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プロローグ

 ここは人間界。俺たち人間が住む世界。

 でも、この世界は人間の物ではない。

 世界には悪魔と呼ばれる悪しき種族が存在し、各地を跳梁跋扈する奴らに、俺たち人間は殺され、奪われ、虐げられ続けている。

 そんな世界を救うべく立ち上がった者達がいる。

 人間界には、許された者しか立ち入れない場所がある。それは、魔界へと続く門。それは、地獄への道。そして、俺たち人間を悪魔達から救う、唯一の光。

 そんな道へ踏み出す彼らを、俺たちはこう呼ぶ。

 〝勇者〟、と。




「帰りたい」

「何を言うか貴様ぁ!目的地はすぐ目の前なのだぞ!」

「落ち着いてレオくん!ハルトくんもそんなこと言わないで!ね!」

「帰りたい」

「二度も言うか貴様ぁ!」

「も〜!二人ともケンカはやめて!」


 とある鬱蒼とした森の中でそんなやりとりが交わされている。薄暗く湿った森は、珍しく来た来訪者を静かに歓迎していた。

 この森にいるのは、三人の人間だ。二人の男性、一人の女性。

 二人の男性のうち小柄な方で、両手に籠手をはめている男、ハルトは陰鬱な声を落とす。


「だってさレオモンド、無茶が過ぎるぜ、突然魔界に突入だなんて」


  その言葉に対し、もう一方の背丈の高く、腰に長剣を携えた男、レオモンドは声を荒げる。


「無茶なものか!我々は勇者として選ばれたのだ!だとすれば、我ら勇者の最終目標、魔王の打倒に赴くのは当然だろう!」

「当然じゃねーよ無茶なんだよ!俺らパーティ結成したの昨日だぞ!レベル上げも何もしてねーし!せめて人間界で鍛えてから魔界に行くだろ普通!」

「馬鹿者!こうしている間にも悪魔共に苦しめられている人々がいるのだ!一刻も早く魔王を打倒しなければならない!」

「ホントどっから出てくるのその自信!?死にたいの馬鹿なの!?」

「ふ、二人とも落ち着いて。……それに、私はレオくんの言うことも一理あると思うな」


 二人を諌めたのは長い杖を手に持つ小柄な女性、エミィだった。彼女は俯きがちに、胸に手を当てて息を吐く。


「私たちの使命は、魔王を倒して平和な世界を取り戻すこと。そのために勇者になったんだもの。今苦しんでいる人たちを助けたいの。だから、待ってなんていられない。少しでも早くみんなを助けたいの。だから……」


 エミィの言葉に、ハルトは息詰まる。

 そして彼は深く息を吸い、吐き出した。


「……わかった、わかったよ、付き合うよ。死に急ぎ馬鹿共。本当に死にそうになったら引きずり戻すからな」


 その言葉に、エミィの顔がぱっと明るくなる。


「ありがとう!ハルトくん!」

「でもなエミィ、スカート捲れてるぞ」

「きゃあ!?」


 エミィは顔を真っ赤にしながら、慌ててスカートを直す。

 レオモンドはそんなやり取りを気にも留めず、変わらず生真面目な表情で淡々と口を開く。


「無論、死ぬつもりはない。この手で魔王を倒すまでは」

「はいはい、お前が一番心配だよ」


 ハルトは大きなため息を零しつつ、レオモンド達の後を追う。

 そうして彼らは深い森の中を進んで行った。




「着いたぞ」


 レオモンドの声で、全員の足が止まる。

 森を抜けた先、彼らの目の前に広がっていたのは、寂れた風景だった。

 壊れた観覧車、欠けたメリーゴーランド、錆びついたコーヒーカップ。そう、そこは遥か昔に打ち捨てられた遊園地だった。

 あまりに鬱蒼とした光景に、ハルトは眉を寄せる。


「おいレオモンド、本当にこんなところに魔界への門があるのか?」

「ああ、確かな情報だ」

「でも、どこにあるのかな…」

「とにかく探してみるしかあるまい。行くぞ」


 三人は寂れた遊園地を進む。

 誰もいない、とうに忘れ去られた遊園地。その空気はどこか陰鬱としており、かつてあったであろう輝かしい光景はかけらもない。

 三人の行く手に、だんだんと大きな城が見えてくる。

 閉ざされた廃城は、重苦しい空気を纏いながらそこに佇んでいた。


「……ここか?」

「開けるぞ」

「そしてエミィ、スカート捲れてるぞ」

「はわあ!?」


 切り裂く悲鳴のような音を立て、扉が開く。

 中は薄暗く、三歩先は暗闇である。

 ふと、その瞬間。

 扉が閉まる。閉じ込められたか、と三人が警戒した、次の瞬間。

 城内に灯りが灯る。蝋燭の火が次々と瞬いていく。

 そして、灯りが指し示した先には。

 真っ黒な、扉があった。

 その扉は荘厳な雰囲気を感じさせつつも、どこかものものしく、畏怖の感情すら抱いてしまうかのようだった。

 その時である。


「よーうこそー!魔界の門へ!!」


 場違いに陽気な声が城内に響く。

 だが、姿はどこにも見えなかった。


「いやー、勇者のお客さん久々だなー!最近はだーれも来ないからずっと暇だったよ!これでようやくマトモに仕事ができる」

「…何者だ!姿を現せ!」


 レオモンドは剣を抜いて構えながら叫ぶ。

 すると謎の声はけたけたと笑う。


「おやまた、こいつは失敬、失敬」


 真っ黒な扉の前に、青黒い光が現れる。

 その光はみるみるうちに形を変え、一人の男性へと姿を変えた。


「改めてようこそ、勇者御一行。俺は魔界の門番。よろしくね」


 おどけた調子の男は、そう言ってにたりと笑った。

 こいつは、悪魔だ。

 ハルトとエミィが気圧されていると、レオモンドは一歩、悪魔の方へと踏み出す。


「魔界の門番か。なるほど道理だ。分かりやすくて手間が省ける」


 レオモンドは、悪魔へと刃を向ける。


「つまり貴様を倒さねば、魔界には進めないということだな」


 ハルトも、エミィも、息を呑んだ。

 これが、三人にとっての、最初の悪魔との戦い。

 緊張感が場を包む。空気が凍ったようだった。

 門番は、ただ黙り。

 そしてゆっくりと、口を開く。


「えっ何で」

「えっ」

「ん?」

「へ?」


 門番は大袈裟に首を傾げて唸る。


「あっれー、だってあんたら、勇者登録してるでしょ?だったら勇者ギルドの他のヒトから聞いてるかと思ったんだけど」

「…な、なにを?」

「門番のオレのこと。まあいいや。初見さんてことね。ほい、じゃあこれマニュアル。細かい規約書いてるから、持って帰ってあとで読んでね」

「え……え?」


 ハルトは思わず受け取ったパンフレットを見る。

 表紙には、『勇者のための!ワクワク魔界攻略!』と書かれていた。


「はーい、じゃあこれから説明始めまーす。よく聞いて下さーい」


 呆然とする三人の前に、突然モニターが現れた。

 否、それはモニターのようなもので、さっき男が現れた時と同じ青黒い光を放っていることから、それは魔法によるものだと勇者一行は理解した。


「勇者御一行の目的は魔界の攻略なのは百も承知。でも魔界って何!?どっから行けばいいの!?って人のために、簡単に魔界の説明をしますね」


 門番はどこからか出した棒で、モニターのようなものに映っている地図を指し示し始めた。


「まず左下。ここは魔獣大陸。スライムとかゴブリンとか、いわゆる魔獣がたっくさんいる大陸です。初心者はだいたいここで鍛えてから行くね。次、左上、シェーオール大陸。ここはまあ、何もないからオススメしない。次、右上、煉獄大陸。観光するならここか魔都がオススメ。んで右下、ヴァルハラ大陸。上級者向けだから、行きたくなったら色々聞いて。んで最後。それらの大陸の中心にあるのが、王都である魔都がある真魔大陸。魔王もここにいます。んで、えー、勇者の皆さんは、どこから旅を始めるかが自由に選べるので、よーく考えてね!」


 門番は陽気な口調で説明していく。

 三人はそれぞれ呆けていたり、よく分かっていなかったり、真面目に聞いていたりと三者三様である。

 門番は構わず言葉を続ける。


「でも『魔界ってこんなに広いの!聞いてない!』『軽い気持ちで来たのに暫く帰れなさそう…』なんてヒト達のために、こんなものをお配りしています!じゃじゃーん!その名も簡易式セーブポイント!これは、設定した場所を保存できるマジックアイテムです。これがあれば、ちょっと魔獣の大陸でレベル上げをして人間界に帰り、また来た時続きから始める!なーんてこともできます。あ、戻ってくる時はこの魔界への門からだけどね。んじゃ、一パーティに一個お配りしてるのでドーゾ。なくさないでね」


 レオモンドは門番からそれを受け取る。それはキラキラと輝くネックレスのようだった。


「さて!大まかな説明は以上!何か質問はあるかな?」

「魔王の所から始めたいのだが、可能か?」

「レオモンドおおぉぉ!?」


 ハルトは思わず絶叫した。レオモンドの胸倉を掴み上げて大きく揺さぶる。


「色々ツッコむべきとこあったはずなのにそれ差し置いて何言ってんの何考えてんの!?魔王だよ魔王!?俺たちの最終目標!!それを始まりの街にすら行く前に突撃する馬鹿がどこにいんだよ!!」

「しかし好都合ではないか。すぐに世界を救える」

「本当お前の自信どっから沸いてくるの!?」

「わ、私も流石にまだ早いんじゃないかなと思うよ…?」

「ほら!エミィもこう言ってるし!」

「しかし…」

「じゃあアポだけ入れときます?」

「は?」


 門番はさらりと言う。


「魔王も忙しいんで、アポなしは結構難しいんですよ。アポ入れとけば確実に戦えますけど、どうします?」

「何で勇者が魔王にアポイントメント取るんだよ!聞いたことねえぞ!」

「最短はいつだ?」

「お前は人の話を聞け!!」

「えっとー、あ、今空いてるみたいです」

「嘘でしょ!?」

「じゃあ行くか」

「馬鹿なの!?」

「門、開きまーす」

「イヤアアァァアアァァ!!」


 真っ黒な扉が、轟音を立てて開いていく。

 どす黒い光が渦巻く扉の向こうから、冷たい空気が流れてくる。


「お、おい、本当に行くのか」

「無論だとも」

「レオモンドはちょっと黙ってて」

「だ、大丈夫かなあ」

「いや絶対大丈夫じゃねーから」

「……でも」


 エミィは一つ、息を吸う。

 そして、真っ直ぐに、門の向こうを見た。


「いつか誰かが、やらなくちゃ。その誰かを待っているだけは、もう嫌だから」


 エミィは、胸の前で手を握っていた。

 その手が震えているのを、二人は見た。


「……そうだな、ならば、俺たちが成そう」


 レオモンドはエミィの肩に手を置く。

 力強いその手に、エミィは安心したように顔を綻ばせた。

 ハルトは黙ってそれを見ていたが、大きくため息をついて、頭を掻き毟る。


「くっそが…お人好しに生まれた自分を呪うぜ…」


 ハルトはレオモンドの手から簡易セーブポイントを奪いとった。

 そしてそれを掲げ、声を荒げる。


「いいか!ヤバかったらすぐ引き返す!作戦は命を大事に!だ!分かったか!?」


 ハルトの言葉に、二人の表情が明るくなる。

 二人は力強く頷いた。

 三人は魔界の門を見る。

 これから自分達は踏み出すのだと、それぞれが覚悟を決めた。


「……っと、門番さんよ。一つ聞きたいんだが」

「ん?何です?」


 ハルトが振り返り、門番へ尋ねる。


「アンタら悪魔が、どうしてここまでお膳立てする?一体アンタらに何の得があるんだ」

「得ならありませんよ?」

「ですよね」

「でも」


 門番はにやりと笑う。


「一つ言えるのは、それは陛下に聞けば分かるってことです」

「……陛下、ってのは」

「オレたちが陛下と呼ぶのはただ一人。魔王陛下をおいて他にありません」


 門番はそう言い、微笑む。

 その笑みは、どこか誇らしげだった。


「行くぞハルト」

「あ、ああ」

「じゃ、行ってらっしゃい!よき旅を!」


 門番はにこやかに送り出す。

 ハルトはその笑みの意味が分からず、ただただ困惑していた。

 そして彼らは、門の中へと踏み出した。




 視界が開ける。

 辿り着いた先は、城の中の大きな広間のようだった。

 美しい装飾が施された荘厳な黒い広間の中に、三人は突如として現れた。

 否、違う。

 三人の視界の前方にあったのは、玉座。

 真っ黒な玉座が、そこにあった。

 つまりここは、王の間だ。

 三人が呆然とそれを眺めていた、その時。


「ふむ、来たか」


 声が響く。

 重く、冷たい、その声が。


「で、あれば、我はこう言わねばあるまい」


 玉座の前に黒い光が現れる。

 禍々しい光は煌々と輝き、三人を見下ろすかのように瞬いていた。

 やがて、ゆっくりと、光が晴れる。

 光が晴れた場所に――玉座に座っていたのは。


「よく来たな、勇者よ」


 そこにいたのは、一人の少女だった。

 長い黒髪。黒い瞳。黒いドレスからすらりと伸びる白い手は、齢二十はいかない少女のもの、そのものだ。

 その全てが、可憐で、かつ、美しかった。

 三人はそう、思ってしまったのだ。


「魔王…って、女、なのか…」


 呆然と落ちたのは、誰の声だったか。

 その言葉に、玉座に座る少女はくすりと笑う。


「ほう、驚いた。よもや聞かされていなかったとは。勇者の間で我はどんな化け物として


 語り継がれているのやら」

 愉快そうに目を細めながら少女は笑う。

 彼らは内心戸惑っていた。倒すべき敵がまさか、少女のような姿をしているなど、思ってもいなかったのだ。

 しかし。


「貴様が魔王で間違いないのか」


 レオモンドは一人、声を張る。

 真っ直ぐに、玉座に座る少女を睨みつけて。

 その言葉に、少女は静かに目を細めた。


「―――不敬な問いだ。だが許そう。いかにも。我こそが魔界を統べる王。魔族を従える、悪しき魔王に相違ない」


 少女は冷酷な笑みを浮かべながら語る。

 レオモンドはその言葉を聞いて静かに瞑目し。

 剣を抜いた。鋼が擦れる音が響く。


「だったら、俺たちの役目はただ一つ。魔王を、貴様を、倒すまで」

「…っレオモンド…!」

「ハルト、エミィ。俺たちは、覚悟してここに来たんじゃなかったのか」

「…っそれは…!」


 二人は口を噤んだ。

 覚悟をしてきたはずだ。この時のために、乗り越えてきたものがあったはずだ。

 二人は胸の内で問う。

 ただ一人、レオモンドだけは真っ直ぐに玉座を見据えていた。


「迷うな。あれは、敵だ」

「――ほう」


 少女の姿をした魔王は笑う。

 恐ろしいほど、邪悪な笑みで。


「覚悟のほどは確かなようだ。それでは――」


 魔王は立ち上がる。

 階段を降り、三人の前に立つ。

 魔王が手をかざすと、禍々しく輝く、多くの魔法陣が現れた。


「始めようか!」


 楽しそうに、実に楽しそうに。

 魔王は邪悪な笑みを浮かべた。




「いや〜勇者たちよ。貴様ら…とてつもなく弱いな」


 戦いは、終わった。

 ボロボロの状態で床に倒れ伏しているのは、勇者の三人だ。


「いや正直びっくりしたぞ。我びっくり。貴様ら弱いなんてレベルじゃないぞ。その辺のスライムすら怪しいぞ。魔族の赤ん坊のほうが強いぞ。ここまで弱い勇者は数百年ぶりだ。びっくりだ。びっくり超えて憐れだぞ」


 もはや憐憫の眼差しを向ける魔王を、倒れ伏したままのレオモンドが睨みつける。


「おのれ魔王…!多少はやるな…!」

「何でお前はこの後に及んで上から目線なんだよ。瞬殺だよ。天と地の実力差だよ。よく死ななかったよ俺ら」

「まさか一撃目でやられるなんて〜」

「俺は何となく予想してたけどね?」

「止めてやらなかったのか貴様」

「止めたんですよ何度も。でも聞きゃしない」

「大変だな」

「ええ、大変ですよ」


 もはやこの空間何だか分からない、ハルトはそう思った。

 魔王は屈んでレオモンドたちを覗き込んでいたが、立ち上がり、気まずそうに踵を返す。


「じゃあ、我行くから…頑張るがよいぞ…」

「待て!!逃げるのか魔王!!」

「この後に及んで挑発するとか馬鹿なの!?」

「俺は!!貴様を倒す!!」


 レオモンドは剣を突き立て、立ち上がろうとする。


「いくつもの滅ぼされた街を見てきた!!人生を狂わされた人を!!泣いている子供を!!死にゆく赤子を!!貴様ら悪しき悪魔が人間界を跋扈しているせいで、罪も無い人々は夜も眠れず怯えるばかりだ!!これが正しい世界であるはずがないのだ!!だから!!俺は魔王を討ち取り、人々に示すのだ!!平和な時代の先駆けを!!眠れる明日が来るのだと!!」


 レオモンドは咆哮する。震える足で立ち上がる。


「だから俺たちは!!諦める訳にはいかないんだ!!」


 その瞳には、未だ消えぬ光が宿っていた。


「……そうだね」


 震えた声が落ちる。

 エミィが杖を支えにして立ち上がろうとする。


「私たちが、やらなくちゃいけない…!もう待っているだけは、誰かに任せるだけは嫌…!私がやれば、きっと兄さんだって帰ってくる…だから、絶対に、平和な世界を、みんなで創るんだ…!!」


 エミィはふらついた足で立ち上がる。


「……ああ、そうだな」


 ハルトは拳を突き立て、起き上がる。


「俺も勇者の端くれだ。最初は金が欲しかっただけだけど、誰かのためじゃなきゃこんな仕事できねえよ。この二人、テコでも動かねえしな。付き合ってやれるのは俺くらいだ。だから…とことんまで、やってやる」


 ハルトは拳を構える。

 三人の勇者は、再び立ち上がった。

 魔王は彼らを見る。

 そして。

 笑った。


「素晴らしい!」


 それはどんな禍々しい悪魔よりも邪悪な笑みだった。


「今や夢を語る人間などいなくなった!それは勇者も然り!ヒトは希望を無くし、我ら魔族に怯えるばかりかと思っていた!故に!貴様らのその愚劣さ!無謀さ!傲慢さ!全てが、そう、愛おしい!!」


 高らかな声で魔王は謳う。

 それがレオモンドの怒りを買った。


「戯言を!その口捩伏せてくれる!」

「……いや、その必要はない」


 す、と。

 魔王の顔から笑みが消えた。

 そして、三人の足元に禍々しい光の魔法陣が広がる。

 攻撃される――レオモンドとハルトはそう思った。

 しかし、その魔法陣の意味に気づいたのはエミィだった。


「これは…転送魔法…!?」

「何だと!?」

「えっ…どういうこと!?」

「魔界の門へ戻されちゃう!」

「な…」


 三人は陣から出ようとしたが、それは叶わなかった。見えない壁が陣を覆い、陣の中から出られなくなっていた。


「貴様らの顔、しかと覚えた。また懲りずに挑戦するがよい。今は傷を癒すことだな」

「何だと、魔王貴様…っ!」

「ええ?せっかくカッコつけたのに戦わせてくれないの〜!?」

 食ってかかるレオモンド、戸惑うエミィをよそに、ハルトは一人冷静だった。

「――おい、魔王、一ついいか?」

「うむ、許す」

「何でこんなことをする?勇者を歓迎して、強くするような真似をして、俺たちを殺さないで……何がしたいんだ、アンタ」


 ハルトの問いに、魔王は笑んだ。


「いい質問だな。無論、その方が効率がよいからだ」

「効率?」

「勇者を育てる効率だ」


 魔王は言い放つ。


「今の人間界で勇者を鍛えるには限界がある。より質の良い勇者を鍛えるには、実践で戦う…つまり、魔界での戦いに身を投じさせるのが一番よい。そのために、勇者が魔界に来やすい環境を整えているのだ。やがて勇者の幾人かが無事に魔界で成長すれば、より強い勇者が生まれるはずだ」

「そんなことして、何になる?アンタにとって強敵が増えるだけだろう。何のために、アンタは強い勇者を育てようとする?」

「暇つぶしだ」


 魔王は微笑んだ。


「内政ばかりは疲れるのでな。たまにはガス抜きというか…息抜きがしたいのだ。そう、だから」


 魔王は一瞬、目を伏せた。


「――かつての胸躍る戦いのように…あの時のように、我が本気で戯れられる程度の…そうだな、我を殺せる程には強い勇者が生まれることを、我は望んでいる」


 魔王は静かに微笑んだ。

 その顔はまるで、少女のようだった。


「……アンタ、やっぱり悪魔だわ」


 吐き捨てるようにハルトは言った。

 その言葉に、魔王は笑みを返す。


「ではな、人間」


 それが、勇者たちが見た、その日最後の、魔王の笑みだった。




 誰もいなくなった王の間で、魔王は一人息を吐く。

 そこへ、二人分の足音と、一つの羽音が響いてきた。


「陛下、陛下!そろそろ書類片付けて貰わないと困りますよ」

「む、ブラム、すまぬ。今勇者と戯れておったのだ」

「それはいいですけど本業しっかりこなして貰わないと困りますよ」

「むう、わかっておる」

「……陛下、機嫌が良さそうですね」

「ほう、分かるかジャン」

「強い勇者たちだったのですか、陛下」

「ルゥ。いや、ここ数百年で一番弱かったぞ」

「は…?では何故?」

「うむ」


 魔王は側近たちの方を振り返る。


「ブラム、ジャン、ルゥ。久々に楽しみが一つできたぞ」


 その笑顔は、無邪気な子供のようだった。


「それはよかった。さ、執務室に戻りましょう」

「む、テキトーに流すでないぞ」

「……俺は気になりますけどね」

「そうであろう?」

「陛下に仇為す敵なら私が屠ります」

「心配性だな。だいたいお前たちはいつも――」


 魔王とその側近たちは、他愛のない談笑をしながら、王の間を後にしていった。




 そして、ここからの物語は、魔界を統べる悪しき王(と、時々勇者)の、他愛のない日常を綴る物語である。

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