6限目 ……ならよし!
毎朝校門に立ち、生徒に怒涛の挨拶を繰り広げる。それが教頭の日課である。
子供たちひとりひとりの顔を見るだけで、問題を抱えた生徒をひと目で見抜く。そしてそれとなく担任に伝えるのだ。ぐう聖である。
それは教師生活30年のなせる技なのだが、なかなかの熱視線であることは否定できない。
「場所が場所ならば、変態ハゲ親父の称号をほしいままにするところだろう。しかしあいにく彼は狡猾であった。教師という立場を擦り切れるほど使い切っていたのだ。このペド野郎」
「やあ、おはよう御調くん。そういうのは頼むから心の中でだけで展開してもらえないかな。ほら、他の人の目もあるし……」
教頭は額の汗を拭きながら辺りを見渡した。通りがかる人々の視線が痛い。
通学中の女子高校生などは、まるで週末の繁華街の片隅に吐瀉された汚物を避けるように身をよじる。
「ああ、すみません。一応周りからどう見えるかお伝えした方がいいと思って。お礼は甘いもので結構です」
御調は涼しい顔で答えると、「で、教頭の額と頭との境ってどこなんでしょうね。本当はぐるりと回って首の後ろまでおでこなんじゃないですか? 非常に興味深い」と言い放って歩き去った。
教頭の毛髪はうなじ部分にしか存在しない。つまりそこまでがおでこなら、教頭はハゲの範疇を悠々と逸脱し、数多の視線を返り討ちにして自分はフッサだと胸を張ることもできなくない。
御調はそう言いたかったのだろう。
教頭はぐう聖である。
それは万人が受け入れられる事実であるのだが、彼の握られた拳からは鮮血が滴っていた。
ああ、駄目だ。胃腸薬飲もう。
教頭は朝の澄み渡った空に呟いた。
そして二週間後には胃腸薬は三種類まで増える。
教頭は休み時間ですら教頭であることをやめない。
御調が給食調理室に忍び込み、デザートをあらかた食い荒らし終わった同じ頃、教頭は3年異組の生徒たちが額を付き合わせている場面に遭遇した。
アルルーシュカとリザードマンとアンドロイドだ。
教頭は心中で臨戦態勢をとった。
アルルーシュカは見目麗しい普通の人間に見えるから問題はない。
しかしリザードマンとなると話は別である。二足歩行の蜥蜴を、そうやすやすと理性が理解してくれないのだ。
一度トイレの入り口でエンカウントした際には、昔取った杵柄、思わず柔道の構えをとってしまったことを教頭は心底後悔している。
リザードマンの幼い心を傷つけてしまったのではないか。そう気に病んでいた。ぐう聖なのだ。
よくよく見ればつぶらな瞳をしているし、あの時の私はどうかしていた。
ほら、隠しようもなく牙とか見えちゃってるけれど、楽しそうに笑っているではないか。
そう思いながら話に耳を傾ける。
「ボクは串刺しとかいいと思うんだ」
何を!?
あまりの物騒な単語に驚愕した教頭は、笑うリザードマンを二度見した。
誰かを殺るつもりなのか!?
いやしかし。教頭は頭を振る。そんなはずはない。きっと食事のことを話しているに違いない。
白い牙がぬたりと光る。
以前リザードマンの食事を見たことがある。あれはもう食事とは言えない風景であった。もはや捕食である。
「ワタシはレールガンで始末した方が効率的だと思うのですが」
誰を!?
リザードマンの提案を否定したのはアンドロイドの少女だ。聞くところによると数百年先の未来からやってきたらしい。
西洋のアンティークドールのような風貌が可愛らしいが、たまに首がクルクルと360度回転する。なんの前触れもなく旋回するので厄介だ。その都度教頭の肝は永久凍土のごとく冷えるのである。
それに基本設定が無表情なのもいただけない。
「串刺しだよー」と突き刺す仕草をする。
「レールガンなのです」と腕が凶々しくもメカメカしい銃器に変化する。
「むーー。やっぱりアルルはサラマンダーで火あぶりがいいの」
仕事帰りのOLたちが今晩の夕食について話し合っている風ではあるが、内容があまりにも物騒である。
教頭は自身の勘違いを神に祈りながら声をかける。教師として放っておかないのだ。
「き、君たち……なんのお話をしているのかな?」
アルルーシュカがキョトンとした顔で振り向く。
リザードマンがくわっと口を開く。
アンドロイド少女の首がぐりんと回転する。
「みつぎセンセーをこらしめるの!」
綺麗にハモっていた。
「みつぎセンセー……?」
恐る恐る聞く。
「うん! みつぎセンセー!」
なら
良しッ!
教頭の心の中で100万人の教頭が喝采をあげていた。
その中で天使の心を持つ教頭がいたのだが、異論を述べた刹那に抹殺された。
「死なない程度にしときなさいね」
仏のような顔で今日も教頭は仕事に励むのだった。