5限目 ピロシキ!
あらためて教室を見渡す。
おかしな風景だ。普通じゃない。それは御調にもわかる。
なんとも言えない目眩をおぼえて御調は頭を振った。
「とりあえずはアルルーシュカくんだ。ええと、君は教頭から、あの頭皮のずるむけた教頭からロシア人だと聞いてるのだが?」
ちなみに頭皮はずるむけてない。毛根がずるむけているだけである。
教師らしからぬ間違いをしてしまっているが、そんなことは御調にとってはささいな問題だった。
「うん。そういうせってい? になってるの。でも本当はエルフなの」
「おいおい、設定とか言っちゃってますけど? それで? エルフってあの幻想小説とかに出てくる種族のこと?」
「うん!」
誇らしげに胸を張るアルルーシュカを、御調は胡散臭そうに見つめる。そして無言でクルクルと指先でペンを回す。彼のイライラを表しているようだ。
「そうか……。うん、オーケー分かった」
御調はニコリと笑うとペンを教壇に叩きつけた。
「寝言は寝てから言え」
真顔だった。言葉も氷のように冷たい。
「でもでも本当だもん!」
「君の主張は認められんな。バカバカしい。そんなのはな、『ワタシ本当はお姫様なの!』っていう頭がスポンジの糞かまってちゃんと同じだファック。死ね」
アルルーシュカの大きな瞳に涙がたまる。朝露をのせた若葉のようだ。
しかし御調が攻撃の手をゆるめることはない。
彼は泣けば許されると思っている女が大嫌いだ。男女平等をうたいながら、窮地に立たされると途端に女を出す糞虫にヘドが出る。
「やれやれ。本当にエルフだと言うのなら証拠を提出しなさいな。例えば魔法を使うとかそんなのだ。簡単だろ? 本、当に、エルフ、なら、な」
一音一音区切りながら、小馬鹿にしたように御調は言った。
しかしアルルーシュカは御調の言葉に顔を輝かせる。
そんなことで良いのか、というような無垢な笑顔だ。
「あまり魔法をつかったらサキ姉様にしかられるけど」
とアルルーシュカは前置きすると、小さな口で呪文の詠唱を始めた。
風の精霊シルフィーがアルルーシュカの周りを旋回しはじめる。
地球人でも見える者は見えるだろう。限りなく透明の妖精たちの姿が。
無数のシルフィーたちが大気の中で優雅に踊る。
彼らそして彼女たちの歌声は風の音となって万里を馳せる。
邪気を祓い
ふきだまりを薙ぎ払う
そんな姿を見ることができたなら、それは幸運だろう。
「ん? 虫?」
御調は目の前をかすめたシルフィーをむんずと掴んだ。
そして床に投げつけて踏みつける。一連の流れはまるで、声をかけられたと思って振り返ったら、実は違う人に声をかけていて、気恥ずかしさのあまり『あ、靴紐が』ととってつけた独り言で屈み込むよりも滑らかだった。
「ええッ!?」
アルルーシュカは悲鳴に近い声をあげた。
「どうかしたか?」
言いながら御調は蚊を殺すようにシルフィーたちを虐殺してゆく。共産主義者も驚くほどの虐殺っぷりだ。
実際は死にはしないが、御調の無慈悲な攻撃を受けてシルフィーたちは彼の元から虫ケラのように逃げまどう。
「やれやれ、さすが糞田舎だな。虫が多い」
「……妖精さんたちが見えるの?」
「はあ? これが妖精だと?」
御調はシルフィーを掴んだ自分の手をしげしげと見た。
頭が握り拳からこんにちわしている。その顔は妖精らしからぬ形相で叫んでいるようだ。通訳してみよう。
《プリーズ! プリーズ・ヘルプミー!》
必死の形相だ。ハグキも露出しているし、こめかみには青筋すら浮かぶ。
もちろん御調には聞こえないので、問答無用で頭を引っこ抜かれた。
何度も言うが、死ぬことはない。念のため。
「妖精さんたちが見えるのに魔法は信じないの!?」
アルルーシュカの声に御調は顔を上げた。
彼女はシルフィーをともなって宙に浮いている。鳥の羽根がふわふわと風に踊るように。
「飛んでるな」
「うん! 精霊魔法なの!」
やれやれと御調は頭を振る。
「それは何度も見た。ロシア人だから飛べるんだろう? あの禿げちゃびんが言っていたぞ」
「ち、ちがうの! 魔法なの! ちきゅうじんは空を飛べないの!」
アルルーシュカは無感動な表情の御調の胸元を握る。
言っていることは至極ごもっともなのだが、相手が悪い。
「あのなアルルーシュカくん。インド人なんて座禅組んだまま宙に浮くし、なんならテレポーテーションまで披露するぞ。それに彼らは自在に手足を伸ばせる。それと比べれば君のやってることなど児戯に等しい。ロシアじゃ犬でも宇宙に行けるんだぞ。人間が空を飛んだとしても不思議じゃなかろう」
それはゲームの世界だ、御調。と誰も突っ込めれない。それにそのかわいそうな犬は永遠に宇宙を漂ってるぞ。
「つまり君はロシア人だと言うことだ。良いじゃないかロシア人。ピロシキ」
アルルーシュカはポカンと口を開けている。魔法を見ても動揺しない大人は初めてだったのだ。これが後に恋心に……
御調はそんなアルルーシュカの頭を優しく撫でる。
「マトリョーシカ、ボルシチ、ネアンデルタール。ロシア人だということに誇りを持ちなさい。実際、エルフとかいねーから」
御調の手のひらの下で、プチっと何かが切れる音がした。あとネアンデルタールはロシア語じゃない。たぶん。
これが後に恋心になることは、まあ間違ってもないわけで。
「それより、はい、そこーーッ!」
御調は一人の生徒をビシッと指差す。
小柄な雄のリザードマンだ。
「その変な被り物を脱ぎなさい!」
「いや、あの、ボクはリザードマンなので!」
「知るか! 教頭ですら被り物をしてないのに、生徒が許されると思うなよ!」
あたふたするリザードマンの背中に手を回す。
チャックを探しているのだ。
しかしチャックはついに見つからなかった。