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2限目 空気を読むとか無理ゲー

 どうということのない普通の小学校に見えた。少なくとも箕島みしま御調みつぎにはそう見えた。


 当たり前の鉄筋コンクリート製の無個性な建造物だ。しいて言えばグラウンドが広い。転勤前は東京暮らしだった御調にとってそれは異様な広さに思えた。


 確かに地方都市としてもずいぶんと広い部類に入る。それはこの学校の特色に関係するものだが、今の御調には知りようもない。


「他に変わったものはないな。拍子抜けだ」


 前の職場の同僚や上司からひどく同情されたのが不可解だ。

「凄いところらしいぞ……。まぁがんばれ。あ、いや、お前なら普通通りやればいいか」と厳しかった上司は目を晒しながら御調の肩を叩いたものだ。

 御調の転勤が決まった途端に、ガッツポーズをしながら飛び跳ねていた人とは思えない情の深さだった。


 しかし噂はしょせん噂である。

 全然普通じゃないかと御調は肩の力を抜いた。駐輪場に六本足の馬が繋がれているが、アレは昨日見た。どうやら自転車らしいから駐輪場で正解なのだろう。馬なら馬小屋にあるはずだ。そう思って御調はあくびをした。


 平和だ。


 馬が歯をむき出して、ついでに敵愾心もむき出して唾液を御調に飛ばしているが平和だった。



 ◇



 校長は出張とのことで教頭が学校内を案内してくれることになった。聞くところによると、校長は年がら年中ボブマーリーのTシャツを着たドレッドヘアーの頭がおかしい男らしい。


 そんな男の部下だとさぞ苦労も多いのだろう。教頭の頭は見事に禿げ上がっていた。


「生まれた時より毛根なぞなかったわ、というほどの清々しいまでの禿頭だった」

「あのね、そういうのは心の中でおもってもらえるかな」


 自分の頭を凝視(正確にはそこに映る御調自身を凝視)している御調に教頭は控えめに言った。


「ああ、すみません。思ったことは口に出してしまう方針で」

「あ、うん。性格とかじゃなく方針なのね」


 ずいぶんと困った人間性をしている御調に教頭はひるまなかった。日頃の苦労が偲ばれる。

 空気が読めないくらいどうとでもないわ。と、この時の教頭は安易に考えていた。


 御調は空気を読まない。

 空気は吸うものであって読むものではない。みんなこの大気に何を見ているのだろうか。きっと元素記号でも読んでいるに違いない。むしろ空気になるのは簡単なのだが。

 そんなふうにいつも御調は思ってしまう。

 しかし当人が思っているよりも、悪い意味で御調は空気になれない人間だった。



 就活での面接で「志望動機」を聞かれたことがある。テンプレどおりの回答をしてゆく学生に混ざって、御調は真顔で祖父の死因をこと細かく描写したことがある。

 志望を死亡と聞き間違えたのも奇跡だが、動機はどう解釈したのかは不明だ。


 しかし淡々とした口調にやたらと引き込ませる要素があったのか、その場にいた全員が手に汗を握りながら御調の祖父の最期を聴き入った。


 特に支那からの引き上げ前に、ロシア軍に捕縛されてシベリア搬送された後がグッときた。と面接官のメモにある。

 しかしその場で御調はお祈りされた。


 お断りの文句が「お祈り申し上げます」で締まるので「お祈り」と就活生から揶揄されるが、文字どおり手を合わせてお祈りされた。

 頼むから帰ってくれと。

 もはや懇願に近かった。


 仕方ないので面接官の似顔絵を描いてから御調は席を立った。その似顔絵は御調の閻魔帳にいまだに保管されている。


 その中の数人にはそれから不思議な現象が起きた。

 自家用車にカレーせんべいを噛み砕いたペーストが塗りたくられていたり、電信柱に車が立てかけられていたりした。


 もちろん警察沙汰になったのだが、カレーせんべいから検出された唾液は犬のものだった。

 立てかけられた車にいたっては、金で雇われたホームレスの仕業であった。

 黒幕は依然として捕まっていない。



 ニュースになった際に御調は、「不思議なこともあったものですね」と無表情でクラスメイトに言っていた。

「ソウダネー」とクラスメイトたちも返したが、全員目が死んでいた。



 そんな御調のことをまだ知らない教頭はにこやかに校内を案内してくれた。

 本来なら土下座してでも帰らせないといけない人材を招き入れしてまったのである。少し先の話になるが、この教頭はストレスのため、貴重なまつげと眉毛も禿げてしまうことになる。


「あっ! こらこら。廊下は走ってはいけませんよ」教頭が目尻を下げながら言った。


 休み時間なのか廊下を生徒がやたら駆け抜けていく。何が楽しいのかわからないが子供はよく走る。


「君たち、走るとエネルギーの浪費だぞ。走っていいのは命を狙われた時だけにしときなさい」


 御調は教師らしく生徒に注意をする。子供たちは「あー……うん。ごめんなさい」と、御調よりも空気を読んで謝ると、視線をそらしつつそそくさと逃げていった。

 どうやら本能で理解できるらしい。

「あ、こいつヤベーやつやん」と。


「み、御調くん。その指導方針はどうかと思うんだけどね」

「そうですか? 至極ロジカルだと思うのですが」

「でもそうそう命なんて狙われないよね?」

「いえ。私なんてしょっちゅうですけれど。それに近頃は物騒ですしね。かわいい子供を連れ帰る変態もいますし。ん? 危ない!」


 しれっと言うと、何かを感じたのか御調はとっさに廊下に伏せた。

 その上をふわふわと金髪幼女が飛んでゆく。今朝がた見た妖精のような女の子だ。「おくれるの、精霊さんおねがい」と急いでいるようだが、ふわりふわりとタンポポの種のように見える。


「なんだ。彼女はここの生徒かだったのか。やはり縁はつながったようだ」


 御調は立ち上がるとスーツについた埃を払う。口元がにやけていた。途方もなく邪悪な笑い方だった。


「それよりも教頭」


 ゆらゆらと綿毛のように飛んでゆく金髪幼女アルルーシュカの背中を見ながら御調は口を開いた。


「なんだね」


 教頭はさあ来たぞという顔をした。生徒が空を飛んでいるのだ。まともな神経なら腰でも抜かしかねない。そうやってだいたいの教師は初日でフェードアウトしていくのだ。


「今の生徒、空を飛んでましたよね」

「あぁ。うん。彼女はロシア人だからね」

「なるほどロシア人か……」


 御調は感心したように顎をつまんだ。

 確かにロシアには妖精のように美しい女性が多いと聞く。

 納得である。


「で、ロシア人って空を飛ぶんですかね?」

「そうだねぇ。そこは、まあロシア人だから」

「耳がとんがってて、それに精霊さんとか言ってましたけれど?」

「ロシアってすごいよねー」

「まあ確かにすごいですがね。すごいかわいい。アレ、持って帰ってもいいですかね?」

「普通にダメでしょ」


 教頭は真顔で言い、御調は「ちっ!」とツバを吐いた。


「しかしね教頭」


 御調は真剣な声で詰め寄る。


「廊下は走ったらダメなのですから、もちろん飛んでもダメでしょう。風紀の乱れに直結しますよ。他の生徒も真似したら大変なことになる」


 真似できるならそれはもはや人類の進化だが、それよりも御調にとってはモンスターペアレントのクレームの方が心配だった。怪我でもされたらかなわん。頭のおかしいモンペに責められたら、殺してしまうかもしれない。


 謝罪という言葉など、御調の辞書にはもちろんあるはずもなかった。





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