ですか…?」
「ぐぬ…問題ない…貴方は…?」
「ええと、通りすがりのジャーナリストです」
「何?」
レオモンドは不思議そうに首を傾げた。
「おお!カネダではないか!待っておったぞ!」
魔王は玉座から降り、カネダの元へと駆け寄る。
「お久しぶりです、魔王様」
「うむ、久しいな。最近はお前が来ないから退屈しておったぞ」
「色々と他の仕事が重なっていまして。側近のお三方もお元気ですか?」
「うむ、皆変わりはないぞ。してカネダ、今日は一体――」
「ちょ、ちょっと待ったー!!」
レオモンド一行から叫び声が上がる。魔王とカネダはそちらを振り返った。
「何で人間と魔王がよろしくやってんだ?まさかアンタ、勇者たちの情報を魔王に流してるんじゃあないだろうな…!」
「うむ、勇者よ。それは違うぞ」
魔王は困ったような笑みを浮かべる。
「逆だ、逆。魔王軍の情報をそなたら勇者たちに流してもらっているのだ」
「…は?」
「そうでもしなければ、勇者たちは魔界に来ぬであろう?だからサービスだ、サービス。とにかく、カネダのことは気にしなくてよい」
「で、でも…!」
「門番。こいつらを送り返せ」
「ほいきた。お任せあれ」
どこからか響く声と共に青黒い光が瞬き、レオモンドたちを包む。
「え、ちょっと…!」
「ではまたな、勇者よ」
青黒い光と共に、レオモンドたちは突如現れた魔界の門の中に吸い込まれていった。
その光景をぼんやりと眺めていたカネダが口を開く。
「…彼らは最近よくここに?」
「ああ、毎日のように来る。久々に骨がある勇者が来たから期待しているのだ」
「そうでしたか。珍しいですね」
「うむ。奴らのこともよく見ているといい。なかなかに面白いぞ」
魔王はそう言ってにやりと笑う。そこに、二つの足音と一つの羽音が響いてきた。
「陛下、仕事の時間ですよ…って、何だカネダ。来てたのか」
「お久しぶりです、ブラムさん、ジャンさん、ルゥさん。今日もよろしくお願いします」
「…陛下は今日を楽しみにしていた。失礼のないようにな」
「は、はい」
「……失礼があったら殺しますからね」
「こらルゥよ。物騒なことを言うでない」
「は、はは…」
ルゥからの本気の眼差しを受けたカネダは冷や汗をかいた。
魔王はカネダの方を振り返る。
「して、カネダ。今日はどんな話を聞きに来たのだ?城の内情か?暗黒騎士団の戦力分析か?それとも国の情勢か?何でも聞くがよい。そして、そなたは見聞きしたその全ての情報を勇者たちに流すのだ!」
魔王は目を輝かせながら、まるで舞台女優のように大仰に手を振って高らかに声を上げる。
しかしその言葉に、カネダは複雑そうに口を開く。
「自分から言い出したことなんですけど…本当にいいんですか?取材内容の全てを勇者ギルドに明かしてしまっても」
「いいに決まっておろう?」
けろりとした様子で魔王は答えた。
「言ったであろう。これくらいのハンデ無くしては勇者たちは来ぬ。よほどの阿呆ではない限りな。それに、ハンデ程度与えて我々が勝てないようでは、まだまだというヤツよ。勇者たちなど、今は取るに足らない存在だ」
「それはまあ…事実、そうでしょうけれども」
「それに、そなたはこちらの情勢に構っている場合なのか?我らの取材を始めたのも、目的があってのことであろう?」
「――ええ」
カネダは静かに、目を伏せた。
「今の自分には、金が必要なんです。そのためなら、悪魔に魂を売ったって構わない。彼女を――妻を助けるためなら、自分はどんな場所にだって行きますよ」
「ふむ、そうであったな。だが、そなたの事情はどうでもよい」
「どう…酷いなあ」
「要はそなたと我の利害が一致しているのだ。互いに互いを利用したい。それで十分であろう?うぃんうぃんの関係、という奴だ」
魔王は悪戯っぽく笑う。
カネダも困ったように笑う。
「確かに、合理的、って奴ですね。あなた方が好きな言葉だ」
「うむ!分かってきたではないか、カネダよ!」
魔王は満足そうに笑う。
「して、カネダ。今日は何の取材に来たのだ?」
「そうですね。前回の記事の評判を踏まえて、いくつか――」
ばん、と。
突如、王の間の扉が乱暴に開かれる。一同が驚きそちらを見ると、二人の女性が言い争いながら入ってきたところだった。
「だ!か!ら!アンタはすっこんでなさいよこのスットコドッコイ!」
「はあ!それはアンタでしょう?魔術院てのは時代遅れな奴らばかりだから語彙力もないの?」
「何ですって!」
「何よ!」
言い争いながら入ってきた二人の女性を一同は呆然と眺める。
ただ魔王だけが、深い深いため息を零した。
「どうしたのだ。カティ。ジルダ」
「「陛下!!聞いて下さい!!」」
二人の女性が同時に叫ぶ。
ベリーショートの赤髪に、黒いローブ、そしていかにも魔女が被っていそうな黒いとんがり帽子を被った女性は、魔王に詰め寄る。
「陛下!私が提出した研究報告は読まれましたでしょうか!ロストソーサリーの再現研究についてです!前回の研究からアレの再現に近づき、達成も目前です!だというのに、だというのに…!」
魔女は拳を握りしめる。
「どうしてこのスットコドッコイの集まり共と我ら魔術院の予算が同額なのですか!?納得いきません!明らかに我々の方が優れた研究をしているのに!」
「あら、聞き捨てならないわね」
もう一方の女性は、白衣を身に纏っている。長い青髪を結わえ眼鏡をかけた女性は、腕を組んでふんぞり返る。
「いつまでも昔の魔術にこだわっている時代遅れ共と一緒にされるなんて、こっちこそ願い下げよ。私たち魔技研の研究に追いつけていないくせに、よく大口叩けたもんだわ。だいたい何その服?クラシック?素敵じゃない。アンタによくお似合いね」
「何ですってこの陰険女!」
「何よこの時代遅れ女!」
二人の女性の間では、ばちばちと火花が散っているようだった。呆然とそれを眺めていた一同だが、カネダがぽつりと言葉を落とす。
「何ですかこの…何?」
「…いい機会だ、紹介しよう、カネダ」
魔王は大きくため息を吐く。
「こちらの魔女っぽい恰好をしている奴が、カティ。魔術院の局長を務めておる。で、こっちの研究者っぽい恰好をしている奴が、ジルダ。魔法技術開発研究局、通称魔技研の局長を務めておる」
魔王がそう説明していると、二人の女性はようやくカネダの存在に気が付いた。
「…ん?」
「陛下、何ですかこの人間」
「ジャーナリストのカネダだ。私が許可をして魔界の取材をさせておる。お前たちもよろしく頼むぞ」
「へえ、じゃあアンタが!噂は聞いてるよ!」
カティは魔王の紹介を受け、興味深げにカネダを覗きこんだ。
「なになに、取材?面白そうじゃん。だったらウチに来なよ。この世界のことなら何でも教えてあげるからさ!」
カネダがその勢いにたじろいでいると、横からジルダが割り込んでくる。その拍子にたわわな胸が大きく揺れた。
「ちょっと何言ってるの!予算の話の結論がまだ出てないでしょ!取材なんか受けてる場合じゃないでしょ!それに魔術院なんか取材したって大した情報出てこないわよ。どうせなら魔技研にくれば、騎士団用に開発してる兵器の情報なんかあげてもいいわよ。そっちの方が勇者にとって得でしょ?」
「はあ?アンタたちが生み出してるゴミの情報なんか知ってどうすんの。無駄よ無駄」
「あら、アンタたちだって紙のゴミを山ほど生み出してるじゃない。存在が無駄よ」
「何ですって?」
「何よ」
「そこまでにしろ、話が進まん」
魔王は呆れたような声を落とす。
カティとジルダは渋々と言った様子で口を閉じた。お互いまだ視線で火花を散らしてはいるが。
「さてカネダよ。さっきも言ったようにこやつらは魔術院と魔技研のトップだ。取材すればなかなかに面白い話が聞けると思うが、どうだ?」
「――そうですね」
カネダは考え込んだ。
「…今度の取材は、魔界についての基礎的な情報について詳しく話を聞きたいと思っていたんですが…」
「はいはい!だったらウチがオススメ!」
カティは勢いよく手を挙げた。
「魔術院は神代の時代から設立されてるから、魔界について詳しく聞きたいなら講義してあげるよ!そんじょそこらの魔技研とは歴史が違うからね」
カティは鼻で笑ってジルダを見る。ジルダは悔しそうに肩を震わせながら睨みつけているところを見ると、今の話は事実らしい。
ジルダは魔王に向かって一歩前に出る。
「で…でもちょっと待ってください陛下!そもそも我々は予算について話に来たのであって、人間の取材なんか今はどうでも…」
「ふむ、ではこうしよう。カネダにより満足のいく取材をさせた方の予算を上乗せすると」
「やります」
ジルダは即答した。
「じゃ、そうと決まればウチが先ね!さっそく魔術院に案内するわ!魔法陣があっちにあるから付いて来て!」
「え…えっちょっといきなりどうしてこんなことに…魔王様!?」
「うむ、安心せい。我も行く」
「あっ付いてくるんですね」
カネダはカティにぐいぐいと手を引っ張られ、王の間を後にした。
「それでは始めます!魔術院院長による!よく分かる魔界解説講座~!」
何か始まった、とカネダは思った。
講義室のような場所で、カティは張り切って教壇に立っている。カネダと魔王はカティの目の前の席に座らせられていた。
魔王はカネダの方を振り返り、口を開く。
「一応言っておくとなカネダ、カティは魔術院の院長を務めておるがな、魔術院は教育機関も兼ねている故、研究をしながら教鞭もとっているのだ」
「ああ、なるほど。大学の学長、みたいなものですか」
魔王の捕捉にカネダは納得した。そういうことなら、今張り切っているのも分かる気がする。
カティは生き生きとした様子で講義を始める。
「じゃあ、人間向けにすっごく簡単に魔界の説明するわね。魔界の誕生は今からおよそ2億5千万年前。人間界が誕生するよりずっと前にできました。ちなみにご存知の通り、今年は人間界ができた年から数えて命歴2020年ね。んで、かつて魔界の大陸は一つに繋がっていたとされてるんだけど、神代の時代から存在した悪魔、四大悪魔の大喧嘩によって、大陸は今の形になったの」
「四大悪魔…ですか?」
「気になる?」
カティは意味深ににやりと笑う。
「四大悪魔は神代の時代から大暴れしていた悪魔よ。べリアル、レヴィアタン、ルシファー…いえ、サタンのほうが通りがいいかしら。あとベルゼビュート。この四体が四大悪魔よ」
どれもどこかで聞いた名前だ、と、カネダはひっそりと息を呑んだ。
「まあこの四大悪魔は今となってはどっかいっちゃって、都市伝説みたいな存在になってるわ。生きてるんだかそうじゃないんだか分からないもの」
「我はまだどこかで生きてると思うけどなー」
魔王は飲んでいるジュースのストローをぷらぷらとさせながらぼんやりと言う。
カティはこほん、とひとつ咳をする。
「それで続きね。今の形になった大陸の説明をするわ。魔獣たちがたくさん生まれて死んでいく魔獣大陸。冥府が存在するシェーオール大陸。地獄が存在する煉獄大陸。戦士たちの集うヴァルハラ大陸。そしてここ、真魔大陸。魔界の地図がこのようになった時に四大悪魔もどっかいって、今に至るまでまあだいたい平和が続いてきました。ここまでオッケー?」
「…はあ」
正直ピンとこない、とカネダは思ったが、とりあえず講義の続きを聞くことにした。
カティは張り切って講義を続ける。
「んで、その五つの大陸の平和を治めてきたのは魔王陛下!魔王陛下は肉体を変えながら魂と記憶を引き継いで、はるか昔から今に至るまで魔界を治めてきたのよ!」
「…え…魔王って世襲制とかじゃないんですか?」
「うむ、違うぞ。魔王はずっと唯一つの存在。器を変えているだけで中身は一緒だ。まあ、器を変えるたびに変わるものもあるから、全く同じ存在とは言い切れぬが。…まあその辺はテキトーでよい」
魔王はストローでジュースを吸いながらぼんやりと答えた。こんな大事な話なのにテキトーに説明された、と、カネダは少しショックを受けた。
「じゃあ陛下の話はそこそこに。あとはそうねえ、何から説明すればいいかしら」
「あ、では、魔法のことについて聞きたいのですが」
「そうそう、魔術は魔界にとって欠かせない存在だものね!」
「魔術…?魔法とは違うんですか?」
「んー、大まかなくくりは魔法で合ってるけどね」
カティは考え込むように頬に手を当てながら唸る。
「魔法ってのは、奇跡の技の総称。科学なんかじゃあ再現できない未知の技ね。で、その魔法を厳密に分けると、魔術とか法術とかに分けられるのよ。今回は魔術についてだけ説明しましょう」
そう言ってカティは言ったことを黒板に書いていく。
「魔術は大気中に含まれるエネルギー、マナを使用するわ。これは大気中だけじゃなくて、魔族の体にも流れてる。あと、ちょっぴりだけど人間にもね。素質がある勇者なんかは、魔術を使うでしょう?あれと同じよ」
「そのマナって、魔界だけにあるものじゃないんですか?」
「魔界と人間界の両方にあるわ。もちろんその濃度は違うから、大気のマナを使った魔術を使うなら、魔界の方が有利な場合もあるわね」
「なるほど…」
カネダは言われたことをメモしていく。
カティは続ける。
「魔術は魔族の生活に欠かせないものよ。料理に使う火をつけるのだって魔術だし、明かりをつけるのも魔術。それに、魔族にはマナが欠かせないのよ。マナを定期的に取り込まないと、魔族は死ぬわ」
「え…じゃあ何で、多くの魔族は人間界で生きているんですか?」
「確かに人間界の空気中のマナからだけじゃあ、人間が酸欠で死んでしまうようなものよ。だから魔族は人を襲う」
カティは淡々と言葉を続ける。
「人間界でどれだけの魔族が人間を襲っているか、私たちは知らないけど、相当なもんでしょ?何せ魔界で生きていけなくなった弱い魔族がそっちに行ってるんだから。そりゃ、生きるのに必死な奴ばかりよ。なりふり構ってられないでしょうね」
カネダはカティの言葉で、記憶を巡らせていた。
ジャーナリストという職業上、どうしても、そういう現場に行くことがあった。
凄惨な現場を見た。悲惨な末路を見た。禍々しい悪魔すら目にしたことがある。
どれも血に飢えた、恐ろしい――恐ろしい、ものばかりだった。
そう、魔族とは、悪魔とは、恐ろしい存在だ。
カネダは知らぬうちに、汗をかき、拳を握りしめていた。
「…人間界は今、魔族に…悪魔に蹂躙されています。それは、魔王様の指示ではないんですか?」
「違うな。今のところ、我には人間界を侵略する理由はない。人間界に行く連中とは、カティがさっき申したように、魔界を追われた弱者だ。弱者など、我には最も関係のない者たちだからな。いくら魔族とてそれぞれの行動など、我は知る由もない」
「…そう、ですか」
カネダは声を落とす。
誰が悪いのだろう。彼らも、ただ生きることに必死なだけだったのだ。
一人胸の内で、カネダは呟く。
それを見て魔王はにやりと笑う。
「…だが、少なくともこの我を倒せる者が現れれば、おおよそのことは解決するぞ?」
「…どういうことです?」
「簡単に言うとな、我は、魔王は長く魔界を治めすぎたのだ」
魔王は菓子を頬張りながら言葉を続ける。
「魔界を長く治め過ぎたが故に、我の存在が魔界の基盤として定義されてしまった。まあ簡単に言うとアレだ。魔界と我は運命共同体。我が死ねば魔界は滅びるし、魔界が滅びれば我は死ぬ。そういう存在になってしまったのだ」
ぱりぽりと、菓子を砕く音だけが講義室に響く。
カネダは呆然と、呟いた。
「じゃあ、貴女が倒れれば魔族は…」
「これ以上人間界には進出できぬであろうな。どうだ?少し希望が湧いてきたであろう?」
魔王は楽しげに笑う。
「さ、この事実を記事に書くがよい。少しは勇者たちが奮起するであろう!」
「それはいいですけどね陛下。貴女がいらっしゃらないと、我々も困りますよ?」
カティが困ったように言うと、魔王は笑った。
「分かっておる。全ては暇つぶしだ。――この魔王の首、そうやすやすとは取らせんぞ」
にい、と魔王は笑みを浮かべる。
それはまさしく、魔王の名に相応しい、邪悪な――邪悪な笑みだった。
その冷酷な笑みに、カネダは思わず息を呑む。
その時りん、と涼やかな鈴の音が鳴った。
「む、時間だ。そろそろジルダの方へ行かねばな」
「じゃあ、私は王の間で待っています。あのスットコドッコイと顔合わせたくないので」
「そうか、分かった」
魔王はそう言って席を立ち、カネダもそれに続いた。
「あ、カティさん。一つ聞きたいのですが」
カネダは振り返る。
「何?」
「その…聞きにくいことを聞いてしまうのですが」
カネダは躊躇いがちに口を開く。
「魔族とは何なんです?どうして人間と違っているのでしょう。…自分は、悪魔には心がないと周囲に言い聞かされてきました。でも、貴女たちは違う。…魔族とは、」
「なあに言ってるのよ」
カティは呆れたように笑う。
「魔族に心なんてあるわけないじゃない。そんな不合理なもの、持ち合わせるだけ無駄よ。人間の尺度で、魔族は測れないわ。何せ、まるで違う種族だもの。生い立ちも生き方も、死生観もね。…ま、その辺の研究は、私には専門外だから、よかったら人間と魔族の研究してる奴なら紹介するけど」
「い、いえ…すいません。ありがとうございました」
「あれ、いいの?まあいいわ。気が変わったらいつでも言って」
カティはそう言って、カネダたちを穏やかに見送った。
心がないとは、本当だろうか。
カネダは胸の内で一人呟いた。
「よく来たわね。ようこそ我が魔技研に」
偉そうにふんぞり返っているのは、魔技研局長、ジルダである。
研究室のような場所でホワイトボードを前に椅子に座らされているカネダと魔王は、ぼんやりとジルダを見る。
「えっと…まず、魔技研ってどんなところなんですか?」
「当然の疑問ね。いいわ、答えましょう。魔技研とは、魔法技術開発研究局の略称。ウチでは主に暗黒騎士団向けの軍事兵器の開発に取り組んでいるわ」
「暗黒騎士団、ですか?」
カネダは首を傾げる。それに対してジルダは呆れたように声を上げる。
「はあ?何?あの女、そんなことも説明しなかったの?」
「カティさんのところでは、魔界の大まかな歴史と、魔術について教えていただきましたが…」
「あっそ。じゃあ説明していいですか?陛下」
「うむ、頼む」
魔王が頷くと、カネダたちの前にモニターが現れる。
「いい?まず、あんたら勇者ギルドが勇者軍を配備してるのは知ってる。それと同じように、陛下側も軍の整備をしているわ。それが暗黒騎士団。通称騎士団よ。魔王軍といったらこの騎士団が主力だけど、陛下は他にも魔都の秩序を守る保安隊、城の警備を任せる王城近衛兵団なんかを抱えているのよ。まあこの二つは雑魚だから忘れていいわ」
「ええ…酷い…」
カネダは思わず彼らに同情した。隣の魔王も特に異議はないようで黙々と菓子を貪っている。
ジルダは続ける。
「んで、主力の騎士団の兵力強化を、魔技研が担ってるって訳。どんな兵器を開発したか具体的にはあんまり言いたくないけど…まあ通信機の整備とか、汎用武器の開発なんかも行っているわ。簡単に説明するとこんなところね…ここまでで何か質問ある?」
「えっと、そうですね…魔王軍はどのくらいの兵力を抱えているのでしょうか?」
「そうね、兵士の数は騎士団だけでざっと十万くらいかしら」
「…意外と少ないですね?」
「騎士団は少数精鋭なのよ。入団条件も厳しいし、入った後も地獄。だからこそ兵士一体一体は強いわよ。そうね、今の平均的な勇者一人の戦力で考えると、騎士団の兵士一体倒すのに勇者十人は必要でしょうね」
「そんなに強いんですか…」
「まあもっと具体的なことを知りたいなら、今度騎士団を見学していくといいわ。あいつら普段暇だし」
「か、考えさせてもらいます…」
カネダは情報をメモしながら答える。魔王軍の具体的な兵力情報が聞けるのは貴重だ、とカネダは思った。
「んで、兵士の戦力向上にこの魔技研が力を貸してるってんだから千人力よ。時代遅れで引きこもりの魔術院とは格が違うってわけ。理解できたかしら?」
カネダはしぱしぱと目を瞬かせる。
「はあ…思ったんですけど、どうして魔術院と魔技研は仲が悪いのですか?」
「それはな、当然の帰結という奴だぞ、カネダ」
隣で静観していた魔王はにやりと笑いながら答える。
「魔術院は過去、神代の時代に失われたロストソーサリーという大魔術の完成を目的としておる。対して魔技研は今ある魔術を生かして新しい兵器を生み出そうとしている。それぞれ見ているものは過去と未来だ。相容れる筈もなかろうよ」
「…そういうこと。さすが、陛下はよくお分かりになっているわ」
そう言われるとカネダも納得できた。でも、それだけでなく、ただ単に彼女たちの相性が悪いせいでもあるのでは…ともカネダは思った。
「あとはそうだな…開発中の新兵器やらを見せてもらうといいぞ、カネダ。いいな?ジルダ」
「不本意ですけど、陛下の御意向なら仕方ない、か。ああ、技術の流出が…」
「え、本当にいいんですか?」
「うむ、我が許す。これで勇者たちも積極的に魔王軍攻略へと乗り出すであろうよ」
魔王は少女のようにわくわくとした顔で答える。
本当にいいのだろうか、とカネダは自問した。
「さて、じゃあ案内するから着いて来て。最初はどれから行く?最新の魔族用パワードスーツベータなんかも作ってるけど」
「ええ…何ですかそれ…」
カネダは疑問を抱えながらも、ジルダの説明を受け、開発中の兵器の状況を記録していった。
「うむ、カティ、ジルダ、双方、ご苦労であった。結果発表といこうではないか」
ところ変わって王の間。カティとジルダの前では火花が散り、カネダは一人困惑していた。
「ほ、本当に、僕が決めていいんですか?」
「無論、その約束だからな。カティとジルダも、それでよいな?」
「もちろんですとも!私の講義がこの陰険女に負ける筈ありませんから!」
「今の内に大口叩いてるといいわ。アンタの何の役にも立たない雑談と、私の発明じゃ格が違うんだから」
「何ですって!?」
「何よ!!」
また始まった、とこの場の誰もが思った。もはやこれはコントなのではないかとカネダは内心一人呟く。
と、そこへ、蝙蝠姿のブラムがカネダの下へやってきて、肩に降り立った。
「カネダ、耳を貸せ。いいか、これは陛下の意向だ。今からこう言え――」
ブラムはカネダの耳元でこそこそと呟く。喧嘩を続けるカティとジルダはそれを知る由もない。
ブラムの話が終わると、カネダはおほん、と一つ咳をした。
「…えーと…、自分の中で結論が出ました。まず、カティさん。魔界についての解説が非常に助かりました。人間界で魔界のことを知る人間は少ないので。それに魔術についても、勇者の人たち以外知り得ない情報だったと思います」
カティはえへんと胸を張る。それを見てジルダは思い切り眉間に皺を寄せた。
「続いてジルダさん。魔王軍の現在の戦力状況や、開発中の武器など、具体的な情報を得られました。感謝しています。これで勇者軍の方々も動いてくれる…筈です」
続いてジルダが得意げな顔で腕を組む。カティは思い切りジルダを睨んだ。
カネダは息を吸いこむ。
「…えー、結論としまして、今回の対決…対決なのかこれ?…は引き分けとさせて頂きたいと思います」
「「えぇー!?」」
「はははは!残念だったなお前たち!」
カティたちの叫びを聞いて、魔王は高らかに笑う。
それに対して彼女たちは抗議の声を上げる。
「待ってください!それじゃあ予算は…」
「そのままだな。増減はなしだ」
「そんな!」
「魔技研と一緒なんて酷い屈辱!願い下げです!」
「それを言うならこっちのセリフよ!」
「何ですって!」
「何よ!」
「まあ、聞け、お前たち」
魔王は一際落ち着いた声音で言う。
「だとすれば、あとは簡単だ。魔術院と魔技研、どちらがよりこの我にとって有益か、ここで戦って示すがよい」
「「―――なるほど」」
カティとジルダは、互いに目を合わせる。
「今こそ、研究成果を示す時、ってわけね」
「いいでしょう、じゃあ、私の発明の有益さを見せてあげるわ」
互いが互いに距離をとった。
今にも一触即発の状況で、カネダは蝙蝠のブラムに頭を掴まれ、魔王の近くに運ばれていった。
――何だかよく分からないけど、写真だけは撮っておこう。
そう思ったカネダがシャッターを切った、その瞬間。
戦いの火蓋は、切って落とされた。
飛び交う弾丸、入り乱れる魔法陣。
一瞬一瞬が速すぎて、カネダには何も捉えられない。
目の前の光景に、カネダはただ呆然とするしかなかった。
「ふう、やれやれこれでようやく落ち着いたな」
カネダの肩に乗っているブラムが大きくため息を吐く。
「こ、これでですか...」
カネダは引き気味に答える。
「あいつらいっつもこうなんだよ。死ぬほど相性悪い。だから最終的に戦わせて相殺するしかない」
「相殺って」
「このままほっとけばお互い倒れるまで戦い続けるからな」
「決着はつかないんですか?」
「ついた試しがない」
「さいですか…」
カネダが横を見ると、魔王はどごんどごんと響く破壊音をまるで宮廷音楽でも聞いているかのような優雅さで、お茶を飲んでいた。
「して、カネダよ。もうそろそろ人間界では日が暮れるぞ?」
そう言われカネダは自分の腕時計を見る。
「あ、本当だ。…じゃあ、自分はこの辺でお暇させてもらいますね」
「うむ、またいつでも来るがよい。今日の情報で書いた記事の評判も聞かせてくれ」
「は、はい…」
カネダが通行証をかざすと、魔界への門が現れる。
「では魔王様、また」
「うむ、またな」
魔王は穏やかな笑みで手を振った。
カネダは門を通る直前に思う。
本当に、彼らには心がないのだろうか。
こんなにも、表情豊かな彼らが。
自分は、取材を通してそれを知っていく必要があるのではないか。
そんなことを考えながら、カネダは門をくぐり、人間界に戻っていった。




