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1限目 ようこそ異世界荘のある街へ

 

 どこにでもある街だ。


 箕島みしま御調みつぎが駅を降りて感じたことはそんなものだった。


 跳梁が跋扈する土地でもなければ、妖精が空を優雅に飛んでいる世界でもない。


 もちろんそんな場所があるなら見てみたい気もするが、転勤で知らない県に飛ばされる時の不安は色々なものを想像させるものだ。


 当たり前に整然と幹線道路がはしり、無個性の全国チェーンが軒を連ねている。日本全国どこにでもある景色だった。


 御調が明日から教鞭をとる少学校は独身寮がある。

 荷物もすでに着いている手はずだ。

 今晩は徹夜でダンボールと格闘だな、と小さくため息をつくと、御調は夕暮れの地方都市に小さな一歩を踏み出した。


 しかし御調は知らなかったのだ。

 この地方都市には尋常ならざる住民が、それこそ縦横無尽に跋扈しているのを。



 ◇



 いつもより早めに起床した御調は、一分の隙もなく身なりを整えると自転車にまたがった。


 地方都市では自家用車が必須と聞いていたが、職場である天稜てんりょう小学校までの距離は遠くない。

 しばらくは自転車で十分だろう。


 朝の空気は都会とは少し違った。混じり気のない純粋な風が頬を撫でて心地よい。


 なんだか田舎も悪くないな。そう思った時だった。


 後方からえげつないほどの暴風をともなった塊が、鼻歌交じりに走っていた御調を追い越した。


 頬を撫でていた風が、頬を切り裂くどころか、まるで右半分の頭髪をごっそり毛根まで収穫するほどの風だった。

 毛根に不安を感じる人ならば、間違いなくアメリカ並みの訴訟を起こしかねない。


「うおっ!?」


 御調は倒れそうになる自転車から華麗に飛び降り、月面宙返りで着地した。頭髪の乱れもない。毎朝入念に社会人として許される程度の無造作ヘアーを作り上げ、スプレーでガッチガチに固めている。もはやそこには無造作の定義すらつけ込む余地はない。御調は一分の隙もない男なのだ。


「すみません! 大丈夫ですか」


 御調に暴風の塊が声をかけた。

 二人乗りの自転車だった。


「ああ。大丈夫ですよ。気にし……」


 御調は声を失った。

 ハンドルを握るのはやたら妖艶で童顔の少女だ。まだ高校生くらいに見える。しかし隠しようもないほどのフェロモンを御調は感じとっていた。

 それを御調は鼻腔を広げて、ゆいいつ吸引力の落ちない某掃除機顔負けにとにかく吸う。間髪などいれない。

 それは『無料でばら撒かれているのだから、よもや文句はあるまいな』、という潔さだった。


「サキ姉様遅れるの」


 自転車の荷台にまたがった少女が眠そうな声をあげた。

 限りなく白に近い金髪をした幼女だ。

 微風に誘われて若草色のワンピースの裾がはためく。まるで妖精だ。よくよく見れば風に流される長髪から、すこし尖った耳が見える。


「アルルーシュカちょっと待って。ちゃんと謝らないと」

「むーーっ」


 サキの言葉にアルルーシュカは頬を膨らませた。みたところ小学生低学年といったところだが、その仕草も幼い。


 まるで芸術品みたいな美しさだな。持って帰っても許されるだろうか、と御調は思ったが、残念ながらロリ趣味はないので、今は存分にフェロモン入りの空気を吸い込むことに専念した。


「ごめんなさい。この馬なかなかいうことを聞いてくれなくって」


「ああ、そうなのですね。こちらも怪我はなかったですしお気になさらず」


 御調は爽やかに返したが、実際はフガフガ言っていただけだ。とにかく今は吸い込むのが優先順位トップなのである。


 いや、ちょっと待て。


 そこでやっと御調は気づいた。


 馬?


 御調は二人が乗った自転車を注意深く見る。

 どこにでもある自転車だ。強いて言えば、どぎつい金色のフレームはあまり趣味がいいとは言えない。


「馬……ですか?」


「馬です」


 食い気味だった。

 御調は顎に手をやりしげしげと自転車を見た。


「自転車ですよね?」


「馬です」


 ニコニコとしたサキの声にかすかに凄みを感じた。


「いや、でも……」


 御調は折れなかった。中途半端が嫌いなのだ。七分袖とかいう半端者も、半袖なのか長袖なのかはっきりさせたい性分なのだ。

 夏は暑いし、秋冬は上着の中で袖がまくれて気持ち悪い。どこの層に需要があるのかはなはだ疑問だった。そして御調は売り場で見るたびに舌打ちをするのだ。


「主人の形見なのです。この馬が……」


 少女は遠い目をしながら『馬』にイントネーションを置いた。こちらも譲る気はないようだった。


 御調は主人という言葉に反応したが、まさかこの年齢で未亡人というわけでもあるまい、きっとどこかのメイドなのだろうと希望的観測で結論づけた。

 そしてメイド姿を見たい、あわよくば写真におさめたい。

 もっと言えば触りたい。

 いや、むしろ撫でまわしたいと思った。


「あのぉ、やっぱり骨折れてるみたいなので連絡先を……」

「サキ姉様、朝市に遅れるの」


 下心がもはや眼球からこぼれ落ちそうな御調の声を、金髪幼女アルルーシュカがさえぎる。


「ああ、そうね。それでは失礼します」


 そう言い残しサキはペダルを踏む。

 猛烈な勢いで後輪が回転すると、細かい砂利や砂を巻き上げ、狙ったように御調の顔面を叩いた。まるで自転車が怒り狂っているようだった。


 両手で顔を防御しながら、御調は去って行く少女を見た。


 サキとアルルーシュカは六本足の馬に乗って、車を抜き去りながら国道を駆けて行った。御調は目をこすった。まだ寝ぼけているのではないかと疑ったのだ。しかし紛うことなく馬である。神話ではスレイプニルと呼ばれる神馬なのだが……


「ほう。よくできた自転車だな」


 心底感心したように御調は息をはいた。


「ま、縁は円となってつながるというし、また近いうちに会えるだろう」


 不思議と追い回して連絡先を聞き出す気にならなくなっていた。

 急速に失われた下心を不審に思いつつ、御調は職場である小学校に向けて走り出した。


 この時の彼は知らない。まさか自分が、一時的にとはいえ、サキュバスの催淫にかかっていたとは。




 この街には『めぞん異世界荘』という下宿宿がある。文字どおり異世界からこの世界に迷い込んだ異邦人が住まうアパートメントだ。

 あくまで噂だが、サキュバスやエルフの幼女、果てにはスケルトンまで存在していると言われている。


 そんな場所を『何の変哲も無い場所』と思えるのは、とんだ阿呆あほうだけである。

 そして間違いようもなく、御調は阿呆であった。


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