7限目 どこから出した
終業のチャイムが鳴り響くコンマ1秒前、御調は開いていた教科書を叩きつけるように閉じた。
「はい終わりいぃぅぃぃiiiーーーーッ! 飯だ! 者ども飯の準備をしろッ!」
首筋に血管を浮かばせるさまは、さながらほとばしる魂の叫びだった。
戦慄の絶叫に、平和なチャイムの旋律が重なる。
そんな御調の姿を教頭は盗み見していた。普段の御調の人間性から授業内容を心配しての所業だったが、その姿はまるで許容量超過のリビドーを抱えつつも、やるせなさと愛しさと心強さを胸にノゾキを決行する中学生のようだった。
しかし教頭は安堵の息を吐く。
かつて少年だった彼が、森の奥で発掘した濡れそぼるエロ本を、誰にも露見せず家にサルベージした時のように。
ちなみに乾かしたらパリパリになってしまい、うまくページをめくれなかったらしい。
閑話休題。
御調はまともに授業をしていた。意外ではある。
「御調くん御調くん」
黙ったまま立ち去るのは悪い気がして教頭は声をかけた。
「はい? ああ超頭先生ですか。何か?」
「あれ空耳かな。変な肩書きに聞こえたのですが」
言いながら教頭は異変に気づいた。
振り向いた御調の背後に陽炎がユラユラと立つ。
その揺らめく空間に朧な火蜥蜴が現出しはじめていた。
教頭はアルルーシュカを盗み見る。
祈るように両手を組んで詠唱しているのがバレバレだ。しかし御調が気づいた様子はない。
「何なんですか? 用がないなら飯の後にしてもらえますかね。こっちは空腹でどうしようもなくイラついてるんです。逮捕されて動機を聞かれたら、『いや、腹減ってたんで』って答えなきゃいけないでしょうが」
「あ、う……ん。いや、何する気?」
教頭は声を詰まらせた。
見てしまった。
見なかったならどれだけ良かったことか。
はじめてノゾキをした昭和40年の春。興奮と後悔に押しつぶされそうになった幼き日のことを、教頭は思い出していた。そんな感じ。
アルルーシュカくんは御調くんを殺るつもりだ。
火あぶりだ。
これは止めないといけない。御調くんだって殺されるほどの悪行をしていたわけではないし、何よりアルルーシュカくんの手を黒く染めることになる。そんなことは教育者として断じて看過することはできない!
「なに親指たててるんですか教頭」
教頭の脳内とは裏腹に身体は正直者。無意識でゴーサインを出していたようだ。
「あっ! こ、こ、これは君の授業良かったよというサインで。決して君を見殺しにしようというアレではなく……」
しどろもどろになる教頭の目の前で、サラマンダーは完全体となり口を大きく開いたーー
「殺気!」
御調は恨みをダース単位で買い漁っている。そんな彼は自身に向けられる殺意に異常なほど敏感なのだ。
振り返りざま御調は金属バットを取り出し、そのまま遠心力をつけてサラマンダーを殴りつける。
相手すら視認していない。人間なら確実に撲殺しているほどの会心の一撃だ。
風神乱舞の如き猛攻でサラマンダーは一瞬にして消し飛ぶ。
「えっ!? うそ!」
アルルーシュカは驚きの声をあげた。顕現した精霊を物理で殴りつけ、しかも消滅させるなどあり得ない話だった。
異世界荘に鎮座する聖剣ならば可能だろう。しかしアレは今は岩に刺さって充電中なのだ。
「何だ今の蜥蜴は。みんな大丈夫か」
御調は金属バットをしまいながら生徒に声をかける。
「あの……御調くん。金属バットをどこから出して、今まさにどこにしまったのかな?」
「アルルーシュカくん、アネモネくん、ガリバーくん怪我はないか?」
驚愕の表情を浮かべる子供たち三人はコクリとうなづく。
それを見て御調はようやく安堵の表情を見せた。
「あのー。バットは……」
「良かった。もし怪我人でもいたら、飯食う時間がなくなるからな」
「あのー、バッ
「うるさいですね。教頭にけがないのは知ってるからはよ消えてください」
御調は金属バットを取り出して教頭の鼻先に突きつけた。
◇
「んあーーーー!」
アルルーシュカは悔しさで転げ回った。
「次はボクの番かなぁ?」
リザードマンのガリバーは自信なさそうに呟く。
ガリバーは子供サイズのモリを持っているが、御調のバットに勝てる自信がなくなったのだ。
串刺しにする前にミンチ肉にされかねない。
「いえ無駄でなのです。きちんと戦略を立てるべきなのです」
アンドロイドのアネモネが冷静に答える。
今すべきは御調の抹殺ではなく、彼に異世界人というものを理解させることなのだ。
あの男は異常なほどのリアリストだ。幻想を有無を言わさず強引に現実へとすり替えてしまう。違うやり方が必要なのだ。
「方法はあるのです。異世界荘に帰ってから戦略会議を開くのです」
アルルーシュカとガリバーはゴクリと唾を飲み込んだ。
今のアネモネは邪気を孕んだアンティークドールのようだった。
キレがないなぁ